翌日の昼、ヴァレリウスは岩山の向こうに生じた熱源を捉えた。
複数の大きな反応が一定の間隔を保ちながら移動している。夜明けから監視を続けていた道筋と、その進行方向が重なった。
彼は観測の範囲を絞った。まだ砂塵に紛れているが、車輪で走行する車輌らしい。前夜に老人から聞いた救護班の到来する方角とも一致していた。
「車輌が接近している」
近くで薪を選り分けていた片角の男が、顔を上げた。
「……ロドスか?」
「その可能性はある。確認が取れるまで、病人を外へ出すな」
男が天幕へ向かうのを見届け、ヴァレリウスは野営地の入口を離れた。途中、昨夜のうちに石を積ませた浅い水路を跨ぐ。排水の問題を解決できたわけではなかったが、少なくとも次の雨で汚水が直接寝床へ流れ込むことは幾分か防げるはずだった。
兜内部へ表示される距離が少しずつ短くなる。
ヴァレリウスは腰のプラズマピストルへ右手を添えた。剣の破壊力場発生器も即座に起動できる状態へ移す。
そして、車輌と天幕の間に立った。
やがて岩山の裾から砂煙が伸びてきた。先頭には大型の輸送車。その後ろに救急車輌と、側面を補強した貨物車が続いている。
外装に描かれた標章は老人が見せたものと一致していたが、それでも彼はまだ手を離さなかった。
ヴァレリウスが視界に入った途端、車列の速度が目に見えて落ちる。
「……あれ、何?」
輸送車の窓から前方を覗き込んだラヴァが、まずそう言った。
フェンは座席から身を乗り出し、視線を道路の先へ向けた。青い何かが立っている。遠目には野営地の外へ置かれた機械かと思った。だが、車輌が近づくにつれてそれが人の形をしていることが分かってくる。
大きすぎた。
盾も、肩当ても、その下にある脚も、フェンが見慣れたどんな装備より分厚い。巨大な兜がまっすぐこちらを向いていた。
「減速してください。まだ近づかないで!」
フェンの声とほぼ同時に運転席からも報告が飛んだ。責任者の携帯通信機へ後続車からの呼び出しが重なる。
「前方の武装した人物を確認。停車しますか?」
「人物? あれ、人が入ってるんですか?」
「待って、患者の名簿には――」
「……名簿に載ってたら、それはそれで怖いんだけど」
ラヴァが眉をひそめる傍らで、クルースが細く息を吐いた。
「うわあ……すっごく面倒そうなのがいるよぉ」
いつもの眠たげな声だったが、膝に載せていたクロスボウは既に両手で保持されていた。窓から見える巨人と、背後の天幕、その間にいる難民たちへ視線が順番に動く。
「フェンちゃん、あの人……こっちを待ってるみたい」
「分かってる。みんな、すぐに降りないで。ハイビスは医療班の指示を確認して」
「はい。救急車の方も、まだ患者さんには近づけないように伝えます」
ハイビスカスは医療鞄を足元へ固定し直した。突然の減速で棚からずれかけた器具を押さえ、通信機へ耳を寄せる。ラヴァも窓へ張りつくのをやめ、通路へ出ていた荷物を片足で奥へ寄せた。
その横で、ビーグルだけが少し違う場所を見ていた。
「……すごい」
殆ど声にならない呟きだった。
巨人の左腕にある盾。正面を向けられているだけで、自分たちの進路が塞がれたように感じる。恐ろしい。それは間違いなかった。だが分厚い縁と、中央に刻まれた意匠と、構えた身体の大半を隠す幅を見ていると、どうしても目が離せなかった。
「あれなら……」
「ビーグルちゃん?」
クルースに呼ばれ、ビーグルの耳が跳ねた。
「は、はい!」
「今、何を考えてたのかなぁ」
「い、いえ。その、盾が……」
「うん、大きいねぇ。すっごく」
クルースは窓の外へ顔を戻した。
「できれば、あれに殴られる用事は作りたくないかなぁ」
「誰も作りたくないよ、そんな用事」
ラヴァの返答に異論を唱える者はいなかった。
車列は巨人から数十メートルを残して停止した。
停止してからも、車内はすぐには静かにならなかった。後続からの確認、運転手の問い、医療班同士の短い相談。それらを一つずつ捌いていた救護班の責任者が、最後に前方の巨人を見た。
自分達は難民たちを救護するために来たのである。
道端に立つ正体不明の重装兵と交渉する予定はなかった。だが、巨人の向こうには確かに天幕があり、自分たちを見つけて立ち上がろうとしている人々がいる。ここで後退するにしても、まず彼が何者なのかを確かめなくてはならなかった。
「私が話します。フェンさん、護衛はお願いします。ただ、こちらから武器は向けないでください」
「はい。ビーグル、私と一緒に。クルースとラヴァは周囲の確認をお願い」
「はぁい」
「分かった」
フェンは短く頷き、扉の留め具へ手をかけた。
車外へ降りた責任者は、最初の一歩で車内から見ていた時より相手が大きいことに気づいた。距離がある。頭では分かっていても、つい顔を上げる角度が深くなる。
両脇に降りたフェンとビーグルも同じように巨人を見上げていた。ビーグルは自分の盾を握る手へ力を込める。先ほどまで見惚れていた盾が、今はこちらを向いていた。
責任者は両手を見える位置へ出した。
「我々はロドス・アイランドの救護班です。こちらの野営地からの要請を受け、負傷者と感染者の治療、それから本艦への搬送に来ました」
兜の赤い光が彼へ向けられる。
「所属を確認できるものはあるか」
「あります。近づいても?」
「その位置で提示せよ」
責任者はゆっくりと身分証を取り出した。次いで、通信記録を表示した端末を差し出す。まだ距離があるため文字など読めないのではないかと思ったが、巨人は近づくよう求めなかった。
僅かな沈黙が続く。
それから、腰の拳銃へ添えられていた右手が下りた。ヴァレリウスはパワーソードの破壊力場発生器も停止させ、盾を身体の脇へ寄せた。兜内部で待機していた出力表示が消える。
「標章と目的は事前に聞いたものと一致する」
「……では」
「案内する。野営地へ入る際は徐行せよ。自力で道を避けられぬ者がいる」
そう言うと巨人は背を向け、責任者はその青い背中を見た。
――話が通じた。
それは大変ありがたかった。だが自分たちが来訪者で、彼がここを管理している者であるかのように話が進んでいることについては、まだ頭の整理が追いついていない。
「お待ちください。あなたは、こちらの方々の……護衛ですか?」
巨人が僅かに振り返った。
「現在は接近する者の監視を担当している」
「そう、ですか……お名前を伺っても」
「アウルス・ヴァレリウス。ウルトラマリーン戦団の
「……私は今回の救護活動の責任者です。よろしくお願いします、ヴァレリウスさん」
「汝らの到着を待っていた」
少なくとも言葉だけなら歓迎だった。
それを聞いたフェンは、どうにか肩から力を抜いた。ビーグルも盾を少しだけ下げる。輸送車の扉から顔を出していたクルースが、小さく呟いた。
「待ってたんだって。よかったねぇ」
「だったら、もうちょっと別の待ち方もあるだろ……」
ラヴァの声は、幸い責任者の耳へは届かなかった。
野営地へ入ると、ヴァレリウスの正体を考えている余裕はすぐになくなった。
医療オペレーターたちが車輌から降り、器具と薬剤を運び込む。寝床を一つずつ確認し、重症者のいる天幕へ人員を振り分ける。責任者も巨人への質問を切り上げ、報告を受けながら患者の状態を見て回り始めた。
ハイビスカスは手袋を直し、入口近くで座り込んでいた男の前へ膝をついた。
「こんにちは。腕を見せていただけますか? 立ち上がらなくて大丈夫です。そのままで」
「……本当に、診てもらえるのか」
「はい。痛むところと、いつからそうなったかを教えてください。急がなくていいですよ」
男の袖がためらいがちに上がる。
その隣ではフェンが通路へ置かれていた荷物を動かし、担架を通せる幅を確保していた。ビーグルが支柱の傍へ立ち、作業中に天幕が倒れないよう押さえる。クルースは野営地の外側を見渡した後、車輌へ戻って周辺の見通しを確認した。
「ラヴァちゃん、そちらの毛布をお願い!」
「分かったって。……ほら、これ。冷えるなら先に言えよ」
ラヴァは抱えてきた毛布を近くの女へ渡した。
女が頭を下げると、彼女は少しだけ顔を逸らす。
「余ってるやつを持ってきただけだ」
「まだ余ってはいませんよ、ラヴァちゃん。枚数を確認して配るので、そっちの分も――」
「ああもう、分かってる!」
姉妹のやり取りを聞きながら、ヴァレリウスは天幕の脇へ退いた。救護班の動きは戦団の医療要員とも、帝国軍の野戦救護とも異なる。装備は小さく、彼に読み取れぬ表記も多かったが、何をしようとしているかは理解できた。
人員の配置を見定めていると、片角の男が近づいてきた。
「本当に来たな」
「ああ」
「……あんたが立ってたせいで、帰られなくてよかった」
「所属の確認は必要だった」
「それは、まあ、そうなんだが」
男は青い巨体とその後ろに並ぶ車輌を見比べた。
「向こうから見たら、何が道を塞いでるのかと思っただろうな」
ヴァレリウスは答えなかった。その沈黙を男は特に気にしなくなっていた。
最初の診察と応急処置が一段落した頃、救護班の責任者はようやく巨人についての説明を得た。
説明をしたのは、長い耳を持つ老人だった。
昨日、彼が突然この野営地へやってきたこと。どこの国から来たのかも、自分がどこにいるのかも分かっていなかったこと。源石も鉱石病も知らず、こちらが一から説明したこと。
そのあたりで、責任者は一度ヴァレリウスを見た。彼は否定しなかった。
「夜中もずっと入口にいたよ。明け方には水の流れも見てくれた。怖いお方だが、何かを奪おうとはしなかった」
「……そうですか」
「わしらの食い物もいらんと言ってな。最初は、自分たちが何をされるものかと気が気でなかったが」
老人はそこで杖へ体重を預けた。
「少なくとも、来てから今までわしらへ手を上げたことはない」
責任者は老人へ礼を言い、今度はヴァレリウスへ向き直った。
「お話は伺いました。あなたからも、現状を説明していただけますか」
「故郷での戦闘中、未知の現象に巻き込まれた。次に周囲を認識した時には、この土地にいた。所属部隊への通信は成立せず、現在地の確認にも失敗している」
「その故郷というのは、どちらに?」
「マクラーグ」
責任者は暫く考え、首を振った。
「申し訳ありません。聞いたことのない地名です」
「この野営地の者も同様だった。汝らの地理情報と照合する必要があるだろう」
ヴァレリウスは救急車輌へ目を向けた。後部の扉が開かれ、内部では搬送に備えて寝台が整えられている。
「汝らの組織は、源石の研究を行っていると聞いた」
「はい。鉱石病の治療と、それに関わる研究をしています」
「ならば私をロドス・アイランドへ同行させることを提案する」
責任者の手が止まった。
「……本艦へ、ですか」
「私は、この世界を理解するための情報と帰還の手がかりを必要としている。医療と研究の設備を有する組織に身を置ければ、その両方を得られる可能性がある」
「事情は分かりました。ただ……」
責任者は言葉を選んだ。
目の前の人物が野営地で危害を加えていないことは確認できた。難民たちの話には怯えが残っていたが、彼が剣を収めたことや、病人へ近づいても態度を変えなかったことを口々に語っていた。
しかし、身元の確認できない武装者をこれだけの装備ごと本艦へ迎えるとなれば話は別だった。
「私の権限だけでは判断できません。本艦へ連絡して、許可を取る必要があります」
「理解した」
「その間、ここでお待ちいただけますか。救護と搬送の準備は続けます」
「差し支えない。必要な確認を行え」
責任者は少しだけ安堵した。断られたと受け取って怒り出すような相手でなかったことも、この日すでに数えてよい幸運の一つだった。
本艦との通信は、車輌に備えられた機器を使って行われた。
責任者が車内へ戻ると、ヴァレリウスは通路を塞がぬ場所へ移り、救護作業を眺めながら待った。
その左腕へちらりと視線が向く。少しして、また向いた。
ヴァレリウスが首を動かすと、ビーグルが背筋を伸ばした。
「……何か用か」
「えっ。あ、あの……すみません」
「謝罪を求めてはいない。用件を述べよ」
ビーグルは自分の盾へ目を落とした。次に巨人の盾を見る。その間に何を考えたのかはフェンにも、少し離れて見ていたクルースにも分かった。
フェンが口を開くよりビーグルの方が僅かに早かった。
「……その盾について、少しだけ、伺ってもいいですか?」
「ビーグルちゃん、ちょっと待とうかぁ」
「おい、いきなり何を聞いてるんだよ!」
クルースとラヴァの声が重なった。
ビーグルは振り返り、慌てて片手を振った。
「ち、違うの! その、変な意味じゃなくて!!」
「変な意味じゃなくても、まだ初めて会ったばっかりだろ!」
「そうだけど……」
ヴァレリウスは三人を順番に見た。
武装について探りを入れるのであれば、もう少し別のやり方がある。これほどあからさまに視線を向け、周囲の者に止められながら質問してくる理由が、すぐには分からなかった。
ただ、彼女自身も盾を持っている。
「汝は防御を担当する者か」
「あっ、はい! 重装オペレーターのビーグルです。まだ見習いなんですけど……みんなを守る役目です」
名乗りながら、少しだけ声が強くなる。
「その盾、すごく頑丈そうで。さっき見た時から、どんなふうに使うのか気になってしまって」
「此れはストームシールドだ」
ヴァレリウスは左腕を僅かに動かした。正面を向けられると思ったのか、クルースの身体が小さくずれたが、盾は脇へ下げられたままだった。
「主として、近距離における強力な攻撃と射撃を阻むために用いる」
「やっぱり、これだけ厚くないといけないんですね……でも、ずっと構えていたら腕が……」
「私が使用することを前提とした武具だ。汝の装備と、重量だけを比較しても意味は薄い」
「……はい。そうですよね」
ビーグルは少し考え、自分の盾の持ち方を直した。
「その、近くで見てもいいでしょうか」
「見ることは構わぬ。触れることは許可しない」
「はい!」
あまりにも素直な返事だった。
ラヴァが隣で何とも言えない顔をした。クルースはクロスボウを抱え直し、ゆっくりとビーグルの傍へ移る。
「……すみません、うちの隊員が」
フェンも近づき、ヴァレリウスへ頭を下げた。
「作業の邪魔にならないようにしますので……ビーグル、少しだけだよ」
「はい、隊長!」
許可が下りてしまった。
ラヴァはフェンを見たが、フェンも多少困っている顔だった。止めるべきだと思って来たものの、相手が答えてくれているうえ、ビーグルはきちんと断りを入れている。叱る理由を探している間に、質問が次へ進んでしまう。
「この縁のところも、攻撃を受け止めるためのものなんですか?」
「構造の一部だ。だが、防御能力の全てが材質と厚さに依存しているわけではない」
「……と、いうと?」
「エネルギーフィールドを展開する機構を備えている」
ビーグルの耳がぴんと立った。
「盾から、ですか?」
「そうだ」
「盾の外側にもう一つ防ぐものができるってことですか? 攻撃が当たる前に?」
「概ねその理解でよい。無制限に防げるわけではないが、盾そのものと併せて使用することで防御力を高める」
ビーグルはもう一度盾を見る。先ほどとは明らかに目の輝きが違っていた。
「それなら横から来た攻撃も……あっ、いえ、どのくらい広がるのかなって。私の盾だと、構えた場所から外れると後ろにいる人に当たってしまうので」
ヴァレリウスは彼女を見下ろした。
見映えや装飾について聞いてくると思っていたが、彼女の関心は少し違っているらしい。
「展開の範囲と盾の向け方に依存する。装備の機能だけで適切な位置取りを省略できるわけではない」
「な、なるほど……」
「まず自らの盾が覆う範囲を把握せよ。他の装備を知る際も、その基準がなければ比較できぬ」
ビーグルは自分の盾を見た。新しいものを欲しがったと思われただろうか。少しだけ頬を赤くして持ち手を握り直す。
その横からラヴァが口を挟んだ。
「その、えねるぎーふぃーるど?ってヤツはアーツなのか?」
クルースが彼女を見た。
「ラヴァちゃんも聞くんだねぇ」
「……気になっただけだよ」
「うんうん」
「何だよ、その顔」
ヴァレリウスはそのやり取りを暫く眺めてから答えた。
「アーツという用語について、私はまだ十分な説明を受けていない。だが、この武具が汝らのいう源石を動力としていないことは確かだ」
「源石を使わずに、そんなものを?」
フェンも思わず盾へ視線を向けた。
近くで器具を片づけていた医療オペレーターがそちらを見る。薬剤の容器を運んできたハイビスカスも、会話の最後の部分だけを聞き取って足を緩めた。
「防護用の装置なんですか? それなら、搬送中の患者さんにも――」
「ハイビス。今はこっちを」
先輩の医療オペレーターに呼ばれ、ハイビスカスははっとした。
「す、すみません! すぐ行きます!」
ラヴァが少しだけ勝ち誇った顔をした。
その様子を見たフェンは額へ手を当てかけて、途中でやめた。自分も質問に加わりかけたばかりだった。
ヴァレリウスは黙って彼女たちを見渡した。
未知の武装を持つ相手。所属も来歴も確認できず、僅か前には進路を塞いでいた戦士である。その傍へ質問をするために近づいてくる。止めに来た者も、いつの間にか一緒に装備を見ている。
――あまりにも、理解に苦しむ警戒心の薄さだった。
彼は兜の中で息を一つ吐いた。
ただし、この状況は自分に不利益をもたらしてはいない。彼女たちが敵意を抱かずにいてくれるなら、接触を維持することは容易になる。今ここでその態度の問題を指摘する必要はなかった。
「作動させるところは、見せてもらえないんですか?」
ビーグルの問いに、今度はクルースがその肩へそっと手を置いた。
「ビーグルちゃん。そろそろ、お仕事に戻ろっかぁ」
「……あっ」
周囲を見て、ビーグルの顔が赤くなった。
「すみません! その、ありがとうございました。お話、聞かせていただいて」
「疑問は解消したか」
「はい! まだ、分からないこともありますけど……」
正直な返答に、フェンが小さく咳払いをした。
ビーグルは慌てて言い直す。
「で、でも、今は大丈夫です!!」
「……そうか」
彼女たちが持ち場へ戻っていく。
少し離れたところでクルースがビーグルへ何かを囁いた。ビーグルが首を振り、ラヴァが肩をすくめる。フェンが全員を促し、その後を追っていった。
ヴァレリウスは一人になり、再び周囲の監視へ戻った。未知の世界について得られた情報は増えた。
そして――この組織における武装要員の教育については、判断を保留することにした。
責任者が輸送車から降りてきたのは、それから間もなくだった。
「許可が出ました。難民の方々と一緒に本艦へ来ていただきます」
ヴァレリウスが顔を向ける。
「汝らの上位者は私に関する説明を受けたのか」
「はい、こちらから送れる情報は送りました。詳しいお話は本艦で伺うとのことです」
「承知した」
「ただ、搬送の準備を優先しますので、出発まで少しお待ちください」
「手を要する作業があるならば言え。此方も庇護下に入る身、必要な場面があれば手を貸そう」
異種族へ、アスタルテスのオナーガードが手を貸すと申し出る――帝国の一般兵や若い戦闘兄弟が見れば卒倒しそうな光景だったが、ロドスのオペレーターはそんなことは知る由もない。
責任者は一瞬だけ考え、近くの天幕へ目を向けた。
「……では、担架の移動を手伝っていただけますか。こちらの指示に合わせてゆっくり運んでください」
「よかろう」
その返答を聞いた医療オペレーターが担架と巨人を交互に見た。大きさだけなら、寝かされた患者ごと片手で持ち上げてしまいそうだった。
だが、ヴァレリウスは先に患者の状態と移動先を確認し、持つ位置を指示されるまで手を出さなかった。
「こちら側を。……そうです。頭を下げないようにお願いします」
「この角度か」
「はい。そのままで」
担架が殆ど揺れることなく持ち上がった。
反対側を支える医療オペレーターが歩き出す。ヴァレリウスはその歩幅へ合わせた。彼一人で持ち上げる方が容易だったが、患者の身体をどう保つべきかについては、今診察を終えた者の判断に従う方がよい。
天幕から出てきた老人がその様子を見ていた。
「何でもできるもんだな」
「運ぶだけだ」
「それができん者が、大勢おるんだよ」
ヴァレリウスは老人へ目を向けたが、歩みは止めなかった。
ビーグルが救急車の後部へ回り、乗り込みを手伝う。フェンは人数を照合し、歩ける者を輸送車へ誘導した。ラヴァが残った荷物をまとめ、ハイビスカスは診察を受けた子供の手袋を直していた。
「移動中に気持ちが悪くなったら、すぐに教えてね。我慢しなくていいから」
子供は頷き、布人形を抱き直した。
その頭上を巨大な青い影が通る。子供が顔を上げた時には、ヴァレリウスは既に次の寝床へ向かっていた。小さな手が上がったが、呼び止める声にはならなかった。
少しだけ後で、巨人の兜がそちらを向いた。
子供が彼へ小さく手を振ると、ヴァレリウスは短く顎を引いた。
全員の乗車が終わる頃、救護班は最後の問題に行き当たった。
「……入れませんね」
責任者の声に運転手が頷いた。
「入口がまず無理です。仮に通っても、座席と通路の幅が足りません」
ヴァレリウスは輸送車の扉を見ていた。
人間が一人ずつ乗り降りするには十分な幅がある。だが、肩当てと盾を含めた彼の横幅はその想定から大きく外れていた。
「横を向けば……」
言いかけたビーグルが巨人の肩と扉を見比べ、口を噤む。どうやら横を向いて解決する差ではなかったらしい。
「装備を外していただくわけにも……いきませんよね」
「ここで装甲を脱ぐことは適切ではない。加えて、内部の座席は私の身体に対応していない」
「ですよね……」
フェンが困ったように耳を傾けた。クルースは輸送車の中から窓の外へ顔を向けた。
「ヴァレリウスさん用の車、お願いするべきだったねぇ」
「何て伝えるんだよ」
「大きい人がいます、って」
ラヴァとクルースのやり取りに、近くの運転手が苦笑した。
救急車輌は患者と医療要員のためのものだ。そもそも寝台を全て外したとして、彼の身体を安全に収められるかどうかは怪しかった。
責任者は暫く車列を見渡し、最後尾へ目を留めた。
「……貨物車なら」
物資の回収と、必要に応じた機材の運搬に備えて同行させた車輌だった。難民たちの荷物はその前方へまとめられている。鍋と道具と小さな包み。それらを丁寧に固定しても、荷台には広い空間が残っていた。
責任者はそこを見た後、ヴァレリウスを振り返った。
「申し訳ありませんが、荷台に乗っていただくことになります。乗員用の座席はないので、固定用の装備を使って――」
「床の耐荷重は足りるか」
「そこは確認します。大型の機材を載せるための車輌なので、寸法と重量が分かれば」
必要な確認が済むと、ヴァレリウスはそれ以上の異論を挟まなかった。
後部の足場へ装甲靴がかかる。車体がゆっくりと沈んだ。運転手が思わず後輪を見たが、追加の沈み込みはすぐに収まった。巨人は荷台へ上がり、積み荷から距離を取って前方の補強された区画へ腰を下ろす。
それでも、青い肩当ては側板より高いところにあった。
「……窮屈じゃありませんか?」
ハイビスカスが下から尋ねた。
「支障はない」
「揺れて、どこか痛くなったら教えてくださいね。装甲を着ていても、身体に負担はかかりますから」
兜が彼女へ向く。ハイビスカスは一拍置いてから、少しだけ声を落とした。
「……必要が生じれば伝える」
「はい!」
ラヴァは姉の横顔を見て、小さく息を吐いた。
――この相手にも、それを言うのか。
だが巨人が別に怒っていないので、口には出さなかった。
荷台に固定具が渡され、ヴァレリウスが自らの姿勢を確かめる。盾は積み荷と触れない位置へ保たれた。輸送車から様子を見ていたビーグルが、ようやく安心したように息をついた。
「よかった……ちゃんと乗れましたね」
「うん。ちゃんと、かなぁ」
クルースは荷台の上にそびえる巨体を眺める。
収まっていることは確かだったが、それを乗車と呼ぶかどうかについては少し考える余地があった。
車列が荒野を離れる頃には、空は僅かに黄味を帯び始めていた。
荷台に伝わる振動は地面の状態をそのまま拾ってくる。ヴァレリウスは固定具と足場を利用して姿勢を保ち、後方へ流れていく地形を観測した。
昨夜までいた野営地はすぐに岩山の陰へ隠れた。
あの場所で得られた情報には限りがある。だが、帝国の信号を探して荒野を歩き続けていた時と比べれば、現在の進路には明確な目的があった。
彼は通信の受信状態を確認した。
やはり、依然として戦団からの応答はない。
記録を閉じ、前方の地形を表示させる。車列は比較的平坦な道を選び、時折大きな亀裂を避けながら進んでいた。道路の残骸には彼に読めない標識が残されている。やがてその数が増え、轍も重なり始めた。
数十分ほど走ったところで、貨物車が速度を落とした。
運転席の後ろにある小窓が開く。
「ヴァレリウスさん、もう見えますよ」
声をかけてきた運転手は前方を指し、ヴァレリウスは視線を上げた。
岩山の向こうへ巨大な構造物が姿を現していた。
最初に見えたのは地上高くへ並ぶ区画と、そこから伸びる設備だった。前進するにつれて下部の輪郭が現れ、さらにその下には広大な駆動部分が見えてくる。
観測の尺度を切り替えた。全長、数百メートル。それほどの構造物が、地表の上に載っていた。
ヴァレリウスは荷台の側板へ手をかけ、上体を起こした。
「……あれか」
「はい。ロドスです」
「汝らの医療拠点とは、あれを指していたのか」
運転手が小窓から顔を向けた。
「ええ。本艦です」
ヴァレリウスは暫く返答しなかった。
巨大な陸上車輌を知らなかったわけではない。
数世紀に及ぶ戦いの中では、帝国防衛軍のキャピトル・インペリアスを目にしたことがある。大地を押し潰しながら進む、重武装の陸上要塞。オルクどもが組み上げた、醜悪なバトルフォートレスとも相対してきた。
だが、前方の艦はそれらと同じものとして処理するには、あまりにも構成が異なっていた。
巨大な駆動機構の上へ幾層もの区画が組み込まれている。外壁を走る通路、搬入口、整備のための設備。僅かに武装らしきものは確認できるが、全てが火力の投射に従属しているわけではない。
これほどの規模のものを動かし、内部で人間を暮らさせ、医療と研究を行う。
その全体が荒野へ影を落としていた。
「……これが、製薬会社の施設なのか」
兜を通した声にも抑えきれぬ響きがあった。
運転手は一度前を向き、それから再び小窓を見た。
「初めて見たんですか?」
「そうだ」
「こういう艦そのものを?」
「ああ」
運転手は何か言いかけ、少し考えてから無線へ手を伸ばした。
本艦への進入を待つ車列が所定の位置で一度停車した。貨物車の傍へ来たフェンは、荷台の上で前方を見続けているヴァレリウスに声をかけた。
「固定具、どこか緩んでいませんか?」
「異常はない」
「よかったです。ここからは、本艦の案内に従って入りますので」
「……フェンよ」
名前を呼ばれ、彼女が顔を上げた。
「この艦は継続して地表を移動できるのか。それとも、移動後に拠点として固定されるものか」
「移動できます。もちろん、補給や整備で停泊することもありますけど……」
フェンはそこで問いの意味を考えた。
「……本当に、こういうものをご存じなかったんですか?」
「私が知る大型の陸上要塞とは異なる」
ヴァレリウスは本艦から視線を外さずに答えた。
「汝らにとって、この規模の移動施設は特異なものではないのか」
「ロドスは珍しい方だと思います。移動都市に比べてコンパクトですし……」
「都市が、移動するのか?」
「……はい」
少し離れたところで会話を聞いていたクルースが顔を上げた。
ビーグルも輸送車の窓からロドスを見た後、ヴァレリウスへ目を戻す。
「私も初めてここに来た時は、すごくびっくりしました。大きくて、迷子になりそうで」
「私が知る陸上要塞とは構成が違う。この規模の施設に、どのような機能を持たせたのかを確認している」
「あ、はい。そうですよね。すみません……」
ビーグルが肩を小さくすると、ヴァレリウスはようやく彼女へ顔を向けた。
「ただし、予想を超えていたことは事実だ」
ビーグルが瞬いた。クルースの口元が僅かに緩む。
「うん。さっき、すごくびっくりしてたもんねぇ」
「……クルース」
フェンが小声で呼んだが、ヴァレリウスは否定しなかった。そのことがフェンには少し意外だった。
野営地へ着いてから今まで、この巨人が明確に動揺したところは見ていない。自分たちが騒いでいても、患者を運んでいても、荷台に乗ることになっても、態度は殆ど変わらなかった。
それが、ロドスを見て初めて変わった。
誰でも知っていることを知らない一方で、自分たちが見たこともない装備を持ち、別の巨大な移動要塞を知っている。
老人から聞いた話がフェンの中で少しずつ形を変えていった。
知らない国から来た人――本当にただそれだけで説明できるのだろうか。
「……故郷へ戻れるといいですね」
ビーグルが静かに言った。ヴァレリウスの赤いレンズが彼女へ向いた。
「必ず戻る。そのためにここへ来た」
返答は短かった。ビーグルは少しだけ背筋を伸ばし、頷いた。
「はい」
やがて進入を許可する連絡が入った。
フェンが皆を車内へ戻し、車列が再び動き出す。ヴァレリウスは正面へ向き直り、近づいてくる艦の外壁を見上げた。
搬入口へ入ると、外の光が背後へ退いた。
広い通路の両側で誘導の灯火が順番に点灯している。作業服を着た者たちが到着する車輌をそれぞれの区画へ振り分けていた。救急車輌にはすぐに人員が付き、連絡を受けて待機していた医療班が後部扉へ集まっていく。
ヴァレリウスを載せた貨物車だけが少し離れた場所へ誘導された。車体が停止し、固定具が外される。
「足元に段差があります。お気をつけて」
声をかけた作業員は言い終えたところで、相手の脚の長さへ目を向けた。
ヴァレリウスは荷台の縁へ移り、片足を地面へ下ろした。装甲の駆動音が広い格納区画へ低く響く。
「確認した」
「……はい。では、こちらへ」
作業員が道を空け、巨人が完全に立ち上がると近くの会話が幾つか途切れた。運ばれていく患者へ目を向けていた者も、車輌の点検を始めていた者も、ついその姿を追ってしまう。
フェンが急いで近づいてきた。
「私がご案内します。まず、こちらで外側の埃を落としていただいて――」
「汝らの手順に従おう」
簡単な処置を受けている間も、ヴァレリウスは周囲を観測していた。
内壁を走る配管とその接続部。作業区画を区切る標識。機材を運ぶための通路と人員が行き来する道筋が混雑しないよう分けられている。外から眺めた時には判別できなかった設備の配置が、内部へ入ったことで少しずつ明らかになった。
彼の知る帝国の標準的な規格とは違う。
だが、それぞれの機構は用途へ合わせて整然と収められていた。繰り返し手を加えられた痕跡もある。外装が洗練されているという範疇に収まらず、きちんとここで日常的に働く人間が設備を運用し続けていることが見て取れた。
視線を上へ向けると、何層かの足場の向こうにさらに通路が続いている。
――その全てがあの巨大な駆動部の上にある。
「ヴァレリウスさん?」
「……聞こえている。続けよ」
「この先でアーミヤさんとケルシー先生がお待ちです」
ヴァレリウスは視線を戻した。
「今回の受け入れを決定した者か」
「はい。ロドスの代表と、医療部門の責任者です」
フェンの声が少し改まり、ヴァレリウスも歩調を変えた。
格納区画の奥、車輌の動線から外れた場所に二人の人物が立っていた。
一人は黒い上着を身につけた小柄な少女だった。頭部から伸びる長い耳がこちらへ向いている。傍らには白い上着の女が立ち、微動だにせず彼を見ていた。
白い女の視線はヴァレリウスの胸元の意匠、盾、腰の武装へと移った後、兜の位置へ戻った。
ヴァレリウスはその目を見た。
野営地で出会った者たちとも、ここまで同行した若い隊員たちとも違う。未知の巨体を見て驚いていないのではない。観察の順序を自分で保っている者の目だった。
「アーミヤさん、ケルシー先生。到着しました」
「ありがとうございます、フェンさん。皆さんも、救護活動お疲れさまでした」
少女がフェンへそう言い、次いでヴァレリウスへ向き直った。
近づいてから見れば、身体の大きさの違いは一層際立った。それでも彼女は必要以上に距離を取ろうとはせずに顔を上げて彼の兜を見た。
「初めまして。ロドス・アイランドのアーミヤです」
声は若かったが、挨拶ははっきりしていた。
「キャンプの皆さんからお話を伺っています。救護班が着くまで皆さんを見守ってくださって、それから搬送も手伝ってくださって……ありがとうございました」
「必要な作業を行ったまでだ。私はアウルス・ヴァレリウス、ウルトラマリーン戦団のオナーガードである」
「ヴァレリウスさん、ですね」
アーミヤはその名を確かめるように呼び、僅かに頷いた。
「ここまでの移動で何か問題はありませんでしたか?」
「輸送車輌の規格に多少の相違があった」
傍らでフェンの耳が僅かに揺れた。アーミヤは彼女へ一瞬目を向け、それから荷台の方を見た。事情を理解したらしく、少しだけ表情を和らげる。
「……すみません。こちらで準備できるものが限られていて」
「移動の目的は達成された、問題はない」
その時、白い上着の女が口を開いた。
「……ケルシーだ。医療部門を統括している」
簡潔な名乗りだった。ヴァレリウスが彼女を見ると、ケルシーも視線を逸らさずに続けた。
「君が所属部隊から孤立した軍人であり、自分の現在地と帰還の手段を探していることは聞いた。ここへ来た経緯についてはまだ確かめるべき点が多い」
「私も同様だ」
「まずは話を聞こう。こちらも答えられる質問には答える」
アーミヤが二人を見てから通路の先へ手を向けた。
「落ち着いてお話のできる場所を用意しています。案内してもよろしいですか?」
ヴァレリウスは二人の背後へ続く通路とその高さを確認した。アーミヤも、つられて一度天井を見上げた。
「……通れます。そこは、先に確認しておきました」
フェンの口元がほんの少し緩んだ。ヴァレリウスは少女へ視線を戻し、重々しく頷いた。
「よかろう。案内を頼む」
テラにヴァレリウスが転移してから数日。初めて双方が本格的な情報交換を行える環境が整った。
――だが、まだ彼女達は知らなかった。目の前の理性的且つ冷静な軍人が、如何に過酷で残酷な世界から来た者であるかを。