──六月・下旬──
出立の準備を終えた趙活は、早々に雪山から出ようとしたが名残惜しそうに家を眺める夏侯蘭を見て、足を止めた。
趙活が稽古もせず、1か月足らず建てた家は二人で住むには大きすぎるぐらいの物だった。
「せめて我が雪山派の扁額は持っていかねば」
「まさか、扁額を背負って旅をするつもりですか?」
扁額に手を伸ばそうとする夏侯蘭を趙活は止める。
運ぶにはあまりにも大きく、唐門への帰還を遅らせる原因になる物体を持ち帰らせるわけにはいかなかった。
それに今の夏侯蘭では間違いなく持てず、趙活が一人で背負う羽目になるに違いない。そこまでの苦労をするぐらいなら向こうで作った方がマシである。
「それもそうだな。旅に連れてはいけないか」
「いつかここに戻ってきましょう。時間だってまだたくさんありますから」
前までの夏侯蘭は復讐にとらわれ、そしてそこで終わっていた。
だが、今の彼女は違う。まだ見ぬ景色を見るために生きる気概がある。
「善は急げ、ですよ師匠!」
趙活が前を歩き、唐門への帰路につく。
すぐに雪景色がなくなり、寒さも感じなくなってきた。
もうすぐ日が暮れるぐらい、だんだんと暗くなっていく空を見て、周囲に宿がないことを理解した趙活はすぐに野宿の準備を始めた。
慣れた手つきで木を集め、火を起こす。
「行きと比べるとかなり順調なのであと数日で着きそうですね」
「ああ、吐いて捨てるほどいたあの盗賊どもも全く会わない」
この辺りを活動の中心にしていた野盗たちは雪山に行く道中ですべて夏侯蘭と趙活によって討伐されており、江湖の中で三番目ぐらいに安全な場所になっていた。
なんて軽口を飛ばしたのもつかの間、がさがさと物音がする。
師匠が余計なことを言ったせいで盗賊が呼び寄せられたか、と趙活は身構える。今この場で戦えるのは自分だけ、自分の身も妻の身も守る必要がある。
「すまない、旅の者よ。拙者飯がなく困っておって、少しばかりめぐんで──なっ!」
「お前は」
背に二振りの剣を背負った隻眼の男が、藪の中から姿を現した。
趙活がパッと見ただけで、彼が相当の実力者であることがうかがえた。
が、そんな彼は夏侯蘭をちらりと見て驚きの表情を浮かべる。
「な、なぜあなたがここに」
「私がどこにいようと勝手では?丹霞子どの」
「!?!?!?」
夏侯蘭と面識があるなんてどこの誰なんだと思っていた矢先、明かされた名前は衝撃の人物であった。
飛天門の大弟子、今は金国との戦いに明け暮れているはずの丹霞子が目の前に現れたのだ。
「た、丹霞子ってあの飛天門の大弟子。道法将軍の名を持つ丹霞子ですか!?」
「だからそういっているだろう。弟子の目の前にいるのがあの丹霞子だ」
「た、確かに貧道、道号は道法将軍、丹霞子と申す者だが……そちらは唐門の者か?」
「はい。唐門外姓弟子の趙活といいます」
「なにゆえ、唐門と崆峒が一緒に?」
「ええっと───」
趙活は、これまでの流れを掻い摘んで説明した。
崆峒側の人間ということもあり、夏侯蘭を妻にしたことは黙っておいた。
「なるほど、そのようなことがあったのか」
「しかし、今崆峒を離れているのはいささか良くないのではなかろうか。まもなく掌派人が──」
「私は掌派人とは連れ添わない」
「な、なにを言ってらっしゃる!あなたは奪魄門の嫡伝おん──」
「もう既に私には契りを交わした旦那様がいる」
「!?!?!?本当か!?」
「ああ、そこにいる趙活だ」
せっかく隠したのに言っちゃったよ、この人。と、趙活は頭を抱えるが当のぶっちゃけた本人は全く気にしていなさそうな顔していた。
それどころか、若干自分をにらみつけているような気がしていた。
「な、なんでしょうか」
「妻の紹介を怠った夫をにらんでいる」
どうやら本当ににらまれていたようだった。
「だ、だってさすがに崆峒の方の前で奪魄門の嫡伝女弟子を妻にしましたとは言えないですよ!笑えない冗談と思われて襲われたらどうするんですか!!!」
「知らん。私は夫に裏切られた気分で不愉快だ」
たとえ妻になろうともいつもの夏侯蘭らしさはなくなることはなく、あいかわらずの傍若無人ぶりであった。
その不機嫌の感情を実力行使に移さないだけ、マシである。
「ひ、貧道には分からぬ世界だ……」
「それでなぜ、道長はこんなところを?崆峒はもっと北ですよね?」
「ああ、少々道に迷ってしまってな。久しぶりで見覚えのある景色もなくここまで来てしまった」
丹霞子はここ数年ずっと金国との国境にいた。
たった数年ではあるが、その数年で江湖の景色は変わっている。唐門がここ数年で大きく衰退したように、この武林では数年で何もかもが変わってしまう。
その結果道に迷った丹霞子は最短距離ではなく、わずかに唐門側に近づくような形で崆峒へ向かう形になっていた。
また、そのせいで崆峒側では千灯楼も魏菊も丹霞子の行方が分からなくなっている事態になっているのだが、それはまた別のお話。
「この辺は入り組んだ道が多いですから、そんな日もありますよ。しかし、この時期に崆峒に戻るということは、道長は掌派人になるおつもりですか?」
もうすぐしたら崆峒では掌派人を決める行事が行われる。その争いに、江湖でも上位の実力者である丹霞子も参加するつもりなんだと趙活は考えた。
丹霞子が次の掌派人の最有力候補だと、三師兄が言っていたことを思い出す。自分の目で見ても確かにあの金鳥上人よりも強いと戦わずして趙活は感じた。
「そのつもりだったんだが、数日前に魏掌門から連絡があって状況が変わった」
「延期にでもなったんですか?」
「いや、状況的にはその逆だろう。金鳥上人が崆峒で反乱を扇動したそうだ」
「ええ!?ほ、本当ですか?」
「貧道も直接見たわけではない。あくまで聞いた話だ、ちょっとしたボヤが尾びれをつけて大きくなった可能性もある」
崆峒で争いが起きているというのに、丹霞子は冷静だった。
戦場で叩き上げられた彼の感覚は、これが単に掌派人争いに遅れたのであればきっと心中は焦りでめちゃくちゃになっていただろうが、戦場へ向かうかもしれないとなれば話は別、彼は落ち着いて状況を見極めようとしていた。
「それに、小梅が金鳥上人に襲い掛かり、鎮魂獄に捕まったそうだ」
「ええ!?小梅が!?」
あの小梅が金鳥上人を襲ったという点に関しては趙活は留学中にたびたび目にして、耳にしていたことであったので驚きはしない。
しかし、あの小梅が捕まったとなれば話は別だ。鶴を使ってアリバイ工作をしていたほど狡猾な彼女が捕まるなんて、趙活には想像もできなかった。
「もし金鳥上人が本当に掌派人になってしまった場合、小梅は掌派人の暗殺を企てた大罪人だ。どうして彼女がそのような行動をとったのかは謎であるが、彼女を助けるためにも私は崆峒に行く必要がある」
「そ、そうだったのですね。しかし、小梅が……」
留学中何度も遊び、また唐門でも共に弟子として生活した彼女が今、死ぬかもしれない瀬戸際にいる。
ようやく師匠を救い出せたと思えば、今度は弟子が危機に瀕している。趙活は、どうにも落ち着かない気分だった。
「……」
「行きたいのか?」
趙活が何も言わずに黙り込む様子を見て、夏侯蘭が問う。
「……い、いえ。今は師匠を唐門に送り届けて、三師兄の結果の報告をする方が先ですから……」
自分一人で勝手に崆峒に乗り込むなんてできない。
ましてや、脱獄の手伝いなんて……あまりにもめちゃくちゃだった。
「弟子よ。師匠は、師匠を理由に何かをあきらめるような人間にお前を育てたつもりはない」
「……」
「それに────私はあなたの妻となったのです。あなたが行くというのなら、私も共に参りましょう」
「え!?」
そういう流れだったの!?と驚くが、夏侯蘭の表情は至ってまじめだった。
その顔を見て、趙活も覚悟を決める。
「師匠、行きましょう」
「はい」
こうして、趙活、夏侯蘭、丹霞子の三名はともに崆峒を目指すのだった。
掌派人ルートに進むための改変要素
・第三香との戦いを七月・中旬から六月・下旬へ
・金鳥上人は趙活によって撃退されたが、護法たちによる告発は丹霞子がその時期に消息不
明になったことにより延期。のちに、丹霞子の発見と共に告発。現在に至る。
・郁竹の弟は今も姉を助けてくれる人物を捜索中
・小梅の襲撃は原作の時期よりも遅くに行われたが、白昼堂々と行われ奪魄掌門によって取
り押さえられた。