ツユは全身が痺れていた。肩には鈍い痛みが残り、頭は重く、ずきずきと痛んだ。腹には硬い何かが食い込み、首筋を冷たい風が断続的になでていた。
何が起きてるの?
世界がぐるぐる回って、それから……爆発した。だが、その前に――シスイ。遊んでくれると約束した彼の声が、まだ耳の奥に残っている。シスイはどこ? 無理やり目を開くと、周りで誰かが話していることに気づいた。
「隊長、ほかの班には目標確保を伝えてあります」
左から女の声がした。
「よし。追手は?」
「いません」
同じ女が答えると、背後のどこかから低い男の声も重なった。
「予定どおりだ。このまま南へ進む」
ツユが顔を横へ向けると、はるか下の地面が葉の隙間からちらちらと見えた。心臓が跳ねる。反射的に身をよじり、何かにつかまろうとしたが、指に触れたのは木の皮ではなく布だった。誰かの腕が膝の裏を抱え、腹の下にかかる圧力がずれるたび、下方で枝の折れる音がした。
誰かに担がれている。
「放して!」
ツユは力いっぱい暴れながら叫んだ。
一度、二度。さらに三度、身をよじった。それでも男は取り合わなかった。ツユは目の前のむき出しの腕へ思いきり噛みついた。
「ぐあっ!」
男が身を引き、手を放した。ツユは太い枝の上へ落ち、衝撃で息を詰まらせて咳き込んだ。自分のものではない血が顎を伝う。
「どうしたの?」
別の女の声がした。
「噛まれた!」
男の声は、怒っているというより感心しているようだった。
その姿を見たツユは、ぽかんと口を開けた。とてつもなく大きい。木ノ葉のどの男よりも背が高く、もしかすると世界で一番大きな男かもしれない。熾火のような目を縁取る黄色い塗料が、黒い肌に鮮やかに映えていた。
「ええと、肉がごっそり持っていかれてますね」
最初の女が男の腕の内側を調べながら笑った。
「なかなか根性がある。強く育つぞ」
「こんなことをしている時間はない。もう一度眠らせろ」
命令を出していた男が怒鳴った。苛立たしげに話すたび、尖った顎ひげが揺れる。
「待って」
二人目の女がツユの前へ進み出た。これまで見た女の人の中でも、とびきりきれいな人だった。
「私に話させて」
女がツユと目の高さを合わせてしゃがむと、白い布で束ねられた長い金色の三つ編みが肩からこぼれた。深い茶色の瞳に、艶やかな赤い唇。まるで服飾雑誌から抜け出してきたような人だった。
「大丈夫?」
女は優しい声で尋ねた。
「え、えっと……うん……」
頬が熱くなるのを感じ、ツユは見つめてしまった自分を叱りながら顔をそらした。
「額はどうしたの?」
「あの……鮭みたいな唇のバカに、石を投げられた」
少年たちの笑い声を思い出しながら、ツユはぼそりと言った。
「ひどいことをするよね?」
ツユがちらりと女を見ると、返事を待っているようだった。居心地が悪くなり、ツユは相手を納得させるためだけに小さく肩をすくめた。しかも女はポーチからハンカチと包帯まで取り出した。何も言わずにツユの顔の血を拭い、額へ包帯を巻き始める。
「……ねえ、みんな誰?」
いつもの自分とは思えないほど、小さな声が出た。
「そうね……ネコって呼んで」
「ネコ?」
こらえきれず、ツユはくすりと笑った。
「そう、ネコ。こっちがワシ」
女は微笑みながら大男を指し、次に最初の女へ指を向けた。
「ノウサギ。それから――」
「カモノハシです」
ノウサギが代わりに言った。その後ろでワシが咳をしたが、笑い声のようにも聞こえた。
「カモノハシって何?」
「犬とアヒルをくっつけたような動物ですよ」
ツユはカモノハシを見て、くすくす笑った。頭には黒いバンダナを巻き、年老いた顔はしわだらけで、口の周りにはひげが生えていた。たしかに、気難しい犬と不機嫌なアヒルを混ぜたように見えなくもない。
「もういい。時間をかけすぎた」
「聞いて、ツユ――」
ツユは目を瞬いた。どうして名前を知っているの?
「一つ、お願いしてもいい?」
ツユはほかの三人を見回してためらった。みんな急に黙り込んでいる。でも、ネコは優しそうだ。お願いを一つくらい聞いてもいい。
「いいよ。何?」
「私たち、少し急いでるの。背中に乗ってくれる? 私がおぶっていくから」
「それって……おんぶ?」
「そう。おんぶよ」
胸が期待でいっぱいになった。ツユは一度もおんぶをしてもらったことがない。ほかの子供たちが親の背中に乗っているのは、いつも見ていた。でも、ツユには親がいない。そんなふうに運んでくれる人は、今まで誰もいなかった。
勢いよくうなずき、ほとんど飛びつくようにネコの背中へ乗った。肩はまだ痛かったが、それでも首に両腕を回す。ネコの背中は温かく、いい匂いがした。
気づけば、もう走り出していた。ネコが枝から枝へ飛び移るたび、ツユの顔に笑みが広がった。風が頬を駆け抜け、思わず笑い声がこぼれる。ネコは速度を落としたかと思えば一気に速め、空中で宙返りまでしてみせた。そのたびに、ツユは声を上げて笑った。
数時間が過ぎ、木々の間から差す光は薄暗い橙色へと変わっていた。すると一羽の茶色い鷲が梢から舞い降り、ワシと並んで飛び始めた。鳥が鋭く鳴くと、ワシは言葉が分かったかのようにうなずいた。
話してるの?
よく見ようと身を乗り出したとき、流れ去る森がまるで知らない景色になっていることにツユは気づいた。暗くなり始めたせいか、少し怖い。もう里からずいぶん離れている。今まで来たことのあるどの場所よりも遠い。見覚えのあるものは一つもなかった。このまま進んだら、一人で帰れなくなるかもしれない。
「あの……どこへ行くの?」
ツユはネコの耳元で小さく尋ねた。
「まず南へ行って船に乗る。それから火の国と水の国を回って、雷の国――雲隠れの里まで行くの」
どれも聞いたことのない場所だったが、とても遠そうだった。シスイと忍者ごっこをする時間までに帰れるのだろうか。
「でも、いつ帰ってくるの?」
驚いたことに、ネコは笑った。
「里は山々の間にあるの。雲が中を通り抜けるほど高いところにね。朝には霧が家々の間や橋の上を流れて、里がどこまでで、空がどこからなのか分からなくなることもある」
声が優しくなる。
「夕暮れには、何もかもが金色に染まるの。一番高い道からだと、夕日がすぐそばにあるみたいで、手を伸ばせば触れられる気さえする」
ネコは振り返り、ツユへ微笑んだ。
「一度雲隠れを見たら、帰りたくなくなるかもしれないわ」
とても素敵そうだった。でも……。
「でも、シスイが忍者ごっこしてくれるって約束して――」
「シスイ?」
カモノハシが鋭く遮り、二人の横まで下がってきた。
「うん、シスイ。チャクラも教えてくれるって約束したんだ」
「瞬身のシスイ!?」
反対側からノウサギが尋ねた。
「僕が知ってるシスイは一人だけだよ」
どうして誰も質問に答えてくれないのだ。ツユはだんだん腹が立ってきた。
「瞬身のシスイだったなら、殺せるうちに殺しておくべきでした」
ノウサギが悔やむように言った。
「あれが瞬身のシスイなら、逃げられただけでも幸運だ。あの目を一度でも見れば、こちらが終わっていた」
カモノハシはワシへ目を向けた。大男がうなずくと、隣を飛んでいた茶色い鷲が空へ舞い上がった。
「急ぐぞ。速度を倍に上げろ」
殺す? 終わってた? いったい何の話?
横では、ワシがいくつか印を結び、ツユには聞き取れない言葉を呟いた。直後、その両目が光り始める。
「心配しないで、ツユ。何も問題ないから」
ネコの声は、どこまでも落ち着いていた。
「ネコ……情が移るぞ」
カモノハシが言ったが、ネコは構わず話し続けた。
「雲に着いたら、私がチャクラを教えてあげる。あなたのチャクラについてなら、シスイより私のほうがずっと詳しいわ」
「そう……」
ツユは、鳥が木々の上へ消えた方角を振り返った。
まるで誰かに追われているような態度だった。まるで本当にシスイが追いかけてきているような。でも、どうして? 会ったばかりなのに。それに、この人たちは……怖がっている。考えすぎだと言ってやりたくなった。けれど……もしかすると、違うのかもしれない。もしかすると、本当に来てくれるかもしれない。
「本当よ」
ネコが言った。
「あなたは私と同じ、特別な子。私たちには、ほかの人にはないチャクラがある。雲は、私たちのような者を大切にする里なの」
声がいっそう柔らかくなった。
「そこなら、子供たちに石を投げられることも――」
不意にワシが目を瞬き、光が消えて元の瞳へ戻った。
「奴だ。追ってきている」
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「万華鏡写輪眼」
シスイが呟いた。
紅い瞳に浮かぶ三つの黒い勾玉が形を変え、四枚刃の手裏剣のような模様を描いた。頭上を旋回していた鷲はすぐさま進路を変え、主の待つ南へ飛び去った。最後の陽の光も消え、空は深い青に染まっている。木の葉の隙間では、最初の星々が瞬き始めていた。その下を、シスイとイタチはツユを追って疾走し、枝から枝へ飛び移っていた。
「その写輪眼は……」
奇妙な模様が消え、見慣れた三つの勾玉へ戻るのを見ながら、イタチが口を開いた。
「話はあとだ。今はやることがある。ソラワ一族を知ってるか?」
イタチはうなずいた。
「犬ではなく鳥と絆を結ぶ、犬塚に似た一族だ。あの鳥を幻術にかけたのか? この距離から?」
「まあ、全部がオレの手柄ってわけじゃない。鷲は目がいいからな」
シスイは笑った。
「だが、仕掛けたのはそれだけじゃない」
「どういうことだ?」
「あの一族は、自分の鷲の目を通してものを見ることができる。交戦した瞬間、あいつらはひどく驚くことになるってことさ」
「なるほど」
イタチは微笑んだ。
偵察や諜報では絶大な利点となる能力だ。だが、写輪眼を持つ者を相手にすれば、致命的な弱点へ変わる。鷲だけでなく、その視界を共有する忍まで幻術に捉えたのだろう。敵が標準的な四人班なら、残る敵は三人。こちらは二人。勝機はある。
「ソラワの忍は命懸けでツユを守る。だから形勢が悪くなっても、そう簡単にあの子を始末することはできない。だが、ほかの連中も甘く見るな。特に、金髪を三つ編みにした女だ」
「何者だ?」
「二位ユギト」
「二尾の人柱力が、ここに?」
人柱力。その言葉には、まだ慣れなかった。尾獣を体内へ封じられ、一国すら滅ぼし得る兵器へ変えられた人間。五年経った今も、里を引き裂いたあの恐ろしい咆哮を思い出すだけで、イタチの体には寒気が走った。
「間違いない。前の戦争が終わる頃、一度出会ってる」
シスイの表情が険しくなった。
「オレがツユを確保する。あの子はオレを信じてると思う。そのほうがやりやすい」
少女がさらわれたとき、どうしてシスイがたまたまその場にいたのか。イタチは考えずにいられなかった。だが、そうしたことを考えるのは後でいい。
「援護する。ツユを取り戻したら、里へ引き返す。こちらが有利な状況を作れれば、追撃は諦めるかもしれない」
「ああ」
シスイは答えたが、納得していないような口ぶりだった。
「イタチ、ユギトとは戦うな。お前の手に負える相手じゃない。オレが引き受ける。もしそうなったら、ツユを連れて行け。オレは置いていけ」
「分かった」
そうならないことを心の中で願いながら、イタチは答えた。
「構えろ。もうすぐ追いつく」
前方にかすかな敵の気配を感じた。木々が周囲を流れ去る中、その気配は着実に近づいてくる。敵は動きを止めていた。おそらく待ち伏せの準備をしている。イタチは覚悟を固め、戦闘に備えた。写輪眼が紅く輝き、周囲の動きが急にゆっくりになったように見えた。
いた。全部で五人。ツユは遮るもののない枝の上に一人で残され、怯えた様子がはっきり見えた。小さな体からは、抑えられていない膨大なチャクラが放たれていた。この距離でも、写輪眼ならはっきり見える。敵の二人は左端の木の陰に一緒に潜み、残る二人はそれぞれ少女の後方と右方で待ち構えている。
あの子を囮にしている。イタチかシスイが助けに動いた瞬間、三方向から包囲するつもりだ。
そう簡単にはさせない。四人のうち一人は、すでにシスイの幻術に落ちている。イタチの役目は、シスイがツユへたどり着くまで残りを引きつけることだ。豪火球の術の印を結ぶ。角度さえ選べば、三人を押しとどめ、シスイのために道を開けられる。だが最後の印へ移ろうとした瞬間、手が止まった。
一緒に潜んでいる二つのチャクラのうち、片方が違う。枝の上の少女から放たれる膨大なチャクラに、危うくかき消されるところだった。その流れは乱れ、不安定だ。そこには、サスケのチャクラにも見られた未熟さがある。だが、それよりはるかにひどい。
訓練を受けていない子供のチャクラだ。
イタチの視線が枝の上の少女へ戻った。
あれはツユではない。
シスイへ伝える時間はなかった。自分が動き、シスイが意図を読み取ると信じるしかない。最後の枝を踏んだ瞬間、イタチは強く蹴り、軌道を変えた。
その瞬間、シスイの罠が発動した。小さな竜巻が頭上の梢から落ち、羽根と風を巻き込みながら偽のツユへ襲いかかる。鷲が激突すると、白煙とともに変化が解け、金髪の女が姿を現した。衝撃で森の奥へ弾き飛ばされ、長い金髪の三つ編みが後方へなびく。同時に、木々の陰に潜んでいた忍の一人が飛び出した。その体も第二の竜巻となって回転し、反対側で待ち構える仲間へ突進していく。
イタチはツユが捕らえられている木の脇を駆け抜けながら、写輪眼へさらにチャクラを注いだ。片手でツユの口を塞いでいたくノ一が顔を上げる。視線が交わった。
捉えた。
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少年が頭上を駆け抜け、背後の森に激しい唸りが轟いた。ツユが目を見開く。何が起きたのか理解するより先に、ツユの口を塞いでいたノウサギの手から力が抜け、女の体が横へ傾いた。
落ちる。
少年が目の前に現れ、ツユの膝裏へ腕を差し入れて抱き上げた。均衡を失ったノウサギだけが、下方の枝々へ落ちていく。運ばれながら、ツユは反射的に少年の服を握り締めた。あまりの速さに胃が浮く。しばらくは、その紅い瞳を見つめることしかできなかった。頭上には月が輝き、森を青白く照らしている。
「誰……?」
ようやく絞り出した。
「手を放せ」
少年はツユを見下ろして言った。
意味を理解するより先に、指が開いた。
そして、少年はツユを落とした。
枝が下から迫り、喉からひゅっと息が漏れた。全身から感覚が消え、目に涙がたまる中、世界が滲んでいった。
何かが横から飛び込んできた。両腕がツユをしっかりと抱きとめ、そのまま横へさらっていった。世界がまた回り、木々と空が溶け合った。
「捕まえた」
知っている声だった。
ツユははっと視線を上げた。
シスイ。
来てくれた。
とうとう涙があふれた。ツユは両腕で力いっぱいシスイへしがみつき、その胸に顔を埋めて泣いた。
「よしよし」
枝に着地すると、シスイはツユをそっと下ろした。その目元がふっと和らいだ。
「大丈夫か?」
ツユはうなずき、涙をどうにか止めようと息をこらえた。だが言葉を絞り出すより先に、大きな咆哮が響き、二人とも凍りついた。すぐ近くの木立の向こうで、木々が次々と燃え始める。
ツユが悲鳴を上げると同時に、シスイはツユを幹へ強く押しやり、振り向きざまに刀を抜いた。胸の前で刃を構えるのが精いっぱいだった。炎の方角から青い何かが木々を突き破り、シスイへ激突する。
バキン!
シスイの刀が真っ二つに折れた。
衝撃で枝から引き剥がされたシスイは、後方へ弾き飛ばされた。一本の木を突き破り、木片が四方へ飛び散った。背後でその上半分が倒れていく中、二本目の幹へ叩きつけられ、そのすぐ下から突き出た折れ枝の上へ落ちた。胸から腹にかけて、生々しい赤い火傷が広がっていた。もう少し低ければ、尖った折れ口に正面から突き刺さっていただろう。
ツユは震えながら、さっきまでシスイがいた場所に立つものを見つめた。一瞬だけ、化け物だと思った。
だが、それよりひどかった。
ネコだった。
半透明の青い光が衣のように全身を包み、そこに浮かぶ黒い模様が、生き物のようにうねり続けていた。金髪はほどけ、顔の周りで激しくなびいている。両目は白一色になっていた。奇妙な青い衣から、光る二本の尾が後ろへ伸び、宙でうねっている。
今もきれいだった。けれど、恐ろしかった。
青い衣が枝へ触れるたび、木に火がついた。ツユは立ち上がり、必死に降りる道を探した。しかし、周囲の枝にはすでに火が回っている。逃げ場はなかった。
ネコは枝を蹴り、再びシスイへ襲いかかった。ツユは目で追おうとしたが、ネコの姿はすぐに煙に呑まれた。煙が目を刺し、喉を引っかき、咳が止まらなくなる。四方から熱が押し寄せる。炎から少しでも離れようと、幹へ体を押しつけた。
頭の横の葉陰で何かが光り、炎の色を反射した。ツユはつま先立ちになり、精いっぱい手を伸ばす。その瞬間、強い腕が腹へ回され、体を引き離した。肺から空気を絞り出されて咳き込みながらも、指は金属の柄をつかんでいた。
ワシだった。横を見ると、もう片方の腕にはカモノハシが抱えられていた。カモノハシの背中には深い斬り傷が走り、腹に開いた穴からも血が流れている。ワシは戦場から離れ、燃える森へ向かって枝から枝へ飛んでいた。
痛い。怖い。おうちに帰りたい。
ツユは歯を食いしばり、涙を頬へ流したまま、つかんだ柄を目の前へ持ってきた。三叉のクナイだった。刃の上で森の炎が踊っている。腕は震え、恐怖が少しずつ激しい怒りへ変わっていった。
どうして、いつもこうなるの? どうして僕は何もできないの?
腹の奥に奇妙な熱が集まり始め、少しずつ全身へ広がっていった。あの子たちに笑われたときも、何もできなかった。ノウサギに口を塞がれ、押さえつけられたときも、何もできなかった。肩と背中の痛みが薄れていく。体中へ広がる煮えたぎる炎に呑み込まれていく。
シスイが傷つけられたときも、また何もできなかった。
クナイを握る指に力がこもる。何をしても、何一つうまくいかない。最後には、いつも一人になる。
手の震えが止まった。痛みも消えた。
もう嫌だ。
「放せ!」
ツユは叫び、三叉のクナイをワシの脇腹へ突き立てた。
ワシは悲鳴を上げてのけぞり、ツユを取り落とした。すぐに手を伸ばし、ツユの手首をつかむ。全体重がかかった手首に激痛が走り、ツユはその手からすり抜けた。
落下するツユの体を、氷水へ飛び込んだような冷たさが駆け抜け、内側で煮え立っていた熱を洗い流した。
燃える枝々が目の前を通り過ぎ、全身が強張る。足をばたつかせ、何かにつかまろうと手を伸ばす。しかし足元には何もなく、手の届くところにも何もない。どうすることもできず、ただ手足をばたつかせ、地面が来るのを待つしかなかった。
片腕が膝裏をすくい、もう片方が背中を受け止めた。体が大きく揺さぶられる。ツユは必死にしがみつき、爪を立てたが、すぐにもう必要がないと気づいた。
落ちていない。
シスイ!
ツユは目を開けた。だが、シスイではなかった。
もう一人の少年だった。紅く光る両目の瞳孔を、三つずつの黒い勾玉が囲んでいる。その視線は絶えず動き、周囲の森を探っていた。
背後から咆哮が響き、ネコが炎と煙を突き破って迫ってきた。少年は森の地面へ降り立つと、振り返り、ツユを胸へ引き寄せた。自分の背中を盾に、ネコの一撃からツユをかばった。
ツユは目を閉じた。抱き寄せられたまま、少年が大きく息を吸うのを感じた。
どうやら、忍者ごっこはできそうにない。
だが、とどめの一撃は来なかった。
ツユはゆっくり目を開けた。ネコの青い衣に包まれた腕が、少年の背中に触れる寸前で止まった。その腕が震えていた。少年がゆっくりと肩越しに振り返るのを感じた。その体が、ツユに触れたまま急に強張った。
ネコはツユをまっすぐ見つめていた。白一色だった目に、茶色の瞳が戻っていた。唇が震えている。
「ユギト!」
カモノハシが重い音を立て、背後へ着地した。胸には大穴が開き、折れた肋骨が何本も血にまみれてむき出しになっていた。それでも、まだ立っていた。覚悟を固めた顔で、無理やり両手を合わせる。
「護謨遁・泡牢!」
両掌を合わせた瞬間、カモノハシの足元から黄色い物質が広がった。地面を走り、周囲にせり上がっていく。ネコと少年は、閉じかけた隙間へ跳んだ。だが、抜けられたのはネコだけだった。少年とツユが届く寸前、最後の隙間が閉じる。二人は弾力のある壁へ激突し、ばねに弾かれたように後方へ飛ばされた。
カモノハシと一緒に泡の中へ閉じ込められた。出口はどこにもない。
少年は左手でクナイを抜き、投げた。クナイは金属の輪だけを残すほど深く、カモノハシの喉へ突き刺さった。年老いた男は微笑んだまま崩れ落ち、二度と動かなかった。
少年は間を置かず、いくつか印を結び、ツユには聞き取れない言葉を呟いた。背後の地面から水が勢いよく噴き上がり、泡の天井へぶつかって、二人の上へ雨のように降り注いだ。少年は濡れたシャツを脱ぎ、ツユの頭にかぶせた。濡れた布が口と鼻を覆った。周囲の空気が熱くなる中、ツユは固く目を閉じて咳き込み、少年の腕の中で本能的にもがいた。
「ツユ!」
呼ばれて、はっと目を開く。
少年の顔が、すぐ目の前にあった。
その瞳を見た瞬間、世界が回った。