ハリー・ポッターと玄武(ガメラ)の少女 作:フォレス・ノースウッド
ドラマ版はどう魅せてくるのやら。
原作準拠だからハリー君がお互い名前も知らずにマルフォイと会って『こいつダドリーみたいなイヤなやつ』は確実にあるでしょう(コラ
ロンドン、チャリング・クロス街の古びた建物が並ぶ通りの一角に、その店はあった――名は『漏れ鍋』。
魔法使いたちが行き交う、少しばかり薄暗いパブ、その入口の前で、丸眼鏡をかけた痩躯な少年と大男が立ち止まっていた。
「ここが……?」
「そうさハリー、ここが漏れ鍋だ」
ルビウス・ハグリッドは、満足げに大きな髭を揺らした。
「このハブから魔法使いの街、ダイアゴン横丁に行けるんだ」
ハリー・ポッターは、眼鏡の奥の緑色の瞳を瞬かせた。
つい先日まで、自分はごく普通の少年だと思っていた。
いや、正確には、普通であることを強いられていた。
ダーズリー家では、何か不思議なことが起これば怒られた。
ところが、先日突然現れたこの大男――ハグリッドとあの女の子は、自分が魔法使いだと打ち明けてくれてそして今日は彼と、ロンドンの真ん中にある、どう見ても普通ではない店へ連れてこられた。
「……本当に、ここで合ってるの?」
「もちろんだとも!」
ハグリッドは豪快に笑い、扉を開けた。
◇
一、漏れ鍋で待っていたあの少女
店内は薄暗かった。
木製のテーブルと椅子、壁に灯るランプ。昼間だというのに、外とは全く別の時間が流れているようだった。
なんとなく、世界一有名な名探偵が活躍していた時代のロンドンもこんな感じだったのでは?とハリーは幼いながらにその空気感を嗅ぎ取る。
「よおハグリッド」
「やあトム」
ハグリッドがトムと呼ばれたこの店の亭主らしい男に常連客らしく軽い挨拶をして店内を見まわしていると。
「いたいた」
漏れ鍋の窓際に、一人の少女が窓からの陽光を浴びながら本を読んでいて、そこだけ店外のロンドンとも店の中とも違う様相を醸し出していた。
葡萄色がかった長い黒髪。
鮮やかな翡翠色の瞳。
整った顔立ちには、まだ十一歳らしい幼さが残っている一方で、その姿勢の優れた佇まいは妙に落ち着いて凛々しさも帯びている。
テーブルには飲みかけの紅茶、その味を合間に挟みつつ少女はページを一枚ずつ丁寧にめくり、ふと顔を上げて振り返った。
「……おや?」
ハグリッドとハリーが店に着いたことに気がつき、本を閉じてにっこりと微笑んだ。
「遅いよルビおじさん」
「悪い朱音、待たせちまった」
ハグリッドは嬉しそうに片手を上げた。
「マグルの列車……でんしゃだったか?あれに大分手こずっちまって」
「おじさんの身体に合う椅子が無いからね……」
「あれに毎日乗って出勤してるマグルの根性はどうなっとるんだ?」
「どちらかと言うと慣れ、かな?」
ハグリッドと対格差も年齢差もものともせずに気さくに会話できる少女は草凪朱音――ハリーの十一回目の誕生日をバースデーケーキを引っ提げて祝福してくれた少女その人。
「あの時は聞けなかったけど……ルビおじさんって?」
ハリーが思わず聞き返す。朱音は本に栞を挟み、椅子から立ち上がった。
「『ルビウス・ハグリッド』だから、友達のルビおじさん♪」
「なるほど…………」
ハリーはハグリッドを見上げた。
身長三メートルを超える巨漢。
ぼさぼさでもじゃもじゃな髪と髭。
さすがに子どもが気軽に『おじさん』と呼べる雰囲気ではない。
「……そう呼んでるの?」
「うん、親しみを込めてね」
「はっはっは! 朱音は昔っからこうなんだ!」
ハグリッドは上機嫌だ……なんだか彼の嬉しさは、彼女から誕生日を祝ってくれた時の自分と似ている気もしたハリーである。
「改めて初めまして、草凪朱音だよ。朱音でいい」
「あ……僕はハリー、ハリー・ポッター……ハリーでいいよ」
「うん、よろしくね、ハリー」
二人は握手を交わした。
それは、ごく普通の同い年の少年少女が交わし合う挨拶そのものだった。
少なくとも、朱音とハリーにとっては――しかし。
「……ポッター?」
カウンターの向こうで、漏れ鍋亭主のトムが顔を上げた。
「いやはやハグリッド、その子がハリー・ポッターだ?」
ハリーの名前が響いた次の瞬間、店内中がざわめき出した。
◇
二、ただの男の子として
「ハリー・ポッター!?」
「まさか、あの『生き残った男の子』!」
「本当に生きていたんだな!」
各々飲食やら煙草らやら雑談に興じていた店内の魔法使いたちが、次々と席を立って押し寄せ、あっという間に、ハリーの周囲へ人だかりができる。
「おかえりなさいポッターさん!」
「是非、握手をお願いできます!」
「お会いできて光栄です!」
「なんということだ……!」
差し出される手と興奮した声。
対するハリーは完全に面食らい、一人一人にどうにか軽く会釈するだけで手いっぱい。
「えっ、あの、その……」
さらに自分の額にある稲妻形の傷痕を、まざまざと見つめる視線、ハリーには、何が何だか分からない、彼からすればハグリッドたちから出自を聞いたこの前まで、ダーズリー家の厄介者であること以外は一応、一介の少年でしかない。
それが、今は見知らぬ大人たちからまるでアーサー王ばりの大英雄のように扱われている。
(……僕、何もしてないのに、どうして皆……)
そんな困惑を抱いていたとき。
「……ハリー」
人垣の向こうから朱音が、詰めよる大人たちの間をすり抜けてきた
「随分と人気者だね」
「……う、うん」
「でも、そろそろお買い物に行かないと」
「……あっ」
ハリーは、ようやく助け舟が来たような気分になった。
朱音はハリーへの人だかりの勢いが止まらぬ魔法使いの大人たちへ向き直る。
「皆さん、すみません、ハリー君はこれからホグワーツに必要な教材を揃えないといけないんです」
にこりと、英国淑女の鑑と表されそうなくらいの上品な笑顔。
「ご挨拶はこの辺りでよろしいでしょうか?ハグリッドと横丁へ案内したいので」
「お、おお……」
「そりゃそうだな」
「すまなかったね、ハリーくん」
朱音の説明と合いの手のジェスチャーで納得がいったらしい大人たちは、少しずつ道を空けた。
「さあ、行こうか」
「……ありがとう」
「どういたしまして♪」
ハリーは、先の人だかりが起きた瞬間から聞きたくてたまらなかった疑問を朱音に尋ねてみる。
「……朱音は、僕のことを知ってるの?」
「うん、有名な話だからね」
「……じゃあどうして」
「どうしてって?」
「君は……みんなみたいに、驚かないの?」
顎に人差し指を添えて朱音は少し考えた。
「……だって、今ここにいるのは、ハリーという男の子でしょう?」
そして、きょとんと首を傾げ、なんでもないことの様に言う。
「有名人だとしても、初めて会った相手にいきなり大勢で囲まれたら、びっくりするよね、それに私はこれから同じ学校に通う友達として、君と仲良くなりたいから、かな」
ハリーは、彼女を見つめた。
魔法の世界では有名な『ハリー・ポッター』だの『生き残った男の子』だの、そんな肩書きではなければ、いとこのダドリー含めそれまで通っていた学校の生徒から体のいい鴨扱いでもない。
『ただのハリー』。そのように接してくれる同年代の子どもは、彼にとって初めてだった。
「……うん」
ハリーは小さく笑った。
「僕も……そう思う、そうなりたい、かな」
「ふふっ、よかった♪」
ハグリッドは二人を見下ろし、嬉しそうに髭を揺らした。
「よし! それじゃあ、ダイアゴン横丁へ行くぞ!」
◇
三、魔法の街への入口
ハグリッドを先導に、漏れ鍋の裏庭に出るとそこには、古びたレンガの壁があった。
「まあ、見てな」
ハグリッドは桃色の傘――に偽装した《魔法の杖》を取り出した。
そして、壁のレンガを数え始める。
「三つ上がって……二つ横……」
傘(つえ)の戦端レンガを叩くと、レンガが一人でに動き始めた。
「ええっ!?」
丸眼鏡くらい大きく緑の目を見開いて驚くハリーと、表情は涼しげだが翡翠の双眸は好奇心を隠しきれてない朱音をよそにレンガは一つ、また一つと動いで壁が内側へ折り畳まれるように移動し、やがて巨大なアーチ状の入口が現れる。
その向こうには、魔法使いたちで賑わう、色鮮やかな商店街が広がっていた。
「さあようこそ――《ダイアゴン横丁》だ」
「……すごい」
ハリーは呆然と呟き、朱音も瞳の輝きが増し、二人とも思わず感嘆の声が漏れた。
「これは見事な仕掛けだねぇ♪」
「だろう!」
ハグリッドは得意げに笑った、ハリーと朱音は、並んでアーチをくぐり、魔法界でも屈指のショッピング通り《ダイアゴン横丁》の喧噪が、見上げる二人の視界一杯に広がっていく。
「羽根ペンとインクはそこの文具店、魔法の薬を煎じるのに使う鍋はどこだな、どれも懐かしい……」
空飛ぶ箒を売る店。
魔法で作られた薬の材料を並べる店。
ふくろうが鳴き、真昼間でもコウモリがぶら下がっているペットショップ。
ショーウィンドウに飾られている衣服がローブな服飾店。
見たこともない品々と、マグルの世界では絵本や映画やテレビドラマらいずれも創作の中にしかないいかにもな魔法使いの格好をした老若男女問わず堂々と街中を行き交う様が、魔法使いの卵な二人を盛大に出迎える。
「……全部、魔法の店なんだ」
「そうだね」
興奮を隠しきれないハリーに、朱音も楽しそうに辺りを見回し、あれもこれもと視界は眼前の光景から押し寄せる新鮮な情報を欲張りに二人の脳髄(いしき)へ取り寄せていた。
「あれって……」
ハリーはふと、自分よりも幼い子どもたちがガラスに張り付いて眺めるショーウインドウに飾られた箒と、なんだかスポーツ選手みたいに派手なローブと籠手やブーツ一式が目に入った。
「多分クイディッチ用の魔法の箒とユニフォームだね」
「クイディッチ?」
「魔法界のスポーツ、箒でビュンビュン飛び回ってゴールにボールを投げ入れる競技だってグランパが言ってた、ホグワーツでもトーナメントが毎年開かれるくらい人気なんだって」
「へぇ~……」
口が開きっぱなしになっても無理がないほど、ハリーたちを夢中にさせる風景はまだまだ続く。
「これは学校用教材を探すどころじゃ収まらないね」
「うん!」
朱音の言葉に勢いよく応じるハリーは、本当に久しぶりに心から笑っていた。
◇
四、グリンゴッツ魔法銀行
ダイアゴン横丁の奥にて白い大理石の建物が、ひときわ威厳を放っていた。
グリンゴッツ魔法銀行。
入口に立つゴブリンを見て、ハリーは目を丸くする。
「……あれがゴブリン?」
「そうさ、魔法界の銀行を仕切ってるんだ、仕事熱心だが気難しい奴らだから気をつけろよ二人とも」
ハグリッドは二人を店内へ案内した。
銀行の内部には、長いカウンターが並んでいる。
その向こうでは、ゴブリンたちが帳簿をめくり、金貨を数えて仕事に勤しんでいた。
「ポッターさんと草凪さんとこの金庫を開けたいんだが?」
「鍵はお持ちですかな?」
「ちょいと待っちょくれ、え~と……」
まずはハリーの番、ハグリッドはコートの内側からどこに入れたか四苦八苦して見つけた鍵二つを受付役のゴブリンに提示する。
「後もう一つ、ダンブルドア教授からだ」
厳重に魔法も掛けられたと思われる紐で十字に結ばれた封筒を、受付に手渡すハグリッド。それを手に取ったゴブリンの仕草で、朱音の常人より視力のいい目は確かに。
(極秘(Top Secret)……なら聞かない方がいいか)
封筒の赤い文字を捉えてしまったが、それだけ重要な仕事なら聞かぬ方がいいと判断して素知らぬ振りを決め込む朱音だった。
また別のゴブリンの従業員の案内で地下金庫へ繋がる専用トロッコに乗る三人、
「掴まってて下さい」
従業員がレバーを操作すると、トロッコが凄まじい勢いで走り出した。
「うわあああっ!?」
ハリーは必死に手すりへ掴まった。
対して隣では――。
「おおっ♪」
朱音が楽しそうに目を輝かせていた。
「なかなか爽快だねぇ!」
「そ、そうかな!?」
「遊園地のジェットコースターみたいだよ」
「……僕は、ちょっと怖い!」
ハグリッドの方はと言うと、大半が髭に覆われた顔が青ざめてで口を押さえていた。
「……うっぷ」
「……ルビおじさん、大丈夫?」
「……だ、大丈夫だ……」
朱音は苦笑した。
「ふふっ。帰りはもう少しゆっくりだといいね」
まずはハリーが使うお金の引き出しから。
ポッター家の金庫の重厚な扉が開かれると、そこには大量の金貨、銀貨、銅貨が積み上げられていた。
「……これ、全部?」
ハリーは呆然とした……まさか自分の家族がこれだけの大金を置き土産にしていたと思ってもみなかったからだ。
「そうさ、お前さんの両親が残してくれたものだ」
「正確には、君のおじいちゃんが発明した魔法薬のヒットでできた遺産だよ」
「へぇ……」
ハグリッドは穏やかに答え、朱音が補足した。
ハリーは、しばらく金貨を見つめていた。
ダーズリー家では、必要なものを買ってもらうことさえ難しかった。
そんな自分に、これほどの財産が残されていた。
朱音は、その横顔を静かに見守った。
そして、ハリーが必要な分を取り出し終えるまで、余計なことは言わなかった。
続いて、朱音の口座用金庫。
「……草凪朱音(アヤネ・クサナギ)様のですね」
ゴブリンが帳簿を確認した。
「魔法省特別支援金の管理口座から、所定の額をお引き出しですね」
「はい、お願いします」
朱音は必要な書類を差し出した。
そのやり取りにハリーが首を傾げる。
「おじさんたちにも言ってたけど……その特別支援金って?」
「私の事情を考慮して、魔法省から生活と就学のための支援を受けているんだ」
「……そうなんだ」
「だから無駄遣いはできないね」
ハリーは、それ以上朱音の家庭事情について尋ねなかった。朱音にも、自分と同じように、他人には簡単に話せない事情があるのかもしれない……そう思ったからだ。
朱音もまた、ハリーの両親の遺産含めて、興味本位で必要以上に話したり、ハグリットから聞き出したりを控えていた。
二人の間には、言葉にしない確かな思いやりを送り合う中――。
「俺がここで受け取ったもののことは誰にも話さんでくれ」
「うん」
「分かった」
一際厳重そうな仕掛けが施された《713番》の金庫の扉が開き、ハグリッドは広い庫内の中央にぽつんと置かれていた、茶色がかった布地でくるまれてハリーたちの掌でさえすっぱり収まる物体を手に取り、コートの内にしまい込んだ。
ハグリットからの注意通り二人は、その『なにか』のことは聞かずに黙ったまま、金庫は再び閉められたのだった。
◇
五、オリバンダーの店
お金を引き出したハリーたちはまずマダム・マルキンの洋装店でホグワーツの制服を買い。
天井にまで本棚が設置され、魔法で重力に従わずに並んでいるのが分かるフローリシュ・アンド・ブロッツ書店にて各教科の教科書一式……なのだが販売している書物の数々もつい手に取って読みたくなるものばかりで、朱音もハリーもつい店内のフロアを一通り回ってしまう程の寄り道をしていた。
「純金製の大鍋か……」
「でもリストには錫の鍋指定だって、実際材質の違いで熱伝導も保温力も化学反応で薬の出来の差が料理以上に出てきそうだから、今回は基礎的な錫にしよう」
「俺も賛成だな、特に今の魔法薬の先生は大分優秀じゃがめっちゃ厳しいぞ、純金を持ってきたらな~に言ってくるか……」
「じゃあ基礎から……」
「そうだね♪」
食器店では手紙に記載されていた通りの『錫の鍋』を買った。
ペットショップでは、ハリーのための全身が真っ白な羽毛に包まれるフクロウを買い。
そうして残るは魔法使いならマグルの創作でも十八番な『杖』を求めて三人は、細長い古びた店の前に立っていた。
看板には、こう書かれている。
オリバンダーの店――紀元前三八二年創業。
「ここで杖を買うんだね?」
「ああ、杖の専門店は他にもあるが断然ここさ、ところで……紀元前三八三年って何年前だ?」
「二三七二年くらい前」
朱音の計算力でそんな大昔からある老舗だと聞いたハリーは、顔に現れる程の緊張感が強まった――のをよそに、ハグリッドは扉を開けた
鈴の音が響く店内は薄暗く、天井まで積み上げられ、棚によっては蜘蛛の巣もできてる細長い箱たちが詰み上がって店中を埋め尽くされていた。
「いらっしゃい」
店の奥から梯子から降りたと思われる足音を経て、老人の声がしてカウンターまでやってくる。
「久しぶりだなおやっさん、紹介するよ、ハリー・ポッターと草凪朱音(アヤネ・クサナギ)のお二人さんだ」
「どうもこんちにわ、ギャリック・オリバンダ―と申します」
「「はい」」
瞬きを全くさせない銀色に光る瞳を持つ杖専門店の主人なご老人は、二人をまざまざと見つめた。
「君らが来る日を、お待ちしていました、貴方がたのご家族に杖をお売りしたのがつい昨日のことのようです」
「それですみません、オリバンダーさん」
「……はい?」
「試してみたいことがあって」
朱音は積み上げられた杖の箱の山を指差して見渡す。
「杖が魔法使いを選ぶんですよね?」
「その通りです、お詳しいですね」
「それなら……こちらから尋ねてみてもいいでしょうか?」
「はて……尋ねる?」
「はい」
ハリーもなんのことか分からず傾げた頭に疑問符を浮かべ、主人も銀色の瞳から同じ心境であることを表している。
「……朱音?」
「ちょっと待っててね」
静かに目を閉じた朱音は右手を、ゆっくりと前へ差し出す。
深呼吸して息を整え、意識を研ぎ澄ませる
力で引き寄せようとはしない。
無理に従わせようともしない。
ただ、店内にて自分だけの主人が来る日を待ちわびているであろう杖たちに問いかける。
(……私と共に歩みたいのは、誰?)
――語りかけたその瞬間。
「え?」
ハリーが音がした方に目を向けた。
店の奥の積み上げられた箱の一つが、僅かに動いた。
オリバンダー主人の銀色の瞳も見開く。
「……まさか」
主人が朱音の意図を理解した刹那、一つの箱が、棚から飛び出してくる
「うわっ!?」
余りの勢いでハリーが思わず身を引く。
浮き上がる箱の蓋がひとりでに開き、中から一本の杖が飛び出した。
深い赤褐色の木肌。
繊細な彫刻。
柄頭には、小さな翡翠の宝玉。
その杖は、空中を滑るように飛び――朱音の右手へ、ぴたりと収まった。
彼女の瞳と同じ色な柄頭の翡翠の宝玉が、柔らかな緑色の光を放った。
朱音の長い黒髪が、微かな風に揺れる。
積み上げられた箱が、かすかに震えた。
しかし、何一つ倒れない。
杖を持つ彼女の周囲には魔力が溢れていながら、どこまでも静かだった。
まるで、杖と少女が最初から、こうして出会うことを知っていたかのように。
「…………」
ハリーは、呆然とその光景を見つめた。
「……すごい」
ハグリッドも目を丸くしている。
「……こいつぁ、たまげた」
朱音はゆっくりと目を開き、手の中にある杖を見つめる。
「……君だったんだね」
微笑む朱音の呼びかけに応じるが如く、柄頭の翡翠が、もう一度だけ淡く輝いた。
選ばれるのを待つのではなく、自ら問いかけ、その呼びかけに応えたものを受け止める。
ただし、朱音はその出来事を奇跡として誇るつもりなどなかった。
「……よろしくね、相棒♪」
彼女は杖へ、そう囁いた。
◇
六、イングリッシュオークとユニコーン
「……驚きましたな」
オリバンダー主人にとっても滅多にお目にかかれない光景だったらしく、ようやく口を開いた。
「……いや~実に興味深い、長年ここで杖が魔法使いを選ぶ瞬間を見てきましたが、自ら呼びかけるのはあなたが初めてですよ草凪さん」
「杖が選ぶのでしたら、『私と一緒に歩んでくれるのは誰?』とこっち聞いてみようと思いつきまして」
「今のって珍しいんですか?」
「ええ、ご先祖の皆様もこんな貴重な瞬間を目にできたのはほんとに希の中の希でしょう」
主人は朱音の意志に応じてくれた杖を見つめた。
「イングリッシュオーク、ユニコーンのたてがみ、十二と四分の一インチ」
長年この商売をしているだけあり、オリバンダ―主人は一目で杖の材料とサイズを突き止める。
「しなやかで、弾力がある上に勇気と忠誠心、そして自然との深い親和性を持つ魔法使いと特に相性のよい木材です、そしてユニコーンのたてがみは、安定した魔法を生み出し、持ち主に忠実であることが多い」
「……なるほど」
「しかし、これほどものが自ら進んで持ち主のもとへ向かうとは……」
主人は感心さたっぷりに銀の目を細め、朱音は杖を眺めた。
「これから長く付き合う相棒ですからね、お互いに納得していた方がいいでしょう?」
オリバンダーの口元が、僅かに上がった。
「……実に面白いお嬢さんだ」
ハグリッドは誇らしげに笑った。
その巨漢に相応しい生命力を発するのを除けば、完全に孫を褒めちぎるお爺さんそのものだ。
「だろう! 朱音はこういう奴なんだ!」
「ルビおじさん、褒めすぎだよ」
「何言ってんだ!」
ハリーもハグリッドに続いて笑う……今日だけで何度笑えたことか。
「でも、本当にすごかったよ、朱音」
「ありがとう、ハリー」
朱音も穏やかに微笑み返す。
「さあ、次は君の番だね」
◇
七、もう一つの運命
オリバンダーは、ハリーへ向き直った。
「……さて、ミスター・ポッター」
老人は、まだ朱音の杖が飛んできた棚を気にしていた。
「ひょっとすると……あなた様の杖も同じように――」
そう言いかけて、首を振る。
「……いや、まずは試してみましょう」
ハリーは緊張した面持ちで頷いた。
「……はい」
オリバンダーは最初の杖を差し出した。
「振ってみてください」
ハリーが杖を振る、棚の上の物が弾け飛び、杖を掲げたまま彼の全身が一瞬固まる。
「……違いますね」
主人は即座に杖を取り上げた。
「では、こちらを」
次に持ってきてくれた杖を振ってみるが、またしても店内の備品が砕けたりと騒ぎが起こる。
「……これも違う」
オリバンダ―ほどの審美眼でも、一発でお客と惹かれ合う杖を当てるのは難儀かつ、不釣り合いな組み合わせで店内が荒れる事態はしょっちゅうらしく、主人は次の候補を探すのに明け暮れる。
主人の背中を見つめるハリーは困惑していた。
「見つかるのかな……僕だけの杖」
「大丈夫だよ、焦らなくてもいいんだ、君の相棒もこの中にどこかにいるよ、きっと」
「……うん」
オリバンダーは、やがて店の奥のさらなる奥へ向かった。
「……そうですな……ひょっとすると」
棚の奥から、一際年季が入ってそうな古い箱を取り出して持ってくる。
「……これかもしれません」
オリバンダーは箱を開き、ハリーに差し出す。
「柊の木。十一インチ。しなやか……試してみてください」
ハリーは、恐る恐る杖を握った――次の瞬間。
柄を通じて暖かな感覚が、指先から全身へ広がった。
杖の先から、金色の光が溢れ出す。
柔らかな風と光が、店内をゆったりと駆け巡り、ハリーたちの髪が靡いた。
「……あっ」
これまでの杖とは、明らかに違う実感がハリーにはあった。
まるで、自分の手に最初から馴染むべきものが収まったようだ。
「……これだ……これが、僕の杖なんだ」
朱音はも嬉しそうに微笑んで合いの手をする。
「よかったね、ハリー♪」
ハグリッドも大きく頷いた。
「ようやく見つかったなハリー!」
喜び一色な三人、しかし対照的にオリバンダーだけは、戸惑いで驚愕した表情で杖を見つめていた。
「……不思議じゃ」
主人は呟いた。
「……実になんとも……不思議じゃ……」
◇
八、二本の不死鳥の羽根
「なにが、そんなに『不思議』なんですか?」
「いやはや……」
ハリーが三人を代表して質問すると、老人は静かに答えた。
「ただ、非常に珍しいことなのです」
「この杖の芯ってもしかして……不死鳥の尾羽ですか?」
驚きで視線を宙に泳がせていたオリバンダーが朱音を見た。
「……ご存じでしたか、草凪さん」
「はい、杖の芯に使われる素材について自分で少し調べていたので、ベテランの貴方がここまで不思議と言える珍しい素材があるなら……そうじゃないかな、と」
朱音の推理に主人は頷いた。
「そうです、この杖には不死鳥の尾羽が使われています」
「不死鳥……」
ハリーは自身の手の内の杖を見つめた。
「そして、この杖に使われた羽根を提供した不死鳥は、もう一本の杖にも羽根を与えました」
オリバンダーの声に籠る度合いが低くなった。
「同じ不死鳥から得られた尾羽を芯に持つ杖は、この世に二本だけ」
息を呑むハリー、朱音とハグリッドも同様に
「……二本?」
「ええ」
オリバンダ―は、ハリーの額の稲妻(きずあと)へ目を向けた。
「一本がハリー君を選び、もう一本は……君に、その傷痕を付けた者の杖なのです」
「……僕の、傷痕?」
魔法使いだと知るずっと前から、ただの傷痕じゃないとハリーも薄々感づいていたが、オリバンダーの反応からして、自分の想像以上の経緯があるらしい。
「……そうです、あなたがこの杖を持つとは」
額に手を当てたハリー、どうやらその男が使った杖と、自分を選んだ杖が、同じ不死鳥の羽根を芯に持っている兄弟であり、他ならぬその者が自身の額に稲妻の形をした傷痕を刻み付けたらしい。
「その杖の持ち主は、誰です?」
「その名は口にも出せん……」
ハリーが尋ねるも、名は出せぬと返す主人、ハグリッドもなにか知ってるらしいが……気まずそうにだんまりを決め込んでいる。
「『名前を言ってはいけない』……あの方ですか?」
朱音からの核心に迫ったらしい問いに、オリバンダ―主人は黙して頷き。
ハリーは片手を額に添えたまま、杖を見つめ続けている。
先ほどまで、温かな感触を伝えてくれていた一本の杖。
それが今は、何か恐ろしい秘密を抱えているように思えた。
「……どうして、僕を選んだんだろう?」
誰に尋ねるでもなく、ぽつりと呟く。
「それは私にも完全には分かりません、杖が主を選ぶ理由はまだ奥深く、神秘に包まれているのです」
「……でも、僕にこの傷をつけた人の杖と、兄弟なんでしょう?」
ハリーの声には、わずかな不安が滲んでいた。
朱音はその言葉を聞き、少し考えてから口を開いた。
「……ねえハリー、その杖を初めて握った時を思い出せる?」
「え?」
「何を感じて、ハリーはどんな気持ちだった」
ハリーは、先ほどのこの杖とめぐり合えた瞬間を思い返した。
「……温かかった。それに、何だか……これが僕の杖なんだって、そんな気がした」
「そっかじゃあ、その気持ちも大切にしていいんじゃないかな」
「……でも」
「怖くなるのも分かるよ。知らなかった繋がりが突然出てきたんだから、私も似た経験をしたことある」
朱音は、自分の右手に杖に目を落とし、再びハリーの杖を見据え直す。
「でもねハリー、杖が君を選んだのなら、これからその杖で何をするかは君が決めればいい」
「……僕が?」
「そう、杖がどこから来たかと、君がどんな魔法使いになりたいは、同じ話じゃないでしょう?」
ハリーは、もう一度杖を見つめた。
「多分だけど、その杖が君を選んだの、杖自身も上手く説明できる理由はないかもしれないし、理由なんてむしろ、君たちで作っていくものはないかな?」
「そうなのかな……」
「少なくとも、今ここで全部分からなきゃいけない理由はないさ」
朱音からのその言葉に、額に影が差していたハリーはようや重くなっていた顔を上げた。
「……うん」
まだ不安が消えたわけではないが、こうして出会えた杖を手放そうとは思わなかった。
オリバンダーとハグリッドは、そんな二人を静かに見つめていた。
片や、自ら杖へ問いかけ、その応答を受け取った少女。
片や、恐るべき魔法使いと奇妙な縁で結ばれた杖に選ばれた少年。
どちらも、これまで見てきた魔法使いたちとは少し違っていた。
「草凪さん」
「はい?」
「あなたは、なかなか興味深い考え方をなさる」
「そうですか?」
主人は微笑んで頷く。
「……杖は魔法使いを選ぶ。しかし、杖が持ち主の人生すべてを決めるわけではない」
「私もそう思います」
朱音も頷き返、し自分の杖へ目を落とした。
「……相棒が決まったからには、仲良くやっていきたいですね」
ハリーも、手の中の杖を見つめる。
「……僕も」
二人は顔を見合わせ、そして自然と笑い合った。
◇
九、帰り道――二人の一年生
オリバンダーの店を出た頃には、ダイアゴン横丁も夕方の賑わいに包まれていた。
ハリーは、新しく買った杖の箱を大切そうに抱えていた。
朱音もまた、翡翠の宝玉を持つ杖を丁寧にしまっている。
「……ねえ、朱音」
「おや、何だい?」
「ホグワーツって、どんなところなんだろう?」
「ふふっ。私もまだ入学前だからね。詳しくは分からないよ」
「……そっか」
「でも、楽しみだね」
「……うん!」
ハリーは笑った。
「僕、魔法をちゃんと使えるようになりたい」
「いいねぇ」
「それに……友達も、できたらいいな」
朱音はきょとんとした顔で、翡翠の双眸をぱちぱちとしている。
「朱音?」
「もう一人、できているんじゃないかな?」
ハリーは目を瞬かせ、朱音は夕焼けよりも眩しい笑顔を浮かべ。
「私じゃ駄目かい?」
「……!」
ハリーの顔もぱっと明るくなりつつも。
「……ううん!」
そして、少し照れくさそうに笑う。
「……ありがとう、朱音」
「ふふっ、こちらこそ♪」
ハグリッドは、二人の後ろ姿を微笑ましく眺めていた。
「……いい友達になれそうだな、お前さんたち」
「うん!」
「そうだね」
朱音は、ハリーへ手を差し出した。
「じゃあ、改めてよろしくね、ハリー」
ハリーも彼女の手を握り返すして、笑いあう。
「うん!よろしく朱音!」
こうしてまだお互い、ホグワーツのどの寮に選ばれるかも知らないうちに、友達になった二人の少年と少女。
そしてこの時生まれ出でた友情が、ホグワーツの歴史を少しずつ変えていくことになる。
つづく。