作者はトレウマ過激派なので伊龍はウマ娘とはくっつけません(鋼の意思)
事務員の朝は早い───
「もう二時か」
目覚ましが鳴る前に、男は起床した。
半身を起こした勢いで、背中まで伸びた髪が跳ねる。
覚醒した彼がまずやることと言えば、ひとつしかあるまい。やけに丸い眼鏡をかけることだ。
やけに機敏な動きで冷蔵庫まで飛び込むと、勢いよくコーヒー牛乳のパックを取り出す。
コップに注ぎ、それをウォッカで割ったもの───ほぼウォッカ───を、ぐい、と飲み干す。
「不味ぃ……」
文句を垂れつつ、彼は愛用の日本刀『無明』を肩に担ぎ、寝巻きのまま窓から出動した。日課の辻斬りのためである。
彼は特異体質だ。肉体がとにかく頑強。一般男性の肉体強度を五とするならば、彼は六十五である。
参考までに、トレーナーは五十で一般ウマ娘は八十である。
男の部屋はトレセン学園の三階。そこから飛び降りた彼が最初に目をつけるは、目覚めの時を、今か今かと待ちわびる八岐大蛇であった。比喩ではない。本人(確認済)である。
───音も立てずに、男は大蛇の八つ首を一息に跳ねた。もしこれを考古学者が見ていたのであれば、失神しないように気をつけたもれ。
男の強き生命力は、怪異や霊を呼び寄せる。言わば誘蛾灯のようなものだ。
トレセン学園には、ここ最近奇妙な者共が散見される。男はその処理を買って出たのだった。
「(目ぼしいやつは……あと二、三匹か。万が一生徒に危害があっては事だ。少し多めに狩っておくか)」
奔る姿は、地を這う巨大な蛇のようであった。
遅れて、通り過ぎた道の植物が風で揺れた。
男が気配を捉えたのは、『百目鬼』と†地獄より出でし悪魔†、そして自室にたった今湧いたナニカである。
百目鬼はとにかく目が多い。その目に居竦められれば、たちまちに食い殺されてしまうだろう。
†地獄より出でし悪魔†は異世界転生のノルマ達成のため、本日事故に遭う予定のウマ娘を捜索中である。
「はぁ〜、夜の帳が綺麗ねぇ。こんな夜は目薬を多めにさしちゃお」
「薬物乱用、駄目絶対!」
百目鬼が可愛らしく微笑んだ。その無数の眼にも止まらぬ速さで、彼女の素っ首は叩き落とされた。
「このあたりに、とんでもない顔した男が半端ない力を秘めていると聞くが……。都合よく仏になるウマ娘ちゃんも居ないし、今月の転生者はそいつでいいか」
「諸行無常。魂を弄ぶなかれ!」
悪魔が頭を搔く。首が落ちる。
その日から、大地は悪魔の胴体と化した。
男は急ぎ、部屋に戻る。
知らぬうちに気配は二つに増えていた。
「何奴か」
窓から帰宅した男を、闇が迎える。
男の顔は険しい。何せ、今日一番の大物である。口角がじわりと上がるのは、致し方ないことであった。
「いつまで続けるつもり?」
女の声。
男はその聞き覚えのある声に身を固くする。
抜刀の心得を強く胸に秘めながら、柄に手を掛けた。
「もう、わかってるんじゃないの。あなたが事務員なんて、ガラじゃないでしょう。妖怪バスターズにいる方がまだ自然よ」
「妖怪ばすたぁず、などという俗な組織は無い」
闇から、ぬるりと出現するは───着物の若い女。
その下半身は、黒く巨大な蜘蛛であった。女はくすくすと、可愛らしく笑う。
足元には、無惨に食い散らかされた一匹の妖怪。少なくとも、今の男の装備では手に余る妖怪であった。知らず、男の眉間の皺が増した。
「いつでも帰ってきていいからね、玄一。いずれ、ここの連中があなたを見放す、その時に」
「……痴れ者が!」
男は怒りに任せ居合を放つが、その剣閃にはもう何も映ることはなかった。女は、幻のように消え失せていた。
幽霊はこういうところが卑怯なのだ。反論を待たず、ただ人を不安にして立ち去る。趣味が悪い。
「……
陰鬱な気持ちになりながら、男の一日が始まった。
FILE8『王と騎士』
鱗粉を舞わせ、優雅に飛ぶはモンキチョウ。漢字で書くと紋黄蝶だろうか。俺もああやって、自由気ままに飛んでみたいものだ。
「ちょうちょに気を取られてないで真剣に考えてよ! 中学生か!」
机を叩く音で気が逸れる。俺はとうとう、紋黄蝶を見失ってしまった。眉根を寄せ、目の前の女性、古賀藤子を見据える。
「中学生とは心外な。大人が自然に見惚れて悪いですか」
「悪くはないけど良くもないでしょ」
俺はこの怒るトレーナーの担当、デュランダルのトレーニングメニューの相談を受けていた。ぶっちゃけ完璧すぎて言うこともないので、窓を見ていたら目を奪われたというわけだ。
おかっぱを一つくくりにした頭を搔き、俺に苦言を呈する古賀。
「いくらなんでも世間知らず過ぎよ。学生の頃なんか、目を離したらすぐどっか走っていくし」
「そんな犬みたいでした?」
「デカイからすぐ見つかる分、わんちゃんよりマシだけど」
そう考えると、俺は本当にこの人に迷惑をかけっぱなしだな。デュランダルの後任をお願いしたのも、この人以外頼れなかったからだ。
知り合いは、皆居なくなった。
「……古賀さんは、何故俺から離れないんですか?」
ついて出た言葉は、無意識だった。思わず口を抑える。自意識過剰みたいで嫌だなこのセリフ。
古賀の反応はというと───目を丸くしたあと、深く考える様子を見せた。
「う〜ん……? なんか、目を離せないのよね」
「……それは、庇護欲からですか?」
「いやそんなんじゃなくて……眩しいものって、つい見ちゃうじゃない? 夜道歩いてて、イルミネーションとか光ったら目がいくでしょ」
「……いやあんまし」
どうやら、本人も言語化に苦戦しているようだ。だが、俺はどうにか、それを言葉にして欲しかった。
それが、俺の体質の改善に繋がるかもしれないのだから。
「まぁ、大前提あなたは怖いわよ。顔もおっかないし、身体は大きいし、声も大きい。……でも、最近は変わったわ」
「……俺がですか?」
「うん。雰囲気が柔らかくなった。……昔なんか、蜘蛛のお化けに取り憑かれてたじゃない」
その言葉に、俺は動揺を隠せなかった。
「……? なんの音……って、椅子!!!」
俺の座っていた椅子が、粉々に爆散していたがどうでもいい。
「アレが見えていたのか?」
俺にとって、蜘蛛の化け物……母は、孤独の象徴だった。俺に近寄る全てを刻み、食い破り、溶かした怪物。
ソレを認識しておきながら、無事であったただ一人の人間。俺は高揚する。
「……もしかして、事務員やめるってそれが原因だったり?」
「……ええ」
「話してよ。……曲りなりに、命取り合った仲じゃない」
古賀は頬杖をつきながら、笑みを浮かべた。
窓の外を飛んでいた紋黄蝶は、高くそびえ立つ木に住まう───蜘蛛の巣に、絡め取られていた。
♢
「───ねぇ、聞いた? スプリンターを見かけたら、凄い勢いでスカウトにくる怖い人がいるんだって」
「へぇ。実績は?」
「まだ新人なんだって。なんでも、全員に断られてるとか」
「かわいそ……ちなみに何でなの?」
「顔が怖くて威圧感がすごいからだって」
「あ、技量とかじゃないんだ」
トレーニングルームで、そんな噂話が耳に入ってきた。
私はダンベルを持ちながら、ふと思案する。まだ担当トレーナーを持たない私。そして、件の顔が怖いトレーナー。もし、契約を結んだなら……。
無いな。
私はそう結論づけた。噂話になるほどなのだから、よっぽど怖いのだろう。そんな人に、遠慮なくトレーニングの指摘をしたり、対等なミーティングに臨めるのか。正直わからなかった。あと、気難しい人はあんまし褒めてくれないから。
「……よし、今日のノルマ終わりっと」
私はダンベルを元の場所に戻すと、横で静かにエキスパンダーに興じる男性の存在に気付く。
ん? それってウマ娘用の器具じゃ……。
彼の着るスーツははち切れそうになっていた。
追い込んだ直後で頭が回らず、私はそれをぼんやりと眺めてしまった。我ながら失礼な話である。
「8、9……500、1、2……」
ごひゃく? 聞き間違いかな。仮に本当に五百回やってるのだとしたら、私より長くトレーニングルームにいた事になるけど。
「───デュランダルさん、すごいよね。よくあの人の隣でトレーニングに集中できるよ」
「やっぱ才能ある人は違うね」
さ、才能ある人……いやそんなこと……へへ。
「え?」
違う違う。そうじゃない。もしかして、さっき話してた人?
私は初めて、その男性の顔を『見た』
私よりも三十センチは大きな体躯。
百キロはあるだろう、膨れ上がった筋肉。
そして、その顔は、真剣な眼差しは、確かに人によっては恐ろしく見えるのだろう。
「───っ」
きゅん、と胸が高鳴る。
眉間の皺を、眼を、高い鼻を見ていると、落ち着いていられない。
この人だ。
この人が、私の王だ。
いやまぁ、ぶっちゃけ、一目惚れである。
「あ、あのっ……あなたの、お名前は……?」
「9……6000……ん? 何ですかあなたは。いつからそこに?」
お互いに気付いてなかった。私は内心慌てながら、噂話を思い返していた。
『スプリンターを見かけたら、スカウトしてくる』
「失礼いたしました。デュランダルと申します。……適正距離は……短距離です」
男の顔に、凄味が帯びる。
まるで、獲物を見つけた獣のように。私はうっかり、じっと顔を見つめてしまった。
「……伊龍玄一。あなたは、強くなる」
それが、私と彼の出会いだった。
それからの半年は、あっという間だった。
彼の考えるトレーニングメニューは、怒られてないだけで普通にクソ危ないものばかりだった。しかし、効果は折り紙つき。
壁を走らされたり、ヘリコプターと綱引きをさせられたり、甲冑を着て素潜りさせられたり……頭の中で羅列してみると、よく生きていられたものだと、我ながら褒めてあげたい。誰か褒めて。
しかし、彼は一切褒めてくれなかった。慰めもなかった。それと同時に『褒めることを恐れている』風にも見えた。
ただ、私が少しでも危ういと判断すると……なんというか、意味わかんないくらいの速さで助けてくれる。消えたと思ったら抱っこされてる、みたいな。
『あの日』の諍いが無ければ、歪ながらも結果を出し続けられただろう。心を通わすことなく、騎士として、剣として全うできただろう。けれど、今はそんなことに対しての心残りは無い。
私を抱き竦めた彼の体温は冷たかった。ひんやりと、心地いい。けれど心が温まる。
まぁ、彼の言葉に恥ずかしくなって、殴り飛ばしてしまったのは、本当に反省だけれど。
彼は今、事務員として働いている。時折グラウンドに顔を出しては、たづなさんに叱られているのを見かける。
トレーナー契約を打ち切られてしまったときは周りに引かれるほど消沈したものだが、今となっては、これでよかったのだと思う。
私は彼の強さに惹かれた。何にも屈さない、強さ。
けれど、それは彼の『弱さ』の、人間性の否定だ。
『夢を見せてくれて、ありがとう』
電車で寝たフリをする私は、弱々しく感謝を述べる彼に、何を言えばよかったのだろう。ビリーヴさんは、何を思ったのだろう。
後悔ばかり、ついて回る。私は、彼の何を知っている?
知らなければ。
知らないまま、終わりたくない。思い立った私は、自主練を中断して走り出した。
あの言葉が、万一別れの言葉であったなら。
「伊龍さんは……もう居られません」
心臓が嫌な音を立てた。
事務室に向かった私に、たづなさんが悲しげに俯く。席を外している、そういったニュアンスではない。
彼は、退職届を置いて、行方不明になった。
「は……?」
「……言いたいことはわかります。我々も、目下捜索中ですので───」
身が引き裂かれる思いだった。
耳鳴りが酷い。首から下が、異様に冷たくなる。
突然重心を奪われたかのように、足元がぐらついた。
「デュランダル!」
誰かが私を呼ぶ。その声は、暖かくて、私の大好きな声。
「古賀トレーナー、殿……?」
「……落ち着いて。深呼吸よ。あいつはきっと、全部終わらせて戻ってくるから」
肩を支えてくれるトレーナーに、私はついて出た疑問をぶつける。
「何でそんな、あの人は急に最終回みたいなことを……」
「……そういう奴だからよ。昔から、突拍子もなく飛び出しては……何食わぬ顔で、必ず帰ってくるの」
貧血のあまり、私の意識は暗転し始めた。
脳裏によぎったのは、外の雪景色を見て、はしゃぎ顔で飛び出していくシベリアンハスキーの姿だった。
本当に、放っておけない人だ。
デュランダルは面食い(偏見)