目が覚めると再び真っ白なシーツの上だった。そしてまた、あの胡散臭い男がいた。短期間に同じ男の顔を寝起きに眺めることは果たして初めてかもしれなかった。
「あれ、レオだ。……なんで?」
まだ酒の残るぼんやりとした視界で見回す。窓の外は足元の狂乱に燃やされて煙る夜空。家具や調度は見覚えがない。あの場所は「動いた」と言っていた。別の部屋だ。
「キミの友人が電話に出てくれてね。ほら、水」
友人と飲んでいて、案の定、飲み過ぎていて、気がつけばここだ。差し出されたペットボトルを受け取るもうまくフタが開けられないのでつき返した。レオがゆっくりとフタをひねる。
「バイトやめたんだって? お店に寄ったんだよ。それで通りかかったんだ」
フタの開いたペットボトルを差し出しながらレオが弁解のような口調で言った。あのホテルの前に現れたのは、私のバイト先のショーパブに寄ったためであったと。先日、バイトをやめたので元バイト先と呼ぼうか。
「あんたのせいじゃないよ」
水を飲んで潤った喉はいまだ酒でかすれている。聞き取りにくかっただろう私の言葉を受け止め、レオは少し困ったように笑った。そして頷いた。
「うん」
こちらに背を向けるようにベッドの端にレオが越しかける。重みで沈む。沈降に沿って私の体が傾く。その運動に身を委ね、レオの背に寄る。レオが振り向いてペットボトルを受け取る。フタをしようとする手に、手を重ねる。唇を重ねる。
「ねぇ、続きする?」
あの路上の続き。私たちの関係の続き。あれでおしまいにしたと思っていた我々の物語を展延する気はあるか。だから追いかけてきたのか。だからここに連れてきたのか。なぜ再び現れたのか。私は同じ男と関係を続けるような人間でない、この男がそう言っていただろうに。
「……」
レオは再び私に背を向け、窓の方を見る。浮かぶ雲が街のあかりに火照っているのを見るだけで、何も答えない。何も答えない背中にアルコールで揺れる頭骨を押し当てる。筋肉量が多いのか、この男の体はいつ触れても暖かい。変に冷えた体にじんわりと伝熱する。呼気が温まりアルデヒドが鼻をついた。
「嫌?」
「あの時はお酒、飲んでなかったよね」
「……」
酒の匂いがしないと指摘された路上。酒を理由にしない関係の後だった。素面で人と抱き合った後だった。
「別にいいんだよ、お酒の勢いでも。それがキミの望みなら」
レオが言葉を紡ぐと、その振動がそのまま私の体に伝播する。熱も、振動もそのまま流れ込む。
「私に望みなんてないよ。何もないよ。何もないの。身を焦がすような恋も、不幸な過去も、人に言えない事情も。ただ自堕落で享楽的で救いようがない、それだけ」
ホテル住まいを繰り返すような生活も、隠さなければいけない喉元も、下手な冗談で忌避する眼帯の奥も、私にはない。節操のない、取るに足らない、仕様のない、遣瀬ない、特別なことはなにもない。何もない私に振り向かないでいい。髪を撫でなくていい。顔を覗き込まなくていい。微笑みかけなくていい。手を重ねなくていい。抱きしめなくていい。そう思っているのに、私のだるい腕はレオの背にすがっている。
「一緒に寝てあげようか」
「眠れるの?」
「分からない」
「抱きしめさせて」
「いいよ」
レオはいつもつけているピアスをはずしてサイドチェストの上に置いた。私の腕が傷つかないように。眼帯はそのままに、私の胸に額を寄せた。二人でゆっくりと倒れる。マットレスが音もなく受け入れる。私たちは遠慮がちに抱き合ったままベッドの上で目を閉じる。
「本当は子守唄なんて知らないの、ごめんね」
「じゃあ何か話して。いつもの嘘でも本当でもないような話を」
「それはあんたでしょ」
「ふふ」
このサービスアパートメントのシャンプーの香りだろうか、レオの髪からは初めて接する匂いがした。その髪に顎で触れる。嘘でも本当でもないような話を始める。
「私の前世はタイのお姫様でね……」
「うん」
-
二度目の朝はこれも良く晴れていた。日の高さからするともう昼時かもしれない。すでにベッドから抜け出たレオがバルコニーにいる姿が見えた。結局、レオが眠ったのかどうかは分からない。
窓が閉められているが、スマホを耳に当て、どこかの国の言語で何かを話している声がうっすらと聞こえた。ガラス越しにベッドの上で上体を起こしている私に気がつきすぐに通話を終える。その様子を見て、私もバルコニーに出る。昨夜遊んだ新宿が見下ろせた。並んで街を見下ろすレオの横顔は、少し疲れているように見えた。人といると眠れないためか、そもそも不眠症なのか、はたまた、今の通話のためかは分からない。
「ねぇ、逃げちゃう?」
高い位置にあるバルコニーに容赦なく風がぶつかる。はためく髪に頬をはられながら、私は提案した。驚いた顔。私の好きな顔。
「何から?どこに?」
「何もかもから。どこかに」
「いいね」
「じゃ、決まり」
「今から?」
「そう」
あ、その前に、シャワー貸してくれない? レオの髪と同じ香りをさせて、部屋を後にする。おそらく二度とこの部屋には来ないのだろう。
「映画館………」
困惑を隠して微笑むレオの手を引いてたどり着いたのは名画座だ。チケットを買い、隣の建物に入るコンビニへ行く。
「二本立てだからご飯買ってこ」
飲酒の翌日で腹が減っている私はいくつも食糧を手にする。レオは相変わらず飲み物しか選んでいないようだった。
「私、レイトショーも見てく。遅くなるから帰りな」
特に何も話さないまま二本見て、レイトショーの追加チケットを買いにいく。
「邪魔しないから」
私の肩越しにレオの腕が券売機に伸び、二人分のチケットが購入された。
「遅くなっちゃったね」
「送って行こうか?」
「じゃ、駅まで」
レイトショーとはいえ、まだ街はにぎわっており、駅までの道のりは夜闇に明るい。どこまで行っても同じような世界に、異世界から戻る。
「映画、好きなの?」
「うん」
「瞬間の集合だから?」
「ふふ、そうかもね。レオはやっぱりアメリカ映画が好き?」
「今日の映画もよかったよ。ね、京子さん」
「えぇ、一夫さん」
それから私たちはときどきこうして一緒に映画を見る関係になった。なぜなら、私たちは名俳優だから。
END