───某所、鬱蒼とする森林。
かつて、俺が実家を出ると言い出した際に、母と大喧嘩になった。その周囲の地盤は沈み、木々は枯れ果て、動物たちを見つけたらなるべく手を緩めて逃がした。
森林を抜けた先の荒野は、その時の名残だ。あれから四年余り。忘れようとも、忘れられない日々。
母は、俺を産んですぐ亡くなったという。それは、俺にとって実感しがたいものだった。父いわく、俺を心配するあまり、すぐさま悪霊として現世に蘇ったらしいのだから。
『伊龍殿……近いです』
ナップサックにねじ込んだ槍が話しかけてくる。言われずともわかっている、と不機嫌に返したかったが、面倒なので無視した。
コイツが言うには、俺に漂う母の残滓が、怪異たちを呼び寄せているのではないか。そんな説に縋る思いで、俺は……今日、母を殺すつもりで来た。
「…………」
草木を掻き分け、汗を拭う。
本当に、これでいいのか。自分のエゴを押し通すため、周りに迷惑をかけ、あまつさえ、親を殺すことが正しいのか? 親殺しの十字架を背負い、事務員として胸を張れるのか?
「……出来る。出来るのだ」
別にいいではないか。
母のせいで、俺は孤独に蝕まれた。
大喧嘩の末、死に体で、涙ながらに俺の名を呼び続ける母に、ついぞ止めを刺せなかった。何故かは、わからない。
悩むな。戦う前に損得で考え、行動を未遂で終わらせるものは、ただの卑怯者だ。
「おかえり」
「……ただいま」
後ろを取るのは、母。影は無い。気配のみだ。
俺は眼鏡を外し、睨みつける。
覚悟を決めろと、言外に伝えるため。
そして……覚悟を決めるため。
「……諦めきれないのね。父さんに似て強情な子」
「……俺は、お前が大嫌いだ。人の言うことも聞かず、己の欲で他人を蝕む、お前の毒が」
同時に、その性質を俺自身も受け継いでいることを、強く自覚する。
母は穏やかに笑う。
まぶたの裏の、無数の複眼が、俺の一挙手一投足を咎める。
「ええ、構わないわ。私の毒で、手足がもげようと。心が壊れようと。……私にはあなたがいればいい」
「……やり合う前に、一つ確認したい。あの場所に化け物共を呼び寄せているのは、何故だ」
返答いかん次第では、手心など加える気はなかった。俺はナップサックを放り投げ───槍の悲鳴が聞こえた気がするが、無視───刀を構える。
母は、首をかしげた。
「……何言ってるの? あそこは元々、『そういうの』の巣窟じゃない」
「………………?」
「あなたは誘蛾灯。闇に潜む、怪異を引き寄せる……。そりゃ、あなたより生命力に満ちているあの『ケモノ人』がたむろしているのだから……怪異が集まってるのは自然なことじゃない」
「…………」
何故だろう。とても腑に落ちた。
俺はまさか、とんでもない勘違いをしていたのではないか?
俺が誘蛾灯……。
幼少の頃から母を見てきた俺は、普通の人間と怪異の区別がつかなかった。もしや、俺が知らぬうちに引き寄せていた怪異から、母は護ってくれていたのかも知れない。
ウマ娘たちは、そんな俺よりも遥かに優れた肉体を持つ。闇に生きる魔物にとって、その光は愛おしく映るだろう。
「……つまり、化け物どもがいる。それは自然なことで……誰も悪くないというわけか?」
「そうね。……え? まさか、私のせいにしてたの?」
沈黙。
俺はてっきり、母が俺を呼び戻すために、裏であれこれしていたのだと思っていた。だからこそ、悩みに悩み抜いたのだ。
俺は構えを解く。母を赦したわけではない。
母は、無差別に殺していたわけではなかった。
しかし、俺が受けた仕打ちは、決して許せるものではない。
ゆるりと、ナップサック───槍に視線を向ける。
今は、より許せないモノがいる。それだけだ。
「おい、槍」
『…………だ、誰にでも勘違いっていうのはあってぇ……』
翌日、先輩の駿川さんにそのことを話した。
「……それで、その槍はどうしたんですか?」
「荒野に突き刺したらオアシスが出来たので、動物たちの憩いの場になってます」
海水じゃなくてよかった。
何故かデュランダルにへばりつかれながら、俺は大量の書類と睨み合うことになった。……実家に帰ってたほうが、まだマシだったかもしれん。
FILE END『ラスボス』
「伊龍! デュランダルが練習に来ないんだけど、いる……わね」
俺がトレセン学園に戻って早一週間。
退職届の理由の欄に『死ぬかもしれないから』と素直に書いたせいで警察沙汰になっていたようで、俺は始末書、もとい反省文をめちゃくちゃ書かされた。パワーハラスメント。
そして理事長の厚意もあり、無事? 事務員として復帰することができたのである。
『理事長、俺……事務員は向いてないと思うのです。再雇用してくださるのは、とてもありがたい話なのですが』
『うむ……委細承知ッ! 明日から事務員としてよろしく頼むぞ!』
『なんで?』
普通に考えて、精密機器に触れたら壊れるような人間が、事務員なぞできるわけがない。そんな真っ当な意見は、簡単に握り潰された。
その代償として、デュランダルにサボり癖がついた。すぐに保健室に連れていった方がいい。
「古賀よ。最近トレーナーと担当ウマ娘が爛れた関係になるのがブームらしいな。これは由々しき事態だ」
「なんでタメ口? というか、そんなブームあってたまるか!」
「そうですよ! そんなものはライトオさんとビリーヴさんとあの子とその子と……」
湧いて出てきおるわ。
指折り数えるデュランダルも、傍から見ればトレーナーとイチャイチャしてるように見えるのは自覚しているのだろうか。
「ほら、デュランダルも練習戻るわよ。半月後には大切なレースが待ってるんだから」
「……う。それは、そうなんですが……」
名残惜しそうに俺を見てくるが、俺は当然突き放す。
「俺もそのレース、楽しみにしているんです。応援していますよ」
「では参りましょう古賀トレーナー!!! 何しているんですか、レースは待ってくれませんよ!」
「声でっか」
古賀は急にやる気全開になったデュランダルに引き摺られていった。俺はそれを、ぼんやりと眺める。
横で見ていた駿川さんが、ぽつりと呟いた。
「青春、ですねぇ」
「……そうですね。さて、これでやっと仕事に集中でき───」
「───事務員さん! 校舎裏に来なさい! 都合のいい時に!」
バンッッッ!!!
そんな爆音が響いたと思えば、ドアは既に閉じられていた。今の声は……確か、ビリーヴのトレーナー? 名前は忘れたが。
俺はきょとんとしている駿川さんに呼びかける。
「駿川さん、呼ばれてますよ」
「……いやいや、あなたでしょう」
じゃんけんで負けたので俺が行くこととなった。
「よくもビリーヴを泣かしてくれたわね! 堪忍袋の緒がちょちょ切れんばかりよ!」
どうやら、要件は俺にあったらしい。俺がビリーヴを泣かせた? そんなバカな。
「意味深なこと言って不安にさせたそうじゃない! 絶対許さないかんね!」
「…………アレか!!!」
電車の時のことか。バタバタしてて忘れていた。
思い出してすっきりしたところで、俺は軽く頭を下げた。
「すみませんでした。言うもアレな事情がありまして……」
「思い出してくれて何よりよ。でもね、謝罪だけじゃうちのビリーヴの涙はかえってこないのよ! 覆水盆に返らずってね!」
「そういう意味では無いと思いますが……」
「来なさい!」
ぐい、と腕を引かれた。
俺は目を見開く。
想像を絶する怪力───この『男』、練り上げられている。柱か?
「アタシ、こう見えて柔術も嗜んでるの。満足させてくれたら、今度立ち会ってあげるわ」
俺は引き摺られながら、思わず笑みを浮かべる。
よく獣っぽいと言われる、獰猛な笑み。
「……面白い提案です。それで、俺はどうすれば?」
「褒めなさい」
「…………は?」
「今、ビリーヴは大工さんのお手伝い……『仕事中』なのよ。終わったら、暖かく迎えてあげて。アタシは後ろで見てるから……もし不手際があったら、腹かっ捌くくらいじゃ許さねェぞ」
こわい。
俺は駿川さんが怒ったときと、同じ疼きを胸に覚えた。
あと、これのどこに柔術要素が? 完全に腕力で引っ張られてますけど? あとなんでオカマ口調?
「───親方、5ミリ左です」
「左ってどっちだいビリーヴちゃん」
「僕から見て、です」
指定された田んぼ道の向こうまで来たところで、ようやく件の家が見えてきた。
頑固そうなお爺さんは高所で手際よく釘を打ち付け、ビリーヴは設計図とにらめっこしていた。
眺めていると、ビリーヴのトレーナーが歩み寄ってきた。
「あの子、ああやって何かしら作業してないと気が済まないのよね」
「……それもあって、あれほどの粘りが身についたわけですか」
「あとアタシの手腕ね」
納得せざるを得ない。
レースでのビリーヴは、なんというか、奇妙である。
ライトオはトップスピードが異次元だ。カーブでの減速が課題だが。
デュランダルは最終面での瞬発力が持ち味。道を塞がれないための位置管理が命だ。
ビリーヴは……強い。コースの半分ほどでトップスピードに到達したかと思えば、ゴールまで全くスピードが落ちないのだ。まるで、何かの魔法のように。
「怪物よね。ウマ娘ちゃんって」
「…………」
「体育の授業、受けたくなかったわぁ。柔道のとき、フィジカルだけで寝技返されて嫌んなったわ」
軽い調子で言うものの、表情は笑っていない。
この人も、かなり人間離れした実力者なのだが……もし、ウマ娘が武道に全力で取り組んだなら、かなうはずもないだろう。
不意に、ウマ娘の剣士の亡霊が脳裏をよぎった。
「末恐ろしいのは確かです。……が」
「……が?」
俺の地元には、ウマ娘がいなかった。
ウマ娘に追いやられたのか、はたまた自分たちから離れたのか、人里離れた地域で村を作っていた。
俺が生まれたとき、『ケモノ人』が生まれた、などと騒がれたらしい。実態は、もっと中途半端なものだったが。
「恐怖よりも、愛おしさが勝つ。……どこまでも、応援したくなる方々です」
「……そういうの、もっと顔に出しなさいよ。悪くないわよ」
彼女らは、どこまでも善良だ。
ひたむきで、真っ直ぐで、己に忠実。
口が悪い子も、グレたような子も、俺にとって須らくが───
その時、網目状にヒビが入るような地響きが鳴る。
「……ッ! 親方が危ない!」
「あんたは親方! アタシはビリーヴを……!?」
家が───天に飛び立つ。
違う。
地面を突き破るナニカが、それらを吹き飛ばしてしまったのだ。
「……あ、あれは何だ……? 」
それはあまりにも大きすぎた。
太く、分厚く、大雑把すぎた。
紫色の鱗。
丸っこい身体。
そして───凶悪な顔つき。
「───フ、『フアンザウルス』だッッッ!!!」
俺は戦慄する。まさか、コイツがここに潜んでいたとは……。
「……フアンザウルスってなんですか?」
「フアンザウルス……ウマ娘たちの恐怖、不安、苦痛を溜め込んだ化け物よ!」
なんでそんなものがこの家の下にいたのかわからないが、とにかくヤバそうだ。
「なんで伊龍さんとトレーナーさんがいるかわかりませんが、とにかく……彼を無条件で、褒めてください!」
褒める? こんなときに何を言っているんだ?
ビリーヴはどうやら混乱しているらしい。やれやれと、俺は頭を抱える。
「フアンザウルスちゃんやい! いつも飯食ってて偉いね!」
「大きいのに重力に逆らえててすごい!」
「尻尾がセクシー!」
「直線の部位が無くても生きててえらいぞ!」
「ラスボスの風格あるわよ!」
皆おかしくなっている。
いつの間にか、ライトオと古賀とデュランダルも居るし。
そして、何故か俺の方を全員が見ている。
やめろ、そんな目で俺を見るな。じわりと汗が滲む。大トリになったせいでプレッシャーが凄い。
心做しか、フアンザウルスとやらもこっちをチラチラと見ている気がする。
仕方ない。ほぞを固めるとしよう。失敗すれば、コイツが暴れて、辺り一帯が塵になるかも知れんが……。
これまでのことを思い返し、俺は慎重に言葉を選ぶ。
ウマ娘たちの、不安。
それはきっと、他者に認められぬ事への不安。
俺ごときが、果たして彼女たちの心の傷を癒せるのか?
……大丈夫だ。もう、昔の俺じゃない。
人を認める前に、まずは自分を認めるところからだ。
そのままのお前でいい。変わらなくていい。何者でなくてもいい。そう、ストレートに伝えるだけでいい。
俺はふっと息を吐くと、自然と言葉が零れた。
「……元気いっぱいだな」
フアンザウルスは、舌打ちを一つして帰っていった。
「………………」
なんだ、この後味の悪さは。
とてもじゃないが、後ろを向ける空気ではない。
すると、誰かが拍手しだした。
「すごい、です……! 変に捻らず、褒められただけでも、私は……! 羨まじい!」
デュランダルが、大粒の涙を流す。
俺の腕に、鳥肌が立った。
「ええ、そうね。珍しくちゃんと褒められたじゃない」
「努力は感じられました」
「ストレートでいい褒めでしたね」
「及第点ね」
「おめでとう!」
やめろ、こんな……こんなエ〇ァンゲリオンみたいなオチ───褒められのオーバードーズを起こし、俺は卒倒したのだった。
♢
日報を書き終え、俺はファイルを閉じた。
うむ。荒唐無稽極まりない。
だが、確かに俺の人生そのものが、書き記されている。そう思うと、何だか感慨深い。
本棚にしまうとき、タイトルが無いのが少し寂しく思えた。駿川さんに相談すると、笑顔でこう提案される。
『トレセン事務員短編録』
駿川さんの微笑みに、俺の頬も緩んだ。確かに、作り物と言われても違和感はない。
たとえこのファイルが終わったとて、俺の事務員生活はまだまだ続く。
ファイルが、本棚の縁に引っかかった。
「…………」
「……小さめのに入れ替えますか」
[完]
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
縁があれば、またお会いしましょう。感想や改善点など、コメントいただけたら幸いです。