トレセン学園は、今日も元気に営業中である。
「昨日も大きな槍を背負った、やけに顔が怖い男性が目撃されたらしいですよ。伊龍さんも気をつけてくださいね」
「なんですかその不審者。治安終わってますね」
事務室では、今日も書類祭り。
俺こと伊龍玄一は、どこにでもいる普通の事務員である。
ここに勤める優秀なトレーナー、ウマ娘たちのために日々データ収集するのが主な仕事だ。
そして、隣の駿川たづなさんは俺の上司。
俺はこの、異常に多忙な駿川さんを補助する役割に抜擢された。
ある日突然。秋川理事長に。ふざけてる。
「あなたも、そんな怖い顔してたら逮捕されるかも知れませんよ? ご家族になんと説明すれば……」
「ははは、冗談キツイですよ。……あれ、何か紙が」
駿川さんを指さして笑っていると、引き出しに便箋が刺さっているのに気がつく。
関係の無い話だが、俺はPCの使用を禁止されている。触ると煙を吹くからだ。
「あら、もしかしてラブレターですか?」
二つ折りになっている、その文を開く。
一体、いつの間に刺さっていたのやら。全く気が付かなかった。手紙刺すの流行ってるのか?
『かえせ』
ただ、それだけだった。
冷や汗が背を伝う。
墨で書かれているらしいそれは、何度見てもそれだけだった。
「……?」
裏返す。
何も無い。
「……ふむ」
───さておき、俺は一体何を盗ってしまったのだろうか。
俺の脳裏に、あるひとつの武器が思い出される。
まさか、あの槍……いや、あれは別に盗ってないぞ……。
二人しかいない事務室に、静寂が降りる。
「……伊龍さん、まさか強盗したんじゃ」
「やってません!」
結局相手にもされず、俺の部屋を捜索されることが確定した。
「……また変なの呼んだんですか、あなた」
廊下で引きずられていると、見知ったウマ娘がそんなことを呟いた。名前は確か……マンハッタンカレーだったか。
しかし、俺が返事するよりも先にどこかへ行ってしまう。……今度、話を聞きに行く必要がありそうだ。
「? 何か言いました?」
「……いえ。とかく、部屋に急ぎましょう。俺の無実のために」
事務室を出て少し歩けば、あっという間に俺の自室である。
早速俺たち……というか駿川さんは、部屋を物色し始める。
しかし、俺の部屋はトレーニング器具しか置いていない。
あとは母からの手紙くらいか。
もう山ほど溜まっているが、仕事が忙しくて読めていない。
「特に不審なものは無いですね。……もちろん、信じてましたよ?」
「本当ですか?」
「いやぁよかったです! 書類仕事が増えたらどうしようと、気を揉んでいましたよ」
「ハハッ! 違いない」
晴れて無実の身になった俺は、ほっと息をついた。
「…………」
じゃあアレは何だったんだ。
恐怖でガタガタ震える俺を他所に、駿川さんは至極事務的だった。
「あ、立て続けで申し訳ないんですけど、そろそろトレーナーさん達との面談の時間ですよ」
「……確かに。今日は、ええと、……パルスボム大王? の担当トレーナーさんでしたかね」
「カルストンライトオさんのことならそうですね」
ルス、しか合ってなかった。
■■■■■■■■■
蜘蛛の糸が、小さな身体を縛る。
私の玄一さん。かわいいかわいい玄一さん。
私が守る。死ぬまでずっと。
強くなっても、いつまでもあなたは私の子。
───どうして?
どうして離れていくの?
待ちなさい、玄一。
待って、行かないで。
嫌いにならないで。
傷も癒えてきた。
そろそろ、良かろう。
とりかえすか
■■■■■■■
FILE 4『蜘蛛』
深夜。
明らかに労働法に違反しているが、いつもの事なので感覚を麻痺させ、ひたすらにペンを動かす。その傍らには、何度もへし折られた鉛筆が転がっている。
「あぇ〜」
可愛らしくも気の狂った声をあげる上司を、俺はもう見慣れてしまった。
ふと気になって、横にいる駿川さんの業務連絡をちらと見る。
『〜本日の業務〜
木曜日が踊る朝は、鳥たちがすやすやと寝息を立て、やがて世の中のレジスタンスとなりて舞い戻らん。
嗚呼、小学校、小学校───中々住み良きところよの。愚息が私を騙しおった。許せん。自由など与えるべきでなかった。四肢を奪っておけばwdtgfdgjkkkkkkk』
「駿川さん」
「あぇー」
「駿川さん、寝てください」
「……んぇ?」
トレセン学園には、闇があった。
「秋川理事長、お時間よろしいでしょうか」
「驚愕!!! ノックくらいしてほしい! あと近い!」
中々寝付けない駿川さんの自律神経を整え、即座に爆睡させた俺は、直談判に向かった。
秋川理事長はこんな時間なのに部屋を明るくし、夜食とともに仕事中であった。
この職場の由々しきブラック体質はここから伝播しているようだ。当然のように働いていたトレーナーたちは、既に全員帰らせた。あとはこの首魁だけだ。
「同僚として見ていられません。業務の改革を検討してください」
「……むむむ、まさかあのたづながそこまで追い込まれているとは」
「他の事務員は何をしているんですか。我々だけで回るわけがないでしょう」
現に、このトレセンにいるのは俺と駿川さん、そしてパートで入ってくれる
俺は更に距離を詰める。
この人を責めても仕方がないが、鶴の一声という言葉もある。もしかしたら、従業員の補充を提案してくれるかもしれない。
「きょ、恐怖! ……とは言っても、君たちほど優秀な事務員は他にはいないのだ。……それ以外にも、理由はあるが」
「一体なんだと言うんです」
「実は、今───げん、いち」
「あ?」
「……へ? いや、私は何も『かえせ』」
ぞわり、と髪が逆立つのを感じる。
その言葉は、奇遇にも最近聞いたものだった。
「かえせ、かえせ『お前か』かえせ……な、何を盗ったんだ君は!? 怖い怖い……!」
「何も盗ってませんよ!」
「怪奇! なにか、恨みを買うような真似を───か、え、せ。
約束を、果たせ」
「おいッ! やめろ……ッ!」
わけは分からんが、これ以上秋川理事長を巻き込むわけにはいかなかった。
口を抑え込むが、彼女の口は動き続ける。
その顔は今にも泣きそうで、恐怖に染まっていた。
このヒステリックにも似た嘆き。
身に覚えがあった。
すると、秋川理事長の首あたりに、きらりと光る一筋の糸が見えた。
俺は即座に、手刀で切り裂く。
理事長の奇声はピタリと止まり、俺の方へと倒れ込んできた。
「……あ、ああ……」
「……まさか、わざわざ来てしまわれたか」
ここに来る前の、苦い記憶。
俺を捕らえる蜘蛛の糸。
やっとの思いで振りほどいた。
憎悪とも、恐怖とも違う何かが、腹の底で蠢く。
「……おい、そこに居るなら聞け」
俺は白目を剥く秋川理事長を支えながら、低い声で『お願い』した。
「───忙しくて、つい忘れていた。……悪かった」
視界が黒に染まる。
違う、電気が消えたのだ。
『が、す』
すぐ後ろから、腹の底に響くような低い声がする。
俺は理事長を隠すようにして、顔だけ後ろをむく。
蜘蛛だ。
巨大な蜘蛛に、若い女の上半身がついていた。
血色の無い、青白い肌。
薄く長い黒髪から覗く瞳。
顔の半分を占める大きな瞳は、黒一色。
正確には、複眼のように、てらてらとした球体がひしめき合っているのだ。
天井の隅に脚を這わせ、顔だけをこちらに向けている。
俺は動けなかった。
ここで戦えば、秋川理事長が無事では済まない。
これはあの時、止めをさせなかった俺の落ち度なのか。
だが、もう遅い。
ソレの動きを、ひたすら注視する。
『───ク、ク』
すると、口に当たる部分がざわざわと蠢いた。
『息子が、お世話になっております』
恐ろしいまでに、腰が低かった。
「───ッ!!!」
───そこは閑散とした、いつもの事務室であった。
じっとりと汗が滲む。
もう夏だと言うのに、寒気が止まらなかった。
時計を見ると、とっくに昼時を回っている。
……朝礼、すっぽかしてしまった。
拳を上げると、パラパラと破片がこぼれ落ちる。
弾け飛んだ机を呆然と眺め、俺は冷静にやるべきことを思い出す。
「……返さなければ。また来られたらかなわん」
おもむろに、俺はあの手紙を開く。
少し前に送られてきた、例の手紙を。
───その時、視界の端に覚えのない袋を捉えた。
「これは……?」
それは、駿川さんがよく食べている飴だった。なぜ、一個だけ俺の机に……?
「伊龍さん!? どこに行ってたんですか! 探しま……って何ですかこれえええええ!」
めちゃくちゃになった事務室を見て、駿川さんの絶叫が響き渡る。
俺はようやく、寝ぼけて机を破壊してしまったことに気がついた。だらだらと、汗が噴き出す。
さっきの化け物など比べるべくもない、本物の恐怖を俺に与えたのだった。
あんたの言う通り、都会は怖いところだな。……母さん。
♢後日談
「まずは……ありがとうございます」
目の前の少女が、恭しく頭を下げた。俺はそれに、手を挙げて返す。
「気にしないでください」
「……皮肉で言ってるんです」
やけに長い前髪から、じとりと睨む視線を感じる。
一週間が経った。俺は相談相手───マンハッタンの元へやって来た。
彼女がいるところ霊障あり、ということで俺は彼女が苦手だった。
俺が顔を出した途端、全てを理解したようにため息をつかれた。何でも、ここ最近はアレに悩まされていたらしい。
「……どれだけほっといたら、あんな事になるんですか? 連絡くらいちゃんと返してあげてください」
「あいにく、電子機器は持ち歩けない体質でしてね。それに、アレは昔からアレのままです」
怪異の正体は、俺の母親であった。
上京する際、俺は母親と大喧嘩になった。理由は単純、奴が過保護だからだ。
結局、俺が『連絡くらいはする』と約束したことで、渋々折れてくれたのだ。
で結局、全く連絡を『返さなかった』ことでブチ切れたのだろう。約束を破ってしまったことに対し、少しばかり罪悪感を覚えた。
そこで、俺はあの大量の手紙に対し、年賀状で連絡を『返した』。
形はどうあれ、お許しいただけるようだ。……今回は。
万感の想いを込め、俺は息をついた。
『自由など与えるべきでなかった』
「……全く、さっさと子離れしてほしいものです」
「……寂しくはないんですか?」
長い黒髪から覗く、金の瞳。
思わず、視線を外す。
彼女の眼は、やはり苦手だ。
どうも、見透かされているようで気味が悪い。
「……ホームシックになっている暇なんてありませんよ。そもそも、勘当されている身ですし。この一週間、どれだけイベントが起きたのやら……」
ダイビング、龍との遭遇、強盗疑惑に怪奇現象。
元教え子、そのトレーナーとの和解───とても、仕事の片手間では処理出来そうにない。
しかし……今度、顔を見せに帰るのも良いだろう。
「……おや、仕事に戻られるんですか。コーヒーでもお出ししようかと思いましたが……」
「いえ、お構いなく。───やるべきことがあるので」
俺はトレセン学園の事務員、伊龍玄一。
颯爽と、夕方の廊下で歩みを進める。
秋川理事長への脅迫疑惑、駿川さんへのセクハラ疑惑、器物損壊───その他諸々の始末書の対応が、俺にはあるのだから。
♢おまけ『VSカルストンライトオ』
トレーニングでよく使う謎の断崖絶壁。
トレセン学園の近くに、それはあった。
「夕陽、綺麗だな」
俺は今、大きな壁にぶつかっている。
事務員歴一年。
やっとこさ慣れてきたと思った矢先、通りすがりの生徒に気になる一言を言われたのだ。
普段はスルーしていただろう。
しかし、生徒たちとも円滑にコミュニケーションを取ることが出来たなら、それは成長と言えるだろう。
───それが、仇となった。
「伊龍、ここで何をしているんです?」
崖の上で夕焼け空の海を眺めていると、後ろから声がした。
「何奴」
「私はカルストンライトオ。人呼んでカルストンライトオ」
「ああ……カウニュトンライロオさんでしたか」
「カルストンライトオ」
相変わらず、覚えにくい名前だ。
俺はとりあえず、覚えられないのを人のせいにした。
「何ですか。そんな、打ち上げられたマスのような顔をして」
「ライトオさん……俺は今、瀬戸際です。このまま、飛び降りてしまいたいほどに」
「殺しても死ななそうなことはさておき、どうしたと言うんです? ついに解雇が決まったんですか、伊龍」
「さっきから何で呼び捨て?」
ライトオはスっと横に立ち、無遠慮に言葉を投げかけてくる。これはきっと、彼女なりの気遣いなのだろう。
俺は、思い切って打ち明けた。か細く、小さな声で。
「俺は……顔が怖いらしいんです」
「…………そうですけど?」
「俺が落ち込んでいるのはそれです! 皆の中では周知の事実だったことを、俺は今更知ってしまった! 一生の恥!」
「遅すぎると言いたいところですが、だからなんだと言うんです」
「え?」
ライトオに問いかけられ、俺は考える。
確かに、俺の顔が世間一般的に怖いとして……何の問題があるのだろうか。
俺は目を見開いた。
そう、何の問題もないのである。
流石、最速番長と言われるだけはある。俺の悩みを即座に解決してしまった。
「一番の問題は突飛な発言にありますし。あと腹に一物持ったような態度でしょうか」
「えっ」
「……伊龍、デュランダルと組んでいた頃のあなたは、もっと輝いていましたよ」
「黒歴史みたいに言わないでくださいよ」
ぞわり、と何かが蠢く。
「デュランダルがへこたれても『出来る、出来るのだ』の一言で黙らせていたあの頃のあなたは、三角定規のように尖って見えましたよ」
「や、やめろ……」
なんだ、この感覚は。
この、胸の内が、ぞわぞわするような感覚は。
気味が悪い。
「そもそも、その体格で事務員やってるのは勿体ない! あなたはトレーナー……は、荷が重そうなのでサブトレーナーをやるべきです! 逸材ですよあなたは!」
これは、まさか───
「───やめろッ! 俺を褒めるなッ!!!」
俺は逃げ出してしまった。
そんな二つの影を遠くで眺めていたのは、ライトオのトレーナー。
突然駆け出した担当を追いかけると、そこには噂の事務員がいたので見守っていた次第だ。
「……褒めては無いだろ」
その呟きは、夕焼け空に溶けていった。
ママ来訪