彼は目を覚ました。最悪な精神状態で。
「ここは……」
真っ白な天井が目の前にある。視線を壁に移すと、そこも白い。さらにベッドも、服も。
彼は体を起こす。精神状態に反して体は軽かった。
「俺、死んだはずじゃ……」
何か、強い衝撃を与えられたような、そんな感覚を覚えているが、それ以上のことは何も分からない。彼は少々混乱した。
その時、扉がノックされる。
「ナムレミシャ、帰ってきた?」
扉が開くと、そこには女性がいた。彼と同じように真っ白な服を着ている。
そして彼のことを見て、少しの間唖然とした。
「ナムレミシャ……、その姿……」
「へ……?」
彼は困惑していたが、女性は何かを思い出したように彼に近づいた。
「あなた……、誰?」
「俺……? 俺は……、快《かい》……」
「カイ……?」
女性は少し考え、快の手首を掴む。
「もしかして、肉体世界の?」
「は?」
「ちょっとついてきて」
すると、一瞬で周辺の景色が変わる。同じような白い部屋だったが、間取りが異なっているようだ。それに家具のようなものもある。全て真っ白であったが。
そこには老齢の男性がいた。
「おや、ミリシアル。どうしたんだ?」
「彼の様子がおかしいの。少し診てもらえないかしら」
女性の言う通りに、男性は快のことを診る。しかし、診たのはほんの数秒だった。
「確かにおかしい。こんな身体なのは初めてだ。おそらく、肉体世界の精神がこちらに侵食しているのだろう。その証拠に、君の体は肉体世界のものに変化している上に、体の輪郭が肉体世界で言うアニメ崩壊のようになっている。こうも輪郭がブレブレなのは見たことがない」
そういって男性は手を快に向ける。その手の表面が鏡のようになった。
そこに映っていたのは、体の輪郭がブヨブヨと震えている小太りの男性の姿である。
「これ……、俺だ……」
「先生、彼は……」
「先ほども言ったように、肉体世界の精神がこちらに浸食しているようだ。それが元あったナムレミシャ君の精神を乗っ取り、今こうして顕現しているのだろう」
「元に……戻るのですか?」
「可能性はある。が、ここまで精神を乗っ取られているのは初めて見た。元に戻る確率は、おそらく10億か、100億に一つといった所か……」
「そんな……」
女性は少し悲しそうな顔をしていたが、そんなに深刻そうではないようだ。
そんな中で、快だけが状況を飲み込めていなかった。
「あの、この状況は……? 俺はなんで生きているんですか……?」
「あぁ、肉体世界の君は初めてのことか。なら説明せねばならないだろう」
そういって男性は、快の目を真っ直ぐ見る。
「ここは君のいた世界よりも精神的に上位の世界。いわゆる精神世界だ」
「精神、世界……?」
「君の記憶にあるであろう肉体世界は、この精神世界にいる人々が降臨して遊ぶ、いわば箱庭ゲームみたいな場所だ」
「は……?」
あまりにも受け入れがたい話で、快の思考は考えるのを止めた。
「ま、肉体世界で言うところの、異世界や神々の世界みたいなものだ」
「それって、天国ってこと、ですか……?」
「そうとも言うが、厳密には異なるな。ま、それはそのうち理解することになるだろう。ちょっと失礼……」
男性はそのまま人差し指を快の額に当てる。肌と肌が接触した瞬間、二人の間に微弱な電撃が走る。
「いたっ」
「おっと、精神世界の人間でも干渉は不可能か……。これは相当なものだな」
「え、え?」
「では口頭で聞くとしよう。肉体世界での君の名前は?」
「快、です」
「カイ、君は肉体世界ではどういう人間だった?」
「……陰キャで、弱者男性で、精神疾患持ちの生きる肉の塊だった……」
「自認がずいぶんとひどいな。こりゃ精神世界に侵食するのも頷ける」
そういって男性は空中で指先を動かす。何か書いているようだった。
「生きるのは辛かったか?」
「それは、もちろんです。なんで生きているんだろう、って毎日のように考えていました」
「ふむ」
「実際、毎日どうやって死のうか考えてましたし、『死は救済』という思想だけを生きがいとしていました」
「なるほど……」
男性は書き留める手を止め、快を見る。
「死んだら全てが無に帰す。肉体世界でそういう考えになる者も多い。そういう意味では、この世界では少々生きづらいかもしれないな」
「はぁ……」
男性は視線を女性の方に向ける。
「彼をしばらく休養させなさい。そのあとで、この精神世界の話をしたほうが良いだろう」
「分かりました」
そういって女性は快の肩に手を置く。するとまた風景が変わり、最初の部屋へと戻ってきた。
「な、なんだこれ……」
「カイ、私はどんなあなたであっても、あなたの味方よ」
「は、はぁ」
「私の名前はミリシアル。あなたと運命を共にすると誓った人よ」
「はぁ……」
快は深く考えないようにした。