透き通る世界のアイアンマン(偽物) 作:マーベルにハマった人
貨物通路へ進入してから、状況は一気に悪化した。
最初の数百メートルこそ順調だったものの、警備担当者たちはすぐに通常火器ではMark-1を停止させられないことに気づいたらしい。次に現れたのは、対装甲兵器を携えた部隊だった。
「……冗談じゃないわ」
通路の奥で大型の発射装置が構えられる。その形状には嫌というほど見覚えがあった。スターク・インダストリーズ製の携行式対装甲ロケット。装甲車両の破壊を目的として開発された兵器で、通常の防弾装甲など簡単に貫通する代物だ。
つまり、今のMark-1にとっても十分な脅威というわけである。
「……よりによって、それを持ち出してくるわけ?」
まったく、趣味の悪い連中ね。自分の会社の兵器を相手に戦うことになるなんて、以前の私が聞いたら何の冗談かと思うだろう。しかも、あちらは正規の量産品。対するこちらは、ろくな試験もできていない急造の試作機だ。
……これ、普通に考えたら私の方が不利じゃない?
敵の発射動作を確認し、慌てて右腕を持ち上げる。だが、間に合わなかった。轟音とともに爆発が起こり、視界が激しく揺れた。身体が装甲の内側へ叩きつけられ、右肩付近に強烈な衝撃が走る。
「っ……ああ、もう……!」
制御装置から甲高い警告音が響いた。右肩の装甲板が破損し、内部の配線が火花を散らしている。胸の傷も痛んだが、幸い、駆動装置そのものはまだ生きていた。
……危なかった。
あと少し着弾位置がずれていたら、右腕ごと持っていかれていたかもしれない。設計段階から装甲の不足は分かっていたけれど、実際に攻撃を受けると嫌でも思い知らされる。重量を抑えるために削った数センチが、今では恐ろしく大きな差に思えた。
……まったく。帰ったら絶対に作り直してやるわ。もちろん、帰れたらの話だけれど。
「……悪いけど、そこをどいてもらうわ!」
左腕に取り付けられた火炎放射装置を起動する。噴射口から炎が噴き出し、通路の天井を舐めるように広がった。突然の高熱に驚いた警備担当者たちは、慌てて遮蔽物の後方へ退避する。
わざわざ直接焼き払う必要はない。私が欲しいのは死体の山ではなく、地上へ続く道なのだから。敵が後退した隙に防護柵を蹴り飛ばし、装甲服の重量を利用して前進する。普通の人間なら動かすのにも苦労する障害物が、簡単に押しのけられていった。
……ふふっ。こういうところは悪くないわね。こんな不格好な鉄の塊でも、役に立つ場面はあるらしい。
だが、ここで別の問題が発生した。
「……ん?」
左脚の駆動装置から、嫌な音が聞こえてきた。制御画面を確認すると、関節の応答速度が大幅に低下している。先ほどの爆発で衝撃吸収機構が損傷したらしい。
「……嘘でしょう?」
ちょっと待って。右肩の次は左脚? いくら試作機とはいえ、もう少し頑張ってくれてもいいじゃない。
補助出力を上げてみると、何とか動くようになった。ただし、歩くたびに装甲の内部へ不規則な振動が伝わってくる。このまま使い続ければ、いずれ完全に停止するだろう。
……まあ、仕方ないか。
ここで立ち止まって修理なんてできないし、そもそも工具も予備部品も持っていない。今できることといえば、壊れる前に脱出することくらいだ。
「……絶対に、帰ってやるんだから」
誰に聞かせるでもなく呟き、脚部の補助出力をさらに上げた。施設の警報は鳴り続け、背後からは増援が迫っている。あまりのんびりしていると、せっかくサオリたちが作ってくれた時間が無駄になってしまう。
……あの子たちは、上手くやっているかしら。
ふと、そんな考えが浮かんだ。今頃は負傷したふりをしているはずだけれど、ベアトリーチェに疑われていないだろうか。あいつのことだ。脱出に協力したと知れば、何をするか分からない。
……いや、今は考えても仕方ない。
まずは私が無事に外へ出ること。それができなければ、彼女たちの協力も無駄になってしまう。
私は損傷した左脚を引きずりながら、貨物用昇降設備へ向かった。
そのときだった。
『……チハヤ・スターク』
通路の放送設備から、聞き覚えのある声が響いた。
……ああ、もう。
よりによって、今一番聞きたくない声じゃない。
『フフフっ……随分と面白いことをしてくれましたね』
「……あら、ようやくお出まし?」
『あなたには期待していたのですが……まさか、そのような玩具を作っていたとは』
「玩具? 失礼ね。これでも結構な自信作なのよ」
嘘だけど。
正直、改善したいところは山ほどある。でも、だからといって他人に馬鹿にされるのは別問題だ。特に、目の前の女には絶対に言われたくない。
『ふふ……強がりは結構です。ですが、お忘れではありませんか?』
その言葉に、嫌な予感がした。
あの女が何を言おうとしているのか、分かってしまったからだ。
『あなたの命は、私が握っているのですよ』
通路の先に設置された監視モニターへ、ベアトリーチェの姿が映し出される。その手には、小さな制御端末が握られていた。
……ああ、そうだったわね。
数週間前の私は、あれが怖くて仕方なかった。胸に取り付けられた生命維持装置。その電源をベアトリーチェが自由に操作できる以上、逆らえばいつでも殺される状態だったのだ。
どれだけ頭がよくても、どれだけ口が達者でも、あの装置の前では何もできなかった。
……本当に、屈辱だった。
『少々、躾が必要なようですね』
画面の向こうで、ベアトリーチェが端末を操作した。
恐らく、生命維持装置への停止命令だろう。
以前なら、これだけで激痛に襲われていたはずだ。胸を押さえて倒れ込み、息もできなくなって、最後にはあの女に助けを求めるしかなかった。
けれど。
何も起こらなかった。
胸のアークリアクターは、何事もなかったように稼働を続けている。
『……?』
ベアトリーチェの表情が変わった。
……ふふっ。
あらあら。
どうしたのかしら?
『なぜ……』
「どうしたの? 機械の調子でも悪い?」
『……どういうことです?』
「さあ? あなたの装置が安物だったんじゃない?」
思わず笑ってしまった。
ああ、愉快だ。
あれほど偉そうに人の命を握っていた女が、今では手元の端末を何度も確認している。停止命令が届かなかったのか、装置が故障したのか。きっと、そんなことを考えているのだろう。
残念ながら、どちらでもない。
そもそも、あの装置はとっくに私の身体から取り外している。私の命を繋いでいるのは、もうベアトリーチェの機械ではない。
私が、自分の手で作り上げたアークリアクターだ。
「ねえ、ベアトリーチェ。一つ教えてあげましょうか」
『……何を』
「人の命を握ったつもりになるのは結構。でも、その相手が誰なのか、もう少し考えるべきだったわね」
胸のリアクターが青白く輝いている。
「私が、いつまでもあなたの作ったガラクタに命を預けているとでも思った?」
『……まさか、あなた……!』
「正解。電源なら、とっくに自分で作り直したわ」
ベアトリーチェの顔が歪んだ。
……ああ、いい顔。
その顔が見たかったのよ。
あの日、私は何もできなかった。命を握られ、好き勝手に脅され、屈服するしかなかった。どれだけ腹が立っても、逆らった瞬間に殺されてしまうのだから。
でも、今は違う。
自分の命は、自分で守れる。
誰かの許可を取らなければ生きていけないなんて、そんな馬鹿げた状況は終わったのだ。
『……許しませんよ、チハヤ・スターク』
ベアトリーチェの声から、先ほどまでの余裕が消えていた。
『その装甲ごと破壊しなさい! 生死は問いません!』
直後、施設中の警報音が変化した。
……あら。
今度こそ、本気で殺すつもりらしい。
「……随分と短気なこと。思いどおりにならないからって、癇癪を起こすなんて子供みたいね」
もっとも、笑っていられる状況ではなかった。
前方の昇降設備は停止し、通路を隔てる防爆扉が閉鎖され始めている。背後からは複数の足音が近づき、Mark-1の脚部もすでに損傷していた。
……さて。
調子に乗って挑発したのはいいけれど、どうやら少々怒らせすぎたみたいね。
*
防爆扉が完全に閉じるまで、残された時間は数秒だった。
貨物用昇降設備の入口には、分厚い鋼鉄製の扉が設置されている。緊急封鎖が完了すれば、その先へ進むことはできなくなるだろう。そうなれば、背後から迫る増援と戦う羽目になる。
冗談じゃない。
せっかくここまで来たのに、今さら引き返せるものですか。
「……閉まるんじゃないわよ!」
左脚を引きずりながら扉へ突進し、Mark-1の右腕を隙間へ差し込んだ。直後、重厚な金属板が腕部装甲を挟み込み、耳障りな軋みを上げる。
警告灯が一斉に点滅した。
……うわ。
思っていたより負荷が大きいわね。
今にも関節が折れそうだ。無理に押し広げれば駆動装置が破損する可能性もある。けれど、ここで腕を引き抜いたら、扉は完全に閉じてしまう。
「……開きなさいって、言ってるでしょう!」
出力を上げると、扉の隙間が少しずつ広がり始めた。しかし、完全に開くまでには至らない。油圧機構が抵抗し、右腕の関節から不規則な振動が伝わってくる。
……まったく、頑丈な扉ね。
普段なら褒めているところだけれど、今はその性能が恨めしい。
背後では、警備担当者たちが発砲を始めていた。
「……ああ、もう! 本当にしつこいわね!」
左腕の火炎放射装置を起動し、背後の通路へ炎を噴射する。警備担当者たちが後退した隙に、再び扉へ力を込めた。
その瞬間、装甲服の右腕から嫌な音が響いた。
……あ。
まずい。
内部の駆動機構が破損したらしい。制御画面の右腕部分が赤く点滅している。それでも、扉の隙間は確実に広がっていた。
「……あと、少し……!」
最後の力を振り絞り、全身の重量を押し込む。鈍い破砕音とともに扉の固定具が外れ、巨大な金属板が片側へ大きく歪んだ。
……よし!
何とか通れる。
私は身体をねじ込むようにして、その向こう側へ転がり込んだ。
直後、右腕の駆動装置が完全に停止した。
「……最悪」
制御画面には、見たくもない警告が並んでいる。
右腕、駆動系統停止。
左脚、出力低下。
装甲各部、複数箇所損傷。
補助電源、残量低下。
……酷い有様ね。
作業場を出てから、それほど時間は経っていない。それなのに、Mark-1はもうまともに戦える状態ではなくなっていた。
紙の上では、もっと余裕のある性能を想定していた。通常火器への防御力も、駆動装置の耐久性も、計算上は十分だったはずだ。それが実戦では、想定外の攻撃や小さな損傷の積み重ねで、あっという間に限界へ近づいている。
……なるほど。
これが実戦というものか。
設計者としては、実に興味深いデータだ。今後の開発に役立つことは間違いないだろう。
できれば、もう少し安全な環境で学びたかったけれど。
昇降設備の操作盤へ近づき、手動の起動スイッチを押す。しかし、予想どおり反応はなかった。
「……ここまで来て、エレベーターが動かないなんて」
思わず悪態をついた。
目の前には、地上へ続く巨大な昇降路が伸びている。施設の見取り図によれば、この先は兵器搬入口へ繋がっているはずだ。
問題は、そこまでどうやって登るか。
……いや、方法ならある。
Mark-1には、緊急用の補助推進装置を搭載していた。
ただし、十分な飛行試験なんて一度も行っていない。そもそも、まともな姿勢制御ができるかどうかすら怪しい代物だ。
おまけに右腕は動かず、左脚まで損傷している。
……うん。
どう考えても、飛ぶべき状態じゃないわね。
でも、ほかに方法がない。
背後からは、さっき突破した防爆扉を叩く音が聞こえてくる。警備担当者たちが、こちらへ追いつこうとしているらしい。
……ああ、もう。
どうして毎回、こんな無茶をする羽目になるのかしら。
まあ、今回は自分で選んだことだけれど。
私は昇降路の中央へ移動し、背部の補助推進装置を起動した。
燃料残量を確認。
推力制御、正常。
姿勢制御……一部異常。
予想していたとはいえ、嫌な表示だった。噴射方向を少し間違えるだけで、昇降路の壁に衝突する可能性がある。ましてや実戦で損傷した状態なのだから、成功する保証なんてどこにもない。
……怖いわね、これ。
認めたくないけれど、実際に怖かった。
あの山中で護衛ドローンを失ったときのことを思い出す。自分の技術を過信して、すべてを失った。あのときも、最初は絶対に大丈夫だと信じていたのだ。
でも、今は状況が違う。
確かにMark-1は未完成だし、問題だらけの装甲服だ。それでも、できる限りのことはやった。サオリたちも手伝ってくれたし、ここまで無事に進むことだってできた。
……なら。
あとは、やるしかないでしょう。
「……飛びなさい、Mark-1!」
補助推進装置の出力を最大まで引き上げる。
轟音とともに背部から炎が噴き出し、鋼鉄の巨体が床から浮き上がった。想定以上の加速度に身体が装甲の内側へ押しつけられ、思わず息が詰まる。
「っ……!」
Mark-1は昇降路を上昇し始めた。
……飛んだ。
本当に飛んでる。
いや、まあ、私が設計したんだから当然なんだけど。
ただし、決して滑らかな飛行ではなかった。
機体は左右へ大きく揺れ、何度も壁に接触する。装甲が擦れるたびに火花が散り、制御装置の警告音が鳴り続けた。
……駄目ね。
これじゃ飛行というより、空へ向かって投げ飛ばされているだけだわ。
何とか噴射方向を調整しながら、高度を上げていく。暗い昇降路の先には、わずかな光が見え始めていた。
……地上だ。
もう少しで外へ出られる。
あと少し。
そう思った瞬間だった。
昇降路の上部で、厚い鋼鉄製のシャッターが閉まり始めた。
「……は?」
ちょっと待って。
ここまで来て、まだ邪魔するつもり?
……本当に、いい加減にしてほしい。
「……いい加減に、しなさいよ!」
推進装置の出力をさらに上げる。
警告音が激しく鳴り始めた。燃料の消費量が急激に増加し、噴射口の温度も限界へ近づいている。
……分かってるわよ!
これ以上出力を上げたら危険だってことくらい!
でも、今さら止まれるわけないでしょう!
右腕は動かない。
左脚も損傷している。
それでも、まだ左腕は使える。
私はMark-1の左腕を頭上へ持ち上げた。
「……開けぇぇっ!」
鋼鉄の拳が、閉まりかけたシャッターへ激突した。
激しい衝撃とともに、耳をつんざく金属音が響く。シャッターの一部が大きく歪み、Mark-1の左腕装甲が砕け散った。
「っ……!」
痛い。
胸も、腕も、身体中が痛い。
でも、止めるものですか。
ここまで来たのよ。
ここで終わってたまるものですか!
推進装置は止まらなかった。
鋼鉄の巨体がそのまま上昇を続け、重厚なシャッターを内側から押し破っていく。
そして、次の瞬間。
視界が、一気に開けた。