透き通る世界のアイアンマン(偽物)   作:マーベルにハマった人

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8 脱出(前編)

 

 脱出決行の日が来た。地下施設の作業場では、最後の点検が行われていた。中央に立つMark-1は、昨日までと変わらず無骨な姿をしている。分厚い装甲板に覆われた胴体、必要以上に大きな腕部、不格好な脚部。見れば見るほど改善したい箇所が見つかるが、今さら設計を変更している余裕はない。

 

 そもそも、こんなものを完成品として認めたくはなかった。スターク・インダストリーズの技術者が同じものを持ってきたら、設計からやり直すよう命じているだろう。重量は想定を上回り、稼働時間も短い。操縦系統には十分な調整が施されておらず、補助推進装置に至っては実際に使用したことすらない。それでも、今の私にはこれが必要だった。

 

 ……まったく。こんな鉄の塊に命を預けることになるなんて、以前の私が聞いたら笑い飛ばしていただろう。とはいえ、限られた設備と材料でここまで作り上げたのだ。もう少し自分を褒めてやってもいいかもしれない。

 

「……右腕、正常。左腕も問題なし。脚部の駆動系統は……まあ、許容範囲ね」

 

 手元の制御端末に表示された数値を確認する。各関節の応答には若干の遅れがあるものの、装甲の重量を支えるだけの出力は確保できている。胸のアークリアクターも安定しており、補助電源の蓄電量は最大。少なくとも、起動直後に動かなくなるような事態は避けられそうだった。

 

 問題は実戦でどこまで動くかだ。満足な試験もできていない以上、計算どおりにいく保証なんてない。……いや、弱気になるのはやめましょう。ここまで来たら、あとは自分の技術を信じるしかないのだから。

 

「……準備はどうだ」

 

 背後からサオリの声がした。

 

「順調よ。あとは実際に動かすだけね」

 

「そうか」

 

 彼女はMark-1を見上げ、しばらく黙っていた。昨日、脱出に協力すると決めてからも、サオリの表情はほとんど変わっていない。だが、何度も警備配置を確認し、仲間たちへ細かく指示を出している様子を見る限り、相当な緊張を強いられているようだった。

 

 当然だろう。彼女たちは私と違って、脱出に成功してもこの施設に残らなければならない。しかも、自分たちの行動がベアトリーチェに疑われれば、どのような処罰を受けるか分からないのだ。

 

 ……本当に、物好きな連中ね。私を逃がしたところで、あなたたちには大した利益もないでしょうに。それなのに、どうしてここまでしてくれるのだろう。

 

「本当にいいの?」

 

 思わず尋ねた。

 

「何がだ」

 

「私の脱出に協力することよ。今ならまだ、何も知らなかったことにできるわ」

 

「……昨日も言ったはずだ。協力すると」

 

「ええ。でも、最終確認くらいさせてちょうだい。後から文句を言われても困るもの」

 

 本当は、後から文句を言われることなんてどうでもよかった。今さら彼女たちの協力なしに脱出できるとは思っていないし、こちらとしては願ってもない申し出なのだから。

 

 ただ、私のせいで彼女たちが罰を受けることになったら、さすがに寝覚めが悪い。

 

 ……まあ、その程度の話よ。

 

 サオリはわずかに考え込んだ後、静かに答えた。

 

「姫たちも、自分で決めたことだ。私が今さら覆すつもりはない」

 

「……そう」

 

「ただし、条件は忘れるな」

 

「あなたたちを危険にさらさないこと、でしょう? 分かってるわよ」

 

「……ならいい」

 

 私は作業台の上に広げた施設の見取り図を確認した。脱出経路は既に決めてある。作業場から整備通路を通り、兵器搬入用の地下通路へ進む。そこから貨物用の昇降設備を経由すれば、地上の搬入口へ出られるはずだ。

 

 もっとも、その途中には複数の警備区画があり、最後には重厚な防爆扉が設置されている。通常なら、外部からの襲撃を防ぐための設備だろう。だが、今回に限っては私を閉じ込めるための障害物になる。

 

 しかも警備担当者の多くは、スターク・インダストリーズ製の兵器を装備しているらしい。……まったく、腹立たしい。

 

 自分の作った兵器を相手に、別の自作兵器で戦うことになるとは。技術者としては興味深い状況だが、当事者としては少しも笑えなかった。以前なら絶対に負けないと言い切っていただろうけれど、今はさすがにそこまで楽観的にはなれない。

 

 何しろ、一度手痛い目に遭っているのだから。

 

「予定では、今夜の第二警戒交代の直後に行動を開始する」

 

 サオリが見取り図を指さした。

 

「この時間帯は、整備区画の警備が一時的に薄くなる。ただし、騒ぎが起きれば数分で増援が集まる。長く留まれば包囲されるだろう」

 

「つまり、最初の数分でどこまで進めるかが勝負ってことね」

 

「そうだ。私たちは監視対象の脱走を阻止するため、後方から追跡する。作業場から通路までの記録には、実際に戦闘した様子を残す」

 

「了解。お互い、怪我だけはしないようにしましょう」

 

 サオリが少しだけ険しい顔をした。

 

「……それを決めるのは、お前ではない」

 

「分かってる。でも、あなたたちを本気で傷つけるつもりはないわ。せっかく手伝ってもらったんだもの」

 

「……感謝する」

 

 その言葉に、少し驚いた。

 

 サオリが私に礼を言うのは、これが初めてかもしれない。

 

 ……何よ、急に。

 

 普段は愛想の欠片もないくせに、こういうときだけ素直なことを言うんだから。少しばかり返事に困ってしまった。

 

「まだ何も終わってないわよ。お礼なら全部済んでからにしてちょうだい」

 

「……そうだな」

 

 彼女は短く頷くと、作業場を出ていった。

 

 残されたMark-1を見上げる。鋼鉄の巨体は、薄暗い照明の下で不気味な影を落としていた。数週間前、この施設に連れてこられたときの私は、まともに身体を起こすことすらできなかった。胸には金属片が残り、生命維持装置の電源を握られ、ベアトリーチェの機嫌一つで殺される状態だった。

 

 それが今では、自分の命を守るためのエネルギー炉と、この地下施設を突破するための鎧を手に入れている。……悪くない。少なくとも、以前よりはずっとマシな状況だ。

 

 それにしても、不思議なものだ。今まで誰かに頼ることなんて、できる限り避けてきたというのに。今回ばかりは、サオリたちの助けがなければここまで辿り着けなかった。

 

 ……まあ、一人で全部こなしていたら、もっと時間がかかっていただろうし。

 

 そう考えれば、別におかしなことでもないか。

 

 あとは、実際に脱出するだけだ。

 

     *

 

「……ねえ、チハヤ」

 

 出発を待っていると、アツコが作業場へ入ってきた。

 

「どうしたの?」

 

「これ、持っていって」

 

 差し出されたのは、小さな布袋だった。受け取って中を確かめると、包帯や消毒用品、それから簡単な医療器具が入っている。どれも使い込まれたものばかりで、新品とは言い難い。

 

「……救急用品?」

 

「うん。外に出ても、すぐに帰れるとは限らないから」

 

「なるほどね。ありがとう」

 

 袋を受け取り、装甲服の内部に収納する。大した重量でもないし、場所も取らない。万が一Mark-1を脱ぐことになれば、役に立つかもしれなかった。

 

 ……それにしても、よくこんなものを用意してくれたわね。ここでは医療品だって自由に手に入るわけじゃないでしょうに。たとえ使い古しでも、今の私にはありがたいものだった。

 

「……本当に、行っちゃうんだね」

 

「ええ。そのためにこれを作ったんだから」

 

「そっか」

 

 アツコはしばらく装甲服を見つめていたが、やがて私の胸元へ目を移した。

 

「その光、消えない?」

 

「アークリアクター? ええ。正常に動いている限りはね」

 

「……よかった」

 

 彼女は安心したように頷いた。

 

 相変わらず、何を考えているのか分かりにくい子だ。だが、胸の装置を綺麗だと言ってくれたときのことは覚えている。

 

 あのときは、少し驚いた。

 

 私にとっては、自分の命を繋ぎ止めるための機械でしかない。これが止まれば命に関わるし、今後も胸に金属片を抱えたまま生活しなければならない。正直、あまり好きになれそうにない代物だ。

 

 それなのに、この子は綺麗だと言った。

 

 ……変な子ね。

 

 でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。

 

「心配しなくても大丈夫よ。簡単に壊れるような設計にはしてないもの」

 

「うん。チハヤなら、きっと大丈夫」

 

「……随分と信用してくれるのね」

 

「だって、チハヤが作ったんでしょ?」

 

 その返答に、思わず笑ってしまった。

 

「ええ。そうよ。私が作ったの」

 

「なら、大丈夫」

 

 迷いのない声だった。

 

 ……まったく、単純な理由で信用するものね。

 

 世の中には、自分の発明品を過信した挙げ句、簡単に敗北するような間抜けもいるというのに。……まあ、その間抜けが誰なのかは考えないことにしよう。

 

 それでも、自分の技術をここまで信じてもらえるのは、悪い気分じゃなかった。

 

 少なくとも、私が大丈夫だと言い張るより、よほど説得力があるように聞こえた。

 

「そういえば、約束は覚えてる?」

 

 アツコが尋ねた。

 

「約束?」

 

「外に出たら、みんなで美味しいものを食べるって」

 

「ああ、あれね。もちろん覚えてるわよ」

 

「……うん」

 

 彼女は嬉しそうに頷いた。

 

 その顔を見て、妙な気分になった。

 

 これまで、何かを買ってやるという約束をした相手なら数え切れないほどいる。会社の役員、取引先、研究者。金を出せば喜ぶ人間など珍しくもない。

 

 けれど、たった一度の食事をここまで楽しみにされるとは思わなかった。

 

 ……そんなに嬉しいものなのかしら。

 

 私にとっては、別に大した金額でもない。帰ってから適当な店を予約して、好きなものを注文してもらえばいい。それだけのことだ。

 

 でも、アツコの嬉しそうな顔を見ていると、何となくいい店を探してやりたくなってきた。

 

 ……ふふっ。どうせなら、思い切り贅沢させてあげましょうか。

 

 ヒマリには必ず帰ると約束した。そして、アツコたちには外の世界で美味しいものをご馳走すると約束した。どちらも、守らなければならない。

 

「……チハヤ」

 

「何?」

 

「また、会えるよね」

 

 少しだけ答えに迷った。

 

 この施設を脱出した後、私と彼女たちが再会できる保証はない。むしろ、ベアトリーチェに疑われれば、彼女たちの身柄が別の場所へ移される可能性だってある。

 

 スターク・インダストリーズの技術を使えば居場所を特定できるかもしれないが、それも帰還してからの話だ。

 

 ……まったく、困った質問をしてくれるわね。

 

 正直、絶対に再会できると言い切る根拠なんてない。

 

 でも、だからといって不安にさせる必要もないでしょう?

 

「当然でしょう? 私、約束を破るのは嫌いなの」

 

「……うん」

 

 アツコは小さく頷いた。

 

「じゃあ、待ってる」

 

「ええ。楽しみにしてなさい」

 

 ……ああ、もう。

 

 そんなに嬉しそうな顔をしないでちょうだい。

 

 絶対に守らなきゃいけなくなるじゃない。

 

 彼女が部屋を出ていった後、しばらく装甲服を眺めていた。

 

 帰るべき場所がある。帰りを待つ人がいる。

 

 たったそれだけのことが、今では随分と大きな意味を持っていた。

 

     *

 

 深夜。作業場の照明が、予定どおり半分ほど落とされた。警備交代の時間だ。サオリから聞いていたとおり、通路の巡回人数が一時的に減り、貨物搬入口の警備も交代作業に入っている。監視システムが完全に停止するわけではないが、少なくとも普段より対応が遅れる可能性は高い。

 

 私はMark-1の背面を開き、内部へ身体を滑り込ませた。胸のアークリアクターと装甲服の電力系統を接続すると、各所の制御装置が順番に起動する。薄暗い内部に表示灯が点灯し、腕と脚の駆動装置が低い唸りを上げた。頭部の装甲が閉じると、外の音が少し遠くなる。

 

 ……狭い。

 

 分かってはいたけれど、実際に乗り込むと想像以上に窮屈だった。

 

 視界も悪い。ヘルメットに取り付けられた覗き窓から見える範囲は限られており、周囲の状況を確認するには頭部ごと動かす必要がある。普段なら考えられないほど不便な構造だが、分厚い装甲で身を守るには仕方がなかった。

 

 スターク・インダストリーズの製品として世に出すなら、まず設計を全部やり直したいところだ。

 

 ……まあ、今はそんなことを考えている場合じゃないわね。

 

「……聞こえる?」

 

 外からミサキの声がした。

 

「ええ。問題ないわ」

 

「……本当に、これで行くんだ」

 

「今さら私のことが心配になったの?」

 

「……別に。心配なんて、してないし……」

 

「……驚いたわね。安心しなさい。そんな情けないことにはならないわよ」

 

 ……できれば、ね。

 

 自分で設計した装甲服とはいえ、実戦でどこまで動けるかは未知数だ。特に補助推進装置には不安が残る。燃料の消費量も大きく、安定した姿勢制御も確立できていない。

 

 正直、あんなものは使いたくない。

 

 使わずに済むなら、それに越したことはないのだ。最後の手段として搭載しただけで、まともに飛行できる保証なんてどこにもない。

 

 ……とはいえ、そんなことを今さらミサキに話しても仕方ないか。

 

 せっかく心配してくれているのに、余計な不安を与えるのも悪いし。

 

「……チハヤさん!」

 

 今度はヒヨリが近づいてきた。

 

「ほ、本当に大丈夫ですか……!? その、もし何かあったら……!」

 

「大丈夫よ。あなたたちは予定どおり行動してくれればいいわ」

 

「で、でも……!」

 

「ヒヨリ」

 

「は、はい……!」

 

「今まで手伝ってくれて、ありがとう」

 

 ヘルメット越しに告げると、ヒヨリは目を丸くした。

 

「……え?」

 

「部品を運んだり、作業を手伝ってくれたりしたでしょう? 助かったわ」

 

「そ、そんな……私なんか、全然……!」

 

「そんなことないわよ。あなたがいなければ、完成はもっと遅れていたもの」

 

 ヒヨリは何か言おうとしていたが、結局言葉にならなかった。

 

 ……本当に、この子は。

 

 自分を過小評価しすぎだ。

 

 確かに機械工学の知識はほとんどないし、何かあるたびに怯えている。けれど、与えられた仕事はきちんとこなしていたし、作業の途中で投げ出すようなこともしなかった。

 

 少なくとも、私が知っている一部の役員よりは遥かに優秀だろう。

 

 それにしても、お礼を言っただけでそこまで驚くことないでしょうに。

 

 ……もしかして、私ってそんなに感謝しない人間だと思われているのかしら。

 

 まあ、普段の言動を考えれば、仕方ないかもしれないけれど。

 

「……それじゃ、行くわよ」

 

 最後の固定具を閉じる。装甲服の内部で、起動確認の表示灯が点灯した。右腕、正常。左腕、正常。脚部、正常。補助推進装置、待機状態。胸のアークリアクターも問題なく稼働している。

 

 すべての準備が整った。

 

 ……いよいよね。

 

 ここまで来るのに、随分と時間がかかった。

 

 何度も失敗して、そのたびに設計を見直した。ろくな材料も設備もない環境だったけれど、それでもどうにか形にした。

 

 もちろん、私一人の力じゃない。

 

 サオリも、アツコも、ミサキも、ヒヨリも手伝ってくれた。

 

 ……本当に、変な話だ。

 

 あんな連中に誘拐された挙げ句、その連中の仲間に助けられることになるなんて。

 

 人生、何が起こるか分からないものね。

 

「……Mark-1、起動」

 

 駆動装置が低く唸り、鋼鉄の巨体がゆっくりと動き始めた。金属製の足が床を踏み鳴らし、その振動が作業場全体に伝わる。数週間かけて作り上げた装甲服が、ようやく本来の目的のために動き出したのだ。

 

 ……さて。

 

 ここからは、実戦だ。

 

     *

 

 最初の障害物は、作業場の扉だった。

 

 普段は監視役が操作している電子錠を、内側から開くことはできない。サオリたちが協力している今なら正規の手順で通過することも可能だが、それでは脱走を阻止しようとしたという説明が成り立たなくなる。

 

 だから、今回は少々乱暴な方法を使うことにした。

 

「……悪いけど、修理代は請求しないでちょうだいね」

 

 右腕を持ち上げ、扉の中央へ叩きつける。鈍い金属音が響き、分厚い鉄板が大きく歪んだ。一撃では破壊できなかったが、固定部分に明らかな損傷が生じている。

 

 続けて二度、三度と拳を打ち込むと、ついに扉が蝶番ごと外れ、廊下へ倒れ込んだ。

 

 ……おお。

 

 思ったより簡単に壊れたわね。

 

 さすが私の設計した装甲服。見た目は不格好でも、力だけは十分らしい。

 

 もっとも、予想以上に大きな音が出てしまったのは少々いただけない。

 

『警告。第三整備区画において異常を検知。警備担当者は直ちに確認してください』

 

 施設の放送設備から、無機質な音声が流れ始めた。

 

「……随分と親切な案内ね」

 

 瓦礫を踏み越え、通路へ出る。頭部の覗き窓からは、薄暗い廊下が真っ直ぐに伸びているのが見えた。天井には配管が張り巡らされ、一定の間隔で監視カメラが設置されている。これから向かう先にも複数の扉が存在するが、少なくとも最初の一枚は突破できた。

 

 ……うん。いい感じじゃない。

 

 問題は、その先だった。

 

「止まれ!」

 

 通路の奥から武装した生徒たちが駆けつけてきた。人数は五人。こちらの姿を見た瞬間、先頭の一人が足を止める。

 

 無理もない。昨日まで研究室に置かれていた新型兵器が、突然一人で歩いてきたのだから。

 

「何だ、あれは……!?」

 

「開発中の兵器だ! どうして動いている!?」

 

「逃走した捕虜が搭乗している! 警戒しろ!」

 

 最後の声は、後方から聞こえた。

 

 サオリだった。彼女は銃を構えながら廊下へ飛び出し、警備担当者たちへ指示を出す。

 

「対象が試験機を奪取した! 現在、第三整備区画から逃走中! 我々が追跡する!」

 

 ……なるほど。こういう芝居は得意らしい。

 

 それにしても、なかなかの迫力じゃない。何も知らなければ、本気で私を捕まえようとしていると思ってしまいそうだ。

 

「待て、チハヤ! 直ちに停止しろ!」

 

「嫌よ。こんなところに、いつまでも閉じ込められてたまるものですか!」

 

 事前に決めていた台詞ではなかったが、なかなかいい掛け合いになった。

 

 サオリがこちらへ銃口を向け、迷いなく引き金を引く。連続した銃声が響き、Mark-1の胸部装甲へ弾丸が叩きつけられた。

 

「っ……!」

 

 ……ちょっと!

 

 思っていたよりも強いじゃない!

 

 弾丸自体は装甲で防いでいるが、衝撃を完全に吸収できるわけではない。厚い金属板に守られているとはいえ、その内側にいるのは負傷した生身の人間なのだ。胸の傷が鈍く痛み、思わず奥歯を噛み締めた。

 

 ……まったく。少しは手加減してくれてもいいでしょうに。

 

 もっとも、これでいい。

 

 監視映像には、サオリが脱走者へ発砲した記録が残る。他の警備担当者もその様子を目撃している以上、彼女が私を見逃したとは考えにくいはずだ。

 

 ……痛い思いをした甲斐はあった、ということにしておきましょうか。

 

「撃て! 逃がすな!」

 

 警備担当者たちが一斉に発砲した。激しい銃声とともに、装甲の表面で火花が散る。視界の狭いヘルメットでは正確な位置を把握しづらいが、弾丸が正面から集中していることは分かった。

 

 装甲板の損傷を示す警告灯が点灯し、左肩の駆動装置から異音が響く。

 

「……ちょっと、いくらなんでも歓迎が激しすぎない?」

 

 ……まったく、冗談じゃないわ。

 

 いくら装甲で守られているとはいえ、こんなに撃たれ続けたら長くは持たない。これでも一応、試作機なのよ? もう少し大切に扱ってほしいものだ。

 

 右腕を持ち上げ、通路の壁へ拳を叩き込む。老朽化した配管が破裂し、蒸気が勢いよく噴き出した。白い煙が通路を覆い、警備担当者たちが慌てて後退する。

 

 その隙に前進し、通路の途中に設置されていた防護柵を引き剥がした。金属製の柵は、想像以上に簡単に外れた。

 

 ……いいじゃない。

 

 この程度の障害物なら、わざわざ武器を使う必要もなさそうだ。

 

 警備担当者たちは蒸気の向こう側から発砲を続けていたが、こちらの位置を正確には把握できていないらしい。弾丸が壁や床へ当たり、破片が飛び散っている。

 

 とはいえ、いつまでもここに留まれば増援が集まってくる。さっさと先へ進まなければ。

 

 倒れた柵を押しのけ、貨物通路へ向かって歩き始めた。

 

 そのとき、背後から声が響いた。

 

「チハヤ!」

 

 サオリだった。

 

「これ以上は進ませない!」

 

「悪いけど、止まるつもりはないわ!」

 

 振り返ると、サオリがこちらへ走り込んでくるのが見えた。続いてミサキとヒヨリも姿を現し、通路の両側へ展開する。

 

 彼女たちは事前の打ち合わせどおり、私を包囲するように位置を取った。ただし、周囲には他の警備担当者もいる。芝居だと悟られるわけにはいかない。

 

「……ほんと、面倒なことしてくれるね」

 

 ミサキが呟き、銃を構えた。

 

「そうね。私も同感よ」

 

 返事と同時に、右腕を大きく振る。

 

 狙いはミサキではなく、そのすぐ横にあった資材棚だ。鋼鉄の拳が棚の支柱を叩き折り、積まれていた空の金属箱が床へ崩れ落ちる。

 

 派手な音とともに通路が塞がれ、ミサキは素早く後方へ退避した。

 

「……っ、危な……!」

 

「そっちこそ、近づきすぎよ!」

 

 思わず本音が漏れた。

 

 ……もう、危ないじゃない!

 

 分かってはいる。これは芝居で、ミサキもそのつもりで動いている。それでも、ほんの少しタイミングがずれていたら、彼女を巻き込んでいたかもしれない。

 

 Mark-1は重量のある兵器であり、腕を一度振るだけでも周囲に相当な衝撃を与える。装甲服の制御がわずかに狂えば、簡単に誰かを傷つけてしまうだろう。

 

 ……だから嫌なのよ、こういうのは。

 

 せっかく協力してくれた相手を、自分の手で傷つけるなんて冗談じゃない。

 

 それでも、今は予定どおり進めるしかなかった。

 

「く、来ないでくださいぃぃっ!」

 

 ヒヨリが悲鳴混じりに発砲する。正確に装甲の厚い部分を狙った弾丸が胸部へ命中し、鈍い衝撃が響いた。

 

 怯えた声とは裏腹に、射撃そのものは恐ろしく正確だった。あの距離から動く目標へ連続して命中させるとは、なかなかの腕前だ。

 

「……あら、上手じゃない」

 

 ……本当に、もったいないわね。

 

 これだけの腕があるなら、もっとまともな環境で働くことだってできるでしょうに。

 

 もっとも、今それを言ったところでどうにもならないか。

 

 感心している場合ではない。そろそろ、彼女たちを無力化したように見せる必要がある。

 

 左腕を持ち上げ、通路の天井付近に設置されていた古い照明設備へ叩きつける。火花が散り、周囲の照明が一斉に消えた。

 

 非常灯だけが赤く点滅する中、あらかじめ位置を確認していた資材棚を倒し、通路の一角を塞ぐ。

 

「きゃあっ!?」

 

 ヒヨリの悲鳴が響いた。

 

 その直後、ミサキとサオリが倒れ込むように床へ身を伏せる。アツコも煙幕を展開し、四人の姿が白い煙の中へ消えた。

 

 事前に決めていたとおりの動きだった。

 

 ……よし。

 

 少なくとも、監視カメラからは私の攻撃によって四人が押し返されたように見えるはずだ。

 

『第三整備区画、応答しろ! 状況を報告せよ!』

 

 通信設備から怒鳴り声が響いた。サオリがすぐに応答する。

 

「こちらスクワッド! 対象の攻撃により負傷者が発生! 装甲が厚く、通常火器では停止させられない!」

 

『増援を向かわせる! 何としても食い止めろ!』

 

「了解!」

 

 ……完璧ね。

 

 これなら、彼女たちが私の脱出を手伝ったと疑われることもないだろう。

 

 もちろん、絶対とは言い切れない。ベアトリーチェがどこまで疑うかなんて分からないし、後から監視映像を詳しく調べられる可能性もある。

 

 ……でも、今の私にできることはやった。

 

 あとは、彼女たちを信じるしかない。

 

 通信を切ったサオリが、煙の向こうからこちらを見た。

 

 その一瞬だけ、互いの動きが止まる。

 

 言葉はなかった。それでも、何を伝えたいのかは分かった。

 

 ここから先は、一人で行け。

 

 ……そういうことね。

 

 まったく。

 

 あんなに無愛想だったくせに、最後まで私の心配をしてくれるんだから。

 

 私は小さく頷くと、貨物通路へ向き直った。

 

「……ありがとう、サオリ」

 

 ヘルメットの中で呟く。

 

 当然、彼女には聞こえなかっただろう。

 

 それでいい。

 

 今は、別れを惜しんでいる場合ではなかった。

 

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