僕のヒーローアカデミア:妖精の参謀 作:並行世界とかという概念最高
空間が、軋んだ。
それは音ではなかった。
世界そのものが、何かに引き裂かれるような感覚だった。
「……っ、解析を中断! 術式の逆流……?」
チセ・トオノは、咄嗟に手元の魔導装置から手を離した。
古代の空間移転装置。
フィオーレ王国で発見されたその遺物は、既存の転移魔法とは根本的に異なる構造を持っていた。興味を惹かれたチセは、ギルドの仲間たちの制止を聞き流しながら解析を進めていたのだが、どうやら少々やりすぎたらしい。
装置の中心に浮かんだ光が、ありえない方向へと収束していく。
「待って。これ、座標が――」
言い終わる前に、足元が消えた。
視界が反転する。
身体が、何かに引きずり込まれる。
最後に見えたのは、解析対象だった古代文字が、見たこともない別の文字列と重なり合う光景だった。
「……帰ったら、絶対に文句言ってやる」
誰に向けたものともつかない悪態を残し、チセの姿は光の裂け目へと消えた。
◇
東京都。
午後の市街地は、いつもどおりの喧騒に包まれていた。
車の走行音。人々の話し声。遠くから響くサイレン。
その雑踏の一角で、空間が唐突に歪んだ。
「――は?」
黒髪の少女が、路地裏の上空から落下してきた。
地面に激突する寸前、チセは反射的に手をかざす。
「ライト・クイル!」
指先から走った光が、空中に複雑な紋様を描いた。
しかし、術式が完成する直前、光が不安定に明滅する。
「ちょっ、マナが薄すぎ……!」
衝撃を殺しきれない。
チセは身体を捻り、肩から地面へ転がった。
「っ、いたた……」
数秒間、沈黙。
やがて彼女は、ゆっくりと上体を起こした。
見慣れない建物。見慣れない標識。見慣れない街並み。
そして、何よりも異様なのは空気だった。
魔導士として生きてきた彼女にとって、大気中のマナは呼吸と同じくらい身近なものだ。意識しなくとも周囲に満ち、魔法を行使するための基盤となる。
ところが、ここではそれがほとんど感じられなかった。
「……冗談でしょ」
チセは額を押さえた。
「転移先の座標が狂った? いや、そもそもこの空気……。マナがないっていうより、世界の構造そのものが違う?」
視線を巡らせる。
装置の残骸はない。帰還用の座標も不明。通信魔導水晶は微弱な反応を返すだけで、ギルドとの接続は成立しない。
状況は最悪だった。
もっとも。
「……まあ、死んでないだけマシか」
チセは立ち上がり、服についた埃を払った。
そのときだった。
「誰か助けてくれ!」
路地の向こうから、悲鳴が響いた。
続いて、何かが地面を叩きつける鈍い音。
チセの表情が変わる。
反射的に意識を集中させた。
「クロノ・アーカイブ……起動」
脳内に周辺の情報が流れ込む。
視界の端で、光の線が交差した。
人の流れ。道路の幅。遮蔽物。逃走経路。
だが、情報の取得速度が明らかに遅い。
通常なら瞬時に整理できるはずの情報が、ひとつひとつ引っかかるように処理されていく。
「……燃費、悪すぎ」
この世界には、魔法の補助となるマナがほぼ存在しない。
つまり、いつもなら外界から補える演算の負荷を、自分の身体だけで支えなければならないのだ。
長期戦は避けるべき。
チセはそう判断すると、騒ぎの方向へ駆け出した。
◇
路地を抜けた先では、ひとつの惨事が進行していた。
巨大な泥状の怪物。
その中心に、少年がひとり捕らえられている。
金髪。鋭い目つき。両手から立ち上る爆発の煙。
少年は抵抗していたが、怪物の粘性のある身体が容赦なく口元へまとわりついていた。
「っ、離せ! クソが……!」
周囲には人だかりができていた。
誰もがスマートフォンを向け、口々に騒いでいる。
「ヴィランだ!」
「誰かヒーローを呼べ!」
「どうするんだよ、あれ!」
チセは一瞬で状況を把握した。
敵は流動体。通常の打撃では決定打になりにくい。
人質はひとり。拘束は進行中。
周囲の一般人は密集しており、逃走経路を塞いでいる。
そして、最悪なのは。
「……何で逃げないの、あの人たち」
チセは心底理解できないという顔をした。
敵が目の前にいる。
戦闘に巻き込まれる危険がある。
それなのに、彼らは安全な場所へ移動するどころか、見物を続けていた。
ヒーローが来るまで待つ?
その間に人質が死んだら、誰が責任を取るのだろう。
「そこの人たち!」
チセの声が、周囲の喧騒を切り裂いた。
「撮影は後! 道路を空けて、建物の陰まで下がって! 子供と負傷者がいたら先に逃がす!」
「えっ、君、誰……?」
「いいから動く! そこの交差点は塞がないで! 救援が来ても入れなくなる!」
あまりにも堂々とした指示だった。
反射的に数人が動き、周囲の人波に隙間が生まれる。
しかし、泥の怪物はその声に反応した。
『邪魔をするなァ!』
怪物の一部が膨れ上がり、チセへと伸びる。
彼女は怪物の動きを見据えた。
「右腕の伸長。到達まで、約1.2秒」
視界の中で、攻撃の軌道が一本の線として浮かび上がる。
「その角度なら――」
チセは半歩だけ左へずれた。
泥の腕が頬をかすめ、背後の壁へ激突する。
怪物の動きが止まった。
チセは、その隙に少年を見た。
呼吸が乱れている。拘束が強まっている。爆発による抵抗は可能だが、至近距離で威力を上げれば、自分自身にも損傷が及ぶ。
このままでは長く持たない。
「金髪! 聞こえる!?」
「誰が金髪だ、テメェ……!」
「反応できるなら十分! 今すぐ爆発を止めて!」
「はァ!?」
「そのまま爆発させたら自分の顔も巻き込む! 威力を上げるな、手首の角度を変えて、怪物の外側へ圧力を逃がして!」
「うるせぇ! 命令すんじゃねぇ!」
「じゃあ、そのまま窒息してなさい!」
ぴしゃりと言い返す。
少年の顔が怒りで歪んだ。
だが、その視線が一瞬だけチセの手元に向く。
彼女は空中に光の文字を描いていた。
文字は幾何学的な紋様へと変わり、淡い光を帯びて固定される。
「ライト・クイル……拘束補助、展開!」
光の符が怪物の表面へ飛ぶ。
しかし、接触した瞬間に光が弾けた。
「っ、やっぱりマナ不足……!」
魔法による拘束は不完全。
それでも、怪物の動きが一瞬だけ鈍った。
チセはその短い時間を逃さない。
「今! 手首を外へ!」
少年の手から、小さな爆発が生じた。
轟音。
爆風が怪物の表面を吹き飛ばし、わずかな隙間を作る。
だが、泥はすぐに再生を始めた。
「チッ、キリがねぇ!」
「当然でしょ。相手の構造を考えなさい!」
チセは周囲を見渡した。
水場。排水溝。電線。建物の配置。
使えるものは限られている。
しかも、この世界の技術体系も、ヴィランと呼ばれる存在の性質もわからない。
ならば、確実性の高い方法を選ぶ。
「正面から潰す必要はない。拘束を一瞬だけ緩めて、人質を引き剥がす!」
「できるもんならやってみろ!」
「言われなくても!」
チセは踏み込んだ。
しかし、次の瞬間。
怪物の身体が大きく膨張した。
『まとめて飲み込んでやる!』
泥が四方へ飛び散る。
チセは舌打ちした。
解析が追いつかない。
この世界のエネルギー構造は不明。魔法による干渉は限定的。相手の攻撃範囲が広がれば、一般人にも被害が及ぶ。
このままでは、救助どころか被害を拡大させる。
必要なのは火力ではない。
時間だ。
誰かが、ほんの数秒だけ敵の注意を引きつければいい。
そして、その役割を担える人間が、もうひとりいた。
「……来た」
チセが視線を上げる。
人混みの向こう。
緑色の髪をした少年が、恐怖に顔を引きつらせながらも、怪物へ向かって走り出していた。
「待ってください! 今、行っても……!」
彼は足を止めなかった。
周囲の人々が驚き、誰かが叫ぶ。
「おい、危ないぞ!」
それでも少年は走った。
無謀だ。
戦闘経験はほとんどない。相手の能力も知らない。救助の手段もない。
ただ、捕まっている人間を見捨てられなかった。
チセは一瞬だけ目を細めた。
「……そういうの、嫌いじゃないけど」
無策で突っ込むことと、覚悟を決めて行動することは違う。
彼は後者だった。
だからこそ、放っておくわけにはいかない。
「緑髪! 頭を下げて!」
「えっ!?」
少年が反射的に身を屈めた。
その頭上を、チセの描いた光の符が飛び越える。
「固定、三秒!」
不完全な術式が怪物の一部を壁へ縫い留めた。
完全な拘束ではない。
だが、怪物の注意が逸れた。
緑髪の少年は、その隙に金髪の少年へ手を伸ばす。
「かっちゃん! 今、助けるから!」
「来んな、デク!!」
叫び声が響いた。
しかし、緑谷出久は止まらなかった。
その瞬間。
「もう十分だ」
低く、力強い声が響いた。
風が吹き抜ける。
次の瞬間、巨大な影が空から降り立った。
「もう大丈夫!」
圧倒的な存在感。
鍛え上げられた巨体。風になびく金色の髪。誰もが知る、象徴的な笑顔。
「なぜなら――私が来た!」
オールマイト。
その登場と同時に、周囲の空気が一変した。
人々の歓声が沸き上がる。
チセは、彼を見上げた。
強い。
身体能力、筋力、速度。
それだけではない。現れた瞬間に人々の恐怖を塗り替えるほどの影響力がある。
だが。
「……到着が遅い」
彼女は小さく呟いた。
もちろん、オールマイトが全力で駆けつけたことなど知らない。
彼が人々を救うためにどれだけの現場を回っていたかも、知る由はない。
チセにわかるのは、ただ目の前の結果だけだった。
人質は危険な状態にあり、救助は遅れ、一般人は避難せず、少年たちは自分の命を危険にさらした。
その事実は変わらない。
オールマイトが拳を振り抜く。
空気が爆ぜた。
轟音とともに発生した風圧が、泥の怪物を吹き飛ばす。
道路の上を、強烈な突風が駆け抜けた。
泥の身体が散り、拘束が解ける。
人質だった爆豪勝己が地面へ落下しかけるが、オールマイトが素早く受け止めた。
怪物は無力化され、周囲から歓声が上がった。
事件は、終わった。
少なくとも、周囲の人々にとっては。
◇
「君たち、怪我はないか!?」
オールマイトが少年たちへ声をかける。
爆豪は荒い息を吐き、緑谷は緊張が切れたように膝をついた。
「……はい」
緑谷は答えたものの、すぐに顔を上げた。
「あ、あの! さっき、指示を出してくれたのって……!」
彼の視線がチセへ向く。
チセは空中に残った光の文字を消していた。
「私?」
「は、はい! すごく的確で……! あれも個性なんですか!?」
「個性?」
チセは聞き返した。
初めて聞く言葉だった。
その反応に、緑谷が目を丸くする。
「えっ、違うんですか?」
「違うも何も、私は魔導士だけど」
「ま、魔導士!?」
「そう。魔法を使う人間」
あまりにもあっさりとした返答だった。
オールマイトが、静かにチセへ視線を向ける。
「君、名前は?」
「チセ・トオノ」
「チセ少女。先ほどの能力は、どのようなものなのかな?」
「能力じゃなくて魔法。周囲の情報を解析して、行動予測と戦術指示を行う。あとは、簡単な術式の構築」
「……それは、個性ではないのか?」
「だから、違うって言ってるでしょ」
チセは眉を寄せた。
会話が噛み合わない。
彼女は周囲を見渡した。
人々はオールマイトを取り囲み、歓声を上げている。警察車両のサイレンが近づき、遠くから救急隊の声も聞こえた。
そして、チセの頭は急速に重くなっていた。
「……あー、最悪」
魔法の消費が想定を超えている。
脳内解析。軌道予測。術式の構築と維持。
これらをマナのほとんどない環境で連続使用したのだ。頭が痛くなるのも当然だった。
チセは鞄を探り、小さな包みを取り出した。
中には、琥珀色の魔力キャンディが入っている。
ひと粒を口に放り込む。
甘さが広がった。
「……生き返る」
その場にいた全員が、彼女を見た。
つい先ほどまで怪物の攻撃を冷静に分析し、オールマイトにすら平然と文句をつけていた少女が、飴ひと粒で露骨に安堵している。
緑谷は目を瞬かせた。
「えっと……それ、何なんですか?」
「非常食」
「非常食!?」
「脳みそが干からびるところだった」
「の、脳みそ……?」
緑谷は困惑し、オールマイトはわずかに眉を上げた。
爆豪は不機嫌そうに舌打ちした。
「テメェ、さっきから何なんだよ。勝手に指図しやがって」
「助けてあげた相手に言う台詞?」
「あァ!?」
「元気ね。さっきまで泥に埋まってたのに」
「ブッ殺す!」
「はいはい。まずは呼吸を整えなさい。酸素不足で頭まで悪くなったら困るでしょ」
「誰が頭悪ィだ、クソが!!」
爆豪が怒鳴る。
チセは、まるで風の音でも聞き流すように肩をすくめた。
「……感情で動きが雑になる金髪、と」
「聞こえてんぞ、テメェ!!」
緑谷は慌ててふたりの間に入ろうとした。
「かっちゃん、落ち着いて! 助けてもらったんだから……!」
「デクは黙ってろ!!」
「うっ……ご、ごめん……」
「謝る必要ないでしょ、緑髪」
チセは緑谷を見た。
「あなた、あの状況で飛び込んだわね」
「えっ……あ、はい」
「勇気があるのは結構。でも、助ける方法も、逃げる方法も考えずに突っ込むのは勇気じゃなくて無謀」
緑谷の顔から、少しずつ笑みが消えた。
「今回は、あの人が来たから助かった。もし間に合わなかったら? あなたまで捕まっていたら? 救助対象がふたりに増えただけよ」
「……はい」
「助けたいなら、生き残ることも考えなさい」
厳しい言葉だった。
しかし、そこに嘲笑や侮蔑はない。
チセは、緑谷が人を助けようとしたこと自体を否定しているわけではなかった。
ただ、その行動に伴う危険を見過ごすつもりがないだけだ。
「勝つのは当然。全員が無事に帰ってくるところまで含めて、戦術なんだから」
緑谷は、目を見開いた。
自分が飛び込んだとき、そこまで考える余裕はなかった。
ただ、かっちゃんが苦しんでいるのを見て、身体が勝手に動いてしまったのだ。
それが正しかったのかどうか。
今の自分には、まだ答えられない。
「……ありがとうございます」
緑谷は、小さく頭を下げた。
「僕、もっと考えます。次は、ちゃんと助けられるように」
「そうしなさい」
チセは短く答えた。
そのとき、警察官たちが現場へ到着した。
「全員、その場から動かないでください!」
警察官のひとりがチセを見て、怪訝そうに眉をひそめる。
「君は? 身分証を提示できるか?」
「……身分証?」
「名前、住所、所属先。確認させてもらう」
チセは数秒、黙り込んだ。
それから、ゆっくりと周囲を見渡した。
見知らぬ世界。
見知らぬ街。
聞いたこともない制度。
そして、帰還手段は不明。
「……あー」
彼女は片手で顔を覆った。
「これ、帰るまでに何日かかるんだろ」
オールマイトが首を傾げる。
「帰る? 君は、どこから来たんだ?」
チセは顔を上げた。
その目に、先ほどまでの軽い苛立ちとは異なる、真剣な光が宿る。
「フィオーレ王国」
彼女は、はっきりと告げた。
「魔導士ギルド、FAIRY TAILのチセ・トオノ。古代の空間移転装置を解析していたら、ここに飛ばされた」
沈黙。
警察官が互いに顔を見合わせる。
緑谷は口を開けたまま固まり、爆豪は眉間に皺を寄せた。
そしてオールマイトは、慎重に言葉を選んだ。
「……それは、どこの国だね?」
「だから、フィオーレ王国」
「日本から来たわけではないのか?」
「日本って国自体、知らないんだけど」
チセは深々とため息をついた。
「ねえ。ひとつ聞いていい?」
彼女は警察官たちを見た。
「ここ、本当に私の知ってる世界?」
誰も、すぐには答えられなかった。
◇
それから数十分後。
チセは、警察車両の後部座席に座っていた。
正確には、座らされていた。
「……ねえ、これって任意?」
隣に座る警察官が、困ったような顔をした。
「詳しい事情を聞くためだ。君が何者なのか、確認する必要がある」
「ふうん。まあ、いいけど」
チセは窓の外を眺めた。
道路を走る車。整然と並んだ信号機。空を飛ぶこともなく、魔法の補助も受けずに動く機械。
興味深いものは多い。
だが、今は調査よりも優先すべきことがあった。
帰還方法の確保。
そのためには、この世界について知らなければならない。
そして、魔法が使える以上、最低限の自衛手段はある。
問題は、消費が激しすぎることだ。
「……甘いもの、もっと持ってくればよかった」
チセは鞄の中のキャンディを確認した。
残りは、わずか。
先行きは暗い。
それでも、彼女は不安に呑まれることなく、頭の中で次の手を組み立て始めていた。
まずは情報収集。
次に、世界の法則の確認。
そして、帰還手段の調査。
順番さえ間違えなければ、どうにかなる。
少なくとも、今はそう考えるしかなかった。
チセ・トオノ。
妖精の尻尾の魔導士。
戦場を読み、仲間を導き、生きて帰るための最善手を選ぶ参謀。
彼女の新しい戦場は、こうして幕を開けた。
そして、この世界の誰もまだ知らない。
後に雄英高校の教師陣が頭を抱え、プロヒーローたちがその指示に従い、ある少年が無茶をするたびに本気で叱られることになる――。
妖精の参謀が、今まさにこの世界へ迷い込んだことを。