それは凄まじいという言葉でさえも生ぬるく感じてしまえるものだった。
ハサンの群れなど、地平の彼方まで続くかのように見える無数の英雄たちの前では、障害でも何でもない。
イスカンダルの盟友たちの雄たけびにアサシンらの悲鳴はかき消され、ささやかな反撃さえも怒涛の波にのまれて、今ここに暗殺者のサーヴァントがいたという形跡は、ほんの一欠けらも残されなかった。
『ウォオオオオオオオオオオッ!!』
王に勝利を捧げた英霊たちは、高らかに勝鬨を上げる。
そして、これで役目は終わったというかの如く、彼らの姿は虚ろ気なものへと変わり、雄大な荒野も全て幻と思えるように、ライダーの固有結界は解除された。
後に残るのは、元の夜の森にそれぞれのサーヴァントとマスターたち。唯一変化があったことと言えば、魔術師たちの脅威となったであろう暗殺者の集団が消えてしまったことくらいだろうか。
「幕切れは興ざめだったな」
宝具を展開する前と何ら変わりない様子で、ライダーは杯に残っていた酒を一気に飲み干す。
その様子を見て、アーチャーは不機嫌そうな顔でイスカンダルを見やった。
「なるほどな、いかに雑種ばかりでも、あれだけの数を束ねれば王と息巻くようにもなるか。――やはりライダー、お前と言う男は目障りだ」
「言っておれ、どうせ余と貴様は直々に決着をつける羽目になろうて」
涼しく受け流し、ライダーは腰を上げる。
「これ以上問答を続けていても得られるものはないであろう。このあたりでお開きとするか」
「待てライダー! 私はまだ――」
唐突に切り上げようとするライダーに、セイバーが待ったをかける。
バーサーカーに助けてもらったとはいえ、ライダーには反論しきれていないのだから当然だ。
しかし、そのセイバーにライダーは掌を突きつけた。
「まあ落ち着かんか、
「……何?」
「どうも今の余は至上の酒を口にしたせいか、多少気が早くなっておる。貴様の信じる王の在り方をいくら語られても、意地になって納得しないやもしれんのでな。王を語るにふさわしい、その時に再び問いかけようぞ」
イスカンダルは酒癖が悪い。これはバーサーカーが常日頃から認識している事実だ。
生前でもその悪癖が出たせいで重用していた腹心をも殺してしまったことが知られるほどに、割と有名な話でもある。
幸いなことに、今この場では彼自身が自覚してくれている。酩酊しているために、道が違いすぎるセイバーの言葉を今の自分だと間違いなく受け入れないであろうと。
だから、今回は一度保留にしておいて、次にまた見極めると言っているのだ。
「なにより、我が盟友の頼みとあらば、そう無下にもできんわい」
「……それはどうも。まぁ、感謝はしておくよ」
ライダーからそっぽを向いて、バーサーカーはつぶやく。
「ではなセイバー、次に相見える時はその迷いを振り切っていることを望むぞ」
「……良かろう、この勝負は預けることとしよう」
バーサーカーに肯定されたとはいえ、いまだにセイバーの胸には迷いの感情が残っている。
なるほど、これではライダーが問答を続けていても無意味だと言ったことにもうなずける。
ライダーは酒に酔って、セイバーは迷いによって、それぞれ異なる理由で問答を続けられる状態ではなかったのだから。
「では坊主、バーサーカーらも引き揚げ――」
「待て狂犬」
ライダーがバーサーカー達に呼びかけたと同時に、アーチャーの声が響き渡る。
それにバーサーカーが全力で嫌な予感がしたのは、『直感』とは関係のない、別のものだったかもしれない。
「……何の用だアーチャー」
「まずは一つ。貴様は約定も果たさずにこの場から退散するつもりであったのか?」
「……約定……? ……一体なんのことだ?」
「はっ! ほんの数刻も経たぬうちの取り決めを忘却するとは、やはり貴様の脳髄は犬畜生と変わりないということか?」
先ほどのセイバーに向けたものに比べれば遥かにましなものではあるが、アーチャーが哄笑した。
ただど忘れしただけにしては散々な言われ様だが、いきなりアーチャーに喧嘩を売られても勝ち目はないのでバーサーカーは適当に聞き流す。
「
「……ああ、そういえばそんなことも言ってたっけ。カリヤが」
そういえば、そんな約束をしていた気もする。
ただ自分の発言ではないから忘れていた。
そう思い返しているうちに、周りの雰囲気が変わった。
それもそのはず。宝具もなしにアーチャーの猛攻を耐え、ライダーと協力関係にあるという異質さ。
その上、正体に関して、それにたどり着く物を一切残さないというサーヴァント。それがバーサーカーだ。
正体不明な陣営の、まさに心臓と言うべき真名をバラすのだから、マスターたちにとっては手に入れておきたいものだろう。
「まぁいいさ、だったら言ってやるよ。僕の名前はジョニィ・ジョースター……もしくはジョナサン・ジョースターだ。1872年のケンタッキー州生まれで、30歳になる手前くらいで死んだかな」
「随分と聞かせるではないか。ライダーの名乗りに触発でもされたのか?」
「ばれたって困りはしない。むしろ、
そう言い切ったバーサーカーに、面白がるようにアーチャーが笑みを浮かべる。
「ほう? 正直になった方が貴様に利するとは、どのような絡繰りがあるのか楽しみだ」
「あんたには関係ない話だと思うけどな」
「まあ良い。では次だ」
まだあるのかとバーサーカーは内心溜息をつく。
しかも、『次』ということは、まだほかにも聞かれるのだろう。
アーチャーとの会話にはかなりの神経を使うバーサーカーにとって、さっさとこの場から退散したい気持ちばかりが逸る。
「貴様にとっては、セイバーの願いは間違っているものではないと言ったな?」
「ああ、他の誰が否定しようと、僕は彼女の願いが間違っているだなんて思わないよ」
「そう思うのならば、此度の聖杯はセイバーに譲ってやればいいではないか。貴様よりも正しい道を行く人間と似通っているのであろう? ならば貴様はセイバーに聖杯を献上するのが道理というものではないか」
一瞬、バーサーカーはアーチャーが何を言っているのか理解できなかった。
サーヴァントは自分の願いを叶えたいがために聖杯戦争に参加しているのだから、そのようなものは愚問に等しい。
そこでようやくバーサーカーは思い出す。此度のこの酒宴は『聖杯問答』であったということを。
相手の願いが自分より上だと思ったら、それは相手の方が聖杯にふさわしいと認めるということに繋がるのだ。
だからアーチャーがこうして尋ねているということだ。
「……はぁ……あのなぁアーチャー、僕は聖杯戦争には参加しているけれど、聖杯問答に参加したつもりはない。君らの勝手なルールで僕が聖杯を辞退するという理由にはならないじゃあないか」
「そう抜かすのであれば、この
あの倉庫街の時と同様に、アーチャーが冷淡な殺意をバーサーカーに向ける。
下手な言葉を返せば、直ちに宝具の雨がバーサーカーに降り注ぐことになるだろう。
「関係ないね」
が、バーサーカーはさらりと返す。
まるで、アーチャーのことなど眼中にないかのように。
「誰が正しくて誰が間違っているかなんてどうでもいい。誰がどんな願いを持っているかなんて僕にはどうだっていいんだ。僕は『自分の望みをどうやってでも叶える』ためだけにこの聖杯戦争で戦っているんだから。あんたの中ではそうするのが道理だったとしても、それを僕に押し付けないでくれ」
アーチャーの言葉を明確に拒絶する。
だが、そんなものは自然な成り行きに過ぎない。バーサーカーは『漆黒の意志』を持っているのだ。もとより説得や問答でその行動指針を変えさせることなどできはしない。
たとえ他の誰かがバーサーカーの願いよりも多くの人間を幸せにする願いであったとしても、彼よりも不幸な人生を歩みそれを覆したいと願っていても、バーサーカーはそんなものを歯牙にかけることはありえない。
自分の願いを叶えるのを妨げるもの全てを排除し、そこに他人の事情などはさみはしない。それがバーサーカーだ。
「
「気に入らなかったなら攻撃なりなんなりしてみたらどうだ。でも、そうされても絶対に聖杯を諦めはしない。何としてでもあんたを倒して、生き延びてやる」
あれほど立ち上っていた殺気は消失させ、アーチャーは口の端をゆがませる。
何やら子供が新しく買い与えられた玩具を見るかのように、バーサーカーを興味深そうに眺める。
この場は助かったのだろうが、後にさらに厄介なことになりそうな予感しかしない。
「まさに狂犬といった言いぐさよな。己の欲望を満たすことしか考えていない様は畜生とよく似ておるわ」
「ほっとけよ。自覚はあるさ」
「良い。先ほどの余興で
「それはどうもありがたいね。てっきり、このままあんたと矛を交えることになると思ったよ」
「たわけが。
「だったら勝手に見て嗤ってろ。で、話は終わりか?」
「そう急くな。次の問いかけで最後ではあるがな」
やっと解放されると胸をなでおろした瞬間、思いもよらない問いを投げられた。
「――貴様はいつまでライダーの尻馬に乗るつもりだ?」
「……はぁ?」
思わず変な声が出てしまった。
まさか傍若無人の権化のような男から、他人の同盟関係にとやかく言われるとは思っていなかったのだ。
なんとか混乱から立ちなおして、それに返答する。
「そんなの、ライダーが聖杯を手に入れるまでに――」
「言い換えよう。いつになったら貴様は
まるで言い換えになっていない。ライダーとの同盟と、アーチャーに謝罪することのどこに共通点があるのかがさっぱりだ。
アーチャーが突飛なことを言い出すのには慣れてきたが、常人の使う文章に翻訳するのには手間がかかる。
ライダーのようにはっきり言ってくれれば楽だと言うのに。
そして少し考え、ライダーとの共闘関係とアーチャーに命乞いをすることの共通点を理解できた。
ライダーと協力関係にあるということは、すなわちそれ以外の陣営を打倒するということ。
ならば、バーサーカーは早かれ遅かれアーチャーとも戦わなければならなくなる。
つまりアーチャーはこう言っているのだ。
『
「……裏切る気なんてさらさらないよ。元々、僕は一人じゃあ碌に戦えもしないんだ。例えあんたと戦うことになったって、ライダーから離反することはない」
「では、今すぐそこで跪いて
聖杯戦争が始まった当初では信じられない提案をされた。
あれほどこちらのことを敵視していたアーチャーに、破格すぎる条件で同盟を組むことを提示されるとは。
これが倉庫街の戦いがあった日に言われていたならば、バーサーカーは間違いなくライダーを裏切って、それに飛びついていたであろうアーチャーの誘い。
「……本当に僕に聖杯をくれるっていうのか?」
「ああ、貴様が
「あれほどあんたに無礼を働いたってのに、それを許容してあんたに付かせてくれるのか?」
「良い、許す。ありえん話だが、
おそらく、アーチャーは本気だ。
この言葉に嘘はないし、本当に役に立てたなら聖杯だってくれるに違いない。
バーサーカーの何をそこまで気に入ったのかが分からないが、そうしてくれるのだろう。
それを確信して、バーサーカーは黙り込んでしまった。
聖杯戦争を勝ち抜くには、今差し出された手を取る方が利口だ。
規格外の戦闘力を持つこのサーヴァントを味方につけることができれば、ほぼほぼ勝ちは揺るがない。
その単純な結論が理解できてしまい、ウェイバーはバーサーカーに縋るような目を向ける。
あれほど自分に気をかけてくれた存在が、自分の敵になるなんて想像もしたくない。
しかし、だからこそ、バーサーカーのあの言葉が思い起こされる。
『…………ああ、僕は正真正銘バーサーカーさ。目的のためなら、人間性を捨ててでも成し遂げようとする――
ライダーを裏切らなかったのは、味方になりそうな陣営がいなかったから。
でも、現にこうして出てきてしまっている。
様々な意味で規格外である英霊が、バーサーカーを唆している。
これなら裏切ったとしても、仕方がない。
「……魅力的な提案だな。ここであんたの手を取らないのは、あんたが敵になったとしても勝ち抜けるとうぬぼれている馬鹿野郎か、ヒロイックな自分に酔っているロマンチストくらいだ。ここであんたの下につけば僕は願いを叶えられるだろうよ」
バーサーカーの口から肯定的な意見が出る。
それを聞いてウェイバーは見ていられないとばかりに顔を手で覆い、アイリスフィールとセイバーは流転する状況を見届けようと緊張し始めた。
彼のマスターである雁夜は苦々しげに顔をゆがめ、桜は雁夜とバーサーカーの様子に戸惑うばかり。
ただ一人、ライダーだけは微動だにせずただ二人を眺めていた。
少しの逡巡の間ではっきりと出た答えにバーサーカーは覚悟を決めた。
自分は、勝つためならば手段を択ばない、他の何を犠牲にしても目的に到達しようとする、そんな人間だったはずだ。
召喚された当時のバーサーカーなら即座に選んだ提案だろう。
裏切る罪悪感があれど、迷わずにアーチャーの言いなりになっただろう。
「――でも断る」
それで今『迷った』ということは、受け入れるつもりはバーサーカーにはなかったということに他ならないのだが。
「あんたのことは100%信じられるよ。きっと僕がそうしたなら、あんたはそうしてくれるんだろう。その瞬間に、あんたにとって僕が
「……ほう」
アーチャーが感心したかのように微笑する。
目の前の狂犬に、自分の考えていることを言い当てられたからだろうか。
「だとしても、あと1%が信じられない。あんたがそれを履行するつもりだとしても、あんた以外の因子によって、僕の願いを叶えられない可能性がある以上、あんたに恭順することは僕にはできない」
「何を知れたことを。
「いくらでも思いつくさ。あんたのマスターが令呪を使うだとか、僕以上に興味を引く存在がいたりしたら、僕なんかあっという間に脱落じゃあないか」
そこでちらりと、騎士王の方へと視線をやる。
バーサーカーは気づいていた。アーチャーが真に口説き落としたいのは、自分などではなくセイバーであると。
もしここで二人ともがアーチャーに従うようになれば、セイバーとバーサーカーで聖杯を奪い合うことになることは予想するのも簡単だ。
そうなれば、100%願いはかなえられないことになる。
一騎打ちなんて、バーサーカーにはどだい無理なのだから。
「それに、元々僕らはあんたのマスターのことを毛嫌いしているしな。あんたらと組んだら十中八九内部分裂を起こすね」
「貴様も時臣を嫌っていたとは、その理由が思い至らんな」
「ああ、なにせたった今、死ぬほど嫌いになったんだ。あんたが知る由もないさ」
バーサーカーは雁夜のサーヴァントである以上、雁夜にとっての宿敵である時臣を快く思わないのは無理もないことだが、今しがた嫌いになったとはどういうことだ?
彼らの事情を知る周りの者たちは、そう思った。
……いや、バーサーカーの内心を理解できるものが一人いる。
間桐雁夜本人だ。
「……ああ、そうだなバーサーカー。時臣のやったことは許せないな。釈明くらいは聞いてやるが、それまでは絶対にアーチャーとは組めないな」
「僕以上に、お前の方が怒り心頭って奴だろう? まあ、否定はしないけどさ」
それなりに温厚な雁夜にとっても、他人にさほど興味がないバーサーカーにとっても、どうしても許せないことなんて、そんなものは数が限られる。――桜だ。
二人とも、子供が大切であるという点において共通している。
そんな彼らの前で、時臣は今何をした?
たった今、時臣はアサシンに命じて、
「……アーチャー、明日そっちに伺うことにする。言っておくが、軍門に下るとかそういうんじゃあないぞ。一度、あんたのマスターと話がしたい」
「いいだろう。
「感謝するよ。……で、話は終わりか? これで用が済んだなら僕たちは帰らせてもらうけど」
「そうさな。せいぜい言っておくとすれば――」
そこで改めてアーチャーは獰猛な笑みをバーサーカーに浮かべる。
「――翌日の邂逅は、それなりに覚悟しておけ。といったところか?」