裏口からゴミを捨て、休憩していた。キッチンリーダーがよくタバコ休憩をしているパイプの丸椅子が生ごみ臭い路地裏に据えられている。そこに腰を下ろしていた。隣に立っていた男が立ち去る。また、などとつまらない挨拶をして薄暗い路地から、まだほの明るい夕方の表通りへ消えていく。その男とすれ違うように別の男が路地へ入ってきた。
「知り合い?」
再び私の横に男が立つ。今日は早めにやってきたレオだった。去った男の後ろ姿を見送るように表通りを振り返っている。いつもなら店の中を通ってキッチンに来るはずなのに、今日は路地裏を通るなんてタイミングが良いのか悪いのか分からない。
「んーん。前に一回寝ただけ」
たまたま路地裏を通りかかったらしい一夜の男は、ゴミ出し後にパイプ椅子で漫然とスマホをいじっている私に気がつき声をかけた。誰かの知り合いで、どこだったかで一緒に飲んで、そのままホテルに行ったことがある。それきりだった。顔も忘れかけていたが見れば思い出した。「久しぶり」。男もこの町で働いており、それぞれ開店までの時間を持て余していた。タバコを一緒に吸いながら、特に内容のない話をした。私にはタバコを吸う習慣はないが、くれるというのでもらって吸った。紙タバコに火をつけるときに近づいた男の腕から、覚えのある香水の匂いがした。男との夜を少しだけ思い出した。
「また関係を?」
レオが抑揚のない声で問う。私は立ち上がる。先ほどまでいた男からもらったタバコの煙が、高校生のレオにかからないように風下へ移動する。
「ないない、あいつ風俗狂いだから病気とか心配だし」
タバコを持っている方の手を振る。煙が舞って、先が赤く染まった。風に生き急ぐタバコに再び口をつける。
「エイミー、キミの人生に口出しする権利があったらって時々本気で思うよ」
吸っていたタバコが奪われた。目の前に現れた男の腕からは特に何も香らない。いや、少しお茶の匂いがするだろうか。この子の好む嗜好品の芳ばしい香り。
「口を出されて従うような人間だったら見向きもしないくせによく言うよね」
足元で踏み潰されたタバコの死骸を見下ろす。頭上で虐殺人は笑った。「ふふ」
「あんたの肯定も否定もしないで笑って済ますとこ、けっこう嫌い」
せっかくもらったタバコを勝手に踏み潰された腹いせに、少し強い言葉を用いた。
「うん、オレもこんな自分にウンザリするよ」
見あげると、レオは器用に笑っている。眉を寄せ、目尻を下げ、口端をあげ。
「しおらしいね。体調悪い?」
珍しく言葉に弱さを見せるレオを見上げる。路地裏は薄暗く、顔色は分からない。
「そうかも。休憩したいな」
路地裏の奥を見やる。ゴミ置き場の向こうに、休憩いくら宿泊いくらの看板が光っている。レオからは私の肩越しに見えているだろう、日の入りから夜へ切り替わる黄昏時に、やたらと目立つその看板。
「そのへんで立ってればホテル代出してくれるやつがすぐ寄ってくるよ、休憩になるかは知らないけど」
「バイト代入ったって言ってたよね、キミ」
「たかるなよ、あんないいとこ住んでるくせに」
タバコを奪われて口寂しくなった私はパイプ椅子の足元においていたペットボトルを開ける。お店の炭酸水をひとつ失敬してきたのだ。蓋をひねる、プシュッと音が立つ。一口飲むと二酸化炭素が喉をチクチクと刺激した。
「あそこはもう動いたよ」
「ふぅん」
「聞かないの」
「聞かれたいの」
「ふふ」
「ほら」
「ごめん」
短い謝罪。やはりいつもと調子の違うレオに蓋を開けたままの炭酸水を差し出す。
「今日は許す。お疲れの様子に免じて」
「疲れてるように見える?」
炭酸水を受け取って、レオは一口飲んだ。口の中で泡のはじける音が聞こえる。
「どう見ても」
「そう」
やはり短い受け答えしかしないレオの背後で表通りを行き交う人々の姿が出たり入ったりする。レオは私の顔をじっと見たまま動かない。
「なに」
「2年後、高校を卒業して、晴れてキミと休憩したらもうこんなに長い時間話すこともできなくなってしまうのかなって。さっきの人みたいに」
路地裏を背景に私を見るレオは言う。一夜の関係に収斂してしまうこと、それがまるで恐ろしいことかのように。タバコ1本分の時間をあまりに短いと嘆くように。
「最後の時まで共にって語り合ったのに?」
諡を贈りあう話をしたばかりではないか。忘れてしまったわけではないだろう。今日はいやに感傷的だ。引越しの疲れだろうか。移動に疲れるほどもののなかったレオの住まいが思い出される。
「でも、エイミーはきっと、そういう人だよね」
「ふふ」
「今度はキミが笑って誤魔化す番だね」
「一緒にいる人の癖ってうつるんだよ」
声を出さずに微笑んでみせて、レオはペットボトルを私に返す。そのまま、ゆっくりとしゃがみこんだ。踏み潰したタバコを悼むようにそっと拾う、その丸まった背中のまま言った。
「刹那主義といえばいくらか聞こえがいいのかな、エイミーのデカダンは」
拾い上げた遺体をキッチンリーダーが灰皿がわりにしている空き缶に入れる。音もなく暗闇におとされたその一本は霊も肉も見えなくなる。
「同時更互因果だよ、一瞬に生まれて一瞬に死ぬ、今、この瞬間」
見下ろす背中を指先で撫でてみた。
「生まれ変わってもまた会いたいってこと?」
振り返ったレオが背中にあった私の手を取り、すっと立ち上がる。立ち上がる際に少し手を引かれた私の体がぐらりと傾く。レオの胸に顔がぶつかった。ファンデーションが彼の服につく。口紅の赤も少しついている。今度はその部分を指で撫でる。
「来世も会うだけでいいの?」
「も、って」
「ふふ」
レオと手を繋いだまま裏口のドアを開ける。狭い通路を私が先に、レオが後ろに歩く。開店まで時間のある店は人の気配がほとんどない。
「大丈夫だよ、そんなに監視にこなくても。レオの根城をバラしたり、よくわかんない仕事請け負ってること、友達に言ったりもしないから」
「そう」
感情を読み取りにくい短い相槌を背中で聞く。振り返っていたらどんな顔をしていただろうか。
「色で籠絡するには、私たち相性が良すぎる」
良くも悪くも。キッチンに入る。
「レオにとって不都合なら私このバイトやめてもいいよ」
学生の姿で出会った人たちが多いこの場所で、もう一つの顔を知っている私がいることが、この男にとって不都合だというのであれば。それを理由に私の身辺を探りに来ているのだとしたら。この店は居心地がいいけれど、アルバイトなんていくらでも変えられる。
「いや、やめなくていいよ。ここでエイミーと話すの気に入ってるんだ」
レオは調理台のステンレスをそっと撫でた。鈍く光る銀色に私たちのシルエットだけが写り込んでいる。
「そりゃどうも」
「本当だよ」
「疑ってないから」
「なら良かった」
また、などとつまらない挨拶をしてレオは通ってきた裏口から出て行った。入れ替わるようにキッチンリーダーが出勤する。「あいつもう帰るのか?」と誰よりも名残惜しそうに、レオのくぐった扉を見ている。