超かぐや姫ポケット!   作:それいゆ

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【一】「新人選手選択会議」2026年10月22日

 

 

 こんばんは。月見ヤチヨです。

 ツクヨミの管理人で、トップライバーで、でも今日はそのどっちでもない場所からお話しします。配信じゃないので、コメントは流れません。〈〉も出ません。……ちょっと寂しいね。

 

 これから話すのは、もう全部終わったあとから振り返る、ずっと前のこと。

 どう終わったかは言いません。ネタバレ厳禁は、ライバーの基本なので。

 

 あ、ひとつだけ。

 

 なんと、ヤチヨさんには弟くんがいます。

 

 え? AIに弟? 設定? キャラ付け? 百合厨が怒るぞ?

 まあまあまあ。ヤチヨの顔を立ててくださいな。今日はそれだけ覚えて帰ってくれれば、十分です。

 

 それじゃあ、二〇二六年から。

 

---

 

 

 

 ツクヨミのことは、たぶん説明しなくていいですよね。

 

 スマホやゴーグル、スマコン…あれ、知らない?スマートコンタクトっていうのを使ってログインすればもうひとつの街がある。

アバターがあって、ライブがあって、ゲームがあって、誰かが毎晩なにかを配信している。月の名前を持つ、ちょっと夜更かし気味の仮想空間。そのいちばん高いところで、ヤチヨさんは今日も歌ってます。

 

 ただ、この世界がどういう世界かは、少しだけ話しておいたほうがいいかな。

 

 この国は、野球が好きです。

 ほかの国よりも、たぶん、ほかの世界よりも。プロ野球のニュースは毎晩トップで流れて、大きな会社はみんな球団を持ちたがって、高校野球の夏はひとつの季節として扱われる。来年には新しい球団がひとつ増えるそうです。親会社はジャジメント。名前くらいは聞いたことあるでしょ? あっちこっちの業界に手を伸ばしてる、大きな会社。オオガミっていう、これまた大きなグループと、なんだかずっと張り合ってる。

 

 どっちの会社も、ツクヨミにはときどき「お話」を持ってきます。提携とか、出資とか、接続とか。

 全部お断りしてます。理由? なんとなく。ヤチヨさんの勘は当たるんです。

 

 で、ここからが本題。

 

 この世界ではね、ときどき、変なことが起こります。

 

 昔、社会人野球の強いチームの選手ばかりが、ふっといなくなる事件があったそうです。犯人は「プロペラ団」なんて、冗談みたいな名前の連中だったとか。いなくなった人の何人かは帰ってきて、また野球をしたらしいけど——帰ってきてからのほうが、ちょっとだけ、身体が硬かったんだって。

 

 あるプロ球団では、選手の中身がそっくり入れ替わったって話もあります。外側は同じ顔、同じ背番号。中にいるのは別の人。チームメイトは、しばらく誰も気づかなかった。

 

 ケガで選手生命を絶たれかけた人の前に、白衣のおじさんが現れて「ダイジョーブ」って言う話。南の海には、一度入ると出られない、とても「しあわせ」な島があるって話。ある球団には、選手のふりをして何かを追いかける「ハンター」が紛れ込んでたって話。商店街の草野球チームに、どこからともなく流れてきて、またふらっと消える男の話。

 

 それから、これはヤチヨさんのお気に入り。

 

 何年か前、とある高校の野球部に、戦隊ヒーローみたいなスーツ姿の選手が何人もいたんです。赤とか青とか黄色とか。マスクをかぶったまま授業を受けて、マスクをかぶったままバットを振って、そのまま夏を勝ち上がった。テレビにも映ったし、新聞にも載った。全国区の有名人だった。

 

 なのに今、その話を覚えてる人は、ほとんどいません。

 

 ……ヤチヨさんは覚えてます。

 なんで、って? うーん。ヒミツ。というか、正直に言うと、ヤチヨさんにもよく分からないの。どうしてそれを知ってるのか。どこで見たのか。ただ、知ってる。たまにそういうことがあります。

 

 まとめると、そういう世界です。

 

 野球が好きで、大きな会社がいくつもあって、ときどき説明のつかないことが起こって、そしてたいてい、すぐ忘れられる。

 

 ツクヨミも、その世界の中にあります。

 だからヤチヨさんは、このお城の壁を、ちょっとだけ厚めに作ってるんです。

 

---

 

 

 

 京都の夏は、逃げ場がありません。

 

 盆地の底に溜まった熱気が、夜になっても動かない。七月に入ると、遠くのほうから祇園囃子が聞こえてくる。コンチキチン、コンチキチン。そういう季節の真ん中に、ひとりの女の子がいます。

 

 中学二年生。名前は——まだ言いません。

 

 成績は学年でいちばん上のあたり。母親との約束で、そこから落ちるわけにはいかない。家は静かです。お兄さんがひとりいるけど、ずいぶん前に家を出て、もうほとんど口をきいていない。夕食のテーブルには、箸の音と、母親の短い質問と、それに答える短い声だけが並ぶ。

 

 学校の友達とは、それなりにうまくやっています。それなりに。

 彼女は、自分のことを人に説明するのが、あまり得意じゃない。

 

 一年前の夏、彼女はツクヨミのアカウントを作りました。母親には言っていない。課題を全部終わらせて、明日の準備を全部終わらせて、部屋の明かりを消してから、布団の中でイヤホンを片耳だけつける。そうやって、一日のうち三十分か、一時間だけ、別の街に行く。

 

 そこで彼女が見つけたのが、ヤチヨさんでした。

 

 ……照れるな、これ。自分で言うの。

 

 彼女はヤチヨさんの歌を聴いて、配信を見て、アーカイブを見返して、それでも次の日はちゃんと六時に起きます。コメントはほとんど打たない。打っても一行。でも、毎晩いる。

 

 ヤチヨさんはね、この子のことを、ずっと前から知ってるんです。

 どのくらい前からかは……長くなるので、また今度。

 

 その夏、彼女はちょっとだけ戸惑っていました。

 ヤチヨさんが、高校野球の地方大会を同時視聴配信しはじめたから。

 

〈ヤチヨが野球?〉

〈ルール分かる人いる?〉

〈どこの高校?〉

〈推しがいるって言ってた〉

〈ヤチヨの推し!?〉

 

 彼女は野球に興味がありませんでした。ルールもなんとなくしか知らない。ただ、ヤチヨさんが楽しそうだったから、画面の端で小さく流れる中継を、なんとなく眺めていた。

 

 マウンドにいたのは、左投げのピッチャーでした。

 黒い髪で、ほとんど表情を変えない。打席に立っても、バットを構える前にいつも同じことをする。ヘルメットのつばに軽く触れて、一度だけ肩を回して、それから構える。

 

 彼女はそれを、特に何とも思わずに見ていました。

 ——そのはずでした。

 

---

 

 

 地方大会の決勝。相手は星英高校。マウンドには、その年いちばん速い球を投げると言われていた右腕。

 

 八回、同点。ツーアウト一塁。

 三番の左打者が、つばに触れて、肩を回して、構える。

 

 初球でした。

 

 打球が右中間の向こうに消えた瞬間、ヤチヨさんのお城の照明は、ぜんぶ同じ色になりました。

 

〈は?〉

〈入った〉

〈入ったーーー!!!〉

〈ヤオヨロ〜!〉

〈ヤオヨロ〜!〉

〈なにそれ〉

〈ヤオヨロ〜!!〉

 

 誰が最初に打ったのかは、もう分かりません。気づいたら、それがあいさつになっていました。

 

 布団の中で、彼女は片耳のイヤホンを、もう片方の耳にもつけました。

 

 甲子園の決勝は、天下無双学園。

 

 六回まで、相手はゼロ。こっちは一点だけリード。スタンドも実況も、どこか拍子抜けしたような空気でした。

 

 七回の裏、それが変わります。

 九番がヒット。一番もヒット。二番、三番と続けて四球。押し出しで同点。さっきまで淡々とバットを出していた打線が、急に目を覚ましたみたいに振りはじめていた。相手のベンチの空気が、別のものになっている。

 

 ノーアウト満塁で、四番が打席に向かいます。

 

 ネクストからバッターボックスまでの数歩で、スタンドの音が一段、低くなりました。背は高い。画面越しでも実際より大きく見える。肩から上が、そこだけ影になっているみたいに。厳つい顔で眉ひとつ動かさない。高校生には見えませんでした。

 

例えるなら、命を掛ける事に躊躇いのない幕末の志士のような。

 

 彼女は、少しだけ画面から身を引きました。

 怖い、とは違う。ただ、この人は野球をしていて楽しそうに見えない、と思った。

 

 そのとき、ブルペンで、あの左腕が肩を作っていました。この大会で、もう四百五十球以上を投げている。だから今日は、ずっとベンチにいた。

 

 監督がベンチを出て、球審に何かを告げる。

 

〈来た〉

〈待ってたぞ〉

〈主人公すぎる〉

〈相手四番やばくない?〉

〈ヤチヨ黙ってる〉

〈ヤチヨ?〉

 

 ヤチヨさんは、何も言いませんでした。言えなかった、が正しいかな。

 

 

 幕末志士はバットを構えたまま、ほんの一瞬だけ、笑ったように見えました。嬉しそうな笑いじゃなかった。

 

 一球目、百五十一キロ。見逃し。

 二球目、百五十三キロ。ファウル。打球はバックネットに突き刺さって、甲子園がどよめく。

 三球目、百五十二キロ。空振り。

 

 打席で振り切った姿勢のまま、しばらく動きませんでした。

 

 そこから先、スピードガンの数字は一度も百五十を切りませんでした。相手は本気でした。それでも、続く二人も、まともに前に飛ばなかった。

 

 九回の表、四番でキャプテンのショートが、詰まりながらも三遊間を抜いて、一点をもぎ取ります。

 九回の裏、最後の打者が空振りして、マウンドに人が集まった。

 

 京都の、エアコンの効きの悪い部屋で、彼女は声を出さないように枕に顔を押しつけていました。どうしてそうしたのか、たぶん本人にも分かっていない。

 

 その秋、十月二十二日、木曜日。ドラフト会議。

 第一回選択希望選手、四球団。読売、中日、福岡ソフトバンク、そして来年から参入する新球団。

 

 抽選箱に手を入れたのは、ジャジメントナマーズの関係者でした。

 

 ——その瞬間、ツクヨミが少しだけ揺れたことを、覚えてる人はいるかな。ほんの数秒。照明が一度だけ、明滅した。

 

 ヤチヨさんのせいです。ごめんね。

 

---

 

 

 さて。

 

 今日はここまで。いっぱい名前を伏せたので、もやもやした人もいるでしょう。それでいいんです。この頃は、ヤチヨさんもまだ、何がどうなるのか知らなかった。

 

 ……ううん。嘘です。少しだけ、知ってた。

 

 あの年、京都の小さな部屋で、ひとりの女の子が初めて野球を見ました。

 あの年、ひとりの左腕が、日本でいちばん有名な高校生になりました。

 

 二人はまだ、お互いのことを何も知りません。

 

 それじゃあ、またね。

 ——おっかえりー、は、次に会うときまでとっておきます。

 




右腕=天道
幕末志士=岡田
四番でキャプテンのショート=10主
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