セレスちゃんねる ~TSして四百年、異世界の英雄が地球へ生配信を始めました~ 作:セレスちゃんねる
【初配信】エルセリアの大地から、こんにちは!
チャンネル登録者数 2.04万人
本日 20:00 に開始予定 ・ 12,486人が待機中
◇ ◇ ◇
午後七時五十九分。配信開始まで残り一分となった『セレスちゃんねる』の待機所には、既に一万二千人を超える視聴者が集まっていた。
一週間前、何の前触れもなく投稿された一本の風景動画は、その異常なまでの完成度によって、ゲームファンや映像制作関係者の間で大きな話題を呼んでいた。しかし、制作者に関する情報はほとんど明らかになっておらず、チャンネル登録者数が二万人を突破しても、新たな動画が公開される気配はなかった。
それが突然、初めてのLIVE配信を行うと告知されたのである。
新作ゲームの発表を期待する者、謎の映像技術の正体を知りたい者、あるいは新人VTuberのお披露目ではないかと予想する者など、視聴者たちの思惑はさまざまだった。だが、これまで沈黙を続けていた投稿者がついに姿を現すかもしれないとあって、コメント欄は配信開始前から大いに賑わっていた。
『あと30秒!』
『もうすぐだ!』
『初配信楽しみ!』
『結局どんな配信なんだろ』
『モデルのクオリティにも期待』
『頼むから釣りじゃありませんように』
そして、時計の表示が午後八時を指した。
待機画面がふっと暗転すると、コメント欄には『きた!』『始まった!』といった書き込みが一斉に流れ始める。
数秒ほどの暗闇のあと、画面いっぱいに鮮やかな青空が広がった。
ゆっくりと流れる白い雲の下には緑豊かな草原が続き、遠方には雪を頂いた雄大な山脈が連なっている。眼下に広がる雲海は陽光を受けて白く輝き、風に揺れる草花の間からは、鳥のさえずりまで聞こえてきた。
先日公開された水路都市とはまったく異なる景色だったが、その美しさは少しも劣っていない。むしろ、どこまでも広がる大自然の雄大さに、視聴者たちは思わず見入っていた。
『うわ、綺麗!』
『背景すっげえ!』
『前回の街とは全然違う場所だ』
『ここを歩けるゲーム欲しい』
『初配信からこのクオリティか』
そんなコメントが流れる中、不意に画面の端で白銀の輝きが揺れた。
「あっ、もう始まっているんですね!」
澄んだ女性の声とともに姿を現したのは、思わず息を呑むほど美しい女性だった。
陽光を受けて柔らかく輝く白銀の長い髪は、一部が丁寧に編み込まれ、残りは腰の辺りまで優雅に流れている。宝石を思わせる澄んだ青い瞳に、透き通るような白い肌。身にまとっているのは、白銀と紺青を基調とし、金色の装飾を随所に施した戦乙女を思わせる装いだった。
華奢な肩や細い腕、すらりと伸びた脚に対して、女性らしい豊かな身体の曲線が際立っている。腰に下げた美しい装飾剣も相まって、その姿は神話の挿絵に描かれた女神が、そのまま現実に姿を現したかのようだった。
しかし、何より視聴者たちを驚かせたのは、彼女の顔立ちと映像の質感である。
大きく印象的な瞳も、繊細な鼻筋も、柔らかな唇も、まるで美麗な二次元イラストから抜け出してきたかのように整っている。ところが、その肌も髪も、そして何気ない仕草の一つひとつまで、紛れもなく実写の質感を伴っていた。
瞬きをすれば睫毛が自然に揺れ、微笑めば頬や目元の表情が柔らかく変化する。風に合わせて動く白銀の髪には一本一本まで重みが感じられ、衣装に施された金属装飾は、周囲の景色を映し込んでいた。
その姿はあまりにも現実離れしているのに、背後の草原や山々から浮いて見えることはない。まるでアニメの中の絶世の美少女が、現実の世界に生まれ落ちたかのような、不思議な存在感があった。
『…………え?』
『ちょっと待って』
『何この美人』
『女神様!?』
『え、実写? 3D?』
『顔が二次元なのに質感が実写なんだが』
『モデルの完成度おかしいだろw』
『これがセレスちゃん!?』
コメント欄が騒然となる中、女性は画面の中央まで歩み寄ると、こちらに向かってにっこりと微笑んだ。
その笑顔は、神々しい容貌から想像される近寄りがたさとは裏腹に、どこまでも柔らかく親しみやすい。彼女は胸元に片手を添えて軽く一礼すると、弾んだ声で挨拶した。
「エルセリアの大地から、こんにちはー! はじめまして、セレスティアと申します! 長い名前なので、気軽にセレスと呼んでくださいね!」
澄んだ鈴の音を思わせる美しい声だったが、その話し方は意外なほど気さくだった。
「今日は私の初めての配信に来てくださって、本当にありがとうございます! こうして皆さんと直接お話しするのは初めてなので、ちょっと緊張していたんですけど……どうぞよろしくお願いします!」
そう言って、彼女――セレスはもう一度ぺこりと頭を下げた。
『かわいいいい!』
『声も綺麗!』
『セレスちゃんよろしく!』
『初配信おめでとう!』
『女神みたいなのにめっちゃ気さく』
『こういうお姉さん好き』
『表情の動きまで自然すぎる』
挨拶を終えたセレスは、次々と流れてくるコメントに目を向け、その一つひとつを確かめるように読み始めた。やがて、自分への挨拶や歓迎の言葉を見つけると、嬉しそうに顔をほころばせる。
「あっ! ちゃんと皆さんの言葉が届いていますね! よかったぁ……」
ほっと胸を撫で下ろしたあと、彼女は改めて画面へ向き直った。
「ええと、私の声もきちんと聞こえていますか? 途中で聞こえなくなったり、何かおかしなところがあったら教えてくださいね」
『聞こえてるよー!』
『音声問題なし!』
『映像も綺麗!』
『音ズレもないぞ』
「本当ですか? ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべたセレスは、ようやく安心できたとでもいうように小さく息を吐いた。
「実は、こうして皆さんとお話しできるようになるまで、結構苦労したんですよ。何度も失敗して、そのたびに色々と調整して……ようやく成功したので、本当に嬉しいんです!」
『お疲れ様!』
『配信環境整えるの大変だったんだな』
『このクオリティなら準備にも時間かかりそう』
『でも成功してよかったね!』
「ふふっ、ありがとうございます! 皆さんにそう言っていただけると、頑張った甲斐がありました!」
セレスが浮かべた笑顔に、コメント欄にも労いの言葉が次々と寄せられていく。あれほどの映像を生配信で動かしているのだから、準備には相当な時間と労力を要したのだろう。もっとも、どんな機材や技術を使っているのかについては、現時点ではまったく説明されていなかった。
ただ、そうした疑問はさておき、目の前の美しい配信者が自分たちとの交流を心から喜んでいるように見えることは、視聴者たちにとっても嬉しいものだった。
◇ ◇ ◇
「さて、それでは改めまして、自己紹介をさせていただきますね!」
セレスはそう言って姿勢を正すと、ゆっくりと言葉を続けた。
「先ほどもお話ししましたが、私の名前はセレスティアといいます。普段はエルセリアという世界で、色々な場所を旅しながら暮らしているんですよ」
『エルセリア!』
『前の動画のタイトルにあった名前だ』
『旅人設定か』
『冒険者って感じ?』
「あ、そうですね。冒険者というのも間違いではありませんよ。色々な土地を巡って、綺麗な景色を眺めたり、美味しいものを食べたり、たまに困っている方のお手伝いをしたりしています」
『冒険者いいなあ』
『異世界旅行系VTuber?』
『魔法とかも使える設定なの?』
「魔法ですか? はい、もちろん使えますよ!」
当然のように答えたセレスは、少し得意そうに胸を張った。
「魔法は昔から好きで、今でも色々と研究しているんです。今回の配信も、その研究の成果の一つなんですよ!」
『おお、魔法使いなのか』
『配信も魔法でやってる設定なんだ』
『でも剣も持ってるよね?』
「ああ、この剣ですか? もちろん、剣も使いますよ。魔法だけで何でも解決できるわけではありませんからね。それに、剣術そのものも結構好きなんです」
そう言って腰の装飾剣に軽く手を添える仕草は、ごく自然で無駄がない。大仰に剣を掲げたり、決めポーズを取ったりするわけでもなく、普段からそこに武器があることに慣れているような、何気ない所作だった。
『魔法剣士きた!』
『戦乙女っぽい衣装だと思ってた』
『めっちゃ強そう』
『剣も魔法も使えるとかロマンあるな』
「ふふっ、ありがとうございます。でも、普段はそんなに物騒なことばかりしているわけではありませんよ? のんびり旅をしたり、友人たちとお茶を飲んだりする時間も大切にしていますから」
穏やかに笑う彼女の振る舞いには、無理に取り繕った様子のない自然な品の良さがあった。背筋の伸びた立ち姿や柔らかな所作、相手を安心させる微笑みは落ち着いた大人の女性を思わせるが、興味を惹かれたときに目を輝かせる姿は、どこか少女のようでもある。
神々しいほどの美貌を持ちながら、話してみれば驚くほど気さくで親しみやすい。その意外な組み合わせに、コメント欄には早くも彼女のファンになったという声が増え始めていた。
そんな中、一つの質問が彼女の目に留まった。
『ところでセレスちゃんってVTuberなの?』
「……VTuber?」
初めて耳にするらしい言葉に、セレスは不思議そうに首を傾げた。
「ええと、ごめんなさい。VTuberというのは、どういう意味なんでしょう?」
『えっ』
『VTuber知らないの!?』
『バーチャルYouTuberの略だよ』
『アバターとか3Dモデルを使って配信する人のこと』
『異世界出身だから知らない設定なのかw』
流れてくる説明を目で追いながら、セレスは何度か小さく頷いた。
「ああ、なるほど! そういう活動をされている方々がいらっしゃるんですね。教えてくださってありがとうございます!」
そこで少し考えるように顎へ指を添えた彼女は、再び口を開いた。
「でも、私は実際にここにいるので、その方々とは少し違うかもしれませんね」
『そういう設定なんだなw』
『異世界から直接配信してるってことね』
『世界観を大切にしてるタイプ好き』
「ふふっ。はい、エルセリアからお届けしています!」
セレスは特に気分を害した様子もなく、にこやかにそう答えた。
コメント欄には彼女の徹底したキャラクター設定を称賛する声が流れ、なかには「本当に異世界から配信しているということにして楽しもう」と呼びかける者まで現れていた。
一方、当のセレスはといえば、そうした反応を目にしても特に訂正することはなく、相変わらず楽しそうに微笑んでいる。その様子を見た視聴者たちも、彼女が新人VTuberとしての世界観を大切にしているのだろうと受け止め、それ以上は深く追及しなかった。
◇ ◇ ◇
初配信が始まってからしばらくすると、視聴者はさらに増え続け、同時接続者数は一万五千人を突破していた。
もっとも、当のセレスはそんな数字を気にする様子もなく、目の前に流れてくるコメントを楽しそうに眺めている。少しずつ配信にも慣れてきたのか、質問を見つけては答え、その返事にまた新しいコメントが送られてくるというやり取りも、随分と自然なものになっていた。
『好きな食べ物は?』
「好きな食べ物ですか? そうですねぇ……色々ありますけど、旅先で食べる郷土料理が好きですね! その土地でしか食べられない料理って、何だかわくわくしませんか?」
『分かる!』
『ご当地グルメいいよね』
『食レポ配信してほしい』
「食レポ、ですか? ああ、食べたものをご紹介するんですね! それは楽しそうです!」
『異世界グルメ配信とか絶対見る』
『ぜひやって!』
「ふふっ、いいですね! エルセリアには美味しいものがたくさんありますから、ぜひ皆さんにもご紹介したいです」
そう言って、セレスは少し考え込むように顎へ指を添えた。
「あとは、普段どんなことをしているのか、でしたっけ。そうですね……最近は魔法の研究に夢中になっていましたけど、普段は色々なところを旅していますよ。綺麗な街を見つけたら立ち寄ったり、珍しいものがあると聞けば見に行ったり。あまり一つの場所に留まることはないですね」
『自由な旅人って感じだ』
『羨ましい生活』
『今後は旅の様子を配信するの?』
「はい、そのつもりです! 今回のように皆さんとお話しするのも楽しいですけど、せっかくですからエルセリアの色々なものをお見せしたいなと思っているんです」
セレスはそこで、思い出したように両手を合わせた。
「あ、前に投稿した水路の街の動画はご覧になりましたか? あそこ、とっても素敵な場所なんですよ! 街中に水路が張り巡らされていて、小さな船で移動できるんです。市場も賑やかですし、お料理も美味しいんですよ」
『見た見た!』
『あの動画から来ました!』
『めっちゃ綺麗な街だった』
『またあの街見せてほしい!』
「もちろんです! また近くを訪れることがあれば、今度は街の中もご案内しますね」
そんなやり取りを続けるうち、最初の風景動画に登場した生き物の話題も上がり始めた。
『セレスちゃん、ドラゴン好き?』
「あら、ドラゴンですか? はい、大好きですよ!」
その質問には、先ほどまで以上に嬉しそうな声が返ってきた。
「初めて見たときは本当に感動しましたね。あの大きな翼を広げて空を飛ぶ姿なんて、何度見ても格好いいですし!」
『分かる!』
『ドラゴンは男のロマン』
『セレスちゃん分かってるなw』
『ドラゴンライダーとか憧れる』
「ふふっ、そうですよね! 大きなドラゴンの背中に乗って大空を飛ぶなんて、とっても素敵だと思いませんか?」
『めっちゃ分かる』
『ロマンの塊』
『セレスちゃんもそういうの好きなのか』
「もちろんですよ! それに、空から眺める景色も本当に綺麗なんです。地上から見るのとは全然違いますから」
『乗ったことある設定なのかw』
『空からの映像も見たい!』
『ドラゴンに乗って飛ぶ配信とかできる?』
「そうですね。機会があれば、ぜひ皆さんにもご紹介したいです!」
笑顔で答えるセレスに、コメント欄もすっかり盛り上がっていた。特にドラゴンの話になると、彼女は身振りを交えながら翼の大きさや飛ぶ姿の格好よさを語り始め、その様子はまるで本当に目の前で見たことがあるかのように生き生きとしている。
そうした自然な反応も、エルセリアという世界の存在感を高める一因となっていた。最初の風景動画で巨大な生物が飛んでいたこともあり、次はドラゴンを間近で見てみたいという要望が、コメント欄のあちこちに流れ始めていた。
◇ ◇ ◇
「あっ、そうだ! 皆さん、せっかくなので今いる場所をご紹介しましょうか」
ふと思いついたようにそう言うと、セレスは軽く片手を動かした。
すると、彼女を正面から映していた視点が、ゆっくりと横へ移動し始める。画面は一切の揺れを見せないまま、セレスの横を通り過ぎ、その背後に広がっていた高原の風景へと向けられた。
そこには幾重にも連なる山脈と、その麓を覆う広大な雲海が広がっていた。高原の一角には小さな石造りの建物が建っており、周囲には幾何学的な模様が刻まれた石柱がいくつも並んでいる。
「ここは、私が魔法の研究をするときによく使っている場所なんです。周りに街や村がないので、大きな魔法を試すときにも便利なんですよ」
『研究施設なのか』
『絶景すぎる』
『こんな場所に住んでみたい』
『周りに本当に何もないな』
「はい! 少し遠いところにありますけど、景色も綺麗ですし、私のお気に入りなんです」
そう言いながら、セレスは遠方の山脈へ向かって手を伸ばした。
「あちらの山々は、冬になるともっと綺麗なんですよ。今は暖かい季節ですけど、雪が降る頃には辺り一面が真っ白になって……そうですね、今度は冬の景色もお見せしたいですね!」
『楽しみ!』
『冬バージョンも見たい』
『季節で背景変わるのか』
『この視点移動どうやってるんだ?』
『カメラ動かしてる人いる?』
視聴者の多くが雄大な景色を楽しむ一方、映像制作に詳しい者たちは、先ほどの視点移動に首を傾げていた。
事前に制作された映像ならともかく、これはセレスがコメントへ反応しながら行っている生配信である。にもかかわらず、視点の移動にはカメラ特有の揺れがなく、周囲の光や影も違和感なく変化している。
高品質なリアルタイム映像であることは分かっていても、いったいどのような仕組みで動かしているのか。初配信ということもあって、制作環境について詳しく知りたいという声も少なくなかった。
『これ本当にリアルタイムなの?』
『新しいレンダリング技術とか?』
『技術解説してほしい』
しかし、セレスはそうした質問には特に答えず、のんびりと周囲の紹介を続けていた。
「それから、あちらに見える石柱は魔法の実験で使うものですね。万が一何かあっても、周囲に被害が出ないようにしてあるんです」
『安全対策もあるのか』
『魔法の実験って危険そうだもんな』
『大魔法なら爆発とかしそう』
「そうですね。魔法は便利ですけど、扱い方を間違えれば危険なものですから。特に大きな術式を使うときは、周囲への影響をきちんと考えないといけません」
それまでの明るい口調とは少し異なり、その説明にはどこか真剣な響きがあった。
画面に映る石柱や建物も、単なる背景というには随分と細かく作り込まれている。石柱にはそれぞれ異なる文様が刻まれており、地面にも複雑な幾何学模様が広がっていた。
視聴者たちの目には、そうした風景もまた、魔法の研究を行う場所という設定に説得力を持たせるためのものとして映っていた。
◇ ◇ ◇
配信開始から二十分ほどが経過した頃、周囲の景色を一通り紹介し終えたセレスは、再び画面の中央に戻っていた。
「さて、ほかに何か気になることはありますか? せっかくですから、もう少し皆さんとお話ししていきたいですね」
『魔法見せて!』
『剣術も見たい!』
『街歩き配信お願いします!』
『ドラゴンお願いします!』
「あらあら、色々ありますね! ふふっ、ありがとうございます。全部一度には難しいですけど、少しずつご紹介していければと思います」
楽しそうにコメントを眺めていたセレスだったが、ふと何かに気づいたように表情を変えた。遠くの空へ視線を向けると、少しだけ困ったような笑みを浮かべる。
「……あら? どうやら、知り合いがこちらに向かっているみたいですね」
『知り合い?』
『お、コラボ相手か?』
『誰か来るの?』
「うーん……たぶん、私を心配して来てくださったんでしょうね」
その言葉が終わるか終わらないかというとき、遠くから雷鳴にも似た重々しい音が響いてきた。
しかし、頭上には雲一つない青空が広がっている。視聴者たちが不思議に思っていると、遥か彼方の山脈の上空に巨大な影が現れた。
『ん?』
『何か飛んでない?』
『鳥?』
『いや、デカくね?』
最初は小さな点のように見えたその影は、みるみるうちに大きくなり、やがてはっきりとした輪郭を現していった。
大きく広げられた翼に、長く伸びた尾。頭部から後方へと伸びる立派な角と、巨体を覆う重厚な鱗。
それは、誰もが一度は空想したことのある伝説の生物――ドラゴンの姿だった。
『ドラゴン!?』
『でっっっか!!』
『本当に出てきたwww』
『さっきドラゴンの話してたから!?』
『タイミング良すぎるだろw』
巨大な竜は悠然と翼を羽ばたかせながら高原へ近づき、石造りの研究施設から少し離れた岩場へ向かって降下し始めた。
その迫力は、以前の風景動画で遠くを飛んでいたドラゴンとは比較にならない。重厚な鱗は陽光を受けて鈍く輝き、巨大な翼が空気を叩くたびに、眼下の草原が大きく波打っている。
やがて巨体が地面に降り立つと、重い地響きとともに強烈な風が吹き抜けた。周囲の草木ばかりか、離れた場所に立つセレスの白銀の髪まで大きくなびき、その場に立ち会っているかのような迫力に、コメント欄も一瞬言葉を失ったほどだった。
しかし、当のセレスは少しも慌てていない。
「あらあら。やっぱり、こちらへ向かってきましたね」
『知り合いってドラゴン!?』
『まさかのドラゴン登場w』
『初配信から豪華すぎる』
『迫力やべえ!』
どこか懐かしそうに微笑むセレスへ向かって、竜は巨大な頭を持ち上げた。その金色の瞳が彼女を捉えると、地鳴りのような声が高原全体へ響き渡る。
「英雄殿! この尋常ならざる魔力は何事だ! どこぞの大陸でも滅ぼすつもりかと思ったぞ!」
『喋ったああああ!?』
『ドラゴンが喋ったwww』
『声めっちゃ渋い』
『英雄殿!?』
『大陸滅ぼすって何!?』
『セレスちゃん英雄設定なのかw』
予想外の呼びかけにコメント欄が騒然となる一方、セレスはまるで久しぶりに友人と再会したかのように、明るく挨拶を返した。
「あら、お久しぶりです! そんなことしませんよ。今日はちょっと、新しい魔法を試しているだけですから」
「……新しい魔法、だと?」
「はい! ようやく上手くいったので、今ちょうど皆さんとお話ししていたところなんです」
嬉しそうに説明するセレスとは対照的に、竜はしばらく彼女を見据えたまま沈黙していたが、やがてその巨大な口から、呆れたような深いため息を漏らした。
「……おぬしの言う『ちょっと』は、昔から信用ならぬ」
「もう、失礼ですね。ちゃんと周囲への影響も考えていますよ? だからこそ、わざわざこんな人里離れた場所まで来たんですから」
「それは分かっておる! だが、あれほどの魔力が動けば、我とて何事かと思うわ!」
「ふふっ、ご心配をおかけしてしまったようですね。ごめんなさい」
申し訳なさそうに微笑むセレスだったが、竜はまだ話が終わっていないとでも言いたげに、彼女の顔をじっと見つめていた。
「そもそも、その新しい魔法とやらは何なのだ? まさか、また妙なことを始めたのではあるまいな」
「あ、そうでした! まだ説明していませんでしたね」
そう言ってぽんと手を打ったセレスは、ぱっと顔を輝かせた。
「実は、世界間通信魔法がようやく完成したんです! 今はその魔法を使って、遠くの世界にいらっしゃる皆さんとお話ししているところなんですよ!」
「…………」
しかし、竜から返ってきたのは返事ではなく、妙に長い沈黙だった。
「ほら、こちらの皆さんからも、たくさんお返事が届いているんですよ! とっても楽しいんです!」
「……待て、英雄殿。今、何と言った?」
「ですから、世界間通信魔法です! 別の世界にいらっしゃる方々と、こうしてお話しできるようになったんですよ!」
「……別の世界、だと? まさか、おぬしは異なる世界との接続を成し遂げたというのか!?」
「はい! まだ映像と音声のやり取りだけですけど、ちゃんと会話もできるんですよ!」
セレスが満面の笑みで答えると、竜は大きく目を見開いたまま、再び動きを止めた。
それまでの威厳ある姿からは想像できないほど分かりやすい反応だった。巨大な頭をゆっくりと動かし、セレスの正面に広がる何もない空間へ目を向けると、何かを確かめるようにじっと見つめている。
そんな様子にも構わず、セレスは嬉しそうに話を続けた。
「こちらの皆さんは、とっても親切なんですよ! 先ほども色々なことを教えていただきましたし、これからはエルセリアの綺麗な景色や、珍しいものをたくさんご紹介したいと思っているんです!」
「……おぬしという娘は、本当に……」
竜は何かを言いかけたものの、結局それ以上は続けず、諦めたように大きく息を吐いた。
「世界の理を越えるような魔法を、まるで新しい玩具でも手に入れたかのように使いおって……」
「あら、そんなことありませんよ。ちゃんと色々と考えて作ったんですから」
「そういう問題ではない!」
「ふふっ。でも、本当に楽しいんですよ?」
セレスが心から楽しそうに微笑むと、竜はとうとう反論することさえ諦めたようだった。そんな二人のやり取りを眺めていた地球の視聴者たちも、最初こそ巨大なドラゴンの登場に驚いていたものの、今では古くからの知り合いらしい遠慮のない掛け合いに夢中になっていた。
『ドラゴンさん苦労人枠で草』
『セレスちゃんに振り回されてるw』
『掛け合い面白すぎる』
『このドラゴン絶対いい人だろ』
『英雄殿って呼び方かっこいい』
『これリアルタイムで会話してるんだよな?』
『初配信とは思えない豪華さ』
画面の向こうにいる視聴者たちにとっては、巨大な竜も、入念に作り込まれたファンタジー世界の登場人物に過ぎない。突然の乱入という演出や、自然な掛け合いの面白さに盛り上がる一方、今回の配信をどうやって制作しているのかという疑問も、徐々に大きくなっていた。
もっとも、そんなコメントが流れる中、セレスはふと目に留まった別の書き込みに興味を示した。
『ドラゴンさんの名前知りたい』
『背中に乗ったりできるの?』
『さっきドラゴンライダーの話してたよね』
『空からの景色とか見てみたい!』
『ドラゴンに乗って飛ぶ配信希望!』
「あっ!」
何かを思いついたらしく、セレスの顔がぱっと明るくなった。
「そういえば、皆さんに空からの景色もご紹介したかったんですよね!」
『お?』
『まさか……』
『これは期待していいのか!?』
視聴者たちの期待が高まる中、セレスはにこやかに竜へ向き直った。
「あの、せっかく来てくださったんですし、少し背中に乗せていただいてもいいですか?」
「…………は?」
あまりにも唐突な申し出に竜の動きがぴたりと止まったが、セレスはいつもの頼み事と何ら変わらない調子で言葉を続けた。
「こちらの皆さんに、エルセリアの空をお見せしたいんです! きっと喜んでくださると思うんですけど……駄目でしょうか?」
「おぬし……我が何をしに来たと思っておるのだ……?」
「もちろん、私のことを心配して来てくださったんですよね? ありがとうございます!」
「…………」
「ふふっ、せっかくですから、一緒に楽しみましょうよ!」
その無邪気な笑顔を向けられた竜は、しばらくセレスを見つめたあと、ゆっくりと天を仰いだ。巨大なドラゴンが見せた妙に人間臭い反応が面白かったのか、コメント欄は再び大騒ぎとなる。
『ドラゴンライダーきたああああ!!』
『マジで乗るの!?』
『空中散歩配信!?』
『初配信から内容濃すぎるwww』
『ドラゴンさん頑張って!』
『これ絶対伝説の初配信になるだろ』
もはや地球の視聴者たちが心待ちにしているものは、新作ゲームの発表でも映像技術の解説でもなかった。
女神のように美しいセレスティアが、巨大なドラゴンの背中に乗って大空を飛ぶ。ほんの少し前まで誰も想像していなかった展開に、画面の向こうでは期待の声が溢れ続けている。
――こうして、セレスちゃんねるの初めてのLIVE配信は、誰も予想しなかった方向へと進んでいくのだった。