透き通る世界のアイアンマン(偽物)   作:マーベルにハマった人

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2 敗北

 

 トリニティ総合学園の郊外へ近づくにつれて、道路の状態は目に見えて悪くなっていった。舗装路は途中で途切れ、装甲車のタイヤが石を踏むたびに小さな振動が伝わってくる。窓の向こうには鬱蒼とした森林が広がり、時折、廃屋らしき屋根が木々の隙間から覗いた。これだけ辺鄙な場所なら、大量の兵器を運び込んでも簡単には見つからないだろう。

 

 もっとも、輸送記録を消す手間までかけたのは少しばかりやり過ぎだ。自分たちが何かやましいことをしていると宣伝しているようなものではないか。後部座席で地形図を確認しながら、カイザーの担当者に送りつける抗議文の書き出しまで考えてしまった。まったく、余計な仕事を増やしてくれたものだ。

 

「ジャーヴィス。問題の車両は?」

 

『最後の位置記録は三日前です。以降の移動情報は確認できておりません。加えて、周辺では過去二週間に十七回の通信障害が発生しています』

 

「車両が消えて、通信まで消える。随分と手の込んだ隠れ家ね」

 

『偶然による障害の可能性は低いと推定します』

 

「でしょうね。でなきゃ、私もわざわざ出向いてないわ」

 

 山の中腹にある倉庫群へ通じる道路は、事実上一本しかない。逃げ道が限られるのは少々厄介だが、だからこそ護衛ドローンも連れてきた。装甲車の周囲を飛ぶ四機はいずれも最新型で、互いに情報を共有しながら索敵と迎撃を行う。通信が妨害されても独立して戦闘を続けられるため、この辺りの武装集団が相手なら十分すぎる戦力だろう。

 

「全機、問題ないわね?」

 

『推進系統、兵装、索敵装置すべて正常です。スターク様、目的地まで一・二キロメートルとなりました』

 

「車を止めて。ここから先は偵察を優先するわ」

 

『承知いたしました』

 

 装甲車を停車させ、二機を偵察へ向かわせる。残りの二機は車体の周囲を警戒させた。モニターには光学映像と熱源分布が表示され、茂みに隠れた人影まで浮かび上がっている。何も考えずに敵地へ乗り込むつもりはない。ヒマリには散々心配されたけれど、私だって危険を理解できないほど馬鹿じゃないのだから。

 

 やがて倉庫群の全容が映し出された。大型倉庫が三棟、それを取り囲むように並んだ小規模な建物。フェンスに見張り台、車両を隠すための簡易屋根。普通の物流拠点にしては警備が厳重で、軍事施設と呼ぶには設備がちぐはぐだ。倉庫の前には、大型輸送車が数台停まっている。

 

「右から二番目の車両、拡大して」

 

『表示します』

 

「……やっぱりね」

 

 車体の側面には、見慣れた企業ロゴが描かれていた。スターク・インダストリーズ。しかも、今回は車両番号まで読み取れる。ジャーヴィスの照合によれば、三台ともカイザー向けの納入分だった。偶然同じ外装をした車両が山奥に迷い込んだ、なんて言い訳は通用しないだろう。

 

 予想が当たったのは喜ばしいが、実際に我が社のロゴをこんな場所で見つけると腹が立つ。私が開発した製品を、誰とも知れない連中が勝手に使っているのだ。しかも、それを隠すために記録まで改竄している。……いい度胸じゃない。

 

 周囲には、仮面をつけた少女たちが武装して警備に当たっていた。少なくともカイザーPMCの正規部隊には見えない。倉庫の屋上には対空砲、見張り台には狙撃手、車両の荷台には携行式の発射装置。物流施設の警備にしては明らかに過剰な装備だった。

 

「ジャーヴィス。あの発射装置、型番を確認して」

 

『スターク・インダストリーズ製携行式対装甲誘導弾発射装置と一致します』

 

「うちのお得意様が増えたみたいね。請求書をどこへ送ればいいのかしら」

 

『現時点では、正規の購入者を特定できておりません』

 

「冗談よ。……まったく、笑えないわね」

 

 これで兵器の横流しはほぼ確実になった。契約違反を立証するには十分だが、肝心なのは誰が購入し、何に使うつもりなのかという点だ。トリニティとゲヘナの関係が不安定なこの時期に、大量の武器を集めている。単なる自衛目的だと言われても、素直に頷ける人間はいないだろう。

 

『警告。森林北側から新たな武装集団が接近しています』

 

「人数は?」

 

『十二名。既に確認している二十八名とは別部隊です。一部がこちらへ向かっています』

 

「発見されたわけね。ずいぶん準備がいいじゃない」

 

 ここで撤退しても、横流しの証拠は持ち帰れる。ただ、施設の運営者も目的も分からないままだ。できればもう少し調べておきたい。向こうはこちらへ接近しながら対空火器を構えているし、こちらが黙っていれば大人しくしてくれるとも思えなかった。

 

「全機、戦闘配置。重火器と車両を優先して無力化して。逃げる相手まで追い回す必要はないわ」

 

『了解しました。攻撃対象を設定します』

 

 二機のドローンが高度を上げ、倉庫を挟むように旋回した。見張り台にいた少女が空を指差し、対空砲をこちらへ向ける。その動作が終わる前に、小型誘導弾が砲座を正確に破壊した。続けて武装車両の駆動部が撃ち抜かれ、別の発射装置も爆発する。

 

 通信越しに敵の叫び声が聞こえた。急降下したドローンが土嚢の手前へ威嚇射撃を行い、武装集団の進路を塞ぐ。別の機体は隠された重火器を次々と発見し、反撃する暇を与えず破壊していった。こちらの攻撃は正確で、向こうの反撃は散発的。狙いを定めたときには、機体はとっくに別の場所へ移動している。

 

「どう? ジャーヴィス」

 

『対空兵器三基、武装車両二台を無力化しました。敵部隊の一部は武器を放棄しています』

 

「さすがね。作った甲斐があるわ」

 

『スターク様ご自身の設計でございます』

 

「知ってるわよ。ちょっと褒めたかっただけ」

 

 うん、いい調子だ。これで大勢は決しただろう。必要な情報を集めたら、さっさと帰ってヒマリとの約束を果たそう。帰還したら彼女も安心するだろうし、今日くらいは少し素直に忠告を聞いてあげてもいいかもしれない。

 

 ただ、倉庫の内部に残った者たちは、まだ武器を捨てていなかった。地下へ続く搬入口付近で熱源が動き、付近の建物では電力消費の増加も検出されている。予備の発電機か、通信設備だろうか。どちらにせよ、こちらの装備を覆せるほどのものには思えなかった。

 

「車はここで待機。私も施設へ向かうわ」

 

『スターク様。制圧は完了しておりません。近接は推奨いたしません』

 

「二機を随伴させれば十分でしょう? 倉庫の中を確認しないと、何のために来たのか分からないじゃない」

 

『……了解しました。ただし、残る二機は上空から警戒を継続させます』

 

「あなたもヒマリに似てきたわね」

 

『スターク様の安全を優先する点につきましては、同意見です』

 

 まったく、二人揃って心配性なんだから。もちろん、護身用の拳銃くらいは持ってきているし、腕時計型の緊急防御装置もある。必要なときだけ短時間の障壁を張れる仕組みで、万が一の備えとしては十分だろう。何より、頭上には二機のドローンがいるのだから。

 

 施設へ向かう途中には、破壊された武装車両が転がっていた。武器を捨てた少女たちの横を通り、ドローンの索敵範囲から外れないように進む。倉庫の手前で一人が飛び出してきたが、頭上の機体が瞬時に相手の銃を弾き飛ばした。

 

「動かないで。その武器を置いてもらえる?」

 

「……お前、何者だ」

 

「チハヤ・スターク。ここにある兵器を作った会社のCEOよ。ここで何をしているのか、説明してもらえるかしら」

 

 少女の身体が僅かに強張った。こちらの名前に反応したのは明らかだったが、口を開こうとはしない。代わりに腰へ手を伸ばしたので、拳銃で牽制する。引き抜かれたナイフも、ドローンの警告照射を受けて動きを止めた。

 

「まったく。商品の正規の持ち主に刃物を向けるなんて、教育がなってないわね」

 

『スターク様。施設地下から高出力の電磁信号を検出しました』

 

「電磁信号?」

 

『広い周波数帯域に干渉しています。通常の通信妨害と異なる特徴です』

 

 耳元の通信に、一瞬だけ雑音が混じった。すぐに回復したものの、護衛二号機が不自然に傾いたのが見えた。推進装置の片側だけが過剰に噴射している。故障なら警告が出るはずだが、機体の状態は正常と表示されていた。……おかしい。あの機体が、こんな初歩的な異常を起こすはずがない。

 

「二号機、姿勢制御は?」

 

『制御信号に遅延が生じています。外部からの干渉が疑われます』

 

「外部回線を切って。独立戦闘モードへ移行」

 

『実行しました。しかし、干渉が継続しています』

 

「……何ですって?」

 

 あり得ない、と口にしかけて飲み込んだ。通信を遮断した機体に外部から命令を送り込むには、内部構造を理解したうえで特殊な干渉を行う必要がある。少なくとも、そこらの妨害装置にできる芸当ではない。だが、原因を考える暇もなく、施設の屋上から対空ミサイルが発射された。

 

 二号機は回避しようとしたが、姿勢が安定しない。三号機の迎撃弾が敵弾を撃ち落としたものの、直後に二号機の制御画面が赤く染まった。

 

『重大な異常。二号機の制御基板に過負荷を検出』

 

「電力系統を遮断! 予備回路へ移して!」

 

『切り替えを試行中です。異常信号に、我が社の無人兵器用制御規格と一致する特徴があります』

 

「……は?」

 

『内部認証に使用される形式と類似しています』

 

 胸が冷えた。完成品を分解したところで、簡単には分からない仕組みだ。ましてや内部認証方式なんて、我が社でも限られた人間しか知らない。横流しされた兵器を手に入れただけの連中が、どうしてそこまで理解しているのだろう。

 

 ……まさか、設計情報が漏れている? 最悪の可能性が頭をよぎったが、今は原因を突き止めるより機体を守る方が先だ。

 

 しかし、対空砲火が二号機を直撃したのは、その直後だった。推進装置が爆発し、黒煙を引きながら機体が落ちていく。地面に叩きつけられた瞬間、モニターから二号機の識別表示が消えた。

 

「……二号機?」

 

『二号機、機能停止を確認しました』

 

「分かってるわ。……残りの機体で発信源を叩く。位置を特定して!」

 

 声が思った以上に鋭くなった。だが、まだ慌てる必要はない。外部からの干渉なら、発信源を破壊すれば済む話だ。護衛機も三機残っている。機体の損失なんて、最初から想定していたことじゃない。

 

 ……それでも、二号機が落ちた瞬間が頭から離れなかった。

 

「撃ちなさい」

 

 ジャーヴィスが示した座標へ、三号機から誘導弾が発射された。しかし、着弾する直前に青白い光が広がり、弾頭が空中で爆発する。防御フィールド。それも、スターク・インダストリーズが保有する技術によく似た方式だった。

 

「……どこまで持ってるのよ、あなたたち」

 

『スターク様。退避を強く推奨いたします』

 

「分かってる。装甲車をこちらへ。ドローンは後退しながら援護!」

 

 ここに残る理由はなくなった。相手はただの横流し業者ではない。私の技術を理解し、それを利用して対策を練っている。必要な情報は集まったのだから、一度戻って態勢を整えるべきだ。

 

 悔しいが、相手の準備が一枚上手だったということだろう。もちろん、次も同じ手が通用すると思われては困る。今回のデータを分析すれば対策は立てられる。問題は、無事に帰れるかどうかだった。

 

 森林の道へ向かって走り出した直後、背後で爆発が起こった。一号機が対空砲火を受け、推進装置の一つを破壊されたのだ。こちらの動きを読んでいるかのように攻撃が集中し、制御画面に赤い損傷表示が広がっていく。

 

『一号機、飛行継続困難』

 

「山側へ降下させて! 私を追ってくる必要はない!」

 

『回避行動を実行します』

 

 だが、間に合わなかった。連続した砲撃が機体を貫き、一号機も爆発した。二機目。先ほどまで頼もしいとしか思えなかった四機の護衛が、ほんの数分で半分になっている。しかも、敵は装甲の厚い部分を避け、推進系統と制御部の弱点を正確に狙っていた。

 

「ジャーヴィス。……まさか、設計情報そのものが漏れている?」

 

『その可能性は否定できません』

 

「……最悪ね」

 

 どうやら、悪い予感は当たっていたらしい。敵は私がどこを強化し、どこに弱点を残しているのかまで把握している。自分の発明の弱点を、こんな形で思い知らされる日が来るとは思わなかった。しかも、我が社の内部情報が流出しているとすれば、問題はこの施設だけでは済まない。

 

 ……もっとも、そんなことを考えるのは帰ってからだ。今は会社の機密情報より、自分の身を守ることを優先しなければならない。

 

『装甲車、到着まで四十秒です』

 

「四十秒も? こういうときに限って遠いのね!」

 

 森の陰から仮面の少女たちが現れ、銃口をこちらへ向ける。慌てて岩陰へ飛び込むと、弾丸が足元の土を跳ね上げた。護衛三号機が上空から援護し、少女たちを後退させる。その隙に別の遮蔽物へ移ろうとして、ふと自分が置かれた状況に気づいた。

 

 ほんの少し前まで、敵の攻撃が届かない場所から余裕を持って指示を出していた。それが今では、飛んでくる弾丸に怯えながら逃げ回っている。……何よ、これ。私はチハヤ・スタークよ? こんな山奥で、名前も知らない連中に追い詰められるなんて、冗談じゃない。

 

 拳銃を構え、相手の進路を塞ぐように発砲する。照準はまだ正確だったが、それで状況が好転するわけではない。次々と迫る銃声に、心臓が嫌になるほどうるさかった。

 

『スターク様、装甲車が接近しています』

 

「……ようやく!」

 

 道の向こうに黒い車体が見えた。あと少し。十秒もあれば乗り込める。車にさえ戻れば、こんな連中とはおさらばだ。帰ったらすぐに今回のデータを解析して、次は絶対に同じ失敗をしないようにしよう。

 

 そう考えた直後、森林の奥から対装甲ミサイルが飛び出した。装甲車が急ハンドルを切ったものの、側面に弾頭が命中する。爆発の衝撃で巨体が浮き上がり、横転したまま斜面へ滑り落ちていった。

 

「……嘘でしょう」

 

『装甲車、走行不能です』

 

「……見れば分かるわ!」

 

 思わず声を荒らげてしまった。ジャーヴィスを責めても仕方がない。そんなことは分かっている。だが、目の前で唯一の移動手段を失った今、冷静でいるのは難しかった。

 

 ……まずい。これは本当にまずい。車は失い、逃げ道も塞がれた。装甲車をここまで戻すように命じたのは私だし、そもそも施設へ接近したのだって自分の判断だった。誰かに文句を言える立場じゃない。

 

「三号機、離脱して!」

 

『飛行経路を変更します』

 

 三号機にも対空砲火が集中していた。機体は旋回しようとしたが、弱点を狙った砲撃が片側の推進装置を貫く。次の瞬間、三号機も空中で砕け散った。

 

 三機目。

 

 残されたのは四号機だけ。兵装の残量も多くない。状況はどうしようもなく悪いが、それでも何もしないわけにはいかない。

 

「ジャーヴィス。四号機の残りの兵装を全部使って。対空兵器を優先して破壊するのよ!」

 

『承知いたしました』

 

 四号機から放たれた誘導弾が、敵の武装車両と対空兵器へ次々と命中した。爆発が続き、こちらへ向けられていた砲火が弱まっていく。ようやく、包囲の一角に隙間ができた。

 

「……そうよ。それでいいの」

 

 思わず安堵の声が漏れた。一機でも残っていれば、まだ戦える。敵の火器を無力化して、その隙に逃げればいい。何も、ここで全員を倒す必要なんてないのだから。

 

 だが、ようやく希望が見えたと思った矢先、四号機の制御画面に見覚えのある警告が走った。

 

『四号機、姿勢制御に異常を確認』

 

「駄目! 予備系統へ切り替えて!」

 

『切り替え信号への干渉が継続しています』

 

 四号機が大きく傾いた。推進装置が停止し、高度を失っていく。

 

「ジャーヴィス! 制御を切り離して!」

 

『実行中です。しかし、復旧できません!』

 

「そんな……!」

 

 機体は何度か姿勢を立て直そうとしたが、そのまま地面へ落下した。大きな衝突音が響き、モニターから最後の識別表示が消える。

 

 四機目。

 

 ……全部、失った。

 

 何かの間違いだと思いたかった。私が設計し、何度も試験を重ね、考えられる限りの対策を施した機体だ。それが一機残らず破壊された。しかも、敵が使っていたのは私の会社の兵器であり、私が開発した技術だった。

 

 自分が作ったものを誰よりも信じていた。その自信が、今ではひどく馬鹿げたものに思える。

 

「……ふざけないでよ」

 

 呟いても、何も戻ってこなかった。周囲の茂みから仮面の少女たちが姿を現し、距離を保って銃を構える。十人以上。拳銃の残弾は六発で、腕時計の緊急防御装置も一度しか使えない。

 

 ……勝てない。

 

 そんな答えが出てしまったことに、自分でも腹が立った。今までどんな問題に直面しても、必ず解決策を見つけてきた。それなのに、今回は何も思いつかない。頭の中では次々と計算を繰り返しているのに、どの選択肢にもまともな勝算がなかった。

 

「武器を捨てろ」

 

「嫌よ。あなたたちが先に捨てなさい」

 

「抵抗すれば撃つ」

 

「随分と公平な交渉ね。こちらには何の得もないじゃない」

 

 軽口を叩いている間も、必死に逃げ道を探していた。遮蔽物の位置、地面の傾斜、相手の射線。どれを組み合わせても、全員の包囲を突破するには何かが足りない。普段ならいくらでも思いつく対策が、今は一つも浮かばなかった。

 

「ジャーヴィス。……方法は?」

 

『申し訳ございません、スターク様。現時点で安全な離脱経路を確保できません』

 

「謝らなくていいわ。あなたは、ちゃんとやったもの」

 

 ジャーヴィスに非はない。忠告を無視してここまで来たのも、敵の戦力を見誤ったのも、すべて私自身だ。そんなことは分かっている。だからこそ、余計に腹が立った。

 

 ……どうしよう。

 

 不意に浮かんだその言葉を、慌てて打ち消した。何よ、それ。私はチハヤ・スタークよ? 世界最高の頭脳を持つ天才が、こんなところで何もできなくなるなんて。

 

 けれど、四機の護衛はもういない。装甲車も失った。

 

 ……怖い。

 

 どうやら私は、ようやく自分が危険な状況にいることを理解したらしい。

 

「……フフフっ」

 

 奇妙な笑い声が森に響いた。包囲していた少女たちが銃口を下げ、左右へ道を開ける。現れたのは、赤を基調とした異様な装いの女だった。人間離れした容姿に、芝居がかった身振り。周囲の武装した生徒とは明らかに違う種類の不気味さがある。

 

「おやおや。大変な歓迎になってしまいましたね、チハヤ・スターク」

 

「……誰よ、あなた」

 

「申し遅れました。私の名はベアトリーチェ。あなたに、お願いがあって参りました」

 

「お願い? 護衛を四機も壊しておいて? 随分と礼儀正しいのね」

 

「フフフっ。相応の準備をしなければ、あなたの優秀な兵器には歯が立ちませんから」

 

 その言葉で、ようやく状況が理解できた。こいつらは私が来ることを想定していたのだ。だから、ドローンを無力化する装備まで用意できた。目的は単なる兵器の横流しではなく、最初から私自身だったのかもしれない。

 

 ……まんまと嵌められたというわけね。随分と舐めた真似をしてくれるじゃない。

 

「……それで? 何が欲しいのかしら」

 

「あなたの才能ですよ。スターク・インダストリーズの若き社長。あれほどの兵器を生み出せる頭脳を、ぜひとも私の計画に役立てていただきたいのです」

 

「就職のお誘い? だったら断るわ。私、もう社長をしているもの」

 

「あなたには、より強力な兵器を開発していただきます。施設も材料も用意しましょう。ここでは、あなたが望むだけ研究に没頭できますよ」

 

「……誘拐のことを、今は福利厚生って呼ぶの?」

 

 ベアトリーチェは愉快そうに笑った。こちらの皮肉など、最初から会話として受け取っていないらしい。相手に選択肢がないと分かっている者の余裕。私が十歳の頃に相手にした、強欲な役員たちを思い出す。

 

 ……ああ、嫌いだ。こういう人間は本当に嫌い。こちらの意思を無視して、勝手に私の技術を利用しようとする。昔の役員たちもそうだった。私のためだと言いながら、結局欲しかったのは会社と技術だけ。今さら、そんな連中の言いなりになってたまるものか。

 

「あなたのご意見など必要ありません。協力していただければ、それでいいのです」

 

「へえ。だったら契約書は用意した? 弁護士も呼びたいんだけど」

 

「くくくっ。どこまでも生意気な子ですね」

 

「褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 拳銃の照準を女へ合わせる。残弾は十分ではないが、最後の手段としては悪くない。周囲の生徒たちが緊張したのが分かった。だが、ベアトリーチェだけは微動だにしない。むしろ、私がどこまで抵抗するか楽しんでいるようだった。

 

「……その程度で、どうにかなるとお思いですか?」

 

「試してみる?」

 

 次の瞬間、背後から鋭い発射音が響いた。反射的に振り向くと、森林の奥から対装甲弾が飛来していた。避ける暇はない。腕時計が警告音を発し、緊急防御フィールドを展開する。

 

 青白い障壁が爆風の正面を受け止めた。だが、それは完全な球体ではない。地面から跳ね上がった破片が障壁の端を回り込み、わずかな隙間へ滑り込む。硬い何かが胸元へ衝突した瞬間、身体を内側から引き裂かれるような痛みが走った。

 

「……あ?」

 

 何が起きたのか、すぐには分からなかった。胸が熱い。息を吸おうとするのに、空気がうまく入ってこない。視線を落とすと、シャツに赤い染みが広がっていた。自分の血だと理解するまでに、妙に長い時間がかかった。

 

「……っ、ぐ……!」

 

『スターク様! 胸部に重大な外傷を検出! 複数の金属片が侵入しています。至急医療処置が必要です!』

 

「……ジャー、ヴィス……?」

 

『スターク様、意識を保ってください!』

 

 膝から力が抜け、地面に崩れ落ちた。心臓の近くが焼けるように痛み、指先が急速に冷たくなっていく。腕時計の障壁は正常に作動したはずだ。なのに、爆発による破片のすべてを防ぐことはできなかった。考えれば当然のことなのに、その当然が自分の身に起きたことを認められない。

 

 ……まずい。これは、本当にまずい。胸の傷からは血が流れ続け、息をするだけでも激痛が走る。早く処置をしなければ助からない。そんなことは分かっているのに、身体が動いてくれなかった。

 

「……少々、やりすぎてしまいましたか」

 

 ベアトリーチェが私を見下ろしていた。赤い衣装の裾だけが、霞む視界の中ではっきり見える。

 

「ですが安心なさい。あなたにはまだ利用価値があります。簡単に死なれては困りますからね」

 

「……おま、え……」

 

「自分の生み出した兵器に敗れるとは、何とも皮肉なことです。フフフっ……実に興味深い」

 

 言い返したかった。誰が敗れたと言ったのよと。チハヤ・スタークを甘く見ないでと。けれど、声を出そうとするだけで胸が痛み、口の中へ血の味が広がった。拳銃はいつの間にか手から離れていた。拾い直そうにも、指先一つ満足に動かせない。

 

「運びなさい。命だけは繋いでおくのですよ」

 

 誰かの手が身体に触れた。持ち上げられる感覚があったが、抵抗できなかった。こんなことになるはずじゃなかった。私には世界最高峰の技術があり、ジャーヴィスがいて、四機もの最新鋭ドローンがいた。何より、それを作った自分の頭脳があった。なのに、その何もかもが今は役に立たない。

 

 悔しかった。何より、自分が情けなかった。これまで誰かに頼らなくても生きていけると思っていたのに、自分の身一つ守れなかった。しかも、あれほど自信を持っていた技術を逆手に取られて。

 

 脳裏に浮かんだのは、つい数時間前に別れたヒマリだった。車椅子の上で、いつものように微笑んでいる。食事を取れだの睡眠を取れだの、小言を言う声まで思い出せた。

 

 そして、最後に彼女は確かにこう言った。

 

『必ず、無事に帰ってきてくださいね』

 

 ああ。そうだった。帰ったら紅茶を飲んで、好きなお菓子を用意する。そんなありふれた約束をしたのだ。あのときは、守れない可能性など考えもしなかった。ヒマリが心配しすぎだと笑い、必ず帰ると言い切った。

 

 ……何が天才よ。何が完璧な護衛よ。

 

 あの人は本気で心配してくれていたのに、私はまともに聞こうともしなかった。ジャーヴィスだって止めてくれた。それなのに、自分の判断が正しいと信じて疑わなかった。

 

 ……ごめん、ヒマリ。

 

 こんなことになるなんて、思わなかった。

 

「……ヒマリ……」

 

 名前を呼んだつもりだった。声になったかどうかは分からない。身体の感覚が少しずつ遠のいていく。謝らなきゃ。心配させたことも、忠告を聞かなかったことも。それから、約束を守れなかったことも。

 

「……ごめ……ん……」

 

 最後に見えたのは、灰色の空だった。雲の向こうには太陽があるはずなのに、その光はもう届かない。視界の端から色が失われ、耳元で聞こえていたジャーヴィスの声も、何か遠い場所へ沈んでいった。

 

 ……帰らなきゃ。

 

 約束したんだから。

 

 そう思ったところで、意識が途切れた。

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