皇帝の流浪者たち   作:Sanctum

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クロージャ&ワルファリンとの交流回です
今日は午前午後に分けて二話投稿します


ライフライン

 

 エンジニア部へ近づくにつれ、通路へ漏れてくる音が変わった。

 

 艦の奥から響く駆動音に、工具の触れ合う音や何かを試運転しているらしい短い唸りが重なっていく。作業服の者たちが行き交い、部品を積んだ台車が角を曲がるたびにヴァレリウスは盾を身体へ寄せて道を空けた。

 

 何人かは礼を言いかけ、顔を上げたところで言葉を失った。巨人がそのまま待っていると、慌てて台車を押し直していく。

 

「先に一つ確認しておきたい。君の武具には扱う者の資格や守るべき手順があるのだな。整備についても同様と考えて良いのか」

 

 隣を歩くケルシーが彼の腰の剣へ目を向けた。

 

「そうだ。戦団の武具は皇帝陛下への奉仕を共にするものだ。その機構に宿る機械精霊へ敬意を払い、定められた作法に従って扱わねばならぬ」

 

「……宗教上の意味もある、ということか」

 

「当然だ。理由も知らず部品を外し、興味の赴くままに手を加えるような行いは断じて許されぬ」

 

 ケルシーは前へ視線を戻した。

 

 クロージャへの連絡には未知の規格の装備であることと、所有者の許可なく触れてはならないことを記してある。クロージャならばその重要性を理解するだろう。ただ、到着するまでの間に彼女がどれほど想像を膨らませているかについては、今から考えても仕方がなかった。

 

「……何か懸念があるのか」

 

「……必要な注意事項が少し増えただけだ」

 

「汝の技術者はそれほど扱いが難しいのか」

 

 ケルシーが答える前に、通路の先の扉が開いた。

 

「来た来た! ――ちょっと、本当にこんなに大きいの!?」

 

 黒い髪を揺らし、小柄な女が飛び出してきた。ケルシーへ片手を上げたかと思うと、その視線は既に彼女の隣へ移っている。

 

「うわぁ……何これ!? 関節の収まり方、すっごい綺麗じゃん。ねえ、その腕、ちょっと曲げてみてくれる?」

 

 ヴァレリウスが返答するよりも早く、女の手が前腕の装甲へ触れた。指先が継ぎ目に沿って滑り、肘の内側を覗き込んだかと思うと、今度は横へ回って腰部の構造を見上げる。

 

「外から見える駆動部はこれだけ? それでこの重さを動かしてるんだ。材質も……ん? この表面、塗装だけじゃないのかな。ねえ、こっちは――」

 

「……技術者よ。手を離せ」

 

 低い声が頭上から落ちた。

 ヴァレリウスは動いていなかったが、クロージャの指は次の装甲板へ触れる直前で止まった。

 

「……あっ」

 

 彼女は自分の手を見てから、ゆっくりと両手を引っ込めた。

 

「ごめん。ちょっと、手が先に出ちゃった」

 

「それは見れば分かる」

 

「うん、だよね……あはは」

 

 クロージャは困ったように笑い、ようやくケルシーへ顔を向けた。

 

「えっと……この人が、連絡にあった?」

 

「アウルス・ヴァレリウスだ。装備の点検について、君の見立てを求めている」

 

「あたしはクロージャ。ロドスのチーフエンジニアで、購買部の責任者もやってるよ。今のは技術部門からの歓迎がちょっと勢い余ったってことで……」

 

「……歓迎の際に、相手の装甲を調べる習慣があるのか」

 

「そんなに立派なのを着て来た人、初めてだったからさ」

 

「クロージャ」

 

 ケルシーが名前を呼ぶと、彼女は口を閉じた。

 

「彼の装備には宗教上の意味がある。機構にも装飾にも扱いの定めがあり、君にとっての点検や調整が彼にとっても同じ意味になるとは限らない」

 

「ああ……なるほど、そっちもあるんだ」

 

 クロージャの視線が金の縁飾りや装甲へ留められた印章へ戻った。今度は手を伸ばさず、少し距離を取ったところから眺めている。

 

「それを先に言ってくれれば……」

 

「君が部屋から飛び出してくる前に伝える予定だった」

 

「はいはい、あたしが早かったね」

 

 わざとらしく肩を落とした後、クロージャはヴァレリウスを見上げた。

 

「改めてごめん。大切なものに勝手に触ったのはこっちが悪かったよ。次からは聞くから、まずは話をさせてくれない?」

 

 ヴァレリウスは彼女の顔と身体の前へ揃えられた両手を順に見た。

 

「……理解したのであれば、よい」

 

「よかった。じゃ、こっちへどうぞ。大きい作業台も空けてあるし――あ、入口、頭ね。そこはさすがに広げられなかったから」

 

「確認している」

 

 彼が身を屈めると、クロージャは扉を目いっぱい開いた。肩当てが通り抜ける様子を熱心に眺めていたが、ケルシーの視線に気づくと、何もしていないというように手を振る。

 

「私は外で待つ。連絡が必要になれば呼んでくれ」

 

「分かった分かった。勝手に外さない、勝手につながない、勝手に持っていかない。ほかには?」

 

「それを実行するように」

 

「信用ないなあ」

 

 ケルシーは答えず、通路の壁際で端末を開いた。クロージャが扉を閉じるまでその目は二人から離れなかった。

 

 工房の内部には幾つもの作業台が並んでいた。

 

 分解された機器や配線の束が置かれた場所もあったが、中央の広い一台だけは片づけられ、厚い保護材と部品を分けて置くための浅い容器が用意されている。ヴァレリウスが近づくと、クロージャは足元の踏み台を邪魔にならない位置へ蹴り寄せ、それから自分で乗った。

 

「ここならちょっとは話しやすいかな。ずっと上を見てると、首がね……」

 

 ヴァレリウスは作業台の強度と周囲の空間を確かめ、盾を立てかけた後、兜へ手を添えた。

 

 密閉を解く音にクロージャの目が向き、持ち上げられた兜の下から素顔が現れると、その視線が一度だけ止まった。

 

 傷痕を除けば顔立ちは整っていた。通った鼻梁と厚い眉、均衡の取れた輪郭があり、そこへ長い戦歴の険しさが深く刻まれている。無表情でいるだけでも、誰かの不始末について報告を待っているように見える男だった。

 

「……なるほど。兜を脱いでも、迫力はあんまり変わらないんだね」

 

 クロージャは顔と兜を見比べた。

 

「何の話だ」

 

「こっちの話。あ、兜はそこに置いて大丈夫だよ。下に柔らかいの敷いてあるから」

 

 ヴァレリウスが兜を置くと、彼女はその内部を覗き込みかけたがすぐに顔を戻した。

 

「……先に条件を伝える」

 

「うん。聞いてるよ」

 

 彼は作業台へ片手を置き、クロージャへ向き直った。

 

「私の監督外で装備を分解せぬこと。検査はまず非接触で行えるものから始めること。装飾、紋章、印章の類には勝手に触れぬことだ」

 

「機械の方じゃなくて、飾りにも?」

 

「無論だ」

 

「うーん……外装を外すのに邪魔になるものもあると思うけど」

 

「その際は私に申し出よ」

 

「分かった。じゃあ調べるために外す必要が出た時も、その都度相談。取り外せないならその理由を教えてもらう。これならいい?」

 

「それでよい」

 

 クロージャは作業台の上へ肘をつきかけ、途中でやめて腰へ手を当てた。

 

「いやぁ、久しぶりだなあ。こんなに気になるものが目の前にあって、見るだけから始めるの」

 

「汝は、常にまず分解するのか」

 

「まさか。値段とか、納期とか、ケルシー先生に見つかるかどうかとか色々考えるよ!」

 

「……今、考えるべきものが増えたな」

 

 真顔で返され、クロージャは一瞬きょとんとしてから笑った。

 

「あははっ!! そうだね、持ち主が目の前で見てるかどうかも追加しとこっか」

 

「常に含めておけ」

 

「はいはい。じゃあ、その厳重な監督つきで始めよっか」

 

 彼女は端末を操作すると、机の端に置かれていた菓子の袋を別の棚へ移し、測定器を引き寄せた。

 

「最初は剣と盾からね。装甲の方はキミが着たまま確認できる範囲を後で見るよ。どっちも電源を切って、安全な状態にできる?」

 

「可能だ。但し、動力部へ汝らの設備を接続してはならぬ」

 

「しないよ。端子の規格も分からないのにそんなことしたら、あたしの機械の方が先に壊れちゃう」

 

 ヴァレリウスはパワーソードを抜き、作動していない刀身を台へ横たえた。人間の用いる剣とは長さも厚みも違い、クロージャは反対側へ回り込んでから声を弾ませた。

 

「おお……これ、実物だとほんっとに大きいね。持ち上げる時は当分キミにお願いしよっと」

 

「その方がよかろう」

 

「……そこはあたしの腕力も少しは期待してくれない?」

 

 彼は彼女の腕と剣を見て、黙った。

 

「うん、いいよ。正直な人は嫌いじゃないから」

 

 クロージャは笑いながら架台へ取り付けた光学機器の位置を調整した。装飾に触れずに全体を撮影し、刀身と柄の外形を記録してから、ストームシールドにも同様の観測を進めていく。

 

 その間にヴァレリウスは自ら行える整備の手順に従い、剣の柄にある点検用の覆いを取り外した。短く唱えられた言葉にクロージャが顔を上げたが、彼の指が定まった順序で留め具を外していくのを見ると、質問を後へ回して画面へ記録した。

 

 僅かに開いた部分へ照明を向けた途端、彼女の目が輝いた。

 

「……ねえ。やっぱりちょっとだけ触っちゃ駄目?」

 

「駄目だ」

 

 その返事にクロージャは落胆を隠そうとする様子はなかった。

 

「……これが力場を発生させるところ?」

 

 クロージャは細い指示棒を持ち、開かれた部分の手前で先端を止めた。ヴァレリウスが首を振り、もう少し奥を指すと、彼女はすぐに照明の角度を変えた。

 

「あ、こっちか。じゃあここのまとまりは給電系かな……うわ、こんなに詰め込むんだ。冷却はどこを通してるの? それともこの材質なら熱の逃がし方も違う?」

 

「まず、汝が何を把握しているのか説明せよ」

 

「今のところは、ものすごく面白そうだってこと」

 

 ヴァレリウスの顔が動かなかったので、クロージャは小さく咳払いをした。

 

「……と、外から見える構造くらいかな。動力がどこを通って何を作動させてるのか、順番に教えてくれる? 部品の名前はこっちの言葉と合わないかもしれないし」

 

 彼は頷き、把握している範囲で剣の構造を説明した。

 

 動力を供給する部分と、それを刀身の周囲へ展開する発生装置。起動された破壊力場は接触した物質の結合を崩し、通常の刃では切り裂けない装甲にも刃を通すことができる。

 

 クロージャは説明の途中から端末へ手を走らせ、聞き返す時だけ顔を上げた。

 

「刀身を熱してるわけじゃないんだね。切れ味のいい刃にさらにその力場を重ねる……へぇ。じゃあ、発生装置から離れた先端まではどうやって形を保ってるの?」

 

「……そのように設計されている」

 

「そこが知りたいんだって。刀身自体も展開するための機構に含まれてるの? この配列で安定させてるのかな。それと、起動する時の制御は――」

 

「クロージャ技師」

 

 ヴァレリウスの声に、彼女は勢いよく顔を上げた。

 

「私はテックマリーンでも技術司祭でもない」

 

「……あ」

 

「日常の点検と戦場で必要となる整備の範囲は心得ている。だが、内部機構の全てを設計した者ではないのだ。問いを重ねても、知らぬものは答えられぬ」

 

 クロージャは彼を見つめ、それから少しばつが悪そうに笑った。

 

「そっか。そうだよね、普段使ってるからって作った人と同じことまで知ってるわけじゃないか」

 

「その通りだ」

 

「ごめんごめん! つい、返事が来るうちは聞いていい気になっちゃって!!」

 

 そう言いながらも視線は開いた機構へ戻っており、指示棒の先が触れる寸前のところで行き場を失っていた。

 

「でも、そのテックマリーンと技術司祭っていう人たちはこれを直せるんでしょ?」

 

「彼等はそれぞれの職責において、機械の維持と修復を担う。テックマリーンは我が戦団に属する技術の専門家だ。技術司祭は機械教の聖職者でもある」

 

「聖職者のエンジニアかあ……面白いね。会えるなら、一度話してみたいな。聞きたいことがもう山ほどあるんだけど」

 

「やめておけ」

 

 あまりに即座の返答に、クロージャが瞬いた。

 

「えっ。なんで!?」

 

「……衝突する」

 

「まだ挨拶もしてないんだけど!?」

 

「汝は私への挨拶を終える前に装甲へ手を伸ばしたであろう。それに、機械精霊や機械教について何も知らぬ」

 

「……それは、まあ、そうだけどさ」

 

「神聖なる機構を前にして同じように振る舞うのであれば、平穏な技術交流に終わるとは思えぬ」

 

 クロージャは彼の険しい顔を見てから、観念したように息を吐いた。

 

「なるほど。先に手を出したせいで、推薦状がもらえなくなっちゃったわけね」

 

「私の忠告を聞いたのであれば無益な争いは避けられる」

 

「うん。今日はキミのだけにしとくよ」

 

「……今日に限った話ではないぞ」

 

 クロージャは返事の代わりに笑い、端末へ何かを書き加えた。

 

 続いて、ストームシールドが作業台の架台へ据えられた。ヴァレリウスが内側の点検箇所を開くと、クロージャは踏み台から下り、盾の裏と表を行き来しながら観察した。

 

「こっちも源石は使ってないんだよね?」

 

「そうだ。私が装備する武具に源石とやらを用いたものはない」

 

「これだけの機構が、全部……」

 

 クロージャは感嘆するように息を漏らし、しばらく黙って内部を見つめていた。次に口を開いた時には、先ほどの質問攻めよりも幾分ゆっくりになっていた。

 

「盾自体の強度に加えて、力場でも守るんだっけ。剣とは働きが違うんだね?」

 

「そうだ。こちらは防護のためのものだが、際限なく攻撃を阻めるわけではない。受けた負荷と機構の状態に応じた限界がある」

 

「その限界に近づいた時はどう分かるの?」

 

 ヴァレリウスが使用中の表示と注意すべき兆候を説明すると、クロージャは頷きながら記録した。今度の問いは彼が戦場で見てきたものへ向けられていた。

 

 どこへ攻撃が集中しやすいのか、使用後に何が変わるのか、以前に調子を崩した時にはどのような兆候があったのか。彼女は機構を眺めるだけでなく、彼の説明を聞いてから改めて該当する箇所を確かめていた。

 

「今の話、すっごく助かる! 図面がなくても、普段どう動いてるかが分かると調べる場所を絞れるから!!」

 

「必要な情報であれば答えよう」

 

「ありがと。じゃあ、お言葉に甘えてもう一つ。直前の戦闘で特に強い衝撃を受けたところはある?」

 

 盾の傷を指し示しながら説明していたヴァレリウスは、剣にも視線を移した。刀身で攻撃を受け流したことや、異種族の身体へ深く刺し入れた際に柄へ強い負荷がかかったことを話すと、クロージャは剣の記録を呼び戻した。

 

「……なるほど。じゃあ、こっちももう少し見ておこうか」

 

 測定を進めるうちに工房の端末には画像と記録が増えていった。

 

 クロージャは何度か腕を組んで唸り、別の角度から見ては、独り言のように推測を口にした。分からない箇所は分からないまま印を付け、似た構造を見つけてもそれだけで同じものとは決めつけなかった。

 

 ヴァレリウスはその手つきを見ていた。

 

 今のところ彼女が無断で機構へ触れたことは一度もない。道具の先を近づける前には止まり、位置を変えたければ彼を呼び、外した部品の置き場所まで確かめている。

 

 ただし、見るたびに少しずつ近づいてくる顔については何度か注意する必要があった。

 

「……クロージャ技師」

 

「触ってないよ」

 

「近い」

 

「あ、そっち?」

 

 彼女は素直に顔を引き、今度は拡大画像の方へ鼻先を寄せた。

 

 作動中の状態を確かめるため、二人は工房の奥にある試験用の区画へ移った。

 

 周囲の工具と機材が退けられ、クロージャは刀身から距離を取った位置へ測定器を置いた。剣を保持するのも、起動するのもヴァレリウスが行い、彼女は示された範囲の外から観測することになった。

 

「準備できたよ。こっちは見るだけだから、いつも通りにお願い」

 

 ヴァレリウスが起動装置を操作すると、刀身へ青白い光が走った。

 

「……おお!!」

 

 短い感嘆が聞こえたが、今度のクロージャは近寄ってこなかった。目だけが輝く刀身と端末の画面を忙しく行き来している。

 

「これをあの大きさで振り回すんだ……そりゃ、普通の装甲じゃ受けたくないね」

 

「他に必要な観測はあるか」

 

「そのまま少し向きだけ変えてくれる? ゆっくりでいいよ。そう、こっちから見て――」

 

 声が途切れた。クロージャは画面へ顔を近づけ、指で一部を拡大した。先ほどまで弾んでいた声が少し低くなる。

 

「待って、今の向きにもう一回戻して」

 

 ヴァレリウスは剣を戻した。刀身は変わらず輝いており、彼の手には異常な振動も作動の遅れも感じられなかった。

 

「何か、問題があるのか」

 

「うん……一回止めてくれる?」

 

 彼は力場を停止させた。光が消えると、クロージャは直ちに近寄ることなく端末の上で記録を前後に動かした。

 

「これを起動してる間に、なにか調子が変わった感じはあった?」

 

「ない。表示にも異常は出ていなかった」

 

「そっか、じゃあまだ表には出てないんだね」

 

 作業台へ戻された剣の傍らで、彼女は二つの記録を並べて見せた。文字を読めなくとも、連なる線の一部が不自然に沈み、直後に戻っていることはヴァレリウスにも分かった。

 

「ここ、力場を作る装置の手前で供給が揺れてるんだよ」

 

「通常の変動ではないのか。汝はその機構を初めて見たはずだが」

 

「うん。だから見慣れた機械の正常値とは比べてないよ」

 

 クロージャはもう一つの線を指した。

 

「手前の供給は変わってないのに、この先だけ落ちてるでしょ? しかも、剣の向きを戻すと同じような落ち方をする――熱の出方もここの狭いところだけ違ってるんだ」

 

 照明が開かれた点検箇所へ向けられた。

 

「この奥に給電部を支えてるところがあると思う。衝撃で固定がずれたか、接続部分が傷んだか……正確な原因はまだ中を見ないと分からないけど」

 

 ヴァレリウスは機構へ目を向けた。クロージャが示した箇所を別の角度から確かめるように身体を屈める。

 

 確かに、周囲とは異なる痕跡があった。彼自身の点検では見逃し、作動時の表示にも現れなかった小さな変化が、今は拡大された画面の中へ浮かんでいる。

 

「……これを、この短い検査で見つけたのか」

 

「見つかったのは、この剣がちゃんと動いて、比べるための記録を取れたからだよ。全部止まってたらもっと大変だったと思う」

 

 クロージャは画面を見ながら答えていたが、返事がないことに気づくと彼を見上げた。

 

「……なにその顔。まだもう一個壊れてるって話じゃないよ?」

 

 ヴァレリウスはすぐに答えず、彼女と剣を見比べた。

 

 未知の機構を一目で理解したという話ではない。それでも、この土地の技術者が自分の気づかなかった不調を見つけたという事実は変わらなかった。

 

「……修復は可能か」

 

 問いを聞いたクロージャの目が少し細くなった。

 

「……もう少し中まで調べさせてくれるなら直せるかもねー?」

 

 先ほどまで消えていた笑みが、今度は別の形で戻っていた。

 

「……許可したのは、点検のために開けられる範囲までだ」

 

「うん、知ってるよ? だから追加でお願いしてるんだって!!」

 

 クロージャは指示棒を置き作業台へ勢いよく両手をついた。

 

「今見えてるところだけだと、具合が悪いのは分かっても、どう手を入れるべきかまでは決められないんだよね。ここをもう少しだけ開けて支えてる部分と接続を確かめたい」

 

「その機構を汝に分解させるわけにはいかぬ」

 

「ええー……そこまで言う?」

 

 クロージャは不満を隠さずに唇を尖らせたが、ヴァレリウスが黙っていると、今度は画面を彼の方へ向け直した。

 

「あたしが面白いから見たいっていうのもあるよ。そこは認める。ものすごくある」

 

「……隠すつもりすらないのだな」

 

「だって!! こんなに立派なものを目の前にして興味ありませんって顔する方が失礼じゃない!?」

 

 ヴァレリウスは即座には返せなかった。

 

 名誉の守り手として遇されるようになってから、彼の前でこれほど遠慮なく不満を見せ、欲しいものを欲しいと言う技術者に会った覚えはなかった。畏れも敬礼もなく、分からないことは尋ね、できないことには文句を言い、そのまま彼の返答を待っている。機構へ向けられる眼差しにも自分に取り入ろうとする色は見えなかった。ただ見たいのだと、先ほどから全身で訴えている。

 

「だが、神聖な機構を――」

 

「うん。だから触る前に聞いてるよ?」

 

 クロージャは意外なほど穏やかに答えた。

 

「キミの前で何をするか説明して、いいって言われたところだけ開ける。それなら、あたしが勝手に扱ったことにはならないでしょ?」

 

 ヴァレリウスは開かれた覆いへ視線を下ろした。彼女はその間、先を急かすことなく待っていたが、やがて画面の一箇所を指した。

 

「ただ、ここは放っておかない方がいいと思う」

 

 今度の声には先ほどの笑みを引きずる響きがなかった。

 

「今はつながってても、負荷がかかるたびに同じところで無理をしてたら傷みが進むかもしれない。次に使った時も動くとは思うけど、その次も、もう一回その次もっていうのは、あたしは約束できないよ」

 

「……力場が起動しなくなるということか」

 

「その可能性もある。だから、そうなる前に何が起きてるのか確かめたいんだ」

 

 ヴァレリウスの視線が剣の柄へ据えられた。

 

 マクラーグで刀身へ食らいついた異種族の姿が思い出された。刃を引き抜くために踏み込み、体重ごと捻じ伏せた時の感触も、装甲へ打ちつけられた鉤爪の衝撃も、彼の記憶には鮮明に残っている。

 

 あの時に傷めたのか、それ以前の攻防で負荷が重なっていたのか、今ここで確定することはできない。それでも、あの忌まわしい群れとの戦闘が自分をこんな屈辱的な交渉にまで追い込んでいることは確かだった。

 

「……忌々しい異種族(ゼノ)どもめ」

 

 それは心の底から押し出された声だった。

 

 クロージャが、指示棒を持ち直す途中で止まった。

 

「……い、今のはあたしのことじゃないよね?」

 

「……この剣を損なった敵のことだ」

 

「よ、よかった……知らない言葉で怒られると、反省するにも困っちゃうからさ」

 

 ヴァレリウスは彼女を見たが、クロージャの方は少し安心したように笑っていた。

 

 剣をこのまま使い続けることも、未知の技術者へ委ねることも、軽々しく選べるものではない。だが、既に見つかった不調を見なかったことにする選択もなかった。

 

「……この箇所に限り追加の点検を許可する」

 

 クロージャの顔がぱっと明るくなった。

 

「ほんと!?」

 

「無論、私の監督下で行う。何を外し何を調べるかは、その前に説明せよ。それ以上の分解が必要になった場合は改めて私へ問うことだ」

 

「もちろん。途中で分からないところが出てきたら止める、そこも約束するよ」

 

「装飾には――」

 

「勝手に触れない。ちゃんと覚えてるって!」

 

 クロージャは笑いながら端末を操作し、許可された範囲を画像の上へ描き込んだ。それを彼へ見せて確かめると、ようやく小さな工具箱へ手を伸ばした。

 

 ヴァレリウスはまるで剣を差し出す代わりに降伏文書へ署名したような顔をしていた。その表情を見て、彼女は堪えきれずに吹き出した。

 

「あははっ!! そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃん。大丈夫、ちゃんと戻すから」

 

「……当然だ」

 

「うん。当然のことはちゃんとやるよ」

 

 今度の返事は、口に重ねて返されたものではなかった。

 

 クロージャは工具を台へ置くと、彼を見上げた。笑顔のままだったが、機構を前にして浮き立っていた先ほどとは目の向け方が違っていた。

 

「キミにとって大事なもので、代わりがないってことは分かった。扱いにも決まりがあるし、ここで壊したらいつもの工房へ持って帰って直してもらうわけにもいかないんだよね」

 

 ヴァレリウスは黙って頷いた。

 

「じゃあ、なおさらこっちで使い続けられるようにしなきゃ。剣も盾もその鎧も、これからはあたしが整備の面倒を見るよ」

 

 彼女は台の上の剣へ一度目を向け、それから彼へ視線を戻した。

 

「分からないところは調べるし、必要な道具も揃える。手を入れた場所は全部記録して、キミが帰った時に向こうの技術者にも説明できるようにしておく。勝手な改造もしないし、使えるって確かめる前に直ったことにもしない」

 

「……それは、少なからぬ手間となるぞ」

 

「なるよ。たぶん、けっこうね」

 

 ため息をつくように答えた割に、クロージャの顔には仕事を遠ざけたい様子がなかった。

 

「でも、それをどうにかするために来たんでしょ? ここはロドスのエンジニア部だよ? 故障の話を聞いて、へえ大変だねって送り返すための部屋じゃないんだから!!」

 

 ヴァレリウスは彼女の手元へ視線を落とした。工具はまだ剣に触れていない。追加の許可を得てなお、彼が話を聞き終えるまで待っている。

 

 無遠慮で口数が多く、敬虔さというものをどこへ置いてきたのかと思わせる女だった。だが、自らの知らないものを前にして考え、異常を見つけ、それを直す責任を引き受けようとしている。少なくともその技能と、今の言葉に含まれていた誠実さまで疑う理由はなかった。

 

「……よかろう、クロージャ技師」

 

 彼は剣の位置を整え、彼女の示した側へ柄を向けた。

 

「汝の技量は認める。必要な処置を説明せよ」

 

「うん。任せて!」

 

 クロージャは明るく答え、まず固定部分を拡大した画像を見せた。

 

 そこからの手つきはそれまでの騒がしさから想像するよりも遥かに慎重だった。外す箇所を示してから工具を選び、動かす前の位置を記録し、ヴァレリウスにしか分からない留め具については操作を彼へ委ねた。

 

「ここを押さえたままにできる? そう、その位置。あたしがこっちを見てる間は動かさないでね」

 

「承知した」

 

 大きな手甲が柄を支え、そのすぐ傍へずっと小さな工具が差し入れられた。部品の隙間が僅かに開くと、クロージャは目を細め、照明を動かした。

 

「……あー、やっぱり。支えてる部分が少し浮いてるね。接続部までもう少し見てみよっか」

 

「その部分であればこちらの固定を先に外す」

 

「あ、そうなんだ。ありがと。じゃあお願い」

 

 彼が操作を終えると、クロージャは近くへ置かれた小さな部品入れを彼の手が届く位置へ寄せた。外したものを受け取ろうとはせず、彼が置くのを待ってから容器の区画ごとに記録を付けている。

 

「こういうところ、ほんとによくできてるね。外側は頑丈で、内側はちゃんと整備できるようになってる……あたし、こういうの好きだなあ」

 

 ヴァレリウスはその言葉を聞いて、機構へ向けていた目を僅かに上げ、彼の視線に気づいたクロージャが尋ねた。

 

「……ん? どしたの?」

 

「……いや、作業を続けよ」

 

「そっかぁ、褒めたら触っていい場所が増えるかと思ったんだけど……」

 

「……増えぬ」

 

「あはは、残念」

 

 口ではそう言っていても、彼女の工具は許可された箇所から外れなかった。

 

 ヴァレリウスは一度だけ深く息を吐き、それ以上の抗議を諦めた。代わりに作業を妨げない位置へ身を寄せ、細い工具の先と、そこを見つめる技術者の目を追った。

 

「そのままもうちょっとだけ傾けてくれる?」

 

 クロージャに促され、彼は剣の角度を変えた。

 

「ここでよいか」

 

「うん、ばっちり。ありがと、ヴァレリウス」

 

 軽い返事の後で、工具の触れる小さな音がした。ヴァレリウスは動かず、彼女が次の箇所を示すのを待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数十分が経ち工房を出た時、ヴァレリウスの剣は再び鞘へ収まっていた。

 

 発見された不調にはひとまず手が加えられ、短い作動確認でも異常な揺らぎは見られなくなった。もっとも、それで全ての点検が終わったわけではなく、クロージャは今後確かめる箇所を端末へ残し、装甲についても追加の時間を要求していた。

 

 別れ際、彼女は一度だけまだ開けていない装甲の部分へ名残惜しそうな目を向けた。ヴァレリウスが見返すと、何も言っていないというように両手を振った。

 

「……クロージャとの話はどうだった」

 

 医療部へ向かう途中、ケルシーがヴァレリウスへそう尋ねた。工房の外で待っていた彼女は、二人の間に何があったかをまだ詳しくは聞いていなかった。

 

「技量は確かだ。私の見逃した不調を見つけ、許された範囲で修復した。作業における約定も守っている。信頼に足る技術者と評価する」

 

「そうか。それなら、今後の整備についても話を進められるな」

 

「ただし――甚だ無遠慮で、奇妙な女だ」

 

 ケルシーは彼の兜へ顔を向けた。

 

「知らぬ機構を見れば問いが尽きぬ。返答している間に次の疑問が増え、許可していない箇所にも見るだけだと言って顔を近づける」

 

「……本人には伝えたのか」

 

「必要な都度、注意した」

 

 ケルシーの口元が僅かに動いた。

 

「私の知る彼女と大きくは違わない。ともかく、協力するための話ができたのであれば今は十分だろう」

 

「……汝は、あのような技術者と長く仕事をしているのか」

 

「ああ。彼女が維持している設備の上を今も歩いている」

 

 ヴァレリウスは足元から伝わる振動を確かめ、しばらく黙った。

 

 ――確かに、評価すべき仕事の大きさについてはまだ自分が見たものだけでは足りないのだろう。

 

 

 

 通路が変わると、作業服の人影が減り、薬品や清掃に使われるものの匂いが混じり始めた。白い上着を着た者たちが書類や器具を運び、奥の扉の向こうでは小さな車輪が床を転がる音がしている。

 

 ケルシーは人の多い方へ進まず、手前の分岐を曲がった。

 

「通常の病室には入らない。工房から来た以上、衛生上の処置も必要なうえ、君の装備では通路や室内の余裕が足りない」

 

「患者の移動を妨げるわけにはいかぬな」

 

「ああ。それに、休んでいる者を驚かせずに済む。面会と検査には別の部屋を用意した」

 

「妥当だ」

 

 異論のない返答を聞き、ケルシーは扉の横の端末へ触れた。

 

 外装の汚れを落とすための処置を終え案内された先は、広さのある予備検査室だった。中央には大きな支持台があり、壁際の機器から伸びた可動式の走査部がその傍へ寄せられている。

 

 入口から台までの間には十分な空間が空けられていた。人影は一つだけで、白い髪の女が端末を手に待っている。

 

 赤い目が兜から肩、胸、脚へと動き、もう一度、頭の位置へ戻った。

 

「……ふむ。話には聞いていたが……なるほどな、そなたをいつもの検査台へ寝かせるのは確かに骨が折れそうだ」

 

「ワルファリンだ。今回の診察を担当する」

 

 ケルシーが紹介すると、彼女は端末を脇へ置いた。

 

「妾の専門は血液学だが、診療も行っている。身体について確かめたいことがあるそうだな、ヴァレリウスとやら」

 

「負傷した際の処置について汝らの医療では判断がつかぬ可能性を指摘された。そのために来た」

 

「うむ。倒れた後で、何も分からぬまま手を出すより、今のうちに確かめる方がよい」

 

 ワルファリンは近づいてきたものの、彼の腕へ手を伸ばしたり装甲の継ぎ目を覗き込んだりはしなかった。少し離れた位置で止まると、ケルシーへ顔を向ける。

 

「説明できる範囲に制限があるという話も聞いている。今日はどこから始める?」

 

「まずは問診と非接触の走査だ。装甲の機構や身体に直接手を加える処置は、事前の説明なしに行わない」

 

「分かっている。そなたも、答えられないことがあればその場で言えばよい」

 

 ワルファリンが彼へ向き直った。

 

「今、痛む箇所はあるか。息苦しさや動かしにくいところは?」

 

 ヴァレリウスは僅かに返答を遅らせた。

 

「……活動に支障を来す症状はない」

 

「活動できるかどうかは聞いておらぬ。痛む箇所があるかを聞いた」

 

 ケルシーは口を挟まず、部屋の内側へ入り二人の傍へ椅子を寄せた。

 

 ヴァレリウスはワルファリンを見下ろした。こちらの大きさを測っていた眼差しは、今は返答を待つ医師のものになっている。

 

「……新たに処置を要する傷はない。直前の戦闘による負担は残っているが、通常の範囲だ」

 

「では、その通常の範囲を妾にも説明してもらおう」

 

 続いたのは、拍子抜けするほど落ち着いたやり取りだった。

 

 意識を失ったことがあるか、呼吸や動作に変化はないか、装甲から薬剤の投与を受けているか。ワルファリンは一つの返答を聞き終えてから次を尋ね、分からない点についてもすぐに詳細を要求することはしなかった。

 

「その薬剤の成分までは、今ここで話せぬのだな」

 

「そうだ」

 

「ならば、使用している可能性があるものとして記録する。こちらの薬を加える前には、それを確認せねばならぬ」

 

 端末へ記された文字をケルシーが横から確かめた。

 

 ヴァレリウスは二人を順に見た。工房での出来事を経て、また何かへ手を伸ばされるのではないかと構えていたが、今のところその備えを使う機会はなかった。ヴァレリウスから見ても冷静で礼節を弁えているほうであると感じたケルシーも同じ部屋におり、分からないことを分からないまま進める様子はない。それならば、こちらも必要以上に身構える理由はなかった。

 

「……どうした。何か言いたいことでもあるのか」

 

 視線に気づいたワルファリンが顔を上げた。

 

「……いや。続けよ」

 

「言っておくが、問診も検査のうちだ。身体の大きさを眺めているだけでは分からぬことも多いのでな」

 

 そう言って彼女は次の項目を開いた。

 

 走査に移る前には装甲の扱いを確かめる必要があった。

 

 分厚い外装は観測を妨げるためヴァレリウスは自分の手で外せる上体の装甲部品を取り外し、用意された支持台へ置いた。全身を脱ぐことはせず、胸部の検査に必要な範囲を空けるまで二人は彼の操作が終わるのを待っていた。

 

 兜を外した顔へワルファリンの目が向いたが、彼女はそのまま露出した部分と支持台を見比べ、走査部の位置を調整した。

 

「姿勢はそれで苦しくないか」

 

「支障はない」

 

「途中で変化があれば言え。息を止めてもらう時はこちらから伝える。それまでは普通に呼吸していればよい」

 

 装置が低い音を立て、可動部がゆっくりと移動を始めた。ヴァレリウスは身体を動かさず、機器の向こうにいるワルファリンを見ていた。

 

 最初、彼女は端末の設定を何度か変更した。大きな体格に合わせて観測範囲を調整し、表示される像が欠けない位置へ走査部を動かすと、ようやく一つの画像が画面へ収まった。

 

「……む?」

 

 小さな声がした。ワルファリンは画面へ顔を近づけ指で一部を拡大した。次に別の記録へ切り替え、再び最初の画像へ戻る。

 

「ケルシー。少し、これを」

 

 ケルシーが立ち上がった。画面を見た彼女の視線が止まり、ワルファリンの指が示す場所を追った。

 

「……二つ、か」

 

「そう見える。重なって写っているわけではないな」

 

 ヴァレリウスは二人を見た。

 

「何を確認している」

 

 ワルファリンが顔を上げた。さっきまでの落ち着いた目に、明らかに違う光が混じっていた。

 

「そなた、心臓はいくつある?」

 

「二つだ」

 

 彼女の指が画面の上で止まった。

 

「……そうか。二つとも、心臓なのだな」

 

「片方は追加された器官だ」

 

 ワルファリンは彼を見てから、もう一度画面を見た。ケルシーも隣で記録を確認しており、すぐには次の質問を発しなかった。その僅かな沈黙の中で装置の可動部だけがゆっくりと動き続けていた。

 

「……追加した心臓が元の循環に組み込まれている。血流の向きも、この大きさなら……」

 

 ワルファリンの声が少し速くなった。画像を切り替えた指が、今度は胸郭の輪郭を辿って止まる。

 

「待て、こちらの骨もおかしいぞ」

 

「骨格についても改造を受けている」

 

「そうであろうな。だが、これは……」

 

 彼女は像の濃淡を調整し、別の断面を重ねた。肋骨に相当する部分は彼女の知る標準的な形から大きく変わり、板のような構造を重ねて胸の内側を守っている。観測された骨の密度も、周囲の組織との境界も、見慣れたものとは違っていた。

 

「この密度に、この構造か。画像だけで正確な強度までは言えぬが、相当なものだろう。まさかほかの骨も同じように……?」

 

「そうだ。我らアスタルテスの骨格は常人のものより遥かに強靱である」

 

「ふむ……なるほど。では、この胸郭の中で呼吸はどう――」

 

 問いが途中で止まった。ワルファリンは別の像を見つけ、ケルシーへ端末を傾けた。

 

「これも肺、なのか?」

 

 ヴァレリウスは示された部分を見た。

 

「第三の肺だ。呼吸を補助し、有害な環境へ対処するための機能を持つ」

 

「第三の……肺?」

 

 ワルファリンが顔を上げた。その目が今度こそはっきりと見開かれた。

 

「心臓を追加し、骨格を変えたうえ、呼吸器まで増設しているのか! それを、全て生きた身体の中へ……」

 

 言い終えるよりも早く指が新しい画像を開いていた。左右の肺と別に加わった呼吸器官を見比べ、そこへ走る管や周囲の組織を角度を変えて追っていく。

 

 ケルシーも画面へ身を寄せた。彼女の眉間にも、僅かな皺が刻まれている。

 

「こちらの器官は、まだ機能を特定できない。既存のものと位置関係が異なる部分も多いな」

 

「うむ。そもそも、そなたの成長に合わせてどう調整している? それぞれを別々に移植したのか、それとも互いに働きかけるよう――」

 

「その問いの全てには答えられぬ」

 

 ヴァレリウスが言うとワルファリンは唇を閉じた。

 

「……ああ、そうだったな」

 

 返事はしたものの、その目は再び画面へ戻っていた。

 

 ヴァレリウスはつい先ほど工房で見た顔を思い出した。機構の奥へ光を向けられた時のクロージャと今のワルファリンは、興味を引かれたものから目を離せなくなっている点でよく似ていた。

 

 先ほどまで落ち着いた医師だと評価していたはずだった。

 

「ワルファリン」

 

 ケルシーの声で彼女が顔を戻した。

 

「まず、本人へ検査結果を説明してくれ」

 

「分かっている。だが説明するためにも、もう少し全体を見ておきたいのだ」

 

「君が何に興味を持ったかは十分に伝わっている」

 

 ワルファリンは一度口を開きかけ、それから仕切り直すように端末を彼の見える位置へ動かした。

 

「……今の走査だけでも、そなたの身体が妾たちの知る普通の人体とは大きく異なることは確かめられた。心臓は二つあり、左右の肺とは別の呼吸器官もある。骨格にも著しい変化が認められ、まだ働きを判断できぬ器官も写っている」

 

「私が述べた通りだ」

 

「ああ。改造を経た身体だという説明には確かな裏づけが得られた」

 

 ケルシーが続けた。

 

「同時に、通常の人体と同じ判断で処置できない箇所も具体的に分かってきた。だが、形が見えたこととその働きを全て理解したことは別だ。今は構造を確認できた段階だと考えてほしい」

 

「それでよい。必要もなく全てを試されるつもりはない」

 

「……妾も試しに心臓を止めてみようなどとは言っておらぬ」

 

 ワルファリンが少し不満そうに言い、ヴァレリウスは彼女を見た。

 

「だが片方が機能を失った時、もう片方がどう働くかは知っておきたい。これはそなたを治療するうえで必要になる」

 

「一方を失っても、もう一方によって生命を維持することは可能だ。無論、損傷の状態による」

 

「……なるほど。それは先に聞けてよかった」

 

 ワルファリンは今度はゆっくりと頷き、記録へ書き込んだ。

 

「そなたの負傷を見た者が一つの心臓の状態だけで判断してしまっては困るからな。逆に、もう一つあるから大丈夫だと放置してよいわけでもない」

 

 ケルシーがその記述を確かめ、必要な説明を彼へ求めた。話せる範囲で答えていくうちに、ヴァレリウスにもこの検査で何が得られたのか分かり始めていた。

 

 故郷の医術官なら説明するまでもなく知っていることが、この艦ではまだ知られていない。彼が立っている間に交わした言葉が、倒れた後の判断を変えるのであれば答える意味はあった。

 

 ワルファリンは検査を終え、装置の可動部を遠ざけた。画像を保存し、記録へ最後の項目を書き加えると改めて彼の顔を見た。

 

「よし。では次は血液を――」

 

「今日は採血の予定はない」

 

 ケルシーの声が途中へ入った。ヴァレリウスも組み直しかけていた装甲部品を持つ手を止めた。

 

「……私もそのような説明は受けていない」

 

「うむ。だから、これから提案しようとしていたのだ」

 

 ワルファリンは、少しも悪びれなかった。

 

「心臓が二つあり、それだけの骨格と筋肉を維持している。血液の状態が分からなければ、こちらの診療にも限界がある。成分や凝固の性質、輸血の適合性についても確かめねばならぬだろう」

 

「必要性を否定はしていない。だが、今日この場で行うと決めてはいない」

 

「ほんの少量でよいのだ。そなたの体格なら――」

 

「量の問題ではない」

 

 ヴァレリウスが答えた。ワルファリンは彼を見上げ、しばらくしてからもう一度端末を示した。

 

「……この画像を見て妾が血液を調べたいと思うのは、理解できるだろう?」

 

「先ほどから、その点については理解している」

 

「ならば、少し協力してもよいではないか? そなたに適した処置を考えるためにも、まずは足がかりが要る」

 

 ヴァレリウスの眉間に皺が寄った。工房でも似たような話をしたばかりだったからだ。

 

「……私の身体も戦団の秘事に関わる。何を調べ、得た情報をどう扱うのか、説明もなしに試料を渡すことはできぬ」

 

「説明なら今からできるぞ?」

 

「説明を聞いたその場で、全てに同意するという意味でもない」

 

 ワルファリンは唇を結び、ケルシーへ顔を向けた。

 

「……頑固だな」

 

「……君が急ぎすぎている」

 

「妾が調べなければ、誰が調べるのだ!」

 

「故に準備をしてからだ」

 

 返答を聞いたワルファリンは少しだけ端末を持ち上げた。

 

「では、準備をすればよいのだな?」

 

「その後で本人が判断する」

 

 すぐに付け加えられた言葉へ彼女は露骨に不満そうな顔をした。

 

「そなたは、妾が針を持つたびにそのように念を押すつもりか」

 

「今は針を持つ前だ」

 

「……まだ持っておらぬではないか」

 

 ワルファリンは何もない手を軽く上げて見せた。その仕草を眺めながら、ヴァレリウスは組みかけの装甲を支持台へ戻した。

 

「クロージャ技師の時とは事情が異なる。装備ならば許された手順で開き、再び組み上げることもできるが――」

 

「その胸を開いてみようとまでは言っておらぬぞ。妾が今求めているのは血液の検体だ」

 

「その検体から何を得ようとするのかを確かめたいと言っている」

 

 ワルファリンは彼の顔を見て少し考えてから息を吐いた。

 

「……そなたも、己の身体について全てを知っているわけではあるまい。説明するためにも妾の方で考えをまとめる必要はあるか」

 

「採取の方法も含めてだ。私の血液は常人のものより速やかに凝固する。皮膚や組織の性質にも違いがある」

 

「凝固も……?」

 

 端末へ戻りかけていたワルファリンの顔が、再び上がった。その反応を見て、ヴァレリウスは自分の発言が迂闊だったことを悟る。

 

「それは、血液中に何か――」

 

「……ワルファリン」

 

「わ、分かっている!! 後日、準備をしてからであろう」

 

 今度こそ彼女は端末へ目を落とした。ただし、記録する指の速さは先ほどよりも増していた。

 

 ケルシーはヴァレリウスへ向き直った。

 

「まずは検査の目的と試料や情報の扱いを提示する。君から聞ける範囲の情報を合わせて、採取に適した器具と方法も検討しよう。それを見てから実施するか判断してほしい」

 

「……それならば検討できる」

 

 ワルファリンの目が上がった。

 

「永久に拒むつもりではないのだな?」

 

「私も負傷時に何をしてよいか分からぬままにしておくことを望んでいるわけではない」

 

「ならば話はできるな」

 

 少し機嫌を直したように言った彼女は、保存した画像を開き直した。

 

「今日の記録からでも整理すべきことは山ほどある。そなたが話せる器官の働きやこれまで受けた処置について、次に改めて聞かせてもらおう」

 

「承知した。開示できる範囲を私の方でもまとめておく」

 

「うむ。それと血液も――」

 

 ケルシーがワルファリンへ顔を向けた。

 

「……その提案を取り下げたわけではないと言いたかっただけだ」

 

「既に聞いている」

 

 ヴァレリウスが答えるとワルファリンは今度は彼を見た。しばらくの間の後、小さく鼻を鳴らし検査結果のまとめへ戻っていった。ヴァレリウスはケルシーへ目を向けた。

 

「……ケルシー医師。汝の同席には意味があったようだ」

 

「医療部の責任者として君への対応を確認する必要がある」

 

「二人とも、妾のいる前で話していることを忘れてはおらぬか?」

 

 ワルファリンが言ったがケルシーは平然と端末の画面を覗き込んだ。

 

「その記録には君が今説明したことも反映しておいてくれ」

 

「……分かっているとも」

 

 不満そうな返事をしながらも、ワルファリンの手は止まらなかった。

 

 ヴァレリウスが装甲を戻している間に彼女は画像と問診の内容を整理した。まだ判断のつかない箇所と本人の説明が得られた箇所を分け、緊急時に見落としてはならない点についてはケルシーとも言葉を交わしている。

 

 最後の留め具を確かめて顔を上げると、ワルファリンがこちらを見ていた。

 

「締め直して痛むところはないか?」

 

「ない」

 

「ならばよい。今日の記録は今のそなたの状態を知るための基準になる。今後、違和感があれば些細でも伝えよ。こちらにはまだ分からぬ変化も、そなた自身なら気づけるかもしれぬ」

 

「その際は、報告するよう努めよう」

 

「動けなくなるまで待つなよ。妾たちも、そなたから話を聞けるうちの方が助かる」

 

 その声には先ほどまでの食い下がるような響きがなかった。自分の分からない身体であることを認めたうえで、それでも診るために、何が必要かを考えている。

 

「……心得た、ワルファリン医師」

 

 ヴァレリウスが答えると彼女は僅かに満足そうな顔をした。

 

「うむ。では、次までに準備をしておこう」

 

 そう言った目がほんの一瞬だけ彼の腕へ向いたが、ヴァレリウスは何も付け加えず兜を被り直した。

 

 

 

 医療部を出る頃には、艦内の照明が少し落とされていた。通路にはまだ働く者たちの姿があったが、作業を終えて戻る者や手にした食器を運ぶ者も増えている。ケルシーは今度は居住区の奥まで進まず、資材の搬送路へ近い場所で足を止めた。

 

「今日からはここを使ってほしい」

 

 開かれた扉の先を見て、ヴァレリウスは一度、天井へ目を向けた。

 

 高さは十分にある。入口の幅も広く、盾を脇へ寄せれば身体を捻らずに入ることができた。部屋の奥には太い支柱があり、壁の一部には棚を外した痕が残っていた。新しく設けられた隔壁と床に残る荷物の置き跡から、元は倉庫の一角だったことが分かる。

 

「本来の客室では入口と床の条件が合わなかった。急な受け入れだったため、まず使える区画を改修したものだ」

 

 ケルシーが説明するとヴァレリウスは中へ入り、足元と周囲を確かめた。

 

 寝台は大型機材を載せるための低い台座へ厚い敷物を重ねて作られていた。普通の寝具をそのまま置くより、彼の体格には適している。壁際には机と椅子があり、武具を置けるだけの空間も空けられていた。

 

「扉は内側からも閉じられる。生活上、必要なものが不足していれば伝えてくれ。寝台の寸法と耐荷重については技術部門にも確認させてある」

 

「十分だ。活動と休息に必要な条件は満たしている」

 

 ヴァレリウスが盾を下ろすと、台座へ伝わった重い音が小さな室内へ響いた。ケルシーはその置き方と床の様子を確かめてから、彼へ視線を戻した。

 

「装備も身体も今日だけで全てを把握できたわけではない。今後の点検と検査は改めて調整する」

 

「理解している。両名とも、仕事を引き受ける意志は示した」

 

「君からも必要な情報を伝えてもらえた。続きはその上で進めればいい」

 

 ケルシーは室内を一度見渡し、入口へ戻った。

 

「今日はここまでにしよう。連絡が必要になれば、その端末を使ってくれ。操作は――」

 

 短い説明を聞きヴァレリウスは自分で呼び出しの操作を確かめた。音声で連絡できることを確認すると、ケルシーは頷いた。

 

「では、休息を取ってほしい。明日以降の予定が決まれば知らせる」

 

「承知した」

 

 彼女が扉へ手をかけた時、ヴァレリウスが呼び止めた。

 

「ケルシー医師」

 

 振り返った彼女へ彼は少し間を置いて尋ねた。

 

「この艦の専門家は皆、あのような者なのか」

 

 ケルシーはしばらく彼を見つめた。

 

「……その二人だけで判断することは推奨しないでおこう」

 

 それ以上の説明はなかった。

 

 扉が閉まると部屋には艦の低い駆動音だけが残った。ヴァレリウスは暫く入口を見ていたが、やがて剣と拳銃の位置を確かめ、兜を外して机へ置いた。寝台の端へ腰を下ろすと厚い敷物が僅かに沈み、台座はその重さを受け止めた。

 

 ――長い一日だった。

 

 難民キャンプで車列を迎え、巨大な陸上艦へ運ばれ、その指導者たちと話をした。互いに譲れぬものを確かめ、約定を結んだ後には自らの剣の内部を見せ、胸の内側まで画像にされることとなった。

 

 彼は机の上の兜と脇へ置いた盾を見た。

 

 ウルトラマリーン戦団の名誉の守り手として遇されることには慣れていた。彼の姿に身を固くする者も、命令を待つ者も、長い戦歴へ敬意を示す者も故郷には数多くいた。

 

 この艦でも姿を見ただけで立ち止まる者はいる。それでも、今日会った者たちはその後で自分の用件を口にした。

 

 盾の使い方を知りたがった若い隊員。装甲の継ぎ目へ手を伸ばし、叱責された後にも質問をやめなかった技術者。そして彼の心臓の数に目を輝かせ、血液を寄越せと食い下がってきた医師。

 

 彼が何者であるかを聞いた後も、接し方をどう変えるべきかといつまでも立ち止まってはいなかった。

 

 クロージャは彼に剣を支えさせ、ワルファリンは痛む場所を尋ねた。ケルシーもまた戦団での地位を理由に話を切り上げることなく、必要な確認を終えるまで彼を座らせていた。

 

 無礼と断ずるには彼女たちはよく働いた。無論、気を許すにはまだ知らぬことが多すぎる。

 

 それでも、修復後の剣から不自然な揺らぎが消えていたことと、医師たちが自分の負傷後に何をすべきかを真剣に考えていたことは覚えていた。

 

 ヴァレリウスは手甲の指を開き、一度握り直した。この手を見てもクロージャは工具の傍を押さえるように言い、ワルファリンは採血できる場所を考えていたのだろう。数世紀を戦ってきた彼に対して二人が向けた関心のあり方は、それぞれにあまりにも率直だった。

 

「……奇妙な者たちだ」

 

 声は部屋の中だけに落ちた。

 

 彼はもう一度寝台の造りを確かめ、背を壁から離してゆっくりと身体を横たえた。装甲の重みを受けても台座は軋まなかった。天井を眺めながら、次に工房を訪れる時も医療部を訪れる時も、説明することと断ることを先に整理しておくべきだと考えた。

 

 そしてワルファリンへ、後日なら必ず血を渡すと約束したわけではないことも、もう一度伝える必要があるかもしれなかった。

 




チェルノボーグ事変の時点(リメイク前でダキール達が転移した時点)でレユニオン編の転移者は出し切ろうと思っています、今のところはですが…
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