ハリー・ポッターと玄武(ガメラ)の少女 作:フォレス・ノースウッド
・脚の噛み傷
ハロウィーンイベント兼、招かれざる客ことトロール城内侵入事件の勃発から夜が明けたその日も、ホグワーツは前日の騒ぎが丸ごと夢だったようにいつもの風景を取り戻している。
昼の休憩時間中の大広間一つ取り上げても、ランチを取ったり自習に耽ったりしている生徒たちで賑わっていた。
「それで、トロール相手にどう立ち回ったの?」
「ん?」
昼食を取りながらパンジー・パーキンソンは興味津々に、同じくお昼の『ざる蕎麦』をつゆに付け、お箸でずるずるとすすって食す朱音に尋ね。聞かれた当人はきょとんと首を傾げる。
「そんな英雄壇(ロマンス)的なものからは遠いよ、ハーマイオニーもいたし、せいぜい一時的な足止めして先生たちに駆け込んでたくらい」
朱音は続けてもう一杯分をつゆに漬けて、盛大にすする。ヨーロッパ圏では馴染みの薄い『敢えて音を立てて麺を食する』食べ方だが、さすがに一か月も過ぎると生徒たちのほとんどがその音に慣れていた。
蕎麦の元――そば粉の原料たる植物も、そば粉を用いた料理もヨーロッパにあった為か、いかにも日本的なざる蕎麦も、前日に大広間で念じて注文すればちゃんと来てくれる仕様。
「謙遜し過ぎよ、トロールを目の前にして生きてるって話で話題持ち切りなんだから」
「ふ~ん」
昨晩、大広間でハロウィーンパーティーイベントに興じていた生徒のほぼ全員を震撼させたあのトロールを相手に朱音が立ち回った話は、尾ひれも引いた分も込みでスリザリン寮内だけでもその日の話題のトップに躍り出ていたが、当の本人は自慢にするわけでも、パンジーが言うような謙遜し過ぎてるわけでもなく、今日もホグワーツのどこかにある調理場で注文した料理を堪能している。そのマイペースさが逆に、パンジー含めた純血家系の生まれの生徒からも注目させているのだが……。
「あなた、本当に怖くなかったの?」
「怖かったけど?」
「……え?」
あまりにあっさりとした返答に、パンジーは拍子抜けした。
「何しろ相手は何倍も大きなトロールだからね。あの大腕からの棍棒で殴打されたら、ひとたまりもない」
「だったら、どうしてそんなに平然としていられるのよ?」
「今はもう安全だから」
朱音は一度箸を置き、蕎麦湯を一口飲んでまた蕎麦に手を付ける。
「でも昨日のあの時は本当に怖かったし、怖いものを怖いと認めるのは、別に恥ずかしいことじゃないのが我が持論でね」
この持論を掲げる朱音を前に、パンジーは返答に詰まった。
「勇敢に戦うのも結構だけど、わざわざ無謀に喧嘩売って守りたい人まで危険に晒したら本末転倒だし」
「あなたって、変わってるわね」
「それはよく言われる」
「――にしても普通は、もう少し格好よく話そうとするものよ」
「それで廊下の大穴が少しでも小さくなるなら、いくらでも格好つけるんだけどねぇ~」
「……ああ、あの穴」
修繕されるまでほぼ不可視の結界が貼られている問題の廊下は、それでも透明な壁越しでもトロールなら確実にまんまと引っかかるのは確実な落とし穴ができているのを今朝パンジー含めた多くの生徒が目にしていた。
「マクゴナガル先生にも威力の加減を間違えてたと注意されたし、ミスター・フィルチからもネチネチとクレーム受けたし」
ホグワーツ副校長からの指摘には重々噛み締めている一方、生徒たちとは犬猿の仲も同然なあの偏屈過ぎる『スクイブ』の管理人からの文句は一切意に介していない様子だ。
「トロールを転ばせるために廊下を壊したことを、そんな調子で話す人、初めて見たわよ」
「いやぁ~あれはお恥ずかしい」
苦笑いしつつも蕎麦をすする手を止めない朱音にパンジーは額に手を当てた。この色々変わってる級友は、本当に自分がどれほど規格外のことをしたのか、理解しているのだろうか?いや多分、理解はしている上でこのペースなのだろう。
それにしても――。
「でも、グレンジャーを置いて逃げなかったのね」
「友達だからね」
「グリフィンドールなのに?」
「寮の違いで友達禁止な校則があるとでも?」
「そういう意味じゃ……」
「それなら問題ないでしょう?ダンブルドア校長もわざわざそんなルール設けるほど薄情なお人でもないし、友達同士でも競争は問題なくできるわけだし」
校長を引き合いに出した朱音の返しにパンジーはしばらく黙り込み、それから小さく肩をすくめた。
「本当に、あなたには敵わないわ」
「いつ決闘に応じたっけ?」
「そういうところよ!」
わざわざ勝負事を『決闘』と表してるところは、確実に敢えてなのは分かった。
——そう言うところが『食えない』のよ!
また一本取られた気がするが、なぜか朱音相手には少し悔しくはなっても『屈辱』とまではいかないパンジーである……もし他の生徒、それこそハーマイオニーみたいな『マグル生まれ』なら、トイレの片隅で思いっきり地団駄するのは必至なのに……この違いはなぜ生まれるのか?
この時のパンジーは疑問に思うことはあっても、理由まで深掘りできなかった。
そして当の朱音は、もやりとするのに嫌な気まではしないパンジーの疑念含めた内心など知ってか知らずか、引き続き美味しそうにざる蕎麦をすすっている。
「本当に食えない子よ」
「蕎麦ならまだるけど、食べるかい?」
「だから朱音!あなたのことよ!!」
「食用扱いされた覚えないんだけど?」
「分かってて言ってるでしょう!?」
「昼から騒がしいぞ……パンジー」
フクロウ便が運んできた本日の『日刊予言者新聞』の広げた紙面越しに、ドラコが釘を差す形で会話に入ってきた。両隣は今日もクラップとゴイルが、休憩時間中は実質食べ放題なのを良いことに追加注文を繰り返して食べまくる最中。
「何よ、ドラコ! こっちは朱音と話してるの!」
「君の声が大きさでいやってくらい分かってる」
「だったら聞かなきゃいいでしょう!」
「僕は新聞を読んでいるんだ」
ドラコは澄ました顔で紙面を持ち直す。もっとも、彼の目は、先ほどから同じ記事の同じ段落を行ったり来たりしていた。
実際のところ、トロール事件について朱音が何を話すのか、気になって仕方がなかったのである。
だが、それを自分から尋ねるのも癪だった。幸い、パンジーが根掘り葉掘り聞いてくれている。ならば自分は、新聞を読みながら耳を傾けていればよい。
そう考えていたのだが――。
「ところでドラコ君」
「なんだ?」
「今読んでる記事って面白いのかい?」
「当然だ。魔法界の情勢を知るのは大切だからな」
朱音は蕎麦湯を一口飲んだ。
「それにしては、さっきから一度もページをめくっていないようだけど」
ドラコの指が、慌てて紙面を捲った。
それを目にしたパンジーが彼へ顔を向ける。
「ちょっとドラコ?」
「何だ?」
「まさか、あなた……」
「違うぞ!」
「まだ何も言ってないわよ!」
ある意味でツーカーと言えなくもないやり取りに朱音は口元を押さえて、くすくすと笑う。
「いや~私たちの話に興味を持ってくれたなら、普通に聞いてくれてよかったのに」
「べ、別に君の武勇伝なんか聞きたくない!」
「おや?武勇伝だなんて一言も言ってないけど?」
ドラコは新聞を持ち上げ直した。先ほどより明らかに高い位置までわざわざ。
「僕は新聞(これ)で時勢を読んでるだけさ!」
「うんうん~そういうことにしておこう」
「その言い方やめろ!」
パンジーは額に手を当てて、あらら~と口角を上げる。
――この子、今日も私だけじゃなくてドラコまで手玉に取ってるじゃない……。
その隣でクラッブが、料理を頬張りながらぼそりと呟いた。
「ドラコ、新聞が逆さまだぞ」
「なっ!?」
反射的に紙面を確認したドラコだが、もちろん逆さまではない。
ゴイルが笑いを堪え、パンジーも吹き出した。
このやり取りを前に、朱音までにっこりと微笑む。
「今のは一本取られたねぇ、ドラコ君♪」
「クラッブ!! 余計なことを言うな!!」
例年以上に、とあるスリザリンの新入生たちの談話は、他の寮の生徒のイメージを一変させるには十分な破壊力を有していたのだった。
◇
「ごちそうさま」
ランチのざる蕎麦を食べ終え、朱音が合掌したタイミングで、ふくろうの鳴き声が大広間内に響いた。フクロウ便は基本朝と夕方、今の時間帯は臨時便か緊急の便りでもないと手紙筆頭とした郵便物は送られてこない。
しかもこの鳴き声に朱音は聞き覚えがある……ホグワーツ入学前の八月、ハリーとの文通で何度も耳にしたもの。
「ヘドウィグ?」
天井を見上げれば案の定、見覚えのあるシロフクロウが両脚に荷物を携え舞い降りていた。しかもその荷物の大きさも今年度の一年生たちの背丈をゆうに超えており、ヘドウィグはグリフィンドール生がメインに使う長卓(イベントの時以外は比較的その縛りは無く、現に朱音もハリーたちと雑談する時は使わせてもらっている、それでも堂々と率先して『平時の縛りの緩さ』を活用するのはもっぱら彼女くらい)に目掛け投下した。
荷物そのものに朱音が飛行訓練の初回にてネビルの救出に用いた《減速呪文》の効果が施されているのか、物の巨大さに反してパラシュートを開いたフリーウォール以上にゆったりとハリーとロンとハーマイオニーの三人がいる卓上に降りていく。
朱音が近寄ったタイミングで、ハリーの手が荷物を宙にて見事キャッチした。見た目以上に大分軽い代物らしい。
「ハリー宛てって書いてある、開けてみよう」
「うん」
四人が『Dear Mr. Harry Potter』と書かれていた包みを解いていくと、中にあったのは――箒。それも朱音とハリーがダイアゴン横丁の箒専門店で、ショーウインドウにて目玉商品として飾られ、子どもたちをガラスに密着させるほど夢中にさせていたのと同じもの。
「《ニンバス2000》じゃん、こいつはそこら辺の箒とはわけが違うよ!」
ロンからの話によれば、クイディッチ用も含めた移動箒生産の大手メーカー《ニンバス》が今年に発売し立ての新型箒で、現存する箒の中で最速とのこと。
「僕もこの瞬間まで実物触ったことないよ………このピカピカの柄、綺麗過ぎて恐れ多いな……」
うきうきに話してくれたロンの目の輝き以上に、事実柄は窓からの陽光を受けて光沢を煌めかせ、素人目に見ても一本一本職人が丁寧に束ねたのが分かるほど小枝たちが寄り集まった尾は端正な出来栄えだった。
「僕の箒……でも誰が?」
「ハリー」
送り主が気になりだしたハリーに、先に気づいた朱音が手のひらを上向きにして『あちらにございます』と言わんばかりに向ける。
ハリーはその方角に目を移すと、教師用の長卓に腰掛け、配達者のヘドウィグに労いで撫でているマクゴナガル教授が、普段の厳格さが鳴りを潜めた微笑みで、ウインクまでハリーに送っている。
その仕草は、厳格な教師の威厳を少しも損なわない。それでいて、まるでお気に入りの贈り物を渡した少女のように、嬉しさを隠しきれていなかった。
(マクゴナガル先生の『クイディッチ愛』は、噂以上みたいだね)
朱音も似た者同士ゆえに分かっていた。
教授の興奮を抑えてるけどそれでも表に出てしまっているあの目は――『童心に返っている』――に他らないのだと。
朱音は教師席へ目を向けたまま、くすりと笑った。
「……なるほどねぇ」
「何が?」
ハリーが尋ねる。
「いや、マクゴナガル先生も随分と嬉しそうだなって」
「えっ?」
ハリーがもう一度教師席を振り返る。マクゴナガル教授はすでに普段の厳格な表情へ戻り、何食わぬ顔で紅茶を口にしていた。
「何だよ、朱音。何か分かったのか?」
ロンが身を乗り出す。
「うん。マクゴナガル先生って、相当なクイディッチ好きなんだなって」
「そりゃそうさ! グリフィンドールの寮監だもの!」
「それだけじゃないと思うよ」
朱音は楽しそうに目を細めた。
「きっと先生ご自身も、箒に跨って空を飛ぶのが大好きなんだろうね」
その言葉を聞いたハリーは、手にしたニンバス2000を見下ろした。
まだ一度も空を飛んでいない新品の箒。
その滑らかな柄を撫でると、胸の奥から期待が湧き上がってくる。
「僕も早く飛んでみたい……」
「私も楽しみだよ、でも初飛行でいきなり無茶はしないようにね?」
「分かってるよ」
「本当に?」
「……たぶん」
「ふふっ」
そのやり取りを、少し離れた教師席からマクゴナガル教授が見守っていた。
――どうやら、あの二人には釘を刺しておく必要がありそうです。
もっとも教授自身も、ハリーがニンバス2000で初めて空を飛ぶ日を、誰より楽しみにしていたのだった。
ハリーのデビュー戦でもある今年のホグワーツクイディッチ杯開催まで、残り約二週間だった。
◇
ハリーが自分の箒を手にしてからさらに数日。十一月に入ると、ホグワーツも含めスコットランドの風景は一気に季節を冬へと衣替えし始めてた。曇天の空模様の頻度が増え、校舎を取り囲む山間は灰色がかった靄(ベール)に包まれ、湖面も見ているだけで冷え切っているのが見て取れる。
生徒たちも外に出る時は各寮のカラーが施されたマフラーが必須となっていた。
紅葉シーズンもピークを過ぎた為、ハグリッドが住まう森番用の小屋周辺の中庭も、枯れ葉たちが散乱している中、スリザリンのマフラーを巻いた朱音は、相棒の杖を携え。
「《ヴェンダス――風よ》」
呪文学の《浮遊呪文》の際に魔法の暴発で燃えたシェーマスの頭を消火したのと同じ呪文を唱え、今度は中庭により大きい渦巻を生じさせるが、朱音の制御下に置かれた風は多数の枯れ葉のみを吸い込み、渦の中心で纏まったところを緩やかに魔法を解き、小屋の目と鼻の先で枯れ葉の山となった。
「「《プロテゴ・ウィンディ――風より守れ》」」
さらにネビルと一緒に枯れ葉の山の周りにドーム状の魔力の障壁を張り、せっかく集めた葉がスコットランドの冬風で飛ばぬ様対策も施す。
「ブラボー~」
それを観覧していたハグリッドが二人に称賛の拍手を送り、朱音はローブをスカート代わりにカーテシーで一礼した。
「今のも、ハーマイオニーとの勤勉の賜物か?」
「そうだね」
葡萄色がかった黒髪を掻く朱音は苦笑して一言で肯定したが、補足するとこの魔法らも一年の段階で習うものではない。日本の小学校の合唱隊の経験含めた趣味の一つの音楽活動と、前世より健在な『昔取った杵柄』たる『エネルギーの操作能力』の応用で掴んだ要領と言えた。
「ネビルも今の結界はよーできとった」
「ありがとう、朱音のアドバイスで『魔力を土に見立ててこねるイメージ』を繰り返してやってみたら、ここまでいけたんだ」
「朱音先生のご指導が実を結んじょるな~」
「それ以上に堆肥作業の『ザ・マスター』なネビル本人の努力の結晶さ」
照れ臭くも嬉しそうに、ネビルが笑みを浮かべた。
「じゃあ次は………《レヴィオ―ソ――浮け》」
風よけの結界内部で枯れ葉が浮く、《ウィンガーディアム・レヴィオーサ》と違い、浮かせたまま物体操作までしないより簡素な浮遊呪文だ。
「《コンプリメーレ――押し込め》」
滞空する枯れ葉たちに杖を向けてそう唱えると、杖の先から発する光を受けた枯れ葉たちの一部はその場で箱状(キューブ)に押し固められる。
「なんでそんな形に纏めたんだ?片づけるには丁度いいが……」
「日本のマグルの小学校の課外授業で、ゴミ処理工場の見学に行った時に、機械でゴミをこんな形で押し固めてたを参考にしたんだ」
「それができちゃう道具も凄いけど、マグルの学校ってそんなところにも行くの?」
「まあ日本なら、社会インフラがどうなってるか見学する機会は多いよね」
朱音が以前通っていた小学校も、その手の課外授業を行う機会を多く設けていた。
「そのお陰で魔法の応用にも生かせるし」
「はぁ~エヴァンダーの教育方針さまさまだな」
「僕もやってみていい?」
「もちろん、風と葉っぱくらいならびくともしないから遠慮せずに」
「うん――《コンプリメーレ》」
ネビルも同様の呪文を使うと、朱音のとは異なり独特の凹凸が特徴的な球体に圧縮されていた。
「クアッフルかいなこいつぁ?」
「魔法界で馴染みある形にこねた方がイメージし易いと思って」
「いやナイスだよ、強度を上げたら練習用に使えそうだし」
そうして枯れ葉の群れを一通り圧縮した二人は――。
「「《ウィンガーディアム・レヴィオーサ》」」
浮遊呪文で小屋の傍で待機していたハグリッドの体格に合わせた大きめの荷車の荷台に乗せる。
「助かったぞ、この季節は毎年落ち葉集めるのに苦労しちょったからな~」
「校長に業務限定で魔法仕様の了承もらったら?」
「おう、それならダンブルドアもOKするかもしれんな、二人ともお疲れさん」
ハグリッドは朱音とネビルが集めてくれた枯れ葉をリーフモールドに加工する為の作業に出かけていった………ところで吹いてきた寒風にネビルの全身がぶるぶる震えた。さっきまで特に防寒対策はしていても特に寒がる様子を見せなかったのは、それだけ耕作作業に見立てた魔法の行使に集中していた証とも言えた。
「三時だし、ティータイムにしようか」
「うん」
◇
ハグリッドの落ち葉集めを手伝った朱音とネビルは、午後三時のティータイムを楽しむべく、城へ戻ろうとしていた。
その道すがら、二人は中庭の一角で肩を寄せ合っているハリーとロンとハーマイオニーの三人の姿を見止める。
ハリーの膝には、一冊の本が広げられている。本はおそらく《クイディッチ今昔》だろう、先日図書室で借りたところに朱音が立ち会ったからだ。
今年のクイディッチ杯の試合でグリフィンドールのシーカーとしてデビューするハリーにとって、クイディッチに関する知識を少しでも広める為にロンとハーマイオニーと一緒に、《魔法の炎――ブルーベル・フレイム》が入った瓶で暖を取って読み込んでいるのだろうと、朱音は微笑ましそうに三人を眺めた。
なぜそうしてまでわざわざ外で読んでる理由は、一応スリザリンチームの生徒に対策を見聞きされるリスクを見越してのこととも見当がついていたが――。
「あっ…」
「どうしたの?」
「ハリーたちの後ろ」
◇
黒いローブが、冷たい風に揺れていた。セブルス・スネイプ教授である。冬の時期になると、彼の周囲は一層温度が下がりそうだ。
「……何をしているポッター?」
三人が一斉に顔を上げた。
スネイプの視線は、ハリーの膝に広げられた本へと落ちる。
「持っている者を見せなさい」
その低音(ベルベット・ボイス)には、例によって柔らかさはあっても温かみというものが欠片もなかった。
「図書館の本を校舎の外へ持ち出すことは禁止されている。知らなかったのかね?」
「……すみません、先生」
三人を代表してハリーが答える。
「知らなかったでは済まされん、本を渡したまえ」
スネイプは手を差し出した。有無を言わせないと主張する彼の手にハリーは渋々、本を手渡した。
「グリフィンドールから五点減点。この本は没収する」
「五点も!?」
ロンが思わず声を上げた。
「何か異議でもあるのかね、ウィーズリー?」
「……ありません」
「結構」
スネイプは本をローブの下へ収めると、踵を返した。黒い裾が石畳の上を翻り、城の方へと遠ざかっていくその様子を、少し離れた場所から朱音とネビルは見ていた。
「……あちゃあ」
「今スネイプ先生減点したよね?」
傍目からでもスネイプが寮の点数を引いたことが分かった。
「うん、まあ本を校外に持ち出すのはアウトとは校則に実際あったし」
「でも中庭で読んでる生徒、結構見る気がするんだけど……」
「マダム・ピンスも本自体無事に返してくれれば大目に見てくれるから――」
朱音はそう言ってから、何かを思い出したように眉を上げた。
「どうしたの?」
「確かハリーが借りてた本、そのマダム・ピンスが返却期限について注意していたような……」
ネビルも思い出したらしい。
「あっ、そういえば!」
「だよね、没収は没収として、図書館への返却はどうするんだろう?」
「先生が返してくれるんじゃないかな?」
「それならいいんだけどねぇ」
顎に指を添える朱音は少し考え、それから穏やかに笑った。
「まあ、聞いてみようか」
「……スネイプ先生に?今から?」
ネビルの顔が、見る見る青ざめた。朱音たちとの日々の勉強会のお陰で、魔法薬の授業中に医務室のお世話になるほどの事態は避けられているが……それでもすっかりスネイプへの苦手意識が刷り込まれていた。
「いや、まずはハリーたちに確認してから、先生と応対まで無理に付き合わなくていい」
「ごめん……」
「ネビルが謝ることじゃないよ、あの人の理不尽な評判は他の生徒も先生も認めるくらいだし」
朱音は三人の方へ歩き出した。
「やあ、みんな」
「朱音!」
ハーマイオニーが顔を上げる。
「さっきの、見てた?」
「うん、災難だったね」
「まったくだよ!たかが本を外で読んでいただけなのに、五点も減点だなんて!」
「まあ、図書館の規則だからね」
「君まであいつの肩を持つのかよ!?」
「いや、規則違反は事実だけど、先生のやり口が気に入らないことはよ~く分かる、それとこれとは別なだけ」
朱音のこの『複数ある問題を、可能な限り混同せずに個別に扱う』姿勢による発言にロンが言葉に詰まった。ハーマイオニーも、スネイプの姿勢には大いに不満そうながらも頷く。
「……それはそうね」
「ところで、ハリー」
「何?」
「あの『クイディッチ今昔』、返却期限はいつだったかな?」
「えっ?」
ハリーは少し考えた。
「確か、もうすぐだったと思うけど……」
「やっぱり」
「どうして?」
「マダム・ピンスが期限について注意していたのを思い出してね」
朱音は城の図書館がある方角へ目を向けた。
「没収されたまま返却期限を過ぎるのも困るだろう? スネイプ先生に、本の取り扱いを確認してみるよ」
「ええっ!?」スネイプに!?」
「スネイプ先生に!?」
今度はハリーとロンの声が重なった。
「うん」
朱音は何でもないことのように頷く。
「別に減点を取り消してもらうわけじゃない。図書館の本を返すために、どうしたらいいか聞くだけさ」
ハリーは少し困った顔をした。
「……でも、朱音まで怒られたりしない?」
「大丈夫。規則を破ったのは私じゃないし、正当な用件だからね、それに先生だってマダム・ピンスと喧嘩してまで図書館の本を永久に没収するおつもりではないだろうし」
「確かにね……」
ハーマイオニーが頷くも、ロンはまだ納得していない顔だった。
「でも、相手はスネイプだぞ……?」
「知ってるよ」
朱音はくすりと笑った。
「『私達(スリザリン)』の寮監だもん」
その一言に、ロンは何も言い返せなくなった。
◇
職員室の前に立った朱音は、扉を三度ノックした。
「失礼します。草凪朱音です。先ほどのハリー君たちから没収した貸出本について伺いました、マダム・ピンスから返却期限がもうすぐだとお聞きしていたので」
「入りたまえ……」
いつもより幾分低い、苛立ち混じりの声が返ってくる。それでもマダム・ピンスの名を出したからか、入室の許可自体は出してくれた。
「失礼いたします」
扉を開けた朱音が最初に目にしたのは、椅子に腰掛け、黒いローブの裾を捲り上げているスネイプ教授だった。
片脚には、何か鋭い牙に抉られたような傷が刻まれている。傍らの机には、薬瓶と包帯。スネイプは傷口に薬を塗りながら、苛立たしげに独り言を漏らしていた。
「……三つの頭をどう同時に注意すればいいのだ……忌々しい」
朱音は一瞬、目を瞬かせた。
――三つの頭?
聞き間違いでなければ、教授は確かにそう言った。
そして、その脚の傷。
「……クサナギ」
「はい」
「何を見ている?」
「先生の脚です」
スネイプの眉間に深い皺が刻まれた。
「見れば分かる! 何故見ているのかと聞いている!」
「いえ、目の前にありましたので」
「…………」
「ただ、随分と痛そうですね。お加減はいかがですか?」
「君には関係のないことだ」
「承知しました」
あっさり引き下がった朱音にスネイプは、逆に怪訝な顔になった。
「……それだけかね?」
「はい?」
「今のを聞いていただろう」
「三つの頭、ですか?」
「…………」
しまった。そう言わんばかりに、スネイプの表情が険しくなる。
しかし朱音は、斜め向きに天井を見上げて少し考えた後、静かに頷いた。
「なるほど……」
「……何がなるほどなのだ」
「いえ、スネイプ先生ほどの名手でも、油断していなくても痛い目に遭うくらい、魔法界は危ない世界なんだなと」
「…………は?」
「その事実を、肝に銘じておくに留めますので」
朱音は穏やかに微笑んだ。
「ご事情については、これ以上お尋ねしません」
「…………」
スネイプは言葉を失った。この生徒は、三つの頭という明らかに不可解な言葉を耳にした。しかも、負傷した教師の脚まで目撃した。普通なら好奇心に駆られて質問の一つや二つ、投げかけてくるものだろう。
しかし目の前の少女は、それを自分の安全意識を高める教訓として処理してしまったのである。
「……クサナギ、君は……何か疑問に思わんのかね?」
「疑問はありますよ?」
「……ほう」
「ただ、疑問があることと、それを今ここで先生に問い詰めるべきかどうかは別問題です」
「…………」
「それに、先生が何も説明されないということは、少なくとも私に話す必要はないと判断されているのでしょうし」
朱音は肩をすくめた。
「でしたら、無理に聞き出す理由もありません」
スネイプは黙り込んだ。まるで、いつもの嫌味を差し挟む隙を探しているかのように。
だが、少女の言葉には、教師に対する反抗も、無遠慮な詮索もない。
むしろ、必要以上に事情を聞かないという配慮すらあった。
「……本は、そこの机だ」
「あ、ありがとうございます」
朱音は『クイディッチ今昔』を手に取る。
「これで返却期限にも間に合います。助かりました」
「……ならば、さっさと図書館へ行きたまえ」
「はい」
扉へ向かいかけた朱音が、ふと足を止めた。
「……ああ、先生」
「今度は何だ」
「一応マダム・ポンフリーに診てもらうこともお勧めします」
「余計なお世話だ」
「失礼しました」
朱音はローブの裾を軽く整え、一礼した。
「ではスネイプ先生。お大事に」
静かに扉が閉じた。
「…………」
スネイプは閉じた扉を睨んだまま、しばらく動かなかっが、やがて深々と息を吐いた。
◇
数分後――スネイプは包帯を巻き直しながら、先ほどの会話を思い返していた。
『スネイプ先生ほどの名手でも、油断してなくても痛い目に遭うくらい魔法界は危ない世界と肝に銘じておくに留めますので』
「…………」
思い出すだけで、眉間の皺が深くなる。
怒鳴りつける理由もない。
減点する理由もない。
秘密を暴こうとしたわけでもない。
むしろ、教師としては褒めるべき慎重さである。
だからこそ解せない……あの少女は、何を考えている?
疑問を抱いていないわけではない。脚の傷も、三つの頭という独り言も、確実に見聞きしていた。
しかし、関心はあっても詮索しなかった。教師が事情を説明しないと判断した以上、踏み込む必要はないと。そればかりか、負傷した自分を心配していた。
「……まったく」
これが他の生徒ならば――
こちらの言葉に反発する。
不満を隠しきれず顔に出す。
恐怖でしどろもどろになる。
またある者なら納得するまで、しつこく質問を重ねてくるかもしれない。
だが彼女は決定的に違う。こちらの言葉を聞き、必要なら質問し、答えが得られなければ引き下がる。しかも、引き下がった後も自分の頭で考えることをやめない。
「……厄介なことだ」
そのとき、職員室の扉が開いた。
「セブルス?」
入ってきたのはマクゴナガル教授だった。
「随分と気難しい顔をしていますね」
「いつものことです、ミネルバ」
「そうでしたね」
マクゴナガルは涼しい顔で応じた。この通り生徒がおらず教職員同士しかいない場では、二人ともお互いをファーストネームで呼び合っている。
「ところで、先ほどミス・クサナギが図書館へ向かっていましたが、何かありましたか?」
「……没収した本を取りに来ただけです」
「それは結構」
「……あの生徒は、少々変わっている」
「あら?」
マクゴナガルは今のスネイプの口から零れた表現(ことば)に、片眉を上げた。
「今さらお気づきになったのですか?入学早々、あれほど印象的な発言も行動も重ねている生徒ですよ」
「それは承知しています」
スネイプは苛立たしげに答えた。
「問題は、彼女がこちらの指導に対して、妙なほど素直だということです」
「素直なのは結構なことでは?」
「……素直でありながら、決して受け身ではない」
マクゴナガルの表情が、少しだけ変わった。
「……なるほど」
「規則を指摘すれば認める。正当な処分なら受け入れる。質問を拒めば引き下がる、しかし、こちらの言葉を無批判に受け入れているわけではない。常に自分なりの結論を出している」
「それは、教育者として歓迎すべき姿勢でしょう」
「……理屈の上ではな」
腕を組みなおし、どうにも解せんと書いてあるスネイプの仏頂面に、マクゴナガルは口元を緩めた。
「セブルス。ひょっとして叱る理由が見つからなくて困っているのですか?」
「断じて違いますぞ」
「そうですか、それなら何よりです」
自身の机に腰掛け、書類を纏めるマクゴナガルの眼鏡の奥に、微かな笑みが宿る。
「ミス・クサナギは、あなたの魔法使いとしての腕前を高く評価しているようですね」
「……何故そう思うのです?」
「以前、呪文の応用について話した際、あなたの知識と技量を褒めていましたから、随分と尊敬されているようですよ」
スネイプは沈黙した。
確かに日頃のあの少女の態度に、嘲笑はない。今回にしても、自分の負傷を見て本当に魔法界の危険性を再認識していたようだった。
その結論も、間違ってはいない……間違っていないからこそ――。
「……忌々しい」
「セブルス」
「何です?」
「生徒に尊敬されているのですから、少しくらい喜んではいかがです?」
「好かれるために教職に就いているわけではありません」
「ええ、存じています」
マクゴナガルは、いかにも愉快そうに頷いた。
「ですが、尊敬されることと好かれることは、必ずしも同じではありませんよ」
長年共にホグワーツで教鞭を振るう同士である同僚からの言葉に今度こそ、スネイプは返す言葉を一時失いつつも、眉をひそめ。
「彼女は、この傷を見たのです」
学校の警備に関する業務で負った『噛み傷』を見られた件を、彼女に打ち明けた。
怪我のことは既に存じていたマクゴナガルは、何食わぬ顔で自分で淹れた紅茶を一口飲む。下手に気遣ってもスネイプ本人は突っぱねるだけだと、長年の付き合いで重々承知していた。
「それで?」
「傷を見て、私が何か危険なものに遭遇したことを察したはずです。三つの頭という言葉まで聞いている」
「まあ」
「にもかかわらず、詮索しなかった」
スネイプは忌々しげに続ける。
「それどころか、私ほどの魔法使いでも負傷するほど魔法界は危険なのだと、教訓を得て帰っていきました」
「……なるほど」
マクゴナガルの口元は、またも感心の微笑みが浮かばせた。
「いかにも彼女らしいですね」
「……何故そう思うのです?」
「ミス・クサナギは、危険を軽く見積もることを嫌う傾向がありますから」
「まだ十一歳の子どもがですか?」
「十一歳の魔法使いの子どもだからこそでしょう、自分にできることと、できないことを見極める。知らないことがあれば認める。そして、必要なら大人の助けを求める」
「…………」
「先日のトロール騒動でも、そうでした。クサナギさんは、トロールを倒そうとはしなかった。グレンジャーさんと一緒に逃げ、私たちと合流することを選んだのです」
「賢明な判断だったのは事実ですな」
「ええ」
珍しく皮肉を抜いたスネイプの発言に、マクゴナガルは頷いた。
「ただし、あの子が最初からそうした判断を何の苦労もなくできたとは、私は思っていません」
その声には、どこか含みがあったのに気づき、スネイプは目を細める。
「……何かご存じなのですか?」
マクゴナガルは、しばし沈黙した。
脳裏をよぎったのは、組み分け帽子から知らされた、あまりにも信じ難い話。そして、その後にダンブルドアとともに校長室の場ににて朱音本人から聞いた言葉だった。
かつて、別の生を歩んだ存在。
人間とは異なる身体で、異なる世界を見てきた記憶。
それでも今は、ホグワーツで学ぶ十一歳の魔法使いの、一人の少女。
「……ええ、少しばかり」
「ほう?」
「ですが本人の許可なくお話しすることではありません」
自分の口からは申し上げられないと表明するマクゴナガルに、スネイプの眉間の皺が少し深まった。
「……秘密、というわけですか」
「誰にでも、他人に知られたくない事情はあるものです」
彼女はスネイプの負傷した脚へ一瞬だけ視線を落とす。
「あなたにもいくつか心当たりがおありでしょう?」
実際、その『いくつかの心当たり』の絡みでスネイプは黙り込んだ様子を見せた。
「ただ、申し上げられることが一点ございます」
「何です?」
「ミス・クサナギがあなたを尊敬しているのは、間違いなく彼女自身の意思によるものです。彼女は、肩書きだけで人を判断する子ではありませんから」
合間に紅茶を嗜み、デスクワークを進めながらマクゴナガルは静かに微笑んだ。
「そして、あなたの傷を見て危険を学んだというのも、おそらく本心でしょう」
「……それは分かっています」
口ではそう答えつつも、彼の顔は相変わらず不機嫌そうだ。
「だからこそ、調子が狂うのです」
「ふふっ」
「今のどこに笑う要素が?」
「いいえ。あなたがそこまで生徒のことを考えていらっしゃるのが、少し嬉しくなっただけです」
「私とて寮監です……ミネルバ」
「存じていますとも」
マクゴナガルの笑みが、ほんの少し深くなった。
――セブルス。
あなたが戸惑うのも、無理はありません。
あの子には、あなたの知らない過去がある。
けれど、その過去を一端ながらも存じている私でも、ダンブルドア校長でさえ、今のあの子がこれから何を学び、どんな魔女に育つのかは、まだ知らないのです。
密かに心中で呟くマクゴナガルは、窓の外へ目を向ける。
十一月の冷たい風が、校庭の木々を揺らしていた。
つづく。
編集担当でもあるAIさんと話の流れを練ってる内に、苦労人属性が付きつつある本作時空のスネイプ先生です。