少しして、快のメンタルは徐々に安定してきた。感情を表に出したことや、泣き疲れたという状態だろう。
「落ち着いた?」
「はい……」
「動けそう?」
「……はい」
「それじゃあ、少し歩いて、先生のところに行くよ。今のカイの状態を診てもらわなくちゃいけないし、精神世界にも慣れなくちゃ」
ミリシアルは快から離れ、ベッドの横に立つ。
そして彼女は快に手を差し伸べる。その手を快はゆっくりと掴んだ。
その時になって、快は初めて彼女の顔をまじまじと見た。赤子のような綺麗な肌も、腰まで伸びた髪も白く、目は灰色のように見えてどこかキラキラしているように見える。身長は目測で160cmくらいだろうか。手足はスラッとしているが、女性としてメリハリのある柔らかそうな肉付きをしていた。服は透明感のあるシャツとスカートが一体になった、いわゆる白ワンピを着ている。足元に靴の類いは見られないため、素足なのだろう。
そんな彼女に手を引かれ、快はベッドから起き上がった。体は太っているのにも関わらず、いつもより軽く感じる。
快の恰好も、白いTシャツに白のゆったりとしたズボン。動きが制限されるようなものではない。
「カイは外に出るのは初めてだよね?」
「そう、ですね」
「大丈夫。どこも家の中のようなものだから」
そういって部屋を出て廊下を進み、玄関のような場所をくぐる。外は部屋の中よりも少し明るいくらいだった。それ以上に、部屋の中と同じような地面や空、建物が目の前に現れる。いつぞやの月面の写真を見た時と同じ、遠近感が狂いそうな光景だった。建物があるだけ精神世界のほうがマシか。
「先生の家はこっちよ」
ミリシアルは快と手を繋いだまま、道のような場所を進む。
10分ほど歩くと、ミリシアルはとある建物の前で止まった。
「ここよ」
ノックなどはせずに、ミリシアルは扉を開ける。するとそこには、あの老齢の男性が立っていた。
「よく来たね、ミリシアル。それとカイ君だったな」
「先生。また彼を診てくれますか?」
「もちろんだ。上がってくれ」
そういって快とミリシアルは、先生の家に上がる。廊下を進んで部屋に入ると、そこは以前瞬間移動で来た部屋だった。
先生が丸椅子に座り、快はもう一つの椅子に座る。
「さて、君のことを診るにあたって、肉体世界の情報を少し仕入れた。前回より多少はマシになっていると思うぞ。触ってもいいかね?」
「あ、はい」
先生はそのまま快の腕に触れる。
「ふむ。脈拍は102。血圧は105の68。歩いてきたからこのくらいのものだろう」
腕に触れて数秒も経っていない。快が驚く間もなく、先生は次々と快の体を診ていく。
「内臓は問題なし。呼吸も問題なし。目の様子は……」
目の下を引っ張り、眼球の様子を見る。
「これも大丈夫。……口も喉も大丈夫そうだね」
まるでX線やCTスキャンの画像を見ているように、快の体を見てズバズバと言っていく。
「うーん。精神世界では血液は滅多にないのだが、彼にはあるようだな。ちょっと血糖値が足りてないようだ。おそらく肉体世界の体が影響しているのだろう」
こうして一通り、快の体調を確認する。
「ひとまず、見た目が太っているのと血糖値が低いこと、空腹であること以外は問題ない。この感じでは栄養失調か血糖値異常で倒れるだろうから、一日に一回の食事をおすすめするよ」
「分かりました……」
「しかし……。精神世界に肉体世界の体がやってくるのは初めての経験だからね。処方としては、とにかく精神世界での生活に慣れるほかないだろう。この世界の空気やら刺激に触れていれば、精神世界の君自身を思い出すか、体が変化するだろう。それでも、この世界の刺激はものすごい低刺激だから、結果が出るまでに時間はかかってしまうだろうね」
先生の診断はそのようなものだった。
「辛抱強く待つしかないということですか?」
ミリシアルが聞く。
「そうだな。対症療法とも言えない、ひどい治療法だ」
「そう……ですか……」
現状、快の保護者のような立場であるミリシアルは、困難な治療になることを受け入れるしかなかった。
「ありがとうございました」
二人は家の前で先生に頭を下げ、帰路に付く。特に手を繋ぐこともなく、無言でゆっくりと道を進んでいた。
「……カイ、大丈夫?」
沈黙を破ったのはミリシアルのほうだった。
「うん……、大丈夫です」
「そう……」
本当は大丈夫ではないと思ったミリシアルだが、それ以上は何も言わなかった。
快としては、本当の自分が何なのか分からなくなっていた。肉体世界か、精神世界か、どちらが本物の自分なのか。そもそも精神世界の精神が肉体世界に入り込んでいるから、精神世界の人格が本物なのだろうが、それは「肉体世界のお前は偽物だ」と言われているようなものだ。それだけは否定したかった。
そんなことを快は考えて、顔が地面のほうへ向く。
それを察したのか、ミリシアルはそっと快の手を取った。
「きっと、なるようになるよ」
快のことを元気づけるための言葉だった。