「……ずいぶんと余裕そうだな、迅」
月明かりが照らす夜の静寂の中、太刀川慶は腰に差す孤月に手をかけながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。その背後には、風間蒼也率いる風間隊、三輪秀次率いる三輪隊など、ボーダー本部の誇る精鋭たちがズラリと居並んでいる。
対する迅悠一は、腰に差す風刃に手を置きながらも、どこか余裕を感じさせる態度で飄々と立ち尽くしていた。
「まあね。正直に言うと、こっちが負けることはないから」
迅は口元に余裕の笑みを浮かべ、どこか誇らしげに肩をすくめた。
「悪いけど、もう未来は確定してる」
その言葉に、太刀川の目が鋭く光った。
「未来視のサイドエフェクトか……。そういう予知を聞かされると──」
太刀川が孤月を抜き放つ。金属音が夜の空気に高く響いた。
「──余計に覆したくなる!」
その瞬間、迅が風刃を起動させようとする隙を見逃さず、太刀川が一瞬で距離を詰め、孤月で一閃を放つ。剣筋に迷いはなく、迅が一歩でも反応を遅らせれば、そのまま勝負を決めかねない鋭さだった。
同時に風間隊の面々が一斉にカメレオンで姿を消し、三輪隊は太刀川を援護するように迅へ肉薄。出水は合成弾の準備に入り、高所に素早く移動した当真、奈良坂、古寺はスコープ越しに迅の姿を捉えていた。
正面の太刀川だけに意識を向ければ、見えない風間隊に背後を取られる。そちらを警戒すれば、三輪隊の銃撃と槍が逃げ道を削り、さらに狙撃が逃げ場を塞ぐ。個々の実力だけでなく、互いの攻撃を重ねるために組まれた布陣だった。
勝負は一瞬で決する──誰もがそう確信した、その刹那。
ガンッ──────!!!!
上空から一気に降下してきた巨体が、右腕に構えたレイガストで太刀川の重い斬撃を受け止めた。激しい火花が夜の闇を照らし出す。生じた一瞬の隙を逃さず、迅が風刃の斬撃を放ち、詰め寄っていた三輪隊を遠ざけた。
「おいおい、勘弁しろよ……」
屋上から一部始終をスコープ越しに見ていた当真が、目を見開いて苦笑いを漏らす。太刀川の斬撃を正面から受け止め、迅の前に立ち塞がったのは、レイガストを右腕に構えた巨躯の男だった。
「……茶渡か!」
太刀川の目が見開かれる。茶渡が現れたこと、そして自身の一撃を真正面から受け止めたことに、純粋な驚きを隠せなかった。
「遅くなってすまない、迅」
人間離れしたタフネスを誇り、常に最前線に身を置いて味方を守る絶対的な壁。レイガストの
「いいや、最高のタイミングだ、チャド!」
迅が笑うと同時に、空中から複雑な軌道を描く
「ステルスが効いてないな。ということは……」
「姿を隠せば一方的に攻撃できるとでも? 残念だが、僕には通用しないよ」
那須や二宮にも引けを取らない精密射撃で風間隊を牽制したのは、高所に陣取ったメガネをかけた青年だった。
「揃いも揃って暗殺者の真似事かい? とてもボーダー隊員にふさわしい行動とは思わないな」
弾道の角度、威力、着弾時間までをミリ単位で計算し尽くす戦術派。茶渡隊が誇る、遠距離の絶対的エース。
「へえ……噂通りの手強さだな。だが──!」
一瞬の隙を突き、太刀川が音もなく迅の死角へ跳び込む。二振りの孤月が描く旋風の如き二閃。迅のガードが間に合わない絶妙の間合い。
「無駄だよ。もう未来は確定してる」
だが、その刃が迅の首元に届くことはなかった。
──ドンッ!!
上空から叩きつけられた、理外の重圧。
太刀川の二振りの孤月と真っ向からぶつかり合ったのは、一刀の孤月だった。あまりの衝撃波に、周囲のコンクリートが蜘蛛の巣状にひび割れる。
「……悪いな、太刀川さん」
刃を交えたまま、オレンジ色の髪の少年が鋭い眼光で太刀川を見据えた。
「ここから先は一歩も通さねぇ」
規格外のトリオン量と我流の圧倒的剣術で前線を粉砕する、茶渡隊のもう一人の絶対的エース。
当真や奈良坂、古寺が茶渡隊の三人を撃とうとすると、茶渡の足元から巨大な壁──エスクードがせり上がった。狙撃手たちの射線が完全に遮断される。
通信機越しに、可憐だが芯のある少女の声が響き渡る。
『黒崎くん、茶渡くん、石田くん! 狙撃手の射線管理は任せてっ!』
並列処理と射線管理を得意とし、癖の強い三人の連携を唯一可能にする敏腕オペレーター。
『一護は一人で太刀川さんを抑えてくれ。石田と俺で風間隊と三輪隊を倒す』
『二人で大丈夫か?』
『僕と茶渡君なら問題ない。迅さんの援護があれば十分に戦える』
『わかった。そっちは頼んだぜ!』
普段のランク戦なら、この指示ひとつで黒崎と石田が言い合いを始めてもおかしくない。
戦術の組み立て方も、戦局の見極め方も、二人の考えはしばしば正反対だった。だが、今は互いの役割を確認する短いやり取りだけで、必要な意思疎通が済んでいる。
茶渡隊は、こうした土壇場でこそ真価を発揮する。個々の実力はもちろん、普段は衝突しがちな二人でさえ、勝利のために迷いなく連携できる。ここぞという局面に限れば、ボーダー最強の部隊と言っても過言ではなかった。
「旋空──孤月っ!!」
一護の振るった孤月の一撃が、二刀で受けた太刀川を後ろへと吹き飛ばす。太刀川の靴底が地面を削り、踏みとどまった場所に細かな亀裂が走った。二本の孤月で受けたにもかかわらず、腕には痺れるほどの衝撃が残っている。
「ハハッ! 一撃の重さが相変わらず頭おかしいだろ、黒崎!」
太刀川は空中で体勢を整えて着地しながら、楽しげに笑う。
「笑ってる場合かよ!」
着地した太刀川へ向け、一護が間髪入れずに肉薄する。一護の孤月が描く一閃は、打撃かと錯覚させるほどの重量感を伴い、太刀川の二本の孤月と真っ向からぶつかり合った。ギィン、と鼓膜を刺す高音が夜の空気に鋭く響き渡る。
剣技の精度と経験では太刀川が上回る。しかし、一護の振るう孤月は、重い。その重さの正体は、トリオン体の扱いに対する圧倒的なセンスにあった。イメージした通りの動きを寸分違わずトリオン体で実現する能力において、一護はボーダーでも群を抜いている。
太刀川は一護の大振りな攻撃を誘い、受け流して体勢を崩そうとする。一護はその狙いを理解していても、細かな技術で太刀川を上回ることはできない。だからこそ、刃がぶつかる瞬間に踏み込みの角度を変え、相手が受け止めた力ごと押し切る。
単純に見えて、少しでも読み違えれば太刀川の反撃を受ける危険な戦い方だった。
一方、風間隊と三輪隊は茶渡の展開したエスクードを迂回し、左右から挟み込む形で前線を崩しにかかっていた。
「風間隊は左、三輪隊は右からだ。石田、頼むぞ」
「言われなくても分かっている。──織姫さん、破壊していいエスクードを教えてくれ!」
『石田くんから見て右前方と左後方は破壊しても大丈夫っ! 他は古寺くんと奈良坂くんの射線が通ってるから壊しちゃダメ! 当真さんの位置はわからないっ!』
「それだけ分かれば十分だ」
直後、石田が右手から
そこへ容赦なく降り注ぐ
カメレオンやエスクード、瓦礫の後ろで姿を隠していても、サイドエフェクトによってトリオンの反応を感じ取れる石田には接近する敵の位置が分かる。姿を消したこと自体が、彼にとっては障害にならなかった。
「
三輪隊の槍使い・米屋陽介が、幻踊で弧を描くように槍を振るい、石田の弾を弾き飛ばしながら堪えきれずに突進する。だが、米屋が足を踏み込んだその瞬間──。
「なっ!?」
迅の放った風刃の斬撃が米屋の片足を叩き斬り、石田が先に配置していた
茶渡はレイガストを構えていない左拳を、米屋の顔面へと叩き込んだ。その拳の先端からは、鋭利なスコーピオンの刃が生えていた。
「マジかよ……」
「米屋っ!」
『戦闘体活動限界
「だけど……時間は稼いだぜ」
米屋の体が光となって消え去ると同時に、頭上から襲いかかったのは
『茶渡くん、頭上から高威力の合成弾! 1秒後に着弾! 左後方には漏らさないでっ!』
「任せろ」
茶渡はレイガストを両手に展開し、全トリオンを
直撃した合成弾の爆風が、茶渡の巨体を包み込む。だが、爆風が晴れた中心には、傷一つなく仁王立ちする茶渡泰虎の姿があった。
「なん……だと…………」
サイドエフェクトにより並外れたトリオンの耐久値を誇る茶渡だからこそ成せる、絶対防御だった。
三輪がその圧倒的な防御力に息を呑んだのは、ほんの一瞬だった。すぐさま銃を構え直し、迅と茶渡の間を縫うように連射する。弾丸は迅の足元を削り、茶渡が盾を傾けるたび、その縁をかすめて火花を散らした。
「防御が固いなら、動きを止めるまでだ!」
三輪は撃ちながら距離を詰める。迅は弾道を見切って身をひねり、風刃で牽制するが、三輪は退かずに銃撃を重ねた。しかし、茶渡が足からスコーピオンを伸ばし地面を砕くことで、飛び散った瓦礫が三輪の踏み込みをわずかに鈍らせる。
「そこだ!」
茶渡のレイガストが三輪の銃撃を防ぎ、迅はその隙に風刃を振るった。三輪は身を引いて直撃を避けようとしたものの、茶渡のスコーピオンに足を取られる。
その一瞬の遅れが致命的だった。風神の斬撃が三輪の胸元を捉えた。
『戦闘体活動限界
三輪の体が光の粒子となって消えるのとほぼ同時、風間隊が石田に肉薄していた。
出水の
歌川のスコーピオンが石田の首元へ迫る。だが、石田の瞳は冷徹なまでに冷静だった。
「遅いよ」
石田はエスクードの裏で旋回させていた
だが、その直後──。
「甘い」
風間と菊地原の二刀が、左右から石田を襲う。菊地原の攻撃はシールドで防ぐも、風間の一撃がトリオン体を深く切り裂いた。
「くっ……!」
耐えきれず体勢を崩した石田の頭部を、はるか高所から解き放たれた当真のイーグレットが正確無比に撃ち抜いた。
『戦闘体活動限界
「さすがに一人は落としとかねぇとな」
屋上で当真がニヤリと笑った瞬間、菊地原の耳が不快な音を捉えた。
「菊地原、避けろ!」
風間の叫びも虚しく、石田が前もって瓦礫の下に設置していた置き弾による無数の
「自分が落ちることも計算に入れていたか……!」
風間は苦々しく呟き、迅へ向き直った。迅もまた風刃を構え、二人の間に張り詰めた沈黙が落ちる。石田との戦いで損傷を負った風間は、それでも隙のない構えを崩さず、迅の動きを慎重に見極めていた。
「これもお前の予知通りか、迅。……なら聞かせろ。この状況を、どう収めるつもりだ。城戸指令は本気だぞ」
「分かってる。だけど、こっちも本気なんだ」
二人は互いの動きを牽制し、わずかな踏み込みにも刃を交える。未来視を持つ迅に対し、風間はフェイントを重ね、予知された動きの先を取ろうとした。迅もまた、風間の経験と判断力を侮らず、決定打を急がずに間合いを保つ。
一方、出水は茶渡の正面に立ち、合成弾の照準を定めていた。茶渡は盾を構えたまま、一護の戦いを妨げない位置へ出水を誘導する。
──そして、戦場の中央。
「ハハッ! 周りが片付いてきたな、黒崎!」
太刀川は二本の孤月を構え直し、一護との間合いを取り直す。三輪隊と風間隊の隊員たちはすでに脱落し、残る戦いはそれぞれの主力同士の一騎打ちへと移っていた。
未だに当真を筆頭に狙撃手が三人残ってはいるが、織姫の射線管理、茶渡のエスクードの妨害によってほとんど無力化されている。それでも太刀川は退く気配を見せず、一護だけを見据えて笑った。
「周りが片付いたんじゃねえ。こっちが片付けてんだ!」
一護は孤月を構え直す。太刀川は剣技の精度と経験を生かし、正面から打ち合うだけでなく、刃を滑らせて一護の体勢を崩そうとした。一護は力任せに押し返すのではなく、踏み込みの角度を変え、連撃をぎりぎりで受け流す。
「力はある。だが、振りが大きい!」
「力で勝ってるならそれで十分だろ!」
一護の一撃が太刀川の二刀を弾き上げる。太刀川は即座に体をひねって距離を取り、さらに踏み込んだ。刃が何度も交差し、火花が散る。太刀川の技量が一護の粗さを突く一方、一護の一撃は受け止めるたびに太刀川の腕へ重い衝撃を残した。
「やっぱり面白ぇな、黒崎!」
「こっちは少しも楽しくねえよ!」
その間も、戦場の別の場所では二つの一騎打ちが続いていた。
出水が茶渡の防御を崩そうと合成弾を撃ち込み、当真、奈良坂、古寺も射線を変えながら援護を試みていた。
次第に出水は茶渡の鉄壁の守りを正面から崩すのを諦め、弾道を細かく変えながら足元と背後を狙う。茶渡はレイガストの角度を変え、受け流せる弾は流し、避けられない弾だけを正面から受け止めた。防御に徹しているようでいて、少しずつ出水の移動範囲を狭めている。
「その
「お前の弾が尽きるまで、とは言わないがな」
茶渡の返答に、出水は苦笑しながら弾を放つ。爆発がレイガストの
だが、茶渡は一歩も退かない。出水もまた、接近戦では茶渡に敵わないことを理解しているため、距離を保ちながら攻め続けるしかなかった。二人の戦いは、一種の膠着状態に陥っていた。
迅と風間の戦いも、まだ決着には至っていなかった。
風間はカメレオンを使わず、姿を晒したまま迅の間合いへ踏み込む。短い連撃で迅に反撃の隙を与えないことで、風刃を封じようとしていた。
対する迅も、未来視で斬撃の軌道を読み、身をかわしながら刃を返す。互いに一歩も譲らず、わずかな隙が勝敗を分ける攻防が続いていた。
しかし、そのボーダー最高峰の攻防は意外にもあっけなく終幕を迎えた。
風間が迅の斬撃を紙一重でかわし、間髪入れずに反撃へ移ろうとしたその瞬間、踏み込んだ足にわずかな遅れが生じた。石田との戦いで受けた損傷が、動きに影響を及ぼし始めていたのだ。
その一瞬を、迅は見逃さなかった。
「ここまでだ、風間さん」
予め仕込んでいた斬撃が風間の足元を捉え、そのまま胴へと抜ける。風間も刃を返そうとしたが、崩れた体勢では間に合わなかった。
『戦闘体活動限界
「風間さんがやられたかっ!」
「よそ見してるんじゃねぇっ!」
一護が二刀の孤月越しに太刀川に重い一撃を与えた。太刀川はその反動を利用して大きく後方へ跳び、地上からの追撃を避けるように空中へ身を躍らせた。
さすがに迅と一護の二人を相手にするのは厳しいと判断した太刀川は、風刃の射程外である空中へ移動しながら、上から一気に斬り込ることで一護との決着をつけようと考えたのだ。
その動きを、一護が待っていたとは知らずに。
その瞬間、太刀川は一護の姿を見て強烈な違和感を覚えた。
「(あ? なんでこの距離で構えてやがる……?)」
一護が深く腰を落とし、孤月を大きく引き絞っていた。旋空の間合いを遥かに超えた「絶対に届かないはずの距離」で、だ。
だが、太刀川の直感が警報を鳴らした時には、すでに遅かった。
「旋空──孤月っ!!」
一護が振り抜いた瞬間、光の斬撃が夜空を一直線に走った。通常の旋空孤月を大きく超える、生駒旋空すらも過去のものにする理不尽なまでの長大な射程。規格外の斬撃。
太刀川は空中で二本の孤月を交差させてその斬撃を受けようとしたが、間に合わずに胴を真っ二つに斬り裂かれた。
「……マジかよ! この距離まで届くのか!」
射程が伸びた正体──それは、A級部隊にのみ許されたトリガーの改造と、一護の莫大なトリオン量。そして、それを寸分の狂いもなく刃に乗せる卓越したセンスが融合して初めて成立する、黒崎一護の切り札だった。
『戦闘体活動限界
太刀川の体が光となって消え去り、夜の静寂が再びあたりを包み込む。屋上に残された当真は、スコープ越しに一護を見つめ、呆れたようにライフルを下ろした。
「……あのメンツ相手にこの人数でどうしろってんだ。撤退だ撤退」
生き残っていた出水と奈良坂、古寺も同様に撤退を始めた。
静まり返った戦場に、一護が孤月を収めるカチリという音だけが響く。
「ふぅ……なんとか片付いたな」
一護が肩をすくめると、茶渡が静かに歩み寄り、通信越しに織姫の安堵した声が聞こえてきた。
『みんな、本当にお疲れ様っ!』
「やれやれ、相変わらず君たちの戦闘は派手で助かるよ」
迅が笑いながら近づき、茶渡隊の面々に感謝の意を示す。
本部の精鋭部隊を完璧な連携と規格外の個の力で退けたことで、