女子高生ですが、傭兵やってます。依頼は放課後にて。 作:とびー君
距離は2メートルもなかった。
銃口を向ける間もなく、試験体の腕が動いた。反射的に身を沈めると、頭上を通過した刃が背後の柱をえぐり、砕けたコンクリートが頬を打つ。私はそのまま床を蹴って横へ転がり、遮蔽物の陰へ逃げ込もうとしたが、試験体は着地するなりこちらへ向き直り、長い腕を折り畳むようにして追撃を仕掛けてきた。
間に合わない。
そう判断した瞬間、銃を握ったままの腕を引き、身体ごと後ろへ倒れ込んだ。刃が胸元をかすめ、防弾ベストの表面を裂いていく。床に背中を打ちつけた衝撃で息が詰まったものの、倒れた姿勢のまま引き金を引くと、銃弾が試験体の腹部へ吸い込まれた。白い衣服に血が滲む。それでも動きは止まらず、振り下ろされた刃が床を砕いた。
私は転がるようにその場を離れた。
今私が生き残ったのは単に、他の傭兵たちに注意が向いたからだ。四方八方からの弾丸を這いつくばって避ける。
私がいようがお構いなし。
全員が恐怖していた。
開始前、32人もいれば何とかなると考えていた自分が、ひどく楽観的だったように思える。人数が多いことは、全員が冷静に動けて初めて有利に働く。今の私たちは、各自が自分の命を守ることだけで精いっぱいだった。
壁の表示器に目を向けると、残り時間は7分を切っていた。
まだ2分も経っていない。
思わず顔をしかめ、私は新しい弾倉を装填した。時間は確実に進んでいるのに、体感では何倍も長く感じられる。
試験体は中央付近で複数の傭兵を相手にしていた。弾丸を浴びながらも、標的を定めると一気に距離を詰め、相手が身を隠す前に腕を振るう。遮蔽物が邪魔になれば切り裂き、逃げ道があれば先回りする。縫い閉じられた目からは何も読み取れないが、少なくとも無作為に暴れているわけではなかった。
私が撃ったときにも、試験体はすぐにこちらへ向き直った。銃声を頼りにしているのか、それとも別の感覚で位置を把握しているのかはわからない。いずれにしても、撃ち続けていれば居場所を知らせることになる。
必要なときだけ撃つ。それ以外は、遮蔽物を利用して移動する。
そう決めて、私は次の柱へ向かった。
そのとき、試験体がこちらへ跳躍した。
反応が遅れた。白い身体が視界を横切り、目の前の金属板を踏み越えて着地する。私はすぐに反対側へ回ろうとしたが、試験体の腕が横へ伸び、進路を塞ぐように刃が振るわれた。足を止めるしかなかった。
逃げ道がない。
そう思った瞬間、試験体の背後から銃声が響いた。白い身体がわずかに傾く。私はその隙を逃さず、柱と金属板の間へ滑り込んだ。刃がすぐ後ろの金属板を切り裂き、破片が背中に当たったが、立ち止まることなく走り続けた。
距離を稼いだところで、私はようやく息を吐いた。
助かった。今度も、別の傭兵が撃ってくれたおかげだ。
残り5分を切った。
私は弾倉を確認し、残弾が少なくなっていることに気づいた。先ほど焦って撃ちすぎたらしい。予備弾倉はあるものの、無駄撃ちを繰り返せば最後までもたない。銃弾が尽きたあと、素手で試験体から逃げ切れるとは思えなかった。
できる限り撃たずに済ませたい。
私は柱の陰に身を寄せ、試験区域を見渡した。南側の壁には、退避位置を示す黄色いラインが見える。終了後はあそこまで移動する必要があるが、今の時点で近づきすぎるのも危険だった。試験体が南側へ移動してくれば、逃げ道を失う可能性がある。
そこで、私は中央から少し離れた柱の列を利用することにした。試験体との距離を保ちながら、射線が通る場所を避けて移動する。銃声が近づけば身を隠し、試験体が別の傭兵を追っている間に少しずつ進む。遠回りでも、いきなり標的にされるよりはましだった。
その途中で、私は床に落ちている拳銃を見つけた。
誰かが落としたものだろう。私は周囲を確認し、すぐ近くに試験体がいないことを確かめてから、銃を拾い上げた。弾倉が残っているかまでは確認せず、自分の装備と一緒に抱えて次の遮蔽物へ移る。
その直後、背後で大きな音がした。
試験体が柱の向こうから現れた。
こちらを向いている。私は銃を構えたものの、残弾が少ないことを思い出して引き金を引くのをためらった。試験体はゆっくりと腕を持ち上げ、刃の先端を床へ向ける。その姿を見た瞬間、私は決断した。
撃たずに逃げる。
柱の反対側へ回り込み、次の遮蔽物へ走る。試験体が追ってくる気配がしたが、私は振り返らなかった。金属が削れる音が響き、刃がすぐ近くの壁へ食い込む。私はその隙に身体を滑り込ませるようにして遮蔽物の裏へ回り、試験体の進路から外れた。
息が苦しい。脚も重い。それでも、まだ走れる。
残り2分。
ここまで来れば、ようやく終わりが見えてきた。私は南側の壁に沿って進み、黄色いラインの手前にある柱の陰へ身を寄せた。試験体は遠くにいる。銃声が数回響き、白い身体が別の方向へ向きを変えるのが見えた。
今なら、ここで待てるかもしれない。
ただし、残り時間がゼロになったからといって、それだけで契約が終わるわけではない。終了の合図が鳴ったあと、指定位置まで移動して初めて達成扱いになる。私は黄色いラインまでの距離を確かめ、いつでも走り出せるように足を構えた。
残り30秒。
銃声が途切れた。
私は柱の陰から少しだけ顔を出し、試験体の位置を確認する。白い身体は中央付近にいた。傷だらけになっているものの、倒れる様子はない。周囲の傭兵も、すでに弾が尽きたのか、遮蔽物の裏へ身を隠したまま動かない者が増えていた。
残り20秒。
私は拳銃を握り直した。あと少しだ。ここまで逃げ切ったのだから、最後まで気を抜くわけにはいかない。
残り10秒。
私は息を止め、表示器の数字を見つめた。
そして、ブザーが鳴った。
試験終了を告げる電子音が試験区域に響き渡る。私は柱の陰から飛び出し、黄色いラインへ向かって走り始めた。ほかの傭兵たちも一斉に動き出す。足音が重なり、装備の金具がぶつかり合う音が広い空間を満たした。
理解していた。これはババ抜きだ。
合図が鳴ったあとも試験体は動いている。全員が同じ方向へ走れば、その動きに気づいた試験体が誰かを追う可能性は高い。ただ、退避位置までは全員が走り続ける。よほど運が悪くない限り、1人が狙われたところで、ほかの者まで巻き込まれることはないだろう。
重い着地音が1度。続いて、金属板を踏み越える鋭い音。私は走りながら振り返り、試験体がこちらへ向かってくるのを見た。周囲にはまだ何人も走っている。なのに、白い身体はほかの誰にも向かわず、まっすぐ私を追っていた。
ババを引いたのは、私だった。
距離が一気に縮まる。私は銃を後ろへ向けて撃ったが、走りながらでは狙いが定まらず、弾丸は試験体の脇を抜けていった。撃ち続ければ足止めできるかもしれない。そう考えて2発目を放とうとした瞬間、試験体の腕が伸び、刃が私のすぐ横を通過した。銃を持つ手が弾かれ、拳銃が床を滑っていく。
拾う暇はなかった。
私は進路をわずかに変え、倒れた金属板の隙間へ身体を滑り込ませた。刃が背後の板に食い込み、進路を塞ぐ。試験体が腕を引き抜くまでのわずかな時間に、私は立ち上がって走り出した。黄色いラインはもう目の前だ。あと数十メートル。ここまで来て捕まるわけにはいかない。
しかし、試験体が金属板を切り裂き、再び追ってくる私は振り返らず、手前の柱を回り込む。刃が柱の角を削り、コンクリートの破片が飛んできた。速度を落とせば追いつかれる。直線で走れば、次の一撃を避ける余裕がない。
私は柱を回り込んだ勢いのまま、近くの遮蔽物を蹴って進路を変えた。試験体の腕が私のいた場所を薙ぎ、刃先が床をえぐる。私はよろめきながらも足を踏み出し、黄色いラインへ向かって最後の距離を詰めた。
ラインを越えた。
それでも足は止めなかった。指定位置まであと数歩。背後で試験体が着地する音が響く。私は転びそうになりながらも走りきり、退避位置の内側へ飛び込んだ。
直後、刃が床を打った。
振り返ると、試験体は黄色いラインの向こう側にいた。長い腕が伸びてくる。私は反射的に身を引いたが、その刃が届くことはなかった。警備員たちが間に入り、重装備の隊員が試験体へ向けて構えを取る。背後では収容扉が開き、別の隊員たちが通路を確保していた。
私はその場に立ち尽くしたまま、ようやく息を吐いた。
膝が震えている。肩は痛むし、呼吸をするたびに胸が苦しい。それでも、身体のどこにも致命的な傷はなかった。警備員に肩を支えられ、試験区域の外へ誘導される途中で、私は何度も振り返った。試験体は隊員たちに囲まれながら、北側の収容扉へ戻されていく。扉が閉まり、重い金属音が響いて、ようやく白い身体が見えなくなった。
試験終了。契約達成。
その事実を告げられても、しばらく実感が湧かなかった。私は壁に背を預け、渡された水を飲んだ。周囲には私と同じように座り込んでいる傭兵が何人もいて、会話らしい会話は聞こえてこない。全員、ようやく生きて出られたという事実を飲み込んでいる最中なのだろう。
やがて報酬の説明を受け、私はスマートフォンで学費の残額を計算した。
1,103,000円。
期限まで、あと17日。
私は画面を閉じ、震えの残る手でスマートフォンをポケットへしまった。
私は肩をかばいながら立ち上がり、出口へ向かった。生きて帰れた。とりあえず、今日はそれで十分だった。