鐘の音で、ルイズは目を開けた。
今度は、窓の向こうが明るかった。
枕へ頬を押しつけたまま、少しだけ目を細める。身体には、まだ眠りの重さが残っていた。
窓際で、椅子の軋む音がした。
エメトセルクが、膝の毛布を畳んでいる。
長い指が布の端を揃えるのを見て、ルイズは、別の手を思い出した。
白い花のそばで、黒い袖を揺らしていた手。
その持ち主が、隣の男へ何かを言い、男が呆れた顔をしていた。
朝の光の中に、その庭園はなかった。
見慣れた机と、椅子と、鞄がある。
「……起きているわよ」
エメトセルクがこちらを向くより先に、ルイズは言った。
「まだ何も、尋ねておらんが」
「起こされる前に、言っただけよ」
彼は毛布を椅子の背へ掛けた。
ルイズも身を起こし、ベッドを出る。
制服へ着替える間、エメトセルクを廊下へ出した。扉を閉めてから、机に置いた鞄を確かめる。
錬金の教科書を開くと、昨夜挟んだ紙が出てきた。
石。呪文。杖を向けたところ。
その下は、何度か書き直してあった。
彼女は続きを書こうとして、やめた。
今、思い出したつもりになっても、昨日より正確になるとは限らない。
紙を戻し、本ごと鞄へしまう。
廊下へ出ると、エメトセルクは窓の外を眺めていた。
「お待たせ」
「支度は済んだかね」
「見ればわかるでしょう」
ルイズは先に歩き出した。
階段では、ほかの生徒たちと行き合った。すれ違った少年がこちらへ目を向け、隣の友人へ何かを囁く。
昨日の決闘の話らしい。
エメトセルクは気にした様子もなく、彼女の後ろを歩いていた。
食堂へ続く廊下に入ってから、ルイズは少し歩く速さを落とした。
「ねえ。あなた、前はどんな仕事をしていたの?」
男の視線が下りてきた。
「朝から、唐突だな」
「別に。少し気になっただけよ」
夢の中で、彼は仕事の話をしていた。
聞き慣れない名前の誰かを、見に来たのだと言って。
けれど、そうは言わなかった。
「貴族に近い立場だった、みたいなことを言っていたでしょう。ずっと、人に命令していたの?」
「随分と、幅の狭い仕事の想像だな」
「じゃあ、何よ」
「人をまとめたり、判断を求められたり。時には、面倒な問題の後始末もした」
ルイズは、少し考えた。
「……役人みたいな?」
「そういう時期もあった」
「大変だったの?」
「他人の起こした問題を引き受けるのが、楽な仕事に見えるかね」
それは、見えなかった。
父のもとへ届けられる書状や、それを読んだ後の顔を思い出す。
「でも、自分で決めたこともあるんでしょう」
エメトセルクは、一度だけ彼女を見た。
「ああ。もちろん、ある」
短い返事だった。
ルイズは、その先を聞こうとして口を閉じた。
今朝、夜明けに尋ねた友人のことと、どこかでつながっているのだろうか。
そこまでは、わからない。
目の前の男は、食堂の入口より手前で足を止めた。
「では、私は厨房へ」
「……ええ。授業には、遅れないでよ」
「お前こそ、食事の間に質問を増やしすぎないようにな」
「増やしてないわよ!」
返事が廊下へ響いた。
ルイズは周囲を見回し、少し声を落とした。
「図書館は、午前の授業が終わってからだからね」
「覚えている」
エメトセルクは、厨房へ続く方へ歩いていった。
彼女はその背を見送り、食堂へ向き直った。
昔、何をしていたのか。
返事は聞けた。
それでも、あの庭園にいた彼については、何も確かめたことにはならなかった。
*
午前の授業が終わると、教室には椅子を引く音が重なった。
ルイズは筆記用具をしまい、鞄を持った。
エメトセルクは、壁際の席から立ち上がる。黒板へ一度目を戻してから、彼女のそばへ来た。
「行けるかね?」
「ええ。昼食の後だと、ゆっくり探せないでしょう。先に行くわよ」
二人は、生徒たちの流れから外れた。
食堂へ向かう声が遠ざかるにつれ、廊下は静かになっていく。
図書館の扉を開けると、紙と革の匂いがした。
高い書棚が並び、背表紙の色が、その奥まで続いている。窓から差した光の下で、何人かの生徒が本を開いていた。
ルイズは、隣を見上げた。
エメトセルクは、入口のそばで足を止めていた。
天井の方まである棚へ目を向け、それから、閲覧用の机を見る。
「立派でしょう」
声を潜めても、少し得意な響きが残った。
「悪くない」
「それだけ?」
「まだ一冊も開いていないのでな。中身まで褒めるには、少々早い」
ルイズは唇を尖らせた。
だが、彼は退屈そうではなかった。
棚の端にある区分の表示を読み、近くの本の題へ目を移している。
「使い魔の本なら、こっちよ」
ルイズは、先へ立った。
「召喚と契約を扱うものと、使い魔の種類を調べるものは、少し場所が違うの。最初は、契約の方がいいでしょう?」
「ああ。どこまで書かれているか、見たい」
彼女は一つの棚の前で止まり、背表紙を指で辿った。
授業で紹介されたことのある本を抜く。
隣から、使い魔の例を集めた一冊も取った。
「これと、これ。もう少し古い話は、歴史の方にもあると思うけど」
エメトセルクは、差し出された本を受け取った。
目次を開く。
「助かる。まずは、こちらから見てみよう」
「わたしは、別の棚へ行ってくるわ」
ルイズが言うと、男は目を上げた。
「錬金か?」
「そうよ。教科書だけじゃなくて、失敗について書いたものも、見たいもの」
彼は頷いた。
ルイズは、窓に近い机を指した。
「あそこにするわ。持ってきた本を、勝手にほかへ積まないでね」
「お前の席まで、使うつもりはないさ」
机は、二人で使うには十分に広かった。
それでも彼女は、先に鞄を椅子へ置いた。
*
ルイズが戻ってきたとき、エメトセルクは、すでに一冊目の途中を読んでいた。
彼女は向かいの椅子を引き、取ってきた二冊を置く。
一冊は、錬金の基礎をまとめたもの。
もう一冊は、実習で起こりやすい失敗と、指導上の注意を集めた本だった。
教科書も出し、挟んでいた紙を脇へ広げる。
エメトセルクの視線が、一度そこへ動いた。
「昨日、書いていたものか」
「まだ、思い出せたところだけよ」
「では、私も、紙を一枚もらえるかね」
ルイズは鞄から紙を取り出した。
ペンと、小さなインク壺も、机の中央へ寄せる。
「本に書き込まないでよ」
「私の本ではないことくらい、わかっている」
「念のためよ」
男は差し出された紙を受け取り、本の題を書き留めた。
その下へ、章と頁の数字を添える。
ルイズも、自分の本を開いた。
石から金属への変化。
対象を定め、呪文を唱え、精神力を集中する。
見覚えのある説明だった。言葉の順が違っても、求められていることはわかる。
昨日、教壇へ立つ前にも、考えていたことだった。
彼女は、失敗例の載った本へ移った。
対象に変化が現れない例。
一部だけが変わり、意図した形にならない例。
途中で集中を欠き、術が完了しない例。
それぞれに、指導する際の確認事項が添えてあった。
ルイズは、杖の向きについて書かれた一節で止まった。
昨日、自分はどこへ向けていたか。
紙へ目を落とす。
石、と書いてある。
けれど、唱え終わる瞬間まで同じ向きを保っていたかと尋ねられると、記憶が曖昧だった。
彼女は、余白へ小さく書き足した。
最後の向きは、覚えていない。
ペンを置こうとして、もう一度本を見た。
それだけで爆発した、と書いてあるわけではなかった。
線を引きたくなった指を止め、次の例を読む。
向かいでは、エメトセルクが頁を戻していた。
少し前の説明と、今読んでいるところを見比べている。
「ルイズ」
呼ばれて、彼女は顔を上げた。
「ここでいう、使い魔に与えられる力だが。契約前から持つ性質とは、区別されているのか?」
差し出された本を、ルイズは覗き込んだ。
主と感覚を通わせることや、使い魔の働きについての説明があった。
その先には、姿や性質の異なる使い魔の例が続いている。
「授業では、契約してできるようになることと、その使い魔が元々得意なことは、分けて教わるわ。でも、この例は……両方書いてあるみたいね」
「そうだな。出来事はわかるが、何が契約による変化なのか、これだけでは選びにくい」
「この本、最初に使い魔を持った人向けだから。どんな世話をするかとか、何に気をつけるかの方が多いのよ」
エメトセルクは、目次へ戻った。
契約の儀式を説明する部分より、飼育や扱いについての項目が多い。
「なるほど。私が探していることとは、少し目的が違うわけか」
「使えない本、って意味じゃないわよ」
「そのつもりで言ってはおらん。役立つ箇所はある」
彼は、契約を終えた印についての説明を指した。
「この世界で、何をもって成立と判断するのか。それは、知っておきたいのでな」
ルイズは、左手へ目を向けた。
袖の端から、紋様の一部が見えていた。
あの草原で、自分が成功したのだと確かめた印。
昨日は、それが光るところも見ている。
だが、本の説明には、彼の障壁や、青銅の人形を壊した力は載っていなかった。
「……あなたの魔法が強くなったことは?」
「まだ、見つからん」
エメトセルクは、自分の紙へ短く書いた。
「元から使えた術が変わった、という例を探す必要がある。単に、契約後に何かができたというだけでは、足りない」
ルイズは頷き、自分の本を引き寄せた。
自分も、似た失敗というだけで、同じ原因だと決めてはいけないのだろう。
ただ、そう考えると、簡単には印をつけられなくなった。
*
紙をめくる音が続いた。
窓の外で、誰かが友人を呼んでいる。
ルイズは顔を上げかけ、また本へ戻った。まだ、昼食へ向かう生徒の声が聞こえている。
エメトセルクは、二冊目に載ったルーンの図を見ていた。
彼は左手を机の上へ出した。
紋様を見下ろし、図の一つと比べる。
線の折れ方には、似たところがある。
だが、続く形も、並びも違った。
彼は別の頁を開いた。
今度も、一致しない。
「……ないの?」
ルイズが尋ねた。
「少なくとも、ここに載っているものとは違う」
彼は左手を引いた。
文字を読むことと、その印が何をするのかを知ることは、別だった。
契約についての記述は、術を使う者が精神力をどう集中するか、その結果、召喚された相手へ何が現れるかを記している。
自分の知るエーテルの扱いと、似た現象を思い浮かべられる箇所もあった。
しかし、同じ言葉へ置き換えた途端、説明のつかないところが残る。
刻印が現れたときの感覚。
術を行使したときの、意図と結果のずれ。
そのどちらも、本の一般的な説明だけでは繋がらなかった。
障壁を広げたときと、人形を縛ったときでは、起きたことが違う。
杖を使っても、力が加わるような感覚はなくならなかった。
ただし、それを幾つか経験しただけで、仕組みまで知ったことにはならない。
エメトセルクは、紙の別のところへ、探したい記述を書き足した。
それを見てから、ルイズも自分の紙へ目を戻した。
書いた言葉は増えている。
答えは、増えていなかった。
彼女は、失敗例の頁をもう一度開く。
呪文を覚え違えていた例では、訂正後の結果が添えられていた。
集中を乱した例では、そのとき何があったかが書いてある。
ルイズは唇を結んだ。
自分も、呪文を確認したことはある。
先生の前で、一語ずつ唱えたことも。
人のいないところで、落ち着いて杖を振った日もあった。
それでも、石は変わらなかった。
「……どれか、間違えていればいいのに」
声が漏れた。
エメトセルクが、目を上げる。
ルイズは本を伏せかけ、やめた。
「呪文が違うとか、杖の持ち方がおかしいとか。そういうことなら、直せるでしょう」
「確かめたことは、あるのだろう?」
「あるわよ」
返事は、少し強くなった。
周囲を思い出し、声を落とす。
「何度も。でも、また同じ説明を読むと、やっぱりどこか忘れているのかもしれないって、思うの」
エメトセルクは、開いた教科書へ目を向けた。
余白には、細かな書き込みがあった。
今日、初めて基礎を知った者の本ではない。
「その頁は、もう随分と読んだようだな」
「……読めば、できるようになると思っていたもの」
ルイズは、折れかけた角を押さえた。
「内容は、わかるのよ。先生が何を説明しているのかだって。だけど、同じようにしようとすると、違うことになるの」
男は、すぐには返事をしなかった。
ルイズは、手元の紙を彼へ押しやった。
「昨日のこと、ここまでは覚えてる。違うと思うところがあったら、言って」
エメトセルクは紙を寄せた。
石の位置。教卓。唱え始めてから、爆発するまで。
彼女が書き直した跡を、順に読む。
「ここだが。石が飛んだのを、お前は見たのか?」
ルイズは首を傾げた。
紙には、石が爆発して、と書いていた。
「……音がして、煙が出て。その後は、よく見えなかったわ」
「私も、飛んできた破片の一つ一つが何だったかまでは、確かめていない」
「じゃあ、石がどうなったかは」
「残ったものを調べる前に、決めてはおけまいな」
ルイズは、紙を引き戻した。
しばらく眺めてから、短い線で言葉を消す。
石のところで爆発が起きた。
そう書き直した。
「……これで、合ってる?」
「ああ。私が見たこととも、食い違わん」
「ずいぶん、わかることが減ったみたい」
「確かめていないことを混ぜるよりは、後で困らずに済む」
ルイズは、まだ面白くなさそうに紙を見た。
小さくなった説明の隣へ、教科書の頁を書き添える。
それから、ふと、向かいの紙へ目をやった。
「あなたの方は?」
「何がだ?」
「手の文字が原因だって、書いているの?」
エメトセルクは、口元を僅かに動かした。
紙を、少し回して見せる。
術を使ったときに感じた変化と、刻印に起きた反応が、別々に記されていた。
その下に、関連を疑う、とある。
ルイズは、そこを読んだ。
「……まだ、疑う、なのね」
「お前に勧めたばかりのことを、私だけ省くわけにもいかんだろう」
彼女は、少しだけ息を漏らした。
笑うほどではなかった。
だが、教科書を押さえていた指から、力が抜けた。
*
エメトセルクが、二冊目を閉じた。
「古い記録の方も、見てみたい。案内を頼めるかね」
ルイズは、自分の本へ紙を挟んだ。
「歴史の棚よね。全部が、使い魔の話じゃないわよ」
「目次を見れば、ある程度は絞れるだろう」
二人は、机を離れた。
ルイズは、幾つかの背表紙を確かめながら進んだ。使い魔についての本がある棚と違い、こちらには年代や土地の違う話が並んでいる。
一冊を抜き、目次を開く。
始祖ブリミルにまつわる項目があった。
彼女は頁をめくり、その途中で止めた。
「……ここ。使い魔のことがあるわ」
エメトセルクが、横から覗く。
ルイズは机へ戻り、二人の間へ本を置いた。
古い言い回しを引きながら、後の時代の著者が説明を加えたものだった。
始祖に仕えた、四人の使い魔。
彼らは異なる役目を担い、その働きによって始祖を支えたという。
ルイズは、少し身を乗り出した。
「四人、ですって」
エメトセルクも、先を読んでいる。
だが、文章は、彼らの名や姿を一つずつ示してはいなかった。
別の記録にも話が伝わるという説明と、記述の違いについての短い注がある。
ルーンの図は、なかった。
「続きは?」
ルイズは、次の頁を開いた。
そこからは、別の伝承についての項目だった。
指を戻す。
欄外まで確かめても、知りたい形はどこにも載っていない。
「……これだけ、なのね」
エメトセルクは、出典について書かれた行を読み直していた。
「この本で確かめられるのは、ここまでらしい」
「もっと詳しく書いてあれば、比べられたのに」
「そうだな。ただ、これを載せた者が、どの記録を読んだのかは残っている」
彼は紙を取り、本と、参照先の題を分けて書いた。
「それも、ここにあるかしら」
「今は、わからん。探すときの手掛かりにはなる」
ルイズは、本を覗き込んだ。
昔の記録を引いたものと、著者が考えて付け加えた言葉が、少し違う形で組まれている。
エメトセルクは、そこを分けて読んでいた。
「あなた、伝説って、あまり信じないの?」
尋ねると、金色の目が上がった。
「話による」
「始祖の話よ」
「古くから伝わっていることは、調べる理由になる。だが、私の手にある文字を説明できるかどうかは、また別だろう」
ルイズは、反論しかけた。
始祖のことを、そんなふうに言われるのは落ち着かない。
しかし、この頁に彼の文字が載っていないのは、自分でも確かめたことだった。
「……大事な記録も、あるんだからね」
「ああ。だから、読んでいる」
彼の指は、出典のそばにあった。
軽んじて捨てたのではないらしい。
ルイズは、机へ肘をつきかけ、姿勢を直した。
「でも、普通の使い魔の本にないなら、こういう古い話も探した方がいいのね」
「そう考える理由はできた。ただ、この印が古いものだと決まったわけではないぞ」
「わかってるわよ」
言い返した後で、彼女は、自分の紙にも本の題を書いた。
答えがない本だと思って、そのまま戻すところだった。
次に探すときまで、どこで何を読んだのかわからなくなっては困る。
*
窓の向こうを通る足音が、少なくなっていた。
ルイズは顔を上げ、入口の方を見た。
閲覧机の生徒が一人、本を閉じて立ち上がる。
「そろそろ、出なくちゃ」
エメトセルクも、窓へ目を向けた。
「ああ。昼食まで抜くつもりはないのでな」
「午後の授業にも、間に合わせるのよ」
「もちろん」
ルイズは、開いていた本へ目を戻した。
もう一頁くらいなら、読める。
別の本を持ってくれば、違う例があるかもしれない。
だが、さっきもそう思って、頁を戻したのだった。
彼女は、ゆっくり本を閉じた。
机の上には、教科書と、借りてきた本と、紙が残った。
どれを開いても、これだと言える答えは見つからなかった。
「……ごめんなさい」
小さく言うと、エメトセルクの手が止まった。
「何に対してだね?」
「その文字のこと。ここなら、もう少し調べられると思っていたの」
ルイズは、紙の端を揃えた。
「わたしの方も、同じ説明ばかりで。ちゃんと読んだのに、どこがおかしいのか、結局わからなかったわ」
エメトセルクは、自分の紙を持ち上げた。
何箇所かに、本の題と頁が並んでいた。
「私も、まだわからん」
慰めるような言い方ではなかった。
ルイズは、その紙へ目をやった。
「……それでも、困らないの?」
「困るさ。勝手に加わる力を、知らないままで使いたいわけではない」
彼は左手を一度見てから、紙を机へ置いた。
「だが、一度探して見つからなかったことと、調べる意味がなかったことは、違うだろう」
ルイズは、自分の記録を見下ろした。
覚えていない、と書いた行がある。
昨日までは、書こうとも思わなかったことだった。
「わからないところが、前より増えた気がするわ」
「尋ねることが、少しはっきりしたのではないかね」
彼女は、すぐには頷かなかった。
爆発の原因がわからないことに、変わりはない。
今度、授業で指されたら、やはり怖いだろう。
「……もう一回、先生に聞くなら」
ルイズは、紙を指で押さえた。
「ただ、できませんって言うより、何を確かめたのか、話せるかもしれないわね」
エメトセルクは、短く頷いた。
「その方が、返事をする側も答えやすかろう」
「あなたにも、答えられないことはあるんでしょう?」
「今日、幾つ見た?」
ルイズは彼を睨みかけ、やめた。
代わりに、紙へ最後の言葉を書き足す。
教わった手順と、実際に起きたこと。
その間の、まだ説明できないところ。
書き終えてから、紙を畳んだ。
エメトセルクも、筆記を終えていた。
「それ、なくさないでね」
ルイズが言った。
「誰の調べ物を心配しているのかね」
「また同じ本を、最初から探すのは嫌だもの」
彼は、紙を丁寧に折った。
「次に来るときも、案内を頼めるということかな」
「……棚くらい、今ので覚えたでしょう」
「本は、まだ増えそうだが」
ルイズは鞄の留め金へ手を掛けた。
「わたしだって、続きを調べるのよ。ついでなら、いいわ」
エメトセルクの口元が、僅かに動いた。
「では、そのついでを当てにしよう」
*
本を元の棚へ返してから、二人は図書館を出た。
ルイズの鞄には、教科書と、書き足した紙だけが入っている。
重さは、来たときとほとんど変わらなかった。
廊下へ出ると、遠くから食器の触れ合う音が届いた。
彼女は、食堂へ向かう角を曲がった。
「急げば、食事もできるわ」
「急がせたのは、私ではあるまい?」
「あなたも、古い本を見たいって言ったでしょう」
「そうだったな」
エメトセルクは、何でもないことのように認めた。
ルイズは、その顔を見上げた。
本の記述が足りなければ戻り、自分が知らない言葉なら尋ねる。
昨日は、七体の人形を止めた男だった。
今日は、向かいで本を読み、何度も頁を戻していた。
「……あなた、昔からそんな性格なの?」
「どんな性格だ?」
「わかってるくせに」
「その尋ね方では、答える方も難儀するな」
ルイズは、目を細めた。
緑の高台で、白髪の男が、同じように呆れていた気がした。
けれど、夢の中で隣にいた人物は、その顔を見ても、少しも困っていなかった。
「何だね?」
エメトセルクに聞かれ、ルイズは前を向いた。
「別に。次は、もう少し時間を取らなくちゃと思っただけよ」
「それには、異存はない」
食堂へ続く廊下で、二人は別れた。
ルイズは入口の方へ、エメトセルクは厨房の方へ向かう。
午後の授業までに、また教室で落ち合うことになっていた。
彼女は歩きながら、鞄の留め金を確かめた。
昨日の紙を、捨てずに持ってきてよかった。
そう思ってから、少しだけ、指を離すのが遅れた。
*
午後の授業の前、キュルケは教室へ向かう廊下で足を緩めた。
少し先を、ルイズとエメトセルクが歩いている。
ルイズは鞄から覗いた紙を押し込み、男へ何かを言っていた。
「昼休みは、姿が見えなかったわね」
キュルケが言うと、隣のタバサは、抱えていた本から目を上げた。
「図書館」
「見たの?」
小さく頷く。
タバサは昼食の後、廊下の向こうから、二人が図書館を出るところを見かけていた。
キュルケは、先を行く男へ目を向けた。
「見せていただきたい魔法は、増えたのだけれど。こちらが聞きたいことばかり並べても、退屈させてしまいそうね」
昨日、炎が青銅の関節を焼いたところを思い出す。
火を広げず、必要な場所へ留めていた。
氷も、雷も使った。
だが、その使い分けを見たことと、本人が何を考えているかを知ることは、同じではない。
「今度は、何を調べているのか、聞いてみようかしら」
タバサの視線が、男の右手へ動いた。
昨日、その手に杖が現れたのは、人形が増えた後だった。戦いが終わると、光になって消えた。
必要になったときだけ、用意したもの。
その判断まで含めて、もう一度見たいと思った。
「……知りたいものが、ある」
「ええ。授業にも、あんなに律儀についてくるのですもの」
キュルケは笑った。
「ルイズが教えられることばかりとも、限らないでしょう?」
タバサは、返事の代わりに本を閉じた。
先で、ルイズが振り向きかけた。
キュルケは、いつもの笑顔を向ける。
少女の眉が寄ったが、隣の男に呼ばれ、また前へ顔を戻した。
教室の扉が開いた。
ルイズが先に入り、エメトセルクが続く。
キュルケも歩き出し、タバサがその隣へ並んだ。
窓から入った風が、ルイズの鞄から覗く紙の端を揺らした。
彼女はそれを押さえ、今度は、教科書の間へきちんと挟み直した。
*
午後の授業が終わる頃には、窓から入る光が、机の端へ移っていた。
ルイズは最後の一行を書き終え、ペンを置いた。
昼に折り畳んだ紙は、教科書の間にある。
授業中に開き直すことはしなかった。だが、教わった言葉のどれを後で調べようかと、余白へ印をつけたところがあった。
鞄を持って立つと、エメトセルクも壁際から離れた。
「戻るかね?」
「ええ」
二人が教室を出ていくのを見てから、キュルケは教科書を閉じた。
隣では、タバサが筆記用具をしまっている。
「少し、行ってくるわね」
少女が顔を上げた。
キュルケの視線の先を見て、小さく頷く。
「……彼?」
「ええ。今度は、授業も始まらないでしょう?」
タバサは、開け放した扉へ目を向けた。
昨日、杖を出す前にも、出した後にも、あの男は周囲の人垣を見ていた。
何ができるのかだけでなく、何をしようとしているのか。
尋ねてみたいことはあった。
ただ、キュルケの笑みには、それだけでは済まないものも混じっている。
「……本を返してくる」
タバサは、鞄とは別に抱えた一冊を示した。
「そう。あとでね」
キュルケは手を振った。
青髪の少女が図書館へ向かうのと別の方へ、赤い髪が揺れる。
廊下の人の間を抜け、彼女は長身の男へ追いついた。
「エメトセルク。今なら、お時間はあるかしら」
呼ばれて、男が足を止めた。
ルイズも振り返る。
その顔が、すぐに険しくなった。
「何よ、キュルケ」
「あら。あなたに聞いたのではないわ」
キュルケは、エメトセルクへ笑みを向けた。
「昨日、炎のお話を聞きたいと言ったでしょう。授業の前では、ゆっくり伺えなかったから」
「ここで使ってほしい、という話ではなかったな」
「ええ。それは覚えているわ」
返事を聞き、彼は歩き始めた。
キュルケが隣へ並ぶ。ルイズは反対側へ回り、鞄を抱え直した。
「ただ、魔法のお話の前に。今日は、図書館へいらしたのね」
エメトセルクの眉が、僅かに上がる。
「よく見ているな」
「タバサが、見かけたそうよ。どんな本をお探しだったの?」
「この土地の魔法について、だ。教室で聞けることばかりでもなさそうなのでね」
「あなたほど魔法を使えても?」
「自分で使える術と、知らない術は別だろう」
キュルケは、その返事を少し考えるように聞いた。
「だったら、わたしにも聞いてくださればよかったのに。昨日の炎なら、こちらもお話しできることがあるかもしれないわ」
「私の術が、お前の学んだものと同じとは限らんぞ」
「それは、見ていて思ったわ」
声が、少し変わった。
「わたしも火を使うけれど、あの人形へ向けるなら、まず広く焼こうとしたかもしれないもの。あなたは、関節のところへ留めていたでしょう」
エメトセルクが、彼女へ目を向けた。
キュルケは右手の指を軽く曲げた。杖を抜くことはせず、昨日の人形の脚の付け根があった辺りを示す。
「あれは、火を大きくするより、ずっと細かく気を配る使い方だったわ」
「動きを止めたかったのでな。ほかまで焼く必要はなかった」
「それを、氷と雷を使った後に、選べるのね」
「順に見ていたようだな」
「ええ。途中で目を離すのは、惜しかったもの」
キュルケが笑う。
ルイズは、横から二人を見た。
昨日、自分も見ていた。
だが、何から聞けばいいかわからなかった。
キュルケは、自分の得意な魔法と比べて尋ねている。
それが少し面白くなくて、ルイズは鞄の紐を持ち直した。
「見ていたのは、キュルケだけじゃないわよ」
「知っているわ。あなたも、すぐそばにいたものね」
軽く返され、ルイズの眉が寄った。
エメトセルクは、二人の間へ目を動かした。
「見物した順番まで、競う必要はあるまい」
「競ってなんか、いないわよ!」
キュルケは口元へ手を添えた。
笑いを収めると、また男を見上げる。
「でも、術だけのお話でもないの。六体も出てきたのに、ギーシュへは向けなかったでしょう」
「人形を止めれば、済む話だった」
「彼は、そう思えるほど落ち着いていなかったわね」
「ああ。だからといって、こちらまで付き合うことはない」
キュルケは、一度頷いた。
その返事に、得意げなところがなかった。
男の右手は、今は何も持っていない。
昨日、そこへ杖が現れたときのことを思い出し、彼女は尋ねた。
「ところで、あの杖は、いつも必要なときに出せるの?」
「持ち歩くより、都合がよいのでね」
「見慣れない形だったわ。故郷でお使いだったもの?」
ルイズは、男の顔へ目を向けた。
故郷の話へ、急に手が伸びたように思えた。
だが、エメトセルクの返事は、いつもと変わらなかった。
「こちらへ来てから、店で選んだものではないな」
「そうでしょうね。わたしも、あんな杖は初めて見たもの。どこで魔法を学んだのかも、気になるわ」
「一つの場所で、すべて教わったわけではない」
「では、ご自分でも?」
「長く使っていれば、覚えることも増える」
「……長く、ね」
キュルケは男の顔を眺めた。
年齢を尋ねかけて、少し首を傾ける。
「こちらが知りたいことばかり、増えてしまうわ」
「全部を、廊下で済ませようとは思わないことだ」
「ええ。だから、もう少し落ち着いてお話ししたいの」
女子寮へ続く入口が見えていた。
ルイズは、ここで別れるのだと思って歩く速さを変えた。
その横で、キュルケの声が少し低くなる。
「今夜、わたしの部屋へいらっしゃらない?」
ルイズが、足を止めた。
「ちょっと!」
キュルケは、彼女へ一度目を向けてから、エメトセルクを見た。
「お茶でも飲みながら、ゆっくり。教科書にあるお話だけでは、退屈でしょう?」
声も、笑みも、ただ魔法について知りたいというだけのものではなかった。
エメトセルクは、彼女を見下ろした。
「……随分と、手際よく予定を組むのだな」
「気に入った方とは、お話ししてみたいもの」
「そうか。それは、どうも」
彼は、僅かに顎を引いた。
「だが、今夜は遠慮しておこう」
キュルケの笑みが、一瞬だけ止まった。
「……あら」
「昼に調べたことを、もう少し整理したいのでね」
ルイズは、言いかけた言葉を飲み込んだ。
自分が駄目だと言うより先に、本人が断った。
キュルケも、男の顔を見ていた。
困っている様子はない。
気を引こうとして、わざと待たせているという顔でもなかった。
「そのお話なら、わたしも聞いてみたかったけれど」
「自分で読み返す時間も、必要なのだよ」
少し間があった。
それから、キュルケは肩をすくめた。
「そう。なら、今夜は仕方ないわね」
「今夜だけのつもりなの?」
ルイズが口を挟んだ。
キュルケは、すぐに笑みを戻した。
「また誘っても、いいでしょう?」
問う先は、エメトセルクだった。
「誘うのは自由だ。返事も、その都度させてもらう」
「ええ。では、また」
ルイズは、何か言おうとして止まった。
「……わたしの使い魔だって、忘れないでよ」
「取るなんて、言っていないでしょう?」
キュルケが、面白そうに答える。
エメトセルクは、一度息を吐いた。
「そもそも、私は誰かに取られるようなものではないぞ」
二人の目が、同時に向いた。
キュルケが先に笑った。
「そうね。そこは、本人に伺わなくては」
「わかってるわよ!」
ルイズは言い返した。
その声を聞き、キュルケは軽く手を振る。
「それじゃあ、今日はここまでにするわ。お邪魔いたしました、ご主人様」
最後だけ、ルイズへ向けた声だった。
ルイズが睨むのを、彼女は笑って受け流した。
寮の中へ入り、自室へ向かう廊下の角で、赤い髪が見えなくなる。
ルイズは、しばらくその先を見ていた。
*
部屋へ戻ると、ルイズは鞄を机へ置いた。
留め金が、いつもより強く鳴った。
エメトセルクは窓際の椅子へ向かい、背へ掛けてある毛布を直してから腰を下ろした。
「……まったく。あの女は」
ルイズは、扉の方を見た。
「何でも、自分の都合で決めようとするんだから」
「断れば、引き下がったではないか」
「今日だけよ。ああいう言い方をして、また来るつもりなんだわ」
エメトセルクは、それには答えなかった。
代わりに、昼に書いた紙を取り出す。
ルイズは、椅子のそばまで来た。
「あのね。ツェルプストー家は、昔から――」
「その話は、初日に聞いた」
男が顔を上げた。
「だから、私の予定まで二人の勝負に含めないでもらいたいな」
ルイズは、口を閉じた。
それから、少し視線を逸らす。
「……あなたが、わたしの言うとおりにしないのは知ってるわよ」
「ならば、今の返事も私が決めたものとして、扱ってくれたまえ」
「わたしが行くなって言ったからじゃ、ないのね」
「ああ。私の意思まで、契約でお前のものになったわけではない。それは、覚えているだろう?」
「最初に、聞いたわ」
返事は、小さかった。
昼には、自分で本を選び、自分の調べたいことを読んでいた。
彼も、そうしていた。
夜に誰と話すかも、同じなのだろう。
理屈はわかる。
キュルケが隣で笑っていると、落ち着いてその理屈だけを考えられなくなるのだった。
「……でも、出かけるなら、先に言ってよ」
ルイズは、男へ目を戻した。
「どこにいるのか、わからなくなるのは困るもの」
「それは、話の通じる頼みだな」
「さっきまで、通じなかったみたいに言わないで」
エメトセルクは、口元を少し動かした。
彼女は机へ戻り、鞄を開いた。
教科書の角に引っ掛かった紙を、丁寧に抜き出す。
しばらくは、紙を広げる音だけがした。
「ルイズ」
窓際から呼ばれ、彼女は振り返った。
「この国では、魔法を帯びた道具は、どこで見られる?」
「道具?」
「ああ。授業で術を使うところだけでなく、普段どう使われているのかも見たい。武器なども含めて、だ」
ルイズは、彼の右手へ目を向けた。
今は、紙を持っている。
昨日は、あそこに大きな杖があった。
「あなたの杖とは、違うものを?」
「もちろん。この土地で作られたものを、見たいのでな」
「武器が足りないわけじゃ、ないのよね」
「昨日の後で、そう見えたかね?」
「……見えなかったわ」
少し悔しいほど、はっきり答えられた。
六体が増えても、彼は落ち着いていた。
氷も雷も炎も使い、自分の杖まで用意した。
剣を持たせれば、今より困らなくなるという話ではない。
「では、何を調べるの?」
「こちらの魔法を、物へどう働かせているのか。それが、使う者の手を離れても働くなら、なおさら気になる」
ルイズは少し考えた。
「魔法がかかった武器とか、特別な道具なら、王都にお店があるわ。全部の武器屋に置いてあるわけではないけど」
「王都か」
「王都トリスタニア。学院からも、買い物に出かけられるのよ」
「そこなら、実物を見られそうだな」
「ええ。授業のない日なら、行けるわよ」
言ってから、ルイズは机の上へ目を落とした。
今日の本には、載っていなかったことがある。
棚を変え、頁を戻して、それでも見つからなかった。
別の場所なら、別のものを確かめられる。
彼が今、考えているのは、そういうことなのだろう。
「……見に行ってみる?」
エメトセルクが、彼女を見た。
「案内してくれるのかね」
「次の虚無の曜日なら、授業がないから」
ルイズは、少し顎を上げた。
「わたしも買い物はあるし、道もわかるわ。あなた一人で、お店を探して歩くよりはいいでしょう」
「それは、ありがたいな」
返事は、思ったより素直だった。
ルイズは、机の本を閉じる。
「ただし、見るだけで何でも買えると思わないでね。魔法がかかったものは、高いんだから」
「店先から全部運び出すつもりはないぞ」
「念のためよ」
「図書館でも、同じことを言われたな」
ルイズは頬を膨らませかけた。
その前に、エメトセルクが続ける。
「実物を見て、何を尋ねればよいかを考えたい。買うかどうかは、それからだ」
「……そういうことなら、案内できるわ」
今度は、少し胸を張った。
学院の授業や本についても、自分が知ることはある。
だが、今日は、わからないところばかりを確かめた気もしていた。
王都の通りなら、歩いたことがある。
どこへ向かえば店があるかも、少しは教えてやれる。
「トリスタニアには、いろいろなお店があるのよ。あなたの知らないものも、きっとあるわ」
「それを、期待している」
エメトセルクは頷いた。
「では、次の虚無の曜日に。案内を頼むとしよう」
「ええ。約束よ」
ルイズは、はっきり答えた。
それから、慌てて付け足す。
「その前に、明日の授業もあるんだからね」
「私は、今から出発しようとは言っておらんが」
「そうじゃなくて!」
彼女は、机の上の教科書を並べ直した。
声はまだ強かったが、鞄を置いたときほど、手へ力は入っていなかった。
*
夕食を終えて寮へ戻る頃には、外は暗くなっていた。
キュルケは自室の扉を閉め、机へ本を置いた。
寝台のそばでは、フレイムが長い尾を動かしている。
近づいて頭を撫でると、暖かな鱗が指の下へ触れた。
「今夜は、予定が一つ減ってしまったわ」
言いながら、キュルケは笑った。
誘いを断られたとき、少しだけ意外だった。
男は、ルイズが何か言うのを待ってはいなかった。
返事に迷ってもいない。
自分の時間に何をするのか、もう決めていたのだ。
キュルケは、鏡の前で髪を肩の後ろへ払った。
知らない魔法を使いながら、こちらの魔法を知りたがる。
戦いが終われば、授業へ戻る。
昼休みには、図書館へも行く。
強い使い魔を呼んだと得意になっているルイズへ、いつものように一言返すだけでは、彼自身のことはあまりわからない。
次には、こちらが見せられるものを考えてみようか。
どんなものなら、あの金色の目が少し変わるのか。
「……面白い人ね」
フレイムが、彼女を見上げた。
キュルケはもう一度その頭を撫で、自分の本へ手を伸ばした。
*
ルイズの部屋では、エメトセルクが窓際の椅子で、昼の記録を読み返していた。
夕食の後、ルイズは机へ戻り、明日持っていく本を確かめている。
二つの月が、窓の向こうにあった。
室内では、燭台の火が紙の端を照らしている。
エメトセルクは、一冊ずつ書き留めた題へ目を通した。
使い魔契約についての一般的な説明。
刻まれる印の例。
古い伝承を引いた文章。
自分が知りたかったことへ、そのまま答えるものはなかった。
それでも、授業で見た術と比べるための言葉は増えた。
今度は、道具だ。
作る者と、使う者。
術を掛けたときだけ働くのか、後にも何かが残るのか。
品を見れば、少なくとも、本の文章とは違うところから尋ねられる。
「……ねえ。武器屋なら、平民の使う剣や槍も多いわよ」
ルイズが、教科書を鞄へ入れながら言った。
「魔法がかかっていないからって、見るのをやめないでね」
エメトセルクは顔を上げた。
「そのつもりはない。こちらの者が、何をどう使うのかも、知っておきたいのでな」
「ふうん。じゃあ、店で聞けばいいわね」
「必要なら、聞いてみるさ」
ルイズは、少し満足そうに頷いた。
錬金の教科書だけは、まだ机に残している。
彼女はそれを開き、昼に書き直した紙を横へ置いた。
エメトセルクも、自分の記録へ目を戻す。
左手の文字は、今は静かだった。
名称も、働く条件も、今日読んだ本からはわからない。
杖を使った術にまで加わったものを、馴染みのある理屈だけで済ませる気にはなれなかった。
彼は椅子から立ち、机へ記録を置いた。
インク壺のそばからペンを取り、紙の空いたところへ書き足す。
王都。道具を作る者、扱う者の話。
書いてから、僅かに口元を動かす。
休息を望んだ末に来た場所で、次に調べることを自分から増やしている。
まったく、厄介なことだった。
「……何?」
ルイズが顔を上げた。
「いや。案内役の都合を、当てにしているところだ」
「約束したでしょう。ちゃんと連れていくわよ」
「では、頼む」
少女は、すぐには本へ目を戻さなかった。
それから、小さく頷く。
「……任せておいて」
彼女が、昼に折った紙を開き直した。
机の反対側で、エメトセルクのペンも動き始める。
窓の外には、まだ知らない街へ続く夜があった。
第1章 第6話 完