港に捧ぐ茶詩   作:リネン_

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二碗孤悶を破る


二碗破孤闷

 大理石で埋め尽くされた広いバスルームに水音と女の鼻歌が響いている。中央に設置されたバスタブは大人でも二、三人入れそうなほど大きかったが、今は少年一人だけがその広さを持て余しながら体を浮かべている。鼻歌を響かせている女はバスタブのそばに椅子を寄せ、少年の頭髪を泡立てていた。

 

 少年の名前が決まったあとは、長い時間をかけ茶を飲み、茶を淹れるための湯がなくなったところで風呂に入ろうということになった。見るからに垢じみている少年を洗ってやると女が言い出したのだった。茶器を片付けたり、風呂の湯をためたり、少年の着替えを用意したりと忙しく働く女はどこか楽しそうだった。その様子をやはり俯いたままの少年と扉のそばに立ったまま首を巡らせることすらしない男が、目線だけで眺める。湯が貯まり、温度と湿度を持った空気がバスルームから漏れてくると、女は少年の服を手早く脱がせ、簡単に身体調査をする。不具や病の有無を確かめたようだった。特段気にする点がないことを確認した女は、たっぷり湯を貯めたバスタブに少年を放り込み、手ずからその体を満遍なく洗い出した。この行為が苦痛を伴うものでないことを知った少年は、女にされるがまま身を任せる。湯の中で弛緩していく少年の体を女は満足そうに撫で、そして鼻歌を歌い出す。少年には聞き覚えのない異国語の歌だった。

 

「ご機嫌だな、私の女王様は」

 

 革靴の硬質な音と共に低くしわがれた声が女の歌を遮った。少年を部屋に連れてきた高齢の男だった。男は甲斐甲斐しく少年の体を洗う女と、大人しく湯に浸かって泡だらけにされている少年の様子を目を細めた好ましそうな顔で見た。

 

「マイ・ベイブ。お仕事は終わったの?」

「いや、これから出てくるよ。いってらっしゃいのキスをねだりに来たんだ」

「あらあら、甘えん坊だこと」

 

 女は男に濡れた手を差し出す。泡と湯にまみれた女の手を男は躊躇なく取った。男のカフスがじんわりと色を変える。泡だらけの少年はシャンプーが目に入らぬよう目を閉じてうつむいたまま、二人が口づけを交わす音を聞いていた。

 

「すぐ戻る。今夜は二人で部屋にきてくれるかい?」

「えぇ。この子が眠くなる前に帰ってきてちょうだい」

 

 名残惜しむように女の手をゆっくりとバスタブのふちへ戻し、男はバスルームを去った。男の姿が見えなくなり、部屋の扉が閉まる音がすると、女は性急に蛇口をひねった。ザッとお湯が降ってくる。天井に設置されたレインシャワーから降り注ぐ湯は少年の泡を流し、女を服のまま濡らした。突然、濡れ鼠になった女を少年は目を丸くして見ていた。少年の視線を感じた女は、唇の端をつっとあげて見せた。少年はそれが笑みでないことくらいは分かったが、今のやりとりの末に女が見せるこの引き攣った偽物の笑みが何を意味するのかは分からなかった。

 

 おもむろに女は濡れた服を脱ぎ捨てた。少年の入るバスタブへ体を滑り込ませる。突然目の前に女の裸が現れ、少年はたじろいだ。女が入ったことでバスタブの中の湯が大きく揺れ、少年の体もまた大きく動揺した。大人一人の質量分、湯がぬるりと溢れ出る。その間も天井からシャワーが降り注いでいる。容赦なく叩きつけるシャワーの湯の向こうから、女は少年の顔をじっと見た。少年は慌てて俯く。俯かせまいと女の指が少年の顎に手を添えた。屈辱のような恥辱のような歪んだ表情で少年は自分を覗き込む瞳を見返す。

 

「ルーユィ、あなた、精通はしている?」

「せっ、え」

 

 少年は初めて声を出した。女は少年の慌てた様子に目を細めた。乾燥で切れたあとのある少年の薄い唇をなぞりながら、女は再び口を開いた。

 

「私の相手をして欲しいの」

 

 長い間湯に浸かっているためか、他の理由からか、血色の悪かった少年の頬はいつしか赤く染まっていた。女は赤く染まった少年の顔を確認していくらか満足したのか、その細い顎から指を離した。次に、立ち上がって自分の体を洗い出す。少年は呆然とその様子を見上げている。かまうことなく女は湯浴みを続けた。すっかり体を洗うと、さっさとバスタブを出てバスローブをまとった。少年にもバスタブを出るよう促し、同じようにバスローブを着せる。

 

「あの人、見ての通りあの年でしょう。もう使い物にならないのよ。だけど私の痴態を見たいんですって。とはいえ商売男に相手をさせるのは嫌だし、知ってる男は尚更嫌なのね。だからまだ女を知らなそうな少年のあなたが連れてこられたというわけ」

 

 部屋の片隅にあるドレッサーに少年を座らせ、清潔なタオルで丁寧に髪の水分を吸っていく。水滴が落ちない程度に髪を拭いたら、化粧水をコットンにとり、少年の頬に滑らせた。なめらかでひんやりとした感触をむずがゆそうに甘受している少年に、さらに乳液を塗り込んでいく。一通りのスキンケアが終わり、化粧品の人工的な香りで全体を覆われた少年の顔を鏡越しに女がじっと見る。鏡の中で目が合うと、柔らかく笑った。

 

「それにしても、ちょっと若すぎるんじゃないかしら」

 

 自分のケアも後回しに、女は少年の髪にドライヤーをあてていく。温風と自身の髪に頬を叩かれながら、その嵐の中で柔らかく蠢く女の指の感触が湯上がりの少年の肌に熱を忘れさせないでいる。緩慢で遠回しな前戯がほどこされつつあることに少年の頭は気がつかないでいた一方で、第二次性微期を迎える年頃である少年の身体はその指先が何を暴こうとしているのかを本能的に理解していた。

 

「私で勃ちそう?」

 

 先ほどバスタブで見上げた、湯を弾く柔らかそうな肌や豊かな曲線を描く腰の線を思い出し、少年は俯きながら小さく頷いた。女は少年より年嵩ではあるにしろ、性的対象として見るには十分若く美しかった。

 

「よかった。それじゃあ、よろしくね」

 

 自分の頬に口付ける女と鏡越しに目があった少年は、喉仏の出始めた細い喉を鳴らした。

 

-

 

 性行為というのは多分に精神的なものが作用する。互いの合意が形成されていたとしても、機械的に済ますことができるわけではない。つまり、少年と女の初めての房事はスムーズとは言い難いものだった。少年にとって生身の人間を相手にすることは初めてのことである上、その行為を他者に眺められながら達成するという、およそ風変わりな状況に望まれた結果を得られるはずがないのは当たり前なのだった。むしろ、初めて触れた女体の柔らかさは情欲を覚える前にその生々しい感覚への恐怖が勝り、緊張で動けない少年の姿さえも官能の一部ととらえているらしいボスのからみつくような視線におぞましさを覚えずにはいられなかった。結論、性に目覚めたのもつい最近の少年にとってあまりに難しいこの閨ごとは、いわゆる中折れによって中断を余儀なくされたのだった。

 

「あなた、どう? 楽しめた?」

「あぁ。かわいかった、ふたりとも」

 

 まともに女を扱えなかったどころか、最終的には女の口淫で射精に導かれるだけの結果となった少年は自身のふがいなさと極度の緊張からの解放で、ボスが一人で寝るにはあまりに広いキングサイズのベッドのすみに小さく丸まっている。しかし、女が男に乱される様子が見たいという当初の要求が満たされなかったにもかかわらず、ボスはひどく満足気に少年の頭髪を指ですいては愛でていた。女によって洗浄され、乾燥させられた少年の髪は柔らかくボスの指の間を落ちていく。眠りにつこうとする子供への愛おしさが抑えられない母親のように、ボスは幾度もその髪に指を通す。少年は動かずにただ髪も体も差し出すだけだった。

 

「さ、もう遅いから寝ましょう」

 

 少年と反対側でベッドに身を預けている女がボスの手をとる。少年の髪は解放される。ボスの指は次に、女の着るシルクの夜着をつかむ。滴り落ちるようになめらかな絹地にすがりつく。どこまでもしずみいく柔らかな胸にボスの頭部が沈降する。

 

「ここにいてくれるか」

「もちろん。ずっと抱きしめているから、安心して。愛しているわ」

「ありがとう、愛している」

 

 ボスの指で乱された髪の向こうから少年の目は慈しみ合うように抱き合う二人の様子を見ている。夢魔におびえる子供のように肩をあげて女の胸に鼻先を隠すボスの姿に驚きを隠せない。自身が所有する船に乗っていた孤児の自分を二束三文で買いたたき、この部屋へ連れてきたあの傍若無人な男が、娘ほど歳の離れた女の胸にすがりついて寝かしつけられていた。少年が驚いた顔でその様子を見ていることに気がついた女は、ボスの背を撫でていた指をそっと伸ばし、緊張で冷たくなった少年の手に触れた。先ほどまで少年の性器をもてあそんでいたとは思えない、慈愛と寛容に満ちた指先だった。少年はそっと握り返す。女は握り返されたことに少し驚いた顔を見せ、それから頬を染めて笑った。行為中にも見せなかった心からの笑みに、少年の指先が小さく震えた。

 

「眠った。ルーユィ、あなたもここで寝てあげて」

 

 からめた第一関節から先を緩慢に擦り合わせる。初めて指を絡める恋人でも、肌が触れ合っていないと眠れない母子でも、金で買った関係への後戯に酔う男女でも、どれでもないが、どれにでも当てはまるような触れ合いだった。

 

「いいのよ、本当に眠らなくても。目を閉じて、横になるだけで」

 

 人と一緒だと眠れないものね。少年にかけたものなのか、独り言なのか判然としない言葉をつぶやきながら、女は少年の指先から手をはなし、枕元の読書灯をしぼった。再び手をつなぐだろうか、少年は暗くなった部屋で女の腕が次はどこへ落ち着くのかを目で追ったが、女は少年の手を握るどころか、「ずっと抱きしめている」と約束したはずのボスの体からも身を離して、しぼった読書灯を頼りに本を読み始めたようだった。

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