「――『 I am 』(アイ・アム)」
漆黒のロングコートを纏う男の唇から、その言葉が紡がれた瞬間、世界の法則は書き換えられた。
「――『 Atomic 』(アトミック)」
直後、すべてを光へと還す青紫の奔流が荒野を飲み込んだ。
戦術や戦略といった次元を遥かに超えた、文字通りの『天災』。それが収まったとき、あとに残されていたのは、直径数十メートルに及ぶ真円を描いた中規模のクレーターだけだった。
あまりの熱量と絶対的な破壊の前に、土煙すら残らない。
耳が痛くなるほどの圧倒的な『無』と静寂が、荒野の夜を支配していた。
クレーターの中心。
完全なる勝利によって大団円の幕が引かれ、シャドウは無言のまま、翻したマントの残光と共にその場を去ろうと歩み出す。その後ろを、傷一つ負うことなく控える配下の少女たち――七陰が静かに付き従っていく。
いつも通りの夜のはずだった。
だが。
シャドウの足が、ピタリと止まった。
(――これは、裏方さんかな? それとも……)
フードの奥で、シドの脳内設定が静かに駆動を始める。
背後を歩いていたアルファたちが微かに目を見張った、まさにその刹那。
耳が痛くなるほどの静寂を切り裂いて、唐突に『その音』が響き渡る。
――パン、……パン、……パン、……パン。
それは、手拍子のような小気味良いリズムを刻む、乾いた拍手の音だった。
一定の重みとテンポを保ったその音が、遮るもののないクレーターに、驚くほど明瞭に鳴り響いていく。
「……ッ!?」
七陰の面々が、ハッして一斉に振り返った。
いつの間にか、クレーターの縁――わずか三十メートルほど先の闇の中に、その男は立っていた。
(おおーっ! これは最近ちょっとマンネリ気味だったシチュエーションに、新たな風が! このシーンから始まる僕のやりたい事リストの中で選ぶとしたら――)
深みのある赤紫のクラシックロングコートを夜風に翻す、見慣れぬ青年。
こげ茶色の右分けの髪は、ところどころがシャープに跳ねたウルフカット。一番目を引くのは、首元で細く一本に束ねられた、尻尾のような後ろ髪だった。
青年はパチパチと手を叩き終えると、自分の近くに落ちていた剣を無造作に右手で拾い上げた。
「いや〜すごいね。これが最強の力……ってヤツかな?」
軽い口調でそう語りかけながら、青年はクレーターの中心、シャドウたちのいる方向へとゆっくりと歩みを進めてくる。
ただ歩いてくるだけ。おかしな素振りもない。ごく自然に歩いている、それだけだ。
だが、その男からは底の知れない何か奇妙な違和感が、確かな不安となって七陰の胸をざわつかせた。
その「言葉では言い表せない、不安を煽る異常な不気味さ」は、誰よりも敏感な野生の本能をもつ者には耐えられなかったのであろう。
「お前、何者です!!」
獣の叫び声を上げ、大地を蹴ったのはデルタだった。
「デルタ、待ちなさい!」と制するアルファの声すら、すでにその耳には届かない。
爆速の突撃。まともに喰らえば肉体が消し飛ぶ野生の凶刃が、無防備に見える青年の首元へと肉薄する――。
(ちょ、デルタ!? あぁ、もう! いくつかのパターンが潰れちゃったじゃないかぁ・・・)
――そんな主(シャドウ)の、完全に置いてけぼりにされた内心の嘆きなど知る由もなく、荒野の闇に鋭い衣擦れの音がした。
キィ、と小さな衣擦れの音。
青年は驚くほど小さな、無駄のない身のこなしで、デルタの必殺の一撃を「スッ」と紙一重でかわしてみせた。
デルタは一瞬だけ目を見張ったが、即座に咆哮を上げて追撃を放つ。怒りに任せた圧倒的な爪撃が数度、荒野の闇を狂わんばかりに切り裂いた。しかし、その凶刃はどれも虚空を噛むだけに終わる。
出鼻をくじかれ、いつものようにいかなかった事を嫌ってか、デルタは一度後ろへ大きく飛びずさって距離を置いた。
その無防備ともとれる大きく飛びずさるという行為は、後方からベータの弓によるスライムの矢と、イプシロンの変幻自在な魔力斬撃が同時に放たれたことで、見事な波状攻撃により隙をつくることもない。左右から同時に殺到する、完璧な連携。
ガキィン、ガキィィン!!
青年は手にした剣を無造作に振るい、迫る一撃を叩き落とし、弾き返してみせた。
「避けるだけの弱いヤツのクセにぃっ!」
着地と同時に再び地を走るような姿勢で飛び掛かるデルタ。
今度は大振りな一撃ではない。コンパクトに洗練された、神速の両爪によるラッシュ攻撃。凄まじい手数が青年の全身を襲うが、それでも青年はひらりひらりと、まるで踊るかのようにかわし続ける。
かすりもしない。
焦燥が、怒りが、デルタの頭に一気に血を上らせた。
「うがぁぁぁ!!」
思わず放ってしまった、最大の大振りの一撃。
振り下ろした瞬間、デルタの胸に冷や水がかけられたような激しい後悔が走る。
――やってしまった。この攻撃は、自分に致命的なまでに大きな隙を作ってしまう。
そのデルタのわずかな後悔の間に、目の前の青年の姿は視界から消え失せてしまっていた。
「ガっ――!?」
青年の身体は、最初からそこにあったかのように、デルタの足元へと深く沈み込んでいた。
綺麗な軌道で放たれた足払いにより、体勢を完全に崩されたデルタは、そのまま地面をゴロゴロと転がっていった。
青年は静かに立ち上がると、戦闘の最中だというのに、変わらずにこやかな顔のまま、コートのすそについた埃を手でパッパと払っている。
「足元注意、ってね」
その様子を、フードの奥から無言で見つめているシャドウ。
地面をゴロゴロと転がっていくデルタの横で、シドの頭脳は新たな選定フェーズへと突入していた。
(なるほど。見えてきた……。これは幹部たちを軽くいなしてかーらーの、組織のボスに挑戦してくるパターンだな。その場合、僕としては……)
そう、脳内でぶつぶつとシチュエーションの吟味を再開する主の静観など露知らず、荒野の戦火はさらに激しさを増していく――。
「――いやらしい男ですね……っ!」
地面を転がるデルタをハメた青年へ、ベータとイプシロンが間髪入れずに追撃を叩き込む。
先ほどのような同時攻撃ではない。わざとタイミングを微妙にずらし、回避の先を潰すように計算された、容赦のない遠距離の波状攻撃。
しかし、青年はそれすらも、流れるように鮮やかに剣を振るい、全ての矢と斬撃を叩き落とし、弾き返してみせた。
ただの剣で自分たちの魔力攻撃を捌き続ける青年の異常さに、ベータの背中に冷たいものが走る。未だに何の動きもないイータに向かって、彼女はたまらず声を張り上げた。
「イータ!!」
ベータの焦燥に満ちた催促に対し、イータがいつもと変わらぬマイペースな声で淡々と答える。
「さっきから。やっている。スライムを地面にもぐらせて……でも、妨害。されて、うごかない」
「嘘でしょ……!?」
イプシロンが驚愕に目を見開く。
地下に潜行させたスライムの術式を分散・収束させ、なんとかミルの包囲網を突破しようと高度な魔力演算を繰り返していたイータ。しかし、青年は自分たちの猛烈な波状攻撃をひらひらと捌きながら、視線すら向けずに足元のスライムトラップを完全に無効化(ジャミング)していたのだ。
ベータとイプシロンは、なおも矢と斬撃を絶え間なく放ち続けながらも、引きつった顔で会話を交わす。
「ねぇ、あれって本当にただの剣よね? さっきそこらで拾ってた……」
「えぇ、雑兵が使っていたただの剣のはずです」
「だったら何で私の、私たちの魔力攻撃をまともに受けて弾けるのよ! おっかしいんじゃない!?」
「おそらく剣に魔力を纏わせているのでしょう。そして、受け止めるのではなく、軌道をずらしています」
(――それが分かったところで……くっ!)
手詰まり感が漂い始める中、執念で即座に体勢を立て直したデルタが、再び獰猛な牙を剥いて飛び出そうとしていた――。
「デルタは! まだ、負けてないのです!」
泥を払い、即座に体勢を立て直したデルタが、執念の咆哮を上げて再び青年へと飛び掛かる。
地を穿つような勢いで真っ直ぐに突き出されたその強靭な腕を、しかし青年は、恐るべき見切りで正面から迎え打った。
ガシィッ!
青年はデルタの荒々しい手首を左手で掴み取ると、その凄まじい突進の勢いを殺すことなく、自身の身体を軸にしてぐるんと滑らかに円を描くように振り回した。柔の極致とも言える流れるような動作。
地下の術式操作に全神経を傾けていたイータ。その彼女がいる場所めがけて、デルタの体は容赦なく投げ飛ばされる。
「がうっ!?」
「……あぅ」
背後で二人が派手に衝突するのと、ほぼ同時。
青年の左右から、逃げ場を完全に無くした完璧な同時挟撃が殺到した。
「チェーストーッ!」
凄まじい気合と共に、ガンマが身の丈ほどもある大剣を、斜め下から斜め上へと豪快に振り上げる――逆袈裟の軌道。
それと同時に、上空からはゼータが鋭い視線と共に肉薄していた。
「これならっ!」
上空から斜め下へと容赦なく振り下ろされる、円月輪の鋭利な一閃。
下からの大剣、上からの円月輪。二つの刃が交差して逃げ場のないX(クロス)の軌道が、青年の肉体を捉える。
だが、青年は慌てることなく、後方へ向かって宙をひらりと舞うように跳びずさった。
交差する二つの刃の、わずかな隙間を見極めたかのような最小限の身のこなし。青年は紙一重でその挟撃を回避してみせる。
それだけではない。
青年は、すれ違いざまにゼータの身体を「ぽん」と軽い手つきで、しかし確実に押し退けた。
「このっ・・」
一瞬だけ睨みつけたゼータの視界に、至近距離でこちらを見つめる青年の、にこやかな笑顔が映る。
ほんの数センチ、わずかに狂わされた空中での軌道。
だが、そのわずかな狂いのせいで、青年が消えた空間に残されたガンマの大剣と、ゼータの円月輪が、強烈な勢いのまま正面から激突した。
ガキィィィィン!!!!
荒野に激しい金属音が轟き、火花が夜闇を照らす。お互いの全力の一撃が衝突した凄まじい衝撃に、ガンマとゼータの身体が大きくよろめいた。
「同士討ちには気を付けないとね」
変わらずにこやかな顔で、青年はこともなげに言い放つ。
「よく言う。――本ッ当に……ヤなヤツ」
ゼータは着地と同時に、忌々しげに言葉を吐き捨てた。
デルタをぶつけられたイータ、遠距離攻撃が効かず手詰まりのベータとイプシロン、ミルのせいでぶつかってしまったゼータとガンマ。
目まぐるしく動いていた戦闘の場に、ほんの刹那、静寂が訪れた。
そう、耳が痛くなるほどの静寂。その止まった一瞬の世界の中で、最初に動いたのは意外にも青年だった。
青年は手にした剣を自然な動作で構え直すと、低く鋭い体勢へと沈み込む。
安物の刃の刀身に、禍々しくも美しい、圧倒的な密度の赤紫色の魔力が収束していく。
「まさか、あれは……っ」
誰からともなく、戦慄に満ちた声が漏れた。
その場にいる七陰の誰もが、その構えの意味を、これから放たれる一撃の理不尽さを知っている。
至高の主が放つ絶技――その無比なる残影が、目の前でにこやかな笑顔を浮かべる青年の佇まいに、まるで悪夢をみているかのように重なっていた。
その張り詰めた世界の中心で、フードの奥のシャドウ――シドの脳内選定は、いよいよ最高潮に達しようとしていた。
(七陰を圧倒する実力者を更に圧倒的な力でねじ伏せるのも良いし、最強と思われていたボスと拮抗する力をもつ謎の乱入者との死闘を演じるのも捨てがたい! ――んっ?)
不定期連載となります。
サイトの使い勝手もまだよく分かっていないため、今しばらくはたどたどしい投稿が続くかと思まいます。
10/23 すいません、さっそくやらかしていました。一部修正前のままの部分があったので、サイレント修正しました。