「地下だけど」
「地下でも、旅は旅」
地下で、きららと二人きりになった。……正確には、途中から一人と一人になった。
地下に下りる前に、荷物を二つに分けた。
「照明は俺。中継器はきらら。片方が止まっても、残った方で地上に知らせられるように」
「予備は交換して持とう。照明が二つとも先輩と一緒に転がったら困るし」
「俺が転がる前提で組むなよ」
「前提やなくて、備えです」
きららが予備の小さな照明を受け取って、代わりに中継器をひとつ俺に渡した。二人で行くなら、二人とも戻れる組み合わせにする。俺が先に進んで、彼女が通信を繋ぐ。
出発前、装備を受け取りに技術室へ寄ると、克己が計測結果を待っていた。画面に二本の波形が並んでる。前の記録と、今日の記録らしい。
「同じ負荷で、立ち上がりが早い。踏み込みと出力のずれも減った。こちらで調整していた経路を、君が使いこなすのが予定より早かったわけだ」
レイマさんは嬉しそうだった。
「強くなったってことですか」
「短い踏み込みでも、前より大きな力を届けられている」
克己は画面をちらっと見た。
「前ほど、力が引っかからねぇ。……使い方を変えただけだ」
「どう変えたんだ?」
「動かす前に、何するか決めた」
短い返事だった。レイマさんがその先を聞こうとすると、克己はふいと顔を逸らした。
「声に出した方が、合わせやすい時もあるだろ」
俺は自分の左手首に目を落とした。話しかけたのか、と口にしかけて、やめた。なんとなく、ここで大きな声で聞かない方がいい気がした。
「あるな。俺もそう思う」
克己は返事の代わりに計測票を受け取った。強くなったと言われた時の横顔は、前に見た時より、どこか軽かった。
*
川沿いの倉庫で見つけたケーブルは、古い地下の搬送路に沿って伸びていた。
調査班が四日かけて図面と地上の点検を突き合わせて、俺たちが入るのは、今は使われていない連絡区画だけになった。人の出入りがある本線からは仕切られている。
入口の防音壁の内側で、変身した。
金属の噛み合う音が地下へ続く階段の先まで落ちていく。
隣にはイエローがいた。
階段の奥から、湿った冷たい空気が這い上がってくる。……正直、一人だったら足がすくんでたかもしれない。
現場の呼び名に切り替わると、呼吸が少し整う。相手に何を任せられるかが、はっきりするからだ。
「三段目、縁が欠けてる。左を通って」
「了解。帰りに急いでも忘れんように、目印つけとくわ」
イエローが小さな反射片を手すりに留めた。
地下は湿ってた。
壁の低いところを黒いケーブルが走っていて、その上に古い番号札が並んでいる。札を撮りながら進み、曲がり角ごとに中継器を置いた。地上の本部から返ってくる声が、少しずつ遅れる。圏外になる前に足を止めて、繋ぎ直す。
一人で動いてた頃は、戻って知らせられる距離を指で数えていた。今は中継器がある。地味だけど、こういうのが一番ありがたい。
古い番号札に混ざって、新しい白い札が一枚あった。見覚えのある紙だった。技術室で翻訳してもらった記号と、同じ並びをしている。端末で照らして、登録しておいた変換をかけた。
搬入路。こちら。
「……親切か」
「角欠けの札だ。自分で迷わないように貼ったんだろうな」
「几帳面すぎて、道案内になっとるやん」
札は、曲がり角ごとに一枚ずつ貼ってあった。俺たちは敵の道案内に従って奥へ進んだ。
「ここ、床の埃が途切れてる」
車輪の跡が四本。人の足跡はない。ケーブルと同じ方向へ曲がって、天井の低い横穴に入っていた。
「搬送台車かな。最近、何回も通ってる」
イエローはしゃがみ込んで、手を触れずに照明を横から当てた。盛り上がった埃の端が光る。
彼女が床を見ている間、俺は壁と天井を見ていた。埃を拭き取ったような細い線が、天井の格子の巻き上げ口へ続いている。
暗がりで、胸の窓が灯った。
心臓が、どくんと跳ねる。
「端末。奥、二十メートル!」
イエローが立ち上がる。二人で壁際に寄った直後、床の溝からケーブルが跳ね上がった。俺の前には来ない。一本がイエローの踵の後ろに回り込んだ。逃げ道を縛る位置だ。
声を出すより先に、その線を踏みつけた。張ったところを左手で掴んで、壁の金具に引っかける。
「後ろの一本、止めた! 格子が落ちる、下がって!」
イエローが線を跨いで、巻き上げ口から離れた。続いて天井から、金属の格子が落ちてきた。
どん、と通路が揺れた。
俺は格子の下には入らず、半歩手前で止まった。イエローも、向こう側の空いた区画へ出ていた。
分断された。
格子の向こうで、黄色い姿が遠くなる。手を伸ばしても届かない。冷たい汗が、一気に背中を伝った。
「イエロー!」
「こっちは平気。線、助かった!」
暗がりの端末が突っ込んできた。背中のケーブルを壁に引っかけて、身体を振り子みたいに飛ばしてくる。……猿かよ。
前にも見た攻め方だ。支点の真下に入って、伸びてきた肘を左腕で押し上げる。爪は頭の上を抜けて、壁に四本の跡を残した。胸を膝で押し返したところで、壁から剥がれた石の角が、右腕の内側に当たった。
いっ……つ。鈍い痛み。握れる。動く。腕が落ちるほどじゃない。
そう判断した瞬間、左手首が一回、強く震えた。
「大丈夫。打っただけ」
「いたい、だめ」
幼い声と一緒に、左腕の装甲の内側が、きゅっと締まった。痛いのが嫌なのか、動くのをやめてほしいのか。短い言葉だけじゃ、そこまでは分からなかった。
俺はそれを、支えようとしてくれたんだと受け取った。
*
格子の向こうで、別の金属音がした。
「こっちにも一体。奥に箱があるで。通信の線、そこに集まってる」
「箱は壊さないで残そう。こっちは俺が押さえる。そっち、任せていいか」
「任された。あとで通してな」
端末が床を蹴った。
割れた壁の出っ張りに身を引いて、ダイヤルを赤へ。
半秒は壁が受けてくれた。銅赤の補助装甲が両腕に寄って、長剣の柄が掌に落ちる。狭っ。大きく振ったら壁に当たる。剣を短く持って、敵が肘を伸ばした時だけ継ぎ目を狙った。
端末がケーブルを腕に巻きつけて、守りを固めてくる。切り込む途中で刃を返して、その巻き目に切っ先を通した。引くと、線が肘を縛って、敵自身の腕が伸びきる。
その下に、短く一太刀。爪のついた前腕が落ちた。
「本部、格子で分断。天井そのものじゃない、後付けの格子だ」
『図面にない設備です。左右の支柱を確認してください』
格子の右端に、細い固定柱があった。天井の梁には繋がってない。床と壁の金具だけで止めてある。敵が逃げ道を閉じるために置いた仕掛けだ。
俺の側から片方を折ると、格子は斜めに倒れる。その先に、イエローがいる。
一人で壊しちゃいけない。
「そっちの左端、同じ支柱ある?」
「ある。こっちは足元に留め金が二つ」
「同時に外して、こっちに倒そう。片腕は落とした。残りを格子の下に誘う」
「了解。箱の前の一体、私が片づける」
「二十秒で位置を作る。それまで、線は一本もそっちに通さない」
「十分」
* きらら
格子の隙間から、銀の刃が一度だけ見えた。敵の腕を落とした先輩はすぐには胸を狙わなかった。私のいる側へ飛んできそうなケーブルを弾いて、端末の立つ位置を少しずつずらしている。
さっき足元の罠を止めてくれた時も、同じ速さだった。危ないと口に出すより先に、こっちが動ける場所を残してくれる。
二十秒で位置を作る、と言った。だったら私も、それまでに箱を取りに行く。助けられたまま格子の向こうで待っているつもりは、ない。
先輩に、背中だけ見せてもらうのは、もう嫌だ。私だって、隣で戦える。
目の前の端末は胸を守りながら後ろに下がった。奥の中継箱を背にしている。壊させたいのかもしれない。箱ごと壊せば、このケーブルがどこへ続いているのか、調べられなくなる。
右へ踏み込むふりをして、左の壁を蹴った。
ケーブルが空を切る。着地して膝を落とし、伸びきった線を踏みつけた。引こうとした端末の腰が前に出る。斧の柄を短く持って、刃の腹を肩口に叩きつけた。胸の窓を開かせずに、床に押し倒す。
まだ動く。
背中の巻き取り部に、今度は刃を落とした。箱の方へは振り抜かず、床の手前で止める。硬い殻が割れて、黒い線から力が抜けた。
「箱は無傷や。こっち撃破! そっちは?」
「もうできてる。頭を低くして、左の支柱へ」
格子のこっち側に伸びてきたケーブルは、結局一本もなかった。
先輩が空けてくれた道を通って、私は支柱の前に膝をついた。
* 奏斗
片腕になった端末は、ケーブルを振るたびに壁へ体重を寄せる。二回、逃げる向きを刃で塞いで、その踵を格子の固定金具の前まで運んでおいた。刃を寝かせて、残った腕の爪に、わざと押される。
半歩下がる。端末が追う。左の踵が金具に当たった。
「今!」
剣先で、こっち側の留め金を断った。同時に向こうから衝撃が返ってくる。二本の支柱が折れて、格子が俺の側へ傾いた。
倒れる範囲から左に離れる。端末は前に押し続けていたせいで、逃げる足が一拍遅れた。金属の檻がその背中に落ちた。潰れはしなかったが、ケーブルが格子に絡まって、動きが縛られた。
「退路、確保!」
イエローが箱を抱えて、俺の後ろに出た。出口側に人はいない。剣の先は空いた床を向いてる。中央を長く押した。
胸の赤い線から、刃へ強い光が流れ込む。
左腕がまた締まった。
「一回だけ。終わったら休む」
締めつけがふっと緩んだ。ちゃんとした同意をもらえたわけじゃない。それでも、その時の俺は、緩んだ感触を「いいよ」だと思った。
右足を半歩引いて、格子の下を通す刃筋を選ぶ。狙うのは格子じゃなく、剥き出しになった端末の胸と腰の繋ぎ目だ。
赤い斬線が金属を裂いた。端末は爪を開いたまま、一瞬その形を保つ。遅れて胸の窓が火花を吐き、細い上体が折れた。追撃はしない。止まったことを見届けて、イエローと距離を取った。
*
地上に出ると、空がやけに広かった。肺いっぱいに、乾いた空気を吸い込む。……生き返る。
回収した中継箱を、二人で技術班の台車に載せた。イエローが箱の番号を読み上げて、俺は地下で撮った写真と照らし合わせる。
「箱ひとつ、お持ち帰りです」
「袋は要りません、って言えばいいのか」
「そこは保冷剤つけて。先輩の腕の分」
石が当たった腕には、小さな青あざができていた。その場で診てもらって冷やす。関節の動きには問題なかった。
技術室では、中継箱に残っていた搬送先の番号と、地下の図面が並べられた。
「候補は絞れる。だが確定ではない。途中の積み替え場所の可能性もある」
「次は、調べる番ですね」
「ああ。君が出る前に、こちらが働く番だ」
きららは回収した箱をしばらく眺めてから、手袋の埃をぱんぱんと払った。ちょっと得意げな顔だった。
実際、得意になっていいと思う。俺一人だったら、たぶん端末を倒して終わりだった。
「足元、助かった」
「それ、私が言おうと思ってたのに」
先に言われた、という顔で笑われた。
地下で二回、腕が締まったことを報告すると、技術者さんが記録に印をつけた。負荷に対する補助の制御なのか、別の反応なのか。今は決めつけずに調べるという。
「俺も、もうちょっとちゃんと言うようにするからな」
装置に、小さく言った。
俺が言っただけで、伝わったことにはしない。
それがどれだけ難しいことか、本当に思い知るのは、もう少し先のことだった。
「箱ひとつ、お持ち帰りです」
「袋は要りません」
「保冷剤はおつけしますか?」
「腕の分、お願いします」
「レシートは技術室で発行されます」
「なんで葵まで店員さんになってるん」