十亀と鰐島の元カノの話 | もろもろ捏造
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2025年11月21日ウェブサイトにて発表
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燻蒸と三業

 風が立ち、窓先に置かれた蚊取り線香の先が赤く光る。煙が部屋をめぐる。明かりのつかない部屋は夢の中のようにぼんやりと霞む。曖昧な視界の中、曖昧な輪郭で発光する白い肩に話しかける。

 

「来週、神社で縁日あるんだよ。一緒にどう?」

 

 白い肩がこちらを向く。首筋から髪が滑り落ちる。二人分の汗を吸ってくったりとしたシーツの上に。露わな肌を気にもしないで、白い肩の持ち主は上体を起こした。

 

「来週?」

「うん」

 

 起き上がった彼女に手近に落ちている服をかける。オレの作務衣だった。わざわざ自分の服を彼女に着せるような仕草に見えただろうかと少し動揺しながら、キッチンに水をくみにいく。その肩には大きすぎる服を羽織る彼女の姿を背にして。

 

「週末?」

「そう。土曜日」

「予定、確認してからでもいい?連絡する」

「……うん」

 

 水道水を飲む。肌に浮かんでいた汗が冷える。一息つく。情事の後の倦怠感に一息つく。この予定の提案とそれの回答が想定の範囲内であったことに、安堵と落胆の一息をつく。

 

「ねぇ、帰らないで」

 

 キッチンに立つオレの背後から彼女が抱きつく。下着をつけていない胸が背にあたる。彼女からの接触への愉悦、この接触で自動的に生じる性的な衝動への憂い、この腕を振り解くには痩せ細りすぎているオレ自身の感情が、飲み干した消毒臭い水道水の香りとともに胃からせりあがる。

 

「どうしたの?」

「怖くて眠れないの」

 

 こうしてすがればオレはまた彼女を抱く。そのうちに朝が来る。彼女の夜は孤独を忘れることができる。すべてお見通しなのだろう。オレを帰したくない理由が、逢瀬の終焉を惜しむものではないこと、それにオレが気がついていたとしても、怖くて眠れない彼女を置いてこの部屋を出ていくことなどできないと、知っているのだろう。

 

「……そう」

 

 ゆっくり振り返って彼女の体を覆う。むきだしの背中に細い指が這う感覚に、飲んだこともない酒の陶酔を思う。

 

 蚊取り線香の煙で薄く白んでいた部屋が、窓の外とともにほのぼのと明るくなる頃、ようやく眠った彼女を置いて部屋を出る。彼女が一人で暮らす部屋の鍵を玄関のポストに滑り落とすと、扉の向こうで金属音が高く響いた。

 

-

 

 賑やかな囃子。煌びやかな電飾。食欲を誘う香り。楽しそうな人の群れ。心を弾ませる要素ばかりが波のように押し寄せる神社の参道で、忙しさを言い訳に誰かの影を探すことから逃げていた。焼きそばの屋台でヘラをふるい、焼き鳥の屋台で串を返し、りんご飴の屋台で指先を砂糖漬けにした。こうして縁日の手伝いをするのはいつものことだ。あちらこちらを遊軍として助けて回る。誰かの役に立つ、礼を言われる。それで満たされる。快い疲弊。自分に必要なのは色欲の果てにある倦怠ではなく、健やかな労働と共に得られるこの疲労だ。そう言い聞かせるように、何か急くように、働いていた。次はお面の屋台。売り物のアンパンマンのお面をしていた。小さな穴からのぞく縁日は他人事のように輝いている。向こう側の世界にふと人影が闖入する。

 

「あ」

 

 予定を確認して連絡すると言ったまま、連絡を寄越すことのなかった彼女だった。お面の小さい穴からのぞく彼女の姿はいつもと変わらない。縁日のために浴衣を装うようなタイプではないのは知っている。しかし少し落胆している。着飾った彼女と共にこの浮き足だった夜が過ごせると少しでも思っていたらしい自分の欲深さに気が付く。来てくれた、自分の話を覚えていて、今日この時間にここへ。それ以上を望んでいる? 禁欲的な仮面をしていても、その下には強欲の化身が隠されているとでもいうのか。プラスチックのお面をはずす。何者にも妨げられない視界は、提灯や屋台の明かりでひどく眩しい。

 

「誘った割に忙しそうだね」

「うん、ごめんねぇ」

「いいよ。ここにいていい?」

「もちろん」

 

 余っているパイプ椅子を隣に寄せ、彼女にすすめる。躊躇なく彼女はオレの隣に越しかける。焼きそばでも焼き鳥でもりんご飴でもない香りが鼻をかすめる。幾度も近くで感じたことのある香り。この距離だから知ることのできる彼女の一部。二人だけの夜が思い出される。先ほどまで、この香りのする夜より、ソースの香りが漂うこの夜が自分に必要だと思い直していたことも忘れて、自分のルーツでもある縁日の中にある彼女の姿に胸骨が震わされている。オレの視線に気がつき、こちらを向いて、微笑む顔に、喉が渇く。

 

「飲み物、買ってこようか。ラムネでいい?」

「うん、ありがとう」

 

 ラムネが好きなこと、覚えていてくれたんだ。些細なことに心臓が脈打つ。囃子の太鼓の音が体の芯を叩くように。飲み物なんかいらないから、もう少しここにいて。言葉にする代わりに立ち上がる彼女の手をつかもうと手を伸ばす。

 

「いたいた! 亀ちゃーん!」

 

 突然かけられた声に手を引っ込める。

 

「あ、丁子たちだ」

 

 所属するチームのメンバー数人が遊びに来ていたようだった。高鳴っていた胸が別の響き方をしはじめる。今しがた彼女の手を掴もうとしていたこと見られた可能性への慄きではない。この場に、居合わせたメンバーの中にもしかしたらいるかもしれない存在への動揺だった。

 

「勇吾……」

 

 立ち上がっていた彼女が立ち竦んでいる。その彼女をオレは座ったまま見上げている。お面を取らなければ良かった。お面をしたままであれば、あの狭い視界であれば、彼女の今の表情など見ずにすんだだろう。あの仮面越しであれば、彼女と彼女の思い人との再会を、あくまで向こう側の世界として認識できただろう。彼女の瞳孔が開き、輝く瞬間、それがオレには決して向けられるものでなかったことに、気がつかないでいられただろうに。

 

「お、久しぶり」

「うん、久しぶり」

 

 友人たちから差し入れのラムネや菓子を受け取りながら、彼女と鰐島が話している内容に意識をとられる。

 

「元気にしてたか」

「そっちこそ」

 

 オレが彼女と初めて会った時、彼女は鰐島の恋人だった。次に会った時、彼女は鰐島の元恋人になっていた。その次に会った時、彼女はオレと寝る仲になった。そして、いま、彼女はオレの思慕の対象となっていた。しかし、彼女の思慕の先はおそらく。

 

「勇吾は、相変わらずバイトばっかり? ご飯ちゃんと食べてる? お母さん元気?」

「はは、心配性なのは変わってないな。ありがとう。母さんもオレも元気だ」

「そう、よかった」

 

 彼の横にいる彼女の横顔。それが初めて見た彼女の顔だった。おそらくその時から。恋とか愛とか名前のつく前から。慕う人に向けたその顔の美しさを目撃してから、何かが芽生えていたのだ。羨望かもしれない。憧憬かもしれない。そんな顔をする彼女へ、そんな顔を向けられる彼へ。その位置にただ立つだけでは得られないそれに。

 

「一人か?」

「あ、えと」

「バイト行くついでに送ってやろうか?」

 

 行ってしまう。だけどすがれない。彼女の思いを知っているから。家庭のために忙しく働く男の負担にならないよう身を引くことにした彼女の冷めない恋情を知っているから。やり場のない恋情を劣情に変えて、同じマークを背負う男を依代にしたことへの後悔と罪の意識を知っているから。その後ろめたさにつけ込んで彼女と会うオレにもその罪を共に背負わせてくれたら、いくらも幸福なのに。その幸福すら身に余ると頑なな彼女を自分勝手であると糾弾するよりも、いじらしく思ってしまうのだから、まこと扱いに困る。

 

 彼女がチラリとオレを見る。オレは微笑む。「行きなよ」と言葉にするどころか、微かに頷いてやることさえしない。小さな抵抗だ。彼女の幸せを祈る純情さも、彼女の不幸を願う傲慢さも、もう持ち合わせがない。使い果たした。残るのは彼女がつけた火種だけだ。オレの体が端からくすぶり煙をくゆらせている。音もなく燃え進む線香のように、気づけば小さな火に命が食われている。彼女の部屋に灯された蚊取り線香のように、二人の夜を霞ませる。

 

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 縁日は終わった。提灯の火は消え、夜はまた暗い底へ沈んだ。除虫菊の香り。彼女の肌の香り。再びあの部屋で、煙に巻かれ、欲に溺れている。これが見たままに淡い幻であったら、別れのあいさつも簡単に言えたのだろうか。唇を食む柔らかさにめまいをおぼえながら、言葉の出し方を忘れる。

 

「もっと」

 

 こんなに近くにいるのに。こんなに触れ合っているのに。寂しさで壊れそうになっているのはなぜ。いくら優しくしても、いくら酷くしても、満たされることがないのはなぜ。彼の誘いに乗ってオレの元を去らなかったのは、どうして。

 

「離さないで。すがって。行かないでって、言って」

 

 聞き分けの良いフリなんてしないで。

 

「横暴だなぁ」

 

 自分にはできなかったことを他人に強いるなんて。

 

「でなければ、ちゃんと……」

 

 火をつけたなら消してって。オレを焦がす火が延焼している。彼女も同じ火に炙られている。不完全燃焼の煙が目にしみる。彼を恋う彼女の姿がにじんで消えそうになる。オレの焦がれた彼の隣にいる彼女の横顔は見えなくなる。代わりに、手を握ることも、声をかけることも、ひきとめる素振りを見せることもなかったオレをなじる顔が、煙のすきまに歪んでいる。

 

「うん……」

 

 本当はもう君のことを愛したくないのに、いま目の前で震えるこの肩を抱けるのがオレだけなんて、笑えない冗談だ。抱きしめずにいられないオレの様はもっと笑えない。あの幸福そうな顔をオレは作ってあげられないのに、手放してやることもできない。この関係はどこへ向かっているのか、焼ける己が身から立ち上る煙に惑わされて、答えがあるのかどうかさえも暗夜へ消えてしまって。

 

 ポトリと音がする。蚊取り線香の灰が落ちた音だろうか。

 

 

 

♪Taiga Kyomoto×Hokuto Matsumura(SixTONES)「ってあなた」


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