非モテ三人衆、ゾンビ街道を往く   作:ゾンビ好き

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第三章 線路は続くよ

 線路の上は、驚くほど静かだった。

 北宿線の単線は、田んぼの真ん中をまっすぐ南へ延びていた。九月の終わりの稲穂が金色に垂れ、あぜ道には彼岸花が赤く並んでいる。風が吹くたび、稲がさわさわと鳴った。

 見渡すかぎり、ゾンビの姿はどこにもなかった。

「……なんか、普通に遠足みてえだな」

 剛田がつぶやいた。背中のリュックの中で、放送室から持ち出したアンプががちゃりと鳴る。

 ハットリはレールの上に乗り、両腕を広げてバランスを取りながら歩いていた。黒装束の袖が風にはためく。

「スタンド・バイ・ミーでござる! 少年たちの、ひと夏の冒険でござる!」

「もう九月も終わりだけどな」

「細かいことはよいでござる!」

 理崎は二人の後ろを、眉間にしわを寄せて歩いていた。

「……歩きにくい」

「そうか?」

「枕木の間隔だ。約六十センチ。一本ずつ踏むと歩幅が狭すぎるし、一本飛ばすと広すぎる。人間の歩行にまったく最適化されていない。設計者に抗議したい」

「電車のための道だからな。そんなこと言われても」

「わかっている。わかっているが、抗議したい」

 剛田は笑って、理崎の背中をばんと叩いた。理崎は前につんのめって枕木に躓き、ハットリを巻きこんで転がった。

 

◇

 

 最初の駅は北宿南駅だった。北なのか南なのか、西東京市くらいわけのわからない名前である。

 ホームがひとつだけの無人駅。屋根の下のベンチと自動券売機と、色あせた観光ポスター。いつもなら部活帰りの中学生が数人、スマホをいじりながら電車を待っているような駅だ。

 ホームには誰もいなかった。代わりに、いくつかの物が残っていた。

 取っ手を伸ばしたままのスーツケース。片方だけのスニーカー。ベンチの上には、包みを開いたまま一口もかじられていないおにぎりがぽつんと置かれていた。

 電光掲示板は真っ暗で、その下に赤い文字で『運転見合わせ』と書かれた紙が貼ってあった。

 ベンチの下には、週刊誌が一冊落ちていた。風にめくれたページに、AIRIの横顔の写真と大きな見出しが躍っている。

 『AIRIは未来から来た!? デビューから三年、開発元はいまだ正体不明』

「おお!」ハットリが飛びついた。「妹の記事でござる!」

「ゴシップ誌だ」理崎が肩越しにのぞきこんだ。「『AIRIの声は、現存するどの音声合成技術とも一致しない』……『未来の技術で作られたとしか考えられない、と関係者』。関係者って誰だ」

「拙者は信じるでござる」

「君は忍者の実在も信じているからな」

 ハットリはそのページを丁寧に破り取ると、小さくたたんで、AIRIのぬいぐるみと一緒に胸元にしまった。

「……みんな、急いでたんだな」と剛田。

 理崎は待合室の掲示板の前で足を止めた。時刻表の上に、手書きの貼り紙が一枚ガムテープで留めてある。

 『朝霧駐屯地行き 臨時避難バス 北宿南駅前より 5:30発 ※定員になり次第締切』

「バスが出ていたのか」

「五時半。俺たちが寝ていたころだ」

 貼り紙のすぐ下に、マジックの走り書きがあった。小さな子どもの字だった。

 『おかあさん さきにいってます ゆうと』

 三人とも、しばらくそれを見ていた。

「……ゆうと殿は、バスに乗れたのでござるな」

 ハットリがぽつりと言った。

「ああ。たぶん乗れた」と理崎。「ここから南に向かったバスがある。つまり、安全区域はちゃんと機能している可能性が高い」

「うちのクラスの奴らも、乗れたかもな」

「可能性はある。このあたりにはゾンビがほとんどいないだろう? 避難がうまくいった証拠だと思う」

 剛田は少しだけ肩の力を抜いた。ハットリは貼り紙に向かって、なぜか深々とお辞儀をした。

「ゆうと殿の母上も、無事にたどり着けるよう、お祈り申し上げるでござる」

 三人はベンチのおにぎりには手をつけず、駅を後にした。

 

◇

 

 北宿南駅から二キロほど進んだところで、線路の先に電車が止まっていた。

 クリーム色に青い帯の、二両編成。いつもの北宿線の電車だ。線路の真ん中でぴたりと止まり、ドアは半分開いたままになっている。

 近づくと、窓の向こうで何かが動いた。

 乗客だった。いや、乗客だったものたちだ。灰色の顔をした人影が五つ、六つ、車内をふらふらと歩き回っている。吊り革がゆらりと揺れた。

「……迂回できるか」と剛田。

 理崎は左右を見た。線路の左側は幅のある用水路で、水がごうごうと流れている。右側には背の高い金網の柵があり、その向こうは竹やぶだ。

「用水路は流れが速すぎる。柵は高すぎて乗り越えられない。通れるのは、電車と柵のあいだの隙間だけだ」

 車体と柵のあいだは、人ひとりが横向きになってやっと通れるくらいの幅しかなかった。ドアが開いているのは用水路側だけで、こちら側のドアは閉まっている。

 理崎は車体を見上げた。

「いいか。電車の窓は、線路から見上げるくらい高いところにある。かがんで歩けば、中からは見えない。危ないのは、上半分が開いている窓の下を通るときだけだ。そこからなら、手を伸ばせば届く」

「開いてる窓は、いくつだ」

「前から数えて、二つ目、四つ目、七つ目」

「そこだけ気をつければいいでござるな」

「ああ。そもそも気づかれずに抜けられるかもしれない」

 剛田がリュックを背中から下ろし、両手で胸の前に抱えた。

「なら、開いてる窓の下に来たら、俺がこいつでふたをする。お前らはその下をくぐれ」

「……君が一番危ない」

「一番腕力があるのも俺だ。それにこのリュック、アンプが入ってて鉄板みてえに硬い」

 理崎は少し黙ってから、うなずいた。

 先頭は剛田。その後ろに理崎、しんがりにハットリ。三人は腰をかがめ、車体と柵の隙間にカニ歩きで入っていった。左の肩に車体の冷たい鉄が触れ、右の肩には金網が食いこむ。足元の砂利が、じゃりじゃりと小さく鳴った。

 一つ目の窓。閉まっている。息を殺して通り過ぎた。

 二つ目の窓。開いている。

 剛田がリュックを持ち上げ、窓の開いた部分にそっと押し当てた。その真下を、理崎とハットリが体を縮めてくぐり抜ける。

 二人が通り過ぎた、そのときだった。窓の内側から、灰色の手がにゅっと突き出してきた。

 ごん。

 手はリュックにぶつかって止まった。剛田がぐっと押し返すと、手は車内に引っこんだ。

「……本当に鉄板だな」と理崎がささやいた。

「だろ」

 剛田もリュックを構えたまま、窓の下をくぐり抜けた。

 三つ目の窓。閉まっている。通り過ぎる。

 次は四つ目だ。三人が足を速めた、そのとき。

「――忍法、抜き足差し足でござる……」

 しんがりのハットリが、ささやき声で言った。

 ぱきっ。

 ハットリの足の下で、乾いた音がした。柵の隙間から線路側に倒れこんでいた、枯れた竹の枝だった。かがんで歩いていたハットリの目には、ちょうど死角になっていた。

 車内のゾンビたちが、一斉にこちら側の窓に押し寄せた。閉まった窓ガラスに、灰色の顔がいくつも張りつく。

「ハットリ……」

「い、今のは忍法ではなかったでござる……こ、弘法の川流れでござる……申し訳ないでござる……!」

「ことわざが混ざってる。謝るのはあとで聞く。止まるな、進め!」

 四つ目の窓から、三本、四本と手が突き出してきた。リュック一つではふさぎきれない。

 剛田はリュックを窓に押し当てたまま、空いた片腕を大きく広げた。伸びてくる手首を片っ端からつかんでは、車内に押し戻す。

「行け!」

 理崎とハットリが、剛田の背中と柵のあいだを、体を縦にしてすり抜けた。

 五つ目、六つ目。閉まっている窓の向こうで、灰色の顔がガラスを叩きながらついてくる。

 七つ目の窓。理崎が叫ぶより先に、剛田はもう動いていた。窓の真下に回りこみ、開いていた上半分のガラスを手のひらで思いきり押し上げて閉める。

 ばんっ。

 突き出しかけていた手が、慌てたように引っこんだ。

 三人は車両の先頭を回りこみ、開けた線路に転がり出た。

 剛田のシャツの袖が、肩のところでびりびりに裂けていた。

「剛田殿! 噛まれたでござるか!?」

「いや、つかまれただけだ」剛田は裂けた袖を見て、肩をすくめた。「……まあ、前から裂けそうだったしな」

 三人はそのまま走った。振り返ると、電車の開いたドアから、ゾンビが一体、二体と線路に降りてきていた。

 百メートルほど走ったところで、理崎が息を切らせて手を挙げた。

「……もう、いい。走らなくていい」

 ゾンビたちは線路の上をこちらに向かって歩いてきていたが、相変わらず遅かった。ずる、ずると足を引きずって、二十メートルほど後ろをついてくる。

「早歩きで十分だ。この速度差なら追いつかれない」

 そこで、ハットリが立ち止まった。

 黒装束の頭巾を取り、二人に向き直って、深々と頭を下げる。

「剛田殿、理崎殿。さっきは本当に申し訳なかったでござる。拙者の不注意で、お二人を危ない目にあわせたでござる。特に剛田殿は、拙者のせいで腕をつかまれて……」

 剛田と理崎は顔を見合わせた。

「……あれは、しょうがねえだろ」と剛田。「かがんでたら、足元なんか見えねえよ。俺が先頭だったら、俺が踏んでた」

「枝は柵の向こうから倒れてきていた。誰が踏んでもおかしくない位置だった」と理崎。「それに、君がしんがりで後ろを見ていたから、俺たちは前だけ見て進めた」

「……お二人とも」

「次から気をつけりゃいい。それだけだ」

 剛田がハットリの頭を、ぽんと軽く叩いた。

「……次は、足元をよく見るでござる」

 ハットリは頭巾をかぶり直して、少しだけ鼻をすすった。

「三人だけなら、こんなもんか」と剛田。

「ああ。三人だけなら、どうにでもなる」と理崎。

 ハットリがぐっと親指を立てた。理崎と剛田も、つられて親指を立てた。

 

◇

 

 それから三十分。

 三人は早歩きで南へ進んでいた。後ろには相変わらず、電車から降りてきたゾンビが数体、二十メートルの距離を保ってついてくる。走るほどではない。かといって、止まるわけにもいかない。

 つまり、暇だった。

「ところで」

 沈黙を破ったのはハットリだった。

「お二人の好みの女子は、どのような方でござるか」

「は?」

「今?」

「今でござる! 長旅の夜には恋の話と、日本の修学旅行の伝統でござる!」

「まだ昼だし、修学旅行でもねえよ」

 そう言いながら、剛田は少し考えた。後ろのゾンビが、頷くように「あ゛ー」と言った。

「……メシをうまそうに食う子、かな」

「ほう」

「うまそうに食う奴に、悪い奴はいねえ。あと、俺が作ったサラダチキンを食って、うまいって言ってくれたら最高だ」

「意外と家庭的でござるな」

「鶏むね肉の低温調理は得意だぞ。炊飯器を使うんだ」

 次に、二人の視線が理崎に向いた。理崎は眼鏡を押し上げた。

「好みの女性像を論じるには、まず評価軸を定義する必要がある。第一に知性。会話において論理の飛躍がないこと。第二に知的好奇心。未知の事象に対して、拒絶ではなく関心を示すこと。第三に趣味への理解。特にアニメについて、作品の背景にある文脈を――」

「長えよ」

「――つまり」

 理崎は咳払いをした。少し間があった。

「……優しい子、だな」

 剛田とハットリが、同時に吹き出した。

「最初からそう言えよ!」

「理崎殿、今の三十秒の前置きはなんだったでござるか!」

「うるさい。プロセスが大事なんだ」

 理崎は耳まで赤くなっていた。

「で、ハットリは」

「拙者は、くのいちでござる!」

「だから、くのいちって何だよ」

「女忍者でござる! 闇に生き、影に舞い、ひとたび刃を抜けば――」

「いねえよ、そんなの」

「いるでござる! ……もしかしたら、早瀬殿は」

「それ昨日も言ってたな。違うって言われてたぞ」

「正体を隠すのも、くのいちの務めでござる」

 ハットリは自信満々だった。剛田と理崎は、もう何も言わなかった。

「……なあ」

 剛田が真剣な顔で言った。

「そもそも女子って、何話せばいいんだ」

「共通の話題だ」と理崎が即答した。「相手の関心領域を推定し、自分の知識との交差部分を――」

「実践あるのみでござる!」

 ハットリが、早歩きのままくるりと振り返った。後ろのゾンビたちが、心なしか興味深そうにこちらを見ている。

「拙者が女子の役をやるでござる! お二人は、拙者に話しかけるでござる!」

「は?」

「では剛田殿から。――剛田くーん、おはよー!」

 黒装束の金髪男子が、裏声で手を振った。剛田は一瞬ひるんだが、咳払いをして背筋を伸ばした。

「お、おう。おはよう。……今朝、鶏むね肉を二百グラム食った」

「……そ、そうなんだ~」

「タンパク質は一食あたり三十グラム前後が吸収の目安と言われててな。だから俺は一日六回に分けて――」

「長いでござる! 女子が三歩下がったでござる!」

 後ろのゾンビまで、一歩下がった気がした。

「まだ本題に入ってねえぞ」

「本題はタンパク質でござったか!?」

「次、理崎殿! ――理崎くーん、おはよー!」

 理崎は眼鏡を押し上げた。

「おはよう。昨日の深夜の第七話は見たか」

「え? な、何の話……?」

「見ていないのか。では説明しよう。あの回は作画監督が交代していて、特にBパート冒頭の背景美術に、一話から張られていた伏線の――」

「女子が五歩下がったでござる!」

「まだ伏線の説明が終わっていない」

「女子の心が終わったでござる!」

 後ろのゾンビが、頭を抱えたように見えた。

 剛田が腹を抱えて笑った。理崎は不満げに口をとがらせた。

「じゃあ、お前の番だ」と剛田。「俺が女子やってやる」

 剛田は、地の底から響くような低い声で言った。

「……ハットリくん、おはよう」

 ハットリは、その場にさっと片膝をついた。砂利の上に。早歩きの途中で。

「姫! 拙者、命に代えても姫をお守りいたすでござる! It's a ニンジャ・タイム!」

「……キモ」

「剛田殿!?」

「悪い。役に入りすぎて、本音が出た」

「剛田殿にまで言われたでござる……」

 ハットリは片膝をついたまま、がっくりとうなだれた。後ろから迫るゾンビに気づいて、慌てて立ち上がり早歩きに戻った。

 理崎が静かに結論を述べた。

「検証結果。全員、話題が自分の趣味にしか向いていない」

「……それな」

「……それでござるな」

 しばらく、三人とも黙って歩いた。後ろのゾンビの足音と、砂利を踏む音だけが続いた。

「……ところで、非常に重要なことなんだが。答えはわかってるけど、念のため聞いておかなきゃいけないことがある」

 今度は剛田が口を開いた。

「お前ら、付き合ったこと、あるのか」

 沈黙。

 長い、長い沈黙だった。

「……ない」と理崎。

「……ないでござる」とハットリ。

「俺もない」と剛田。

 三人は早歩きのまま、それぞれ遠くを見た。

「手をつないだことは」と理崎。

「中学のフォークダンスで一回ある」と剛田。「相手の子が、手を数ミリ浮かせてた」

「……それは、つないだうちに入るのか」

「俺は入れてる」

「理崎殿は?」

「小学三年のバレンタインに、チョコをもらったことはある」

「おお!」

「クラス全員に配られた義理チョコだった。俺はそれが本命である可能性について、一週間分析を続けた」

「結果は」

「翌年、俺だけもらえなかった」

「……悪化してるじゃねえか」

「拙者は、AIRIと手を握ったことがあるでござる!」

「は?」

「VR握手会でござる。三時間並んだでござる」

「それは数に入らない」

「入るでござる! あのときAIRIは拙者に『いつもありがとう』と言ってくれたでござる!」

「全員に言ってるよ、それ」

 三人は、また黙った。

 そのとき、背後の足音が止まった。

 三人もつられて足を止め、振り返った。

 二十メートル後ろ。先頭を歩いていた、くたびれたスーツ姿のサラリーマン風のゾンビが、線路の真ん中で立ち止まっていた。

 ゾンビはゆっくりと首を左右に振った。それから肩をすくめ、両方の手のひらを上に向けた。

 やれやれ、のポーズだった。

「……」

 三人が固まっていると、ゾンビはさらに片手を額に当てて、天を仰いだ。

「あ゛ぁぁぁぁー……」

 長い長い、ため息だった。

 そしてゾンビはくるりと三人に背を向けた。しっしっと追い払うように片手をひらひら振りながら、電車のほうへ帰っていく。後ろについてきていた他のゾンビたちも、顔を見合わせるように首を傾け、ぞろぞろとそれに続いた。

 線路の上には、三人だけが残された。

 長い沈黙のあと、剛田が言った。

「……今、俺たち、ゾンビに見捨てられなかったか」

「気のせいだ」と理崎。「ゾンビに知性はない。今のは偶然の筋肉の痙攣だ。……たぶん」

「今のは『やれやれ』のポーズでござる。アメリカではよく見るやつでござる。父上が、拙者の通知表を見たときによくやるでござる」

「詳しく解説すんな」

「追う価値もないと判断されたでござる……」

「ゾンビにすら興味を持たれないのか、俺たちは……」

 三人は去っていくゾンビたちの背中を、しばらく呆然と見送った。

 剛田は、なぜか急に吹っ切れたような顔で空を見上げた。

「よし。生きて帰ったら、俺、彼女作るわ」

「やめろ。それは死亡フラグだ。撤回しろ」

「撤回する」

「拙者も撤回するでござる」

「お前は何も言ってないだろ」

 

◇

 

 午後になって、線路は大きな川を渡った。

 霞川の鉄橋。鉄骨の枠に囲まれた細い橋の上を、三人は一列になって渡った。真ん中あたりで、剛田がふと足を止めて振り返った。

 北宿の町が見えた。

 遠く、田んぼの向こうに見慣れた町並みがあった。駅前のビル、学校の体育館の屋根、ショッピングモールの看板。そのあちこちから、黒い煙が何本も空に立ちのぼっていた。

 川沿いの国道には、車が延々と連なっていた。どこまでも、どこまでも。一台も動いていなかった。

 頭上を、低い音が通り過ぎた。

 ヘリコプターだった。濃い緑色の、大きな二つのローターがついた機体。それが三機、編隊を組んで南の空へ飛んでいく。

「自衛隊の輸送ヘリだ」と理崎が言った。「南に向かっている。……朝霧駐屯地のほうだ」

 三人はしばらく黙ってヘリを見送った。

「母ちゃん、ちゃんと逃げたかな」

 剛田がぽつりと言った。

 理崎は少し考えてから答えた。

「君の母親は、君を育てた人だ。たぶん、相当強い」

「……そうだな。うちの母ちゃん、米俵かついで階段上がるからな」

「拙者の父上と母上も、きっと大丈夫でござる。父上はアメリカ人ゆえ、こういうときはまず車に乗って、ハイウェイを飛ばすでござる」

「この国道を見る限り、それは一番まずい選択肢だが」

「……バスに乗っていることを祈るでござる」

 三人は少しだけ笑った。それから前を向いて、鉄橋の残りを渡りきった。

 ヘリの音が消えた南の空は、少しだけ近く感じた。

 

◇

 

 日が傾きかけたころ、線路の先に踏切が見えてきた。

 片側一車線の道路が線路を横切る、警報機のついた小さな踏切だ。その手前で軽トラックとワゴン車が衝突して止まっていて、周りに十体ほどのゾンビがたむろしていた。

 三人は線路脇の電柱の陰にしゃがみこんだ。

「数が多いな」と剛田。「横を突っ切るのは厳しいか」

「全員がこちらに気づけば、包囲される」と理崎。「何かで、あいつらを一か所に集めたい」

「では拙者が、様子を見てくるでござる! 今度は足元をよく見て……」

「待て、ハットリ――」

 ハットリは足元をじっと見つめながら、電柱の陰から一歩踏み出した。

 からん。

 足元ばかり見ていたせいで、草むらに転がっていた空き缶に気づかなかった。いや、気づいてはいたのだ。ただ、避けようとして逆に爪先で引っかけた。空き缶はレールに当たって、カンカンカンと派手な音を立てて転がった。

 十体のゾンビが、一斉にこちらを向いた。

「……ハットリ」

「も、申し訳ないでござる……! よく見ていたのに、足が勝手に……!」

「謝るのはあとだ」

 ゾンビたちが、ゆっくりとこちらに向かって歩き出した。

 理崎は踏切を見ていた。正確には、踏切の脇に立つ、黒と黄色の縞模様の警報機を。

「……剛田。針金を持っているか」

「お前の鞄に入ってるだろ。なんでも拾うから」

 理崎は鞄をひっくり返した。ネジ、電線、乾電池、結束バンド。その中からビニール被覆の太い銅線を一本つまみ上げると、線路に飛び出した。

「おい、理崎!」

 理崎は、ゾンビたちと踏切のちょうど中間あたりでしゃがみこみ、二本のレールに銅線をまたがせるように押し当てた。

 カン、カン、カン、カン――。

 踏切の警報機が鳴り出した。赤いランプが左右交互に点滅する。

 こちらに向かってきていたゾンビたちが、足を止めた。首をかしげ、ぐるりと振り返り、鳴り響く警報機のほうへぞろぞろと引き返していく。

「な、何をしたでござるか!?」

「軌道回路だ」理崎は銅線を押さえたまま、早口で言った。「線路には弱い電流が流れていて、電車の車輪が二本のレールをつなぐと、それを検知して踏切が鳴る。だから銅線でレールをつなげば、電車が来たと勘違いさせられる。北宿線の踏切は昔ながらの方式で、停電しても非常用のバッテリーでしばらく動く。……鳴るかどうかは、正直賭けだったが」

「……お前、それいつ覚えたんだ」

「小五の夏休みの自由研究で、北宿線の踏切を全部調べた。保線区の見学会にも三回行った」

 ゾンビたちは警報機の柱のまわりに集まって、点滅するランプを見上げていた。何体かが、カン、カンという音に合わせて、首を小さく揺らしている。

 ハットリだけがそれに気づいて、また少しだけ口元を緩めた。

「今のうちだ。踏切の反対側の端を、一気に抜ける。剛田」

「おう」

 剛田は理崎をひょいと背負った。

「……おい、自分で走れる」

「お前が走るより、俺が背負って走ったほうが三倍速い」

「……反論できないのが腹立たしい」

 先頭はハットリ。黒装束が、夕暮れの線路を音もなく駆けていく。その後ろを、理崎を背負った剛田がどすどすと続く。

 警報機の柱に群がるゾンビたちの背中を横目に、三人は踏切の反対の端を一気に駆け抜けた。誰も振り返らなかった。ゾンビたちは、まだ鳴り続ける警報機に夢中だった。

 踏切を百メートルほど過ぎたところで、剛田は理崎を下ろした。三人は線路の上に座りこんで、ぜえぜえと息をついた。

 息が整うと、ハットリはその場で正座をした。

「改めて、申し訳なかったでござる。今日二回目でござる。足元を見ると言ったそばから……」

「まあ、夕方で足元暗かったしな」と剛田。「それに、おかげで理崎の自由研究が役に立った」

「小五の俺が、七年越しに報われた」と理崎。

「……では、結果的に、作戦通りでござるか?」

「それは自分で言うな」

 剛田がハットリの頭巾を軽く小突き、三人は声を上げて笑った。

 遠くで、警報機がまだカンカンと鳴っていた。

 

◇

 

 霞台駅に着いたのは、日が沈む少し前だった。

 北宿線の途中駅。北宿南駅より少し大きく、ホームが二つと小さな駅舎がある。三人はホームのベンチに倒れこむように座った。剛田がリュックからサラダチキンの最後の一つを出して、三等分した。

「今日はここまでだな」と剛田。「暗くなってから線路を歩くのは危ねえ」

「同感だ。今日一日でだいたい十五キロ。悪くないペースだ」

「三人だけなら、このまま三日もあれば着きそうでござるな!」

 ハットリが伸びをしながら、駅の向こうの住宅街を見渡した。

 そして、動きを止めた。

「……剛田殿。理崎殿。あれを」

 ハットリが指さした先。駅から二百メートルほど離れた、古い二階建ての一軒家。その二階のベランダの手すりに、白いバスタオルがかけられていた。

 タオルには、黒いマジックで大きな字が書いてあった。

 『たすけて』

 ベランダの窓の奥で、小さな光がちかちかと点滅していた。懐中電灯だ。誰かがこちらに向かって振っている。

 家の門の前には、ゾンビが四、五体、ゆらゆらと立っていた。

 三人は、しばらく何も言わなかった。

 口を開いたのは理崎だった。

「……合理的に考えれば」

 眼鏡を押し上げる。

「三人だけなら、見なかったことにして、明日の朝この駅を出るのが一番安全だ。俺たちには、他人を助ける余裕も義務もない」

 剛田は黙って、サラダチキンの最後のひと切れを口に入れた。よく噛んで、飲みこんだ。

「……で?」

 理崎は大きなため息をついた。

「……行くんだろう?」

「当然でござる!」

 ハットリがベンチの上に飛び乗った。夕日を背に、黒装束の袖がはためいた。

「忍びは、困っている者を決して見捨てぬでござる!」

「忍者関係あるか?」

「あるでござる! 忍者は卑怯じゃないでござる、黄金の鋼の塊の魂でござるよ」

 剛田が立ち上がって、リュックを背負い直した。理崎が鞄を抱え、中身を確かめる。ハットリが、胸元のAIRIのぬいぐるみをぽんと一度だけ叩いた。

 ベランダの懐中電灯が、また、ちかちかと光った。

 三人だけの身軽な旅は、ここで終わろうとしていた。

 

第三章 線路は続くよ 了

 

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