ハリー・ポッターと玄武(ガメラ)の少女 作:フォレス・ノースウッド
その日の一日の天候が分かる魔法は本作オリジナルです、天候操作魔法の『メテオロジンクス・レカント』が元になってます。
原作ではハリーが最年少シーカーになれたのは実質マルフォイの嫌味ムーブでしたが。
・初めての箒
ホグワーツに入学して二週目の木曜の朝。朱音とハリーは陽の円形が昇り立てな朝から、ホグワーツ敷地内の芝生が程よく生えた校庭の片隅に立っていた。
「メテオロジカル・リード!」
朱音は杖を空に翳し、杖の先端で円を描いて呪文を唱えると、円の中に青空も幻が浮かぶ。今のはその日の一日の天気模様が分かる呪文、ただし魔法界では天候操作できる魔法も存在する為、その魔法の影響を受けた天気の急変までは予測できない。
一方ホグワーツでは生徒が無暗に魔法の乱用を避ける為、教師陣もその日の外の講義に影響を与える悪天候が自然に起きでもしない限り等の例外除き、天候操作魔法はできるだけ使わないのが暗黙の了解となっていた。
「そっちはどう?」
『BBCラジオニュース、まずは本日の天候をお知らせします』
「あ、良かった、マグルのラジオ局も聞けるよ」
ハリーは木製のミニラジオを手にしている。このラジオは朱音がダイアゴン横丁で教材と一緒に買ったもので、持っている魔法使いの微かな魔力を動力源に動く仕組み。しかもマグルのラジオ局も聞けると言う代物だった。
スピーカーからスコットランドの天気は日中晴れと、アナウンサーが二人に伝えてきて。二人はやったとハイタッチし合う。
「二人とも、まだ飛行訓練までもう半日分早いですよ?」
そこにマクゴナガル先生が芝生内に入ってきた。
「すみません、私もハリーも楽しみ過ぎて早起きしちゃって、でも勝手に飛びたくもないので、これから飛ぶ空の空気を味わおうと思いまして」
朱音もハリーも、今日の午後に行われる予定の『飛行訓練』が楽しみ過ぎて、前日からわくわくが止まらなかったので、事前に早起きできたら朝焼けと朝風を浴びようと約束していたのだ。
マクゴナガルは二人を交互に見つめた。
「……つまり、あなた方は授業の開始まで、ここで空を眺めているつもりなのですね?」
「はい!い、いえ!午前の授業も決して忘れておりません」
ハリーが勢いつけ過ぎた即答――と同時に訂正する。
「今日初めて箒に乗れるんです、昨日からずっと楽しみで」
「私もです、もっとも箒の操縦は初めてなので、うまく飛べるか分かりませんけれど」
「……そうですか」
彼らの喜ぶさまに、マクゴナガル先生はわずかに目元を和らげた。
「その熱意は結構、ただし朝露で芝生が濡れていますので転ばないように」
「はい先生」
「それからポッター、ちゃんと朝食も取って体力も蓄えた上で今日の授業へ参加すること。今から興奮しすぎて疲れてしまっては本末転倒ですよ」
「分かりました!」
「ミス・クサナギもです」
「はい」
そう答えた二人は、マクゴナガルが立ち去ると、もう一度空を見上げた。
薄青色の空には、朝日に照らされた雲がゆっくり流れている。
「ねえ、朱音」
「何だい?」
「箒で飛ぶのって、どんな感じなんだろう」
「うーん……」
実を言えば『空を飛ぶ』経験自体は豊富である……しかし魔法使いとして箒に乗ってとなると別、日本で暮らしていた頃は祖父のエヴァンダーからの教えで、マグルの社会ではマグルの交通手段を使う約束を守っていたが為に、魔法使いが出てくる映画やアニメを見たり、箒でごっこ遊びをしたりで飛びたい好奇心を紛らわしていた。
「それは、実際に飛んでみないと分からないね」
「朱音にも?」
「もちろん。空のことを知っていても、知らない飛び方はまだまだあるからさ」
ハリーは、その言葉を聞いて嬉しそうに笑った。
「じゃあ、二人とも初めてなんだ」
「そういうことだね♪」
二人はもう一度、朝の空を見上げ直し、そろそろ七時が目前だと報せる鐘の音で大広間へと向かった。
◇
大広間に入った朱音とハリーは、向かい合わせで『読書中』のロンとハーマイオニーを見かけ、二人はロンを挟む形の両隣にそれぞれ腰掛けた。
「サッカーの雑誌?」
「うん、ディーンの家族がフクロウ便で持ってきたのを借りた」
ハリーとロンのルームメイトでハーマイオニーと同じくマグル生まれ兼アフリカ系のディーン・トーマスが購読していると言うマグルのスポーツ雑誌をロンは読んでいたようだが……。
「なんにも動かない写真じゃ、サッカーがどんだけマグルで人気なのか分かんないなやっぱり……」
ロンに言わせれば『ボール一つしかない上に飛べないスポーツなんてどこが面白いの?』らしく、よくトーマスとスポーツ文化の違いで論争しがちである。
一応ロンなりに向こうのスポーツの空気を知ろうとその雑誌を借りて読んでいたが、魔法界と違って一切動かない写真では効果が今一つらしい。
「で、勤勉家ハーマイオニーは音読中と……」
向かいにいるハーマイオニーは、おそらく昨日の図書館で借りていた『クイディッチ今昔』の内容を要約したと思われる自分の文章が書かれた羊皮紙を、周りの生徒にも分かる様に読み直している。
図書館の司書のマダム・ピンスが本の扱いに煩い評判からか、食事時に借りた本本体を持ち込むのはよしたらしい。
「うさぎの目、ハープの音色――」
「シェーマスはあの水をどうしたいわけ?」
「ラム酒に変えたいって言ってた、昨日は薄い紅茶だったけど――」
直後、爆発音がシェーマスが降っていた杖を起点に迸り、朱音の目からは漫画やアニメに出てくる実験に失敗した博士みたいな――黒ずんだ顔とチリチリに逆立った髪の毛――の状態となった。
「ちょっと……もういいわ」
今のでハーマイオニーの講義が中断され、彼女は渋々朝食を取ることにする。
朱音も両手を握りながら念じて目を閉じると………程なく自身とハリーとロンの前に朝食が現れた。
三人とも主食はカボチャ・キャベツ・キノコ・鶏肉・そして卵とじが煮込まれたうどん。
違いとして朱音にはおにぎり二個と箸が添えられ、ハリーとロンは代わりにBLTサンドとフォークの組み合わせだった。
ハグリッドのアドバイスを元に、前日に食べたいメニューを大広間で念じると、希望通りの品が出ることが分かった朱音が、事前に二人の了解を得た上で取り寄せたメニュー。
「いただきま~す」
朱音は日本語で合いの手をし、器用に箸を使ってするするとうどんをすする。
ハリーとロンも、棒二つで滑り易そうなうどんの麺を挟んで掴める朱音の器用さに感心するしかない、毎日使ってたら慣れたと朱音は言っていたが………自分らがあれぐらいできるまで一体何度食事の回数を重ねることやらと、彼女の気遣いでフォークを用いて汁がたっぷりしみ込んだ麺を具材と一緒に口に入れると……。
「……うまっ!」
「本当だ、スープもすっごく美味しい!」
「お口に合ったようで何よりだよ♪」
口全体に程よい弾力のある噛み応えから、汁と具の旨味が口いっぱいに広がり、朝のまだ残る眠気が吹き飛ぶ勢いだった。
ロンなどいつの間にかすすり具合は朱音と同じくらいの勢いで口に流し込んでいる。特に食いしん坊な気質のある彼には、まさに新しい扉が開いたようだ。
「鶏肉の味がスープに染み込んで……めっちゃうまいっ~~」
「鶏肉や野菜の旨味に、お出汁の風味も重なっているからね」
「おだし?」
「日本料理でよく使う、旨味を引き出した煮汁のことさ」
スプーンで卵とじと一緒にスープの美味も直接味わうロンはBLTサンドを手に。
「……これ、パンを浸してもいい?」
「もちろん。ただ、まずはそのまま一口食べてみるといいよ」
ロンはBLTサンドを一口かじり、それから残ったパンの端をうどんの汁へ少し浸して食べると、彼の目が見開いた
「ロン?」
「……これ、意外と合うぞ」
「おや、それは新しい発見だねぇ」
「朱音! 明日もこれにしよう!」
「ふふっ。気に入ってくれたのは嬉しいけれど、他にも美味しいものは沢山あるよ?」
「じゃあ明日は別のうどんで!」
「結局うどんなの!?」
ハリーは口でこそロンの発言に突っ込む一方で、パンと同じ元は小麦粉から作られるらしい日本食を堪能し、これなら午後の『飛行訓練』まで体力がたっぷり付き添うだと実感しているのだった。
◇
「ご馳走さまでした」
「「ゴチソウサマ~」」
ほぼ同時に三人が野菜うどんを食べ終え、出汁(スープ)も飲み干したタイミングで今朝のフクロウ便の到来を告げるフクロウの鳴き声が大広間に響く。
次々と空飛ぶ配達者が大広間を飛び交い、受取人の生徒たちに郵便物を投下していくが、その内の一人のネビルが上手くキャッチできずにはじけ飛び(一発で受け取れない生徒は、なにもネビルに限った話ではないのだが)、弧を描く箱を、朱音の垂直に伸ばした片手が素早くつかみ取った。
「あ、ありがとう朱音……」
「どうも」
鮮やかな手際に驚くネビルへ朱音は荷物を手渡し、彼はお礼を述べつつ封を開けて中身を取り出すと、正体は白い煙が閉じ込められた透明の球体。
「もしかしてそれが『思い出し玉』かい?」
「思い出し玉ってロン?」
「握ると本人がなにか大事なことを忘れてるって玉が教えてくれるんだ……あ~丁度玉ん中の煙が赤くなったから」
——つまりネビルには玉が反応するほど重要ななにかを忘却しているのだが。
「グランパも言ってたけど、忘れてることがなんなのかまでは教えてくれないんだって」
「それじゃダメじゃん」
「言えてら~」
「う~ん……」
ロンに続いて朱音が玉の特性と言うか欠陥――忘却してる記憶自体は自分で思い出さなければならない仕様を聞いたハリーが、妥当なダメ出しを零し、ロンも便乗し、現にネビルは必死に脳髄を捻らせて何を忘れているのか思い出そうとしていた。
◇
ドラコはゴブレットのアップルジュースを飲みながら、こっそりハリーらグリフィンドール生とも気さくに今日もつるんでいる朱音の様子を窺っていたが、ネビル宛ての届け物の正体が『思い出し玉』だと聞いた時、ふいに戯れ心が走りかける。
――クラップとゴイルを連れて、それとなくロングボトムの近くを横切る。
——赤い煙が充満してる『思い出し玉』を引っ手繰り、周囲に見せびらかすように頭上に掲げる。
——もしポッターとウィーズリーが喧嘩腰を見せてきたら、三人ごと煽ってやる。
「………っ」
そこまで思いついたが………それを朱音の前で実行しようとする自分を傍から想像して、急にやる気が失せた。
我ながらなんてしょうもないことをやろうとしていたんだ……と自虐すらしたくなる。
そんな悪ふざけに頭を消費するなら、魔法の技術をいかに磨けるかに使った方が得とさえ思えてきた。
ドラコはアップルジュースをもう一口飲んだ。
(……馬鹿馬鹿しい)
ロングボトムの思い出し玉を奪って、ポッターたちを怒らせる。
その光景を思い浮かべるだけで、今は妙に気恥ずかしかった。
「……ドラコ?」
隣からパンジーが声をかけた。
「何だ?」
「さっきから、あちらを見て何を考えているの?」
「別に」
「もしかして朱音のこと?」
「違う!」
即答だった。
パンジーはじっとドラコを見つめる。
「じゃあさ、何を考えてたの?」
「ロングボトムの持っている玉を見て、ちょっとした悪戯を思いついただけだ」
「それで?」
「やめた」
「なんでよ?そこまで思いついたらあなたなら実行しそうだけど?」
「そんなことをしても、僕の魔法の腕が上達するわけじゃないだろう?」
それらしい言い訳を、ドラコは咄嗟に考えてから答えた。
「ドラコ……今熱出てない?マダム・ポンフリーに見てもらおうよ」
「失礼だな!」
「だって~~以前のあなたなら絶対にやっていたもの」
「僕だって、いつまでも同じことばかりしているわけじゃない、分別ぐらいつけようと努力はしてるさ」
そう言って、ドラコは大広間の向こう側へ視線を戻した。
朱音はネビルやハリーたちと、思い出し玉について楽しそうに話している。
(……そうさ)
自分が何かをするなら、せめてあの少女に感心されるようなことをしたい。
ドラコはそう思いかけて、慌てて考えを打ち消した。
(いや違うからな!あくまで僕自身のためだ!)
アップルジュースを飲み干し、ドラコがゴブレットを机上へ強めに置いて金属音を鳴らす――横から眺めていたパンジーは、くすくすと笑っていた。
しかもドラコの視界に、丁度大広間に来たと思われるマクゴナガル先生の、今日も厳格さが姿勢に出た歩き様が目に入った。
生徒同士のいざこざを目ざとく見つけることに定評があると、スリザリン寮の先輩たちからも聞いていたので、バカバカしい悪戯をしたところを見つかって減点されずに済んでよかったと、溜息を零すドラコ。
「よかったわね」
「何のことだ?」
「もしマクゴナガル先生に見つかっていたら、色々面倒だったもん」
「バカらしい理由であの方に減点されたらみっともない、そういうことさ」
勿論、今のもパンジーの目と耳にちゃっかり入っていた。
ドラコ本人は念じて、ゴブレットにもう一杯アップルジュースを入れてもらい、飲みだした。
◇
午後の空は、朝から続いていた好天を少しも損なっていなかった。
雲は遠く、澄み切った青がホグワーツの尖塔の向こうまで広がっている。スコットランドでは珍しいほど穏やかな快晴だった。
校庭を渡る風は涼しく、陽光を浴びた芝生が波のように揺れている。まるでこれから空へ上がる一年生たちを歓迎して、緑の絨毯そのものが踊っているようだった。
グリフィンドールとスリザリン、二つの寮の生徒たちは、期待と緊張を胸に校庭へ集まっていた。
芝生の上には、二十本の箒が二列に並べられている。どれも学校備品らしく、柄には細かな傷があり、穂先も新品ほど綺麗には揃っていない。それでも魔法の箒を初めて目の当たりにする生徒にとっては、空へ通じる二十枚の切符に等しい。
ハリーと朱音は、一足先に箒のそばまで来ていた。期待を隠しきれずにハリーは何度も箒と空を見比べている。朱音もまた、葡萄色を帯びた黒髪を風に遊ばせながら、穏やかな翡翠色の瞳で箒を眺めていた。
「皆さん。何をぼやぼやしているのです?」
鋭く張りのある声が、浮き立っていた生徒たちの背筋を伸ばした。
ロランダ・フーチ先生が、城の方角から大股で歩いてくる。
短く整えられた銀色の髪。黄色い瞳。獲物の僅かな動きも見逃さない猛禽のような眼光。その歩き方には、地上にいながら既に空を支配している者の自信があった。
「さあ、ミスター・ポッターとミス・クサナギに続いて、箒の左側に立ちなさい。急いで」
生徒たちは慌てて散らばり、それぞれ一本ずつ箒を選んだ。
朱音は足元の箒を見下ろした。古びてはいるものの、手入れはされている。長く大勢の生徒を乗せてきたせいか、柄には木の艶があった。
「右手を、箒の真上へ差し出して」
フーチ先生が実演する。
「そして、はっきり命じるのです――『上がれ』と!」
二十人の右手が、いっせいに箒の上へ伸びた。
「上がれ!」
ハリーが呼びかけた瞬間、箒は弾かれたように芝生を離れた。
柄が、吸い込まれるように掌へ収まる。
ほとんど力を入れる必要がなかった。昔からそうすることを知っていたように、手と箒がぴたりと馴染んだ。
ハリー自身が、誰より驚いた顔で箒を見つめる。
少し離れたところでは、ドラコ・マルフォイの箒も一度で右手へ跳ね上がっていた。
「ふん。こんなの、簡単じゃないか」
ドラコは得意げに鼻を鳴らした。
幼い頃から箒に親しんできた彼には、成功して当然の課題だったらしい。
「上がれ!」
ロン・ウィーズリーも負けじと叫ぶ。
箒は確かに上がった。
ただし、勢いよく跳ねた柄が彼の額を正確に打ち当て、ごんとと痛そうな音が校庭へ響いた。
「いってぇぇっ!」
「ロン大丈夫!?」
「大丈夫なわけあるか!」
ロンは額を押さえながら、地面へ落ちた箒を睨んだ。
「今のは絶対わざとだ。こいつ、僕のことを嫌ってる!」
「箒に嫌われるようなことしたの?」
ハーマイオニー・グレンジャーが呆れた声を出し、自分の箒へ向き直った。
「上がれ!」
箒の穂先が、芝生を叩いた。
「……上がれ!」
今度は柄の部分が小さく跳ねたものの、掌へ届く前に落ちてしまう。
「上がれ!」
「ハーマイオニー」
ロンが額を押さえたまま言った。
「箒にも予習させておかないと駄目なんじゃないか?」
「ロン!」
その剣幕に、ロンが慌てて口を閉じる。
ネビル・ロングボトムの箒に至っては、地面へ根を張ったように微動だにしなかった。
「う、上がれ……」
声が震えている。呼びかけというより、箒の機嫌を損ねないよう恐る恐る許可を求めているようだった。
「………」
そして朱音は――命令せず、足元の箒を静かに見つめていた。
風に揺れる黒髪の向こうで、翡翠色の瞳が柔らかく細められる。
物にも心がある、と断言するつもりはない。けれど、魔法の世界にある箒なら、人が向ける意思の違いくらいは感じ取るのかもしれない。
朱音は右手を差し出した。
(さあ、一緒に飛ぼう)
声にはしなかった。
ただ、これから空を共にする相棒へ、そう語りかけた次の瞬間、箒がふわりと浮いた。
まるで差し出された手を取るように、ゆっくりと朱音の掌へ昇ってきた。
「……おや?」
手の中へ収まった柄を、朱音は優しく握る。
「よろしく♪」
答えるように、箒の穂先が小さく揺れた。
「今、朱音は何も言わなかったよね?」
ハリーが確かめる。
「言ってない。絶対に言ってない!」
ロンは自分を殴った箒と、朱音に従順な箒を見比べた。
「無言で箒を呼んだの……?」
ハーマイオニーまで驚いている。
ドラコは一瞬だけ言葉を失ったものの、すぐに当然だという顔を作った。
「ふん、あやっ……クサナギならそれくらいできるさ」
「ドラコ、本人より自慢げじゃない?」
「うるさい」
パンジーからの冷静な指摘にドラコはそっぽを向いた。
「ミス・クサナギ。今、何か呪文を唱えましたか?」
「いいえ。一緒に飛ぼうと箒に念じてみただけです」
フーチ先生も興味深そうに朱音へ歩み寄った。
「……なるほど」
黄色い瞳が、朱音の手元を観察する。
「あなたは、箒との相性が随分と良いようですね」
朱音は柄をひと撫でした。
「仲良くできそうです♪」
ハリーは自分の箒へ目を落とした。
箒も馬と同じなのかもしれない。
怖がっているのか、威張っているのか、心から空へ行きたいのか。乗り手が何を感じているのか、言葉より先に察するのだろう。
◇
「では、箒へ跨がりなさい!両手で柄を握り、身体を真っ直ぐに。私が笛を吹いたら、地面を強く蹴って浮き上がります。高く上がる必要はありません。まずは数フィート浮上し、前へ身体を傾けて着地します」
生徒たちは、それぞれ箒へ跨がった。
朱音も柄を両手で握り、重心を確かめる。
足裏に触れる柔らかな芝生。
頬を撫でていく風。
見上げれば、吸い込まれそうなほど澄んだ空がある。
その青を目にした瞬間、朱音の意識の底から、ひどく遠い感覚が蘇った。
雲海を突き抜ける轟音。眼下へ流れていく山脈と大地。膨大な質量を持つ巨体で大気を押し分け、空そのものを海のように泳いでいた記憶。
それは十一歳の少女の身体には大きすぎる、遥かな前世の残響だった。
だが、今の自分が跨がっているのは、巨大な甲羅でも、炎を噴く強靱な身体でもなく、学校の備品の一本の古い箒である。
(……うん)
朱音の口元に、小さな笑みが浮かんだ。
(これはこれで、楽しそうだね)
「ぼ、僕……やっぱり怖いよ……」
隣から、消え入りそうな声がした。
ネビルが、両手を真っ白にして箒の柄を握っている。顔色は青く、身体は風とは関係なく震えていた。
「もし落ちたら、どうしよう……」
「最初から上手に飛べなくてもいいんだよ」
朱音は努めてゆっくりと話した。
「今日は空高くまで行く授業じゃない。少し浮いて、また下りる。まずはそれだけさ」
「……う、うん」
「それに、フーチ先生が見てくださっている。何かあれば、きっと助けてくれるよ」
ネビルの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。
しかし、恐怖そのものが消えたわけではなかった。
「いいですか?」
フーチ先生が笛を唇へ運ぶ。
「笛が鳴ったら地面を蹴るのです。私の合図より先に飛んではいけません」
短い静寂から、笛からのかき鳴らす音色が――。
「うわああああっ!」
悲鳴に塗りつぶされたと同時に、ネビルの箒が弾丸のように飛び出した。
「ミスター・ロングボトム!まだ高く上がってはいけません! 柄を手前へ引いて!」
恐怖で強張ったネビルの身体に、フーチ先生の指示に耳を傾ける余裕はない。
箒は一直線に上昇、あっという間に地上の生徒たちを見下ろす高さへ達し、そこで大きく旋回した。
「た、助けてぇぇっ!」
ネビルは柄へしがみつくことしかできない。箒が傾くたびに、身体が左右へ振られた。ローブの裾がはためき、その懐から透明な球体が勢いよく飛び出した。
思い出し玉だ。だが地上にいる魔法使いたちはそれへ気を向ける余裕は誰にもなかった。
箒が突然、機首を地面へ向けたからだ。
急降下して空気を裂く音とともに、少年と箒が芝生へ突っ込んでくる。
「ネビル!」
「危ない!」
ハリーとロンの叫びが重なった。朱音の表情に凛々しさが帯び、翡翠色の瞳が、箒の速度、落下角度、ネビルの姿勢、地面までの距離を一瞬で捉える。
助けに走るだけでは間に合わない、まず勢いを殺す。
朱音の右手が、ローブの内側から杖を抜いた。
「「アレスト・モメンタム!」」
奇遇にもフーチ先生の口と同じ呪文を朱音は唱え、両者の杖先から放たれた魔力が、見えない波となって暴走する箒を包み込む。
周囲の空気が、水へ変わったかのようだった。
猛速度で突き進んでいた箒が急激に減速する。完全には止まらない。だが、地面へ激突する速度ではなくなった。
杖を握ったまま芝生を蹴って駆ける朱音の制服の裾が風に翻る。
低空を滑る箒と並走し、タイミングを合わせて左腕を伸ばす。
朱音の左手の指が、ネビルのローブの襟を掴んだ。
「よっと!」
「うわっ!?」
朱音はネビルを箒から引き離し、その身体を胸元へ抱え込む。
靴底が芝生へ接し、数歩かけて勢いを後方へ流しながら踏ん張り、最後に膝を曲げて衝撃を逃がし、二人は倒れることなく止まった。
一方乗り手を失った箒は、なおも地面すれすれを頼りなく飛び続け、朱音たちがかけた魔法の効力も消えかかっていた。
ハリーは朱音が箒を呼んだ先の光景を思い出し、右手を差し出して強く念じる。
(こっちへ来い!)
暴走していた箒が、くるりと向きを変えた。
速度を落としながら芝生の上を滑り、ハリーの伸ばした手へ収まる。
「やった……」
そのとき、視界の端で光が瞬いた。
空から落ちてくる、小さなガラスの球――ネビルの《思い出し玉》だ。
ハリーは考えるより先に箒へ跨がっていた。
「ミスター・ポッター、何を――!」
フーチ先生の制止が届くより早く、ハリーは地面を蹴った。
箒が、待ち望んでいたように空へ駆け上がる。
恐怖はなかった。身体をどちらへ傾ければ箒がどのように応えるのか、どの程度柄を引けば上昇し、押せば降下するのか、誰にも習っていないはずなのに、ハリーの全身は最初から箒との付き合い方を知っているようだ。
風が彼のくせのある黒髪を乱し、箒の上昇で校庭が遠ざかる。
けれどハリーの目は、落下する思い出し玉だけを捉えていた。
城の窓が迫る。球体が石壁と接触する寸前、ハリーは箒を急加速させた。
片手を伸ばし、思い出し玉をしっかりと掴み取る。
その瞬間、城内の窓辺に立っていたミネルバ・マクゴナガル教授と、ハリーの目が合った。
「……あ」
厳格な眼鏡の奥で、教授の目が大きく見開かれている。
叱られる。
そう思った途端、それまで自然に感じていた空が急に高く思えた。
ハリーは慌てて箒を旋回させ、地上へ戻っていった。
◇
ハリーが着地すると、校庭は奇妙なほど静まり返っていた。
ロンも、ハーマイオニーも、ドラコも、口を開けたまま彼を見ている。
フーチ先生でさえ、すぐには言葉が出てこなかった。
朱音は、抱えていたネビルの顔を覗き込んだ。
「ネビル。私の声が聞こえるかい?」
真っ青な顔が、小さく上下する。
「……う、うん」
「気分は? 痛いところはない?」
「た、多分……大丈夫」
強く掴みすぎていなかったか確かめながら、朱音はそっとネビルを芝生へ下ろした。
「立てそう?」
「うん……」
「よかった」
ようやく、朱音の表情へ安堵が戻った。
「ネビル!」
ハリーが駆け寄り、手の中にある球体を差し出す。
「これ落としてたよ」
「あ、思い出し玉……」
ネビルは両手でそれを受け取った。
今朝は赤い煙で満たされていたガラス球が、今はすっかり透明に戻っている。
「……思い出した、かも」
「何を?」
「忘れてたのがなにか……多分、箒で尻餅をつかずに着地する方法だったみたい……」
朱音は一瞬きょとんとし、それから困ったように笑う。
「あらら~それが本当ならもう少し早く思い出してほしかったねえ」
ネビルの顔にも、弱々しいながら笑みが戻った。
「ミス・クサナギ、ミスター・ポッター」
フーチ先生が駆け寄ってくる。
まずネビルの手足や頭部を確認し、大きな怪我がないと分かると、深く息を吐いた。
「ミスター・ロングボトムを助けてくれたことには、礼を言います。二人とも、よく動きました」
「間に合ってよかったです」
「ですが――ミス・クサナギ、先ほどの呪文はどこで習ったのです?」
フーチ先生の黄色い目が鋭さを取り戻し、彼女が用いたのと同じかつ一年生の時点では習わない筈の魔法使用に関する件に言及してきた。
朱音が答えようとするより早く、少し離れた場所から手が勢いよく上がった。
「私です!」
「……ミス・グレンジャー?」
「私が朱音と図書館で読書に夢中になっていたら、二人とも覚えてしまったんです!」
「読書に夢中になった結果、一年生の授業範囲外の呪文を?」
「はい!」
ハーマイオニーは胸を張った。言葉だけ聞けば、教科書含めた魔法の関連書物を読みすぎたことを自白しているようにも聞こえる。
「動いている物の勢いを止める呪文を調べていたんです。もちろん、まさか今日使うことになるとは思いませんでしたけれど……」
「気がつけば、授業で習う前の魔法まで覚えてしまいまして」
朱音も悪びれずに続けた。
フーチ先生は二人の顔を交互に見た。
「つまり――授業外で、自主的に学習していたと?」
「はい」
「そういうことです」
こめかみに指を添える先生は、叱るべきなのか褒めるべきなのか、決めかねているらしい。
「本来なら、未習得の呪文を緊急時に試すことは推奨できません。失敗すれば、かえって危険を大きくします」
「はい。先生」
朱音は素直に頷いた……一応禁じられた森の手前の庭で、上空に投げた石で何度か試してはいたが、それを言ったとしてもフーチ先生の苦言は変わらなかっただろう。
「ですが今回は、その学習がミスター・ロングボトムを救いました。魔法は、覚えたことではなく、正しく使えて初めて意味を持つ――そのことを忘れないように」
「肝に銘じます」
「それとあなた方二人は、もう少し教科書の進度に合わせて読書することも覚えなさい」
「努力します!」
ハーマイオニーの返事が良すぎて、フーチ先生の口元が僅かに苦笑した。
「無理だろうな。あの二人、図書館で本を読ませたら止まらないもの」
こっそり呟いたロンがハリーを見る。
「それよりハリー。あんなに飛べるなんて聞いてないぞ。いつ練習したんだよ?」
「今のが初めてだよ」
「え?」
「だから箒に乗ったのは今日が初めてなんだって」
「えぇぇぇっ~~!?」
ロンの叫びが校庭を突き抜け、ドラコまで、信じられないものを見る顔でハリーを凝視する。
「初めてで、あの急旋回を……?」
朱音は目を細め、ハリーと、その手にある箒を見比べた。
「知らなかっただけで、ハリーはずっと空に愛されていたみたいだね」
「空に?」
「箒が君の行きたい場所を、君自身より先に分かっていたみたいだったよ」
面映ゆくなったハリーは、誤魔化すように箒の柄へ視線を落とした。
「……僕も、飛んでいる間は何をすればいいか分かる気がした」
「なら、相思相愛だ♪」
朱音の言葉に、周囲から小さな笑いが起きた。
◇
ネビルが完全に落ち着いたところで、フーチ先生は生徒たちを再び整列させた。
「皆さん、先ほどの出来事をよく覚えておきなさい」
快晴の空の下、張り詰めた声が響く。
「空を飛ぶことは楽しい。それは否定しません。ですが、箒の扱いを一つ誤れば、重大な怪我へ繋がります。恐怖で身体を強張らせることも、興奮のまま飛び出すことも危険です」
ハリーはばつの悪そうな顔をした。
「ミスター・ポッター。あなたの飛行技術と判断力は見事でした。しかし、まず教師の指示を待つべきでした」
実際フーチ先生も杖を出して対処しようとしていたので、早まっていたのは否めない……結果的に二人が事を収めたのは、教師である彼女の長年の勘が一年生とは思えぬ御業だと判断したのもあった。
「はい、すみません」
「ミス・クサナギもです。緊急性があったことは認めますが、授業中は私たちの指示を優先するように」
「はい、失礼しました」
二人が素直に頭を下げると、フーチ先生は厳しい表情を僅かに緩めた。
「よろしい。では訓練を再開します。今度こそ、私の笛に合わせること」
再び生徒たちが箒へ跨がる。
今度は誰も焦らなかった。笛の音とともに芝生を蹴り、僅かな高さへ浮かび上がる。
ハリーの箒は、まるで身体の延長だった。
柄へ伝えたごく小さな動きにも即座に応え、曲がりたいと思えば曲がり、止まりたいと思えば空中でぴたりと静止する。
ドラコも負けてはいない。長年の経験に裏打ちされた安定感があり、上昇も旋回も淀みがなかった。何度かハリーを意識して速度を上げかけたものの、そのたびフーチ先生の眼光を感じ、渋々規定の範囲へ戻っている。
そして朱音の飛行は、二人とは少し違っていた。
箒は静かに地面を離れた。
ふわり、と身体が浮く。
朱音は柄を強く握り締めず、両脚と腰で姿勢を保ちながら、僅かに体重を前へ預けた。
箒が滑り出す。飛ばし過ぎない速度で、一切揺るがない。
風の向きが変われば逆らわず、箒と一緒に軌道を調整する。旋回するときにも無理に柄を引かず、流れへ身を預けながら円を描いていく。
(……なるほど)
朱音は頬を撫でる風を楽しみながら、箒から伝わる細かな振動を感じ取った。
(自分の身体で飛ぶのとは、やっぱり違う)
かつて空を泳いだ記憶では、進みたいと思えば巨体が応え、風と重力の均衡そのものを力で変えられた。
だが今は、箒という別の存在へ意思を預けている。
命じるのでも、従わせるのでもない。
どちらか一方の意志だけでは、綺麗には飛べない。
(この子と呼吸を合わせる感じかな)
朱音が僅かに重心を傾けると、箒は心得たように旋回した。
「……非常に良い姿勢です、ミス・クサナギ」
フーチ先生が評価する。
「力みがありません。箒の動きをよく感じ取れていますね」
「ありがとうございます」
朱音は高度を保ったまま答えた。
次にフーチ先生の視線がハリーへ向く。
彼は少し離れた場所で急旋回し、傾いた身体を鮮やかに立て直していた。
「ミスター・ポッター」
「はい!」
「本当に今日まで箒へ乗った経験はないのですね?」
「ありません」
「……そうですか」
黄色い瞳が、じっとハリーを見つめる。
やがてフーチ先生は、はっきりと頷いた。
「素晴らしい才能です。大切になさい」
ハリーの胸に、今まで知らなかった喜びが込み上げた。
魔法界へ来る前、彼が人より優れていると褒められたことなど、ほとんどなかった。
けれど空の上では、誰にも邪魔されない。
ここには狭い物置も、ダドリーの拳も、叔父の怒鳴り声も、叔母のヒステリックな罵倒もない。
風と、箒と、自分だけがいる。
空は、初めて訪れた少年を拒まなかった。
◇
飛行訓練が終わり、生徒たちが箒を所定の場所へ戻していたときだった。
城の方角から、深緑色のローブを纏った人影が近づいてくる。
「ミスター・ポッター」
マクゴナガル先生だった。
「……はい?」
ハリーの表情が強張る。
さっき窓の前で思い出し玉を掴んだ瞬間、確かに目が合っていた。
褒められたばかりの高揚が、一瞬で萎んでいく。
「私と一緒に来てください」
「はい……」
ロンが心配そうに囁いた。
「ハリー、何かしたっけ?」
「無断で飛び出したのを見られたのよ」
ハーマイオニーは真剣な顔で言った。
「やっぱり叱られるのかも……」
「心配しなくても大丈夫だと思うよ」
朱音だけが穏やかに笑っていた。
「大丈夫だと思える根拠はどこから来てるの?」
「叱って減点するだけなら、ここで済ませられるだろう?」
「あ……」
マクゴナガル先生の後について城内へ戻っていくハリーの背中を見送る朱音たち。
「それに、叱るにしてはマクゴナガル先生、なんだか嬉しそうだし」
いつもの厳格な態度を崩さぬ副校長の、いつもと違う様子を、朱音はちゃっかり嗅ぎ取っていた。
◇
連れて行かれたのは、授業が終わったばかりらしいフリットウィック先生の呪文学の教室だった。
「ミスター・ウッド、お時間はありますか?」
「はい!」
教室の奥で教材を纏めていた背の高いグリフィンドールの上級生を、マクゴナガル先生が呼びかけた。がっしりした体格の少年だった。呼び出された理由が分からず、怪訝そうにハリーを眺めている。
「先生、何でしょう?」
「オリバー、こちらはハリー・ポッターです、ポッター、彼はオリバー・ウッド、グリフィンドールのクイディッチチームのキャプテンです」
「どうも……」
ウッドの視線が、ハリーの額へ向かう。
「新しい選手を見つけました」
「この子が?」
マクゴナガル先生は、声を潜めた。
「私は先ほど彼の飛行を拝見したのですが、落下する小さな球体を、五十フィート近い高さで追い、城壁へ衝突する寸前に掴み取ったのです」
「箒は?」
「学校の古い練習用です」
ウッドの目つきが変わった。
教室から廊下へ出ると、彼は勢いよくハリーへ向き直る。
「君、本当に一年生か?」
「はい」
「今までどこのチームで飛んでた?」
「どこと言われても、今日が初めてで……」
「初めて!?」
ウッドは信じられない様子でマクゴナガル先生を振り返った。
「先生、それなら――」
「分かっています」
マクゴナガル先生の眼鏡が、廊下の光を反射した。
「一年生を寮の代表選手にするには、特例を認めてもらう必要があります。ですが――」
もう一度ハリーを見るその口元は、珍しく明確な笑みが浮かんでいた。
「――それを踏まえても彼は、ホグワーツ史上最優のシーカーになるかもしれません」
「……え?」
意味を理解できず、ハリーは瞬きをした。
対するウッドの瞳は、飛行日和な今日の蒼天以上に輝き出し、両手でハリーの肩を掴んだ。
「ポッター! クィディッチは好きか?」
「ええと……試合を見たこともなくて……そもそもルールもよく――」
「構わない。ルールならこれから教える!」
ウッドの明らかに興奮した力強い声が廊下へ響く。
「シーカーが駄目なら試合には勝てない。だが君が本当に先生の言う通りなら、今年こそ優勝杯を取り戻せるぞ!」
「ちょ、ちょっと待って――」
「まずは箒だ。学校の備品じゃ駄目だ。練習日程も組み直さないと。それから体力作りと、急降下からの復帰、それにブラッジャーへの対処も――」
初めて聞く単語が次々に飛び出してくる。
完全にオリバーの熱気に圧倒されながら、助けを求めるようにマクゴナガル先生を見るハリー。教授はどこか満足そうに、師弟になるかもしれない二人をにっこりと見守っていて、ハリーも釣られて笑顔になり、存分に空を飛べると思うと俄然嬉しさが勝っていった。
◇
その夜、湖底にあるスリザリン談話室では、暖炉の炎と、水を通して届く青緑色の光が混ざり合う中にて。
「……ポッターが、グリフィンドールのシーカーだと?」
ドラコ・マルフォイはソファから身を乗り出し、信じられないという顔をした。
「そうらしいわよ、マクゴナガル先生に呼ばれて、そのままあっちのキャプテンに紹介したんですって」
パンジーが答える。
「一年生で特例の抜擢か……」
ブレーズ・ザビニは読んでいた本から目を上げる。
「ここ百年で最年少らしいね、記録更新だ」
「ふん!」
朱音の口から最年少記録更新したことを聞いたドラコは腕を組み、鼻を鳴らした。
「グリフィンドールも、よほど人材不足なんだろう! 学校備品の箒で少し飛べた程度の一年生を、いきなり代表選手にするなんてな!」
「おや、ドラコくん?」
向かいのソファで本を読んでいた朱音が、顔を上げた。
「実際ハリーは、とても上手に飛んでいたよ、落ちていく思い出し玉へ追いつくときの加速も、その後の制動も見事だった。先生が声をかけたくなるのも分かるな」
「それくらい、僕にだってできる!」
「うん。君も上手だったね」
「……え?」
朱音は本に栞を挟んで閉じる。
「飛び出す瞬間から姿勢が安定していたし、旋回するときにも高度がほとんど変わらなかった。幼い頃から乗っていたんだろう?」
「ま、まあね。当然だ」
さっきまで不機嫌だった顔に、隠しきれない得意げな色が浮かぶ。
「ポッターと違って、僕はまともな箒の扱い方を知っている。父上に買ってもらった箒で、ずっと練習してきたからな」
「それなら――」
朱音は翡翠色の瞳を細め、柔らかく微笑んだ。
「今度、私にも箒の乗り方を教えてもらえるかい?」
「なっ………」
「ああっ~~」
ドラコの身体が固まった。パンジーが小さく声を漏らし、ブレーズも何かを察した顔で、広げた本越しに模様を眺める。
「私はまだ、箒の動きを確かめながら飛ぶので精一杯だったからね。経験のある君に教えてもらえれば、もっと上手くなれそうだ」
「き、君がそこまで言うなら――」
ドラコは咳払いをし、精いっぱい余裕のある顔を作った。
「教えてやらなくもない……僕の指導についてこられるかは、君次第だけどな」
「ありがとう。頼りにしているよ♪」
ドラコの耳が、青みがかったスリザリン寮内でも隠し切れないほどにみるみる赤くなっていく最中、パンジーが隣のブレーズへ身を寄せた。
「……ブレーズ」
「何?」
「また始まったわね」
「そろそろ日課と呼んでもいい頃だな」
「聞こえているぞお前たち!」
談話室中に温かい笑い声が広がった。朱音も楽しそうに笑いながら、窓の向こうに揺らめく湖水を見つめ、昼間の風を思い出して静かに目を細めた。
(自分の身体で空を泳ぐのもいいけれど――)
掌へ優しく収まった、古い箒の感触がまだ手の中に残っている。
(誰かと呼吸を合わせて飛ぶのも、悪くないね)
次にあの箒と空へ上がる日が、もう楽しみになっていた朱音であった。
つづく。