超かぐや姫ポケット!   作:それいゆ

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【三】「色は匂えど」2030年4月9日

 

 

 クラス替えの名簿は、昇降口の掲示板に貼り出されていた。

 

 人だかりの後ろから背伸びをして、彩葉は自分の名前を探した。酒寄。さ行。二年三組の、真ん中より少し上。視線を少し上にずらすと、綾紬。もう少し下に、諌山。

 

 三つの名前が、同じ列に並んでいた。

 

「三人そろった〜! 奇跡!」

 

 背後から声がしたと思った瞬間、芦花が両手を広げて、彩葉と真実をまとめて抱きしめた。身長差のせいで、彩葉の顔はちょうど芦花の肩口に埋まる。シャンプーのいい匂いがした。たぶん高い。たぶん案件のやつだ。

 

「いえ〜。奇跡記念に開けちゃお〜」

 

 真実もいつものゆる〜い調子のまま、カバンからメロンパンの袋を取り出した。普段は理由など用意せずに開けているそれを、今回は律儀に理由を付けて開封し、もむもむと食べ始める。朝の八時十分である。

 

「真実、それ朝ごはん?」

 

「二回目の朝ごはん〜」

 

「二回目」

 

「一回目はおにぎりだった〜」

 

 彩葉は自分の一回目の朝ごはんを思い出した。小麦粉と水。比べるのはやめた。

 

「ほら彩葉、顔見せて」

 

 芦花が抱擁を解いて、今度は彩葉の両頬を挟んだ。至近距離でじっと覗き込まれる。

 

「……クマ」

 

「ないよ」

 

「ある。メイクで消してるだけ」

 

「消えてるなら、ないのと同じでしょ」

 

「同じじゃない」

 

 芦花は何か言いかけて、口を閉じた。それから彩葉の手に、小さな紙袋を押しつける。

 

「これ。案件で余ったやつ。アイクリームと化粧水のミニボトル。使って」

 

「いつも悪いよ」

 

「余ってるんだって。捨てるのもったいないでしょ。ほら、彩葉が使わないと私の部屋が試供品で埋まる」

 

 毎回同じ理由だった。毎回、余っているにしては量が多かった。

 

 彩葉はそれを、毎回ありがたく受け取っている。これだけの生活をしていて肌が荒れないのは、たぶん半分くらいこの紙袋のおかげだと、本人もうすうす気づいていた。

人体は素直だ。いくら気合いで超人をやっていても、肌は寝不足を正直に申告してくる。それを黙らせているのが、芦花の「余り物」だった。

 

「……ありがと」

 

「どういたしまして〜」

 

 芦花はそれ以上何も言わなかった。言いたいことはもっとあるのだろう、と彩葉は思う。でも言わない。言わないでいてくれる。そういうところに、一年間ずっと助けられてきた。

 

 始業式は、体育館で五十分。

 

 校長の話は春の話から始まり、桜の話を経由して、なぜか校長の学生時代の話に着地した。生徒の三分の一は寝ていた。彩葉は寝なかった。寝たら最後、放課後まで起きない自信があった。

 

 教室に戻ると、空気が変わっていた。

 

 新しいクラス。新しい席順。そして、新学期特有の、情報の洪水。

 

「え、知らないの? サッカー部の佐伯、春休みに告ったんだって」

 

「誰に」

 

「二組の」

 

「うそ、マジで」

 

「で、オッケーだったらしいよ」

 

「うわー」

 

 斜め後ろの席から聞こえてくる。前の席からも聞こえてくる。廊下側からも。

 

「バスケ部の先輩、卒業式の日に——」

 

「一組の子、塾で知り合った他校の人と——」

 

「春休み、ディズニー行ったらしくて、二人で——」

 

 二年生。華のJK真っ盛り。

 

 ここは都内でも指折りの進学校で、生徒の大半は東大か京大か医学部を目指している。だが、そんなことはこの季節には一切関係がない。恋の噂は偏差値を問わず、平等に教室を駆け巡る。

 

 彩葉は自分の席で、頬杖をついてそれを聞き流していた。

 

 興味がない、わけではない。ただ、自分の生活のどこにも、その話題が入り込む隙間が見当たらなかった。朝は勉強、昼は授業、夕方からバイト、夜は勉強とヤチヨ。どこに恋愛を挟めばいいのか、物理的に分からない。

 

「彩葉は〜?」

 

 真実が、隣の席から身を乗り出してきた。二回目の朝ごはんは、いつの間にか三回目の昼ごはんになっていた。

 

「なにが」

 

「春休み〜。なんかあった〜?」

 

「バイト」

 

「それ以外〜」

 

「勉強」

 

「それ以外〜」

 

「ヤチヨの配信」

 

「だめだこりゃ〜」

 

 真実は満足そうにメロンパンをかじった。最初から答えは分かっていたらしい。

 

 彩葉は手元のスマホに目を落とした。

 

 ホームルームまでの隙間時間に、時事問題の把握のための新聞アプリを開く。もちろん無料分だけだ。有料記事は見出しだけ読んで、中身は推測する。それで受験の時事対策は十分に回る。

 

 見出しが並んでいた。

 

〈ツナミネット、国内利用者数が過去最高を更新〉

〈ツナミ・グループ、旧ジャジメント系列の再編を完了〉

〈大神ナマーズ、新体制二年目の開幕へ〉

〈ツナミ会長、今年も公の場に姿見せず 経営方針は社長名で発表〉

〈ツクヨミ運営、ツナミネットとの相互接続を改めて〉

〈ネットゲーム利用者の行方不明相次ぐ? 警察「事件性は確認されていない」〉

 

 SNSを開いても、似たようなものだった。トレンド欄の下のほうに、ツナミがどうとか、ツクヨミがどうとか、誰かが消えたとか消えていないとか。

 

 彩葉は上から順に目を通して、記憶の棚に収めていく。ツナミ・グループ。去年、ジャジメントとオオガミが統合してできた巨大企業。ツナミネット。その系列のネットワークサービスで、今では世界中で使われている。ツクヨミとは別物。ヤチヨが接続を拒み続けている。

 

 覚えた。

 

 覚えたが、それだけだった。正直、どれも心を惹かれない。『ツナミグループは何処と何処が統合して出来た会社?』などと来年度の受験に出るかもしれないから覚える。それ以上の意味はなかった。

 

 ——ヤチヨが嫌がってるなら、ツナミネットはしっかり使わなくていいや。

 

 彩葉の判断基準は、それくらいのものだった。

 

 周りを見渡すと、他のクラスメイトたちはもっとどうでもよさそうだった。恋の噂のほうが百倍大事で、企業の再編も、行方不明の噂も、誰の話題にも上らない。ネットゲームで人が消える、なんて程度の話は、せいぜいアカウントBANが大げさに膨らんだだけ。これくらいは何年も前からときどき流れてきては、すぐに忘れられていく代物。

 

 そういうものだ、と彩葉は思った。

 

 この国では、ちょっと変なことが起こっても、たいていすぐ忘れられる。

 

 

 放課後。

 

「はい、連行〜」

 

「えっ」

 

 帰り支度をしていた彩葉の右腕を芦花が、左腕を真実が、それぞれがっちりと捕まえた。

 

「待って、今日ほんとにバイト休みなの?」

 

「休み〜。店長に確認済み〜」

 

「なんで店長と連絡取れるの」

 

「前にお店行ったとき、連絡先交換した〜」

 

「いつの間に」

 

「彩葉が休憩中だったとき〜」

 

 自分の知らないところで、包囲網は完成していた。

 

「本日の議題はこちら」

 

 芦花が、スマホのメモを掲げた。

 

第一回 酒寄彩葉・過酷JK生活一年継続記念

 

「……なにそれ」

 

「彩葉が東京で一年生き延びたことを祝う会」

 

「縁起でもないって昨日も言ったよね」

 

「縁起でもないから祝うんでしょ」

 

 芦花はさらりと言った。笑っていたが、目はあまり笑っていなかった。

 

 彩葉は何も言い返せなかった。

 

 まず、駅前のクレープ屋に連れていかれた。

 

「彩葉、どれにする?」

 

「いや、私はいいよ。見てるから」

 

「記念だから奢り〜」

 

「でも」

 

「選ばないなら、私が一番高いの選ぶ〜」

 

 真実はメニューのいちばん上、いちごとチョコとカスタードとブラウニーが全部乗った、値段が三桁の後半に届いている一品を指差した。

 

「……バナナチョコで」

 

「はーい、いちばん高いのとバナナチョコと、いちごカスタードね〜」

 

「聞いてた?」

 

 結局、三つ全部を三人で分けることになった。いちばん高いクレープは、甘くて、重くて、ちゃんと卵と牛乳の味がした。

 

「……おいしい」

 

「でしょ〜」

 

 彩葉は自分の朝食の、あの白くて平たい何かを思い出した。比べるのは、やっぱりやめた。

 

 次は、ゲームセンターのプリクラ。

 

 芦花が手際よく撮影モードを選び、真実がポーズを指示し、彩葉は言われるがままに三人の真ん中に収まった。

 

「彩葉、もうちょっと笑って」

 

「笑ってるよ」

 

「目が死んでる」

 

「デフォルトだよ」

 

「デフォルト死んでるのは問題でしょ」

 

 撮影後の落書きで、芦花は彩葉の頭の上に大きく「一周年」と書き込んだ。真実はその横に、なぜかおにぎりのスタンプを三つ並べた。

 

「なんでおにぎり」

 

「お祝いといえばおにぎり〜」

 

「聞いたことない」

 

 印刷されたシールを、芦花は三等分して、いちばん写りのいい一枚を彩葉の分に入れた。

 

 最後は、カラオケ。

 

 三時間パック。もちろん奢り。彩葉はもう抵抗するのをやめていた。

 

 芦花は流行りの曲を、ちゃんと上手く歌った。真実はアニメの曲を、ちゃんとゆるく歌った。彩葉の番が回ってくると、二人は示し合わせたように同じ曲を入れた。

 

 月見ヤチヨの、去年の冬の曲だった。

 

「……ずるい」

 

「ずるくない〜。彩葉の得意分野〜」

 

 マイクを押しつけられる。前奏が流れる。

 

 歌い終わったとき、彩葉は少しだけ息が上がっていた。二人は拍手をして、芦花は「やっぱ上手いね」と言い、真実は「ミカド様の次くらいに上手い〜」と言った。

 

「比べる対象がおかしい」

 

「ミカド様はね〜、歌も上手いんだよ〜。こないだの配信でね〜」

 

 真実の目が、急に光を帯びた。

 

 諌山真実は、プロゲーマー集団ブラックオニキスのリーダー、帝アキラの熱狂的なファンである。本人いわく、名前を呼ばれただけで気絶できる。実際、イベントで一度気絶した。

 

「ミカド様がね〜、こないだの大会で〜、最後の最後に逆転してね〜、そのときの台詞がね〜」

 

 始まった。

 

 真実のミカド様語りは、だいたい十五分続く。止める方法はない。止める必要もない。芦花はドリンクバーのメロンソーダを飲みながら相槌を打ち、彩葉は黙って聞いた。

 

 黙って聞きながら、彩葉は心の中で蓋をした。

 

 帝アキラ。本名、酒寄朝日。

 

 七つ上の、兄である。

 

 真実はそれを知らない。彩葉は、言っていない。言うつもりもない。家族の話は、しない。それに、目の前で推しの話をしている友人に「それ私の兄」と告げる勇気は、さすがの超人にもなかった。

 

「——でね〜、そのとき言ったのがね〜」

 

 真実の話を聞いているうちに、彩葉は少しずつ肩の力が抜けていくのを感じていた。

 

 真実は、こういう役回りだった。好きなものの話を、心ゆくまで、ゆるく、長く、楽しそうにする。聞いているほうは何も考えなくていい。相槌だけ打っていればいい。それが、なぜか彩葉にはいちばんの息抜きになった。

 

 気づけば、十五分が経っていた。

 

「——というわけで、ミカド様は最高なんだよ〜」

 

「うん」

 

「彩葉、ちゃんと聞いてた〜?」

 

「聞いてたよ。最後に逆転したんでしょ」

 

「そう〜!」

 

 真実は満足そうに、四回目のおやつを開けた。

 

 芦花が、彩葉の横顔をちらりと見た。

 

「……彩葉、ちょっと顔色よくなった」

 

「そう?」

 

「うん。朝よりマシ」

 

 芦花はそれだけ言って、またメロンソーダを飲んだ。

 

 本当は、もっと言いたいことがあるのだろう。ちゃんと寝ろとか、ちゃんと食べろとか、一人で抱え込むなとか。芦花は世話を焼きたがる性格で、それでいて、彩葉が世話を焼かれるのを嫌がることも知っている。だから我慢している。試供品を「余り物」と言い張るのも、たぶんそのせいだ。

 

 彩葉はそれに気づいていて、気づいていないふりをしている。

 

 お互いに、そうやって一年やってきた。

 

 カラオケを出ると、外はもう暗かった。

 

 駅前の桜並木が、街灯に照らされて白く浮かんでいる。風が吹くたびに、花びらが少しずつ散っていく。

 

「来年もやろうね」

 

 芦花が言った。

 

「二周年記念〜」

 

 真実が続けた。

 

「……縁起でもない」

 

 彩葉は三度目の同じ台詞を言って、それから少しだけ笑った。今度はちゃんと、目も笑っていた。

 

 改札の前で二人と別れて、彩葉は一人で電車に乗った。カバンの中には、芦花の紙袋と、三等分されたプリクラと、真実がくれたおにぎり形の飴が入っていた。

 

 スマホを開く。ヤチヨの配信はまだ始まっていない。

 

 窓の外を、夜の東京が流れていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いろはにほへと、ちりぬるを。

 

 色は匂えど、散りぬるを。

 

 どんなに美しく咲く花も、いつかは散ってしまう。

 

 二〇三〇年、春。

 

 酒寄彩葉。高校二年生。十六歳。あと一ヶ月で十七歳。

 

 今日も平気な顔をしていた。

 

 この年、彼女の人生はある二人に根こそぎひっくり返されることになる。

 

 ——けれどそれは、まだ少しだけ先の話。

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