「弟子よ。改めて言っておくが、師匠の内力はどこかの阿呆のせいでずたずただ。戦力にはならんからな」
「分かってますよ」
「なに、蘭師妹は戦えないのか?」
「はい、雪山の時にいろいろあって満足に戦うにはしばらく休養が必要でしょう」
「そうだったのか」
丹霞子の口ぶりから、夏侯蘭も一人の戦力として考えていたことが察せられたが、残念ながら今の夏侯蘭はその辺の賊にすら苦戦を強いられるだろう。
せめてしばらく安静にできるならまだしも、唐門に帰る途中で傷をいやす暇もなかったため以前の一割にも満たない力しか残っていない。
しかし、その研ぎ澄まされた殺意だけは依然として本物であり、心の弱いものならにらみつけるだけで追い払える。
「そうだ!ちょうどいいものを持っている」
そう言って丹霞子は腰帯に結びつけた布袋の口をほどき、中から丸薬を取り出した。
見慣れない色合いで、趙活は不思議そうにそれを眺める。
「向こうを出る時にもらったものでな。良いやつとは聞いておる」
「名前とか効能とかは?」
「忘れた」
一番大事なところを忘れるなよ。と思ったが口には出さない。
効能が分からない以上何とも言えないが、もしこれが回気丹のような類なら夏侯蘭の内力を回復する手助けになるかもしれない。
が、趙活の第六感はこれの危険性も感じ取っていた。
「もしこれが何かしら貴重なものだったのなら申し訳ないが、道長は千灯楼から命を狙われている身。もしかしたら毒が仕込まれているかもしれません。これは信頼できる者からもらったものですか?」
「もちろん!これは制置使から頂いたものだ」
そこらの知らない宋人からもらったなんて言ったらさすがに捨てるべきと言うつもりであったが、送り主が制置使なら、ひとまず問題はなさそうだった。
まさか、前線から離れるような者を殺そうとする人物ではないはず、と丹霞子が信頼しているであろう人物を信用することにした。
「蘭師妹に食べさせるか?」
「いや、もしものことがありますから師匠には持っていてもらいますが、いざというときまで口にはしないでください」
「安心しろ。毒だったら弟子の喉を掻き切ってから私も死ぬ」
「何も安心できない!?」
身の危険を感じた趙活はとっさに首を守るが、夏侯蘭はその様子を見て、狩人のような目をしながら口角をあげる。
「と、とりあえずいくつか解毒効果のあるものも渡しておきます」
見た目や匂いだけでは毒の有無は分からない。念のため趙活は最低限解毒の効果があるものだけ夏侯蘭に渡す。
正直な話、唐門でしっかりとした調査をするまで口にしてほしくはなかったが、夏侯蘭の命をつなぐ可能性もある以上背に腹は代えられなかった。
いろいろとありながらも崆峒へ向かう足を止めることはなく、時折襲い掛かってくる千灯楼の刺客たちを撃退しながら、崆峒のすぐ近くまでやって来た。
丹霞子によれば、この先には人通りの少ない道があるということで、彼に道案内を任せているため以前趙活が留学したときに見た景色は少しもない。本当に向かっているのか不安になりながら、丹霞子の後ろをついて進むと開けた場所に出る。
周囲は田んぼだらけ、少し離れたところにぽつぽつと家が建っているだけで、申し訳程度の村が形成されている辺鄙な場所のようだった。
「南溝か」
「ああ、ここなら生え抜きの崆峒者でもなければ見つからぬはずだ。多少ではあるが金鳥上人に拙者らの情報が行くことを遅らせられよう」
「地元の案内人がいると頼もしいな」
「この辺りなら拙者の知り合いも多い、少しばかり腹ごしらえをして魏掌門の所に合流するとしよう」
村へと向かっていくと、すぐに向こうから一人やってきた。
みすぼらしい格好で、襲撃者というわけではなさそうだったので趙活は本当にただの農村なんだと安心する。
「……ん?お前はまさか、陳の坊主か!」
「陳?人違いじゃ──」
「拙者のことだ。柳おじさん、久しぶりだな」
目の前にいるのが自分の記憶の中にいる人物と知ると、その村人は大喜び。
他の村人にも声をかけ、丹霞子の帰還を伝える。
自分たちの存在を隠すために選んだはずの道で大々的に丹霞子の帰還を知らされてしまったことで丹霞子は焦り、声を落としてもらうように頼むが時すでに遅し、村からぞろぞろと出てきた人々によって丹霞子は囲まれてしまった。
老若男女が問わず彼を囲い、人望の高さがうかがえるが、今はそれどころではない。
「人気ですね、道長は」
「ここ数年いなかったとはいえ崆峒では指折りの実力者であり人格者だ。ましてや出身地であれば、これほどの歓迎を受けていても不思議ではない」
夏侯蘭とともにその様子を眺める趙活。
この崆峒への長旅から帰ったときに、自分は唐門の師兄や師妹などにこんなに歓迎されるだろうかと一瞬考えがよぎるが、
─────心相 -10
きっとお前の当番を誰が代わってやったと思ってる!なんて怒鳴られるんだろうなと笑みがこぼれる。
─────心相 +10
それが趙活にとっての唐門であり、我が家の姿なのだ。
「しっかし、陳の兄ちゃん。帰ってくるのが遅すぎたよ」
「な、なに。遅すぎたとはどういう意味だ」
「もう全部終わったんだよ!」
村人たちの発言に丹霞子と趙活の二人にわずかな緊張がしたが、村人たちはそんなこと気にもせずに崆峒の状況を話し出す。
「ついこの前、金鳥上人が四大護法から連名で弾劾されたんだ。あいつ実は千灯楼の間者だったんだって!びっくりだよ、あの千灯楼だよ!」
子供は興奮した様子で話す。
千灯楼は昔から子供へのちょっとした躾に使われるぐらいに一般化した名詞だ。どこにいるかは分からなくても、怖い組織であることは江湖にいるすべての人が知っている。
「それからどうなった」
「どうなったって、崆峒にいる全員で囲ってなます斬りに叩き刻んじまったよ」
「じゃあ、小梅は!!」
「言うまでもない。飛天門の子も鉄拳門の子も無罪放免さ」
「そうだったのか……ん、待て。鉄拳門の子って」
「ん?郁竹も捕まってたのに知らなかったのかい?」
「な、なに!?捕まってたのは小梅だけじゃないのか!?!?」
「その捕まってた小梅を助けようとして鎮魂獄に抜け道を作っているところを捕まったのさ」
てっきり捕まったのは小梅だけだと思っていた趙活は突然知らされた驚愕の事実に驚きを隠せなかった。
小梅と郁竹が仲良くしていたことは知っていたが、まさか脱獄させようとするほどだったとは思ってもいなかった。
「でも二人とも出れたんだよな」
「だからそう言ってるだろう」
「そ、そうか……」
それなら良かったと、安心するとともに趙活は自分が何をしに来たのか分からなくなった。
小梅が捕まって死ぬかもしれないと思い、無理矢理夏侯蘭を連れて崆峒まで来たと思えばもうすべては終わっていて、自分はただ唐門へ帰るのを遅らせただけ。いくら事前に長かったら数年かかるかもと伝えてあるにしても、夏侯蘭を休ませる必要もある現状、完全な無駄足だった。
俺は……一体何をしにここへ来たんだろう。
そんな感情が趙活の心の内を支配し始めたその時。
「それで崆峒はどうなったか聞いてもよいか」
夏侯蘭が口を開いた。
「ああ、金鳥上人が倒されてから残党は組織的抵抗ができなくてね。事前に周到な準備をしていた魏掌門によって、あっという間に鎮圧されたよ」
「あとは吉日まで待って、掌派人を崆峒が呼び出すのも待つだけさ。腹が減ってるだろう?ここでたらふく食っていきなよ。将来の掌派人様にご飯を作れるなんて光栄な機会、無駄にはしたくないんだ」
「そうか!それは実に結構だ!!」
もう既に魏菊によってすべてが片付いたと知った丹霞子は心の中にあった不安が完全に消え去り、満面の笑みを浮かべる。
金鳥上人が反乱を起こしたと聞いてもし間に合わなかったらと心の中でずっと気にかけていたが、それがやっとなくなった。
「じゃあ、もう崆峒は平和そのものだということか?」
「ああ、そうだよお嬢さん。まあ、争いがあったから無傷ってわけにはいかないがね」
「そうだったのか……師匠、すみませんここまで来てもらったのに」
「弟子よ、お前はもう少し人を疑った方がいい」
「え?」
「よく考えてみろ。本当に崆峒での争いが終わったと思っているのか?」
夏侯蘭に言われて、趙活は改めて状況を整理する。
金鳥上人の反乱がおこり、小梅らも捕まったと聞いて、崆峒へ向かう。そして、いざ崆峒まで来てみたらもう既に金鳥上人は討伐されており、反乱も鎮圧されていた。
なんらおかしなことはない。
魏菊が先見の明に優れた、したたかな人物であることは趙活も知っており、彼女が準備を整え金鳥上人を追い込んだことに全く違和感はない。
自分が考えられる範囲でおかしなことなんて──
「じゃあ、俺たちはここに来るまでの間に誰と戦っていたんだ……」
そう言われてみれば、妙な話だった。金鳥上人がすでに討たれ、千灯楼の人間も壊滅状態にあるというのなら、なぜ自分たちはここへ来るまで、あれほど執拗に刺客を差し向けられたのだろう。
「やっと気づいたか。もし、金鳥上人がすでに死んでおり、魏菊によって千灯楼の人間が壊滅状態に追いやられているのなら、私たちを足止めする必要はない。ああも毎晩毎晩人を送る理由なんて、一つしかなかろう」
「道長!これは罠です!金鳥上人による足止めです!!」
「なにを言うんだ!!でたらめ言うんじゃねぇ!」
「いいや、でたらめを言っているのはお前たちの方だ!!」
村人の声を遮るように、丹霞子の前に奪魄門の人間が現れた。
それをみて、村人たちの顔色に動揺が浮かんだ。
「護法たちが連名で告発したのは事実です。しかし、あの賊はあろうことか先んじて反乱を扇動したのです!!今も戦況がぎりぎりです。将軍のお力添えがなければ、我々は負けてしまいます!!」
「奪魄門の連中が飛天門の大弟子の迎えだって!?あり得るわけないだろう!」
「……柳おじさん。もし師弟の話が本当なら拙者は急いで崆峒に戻らねばなるまい」
「今頃になって何言ってやがる。小陳。崆峒から出て行ったお前が今頃戻ってきて掌派人になるだぁ?お前がここに残っていれば、あの第三香ごときが掌派人になるなんてことなかったんだ。おまけに、そのあと掌派人もあいつと夏侯蘭のせいで死んじまった」
「お──」
「やめておけ」
村人の発言につかみかかろうとした趙活を夏侯蘭が止める。
首を横に振り、制止されては趙活も発言を咎める気が失せた。
「お前らの足止めをしなければ、金鳥の奴らに俺たちが殺されておしまいだ。お前のせいで俺たちはめちゃくちゃなんだよ!お前のせいで!」
ついさっきまで知己として笑っていたはずの顔には怒りがあり、その剥き出しの怒りを前に、丹霞子も反論できなかった。
怒りのまま、思っているすべての言葉を丹霞子へとぶつける。
そこに偽りの心など一片もなく、まごうことなき江湖に住む弱者の悲鳴であった。
「俺たちじゃもうだめだ!こいつらを止められねぇ!」
そう言って、立ち去っていく村人と入れ替わるように趙活は見覚えのある集団が現れる。
用意周到、趙活たちを囲うように現れたことからどうやら自分たちの方から千灯楼の縄張りに入ってしまったことがうかがえる。
今の趙活たちに考える時間はない、互いに武器を構え、激しい戦闘が始まった。
わざわざ崆峒についてきてくれるだけあって、師匠の性格はかなり丸くなってます。きっと趙活に影響されたんでしょう。