「何が」
「切り替えだ! ……それと、もうひとつ」
「もうひとつ、何なん」
「私も知らん!」
学校の一件から三日で、俺の装置は、ちょっとだけ速くなった。
武器を消してから次を組み立てるんじゃなく、次の形を中で先に用意しておいて、古い形をほどくのと同時に組み替える。レイマさんたちが前から進めていた改修を、学校の映像で最後に詰めたのだという。
「次の衣装を畳んで待たせておくようなものだ。ただし二着を重ね着して、二人分の仕事ができるわけではない」
朝の説明でそう言われて、冬服の上から体育着を着込んだ自分を想像した。強そうではなかった。動きにくそうだった。
ちなみに体育の権田先生には、缶コーヒーを差し入れた。なんで俺に、と聞かれて、上履きの件のお詫びです、と答えた。先生は缶を見て、俺を見て、もう一回缶を見た。
余計に怪しまれた気がする。
試験場で重りを持ち上げ、押し板を受け、記録を取る。足の裏から床へ逃がす衝撃が、前より滑らかになっている。
「切り替えは、およそ〇・五秒。出力の通り道も組み直した。基礎の力も、守りも、持久も、前より余裕がある」
「半秒なら、今までの一歩の途中で間に合う」
「その一歩、あとで私にも試させてな」
仕切りの向こうで、きららが手袋を締め直していた。今日の模擬戦の相手だ。
測定がひと段落したところで、三人とレイマさんが降りてきた。少し遅れて、克己も扉から顔を出した。別室で自分の装置の確認を終えた帰りに、試験の音が聞こえたらしい。
「また何かやってんのか」
「改良の確認。ちょっと速くなった」
「それで怪我すんなよ」
短く返されて、俺は笑いながら手袋の縁を直した。試験用の握りで擦れた掌が、ひりっとする。
指を開いた、その時だった。
「かなと、いたい?」
左手首から、声がした。
いつもの威勢のいい起動音とは違う。言葉と言葉の間が少し空いた、小さい子みたいな声だった。
「いや、掌が擦れただけ。手袋、直すよ」
俺は普通に答えた。
返事の方法が増えたのか、と嬉しくなった。昨日まで二回の光を待っていた相手が、今日は声で聞いてくれた。それくらいの気持ちだった。
周りは、全然それくらいじゃなかった。
朱音が口を開けたまま、俺の手首を見ている。きららは訓練用の棒を持ち上げかけた格好で止まり、葵は一度、自分の手首の装置に目を落とした。
克己まで、扉にかけた手を離していた。
「いま……先輩の名前、呼んだ?」
「うん。聞こえた」
「いや、そうやなくて。普通に会話したよね?」
「え? みんなのは喋らないの?」
五人の視線がまとめて俺に刺さった。
試験場の真ん中が急に俺になった。
「えっと……いつもありがとう。聞こえてる?」
朱音が、自分のジャスティスチェンジャーにそっと話しかけた。
返事はない。角度を変えて、もう一回だけ待った。
「私の声、分かる? 分かるなら一回だけ光って。……私だけ独り言にしないでほしいんだけど」
葵は真顔で呼びかけて、無音の装置を見つめた。
「……既読すらつかない」
「無理に喋らなくてもいいけど、いつも助かってるからね。何かあったら言ってね」
きららも優しく声をかけて、待った。
試験場の空調だけが元気に働いていた。
「……三人揃って、何を待たされてるん?」
「本当に、喋らないの?」
三つの装置を順番に見た。誰もボタンを押していない。それで返事をしたのは、俺の手首だけだった。
驚く順番が完全に逆になった。
「いや、変身する時も技を使う時も喋るだろ。言えることが増えたのかなって。今日の更新で」
「違う。録音を鳴らすのと、先輩の手を見て自分から聞くのは、全然違う」
葵は端末を引き寄せて、音声の記録を遡った。早送りする指が目当ての位置を一回行き過ぎた。
「私は出力経路を更新したのであって、君の名前を呼ぶ会話機能など追加していない!」
レイマさんが一歩近づいて、途中で止まった。伸ばしかけた手を引っ込めて、自分の顎に持っていく。
「じゃあ、今のは」
「コア自身が……言葉を選んだ、と考えるべきだろう。少なくとも、登録した定型文ではない」
克己が俺の左手首をじっと見ていた。
「俺のは、そんなこと聞いてこねぇぞ」
「そうなんだ」
「なんでお前が一番落ち着いてんだよ」
ぶっきらぼうな声に、今度は俺の方が言葉に詰まった。
普通じゃなかったらしい。
左腕を持ち上げて、装置に顔を近づけた。
「今の、お前が聞いたのか?」
「かなと。いたい、いや」
質問への答えには、なっていなかった。
でも、何を気にしてるのかだけは分かった。痛いのが、嫌なんだ。
「そっか。俺も痛いのは嫌だよ。ちゃんと直す」
光が二回、返ってきた。
「……心配してくれたんだね」
朱音がようやく笑った。きららは棒を下ろして、葵は記録の時刻を書き写しながら、自分の手首をもう一度見た。
「うちの子だけ無言。……解せぬ」
レイマさんは試験をいったん止めて、勝手な出力の変化や発熱がないかを調べ始めた。声以外は何も変わっていなかった。
克己は、その確認が始まる前に部屋を出ていった。
出ていく直前、一度だけ振り返った。
「心配させんなよ。そいつにも」
「……うん」
扉が閉まった。
俺は手首を見下ろして、さっきの声を思い返した。かなと、って。……名前、呼ばれたんだよな。今になって、じわじわ来る。
知っている言葉がいくつあるのかも、どこまで通じるのかも分からない。だから、喋れるようになっても、二回の光で確かめる手順はこれまで通りだ。
「まず、いつも通りに行こう。無理しないで」
*
模擬戦の相手は刃のない棒を持ったきららだった。俺はエッジの受け具を構えて、彼女が踏み込む前に、ダイヤルを紫へ回した。
長剣がほどけて、指が軽くなった、と思った次の瞬間にはもう短刃が収まっている。表示は〇・五秒。
速い。でも見惚れている暇はない。きららの棒が胸に伸びてくる。右足を斜め後ろに送って、棒の通る線から胴を外す。切り替えが終わったのは、その一歩の途中だった。
受け具で棒の側面を押さえ、もう半歩で内側へ。そこで、きららが棒を短く持ち替えた。引いた先端が俺の脇腹に触れる。同時に、俺の受け具も彼女の胴の手前まで届いていた。
「相打ち?」
「判定は?」
監視室から、棒の方がわずかに早い、と返ってきた。
「よっしゃ、一本!」
「持ち替え、速いな」
「そっちこそ。一秒のつもりで伸ばしてたら、潜られてたわ」
二本目は、俺が踏み込む音だけ立てて止まり、彼女の先端が下がったところで内側に入った。三本目はどっちも最初の手を追わず、終了の合図まで決まらなかった。
一本ずつ。
息は上がっていた。もう一本やりたいと思った。
昼前、きららのツムッターが更新された。
当たっていたら困るので、はずれていてよかった。
明日も挑まれるのは、たぶん当たっている。
*
実戦の連絡はその日の昼過ぎに入った。川沿いの搬送路で、小型機の群れが見つかった。荷台に積まれた黒い箱型の機器を中心に、複数の端末が同じタイミングで動いているという。
ずっと疑っていた、中継の箱だ。
家族に地区と予定を送ると、灰瑠から『帰りに連絡して』と来た。『する』と返して、袖を下ろした。
閉鎖済みの搬送路で、建物の陰に入って変身した。
装甲が閉じる音は同じなのに、立ち上がる力が違った。地面を踏んだ力が遅れずに全身へ返ってくる。今までなら体勢を立て直すのに使っていた一歩を、そのまま次の攻撃に回せる。
道路に出ると、細い人型が二体、荷台の左右から振り向いた。その間に、黒い箱がある。上から伸びた部材がゆっくり向きを変えると、二体の胸の窓もそれに合わせて動いた。
「右は私がもらう。先輩、左お願い!」
「小さいのは私が押さえる。箱の後ろの射線、空けとくからな!」
ブルーは外周で、逃げる機体を止める位置に回っていた。俺は左の端末に向かい、手前のコンクリート塊を盾にしてダイヤルを赤へ。
端末の腕は、以前の一秒を待ってから、遮蔽物の端へ伸びてきた。その時には、もう構えができていた。
刃で爪を受け流して、低い位置から一歩押す。更新された脚の力で、端末の足が地面から浮いた。ケーブルが張る方向へ倒すと、長い線が荷台の縁に絡まる。その張りで背中の板が浮いた。刃を返して、露出した根元へ短く突き入れる。
必殺技の充填も、大振りも要らなかった。
「左、停止。箱に移る」
「了解! 右はこっちで止める!」
塊の裏に下がって、ダイヤルを青へ。
エッジブレードがほどけるのと銃身が伸びるのが、ほとんど繋がって見えた。銃口の先に、箱。その向こうは土手だ。
ただし、箱の前には分厚い固定板が二枚、重ねて立ててあった。通常弾を一発撃つ。表面が削れただけだった。小型機が板の隙間に潜り込んで、壊れた留め具を繋ぎ直そうとしている。時間をかければ、同じ守りを何度でも作り直される。
「固定板を二枚剥がして、本体に一発。高出力を三発続けて使う。そのあと冷却に入る」
「二十秒以上やね。小さいのは私が剥がしとく。ほな、思いきり撃ってや!」
「右は押さえてる! 撃って!」
足を据えて、中央を長く押した。
ピ、ピ、キィィン。銃身を走った青が銃口で細く絞られる。肘を締めて、腰で支える。
「スコープブレイク!」
一発目が留め具に刺さって、一拍置いて砕けた。板が後ろへ折れる。右肩が引かれる。腰で支え直して、撃てる表示が戻ったのを見て、もう一度長押しする。
小型機が二枚目の板に脚をかけた。イエローが斧の柄でその胴を道路に叩き落とし、追いついてきた次の一体も刃の腹で弾き飛ばす。射線を空けたまま、荷台へ取りつく道だけを塞いでいく。
二発目。二枚目の留め具が青く光って、遅れて弾けた。板が斜めに落ちて、黒い箱の正面が剥き出しになった。
残り一発。
箱の上の部材がこっちを向いた。端末の胸もこっちを向く。ケーブルが一本、銃口の前に割り込もうとする。
レッドが端末を横に押し、イエローがケーブルを足元へ弾いた。
「今!」
三度目の青が銃身を満たした。銃口が浮かないように、左足の裏で地面を押す。
青い線が箱を貫いた。
一瞬だけ穴の縁が青く光って、次の瞬間、黒い外板が内側から膨らんだ。繋がったケーブルが次々に跳ね上がり、上の部材が折れて荷台に倒れる。
同時に、残っていた端末と小型機の動きが、ばらばらにずれた。端末はレッドを追い、小型機は、もう俺のいない場所へ脚を伸ばしている。
「中継停止、連動が崩れました!」
技術者さんの声が通信に乗った。
*
銃が冷却に入った。表示が二十秒から減り始める。それより早くは撃てないし、熱が下がらなければ延びる。
塊の陰に戻った。あと十七秒。
土手の上で、何かが動いた。細い影がひとつ、斜面の草を分けて登っていく。壊れた箱から落ちた部品をひとつ、大事そうに抱えていた。胸の四角い刻印の、右上の角が欠けている。
角欠けだ。
銃口を上げかけて、止めた。表示はまだ冷却中。撃てない。それに今、塊の陰を出たら、目の前の小型機に背中を見せることになる。
細い影は土手の向こうへ消える直前、一度だけこっちを振り返った。レンズが光る。抱えた部品に、白い札が貼ってあるのが見えた。
「ブルー、土手の上。角欠けが部品を一個持って、北へ」
「見えた。追跡班に回す。先輩はそこにいて」
冷却の二十秒は、こういう時のためにある数字じゃない。分かってる。分かってるけど、悔しい。
箱の下に残っていた小型機が一匹、イエローの背中へ滑り出した。彼女は前の二匹を道の端に追い込んでいる最中だ。
「イエロー、後ろはそのまま。俺が止める」
銃は使わない。塊の縁から足を出して、床を走る線を踵で踏みつけた。振り向かれる前に、低く落とした左肘を背中の接続部に当てる。短い破裂音がして、脚が閉じ、小型機は俺の靴の手前で動かなくなった。
「助かる! こっちは二匹まとめるで!」
逃げ場をなくした二匹の脚が同時に伸びても、振り抜いた斧は止まらなかった。あと六秒。レッドが踏み込んで斬り、切り返して、最後の人型の胸の窓を突き通した。離れた場所から、ブルーの制圧完了の声が届く。
ゼロ。温度が戻った。
「割ってくれた道、助かった」
「背中のお礼と、おあいこやね」
*
帰ってから、中継の記録が照合された。箱が止まった瞬間から、端末同士の情報のやり取りが途切れている。一体ずつでも戦えるが、互いに見たものを分け合えなくなっていた。
仮説がひとつ、本当になった。
「切り替えの追従も測れた。君が先に端末を止めたから、射撃中の負担も軽く済んでいる」
「次は、向こうも半秒で来るでしょうね」
「あと、冷却中に塊の陰にいた二十秒。ネットで『銀騎士の瞑想タイム』って呼ばれてる」
「歯を食いしばってただけだ」
「瞑想に見えたなら、それが銀騎士の公式設定になる」
「ならない」
学校で見せた癖も。今日の半秒も。
箱が壊れる前に、どこかへ送られていたかもしれない。
「模擬戦の一本目の記録も残しといてね。そこ大事やから」
「消さないって」
装置の点検を待ちながら、上着に袖を通した。家に、帰る、と送る。
左手首を撫でた。
「速くなったな。これなら、次の一手まで一緒に行ける」
短い光が二回返ってきた。
それから、小さな声が一言だけ。
「かなと、はやい」
「お前もな」
嬉しそうに聞こえたのは、たぶん俺の気のせいじゃない。
その夜、技術室から一件だけ連絡が来た。
壊れた中継箱の中から、送り先の番号が、途中まで読めたという。
「三つある。北と、東と、川沿いだ。……そして、どれも同じ時刻に信号を出す設定になっている」
同じ時刻に、三か所。
こっちは四人しかいない。
「もう一回だけ試す。……聞こえる?」
(無音)
「既読すらつかない。本日二回目」
「葵、そんなに話したかったんだ」
「別に。ただ、先輩のところだけ会話があるのは格差」
「『いたい?』って聞いてくれるだけだぞ」
「それが、うらやましいって言ってる」