港に捧ぐ茶詩   作:リネン_

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六碗仙霊に通ず


六碗通仙灵

 一人で過ごすことが増えた女の部屋に少年がやってきた。久しぶりのことだった。少年の部屋は階の片隅にある小さく簡素な部屋から、別棟へと移っていた。本館に比べれば小さいが、まるごと一棟が少年のものとして与えられ、専用の書斎も、専用の食堂もあるそこで少年は日のほとんどを過ごしていた。たまにミスター・スーの提案で開催される三人の食事、またまだ続いている彼の部屋での情事以外、女は少年とほとんど顔を合わせなくなった。

 

「先生、今日は一緒に寝ても良いですか」

 

 久々の少年からの訪問に女は喜んだ。家を出た息子の帰省に心躍らせる母親のようであった。出会った頃、毎夜、少年を抱きながら絵本を読み、いつの間にか眠った少年の額にキスを落としていた日々が蘇る。

 

「もちろん。おいで。今日は何を読む?」

 

 すでに寝支度をすませた夜着姿の女が少年の手をとってベッドに向かう。枕元に置いてある詩集を手に取り、「李賀はどうかしら」と微笑みかける。少年はその手から詩集を取り上げサイドチェストに置いてしまう。

 

「今日は、本は良いんです」

「寝るだけ?」

 

 少年は女よりも大きくなった体で細い背を覆った。少年が身にまとう仕事用に仕立てたスーツの腕からは、葉巻のような硝煙のようなくぐもった香りがした。ミスター・スーの腕から香る、あの香りだった。その腕が女の肩をゆっくりとマットレスへ沈める。

 

「先生」

「ルーユィ?」

 

 少年の左目に女のとまどう顔が写っている。右目はかの男と揃いの黒い革製の眼帯が覆っている。女には二人の男の顔が重なって見えた。

 

「いいですか?」

「でも、今日はあの人が」

 

 返事を待たず少年は女の口を吸った。女が寝る前に飲むカモミールティーの甘い香りが残る口内を蹂躙する。女の舌は決して応えないが、かといって口をつぐむこともない。

 

「老大がいなければ、あなたに触れてはいけませんか」

「それは」

 

 シルクの夜着に覆われた女の腰をなぞる手は、もはや少年の細くて幼いそれではなかった。幾度も女の体液を吸い、幾度も仕事という理由で他者を陥れたであろう、あの老人と同じ、この館を支配する男の手だった。その手が、腰からのぼり、胸を撫であげ、首と顎を同時につかんだ。目を逸らさせまいと女の顔を固定するに少年の手のひらは十分な大きさだった。

 

「あなたは、どう思いますか」

「私は、どうも思わない」

 

 思考を放棄する。それがここでの女の役割だから。女は荒い息の隙間に己の立場を再定義する。少年の表情に小さな苛立ちが横切る。

 

「嘘です。あなたは多くを考える人です。よく考えるよう、オレに教えてくれたのは先生、あなたです」

「では、私の代わりに考えて。ルーユィも私も、あの人に買われ、飼われている者同士、飼い主のいない間に勝手をしていいと?」

「同じカゴに入れておいた個体が番になっていた、なんてよくある話ではないですか」

「そう、よくある話。そして、その場を見たあの人がやはり一匹ずつカゴに入れておかなければと番のうちの一匹を殺す、それもここではよくある話なの」

 

 かつてミスター・スーの部下の一人が、この館に閉じ込められる女への憐憫を恋情と勘違いした。女ができるだけ快適に過ごせるよう気を配り、己の思慕をとげようと女の部屋へ通い、自分を買った男よりもはるかに若く親切な人間へすがらざるを得ない女の無力さにつけこむ愚かさを無視した男だった。ある日を境に男は姿を見せなくなり、男が愛用していた腕時計だけが女に届けられた。腕時計は盤面が割れ、止まっていた。

 

「そうはなりません。オレはあなたの相手としてあの人自身に選ばれたのだから。それに、彼にはもうオレを殺すことはできない。彼があなたを殺すことができないように」

 

 女の顔を固定していた力をゆるめ、指先で首を撫でる。鎖骨をなぞり、夜着の肩をおろす。剥き出しになった肩峰に唇を寄せ、わざとらしく音を立てた。よく知った愛撫。何度も受け止めた少年からのそれは、当初の児戯のようなかわいらしいものではもはやなく、どうすれば女の体が熱を持つのか、よく知っている男のそれだった。この触れ合いの行先が容易に想像され、ほとんど自動的に下腹部が収縮する浅ましい体の反応に、女は唇を噛んだ。

 

「そう、そうね。そうだと思うわ。あの人は、ルーユィを殺せないでしょう。私のことも殺せない」

 

 女はため息をつく。緊張していた体から力が抜け、柔らかいマットレスへ沈み込んでいく。沈んでいく女の体を追うように、少年が覆いかぶさる。女の体をまさぐっていた手が、今度は丁寧に女の背に回り、柔らかく抱きしめる。傷つけることを恐れるように。女の腕が少年の首に巻きつく。耳と耳が重なりあい、頬と頬が擦れ合う。互いの体にしがみつき、二人はしばらくそのまま動かなくなった。心拍が同調するのを、体温が溶け合うのを待つかのように、じっと抱き合っていた。

 

「不良生徒ね。教師が悪いのかしら」

「先生は悪くないんです。オレを産んだ売春婦の血を呪ってください」

「あなたを産んでくだすった母君を、私がどうして呪えるの」

「先生、あなたがオレの母であったら」

「その母を今から抱くの?」

「はい。あなたはオレの先生で母親で恋人で共犯者であってほしいから」

「いいえ、あの人にとっての私がそうなように、あなたにとって私はただの愛玩動物なのよ」

「決して」

「だったら……。だったら、ねぇ、うんと酷くして。身も蓋もないほど私を欲して」

「もちろんです」

 

 少年は再び女の部屋へやってくるようになった。しかしそれは夜だけだった。仕事を終えた少年はふらりと現れ、女を抱き、朝が来る前には自室のある別棟へと帰った。共に図鑑をめくることも、映画を見ることも、本を読み聞かせることもなく、茶席を囲んで世間話を交わすことすらなく、ただ体を重ねるだけだった。少年がこの館へやって来る前と変わらない、一人で過ごす日々に戻っただけのはずだというのに、たまの逢瀬がその穏やかで退屈だった日々を取り戻させることすら阻んだ。たった一人の少年に平穏を乱されている女の様子から、ミスター・スーは女と少年の行う秘事に容易に気付いた。しかし、それは黙認され、変わらず三人での食事も三人での閨も続けられるのだった。

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