非モテ三人衆、ゾンビ街道を往く 作:ゾンビ好き
完結まで執筆済みです。
県道沿いのコンビニの駐車場で、ムキムキな高校生男子の剛田力は買い物カートを構えていた。もちろんカートの向こうには、ゾンビがいた。
作業着姿の中年男性で灰色の顔、白く濁った目、だらしなく開いた口。「あ゛ー」と言いながら、カートの前かごに上半身を突っ込んで、じたばたしている。
「理崎! まだか!」
「待て。安全ピンが固い」
剛田の背後で、理崎学が消火器と格闘していた。
「使い方はハワイで親父に習ったって言ったよな」
「あれはネットミームだ、俺はハワイなんぞいったことはない。だが安心しろ、使い方は十分に理解している。いかんせん指の力が足りないだけだ」
「それ一番大事なとこだろ」
カートがぎしぎし鳴る。ゾンビの指先が、剛田の鼻先をかすめる。このゾンビどうやらゾンビになる前はパン屋でもやっていたのか、小麦粉の香ばしい香りが剛田の鼻孔をくすぐった。
そして、ぐう、と剛田の腹が鳴った。
「やべえ。腹減ってきた」
「タンパク質が欲しくてゾンビ肉でもよくなったのか!? あのゲームならダメージうけるぞ」
ぽん、とピンが抜けた。
「どけ、剛田!」
剛田が横に飛びのき、理崎がレバーを握りこむ。ぶしゅううう、と白い粉が噴き出して、ゾンビの顔面を直撃した。ガシャンとカートが倒れて煙に埋もれる。
数秒後。煙が晴れると、そこには頭のてっぺんから足の先まで真っ白になったゾンビが、きょとんと立ち尽くしていた。奇しくもゾンビの男の髪形はパンチパーマである。
「……大仏みたいになったな」
「視界は奪った。今だ、ハットリ!」
「承知でござる!」
声は、上から降ってきた。
コンビニの屋根の上に、金髪の少年が仁王立ちしていた。朝日を背に、指の間には手裏剣。どうやって登ったのかは、本人にしかわからない。
「忍法――天狗落としっ!」
ハットリが跳んだ。
見事な跳躍だった。見事にゾンビの二メートル手前に落ちた。そこには店のゴミ箱があった。
がっしゃーん。
ゴミ箱ごと横倒しになったハットリは、そのままごろごろと転がって、ゾンビの足を真横からすくった。真っ白なゾンビは「あ゛」と短く言って後ろにひっくり返り、――すぽん、と買い物カートの中に収まった。
手足を天に突き出した格好で、ぴったりと。
三人は、黙ってそれを見た。
剛田が、駐車場の出口を見た。その先は、ゆるやかな下り坂になっていた。
「……下り坂だな」
剛田はカートの持ち手をつかみ、軽く押した。
からからからから、とカートは坂を下っていった。だんだん速度を上げ、駐車場を抜け、歩道を越え、向かいの家の生け垣に、ばさあっと突っ込んで見えなくなった。
静寂。
ゴミ箱から、ハットリが顔を出した。頭にバナナの皮が乗っていた。
「……計算通りでござる」
「それは俺の台詞だ」と理崎。
「なあ」と剛田。「コンビニ、入っていいか。サラダチキン食いてえ」
――ほんの一日前まで、三人ともゾンビなんて映画の中だけの話だと思っていた。
ましてや自分たちが、こんなことをする羽目になるなんて。
話は、その前の日。文化祭を翌日に控えた、金曜日にさかのぼる。
◇
九月最後の金曜日、とある架空の高校である県立北宿高校は浮かれていた。
明日から二日間、文化祭がある。廊下には段ボールの城壁がそびえ、体育館では軽音部が同じ曲のイントロを八回目に繰り返している。
そして二年三組の教室からは、あの曲が聞こえていた。
――ハロー、ハロー、ワールド。きみの声が聞こえたら。
AIRI(アイリ)の「ハロー・ハロー・ワールド」。AIが歌い、AIが踊る、世界的なバーチャル歌姫のデビュー曲だ。動画の再生数は数十億回。日本では幼稚園のお遊戯から老人会の健康体操まで、あの振付を知らない人間はいない。
二年三組は、明日のステージでそれをクラス全員で踊る。
――はずだった。
◇
二年三組における三人の評価は、ひとことで言うなら「極端」だった。
たとえば、その日の三時間目、体育のバレーボール。
剛田のスパイクは、体育館の床が抜けるかと思うような音を立てた。相手コートの誰ひとり反応できず、男子たちから「剛田やべえ!」と歓声が上がる。
同じコートの理崎は、ボールを顔面で三回受けた。四回目で眼鏡が飛び、そこから先は自分がどっちのコートにいるのかもわからなくなって、敵チームのレシーブに加わっていた。
ところが四時間目の化学になると、立場が入れ替わる。
実験装置の電源が入らず先生が困り果てていると、理崎が無言で立ち上がり、三十秒で直して席に戻った。「理崎、神か」と男子たちがどよめく。その横で剛田は、モル計算のプリントを前に「モルって何キロカロリーだ」とつぶやいていた。
ハットリはといえば、英語の時間だけは無敵だった。教科書の音読を頼まれると、教室がネイティブの発音に静まり返る。その直後の漢字の小テストでは、「忍」という字だけを完璧に書き、残りは全滅だった。
休み時間になると、男子たちは自然と三人の周りに集まった。
剛田の腕には三人ぶら下がって懸垂大会が始まり、理崎の机には「画面が映らない」ゲーム機の修理依頼が積まれ、ハットリは怪しいござる英語の一発ギャグで笑いを取る。男友達は、実はけっこう多いのだ。
ただし、女子となると話が違った。
剛田が教室でプロテインのシェイカーを振り始めると、近くの女子がそっと窓を開ける。理崎がアニメの名台詞をつぶやくと、女子たちの会話が一瞬止まる。ハットリが笑顔で話しかけると、相手は「あ、うん」と言いながら半歩下がる。顔はいいのに。
いじめられているわけではない。嫌われているわけでもない、たぶん。単に扱いをどうすればいいかわからない珍獣みたいな扱いだった。
ただ、女子と三人の間には、いつも見えない一メートルの距離があった。
そして放課後になると、三人は男友達に手を振って教室を出て、北校舎三階の突き当たりへと向かうのだった。
◇
北校舎三階の突き当たり、旧理科準備室。
入口に貼られた手書きの紙には、こうある。
総合文化研究部 展示「北宿市の過去と未来」
部員三名。去年の来場者数、ゼロ。
「……九十八、九十九、百」
剛田力は腕立て伏せを終えると、床に手をついたまま顔を上げた。
「理崎。背中から降りていいぞ」
「断る。この高さからだと準備室の全景が見渡せて、作業効率が上がる」
剛田の背中にあぐらをかいて座っているのは理崎学だ。膝の上には分解されたドライヤーと、ハンダごてと、なぜか綿菓子用のザラメの袋がある。
「お前、それ何作ってんだ」
「全自動わたあめ機・改。展示の目玉だ。来場者が一人でも来たら、その人に最高の綿菓子を振る舞う」
「展示のテーマと関係あるか?」
「北宿市の未来は甘い。そういうメッセージだ」
剛田は少し考えて、まあいいか、と思った。考えるとカロリーを使う。
剛田力。身長百八十二センチ、体脂肪率六パーセント。制服のシャツは二の腕のところで今にも裂けそうに張りつめ、首は頭より太い。趣味は筋トレ、特技も筋トレ、将来の夢は「死ぬまで筋トレ」。食事は一日六回、鶏むね肉とブロッコリーと米を正確に計量して食べる。
クラスの女子の評価は、ひとことで言えば「ムキムキすぎてキモい」だった。
ちなみに本人は、それを聞いて「仕上がってるってことか」と喜んだ。
◇
ヒュッ、と風を切る音がして、段ボールの的に何かが刺さった。……刺さらなかった。跳ね返って床に落ちた。
「Oh……今日も的がシャイでござるな」
部屋の隅で、金髪の男子が首をかしげている。
ジェイコブ・ハットリ・ミラー。アメリカはオハイオ州出身、父の転勤で去年から北宿市に住んでいる。彫りの深い顔立ちに青い目、すらりとした長身。黙っていればハリウッドの子役出身にしか見えない。
黙っていれば。
「ハットリ、その手裏剣、百均の鉄板を削ったやつだろ。危ないぞ」
「心配ご無用でござる、剛田殿! 拙者、まだ一度も的に当てたことがないゆえ、誰にも当たらぬでござる!」
「それ自慢になってねえよ」
ミドルネームの「ハットリ」は本名だ。日本好きの祖父がつけた。そしてその祖父の影響で、ジェイコブは日本について、たいへん豊かで、たいへん間違った知識を持って育った。
日本には今も忍者がいる。侍もいる。政府が隠しているだけである。自分が日本に来たのは運命であり、いつか忍びの里からスカウトが来る。
そしてもう一つ。
――AIRIは、自分の妹である。自分はAIRIのお兄ちゃんだぞ!!
根拠は「AIRIが初めて歌った日と、自分の誕生日が同じだから」。それだけだ。それだけで彼は、世界的歌姫の兄を名乗っている。鞄の中には、両手に乗るサイズのAIRIのぬいぐるみがいつも入っていて、ときどき取り出しては「今日も元気でござるか」と話しかけている。
これを入学初日の自己紹介で全部言った。ファイヤー!は言わなかった。
以来、クラスの女子の評価は「顔はいいのに中身がキモい」で固定されている。
◇
「理崎、そろそろ降りろ。腹が減った」
「さっき食べただろう」
「四十分前だ。もう筋肉が分解され始めてる」
剛田がそう言って立ち上がると、背中の理崎は「うわっ」と転げ落ち、ドライヤーの部品をばらまいた。床に這いつくばって、眼鏡を押さえながら部品を拾い集める。
理崎学。身長百六十センチ、体重四十五キロ。分厚い眼鏡にぼさぼさの髪、制服の胸ポケットにはドライバーとテスターと、アニメのキャラクターの缶バッジが三つ。成績は理系科目だけ学年トップで、それ以外は聞かないでほしいと本人は言う。
家電を分解し、組み立て直し、元より便利にして、たまに爆発させる。好奇心が服を着て歩いているような男で、道に落ちている物をなんでも拾う。ネジ、電線、謎の金属片。鞄はいつもパンパンだ。
そして、ここぞというときにアニメの名台詞を引用する。引用元を誰も知らないので、ただの変な人として処理される。
クラスの女子の評価は、言うまでもない。
「……よし。部品はすべて回収した。問題ない。想定の範囲内だ」
理崎が眼鏡をくいっと押し上げた、そのとき。
準備室の扉が勢いよく開いた。
◇
「あのさー、延長コード余ってない?」
入ってきたのは、二年三組の学級委員、早瀬ひかりだった。ステージ衣装のTシャツの上にジャージを羽織っている。胸にはAIRIのシルエットがプリントされていた。
成績は学年上位、顔もスタイルも申し分ない。それでいて誰にでも同じ笑顔で話しかける。この準備室に普通の顔で入ってくる女子は、学校中で彼女くらいだった。
それでも三人は同時に固まった。なんせ女子に免疫がないからだ。お母さんとおばあちゃんからしかバレンタインのチョコをもらったことが無いのだ。
なお、ハットリの脳内では存在する記憶(存在しない)としてAIRIから毎年、「お兄ちゃんに手作りチョコ作ったよ」とチョコをもらっていることになっている(自作)。
剛田はなぜかポージングをし、理崎は眼鏡を三回押し上げ、ハットリは片膝をついて頭を下げた。
「お、お、お主……くのいちでござるか」
「あはは、違うよー。でも忍者いいね、ハットリくんっぽい」
早瀬は笑って机の上の延長コードを手に取り、それから少しだけ真面目な顔になった。
「あと、明日のステージのことで相談があって。……正直に言うね。女子の何人かから、三人が踊れるのかなって心配する声が出てるの。本番で揃わなかったらどうしよう、って」
準備室が、しんとなった。さもありなん、はみ出し者の常である。
キモいから出るなと言わないだけ、女子たちにも優しさがあり、配慮がされていた。
「私はね、学園祭なんだし、楽しめればそれでいいと思ってる。でも、もし本番でうまくいかなかったら、恥ずかしい思いをするのは三人でしょ? だから先に、本人の希望を聞いておきたくて」
早瀬は三人の顔を順番に見た。できた娘である、十分に言葉を選んでおり、まとめ役に選ばれることもよくわかる。
「出たい? 照明係もあるから、無理にとは言わないよ」
剛田と理崎が不安そうに顔を見合わせた、この二人はてんで踊れる気がしないのである。が、その横で。
「出たいでござる!」
ハットリがその長身をピンと伸ばして、片手をあげて立ち上がっていた。
「妹の晴れ舞台、兄が踊らずして何とするでござるか! 早瀬殿、しばし御覧あれ! ミラー家ファイヤー!」とうとう言った。
止める間もなかった。ハットリはスマホで曲を流すと、狭い準備室の真ん中で踊り始めた。
――ハロー、ハロー、ワールド。
指先の角度、ターンのキレ、サビの決めポーズ。動画で千回は見たのだろう。悔しいことに、完璧だった。最後のポーズで、ハットリの金髪がふわりと揺れて止まった。悔しいが高身長でスマートな白人のイケメンなので、見栄えは100点だった。
早瀬は、ぽかんと口を開けていた。それから、ぱちぱちと手を叩いた。
「……すごい。え、本気でうまいじゃん! クラスで一番うまいかも」
「光栄でござる!」
「で、二人は?」
剛田は黙って目をそらした。理崎は眼鏡を押し上げて「理論上は可能だ」とだけ言った。
早瀬はくすっと笑った。
「じゃあさ、ハットリくんが二人に教えてあげて。明日の朝のリハで踊れてたら、三人の枠、ちゃんと用意しとくから」
「御意でござる!」
「約束ね」
早瀬が延長コードを抱えて、扉に手をかけた、そのとき。
「おーい、早瀬ー。こんなとこで何してんの」
廊下から、だらけた声がした。
扉の向こうに立っていたのは、喪部山チャラ助だった。茶色に染めた髪、着崩した制服、耳にはピアス。サッカー部を三日で辞めて以来、目立つことにだけ全力を注いでいる男だ。
その腕にぶら下がるようにして、出落ギャル美がいた。巻いた髪に盛りに盛ったまつげ、爪にはAIRIのネイルアート。
なぜかはわからないが、すぐに退場しそうな気配をにおわせている二人であった。
「うわ、キモ部じゃん」チャラ助が鼻で笑った。「何、早瀬、こいつらの相手してんの? 優しすぎっしょ」
「ひかりー、まさかこの人たちステージ出すとか言わないよね? マジ無理なんだけど。台無しになるじゃん」
ギャル美が床に目をやった。踊ったときにハットリの鞄からこぼれた、AIRIのぬいぐるみが転がっていた。
「てか何これ。高校生にもなって人形? キモすぎ」
チャラ助がそれを拾い上げ、指先でぶらぶらと振った。
「やめなよ」
早瀬が、ぬいぐるみをチャラ助の手から取り上げた。笑顔は消えていた。
「そういう言い方、よくないと思う」
「はいはい、学級委員さまはお優しいこって」チャラ助は肩をすくめた。「それよりさ、今夜俺ら屋上で前夜祭やっから。早瀬も来いよ。先生いねーし、酒もあるし」
「行かない。それ普通に校則違反だし」
「つまんねー」
チャラ助とギャル美は笑いながら去っていった。廊下に、ギャル美の高い笑い声がいつまでも響いていた。
早瀬は振り返って、ぬいぐるみをハットリの手にそっと乗せた。
「ごめんね。あんなの気にしないで。……明日、楽しみにしてるから」
そう言って、彼女は今度こそ出ていった。
扉が閉まる。
しばらく、三人とも何も言わなかった。
ハットリはぬいぐるみの頭についた埃を指で払って、そっと鞄の一番上にしまった。それから顔を上げて、いつもの笑顔を作った。
「早瀬殿は、まことのくのいちでござるな。悪党から妹を取り返してくれたでござる」
「くのいちではないと思うが」と理崎。「……いい人だな」
「ああ」と剛田。
学校という場所には、目に見えないランキングがある。スクールカーストともいわれるそれは、運動部のエース、明るい女子のグループ、おしゃれな男子。その下に普通の人たちがいて、さらにその下に――なんというか、分類不能な人たちがいる。
三人は、そこにいた。
筋肉と、科学と、忍者。共通点は何もない。ただ、どこにも居場所がなかった者同士が、廃部寸前の部室に吹き寄せられて、一年半が経った。
別に、それで不満はなかった。
ただ、今日は少しだけ、いつもと違った。
――三人の枠、ちゃんと用意しとくから。
誰かにそう言われたのは、初めてだったから。自分のための居場所を家族以外から用意されたことがなかった。
三人とも胸になにかあったかいものが満ちてきて、ついつい笑ってしまった。よかったね。
◇
午後八時。校内に「下校時刻です」の放送が流れた。
「帰らぬのでござるか?」
「わたあめ機が完成していない」と理崎。「あと三時間あれば終わる」
「見つかったら怒られるぞ」と剛田。
「北校舎三階の見回りは九時の一回だけだ。用務員の田所さんは、準備室の扉の前で三秒止まって、明かりがついていなければ通り過ぎる。過去二十回観測した」
「お前、何観測してんだよ」
理崎は眼鏡を押し上げた。
「それに、明日の朝のリハーサルまでに、俺と剛田が踊れるようにならなければならない。家に帰って寝ている時間はない」
「理崎殿……!」
「勘違いするな。枠を用意すると言われた以上、それに応えるのが合理的だというだけだ。……とあるアニメのキャラクターも言っていた。『プルス・ウルトラ(限界を超えろ)』と」
「それ、なんてアニメだ?」と剛田。
「あいつのヒーロー保育園だ」
ハットリの顔が、みるみる明るくなった。
「これぞ忍びの夜稽古! まさにニンジャ・ナイトでござる!」
剛田は二人の顔を見比べて、それから鞄の中のタッパーを数えた。鶏むね肉、三食分。米、二食分。ゆで卵、八個。
「……朝まではもつな」
こうして三人は、文化祭前夜を部室で過ごすことになった。
九時、扉の前で足音が三秒止まり、通り過ぎていった。理崎は無言でガッツポーズをした。
◇
机を壁に寄せ、明かりを最小にして、理崎のスマホから小さな音であの曲を流した。
ハットリが先生役として真ん中に立つ。教え方は意外なほど丁寧で、一つの動きを何度でも、根気よく手本で見せてくれた。
「Oh、理崎殿、そこは右手が先でござる」
「……こうか」
「パーフェクトでござる!」
理崎は運動神経がないなりに、驚くほど正確に動きを覚えた。「振付は数式だ。角度とタイミングの組み合わせにすぎない」と言いながら、三回目にはほぼ追いついていた。
問題は剛田だった。
「剛田殿。もう少し、柔らかく」
「柔らかくしてる」
「肩が、動いておらぬでござる」
「肩の筋肉が発達しすぎて可動域が狭いんだ」
どう見てもロボットダンスだった。それでも剛田は真剣な顔で最後まで踊りきり、決めポーズで大胸筋をぴくりと動かした。ハットリが腹を抱えて笑い、理崎がこらえきれずに吹き出し、剛田もつられて笑った。
観客ゼロの、三人だけのステージ。
それは、悪くない夜だった。
◇
十一時を過ぎたころ、遠くで救急車のサイレンが鳴った。
一台。少しして、もう一台。それからパトカーの音。
「多いな」と剛田が窓の外を見た。
町の明かりはいつもと変わらない。ただ、国道のあたりで赤い光がいくつも回っている。
ふと、剛田は天井を見上げた。さっきまで屋上から漏れ聞こえていた音楽と、チャラ助たちの騒ぐ声が、いつの間にか止んでいた。
「……あいつら、帰ったのかな」
「先生に見つかったのだろう。自業自得だ」
理崎はそう言って、作業に戻った。
理崎がスマホを見た。
「ニュースによると、隣の市で『集団での暴行事件』が複数発生。原因は調査中。……外出を控えるように、だそうだ」
「物騒でござるな。もしや、伊賀と甲賀の抗争では」
「たぶん違う」
三人はしばらく窓の外を眺めていたが、サイレンはやがて遠のいた。理崎がわたあめ機の最後のネジを締め、スイッチを入れた。
ぶうん、と音がして、温風とともに、ふわふわの糸が舞い上がった。
「おお……!」
割り箸に巻き取られていく白い雲を、三人は息を詰めて見つめた。
「完成だ」理崎が言った。「北宿市の未来は、甘い」
「すげえな、お前」
「見事でござる、理崎殿!」
三人で一本の綿菓子を分け合った。剛田は「糖質が……」と言いながら一番多く食べた。
午前一時、三人は段ボールを敷いて眠った。ハットリの腕の中には、AIRIのぬいぐるみがあった。
遠くでまた、サイレンが鳴っていた。
◇
目を覚ましたのは、静かすぎたからだった。
土曜日の朝七時。文化祭当日。本来なら、もう準備の生徒たちが登校してきて、校舎中が騒がしいはずだ。
なのに、何の音もしない。鳥の声と、どこか遠くで鳴り続けている車の防犯ブザーだけ。
「……電波がないな」
理崎がスマホを振っている。剛田のも、ハットリのも、圏外だった。
「腹減った」と剛田が言った。
「この状況で第一声がそれか」
「状況は腹が減ってても考えられる。腹は状況じゃ満たせない」
「……一理ある気がするのが腹立たしいな」
とにかく様子を見よう、ということになった。準備室の扉を開け、三人は廊下に出た。
長い廊下の向こうに、人影がひとつ立っていた。
ジャージ姿の大柄な男。背中を向けて、ゆらゆらと揺れている。
「あれ、鬼塚じゃね?」と剛田が小声で言った。
生活指導の鬼塚先生。体育教師で、校則違反には容赦がない。泊まり込みがばれたら、反省文三枚は確実だ。
「まずいでござる……! ここは拙者にお任せを」
「ハットリ待て、何する気だ」
止める間もなく、ハットリは背筋を伸ばして廊下に進み出ると、深々と九十度のお辞儀をした。
「グッドモーニング、鬼塚先生! おはようございますでござる! 拙者たちは決して泊まり込んでなどおらず、今朝、忍びの術で早朝登校を――」
早朝一発目にいきなり泊まり込みの自白を受けた鬼塚先生が、振り向いた。
顔色が、悪かった。社用車を盗まれたという爆弾を解除しに行くネット民くらいの悪さだった。
悪いというか、灰色だった。目は白く濁っていて、口がだらしなく半開きで、そこから「あ゛ー……」という、およそ生活指導らしくない声が漏れていた。
三人は、黙った。
「……鬼塚先生、二日酔いでござるか?」
鬼塚先生は答えなかった。代わりに両手を前に突き出し、ずるずると足を引きずって、こちらへ歩き出した。
思ったより遅い。でも、まっすぐこっちに来る。
「理崎」剛田が言った。「あれ、何だ」
理崎は眼鏡を押し上げた。その手が少し震えていた。
「顔面蒼白、瞳孔の白濁、言語機能の喪失、緩慢だが執拗な前進。昨夜の『集団暴行事件』。そして今朝の、この静けさ」
一拍おいて、理崎は言った。
「……テンプレゾンビだ」
「インプレゾンビか」
「違う、テンプレートなクラシカルゾンビだ。ネットにはびこる乞食のことじゃない! 少なくとも、現時点でそれ以外に適切な語彙を持たない」
鬼塚先生が、あと五メートルまで迫っていた。
「戻れ!」
剛田が叫び、三人は準備室に飛び込んだ。扉を閉めた瞬間、どん、と向こうから重いものがぶつかってきた。
剛田が扉に肩を当てて押さえる。どん。どん。扉がきしむ。
「すげえ力だ……! でも――」
剛田は歯を食いしばって、足を踏ん張った。
「――鬼塚のベンチプレス、八十キロだったはずだ。俺は百二十挙がる」
どん、どん、という音が、だんだん弱くなった。やがて扉の向こうで、ずる、ずる、と足音が遠ざかっていった。
三人はその場にへたりこんだ。
◇
窓から外を見た。
校庭に、人影が十いくつ、ゆらゆらと歩いていた。登校してきた先生か、近所の人か。みんな同じ、引きずるような歩き方をしている。
その向こう、北宿の町のあちこちから、細い煙が上がっていた。
「家に……電話がつながらねえ」剛田がつぶやいた。
理崎は黙って、鞄から何かを取り出した。手のひらサイズの箱に、電線とアンテナが生えている。
「何だそれ」
「ゲルマニウムラジオ。電池がいらない。去年、展示用に作った」
「展示したのか?」
「展示はした。が、誰も来なかったから、誰も見ていない。秘密兵器だ」
理崎がイヤホンを耳に当て、つまみをゆっくり回す。雑音。雑音。そして――
かすかな声が聞こえてきた。理崎がイヤホンを外し、三人の真ん中に置いた。
『――繰り返します。こちらは政府緊急放送です。現在、関東北部を中心に、重大な感染症による混乱が発生しています。外出は極力避けてください。ただし、避難が必要な方は、陸上自衛隊・朝霧駐屯地に設置された安全区域へ向かってください。安全区域では、食料、医療、通信手段を提供しています。繰り返します――』
放送が終わっても、三人はしばらくラジオを見つめていた。
「朝霧駐屯地」理崎が言った。「ここから南に約五十キロ」
「五十キロ……」
「そこに行けば、通信手段がある。家族とも、連絡が取れるかもしれない。……昨夜のうちに避難した人たちも、たぶんそこに向かっている」
剛田は窓の外の煙を見ていた。それから、ぐっと拳を握った。
「行こう」
理崎がうなずいた。眼鏡の奥の目が、怖がっているのに、少しだけ光っていた。
そして――。
ハットリが、すっくと立ち上がった。
朝日が窓から差しこみ、金色の髪がきらきらと輝いた。彼はAIRIのぬいぐるみを鞄の一番上にしまい、懐から一度も的に当たったことのない手裏剣を取り出して、指の間に構えた。
「剛田殿。理崎殿」
その顔は、なぜか、ものすごく嬉しそうだった。
「拙者、この日のために生まれてきたでござる。――It's a ニンジャ・タイム、でござる!」
剛田と理崎は顔を見合わせた。
怖い。めちゃくちゃ怖い。外にはゾンビがいて、家族とは連絡が取れなくて、五十キロ先まで行かなきゃいけない。
でも、このバカがいると、なんだか、どうにかなる気がした。
「……とりあえず飯食ってからな」
剛田が、最後のゆで卵を三つに割った。
文化祭当日。来場者ゼロの展示室で、観客ゼロのステージを踊った三人は。
北宿市の未来、ではなく自分たちの明日に向けて、旅立とうとしていた。
第一章 文化祭前夜 了
ゾンビーワールドへようこそと、超かぐや姫を見て思いついた話。
感想や評価お待ちしてます、好評なら最後まで投稿予定です。