第2話「トンネルの向こう側」
――先生赴任の1年半前。地球、日本。
指定された日の午後。
男は駅のホームで、刑事の親友と並んで列車を待っていた。
「……それで、相手からの連絡は?」
「例のメールだけだ」
「電話番号は?」
「ない」
「担当者の名前は?」
「それもない」
刑事は深いため息をついた。
「怪しいにも程があるな」
「だから、お前に相談したんだろう」
「まったく……」
刑事はホームの電光掲示板を確認した。
指定された列車の到着時刻が表示されている。
「一応、同僚にも協力してもらっている」
「そこまでしてくれたのか?」
「当たり前だ。得体の知れない相手に、お前を一人で会わせるわけにはいかん」
男は少し笑った。
「ありがたいね」
「礼は無事に帰ってから言え」
やがて、列車がホームへ滑り込んできた。
二人は指定された車両へ乗り込んだ。
車内には一般の乗客が数名。
少し離れた座席には、私服姿の警察官が座っていた。
刑事はさりげなく彼らと視線を交わした。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「何も出ない可能性もあるぞ」
「それなら、それでいい」
列車はゆっくりと動き始めた。
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発車からしばらく経った。
男はスマートフォンで、例のメールを確認していた。
指定された列車。
指定された車両。
時刻も間違いない。
しかし、それらしい人物は現れなかった。
「……どうする?」
刑事が尋ねた。
「とりあえず、次の駅まで待ってみるか」
「相手が来なければ、そのまま帰るぞ」
「ああ」
刑事は窓の外に視線を向けた。
住宅街が途切れ、次第に山並みが近づいてくる。
「……それにしても、変な話だよな」
「何が?」
「連邦生徒会だの、シャーレだの。名前だけ聞くと、どこかの学校の組織みたいだ」
「確かにな」
「それが、お前を捜査部の責任者にしたいって?」
「そう書いてある」
「……冗談にしては手が込んでいる」
男は肩をすくめた。
その時、車内アナウンスが流れた。
『まもなく、トンネルに入ります』
列車の前方に、山肌を貫くトンネルの入口が見えた。
「……で、もし本当に仕事の話だったらどうする?」
刑事が尋ねた。
「条件次第だな」
「おいおい、本気かよ」
「だから、まずは話を聞くんだろう」
「まったく、お前は……」
列車がトンネルへ入った。
窓の外が、一瞬で暗闇に変わる。
刑事は何気なく隣へ顔を向けた。
「……ん?」
そこに男の姿はなかった。
「……おい?」
座席には、男の鞄だけが残されていた。
「おい! どこに行った!」
刑事は慌てて立ち上がった。
近くにいた乗客が驚いて振り返る。
「ちょっと来てくれ!」
その声に、離れた座席にいた私服警察官が駆け寄ってきた。
「どうしました?」
「今まで隣にいた奴が消えた!」
「……消えた?」
「そうだ! 今の今までここに座っていたんだ!」
警察官は空席を見た。
「トイレに行ったのでは?」
「そんなわけあるか! 目を離したのは一瞬だぞ!」
刑事は通路を指さした。
「いいから探してくれ!」
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同じ頃。
男は、奇妙な光景を目にしていた。
「……何だ、これは?」
つい先ほどまで隣に座っていた刑事の姿がない。
車内にいた乗客たちも消えていた。
窓の外は真っ暗だった。
ただし、トンネルの壁も、照明も見えない。
まるで、何もない空間を列車が走っているようだった。
「……おかしいな」
男は立ち上がり、周囲を確認した。
座席の配置は変わっていない。
しかし、車内の空気は妙に静かだった。
その時。
「初めまして」
背後から声がした。
男が振り返る。
そこには、一人の少女が座っていた。
長い青髪。
落ち着いた表情。
そして、頭上に浮かぶ奇妙な光の輪。
「お待ちしていました」
少女は穏やかに微笑んだ。
男はしばらく少女を見つめた。
「……君が、例のメールの差出人か?」
「はい」
「キヴォトス連邦生徒会?」
「その会長を務めています」
男は周囲を見回した。
「まず聞きたいことがある」
「何でしょう?」
「ここはどこだ?」
「あなたが乗っていた列車の中です」
「……そうは見えないな」
「正確には、少しだけ異なる場所にあります」
「異なる場所?」
「はい。お話しするために、少しだけ時間をいただきました」
男は窓の外を見た。
何も見えない。
「……誘拐にしては随分と凝った方法だな」
「驚かせてしまって申し訳ありません」
「まあ、驚いてはいる」
男は向かいの座席に腰掛けた。
「だが、こうして話ができるなら、まずは用件を聞こう」
少女は微笑んだ。
「ありがとうございます」
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「あなたには、連邦捜査部シャーレの初代長官になっていただきたいのです」
少女は一台の端末を取り出した。
画面には、巨大な都市が映し出されていた。
無数の高層建築。
広大な学園自治区。
武装した少女たち。
そして、男がこれまで見たことのない都市の風景。
「ここがキヴォトスです」
「……外国の都市ではないのか?」
「少なくとも、あなたの知る地球には存在しません」
男は端末の映像を眺めた。
「別の世界ということか」
「そう考えていただいて構いません」
「なるほど。なら、この状況にも一応説明がつくな」
少女は少し驚いたような表情を浮かべた。
「随分と落ち着いていらっしゃるのですね」
「理解したわけじゃない。ただ、今のところ他に説明がつかないだけだ」
男は少女の頭上を指さした。
「それに、その輪も気になる」
「ああ、ヘイローですね」
「飾りではなさそうだな」
「はい。キヴォトスの生徒たちには、ごく普通にあるものです」
「……随分と変わった世界だ」
男は腕を組んだ。
「それで、俺に何をさせたい?」
少女はシャーレの構想を説明し始めた。
キヴォトスには数多くの学園が存在する。
それぞれが独自の自治区を持ち、独自の規則と武装組織を保有している。
連邦生徒会は全体を統括しているものの、各学園の自治権は強い。
そのため、解決が難しい問題も少なくなかった。
「……つまり、自治権の強い学園同士の問題を調整するための組織か」
「それも役割のひとつです」
「捜査権限は?」
「各自治区に対して、一定の独立した捜査権限を与える予定です」
「実働部隊は?」
「必要に応じて整備していただきます」
「予算は?」
「連邦生徒会から支出します」
男はしばらく考え込んだ。
「……随分と大きな権限を与えるつもりなんだな」
「はい」
「初対面の人間に、そこまで任せる理由は?」
少女は少しだけ目を伏せた。
「あなたなら、必要な時に決断できると思ったからです」
「買いかぶりすぎじゃないか?」
「そうでしょうか?」
男は苦笑した。
「俺より優秀な人間なら、いくらでもいると思うが」
「それでも、私はあなたにお願いしたいのです」
少女は真剣な眼差しで男を見つめた。
「これからのキヴォトスには、あなたのような方が必要になります」
その言葉が、男には妙に引っかかった。
「……これから?」
「はい」
「何か起きるのか?」
少女は答えなかった。
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一方、元の列車では。
「いない!?」
刑事は思わず声を荒げた。
「はい。前後の車両を確認しましたが、見つかりません!」
私服警察官たちは手分けして車内を捜索していた。
トイレ。
連結部。
乗客の座席。
車掌にも事情を説明したが、男が移動した形跡はなかった。
「……そんな馬鹿な」
刑事は腕時計を確認した。
既に数分が経過している。
列車はまだトンネルの中だった。
「走行中の列車から、どうやって消えたっていうんだ……」
刑事は空席を見つめた。
男の鞄は、そのまま残されていた。
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異なる空間の列車では、面談が続いていた。
「……話は分かった」
男は資料を閉じた。
「だが、条件がある」
「何でしょう?」
「まず、組織の人員と装備については、こちらに裁量を認めてもらいたい」
「はい」
「それから、現場での判断に対して、必要以上の政治的干渉はしないこと」
「分かりました」
「最後に……」
男は少女を見た。
「俺は教育者じゃない。生徒たちを守る努力はするが、全員を救えるとは約束できない」
少女は静かに頷いた。
「それで構いません」
「必要なら武器も使う」
「……はい」
「それでもいいのか?」
「あなたが、その判断に責任を持ってくださるのであれば」
男はしばらく少女を見つめていた。
やがて、軽く息を吐いた。
「……分かった。引き受けよう」
少女の表情が和らいだ。
「ありがとうございます」
「ただし、すぐに向かうわけにはいかない。こちらにも整理しなければならないことがある」
「承知しています」
少女は一枚の書類を差し出した。
「正式な着任は半年後を予定しています」
「半年後か」
「はい。それまでに必要な準備を進めます」
男は書類を受け取った。
そこには、連邦捜査部シャーレの初代長官としての招聘が正式に記されていた。
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「もうひとつ、お渡しするものがあります」
少女は小さなケースを取り出した。
中には、見慣れない意匠の装置が収められていた。
「これは?」
「デカログスです」
「……デカログス?」
「あなたが今後、キヴォトスで活動するために必要になるものです」
男は装置を眺めた。
「どういう仕組みなんだ?」
「今は、詳しく説明できません」
「……秘密が多いな」
「申し訳ありません」
少女は続けた。
「それから、あなたがこちらの世界について知ったことを、地球の方々が正しく理解できるとは限りません」
「どういう意味だ?」
「必要に応じて、認識に干渉する措置が取られます」
男は眉をひそめた。
「……催眠か?」
「近いものです」
「俺にもか?」
「いいえ。あなた自身の判断や記憶を奪うためのものではありません」
男は腕を組んだ。
「勝手に人の認識を変えるのは感心しないな」
「はい。ですから、必要な範囲に限ります」
少女は静かに頭を下げた。
「ご理解いただければ幸いです」
男はすぐには答えなかった。
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「さて、そろそろお時間です」
少女がそう告げると、車内の照明がわずかに揺らいだ。
「時間?」
「はい。元の列車へお戻りいただきます」
「……そういえば、親友はどうしている?」
「ご心配なく。向こうでは数分ほどしか経過していません」
「数分か。あいつ、相当慌てているだろうな」
少女は少し困ったように微笑んだ。
「申し訳ありません」
男は立ち上がった。
「最後にひとつ」
「何でしょう?」
「君は、俺のことをどこまで知っている?」
少女は静かに答えた。
「少なくとも、あなたが大切なご友人をお持ちだということは」
「……そうか」
男は小さく笑った。
「なら、これ以上心配を掛けないようにしてくれ」
「はい」
少女は一礼した。
「半年後、キヴォトスでお待ちしています」
次の瞬間。
車内が白い光に包まれた。
---
現実の列車。
「……くそっ!」
刑事は座席の前に立っていた。
同僚たちが捜索結果を報告している。
「やはり見つかりません!」
「車掌にも確認しましたが、該当する人物は見ていないそうです!」
刑事は唇を噛んだ。
「一体どこへ……」
その時。
列車の前方に、トンネルの出口が見えた。
暗闇の向こうに、白い光が広がる。
そして――
列車がトンネルを抜けた。
突然、車内に強い日差しが差し込んだ。
「うわっ、眩し……!」
刑事は思わず目を細めた。
ほんの一瞬。
視界が白く染まる。
やがて目が慣れ、再び隣の座席へ視線を向けると――
「……ん?」
男が座っていた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
「…………」
刑事は数秒間、言葉を失った。
「……おい」
「何だ?」
男は何事もなかったように答えた。
「お前……どこに行ってた?」
「ちょっと面談にな」
「……面談?」
「ああ。例のスカウトの件だ」
刑事は男の顔を見つめた。
そして、思わず叫んだ。
「ふざけるな! こっちは数分間、列車中を探してたんだぞ!」
「……数分?」
男は自分の腕時計を確認した。
「こっちは一時間ほど話していたんだが」
「はあ!?」
駆け寄ってきた警察官たちも、驚いた表情で男を見つめていた。
「……本当に、どこにいたんですか?」
男は少し考えた。
「この列車の中だよ」
「そんなはずありません! 全部探しました!」
「そう言われてもな……」
男は困ったように笑った。
刑事は深いため息をついた。
「……お前、何に巻き込まれたんだ?」
男は窓の外に広がる青空を眺めた。
「さあな」
そして、少しだけ笑った。
「ただ、半年後には転職することになりそうだ」
「……何?」
「勤務地は、かなり遠いらしい」
「どこだよ?」
男は刑事の方を向いた。
「キヴォトス」
刑事は額を押さえた。
「……頼むから、もう少しまともな説明をしてくれ」
列車は何事もなかったかのように、次の駅へ向かって走り続けていた。
---
その日、男は一つの決断を下した。
半年後、地球を離れる。
向かう先は、学園都市キヴォトス。
そして、そこで待つのは連邦捜査部シャーレの長官という仕事だった。
しかし、彼はまだ知らなかった。
この決断が、キヴォトスの未来に大きな影響を与えることを。
そして、自分を招いた連邦生徒会長が、何を見据えていたのかを。
第2話「トンネルの向こう側」――完