快は夢を見ていたような気がした。いつものようにメンタルを壊しながら仕事に行く。上司から小言を言われ、ダイエットのために食欲を抑えて食事制限し、押しつぶされそうな満員電車に乗って帰宅する。しかし家に帰れば、自分のことを理解してくれる彼女ちゃんが食事を作って待っている。そして心地よい空気の中、まどろみへと落ちていく。
夢と現実の境目が消えた、生と死のどちらでもないような世界。希望がなければ絶望もない、全てが無に帰す場所。
「んあ……」
快は目を覚ます。天井は真っ白。この精神世界が現実であることを、快は寝ぼけた頭で理解する。
寝落ちする前まで感じていた、ミリシアルの肌を感じない。視線を動かすと、彼女はベッドに腰かけていた。
「あ、おはよう」
「おはよう……」
快はあくびをしながら起き上がる。まだ眠気があるようで、頭が重い。
「ずいぶん寝ていたね」
「どのくらい寝てた……?」
「うーん、3日くらいかな?」
「3日!?」
想像していたよりも長い期間であったことに驚いてしまった快。眠気はどこかに飛んで行ってしまった。
「そこまで驚くことかな? カイの肉体世界由来の欲を満たすには、それなりに長い時間が必要だから、当たり前のことだと思うわ」
「……えーと?」
「この精神世界で一日に得られる欲を1とした時、私たちは1で欲を満たすことができるけど、カイは欲の器が100くらいあるから簡単には満たされない。つまりカイが欲を満たすには量を確保するしかないの」
「あぁ、そうか……」
起きたばかりの動かない頭が、だんだんと回ってくる。
「理解できた?」
「なんとなく」
「それじゃあ、起きて。ごはん作ってみたの」
そういって快の手を取り、部屋を出る。リビングの机に見た事のある料理が並んでいる。白飯、ナスの味噌汁、肉じゃが、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、卵焼き。幼い頃の祖父母宅で食べたような、特別な感じがした。
しかし、快は少し違和感を感じる。そしてその正体に気が付いた。
「一人分しかない……?」
「うん。精神世界の人にとって食事は重要なことじゃないから。食べなくても死んだりしないし」
「そっか……」
「別に悲しいことじゃないよ。食べないだけで、食べることはできるから」
そんな話をしながら、快とミリシアルは椅子に座る。
「どうぞ、めしあがれ」
「じゃあ……、いただきます」
快は手を合わせ、そして箸を手に取る。まずは味噌汁に手をつける。
ズズッと汁を飲むと、快は虚無に包まれた。
「あれ……」
さらに2口、3口と口をつける。味噌汁が喉を通るたびに、違和感は確信へと変わっていく。
「味が薄い……?」
快は疑念を確信に変えるために、他のおかずに手を伸ばす。その確信は残念な方向へと動いていく。
焼き鮭のしょっぱさも、肉じゃがの甘さも、おひたしの鰹節の感じも、卵焼きの出汁の味も、何もかもが極端な薄味だった。
「なんで……?」
「もしかして、ここでも精神世界の欲の小ささが作用しているの?」
ミリシアルの言葉に、快の脳裏に嫌な予感がよぎる。
「そんな……。これから、薄味で生活しなきゃいけないのか……?」
「あり得る話だけど、最悪な状況ではないと思うわ。カイがカイ自身の体を操作して、薄味でも満足できるような状態に出来れば……」
「ワンチャンある感じか……、でも難しいかも」
「確かに。私がカイの体を操作して精神世界に適合できるように改造出来ればよかったんだけど、カイの体には干渉出来ないし……」
「そうなると、俺が自分でなんとかするしかないが、今の実力で改造するのは危険だ……」
「しばらくは保留するしかないわね」
そんなことを言いながらも、快は食事を続ける。久々の食事に脳と体が喜んでいるからだ。しかしその喜びも、精神世界ゆえにかなり減少してしまっている。まさに触感と微かな味のする虚無を食べているような状態だ。
「ごちそうさまでした」
「はい、おそまつさまでした」
用意された食事を食べ終えた快だが、その目には涙が一筋流れていた。
「こんなの、生き地獄だよ……。気が狂いそう……!」
そんな快を見て、声をかけようとしたミリシアルだが、何も言えなかった。
その後、快は気を紛らわせるために、あるものを生成していた。それは、肉体世界において唯一と言っていいほどの気休め要因だったパソコンである。
「おそらくネットは繋がらない。オンラインゲームは出来ないだろうけど、ダウンロードした一人専用のゲームなら……」
生成できたパソコンは、見た目は問題ないように見える。中のCPUやらメモリやらは、正直分からないことが多い。それでも動作さえしてくれれば、快としては万々歳である。
電源ボタンを押し、様子を見る。1分ほど待つと、デスクトップが表示された。そこにはダウンロードしていたゲームが複数見受けられる。
「良かった……。これで現実逃避できる……」
もはや現実と虚構の境目が分からない状態だが、快はすがる思いでデスクトップにあった麻雀のゲームを起動した。