ハリー・ポッターと玄武(ガメラ)の少女 作:フォレス・ノースウッド
実は原作のトロール回って何気にスネイプ先生が『あ、このリリーのガキ見た目だけじゃなくて無謀な性格も父親そっくりだな( 一一)』とフィルターが強まっちゃう回ですよね、映画のアラン・リックマン氏演じる先生もそんな顔してましたし。
さてこの時空ではどうなるか、どうぞ。
・ハロウィーンの夜
十月三十一日。深い秋に包まれたホグワーツ魔法魔術学校へ、ハロウィーンの夜が訪れていた。
大広間は普段にも増して華やかな装いを見せている。
魔法で夜空を映し出す高い天井には、分厚い雲が幾重にも垂れ込めていた。時折、銀白色の稲光が雲の奥を走り、少し遅れて聞こえる雷鳴が、広大な室内を低く震わせる。
もっとも、恐怖を煽るほど激しいものではない。
暗い空を飛び交う無数の蝙蝠も、頭上に浮かぶ巨大なカボチャのランタンも、今夜だけの祭りを盛り上げるための演出だった。
くり抜かれたカボチャの目と口から零れる橙色の光が、四つの寮の長卓を柔らかく照らしている。
卓上には、腕を伸ばす場所を探す方が難しいほどの料理と菓子が並んでいた。
艶やかに焼き上がった肉料理。香草の匂いを漂わせるソーセージ。湯気を立てる山盛りのジャガイモ。大皿へ積み上げられたパイやプディング。魔女や黒猫の形に焼かれたクッキーに、噛みつこうとすると逆に指へ甘噛みしてくる砂糖菓子。
これだけ振る舞われてしまえば、子供たちも「お菓子をくれなければ悪戯するぞ」と迫る理由がない。
広間の至るところから笑い声が上がり、食器の触れ合う音と賑やかな話し声が絶えることなく重なっていた。
そんな祝宴の最中――。
「うっ…………」
ただ一人、ロンことロナルド・ウィーズリーは、目の前に並んだ御馳走へ手を伸ばすどころか、ナイフもフォークも持っていなかった。
両腕を枕にして机へ突っ伏し、時折、魘される様なうめき声を弱弱しく上げている。
「……ロン」
隣に座るハリーが、心配そうに声をかけた。
「せっかくのハロウィーンだよ。少しくらい食べたら?」
「……食欲がない」
「君が?」
「……僕だって、食欲をなくすことくらいあるさ」
返答に困るハリー、何しろロンは今年入学した一年生の中でも相当な健啖家である。
普段なら大広間の長卓へ料理が現れた途端、青い瞳を輝かせて両手へ食器を構える。特に肉料理とジャガイモが同時に並んだ日など、話しかけることさえ躊躇われるほどの集中力を発揮する少年だ。
そのロンが、皮を香ばしく焼かれた鶏肉にも、黄金色のソースがかかったジャガイモに、自己主張激しい色合いなお菓子たちにさえ見向きもしない重症具合。
「さっきのことまだ気にしているの?」
ロンの肩が、びくりと震えた。
「……ハリー、僕、今日ほど家族の無事を祈ったことはないよ」
ハリーは何ともいえない顔と遠い目で、友人から目を逸らす。
ロンがこの有様になった原因には、心当たりがあった。というより、ほんの数時間前、その現場へ居合わせている。
そう、ロンがこの有様になったのはあの呪文学の授業が終わった後の、ハーマイオニーの日々のお節介に溜まった鬱憤を吐き出してしまったのが発端。
◇
人通りの途絶えた石造りの廊下へ、妙に間延びした声が響いた。
「ロナルド・ウィーズリーく~ん?」
「……は、はい」
ロンは壁際へ追い詰められた状態で、ぴんと背筋を伸ばしていた。
その隣にはハリー。二人の正面には、葡萄色を帯びた長い黒髪を揺らしながら、にっこりと微笑む草凪朱音が立っている。
笑顔そのものは、いつもどおり穏やかだった。
しかし、鮮やかな翡翠色の瞳は、どういうわけか少しも笑っていない。
「君の肉親を~~私はどんどん、お見舞いしていくぞぉ」
「…………え?」
「君に近い者から順番になぁ……待ってろ、待ってろ、ウィーズリー一家……」
朱音は両手を胸元で浅く組み、悠然と立っていた。
実際の身長なら、十一歳としては背の高いロンと大差ない。だが今のロンには、自分が遥か頭上から見下ろされているように感じられた。
「ま、ままま待ってよ! 僕の家族は関係ないだろ!」
「まずは、フレッド君とジョージ君かなぁ?」
「双子(あいつら)から!?」
「それからパーシーさんに……ジニーちゃん……」
「ジニーはまだ十歳だぞ!?」
「最後は、アーサーおじさんとモリーおばさんだねぇ」
「パパとママまでぇぇぇ~~!?」
ロンは反射的にハリーの肩へ縋りついて助けを乞う。
「ハリー! 何とか言ってくれ!」
「僕にどうしろっていうんだよ!」
「友達だろ!?」
「友達だからって、メデューサを相手に交渉できるわけないだろ!」
「誰がメデューサかなぁ?」
「「すみませんでした!」」
二人は声を揃えた、腰から上を勢いよく折り、床と背中がほぼ平行になるほど深々と頭を下げた。見事な直角九〇度のお辞儀である。
「ちなみに、お見舞いへ伺う時には、日本のお菓子とニシンのパイを届けにいこうと思っているんだ」
「へ?」
「それで、今日ロン君がハーマイオニーへ言ったことを、ご家族の皆さんへ洗いざらい報告しようかと」
既に青ざめていたロンの顔から、さらに生気が失われた。
「ママに……?僕が女の子を泣かせたって……?」
「当然♪」
「僕が?」
「ほかに誰がいる?」
恐怖に駆られたロンの脳裏へ、見たくもない未来が次々と浮かぶ。
まず現れたのは、怒りで真っ赤になって今にも絶叫を迸らせそうな母モリーの顔。
次いで、腹を抱えてゲラゲラと笑い転げるフレッドとジョージ。
父アーサーと監督生のパーシーからは、逃げ場のない長時間の説教が待っている。
そして妹のジニーからは――養豚場で泥へ転がった豚でも見るような、心底呆れ果て、見下げ果てた冷たい眼差し。
「…………終わった」
「ロン?」
「僕の人生、終わった……」
ハリーは友人の肩へ同情的に手を置いた。
「……まだ何も起きていないよ」
「起きるんだよ! ママたちに知られたら絶対に起きるんだ!」
訪れてもいない破滅の未来を予見し、ロンは頭を抱えた。
「さて……冗談はここまでにして」
「「冗談だったの!?」」
ハリーとロンの声が再び揃った。
どこまでが演技で、どこからが本気だったのか。二人には皆目見当もつかない。
ただし一芝居にしてはかなりの真に迫った名演だったのは確かで、一転して見せてくれるいつもの微笑みが逆に恐怖を煽ってくる。
「ロン、ここからは、きちんと聞いてほしい」
だが朱音の微笑が静かに消えた。先ほどまでの芝居がかった威圧ではない。
翡翠色の瞳には、ロンを責め立てるためではなく、彼の胸中を見落とすまいとする真剣さが宿っており、ロンの喉が息を呑んだ。
「君がハーマイオニーを苦手に思うことは分かるよ。あの言い方が気に入らなかったこともね」
「…………」
「でも、本人が聞いて傷ついたと分かってからも、君は悪口を続けたでしょう?」
「……だって」
「言い分があるなら、いくらでも聞くよ」
発言をするなと封じられたわけではないし、怒鳴られたわけでもない。
むしろ話したいことがあるなら、言い訳だろうと聞くと、正面から場所を空けてくれた。
ロンは口を開きかける。
ハーマイオニーはいつも偉そうだ。何でも知っているような顔をする。頼んでもいないのに口を出し、間違いを見つければ、待っていましたとばかりに指摘する――そう訴えるつもりだった。
しかしいざいくらでも物申していいと言われると、喉元まで出かかっていた言葉が、急に薄っぺらいものへ思えてしまった。
対する朱音は返答を急かさなかった。静かな廊下に、窓から吹き込む風の音だけが流れる。
「それに、君は今日、ちゃんと《浮遊呪文》を成功させたよね」
「うん」
「ハーマイオニーの方が上手だったとしても、君が自分の力で成功した事実は変わらない」
ロンが顔を上げる。
「……でも、あいつは何でもできるみたいに振る舞うじゃないか」
「そう見えることがあるのは、私も認めるよ」
朱音は、ロンの感じ方を否定しなかった。
「教えるのに夢中になるあまり、相手の気持ちや都合が見えなくなるところもある。それはハーマイオニー自身がこれから覚えていくべき課題だろうね」
「だったら――」
「でも、彼女にも苦手なことはあるし、君にしかできないこともある、今日の物真似だって、ちゃんと役に立ったでしょう?」」
朱音は穏やかな声で、先を続けた。
「誰かの得意なことを認めたからといって、自分の価値が下がるわけじゃない」
ロンは何も返せなかった。
朱音は彼を追い詰める代わりに、少しだけ表情を和らげた。
「私が言いたかったのは、それだけ」
「…………」
「この先、ハーマイオニーへどう接するかは、君が自分で決めたまえ」
そこで朱音は、ほんの少しだけ悪戯っぽく目を細めた。
「まあ彼女の友達としての私は、さっきぐらい深々とお辞儀はしてほしいけど……無理に引き合わせはしないからさ」
ハリーとロンは、先ほどの直角のお辞儀を思い出した。
◇
「…………はぁ」
そしてハロウィーンの祝宴が続く真っ只中な現在、ロンは長卓へ突っ伏したまま深い溜め息を漏らした。
「……結局、朱音は母さんへ言いつけるつもりなのかな」
「さあ……本人が言ったとおり、冗談だと思うよ」
曖昧な返答しかできないハリー。朱音が冗談や芝居を好むことは初めて会った日から何度も目にしている。真顔で大仰な台詞を口にしたかと思えば、相手の反応を見て楽しそうに笑うことも少なくない。
しかし、ハーマイオニーを涙させたロンへ向けられていた義憤まで、全て演技だったとは思えなかった。
「でも、君がちゃんと謝れば、そんなことはしないんじゃない?」
「……謝る、か」
ロンがゆっくり顔を上げる。
いつもなら自分たちの近くへ座っていることの多い、縮れた茶色い髪の少女。
だが今夜、グリフィンドールの長卓にハーマイオニーの姿はなかった。
「……ハーマイオニー、どこにいるんだろう」
ハリーも首を伸ばし、周囲を見回した。
その声を聞いたネビルが、遠慮がちに振り向く。
「パーバティが言ってたけど……女子トイレへ入ったまま、ずっと出てこないらしいよ。そこで泣いてるみたいだって」
事情を聞かされたロンの表情から、最後に残っていた不機嫌さが消えた。
代わりに浮かんだのは、後悔と気まずさだった。
その時――大広間の扉が、蹴破られたかと思うほどの勢いで開いた。
生徒たちの会話が途切れ、扉の向こうから蒼白な顔のクィレル教授が駆け込んできた。
ターバンは斜めにずれ、紫色のローブの裾が足へ絡みそうになっている。それでも止まることなく教職員席の前まで走り、切れ切れの息で叫ぶ。
「ト、トロールが!!地下室に~!!」
怯えきった声が、華やかな広間を切り裂いた。
「トロールが――我が校の敷地内へ、侵入しましたぁぁぁ!」
賑やかだった大広間が、凍りついたように静まり返る。
食器へ伸ばされた手が止まり、無数の視線がクィレルへ集まった。
「……お、お知らせしようと思いまして……」
それだけ言い残すと、クィレルは白目を剥き、その場へばったり倒れ込んだ。
一拍――次の瞬間、生徒たちの言葉にならない悲鳴が爆発した。
「「「Ahaaaaaa~~~!!!!」」」
椅子を蹴る音が連続して鳴り響く。
一斉に大混乱に陥った生徒たちが立ち上がり、誰もが出口へ殺到しようとし、混沌に折り重なった悲鳴が広間を呑み込む寸前――。
「しぃぃずぅぅまれぇぇぇぇ―――っ!」
雷鳴さえ押し退けるようなダンブルドア校長の大喝が、大広間を貫いた。
普段の鷹揚さと親しみやすさからは想像もつかない鶴の一声に、生徒たちの足が止まる。
教職員席の中央に立つダンブルドア校長が長い銀髪と髭を揺らし、半月形の眼鏡越しに全校生徒を見渡している。
「皆の衆、静かに、狼狽えてはならん」
老人の声は、先ほどの大喝から一転して落ち着いていた。
それでも、広間の隅々へ届くだけの力がある。
「各寮の監督生は、生徒たちを直ちに寮へ引率しなさい。走らず、押し合わず、列を乱さぬように」
教職員席では、既に教師たちが立ち上がっていた。
マクゴナガルは鋭い目で出口を見据え、スネイプの黒いローブは、今にも夜の影へ溶け込もうとしている。
「招かれざる客への対処は、わしと先生方が行う。事が収まるまで、絶対に寮から出てはならんぞ」
校長の的確な指示を受け、四寮の監督生たちが水を得た魚の勢いで即座に動き始めた。
「グリフィンドール生は、こちらへ!」
グリフィンドールの監督生であるパーシーが声を張る。
「一年生を先に! 押すな、走るな! 二列で移動するんだ!」
恐怖は消えていないが、それでも指示通りに動く生徒たちはどうにか秩序を取り戻した。
ハリーとロンも列へ加わり、大広間を出る。
石造りの廊下には無数の足音が重なり、肖像画の住人たちまでも、不安そうに生徒たちを見送っていた。
「……ロン」
階段へ向かう途中で、ハリーが突然足を止めた。
「何だよ?」
「ハーマイオニーと朱音だ」
「……え?」
ロンの顔から、さっと血の気が引いた。
「そうだ。ハーマイオニーは――」
「女子トイレで泣いてるってネビルが言ってた……」
ハリーは人の流れの向こうへ目を凝らした。
「朱音も大広間にいなかったからたぶん、ハーマイオニーを探しに行ったんだ」
「それじゃ、二人とも……」
「トロールがうろついていることを知らない!」
ロンは身体の向きを変え、避難する生徒たちとは反対方向へ駆け出そうとした。
「助けに行かなきゃ!」
「待ってロン!」
ハリーがローブの袖を掴む。
「何だよ! 早くしないと――」
「二人が、どこの女子トイレにいるか知ってる?」
「あ、知らない……」
ホグワーツの校舎はただでさえ巨大な城な上に、階段は勝手に移動し、昨日まで通れた廊下が今日は行き止まりになる。一年生の男子二人には、女子トイレの正確な場所など分からない。
「でも、探せば――」
「どこを?」
ハリーの唇が噛みしめられる……このまま二人を放って、寮へ戻りたくはない。
ハーマイオニーは今も傷ついて泣いているだろうし、朱音は彼女を心配して側にいるはずだ。
トロールと鉢合わせしているかもしれないと思うだけで、胸の奥が締めつけられる。
だが行き先も分からないまま、闇雲に城内を走り回ればどうなるのか?
脳裏に、飛行訓練の日の記憶が蘇った。
暴走した箒に翻弄されたネビル。
朱音は減速の呪文を放ち、落ちかけた彼を受け止めた。ハリーもまた、空へ放り出された思い出し玉を追って、教師の許可を待たず飛び立った。
結果として、二人とも間に合ったが、フーチ先生は二人の判断力を褒めながらも同時にこう諭した。
――勇気があることと、安全に行動できることは、必ずしも同じではありません。
あの時とは状況が違う。居場所さえ分からない二人を探して闇雲に城内走り回れば、自分たちまで行方不明者になるだけかもしれない。
「……ロン」
「何だよ?」
「先生たちに知らせよう」
ロンは焦りを滲ませた顔で、ハリーを見つめた。
「……分かった!」
二人は頷き合い、監督生に従って移動する列から外れた。
近くにいた教師の姿を探し、廊下を駆ける。
「マクゴナガル先生!」
ハリーは息を切らしながら叫んだ。
「まだ城の中に、トロールのことを知らない生徒が二人います!」
呼び止められた副校長兼グリフィンドール寮監が、驚いて振り返る。
「何ですって?」
「ハーマイオニーと朱音です!」
ロンもハリーの隣へ並ぶ。
「たぶん女子トイレにいるんです! でも、どこのトイレなのか、僕たちには分からなくて!」
ハリーは教師を真っ直ぐに見つめた。
「お願いします。二人を探してください!」
その声に、迷いはなかった。
◇
クィレル教授が大広間へ飛び込む、少し前。
ハロウィーンの賑わいから遠く離れた女子トイレには、一人の少女が隠れていた。
「……っ」
ハーマイオニー・グレンジャーは個室の中へ身を縮め、何度も目元を拭っていた。
泣き止もうとしている。
けれど、少し落ち着いたと思うたびに、ロンの言葉が頭の中で繰り返された。
友達がいないのも当然――その一言が、思っていた以上に深く胸へ刺さっていた。
呪文学の授業で、浮遊呪文に手こずっていたロンへ助言した。杖の振り方と発音が間違っていたから、正しい方法を教えただけだ。
馬鹿にしたかったわけではない。失敗してほしかったわけでもない。
せっかく学ぶなら、正しく覚えてほしかった。
(……分かっているわよ、私が少し口うるさいことくらい……)
列車で初めて会った時も、ネビルのヒキガエルを探して回った。人のコンパートメントを覗いて、まだ着替えているのかと尋ねてた。
授業では誰よりも早く手を挙げ、間違えている生徒がいれば、つい訂正してしまう。
自分の言い方が、相手を不愉快にさせることがあるのは理解していた。
けれど理解していることと、傷つかないことは別だった。
「……ハーマイオニー」
個室の扉越しに、柔らかな声が聞こえた。
「……朱音?」
「やっと見つけた……」
返事とともに、外から小さく息を整える音がした。
朱音は広い城の女子トイレを、一つずつ探し回っていたのだろう。
「大丈夫?」
「……大丈夫よ」
扉を隔てているにもかかわらず、ハーマイオニーは顔を背けた。
「別に、何でもないわ」
「……そっか」
朱音は、それ以上すぐには尋ねなかった。
個室の正面に立ち続けることもせず、少し離れた石壁へ背を預ける。
冷たい女子トイレへ、沈黙が満ち、水滴の落ちる音がやけに大きく響く。
朱音は扉を叩かなかった。出ておいでとも、泣かないでとも言わない。
ただそこにいるだけ……しばらくして、ハーマイオニーの方から、小さな声が零れた。
「……私って、そんなに嫌な子なのかしら」
「どうして、そう思うんだい?」
「いつも本ばかり読んでいるし……授業でも、先生の質問へすぐ答えちゃうし……誰かが間違えていると、つい口を出しちゃうの。分かっているのよ。そんなことばかりしていたら、嫌がられるって……でも、せっかくホグワーツに来たんだもの」
個室の中で打ち明けるハーマイオニーは膝の上に置いた手を握り締めた。
声も震えている。
「魔法のことを、少しでも多く知りたいじゃない……!」
堪えていた涙が、また一粒、頬を伝う。
「それって、そんなにいけないことなの?」
「いや……」
朱音の返答には、一瞬の迷いもなかった。
「全然いけないことじゃないと、私は思う、ただ……確かに誰かへ教える時には、言い方を工夫した方がいいかもしれない、正しい答えを知っていても、相手がどう受け取るかまでは別だからね」
「……やっぱり、私の言い方が悪いのね」
「直せるところがあるからって、君の全部が悪いことにはならない」
朱音の声は穏やかだった。
「勉強が好きなことまで悪役にしなくていいさ、私だってホグワーツで魔法を学べる毎日を楽しんでいるし」
「……うん」
「それに、勤勉家な君もおかげで、私も随分助けられているんだよ?」
「……朱音が?」
「私も魔法使いの家系生まれだけど、日本ではマグルの小学校へ通っていたからね、魔法と魔法界(このせかい)については、まだ知らないことが多いんだ」
扉の外で、朱音が少し照れくさそうに笑った気配がした。
「だから君と一緒に本を読み、いろいろなことを教え合えるのは嬉しいよ」
「…………」
「でもね」
扉越しの朱音の声が、僅かに近くなる。
「私が君と友達でいるのは、能力がどうこうだからじゃない」
「……え?」
「本が好き同士で仲良くなれたのは確かだよ、君の勤勉さもすごいと思っている」
一度、言葉を切る。
「でも、友達でいるのは『ハーマイオニーだから』だよ」
個室の中で、ハーマイオニーは大きく目を見開いた。
「勉強が得意でも苦手でも、授業で一番になっても、逆に失敗しても。それを理由に友達をやめたりはしない」
「……朱音」
「もちろん、もし私が何か間違えていた時には、是非参考に教えてほしいけれどね」
朱音はくすりと笑った。
「私も間違えることはあるからさ」
ハーマイオニーは唇を噛んだ。
今度こそ堪えようとした涙が、次々に溢れ出してしまう。
「……私、今日は……」
「うん」
「もう、誰とも話したくなくて……一人でいたかったの……」
「そういう日もあるよね」
朱音は責めずに頷いた。
「そういう日もあるよね、君ならハロウィーンでも勉強してそうだから、そんな時は好きにさせるけど、それすらできず一人で泣くしかない友達を放っておくほど、私は薄情になりたくないからさ」
しばらくの沈黙の後、鍵が外れる音がして、朱音は個室の扉から一歩離れる。
ゆっくり開いた扉の向こうに、目と鼻を真っ赤にしたハーマイオニーが立っていた。
優等生らしい気丈さはどこにもない。
髪も少し乱れ、頬には何本もの涙の跡が残っている。
「朱音…………ありがとう……!」
次の瞬間ハーマイオニーが朱音の腕の中に飛び込む。
その小さな身体を、両腕が優しく包み込み、宥めるように背中を撫でる。
「泣きたい時は、泣いていい、無理してまで優等生でいなくたっていいんだから」
ハーマイオニーは朱音の肩へ顔を埋めた。
しばらくの間、冷たい石造りの女子トイレに、押し殺していた泣き声だけが響いていた。
◇
どれほど、そうしていただろう。
やがてハーマイオニーは、最後に一度だけ鼻をすすり、朱音の腕から少しだけ顔を離した。
「……ごめんなさい、朱音」
「何が?」
「こんなに泣いちゃって……」
「謝ることではないよ」
朱音は微笑み、ポケットから清潔なハンカチを取り出した。
「……ありがとう」
ハーマイオニーはハンカチを受け取り、目元を丁寧に拭った。
「少しは落ち着いた?」
「……ええ」
「それなら、大広間へ戻ろうか。ハロウィーンのお料理が、まだ残っているといいのだけれど」
朱音がハーマイオニーの手を取ったその時、廊下の向こうから、何か重いものが落ちたような音が響いた。
音は一定の間隔で繰り返され、少しずつ近づいてくる。
洗面台の蛇口から、揺れで水滴が何度も落ちていた。
「……何?」
やがて、鼻を刺すような異臭が漂ってきた。
湿った土。
腐りかけた肉。
何年も洗われていない衣服。
それらを一つの鍋へ入れて煮詰めたような、息を止めたくなるほどの悪臭に。ハーマイオニーが口元を覆う。
朱音は答えなかった。
女子トイレの出入口、その外側を――巨大な影が横切ったからだ。
灰色の肌、山のように盛り上がった胴体、身体へ比べて不釣り合いなほど小さな頭。
地面へ届きそうなほど長く、太い腕。
片手に握られた巨大な棍棒が、床を擦って耳障りな音を立てている。
ハーマイオニーの顔から、さっと血の気が引いた。
「トロー――」
「静かに」
朱音は素早く人差し指を口元へ立てた。
「今は動かないで。まだ、こちらには気づいていない」
声が変わっていた。
先ほどまでハーマイオニーを慰めていた柔らかな響きは残っている。だがその奥に、研ぎ澄まされた刃のような集中が宿っていた。
ハーマイオニーは両手で自分の口を押さえ、必死に息を殺す。
トロールはまだ、二人を見つけていない。小さな目をぼんやりと前へ向け、廊下の中央を歩いている。
しかし、その巨体が唯一の出入口を塞いでいた。
二人の後方にあるのは、窓の小さな女子トイレ。
別の出口はなく、逃げようとすれば、必ずトロールの脇を通る必要がある。
「……どうするの?」
ハーマイオニーが、ほとんど息だけの声で尋ねた。
朱音は廊下の幅と、トロールの歩調を観察した。
棍棒が床を引きずり、巨体が左右へ揺れる。
動きは鈍く、歩く度に丸太のように太い両脚の間には、僅かな隙間が生まれていた。
翡翠色の瞳が細くなる。
「スライディング」
「……え?」
「ここで隠れても、袋の鼠さ」
朱音は杖を抜いた。
「ハーマイオニー。私の手を絶対に離さないでね」
「ちょ、ちょっと待って。何をするつもりなの?」
「トロールの足下を抜ける」
「足下って――まさか、両脚の間を?」
「歩調は読めた」
「そういう問題……?」
「来るよ」
トロールが出入口の前へ差しかかる。
今を逃せば、次の機会はない。
「《グリセオ――滑れ》!」
朱音の杖先から淡い光が走った。トロールの足下から女子トイレの中へ続く石床が、磨き上げられた氷のように滑らかな質感へ変わる。
「行くよ!」
「えええっ!?」
朱音はハーマイオニーの手を強く握り、自ら床へ身を沈めた。
二人の身体が、魔法のかかった石床を一気に滑走する。
低くなった視界の真正面には、トロールの太い両脚。
頭上を、山のような巨体が覆い、近づいたことで悪臭は息をすることさえ難しいほど強くなった。
「頭を下げて!」
悲鳴を上げるハーマイオニーを引き寄せ、振り下ろされかけた太い腕を躱す。
二人のローブが床を擦り、灰色の両脚の間を滑り抜けた。
トロールの背後へ出た瞬間、朱音は片手を床へつき、勢いを殺しながら立ち上がる。
「よし!」
続いて滑ってきたハーマイオニーの腕を掴み、その身体を引き起こした。
「走れ!」
二人は廊下を駆け出した。背後でトロールが動きを止める。
「……ウゥ?」
小さな頭が、不思議そうに傾いた。
何かが足下を通り抜けた事実を、鈍い思考で遅れて理解したらしい。
巨大な身体が、ゆっくりと二人の方へ向き直る。
「グオオオオオッ!」
怒号が廊下を震わせた。天井から埃が落ち、壁に掛けられた肖像画の住人たちが悲鳴を上げて額縁の外へ逃げていく。
「朱音!」
ハーマイオニーが走りながら振り返った。
「追いかけてくる!」
「分かってる!」
トロールの動きは鈍重ではある一方、一歩の幅が人間とは違う。
二人が何歩も走って稼いだ距離を、巨体は一歩で乱暴に縮めてくる。
このまま直線を走り続ければ、いずれ追いつかれる。
「仕方ない」
朱音は走りながら身体を半分だけ捻り、杖を後方へ向けた。
狙いはトロール自身ではなく、その進路上にある石床。
「《ディフォディオ――掘れ》!」
杖先から放たれた光が、廊下の床へ突き刺さった。
石材が内側から砕かれ、トロールが踏み出そうとした場所へ深い窪みが生まれる。
「グオッ!?」
巨体の片脚が、崩れた床へ落ち込んだ。
もう片方の足も勢いを支えきれず、身体が大きく前へ傾き、トロールは樹木を切り倒したような音を立てて転倒。床と壁が震え、天井から細かな石片と埃が降り注ぐ。
「……やった!」
「まだだ」
ハーマイオニーが歓声を上げるも、朱音は走る速度を落とさなかった。
「あれくらいで、トロールが倒せるとは思わない方がいい!」
その警告を証明するように、背後から怒りに満ちた唸り声が聞こえた。
トロールは穴へ落ちた脚を乱暴に引き抜き、太い両腕を使って身を起こそうとしている。
「このあとはどうするの!?」
ハーマイオニーが息を切らしながら尋ねた。
「とにかく今は先生たちと合流!」
「でもどこにいるのか分からないわ!」
「トロールが校内へ入ったことを先生たちが把握しているなら、一方は追い立て、もう一方は地下へ続く経路で待ち構えるはずだ」
「じゃあ地下へ向かえば、先生たちの誰かと……!」
「そういうこと!」
二人は角を曲がり、中央階段へ続く廊下へ飛び込んだ。
朱音はハーマイオニーの手を、さらに強く握り直す。
「大丈夫、絶対に離さないから!」
ハーマイオニーも、その手を握り返した。
「ええ!」
二人の背後で、再びトロールの咆哮が響いた。
床を揺るがす足音が、また動き始める。
だが今度のハーマイオニーは、逃げる恐怖の中でも一人ではなかった。
手の中には、確かな友達の温もりがある。
二人はその手を離さないまま、教師たちとの合流を目指して階段を駆け下りていった。
◇
地下へ続く石造りの階段を、二人分の足音が駆け下りていく。
朱音はハーマイオニーの手を握り、一段飛ばしで階段を下りていた。背後から追ってくるトロールの足音は、先ほどよりわずかに遠のいている。廊下へ穿った穴が、巨体の歩みを遅らせているのだろう。
しかし、止まったわけではない。ずしりと重い足音が、城そのものの鼓動のように石壁を震わせていた。
「朱音……!」
「もう少しだよ」
気丈に笑ってみせたものの、朱音の呼吸にも疲労が滲んでいた。十一歳の身体で全力疾走を続けながら、何度も魔法を使ったのだ。いかに朱音でも、ハーマイオニーを連れていつまでも余裕を保ってはいられない。
やがて階段を下りきり、二人が薄暗い地下通路へ飛び込んだ、そのときだった。
「そこで何をしているのです!」
鋭い声が、前方から飛んできた。
朱音の翡翠色の瞳に、二人の魔女の姿が映る。一人は、銀色の短い髪と猛禽を思わせる黄色い瞳を持つ、飛行術担当のロランダ・フーチ。そしてもう一人は、土の付着した帽子とローブを身につけた、薬草学担当のポモーナ・スプラウトだった。
「先生!」
朱音が安堵の声を上げる。先生たちは既に杖を抜き、地下通路の左右へ注意を配っていた。トロールを迎え撃つため、ここで待ち構えていたらしい。
フーチは駆け込んできた二人を見るなり、黄色い鷹の瞳を大きくした。
「なぜ寮へ避難していないのです!」
「申し訳ありません。私たちはトロールが侵入したという知らせを聞いていなかったんです」
朱音は荒い呼吸を整えながら、できるだけ簡潔に事情を説明した。
「ハーマイオニーが大広間にいなかったので、私が迎えに行きました。戻ろうとしたところでトロールに遭遇しまして――」
「遭遇したですって?」
スプラウトの丸い顔から、さっと血の気が引いた。
「襲われたのですか?」
「追いかけられました。咄嗟に廊下の床を崩して転倒させましたが……」
「床を……?」
フーチの眉がぴくりと動いた。しかし問い詰めるより先に、朱音は続けた。
「飛行訓練の際、危険な状況では教師の指示を仰ぐよう教えていただきましたので、先生方との合流を優先しました」
フーチは一瞬、言葉を失った。その教えを守ったというには、二人は随分と危険な逃走をしてきたらしい。ローブは埃にまみれ、ハーマイオニーの膝には滑走した際についた白い擦れ跡が残っている。
それでも二人とも、大きな怪我はしていなかった。
「よくここまで来ました」
フーチは短く息を吐き、朱音の肩を抱いて自分の背後へ下がらせた。
「今度こそ、私たちの後ろから動かないこと。いいですね?」
「はい」
「ミス・グレンジャーも」
「はい!」
スプラウトが杖を構え、通路の向こうを睨む。
「話の続きは後です。どうやら、お客がお見えになったようですわ」
暗い通路の奥から、腐臭が押し寄せてきた。
それに続いて、重い足音が近づいてくる。角の向こうから、トロールの大きな影が現れた。灰色の肌には石の粉がこびりつき、太い片脚には床へ落ちた際についた傷がある。怒りで小さな目を血走らせ、棍棒を引きずる姿には、先ほどまでの鈍重さよりも凶暴さが際立っていた。
「グオオオオオッ!」
咆哮が、狭い地下通路の空気を震わせる。
ハーマイオニーが息を呑み、朱音の手を掴んだ。
「大丈夫、今度は先生たちがいる」
フーチとスプラウトが同時に杖を構えたと同時に、トロールの背後から別の声が飛んだ。
「こちらです、急いで!」
マクゴナガル教授の声だった。
振り向いたトロールの後方から、マクゴナガル教授とスネイプ教授が現れる。そのさらに後ろには、二人の教師を必死に追いかけてきたハリーとロンの姿もあった。
「ハーマイオニー!」
「朱音!」
「ハリー、ロン!」
朱音も二人の無事を確かめ、ようやく胸を撫で下ろす。
トロールは前後を塞がれた。片側にはフーチとスプラウト。反対側にはマクゴナガルとスネイプ。
四人もの教師に挟まれていることを理解していないのか、トロールは苛立ったように棍棒を持ち上げた。
「今です!」
マクゴナガルが鋭く告げる。
「「《ステューピファイ――麻痺せよ》!」」
四本の杖から、ほぼ同時に赤い閃光が迸った。
失神呪文が巨体の胸、肩、腹へ叩き込まれ、トロールの身体が、後方へ大きく仰け反った。棍棒が太い指から滑り落ち、石床へ激突する。
巨体は糸の切れた人形のように崩れ落ちた。衝撃で廊下全体が揺れ、天井から白い埃が降り注ぐ。
ハーマイオニーが反射的に朱音へ身を寄せた。朱音も彼女の頭を庇いながら、倒れたトロールを警戒するして見据える。
スネイプも杖を下ろさず、黒いローブを翻しながら巨体へ近づくと、懐から小さな瓶を取り出す。瓶の中では、月光のように青白い薬液がゆっくりと揺れていた。
栓を抜ぬいたスネイプが杖を一振りすると、瓶から細い液体の筋が浮かび上がり、気を失ったトロールの口へ吸い込まれていった。
「これですぐに目を覚ますことはなかろう、失神呪文だけでは、いつ効果が切れるか分からんのでな」
マクゴナガルがトロールの鼻先へ杖を向け、完全に意識を失っていることを確認する。
「安全は確保されました。ポッター、ウィーズリー。二人が無事だと、すぐに校長先生へ知らせてください」
「はい!」
返事をしたハリーだったが、その場を離れる前に朱音とハーマイオニーを見た。
「二人とも、本当に大丈夫?」
「うん、少し走り疲れただけさ」
朱音が微笑みで無事であると表し、ハーマイオニーも小さく頷いた。
「私も大丈夫よ、二人が……先生に知らせてくれたの?」
「うん」
ロンが答えた。
「そっか……ありがとう」
朱音が素直に礼を言うと、ロンはどこか居心地悪そうに視線を逸らした。
その目は、泣き腫らしたハーマイオニーの顔を何度も窺っていた。
◇
トロールが回収され、危険が去ったあと。
医務室へ向かう前に、四人は教師たちから事情を聞かれることになった。
戦いの痕跡は、城の廊下へ生々しく残されている。
壁の一部は棍棒によって砕かれ、石床にはトロールの足跡が点々と続いていた。なかでも朱音が《ディフォディオ》で穿った穴はひときわ目立ち、廊下の中央を大きく陥没させている。
惨状を目にしたマクゴナガルは、厳しく唇を結んでいた。
しかし、その眼差しに宿っていたのは怒りだけではない。
二人が無事だったことへの、隠しきれない安堵があった。
一方、セブルス・スネイプの表情は、いつもと変わらず険しい。
「……しかし」
低く滑らかな声が、静まり返った廊下へ落ちる。
「そもそも、君たちはなぜ大広間にいなかったのだ?」
黒い瞳が、朱音とハーマイオニーを交互に見据えた。
「今夜は、全校生徒が大広間の宴へ出席していたはずだが」
「ああ……」
朱音は隣に立つハーマイオニーへ視線を向ける。彼女の目元には、泣いた痕がまだ残っていた。事情を説明すれば、昼間の出来事にも触れなければならない……それは朱音にとって勝手に明かしてよい話ではなかった。
朱音は何も言わず、わずかに首を傾ける。
――話してもいい?
問いかけの意味を察したハーマイオニーは、一瞬ためらったあと、小さく頷いた。
朱音は彼女の手をそっと握り、スネイプへ向き直る。
「彼女が今日、同級生との間で少しトラブルがあって落ち込んでいると聞きまして」
「……ほう」
「せっかくのハロウィーンですから、できれば一緒に楽しみたいと思い、様子を見に行きました」
朱音は、困ったように微笑んだ。
「そうしたら、運悪く帰り道をトロールに塞がれまして、どうにか距離を取り、先生方へ助けを求めようと逃げていた次第です」
スネイプは細い腕を胸の前で組んだ。
「つまりクサナギ、君は友人を探しに行き、偶然トロールと遭遇した、と?」
「はい」
「そしてグレンジャー。君はその間、大広間にいなかったと?」
「はい先生」
ハーマイオニーは消え入りそうな声で答えた。
スネイプは、しばらく二人を無言で観察した。朱音には表情、姿勢、呼吸まで余さず見定めるように、ハーマイオニーに対しては赤く腫れた目と強張った肩へ視線を向ける。
「その『問題』とやらについて、詳しく説明するつもりは?」
ハーマイオニーの肩が、ぴくりと震えた。
握った手から伝わる緊張を感じ取り、朱音は一歩だけ前へ出る。
「申し訳ありませんスネイプ先生、それはハーマイオニー本人の問題ですので、私の口から詳しく申し上げるのは控えたいと思います」
スネイプの眉が、微かに動いた。
「君は私の質問に答えることを拒否するのかね?」
「いえ、今回の事故について必要なことは、全てお答えいたします」
朱音はスネイプの漆黒の視線を逸らさず、穏やかに続けた。
「ただ彼女が落ち込んでいた理由を、本人が望まないのに私の独断で説明するのは違うと思いまして」
沈黙が下りた。傍らに立つロンが、気まずそうに俯く。
ハリーは彼の横顔を見たが、何も口にしなかった。
「セブルス」
やがてマクゴナガルが、静かに割って入った。
「少なくとも、ミス・クサナギがミス・グレンジャーを探しに行ったこと。そして二人が帰り道でトロールと遭遇したことは分かりました」
「副校長……」
「あなた方は、トロールと戦おうとしたのではありませんね?」
「はい」
マクゴナガルの問いに、朱音はすぐ頷いた。
「私たちだけで倒そうとは考えませんでした、少しでも距離を取り、先生方と合流することを優先しました」
「そのために、床を掘り返したのですね?」
マクゴナガルの視線が、廊下に開いた大穴へ移る。
「この穴に関しては、本当に申し訳ありません」
朱音は神妙に頭を下げた。
「追いつかれそうだったので、足止めが必要だと判断しました」
マクゴナガルは眼鏡を押し上げ、大きく息を吐く。
「あなたがトロールを転倒させるために廊下を掘ったことは理解しました」
「はい」
「ですが、見てのとおり、石床には大穴が開いています」
「……はい」
朱音は乾いた笑みを浮かべた。
「少々、威力の加減を誤りました」
「これが少々、ですか?」
「訂正します……かなり、かもしれません」
マクゴナガルの眼差しが、さらに厳しくなる。
しかし数秒後、その表情はわずかに和らいだ。
「もっとも、あなた方の命が無事だったことに比べれば、床の損壊など些細な問題です」
「……ありがとうございます」
「修繕については、後ほどミスター・フィルチと相談します。あなた方はまず、マダム・ポンフリーの診察を受けること」
「はい、先生」
そこでスネイプが、陥没した床を冷たく一瞥した。
「少なくとも、床の方は生徒より修復が容易ですな」
ぶっきらぼうな一言だった。
だが、その声音の奥にあるものを感じ取った朱音は、わずかに目を瞬く。
おそらくスネイプは二人を少なからず心配している様子……もちろん、本人は決して認めないだろうが。
「ご心配をおかけしました先生」
「勝手な解釈をするな、クサナギ」
「まだ何も申し上げていませんよ?」
「君の顔を見れば分かる」
「おや困りましたね」
朱音が頬へ手を添えて首を傾げた。
「もっと謎めいた表情を練習した方がよいでしょうか?」
「余計な技術を磨く前に、校内を破壊せず危機を切り抜ける技術を身につけたまえ」
「善処いたします」
「今すぐ身につけろ」
「慎んでお受けいたします」
隣で聞いていたハーマイオニーが、思わず小さく吹き出した。
「何がおかしいのかね、グレンジャー?」
「い、いいえ! 何でもありません!」
黒い瞳を向けられたハーマイオニーは慌てて背筋を伸ばした。
朱音は安堵した息を零し、友人の手をもう一度そっと握る。
「ところで、先生」
朱音はハリーとロンへ目を向けた。
「私たちのことは、ハリー君たちが先生方へ知らせてくれたのですか?」
スネイプの顔が、わずかに不機嫌そうに歪む。
「……左様」
「先生?」
「少なくとも、無意味にトロールへ突撃するほど愚かではなかったらしい」
ハリーが目を丸くする。
それが称賛なのか皮肉なのか、判断に迷ったのだろう。
朱音は楽しそうに微笑んだ。
「ふふっ。そうですね」
「……何がおかしい?」
「ハリー君らの判断を、ちゃんと評価してくださったので」
「私は事実を述べただけだ、クサナギ」
「その事実で十分嬉しいんですよ」
スネイプは答えず、黒いローブを翻した。
だが背を向ける直前、その視線がハリーへ向けられる。
「ポッター」
「は、はい」
「自分たちだけで捜索へ向かわず、教師へ報告した判断については――間違ってはいなかった」
ハリーは信じられないものを見るようにスネイプを見つめた。
「ありがとうございます、先生」
「ただし、避難列から離れる際は、近くの監督生にも声をかけるべきだったな、今後は忘れぬことだ」
「はい」
それだけ言うと、スネイプは今度こそ歩き出した。
朱音はその背中を眺め、口元をほころばせる。
「ちゃんと褒めてくれたね」
「今の誉め言葉にしていいの?」
ロンが尋ねる。
「本人が聞いたら、絶対に否定しそうだけど、その前に数えた者勝ちってことで」
◇
教師たちによる確認が終わり、一行が医務室へ向かおうとしたときだった。
「あのさ、ハーマイオニー」
ロンが、不意に彼女を呼び止めた。
ハーマイオニーが振り返る。
「……何?」
その声に刺々しさはなかった。
ただ、どう接すればよいのか分からないような戸惑いがある。
ロンは視線を左右へ泳がせ、指先でローブの裾を弄り、何度か口を開きかけては閉じる。
ハリーが隣から肘で軽く小突いた。
「ほら」
「分かってるよ……!」
ロンは小声で返し、一度だけ深く息を吸った。
「今日の昼間、僕が言ったこと……」
ハーマイオニーの表情が強張る。
「………ごめんなさい!!」
彼女は目を見開いた。
ロンは耳まで赤くしながらも、逃げずに続けた。
「君が聞いてるなんて思わなくて、いや違う!」
いったん言葉を止める。
そして今度は、ハーマイオニーの顔をきちんと見た。
「聞いてなくたってあんな酷いこと言うんじゃなかったんだ!君が口うるさいとか、友達がいないのも当然だとか……」
彼の声は次第に小さくなった。
「苛々してたんだ、成功できたのに君の方が上手だったのが悔しくて……それを、君のせいみたいに言った、だから……ほんとにごめん!!」
拙く、飾り気のない謝罪。言い訳を完全に捨てられたわけではない。悔しさも、照れも、意地も残っている。
それでもロンは、自分の非を自分の言葉で認めた。
ハーマイオニーは、しばらく何も答えなかった。
やがて目を伏せ、小さく息を吐く。
「……ありがとう、ロン」
そして、おずおずと言葉を継いだ。
「私も……言い方がよくなかったと思うわ。正しく教えなきゃって、そればかり考えていたから」
「いや、でも……呪文は君の言ったとおりだったし」
「それでもよ。正しいことを言っているからって、どんな言い方をしてもいいわけじゃないもの」
今度はロンが目を丸くした。
「じゃあ……」
「お互い様の、おあいこってことで、でも次に同じことを言ったら今度こそ許さないから」
「言わないよ!」
「本当に?」
「本当だって!」
「ロンって結構一言余計でしょ?」
「それを言ったら君だって、すぐ余計な――」
言い返してから、ロンは凍りついた。
「……あ」
途中で中断されたが、またやってしまったと、そう顔に書いてある。
だがハーマイオニーは怒らなかった。
それどころか一瞬きょとんとしたあと、堪えきれないように小さく笑った。
「そうね。そこは気をつけるわ」
「……うん、僕も、お互い様ってことで」
ハリーが安堵の息を吐く。少し離れて見守っていた朱音も、ロンが自分で考え、自分の意思で選んだ言葉を聞き入れて笑みを浮かべていた。
「じゃ医務室へ行こう」
ハリーが言った。
「朱音たちが大丈夫だって分かるまで、僕たちも一緒に行くよ」
「私は本当に平気よ」
ハーマイオニーが答える。
「少し転んだだけだもの」
「念のため本当に『平気』なのか、マダム・ポンフリーに診ていただこう」
「ちょっと朱音まで……」
口では不満を漏らしながらも、ハーマイオニーは素直に歩き出した。
四人の足音が、並んで廊下へ響く。
ハリーとロンとハーマイオニー、三人の赤と金のネクタイ。
そして、緑と銀のネクタイを締めた朱音。
所属する寮も、育った場所も、得意なことも違っている。
出会ってから、まだ二か月も経っていない。相手を理解できず、腹を立てることもある。傷つけてしまうことも、きっとこれから何度もあるだろう。
けれど、傷つけたあとに謝ることはできる。
泣いている友達を探しに行くことも。
危険に気づいたなら、大人へ助けを求めることも。
そして、差し出された手を握り返すこともできる。
ハーマイオニーは自分の右手を見た。
トロールから逃げていた間、朱音が決して離さなかった手だ。
今度は彼女の方から、隣を歩く朱音の手を取る。
「おや?」
朱音が目を瞬いた。
「もう少し……医務室まで」
ハーマイオニーは少し照れくさそうに顔を逸らした。
「また迷ったら困るでしょう?」
「それは確かに大変だ」
その手を握り返す朱音。
反対側では、ロンが何か言いたそうに二人を眺めている。
気づいたハリーが、にやりと笑った。
「ロンも手を繋ぎたいの?」
「違うよ!」
ロンの声が、夜の廊下へ響く。
「僕たちはもう十一歳だぞ!」
「では、迷子にならないよう前を見て歩きたまえ、ロナルドくん」
「その呼び方勘弁してよ!!『ロン』をデフォルト固定!!」
ハーマイオニーが吹き出し、ハリーと朱音の笑い声も重なった。
その夜トロールを倒したのは、先生たちだ。
それでも四人は、意地や誤解や、素直になれない心が作った小さな壁を乗り越えた。
後にいくつもの冒険を共にすることになる四人にとって――それこそが、ハロウィーンの夜に得た最初の勝利だった。
つづく。
この時空ではまだ水曜どうでしょう放送前なのに大泉くんのアレをオマージュしたうちのガメラお姉さん。