もしもシェリハンが同じ高校に通ったらIf   作:さ兄

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第4話:優しさは推理できない

 四月の半ばを迎えた学園では、桜の花びらもすっかり姿を消し、代わりに若々しい緑が校庭を彩り始めていた。

 

 入学当初はどこか落ち着かなかった教室も、今ではすっかり賑やかになっている。休み時間になれば、あちこちから笑い声が聞こえ、放課後には友人同士で予定を立てる声が飛び交う。生徒たちは少しずつ新しい生活に馴染み、自分の居場所を見つけ始めていた。

 

 そんな中で、遠野ハンナにもひとつ、いつの間にか当たり前になった習慣ができていた。

 

「ハンナさん、おはようございます!」

 

 朝、校門をくぐると、決まって聞こえてくる明るい声。

 

「……おはようございます、シェリーさん。今日も元気ですわね」

 

「はい! 今日はハンナさんに聞きたいことがあるんです!」

 

「……朝から嫌な予感しかしませんわ」

 

「ひどいです! わたし、まだ何も言っていないのに!」

 

 頬を膨らませるシェリーを見て、ハンナは思わず口元を緩めた。

 

 最近は、こうして彼女と軽口を交わすことにも慣れてきた。最初の頃は、再会できた喜びと戸惑いが入り混じって、何を話せばいいのかさえわからなかったというのに。

 

 今では、シェリーが何かを言い出す前から、その内容を想像して身構えてしまうことさえある。

もちろん、それを本人に教えるつもりはない。

 

「それで、今日は何を聞きたいんですの?」

 

「ハンナさんって、苦手な食べ物はありますか?」

 

「……はい?」

 

 あまりに予想外の質問に、ハンナは足を止めた。

 

「苦手な食べ物です! 好きなものは少しずつわかってきたんですけど、苦手なものはまだ知らないなって思って!」

 

「そ、そんなことを調べて、どうするつもりですの?」

 

「うーん……いつか一緒に食事をするとき、ハンナさんが苦手なものばかりだったら困るじゃないですか!」

 

 シェリーは、さも当然のことのように答えた。いつか一緒に食事をする。その言葉が、ハンナの頭の中で妙に大きく響いた。

 

「……べ、別に、食べられないものなどありませんわ!」

 

「本当ですか? では、ピーマンは?」

 

「……少し苦手ですわ」

 

「やっぱり!」

 

「なっ……! 今のは質問の仕方がずるいですわよ!」

 

 シェリーが声を上げて笑った。ハンナは抗議しながらも、その笑顔を見ていると、怒る気持ちがどこかへ消えてしまうのを感じた。彼女は、こういう何気ない会話を大切にしてくれる。

 

 特別な出来事がなくても、昨日と同じように話しかけてくれる。こちらが何かを隠していても、無理に踏み込まず、隣にいてくれる。それがどれほどありがたいことなのか、ハンナはまだうまく言葉にできなかった。

 

「……シェリーさん」

 

「はい?」

 

「あなたは、本当に変なところに興味を持ちますわね」

 

「えへへ。ハンナさんのことなら、何でも知りたいですから!」

 

「――っ!」

 

 ハンナは思わず咳き込んだ。

 

「ハ、ハンナさん!? 大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫ですわ! あなたが突然おかしなことを言うからでしょう!」

 

「おかしなこと……?」

 

 シェリーは不思議そうに首を傾げる。どうやら、本気で自分の発言の意味を理解していないらしい。ハンナは額に手を当て、深く息を吐いた。この子と一緒にいると、心臓がいくつあっても足りない。それでも、明日もまた同じ言葉で迎えてほしいと思ってしまうのだから、我ながらどうしようもない。

 

     

 

 その日の午前中、ハンナは珍しく授業に集中できずにいた。原因は、机の上に置かれた一枚のプリントだった。来週、クラスで行われる共同発表についての説明書。数人のグループに分かれて資料を調べ、発表内容をまとめるという、ごく一般的な課題である。

 

 ハンナにとって、勉強そのものは苦ではなかった。必要な知識を整理し、順序立てて考えることは得意なほうだし、与えられた役割をきちんとこなす自信もある。問題は、グループの中でどのように振る舞えばいいのか、ということだった。

 

 すでにクラスメイトたちは、誰と組むか、何を担当するかといった話を始めている。自然に会話の輪ができていく中で、ハンナはその輪に入るきっかけを見つけられずにいた。別に、誰かと組みたくないわけではない。ただ、相手が自分をどう思っているのかを考え始めると、何を言えばいいのかわからなくなるのだ。以前の自分なら、こんなことで悩みはしなかっただろう。

 

 けれど、今の自分には、かつての記憶がある。人を信じることの難しさも、親しくなった相手との関係が、ほんの少しのことで変わってしまう怖さも知っている。だからこそ、何でもない会話ひとつにも、余計な意味を探してしまう。

 

「……面倒ですわね」

 

 ハンナは小さくつぶやき、プリントを裏返した。すると、隣から控えめな声が聞こえた。

 

「ハンナさん、どうかしましたか?」

 

 顔を上げると、シェリーがこちらを見ていた。

 

「……何でもありませんわ」

 

「でも、さっきからずっとプリントを見つめていますよ?」

 

「課題について考えていただけですわ」

 

「そうなんですね。もうグループは決まりましたか?」

 

「……まだですわ」

 

 正直に答えると、シェリーは少し考えるように視線を動かした。

 

「よかったら、わたしたち、一緒のグループになりませんか?」

 

 ハンナは目を見開いた。

 

「……あなたと?」

 

「はい! ハンナさんは物事を整理するのが上手ですし、わたしは調べるのが好きなので、きっといい組み合わせだと思うんです!」

 

 シェリーは楽しそうに続けた。

 

「それに、ハンナさんと一緒なら、発表の準備も楽しくなりそうです!」

 

 まただ。この子は、どうしてこうも簡単に、自分の心に触れる言葉を口にするのだろう。ハンナは一度、唇を結んだ。嬉しい。誰よりも先に、自分を誘ってくれたことが。自分の得意なことを知っていて、それを認めてくれたことが。そして何より、シェリーが自分と一緒に何かをしたいと思ってくれたことが。

 

 けれど、その嬉しさを素直に表現するのは、どうにも難しかった。

 

「……あなたがそうおっしゃるのでしたら、構いませんわ」

 

「本当ですか? やったあ!」

 

「ただし、調査に夢中になって、発表の準備を忘れることだけは許しませんわよ!」

 

「わかっています! ちゃんとハンナさんの指示に従います!」

 

「し、指示とまでは言っていませんわ!」

 

 二人で小さく笑い合う。そのとき、教室の前方から声が上がった。

 

「橘さん、もうグループ決まった? よかったら、私たちと一緒にやらない?」

 

 シェリーがそちらを振り返る。声をかけてきたのは、小春だった。

 

「あっ、小春さん!」

 

 シェリーは嬉しそうに手を振った。その反応を見た瞬間、ハンナの胸に、またあの小さな棘が戻ってきた。小春は悪い人ではない。シェリーと仲良くなったのも、自然なことだろう。むしろ、彼女に友人が増えるのは喜ばしいことのはずだ。それなのに。

 

「あのね、うちのグループ、あと一人入れるんだけど……」

 

「ありがとうございます! でも、わたしはハンナさんと組む約束をしたんです!」

 

 シェリーは、はっきりとそう答えた。小春が「あ、そうなんだ!」と笑う。

 

「じゃあ、また別の機会にね!」

 

「はい! またお話ししましょう!」

 

 小春が離れていくと、シェリーは何事もなかったようにハンナへ向き直った。

 

「では、何から始めましょうか?」

 

「……シェリーさん」

 

「はい?」

 

「……いえ。何でもありませんわ」

 

 ハンナは視線を落とした。今の返事が、どうしようもなく嬉しかった。自分と組む約束をしたから、ほかの誘いを断った。それだけのことだ。それだけなのに、胸の奥にあった不安が少しだけ和らいでいく。自分は、シェリーにとって、少なくとも今は、ちゃんと一緒にいたいと思える相手なのだ。その事実が、ハンナの心を温かく満たした。

 

     

 

 ところが、午後の授業が終わる頃には、ハンナは再び浮かない顔をしていた。グループ発表の資料を調べるため、放課後に図書室へ行くことになったのだが、シェリーは途中で教師に呼び止められてしまったのである。

 

「ごめんなさい、ハンナさん! 先生に提出する書類について、少し確認したいことがあるみたいで……」

 

「……構いませんわ。わたくしは先に図書室へ行っていますから」

 

「すぐに追いかけますね!」

 

 そう言って、シェリーは職員室のほうへ駆けていった。ハンナはその背中を見送り、ひとりで廊下を歩き始めた。図書室に着くと、課題に関係する本を探し、空いている席に資料を広げる。調べるべきことを整理しているうちに、少しずつ気持ちも落ち着いてきた。これなら、シェリーが戻ってきたときに、すぐに作業を始められるだろう。

 

そう思っていたのだが、しばらくして、ハンナはひとつの問題に気づいた。必要な資料の一部が、どうしても見つからない。書架を何度確認しても、目当ての本は貸し出し中らしく、別の資料を探そうにも、どれが適切なのか判断できなかった。

 

「……どうして、こんなに見つからないのですの」

 

 ハンナは本を閉じ、眉を寄せた。

 

 普段なら、わからないことがあれば人に尋ねればいい。けれど、図書室にはほとんど生徒がおらず、司書の先生も別の作業をしているようだった。それに、シェリーが戻ってくる前に、できるだけ自分で進めておきたかった。

 

 せっかく自分を誘ってくれたのだから、役に立ちたい。そう考えるほど、焦りが募っていく。

 

「……これくらい、ひとりでできなくてどうするのですわ」

 

 誰にも聞こえない声で、自分を叱った。何とかしなければ。ちゃんとしなければ。そう思えば思うほど、目の前の文字が頭に入ってこなくなる。気づけば、ハンナは本のページを開いたまま、じっと動けなくなっていた。

 

 そのとき

 

「……ハンナさん?」

 

 聞き慣れた声が、静かな図書室に響いた。顔を上げると、シェリーが入口に立っていた。

 

「お待たせしました! ……あれ?」

 

 シェリーはハンナの表情を見るなり、足を止めた。

 

「どうかしましたか?」

 

「……何でもありませんわ」

 

 反射的に答えた。けれど、シェリーはすぐに隣の席へ座ることも、矢継ぎ早に質問することもしなかった。ただ、机の上に広げられた本と資料を見て、静かに尋ねた。

 

「資料が見つからなかったんですか?」

 

 ハンナは、思わず目を伏せた。

 

「……少し、手間取っているだけですわ」

 

「そうでしたか!」

 

 シェリーはそれ以上、問い詰めなかった。代わりに、自分の鞄を机の横へ置き、ハンナの隣の椅子を引いた。

 

「では、わたしも一緒に探しますね!」

 

「……あなたは、よろしいの?」

 

「もちろんです! 二人でやる課題ですから!」

 

 シェリーはにっこりと笑った。

 

「それに、ハンナさんが困っているなら、力になりたいです」

 

 ハンナの胸が、きゅっと締めつけられた。困っている、そんな言葉が妙に優しく響いた。

 

 自分は今、困っているのだろうか。ただ資料が見つからないだけではない。うまくできない自分を見せたくなくて、誰かに助けを求めることができなくて、ひとりで何とかしようとしていた。

 

 そんな自分の気持ちを、シェリーは正確に理解しているわけではないだろう。それでも、彼女は隣に座ってくれた。理由を問いただすことも、無理に笑わせようとすることもなく、ただ一緒に探そうと言ってくれた。

 

「……シェリーさん」

 

「はい?」

 

「……わたくし、自分でできると思っていたのですけれど」

 

 気づけば、そんな言葉が口からこぼれていた。

 

「資料くらい、すぐに見つけられると思っていましたわ。でも、思うようにいかなくて……少し、焦ってしまいましたの」

 

 言い終えてから、ハンナははっとした。こんなことを話すつもりではなかった。できないことを認めるのは、苦手だ。ましてや、シェリーの前で弱音を吐くなんて。

 

 彼女に失望されたらどうしよう。そう考えて、ハンナは恐る恐る顔を上げた。シェリーは、驚いた様子も、呆れた様子も見せていなかった。ただ、穏やかな目でハンナを見つめていた。

 

「……話してくれて、ありがとうございます」

 

「……え?」

 

「ハンナさんが何を考えているのか、少しわかった気がします。わたし、いつもハンナさんのことを知りたいと思っているのに、こういう気持ちは、質問しただけじゃわからないんですね」

 

 シェリーは、机の上の本へ視線を落とした。

 

「わたし、調べたり考えたりするのは好きですけど、人の気持ちって、答えがひとつじゃないから難しいです」

 

 その言葉を聞いて、ハンナは目を瞬かせた。シェリーはいつだって、好奇心のままに人の心へ踏み込んでくる人だと思っていた。けれど、本当は彼女も迷うのだ。どうすれば相手の気持ちを理解できるのか。どうすれば、相手を傷つけずにそばにいられるのか。それを考えながら、自分と向き合ってくれていたのかもしれない。

 

「……あなたでも、わからないことがあるのですわね」

 

「ありますよ! いっぱいあります!」

 

 シェリーは少し照れくさそうに笑った。

 

「だから、これからもハンナさんにいろいろ教えてもらえたら嬉しいです。もちろん、話したくないことは、無理に話さなくてもいいですからね」

 

 ハンナは、しばらく何も言えなかった。その優しさが、胸の奥へゆっくりと染み込んでいく。

自分のすべてを知られてしまうのは怖い。けれど、何も話さずに距離を置くのも、もう嫌だった。

シェリーには、少しずつ知ってほしい。今の自分が何を好きで、何に悩み、どんなことを恐れているのか。そして、いつかは自分が彼女と一緒にいる時間を、どれほど大切に思っているのかも。

 

「……ありがとうございます、シェリーさん」

 

 今度は、きちんと相手の目を見て言えた。

 

 シェリーは一瞬驚いたあと、嬉しそうに笑った。

 

「どういたしまして!」

 

 それから二人は、並んで資料を探し始めた。

 

 シェリーは本の索引を確認し、ハンナは必要な情報をノートに整理する。ときどき意見が食い違って言い合いになりながらも、少しずつ作業は進んでいった。やがて、必要な資料が見つかったとき、シェリーは小さく声を上げた。

 

「ありました! ハンナさん、これです!」

 

「……本当ですわね。よく見つけましたわ」

 

「えへへ。ハンナさんが探していた本と、内容がつながっていたんです!」

 

「……あなたの調査好きも、たまには役に立ちますのね」

 

「たまに、ですか!?」

 

「ふふっ。冗談ですわ」

 

 ハンナが笑うと、シェリーもつられて笑った。静かな図書室に、二人の小さな笑い声が響いた。

その瞬間、ハンナは思った。こういう時間が、好きだ。何か特別なことが起きなくても、隣にシェリーがいて、同じものを見て、同じことで笑える。その当たり前のような時間を、これからも大切にしていきたい。

 

     

 

 帰り道、二人は並んで歩いていた。夕暮れの空には薄い雲が広がり、街路樹の若葉が風に揺れている。

 

「今日はありがとうございました、ハンナさん!」

 

 シェリーが突然、そう言った。

 

「……何のお礼ですの?」

 

「一緒に課題を進めてくれたことです! ハンナさんが整理してくれたおかげで、発表の方向性も決まりましたから!」

 

「それは、お互いさまですわ。あなたが資料を見つけてくれたから、先に進めたのですもの」

 

「そうですね! では、お互いにありがとうございます、ということで!」

 

「……何ですの、それは」

 

 ハンナは呆れたように笑った。けれど、シェリーが嬉しそうにしているのを見ると、自分まで自然と笑顔になってしまう。しばらく歩いたところで、シェリーがふと足を緩めた。

 

「……あの、ハンナさん」

 

「何ですの?」

 

「今日、少しだけ頼ってくれましたよね」

 

 ハンナの心臓が跳ねた。

 

「なっ……! べ、別に、頼ったというほどのことではありませんわ!」

 

「そうですか?」

 

「そうです!」

 

 シェリーはくすくすと笑った。

 

「でも、わたしは嬉しかったです」

 

「……どうしてですの?」

 

「ハンナさんが困ったときに、わたしのことを頼ってくれたからです。いつもはわたしが質問してばかりですけど、今日は一緒に考えることができましたから」

 

 ハンナは、返す言葉を失った。頼ることは、弱さではない。シェリーはそう言ってくれているのだ。

 

 自分が何もかもひとりで抱え込まなくてもいいように。

 困ったときには、隣にいてくれるように。

 

 その言葉が、どれほど嬉しいことなのか。ハンナは、もうごまかせなかった。

 

「それなら」

 

「はい?」

 

「これからも、困ったときには相談してもいいでしょうか?」

 

 できるだけ偉そうに言ったつもりだった。けれど、最後のほうは少し声が小さくなってしまった。シェリーは、目を丸くしたあと、ぱっと笑顔を輝かせた。

 

「もちろんです! いつでも聞きます!」

 

「……いつでも、というのは大げさですわ」

 

「では、ハンナさんが困ったときは、できるだけ早く駆けつけます!」

 

「それも大げさです!」

 

 二人はまた笑った。交差点に差しかかり、そろそろ別々の道へ進まなければならなくなったとき、ハンナはふと、シェリーの袖をつまみそうになった。もう少しだけ、一緒にいたい。今日のように、隣で話をしていたい。けれど、指先は制服の裾を握っただけで止まってしまった。

 

 その小さな動きに、シェリーが気づいた。

 

「……ハンナさん?」

 

「な、何でもありませんわ!」

 

 ハンナは慌てて手を離した。シェリーは少しだけ不思議そうな顔をしたあと、優しく微笑んだ。

 

「では、また明日ですね。明日も一緒に登校しましょう!」

 

 ハンナは胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 

「……ええ。明日も、よろしくお願いしますわ」

 

 今度は、素直にそう答えることができた。

 

     

 

 その夜、シェリーはいつものノートを開いていた。今日の調査結果をまとめようとペンを持ったものの、しばらく何も書けずにいた。頭に浮かぶのは、図書室で見たハンナの表情だった。

 

 困っていることを打ち明けてくれたときの、少し不安そうな顔。自分の言葉を聞いて、ほっとしたように笑ってくれた顔。そして、帰り際に「これからも相談して差し上げてもよろしくてよ」と言ってくれたときの、照れくさそうな横顔。

 

「……ふふっ」

 

 思わず笑みがこぼれた。もっと知りたい。ハンナが何を考えているのか、どんなことを嬉しいと思うのか、何を怖いと感じるのか。でも、知ることばかりに夢中になってはいけないのだろう。

相手が自分から話してくれるまで待つことも、きっと大切なのだ。

 

 シェリーはノートに、ゆっくりと書き込んだ。

 

『調査記録:遠野ハンナ』

 

『本日の発見。ハンナさんは、何でもひとりで頑張ろうとするところがある。でも、困ったときに頼ってくれたのが、わたしはとても嬉しかった』

 

 そこまで書いて、ペンが止まる。シェリーは少し考え、最後に一文を付け加えた。

 

『これからも、ハンナさんが安心して頼れる相手でいたい』

 

 書き終えた文字を見つめ、シェリーは小さくうなずいた。今はまだ、この気持ちが何なのかはわからない。ただ、ハンナが笑ってくれると嬉しい。ハンナが困っているときには、そばにいたい。

 

 そして明日も、明後日も、その先も。彼女と一緒に過ごせる時間が続けばいいと思っている。

 

一方、ハンナもまた、自分の部屋で今日の出来事を思い返していた。机の上には、シェリーからもらったクッキーの包みが置かれている。

 

 昨日、もったいなくて食べれなかったものだ。ハンナはリボンをほどき、ひとつ口に運んだ。

 

「……おいしい」

 

 思わず、そうつぶやいた。甘さが口の中に広がり、自然と頬が緩む。シェリーは、どうしてこれを自分にくれたのだろう。ただ、食べてほしかったから。きっと、それだけなのだ。それでも、ハンナにとっては大切な贈り物だった。誰かから何かをもらうこと自体が特別なのではない。

 

 シェリーが、自分のことを思い浮かべて選んでくれたこと。それが、何よりも嬉しかった。

 

「……本当に、困った方ですわね」

 

 ハンナはクッキーを大切に食べた。そして、窓の外を見つめる。夜空には、いくつもの星が瞬いていた。明日もシェリーに会える。明日も、きっと話ができる。その小さな約束を胸に抱きながら、ハンナは静かに目を閉じた。優しさは、推理するだけではわからない。

 

 言葉にしてもらって、触れてみて、時には自分から信じてみて、初めて気づくものもある。そして今、ハンナは少しずつ学び始めていた。

 

 誰かに頼ることも。

 誰かの優しさを受け取ることも。

 そして、隣にいてほしいと願うことも。

 

 決して、恥ずかしいことではないのだと。

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