日本国召喚×ふしぎの海のナディア―ネオ・アトランティス異世界転移― 作:ネオ・アトランティス
リューネル王国のある王都郊外の迎賓館。
王都の中心部から適度に離れた場所に建てられたその施設は、外国の賓客や重要な使節を迎えるために設けられたものであった。
周囲には手入れの行き届いた庭園が広がり、石造りの建物には王国伝統の建築様式が取り入れられている。豪華さを事さらに誇示するものではないが、王国の格式と職人達の技術を示すには十分な造りだった。
今回の会談場所として選ばれた理由は単に格式があるからではない。王宮から距離があり、周辺の警備を整えやすい事、外部からの接近経路を限定できる事、そして港湾施設との連絡が容易である事が大きかった。
相手の正体も保有戦力も分からない以上、王都の中枢へ直接招き入れる事は避けるべきだったのである。
迎賓館の周囲には王国側の警備要員が配置されていた。ただし、必要以上に武装を見せつけたり、来訪者を威圧したりするような配置にはなっていない。会談を平穏に進めるための警備と、万一に備えるための警戒。その二つを両立させるための措置だった。
会談に臨むリューネル王国側の出席者は四名。
国王アレクシス・リューネル、宰相ヴァルター・シュタイン、王立学術院長エリナ・ヴァイス、宮廷魔法師長ラザル・エルミオである。
王国軍飛竜隊長ガルド・レナールは今回の会談には参加していない。軍事的な側面を完全に無視するわけではないものの、初めての公式会談を軍事色の強いものにする必要はなかった。
故にガルド率いる飛竜隊は迎賓館から離れた場所で通常の警戒態勢を維持し、王国側の安全を確保している。
室内には四名が座るための席と、訪問者側の席が用意されていた。机上には王国側の記録用紙、地図、筆記具が整然と並べられ、会談の内容を正確に記録できるよう準備されている。
アレクシス王は上座に腰掛け、手元の報告書に視線を落としていた。
そこには先日リューネル王国西部の沿岸海域で発生した出来事が記録されている。海中から突如として浮上した巨大な黒灰色の構造物、そこから派遣された小型艇、仮面を着用した一団、そして王国との会談を求める彼らの申し出。
いずれも、王国がこれまで経験した事のない事態だった。
特に問題となるのは巨大な構造物が海中を移動しながら、そして沿岸の警戒網に察知される事なく接近していた点である。あれほどの規模を持つ構造物が通常の船舶のように帆や煙を利用せず、海中から姿を現したという事実はリューネル王国の既存の海軍技術では説明できなかった。
アレクシス王は報告書から目線を逸らしながら懸念を零す。
「……相手は、こちらが指定した条件を守って来るのだろうか」
その懸念を聞いたヴァルターは手元の書類を閉じ、国王へ向き直った。その顔には少し不安が残っているがそれに呑まれる事は無かった。
かの一団からの返答に懸念するべき面は無かったと認識してるヴァルターはアレクシス王を安心させる為に口を開く。
「恐らく問題無いと愚考します。こちらは事前に人数を限定し、護衛についても王国側が把握できる範囲にするよう伝えてあります。それに対し、先方からも異論は出ておりません」
ヴァルターは言葉を区切りながら、今現在の状況を報告する。
「周囲の警備にも変更はありません。迎賓館への移動経路は確認済みで、外部からの接近も監視しています」
それを聞いたアレクシス王は冷静に頷きながら答える。
「そうか。相手を警戒するのは当然だが、最初から敵として扱う必要はない。こちらが話を聞くと決めた以上、まずは相手の言葉を確かめる」
ヴァルターは一礼する事で返答を示した。
その隣ではエリナが今回の会談に備えて用意した記録用紙を確認していた。彼女にとって、今回の訪問者は大きな関心の対象だった。海中から浮上した構造物の存在だけでも王立学術院が積み重ねてきた造船・機械工学の知識を大きく超えている。
さらに、相手は自ら技術提供を申し出ている。その言葉が事実であれば王国の産業や学術研究に新たな可能性をもたらす事になる。
もっとも、相手の申し出を無条件で信用するつもりはなかった。技術の価値を見極める事と、提供者の意図を見極める事は別である。どれほど有益な知識であっても、受け入れ方を誤れば王国の独立や安全を損なう事になりかねない。
ラザルもまた静かに資料へ目を通していた。宮廷魔法師長として、王国が利用する技術体系と未知の勢力が保有する技術を比較する事には大きな意義がある。しかし、現象を見ただけでその原理まで理解したと思い込む事は危険だった。
エリナとラザルはそれぞれ別の視点から相手の技術を知るためには実際の運用状況を確認する必要があると考えていた。今回の会談はその最初の機会になり得る。
やがて、迎賓館の外から来訪を知らせる連絡が届いた。
アレクシス王は報告書を閉じ、椅子に座り直した。
「通せ」
ヴァルターが扉の方へ合図を送る。ほどなくして、外で待機していた一団が室内へ案内された。
*
姿を現したのは全員が仮面を着用した数名の人物だった。
彼らは統一された装束を身にまとい、必要以上の装飾品を身に着けていない。その衣装を見るとかなり高品質な生地を使用したフォーマルスーツだと言う事が分かる。
装飾品一つとっても相手側の技術力が高度な物である事が察せられた。
使節団の先頭を歩く人物の仮面には額の中央に第三の眼を象徴する意匠が施されていた。一般の構成員とは明らかに異なる特徴であり、組織内で相応の地位にある幹部である事がうかがえる。
その後ろには仮面を着用した随員が三名続いていた。随員達はそれぞれ書類や資料を収めたケースを携えている。武器らしきものを誇示する者はなく、歩調も整っていた。
使節団一行は室内へ入ると王国側の出席者を確認し、指定された位置で足を止めた。
先頭の幹部が片手を胸元へ添え、静かに上体を傾ける。それに合わせて随員達も一礼した。
仮面を外す事はなかったが、その所作に無礼さはない。王国の迎賓館へ足を踏み入れた客人として最低限の礼節を守っていた。
彼らは王国側から示された席へ移動し、椅子の前で一度立ち止まった。アレクシス王が着席を促すと幹部が改めて頭を下げ、随員とともに腰を下ろした。
その一連の動作をアレクシス王は黙って見ていた。
仮面によって表情を読み取る事はできない。しかし、相手の姿勢や仕草から少なくとも今回の会談を軽視していない事は分かる。
「来訪を歓迎する。まずは互いの立場と目的を確認しよう。こちらは話を聞く準備を整えている」
アレクシス王が率直に切り出し、それを受けた先頭の幹部は王の視線を受け止めるように顔を向けた。
そして対面者達を見据えながら口を開く。
「我々はネオ・アトランティス。今回の目的は、貴国との間で技術と情報を交換し、相互利益を得られる関係を築く事だ」
それは簡潔な名乗りだった。 個人名も、組織の詳細も、所属する人員の説明もない。
ただ組織名と今回の目的だけを伝え、それ以上の説明は行わなかった。しかし、必要な情報を画すつもりは無いと言う印象を齎した。
幹部の返答を受けたアレクシス王は一度だけ頷いて更に踏み込んだ質問を行う事にした。
「ネオ・アトランティスか。目的は分かった。それで、具体的に何を交換したい?」
アレクシス王に問われた幹部は頷きながら随員達へと合図を送る。それを受けた随員達はケースを取り出す準備を行う。
「まずは、我々が貴国に提供できるものを示そう」
幹部が手を動かすと、後ろに控えていた随員の一人が立ち上がった。
随員は丁寧に一礼し、アレクシス王の前にある机前へと移動し持参したケースを開いた。中から取り出されたのは、複数の図面と技術資料である。
*
机上へ並べられた資料には、大小さまざまな図面が描かれていた。
歯車や回転軸、金属加工に用いる工具、工作機械の構造、動力機関の断面図、工場設備の配置図など、種類は多岐にわたっている。図面は細部まで丁寧に描かれており、単に完成した機械の外形を示すだけではない。内部構造、部品の接続方法、加工箇所、寸法なども記されていた。
エリナはそのうちの一枚を手元へ引き寄せた。
そこには複数の歯車が組み合わされた機構が描かれ、各部品には寸法を示す数値や記号が付されている。彼女は図面の構造を追い、回転がどのように伝達されるのかを確認した。
「これは……」
エリナは思わず声を漏らす。
図面そのものは理解できる部分が多かった。少なくとも、機械部品の配置や構造を視覚的に把握する事はできる。しかし、図面の余白や下部に記された補足事項へ目を移した途端、彼女の手が止まった。
そこには見慣れない文字が並んでいたのだ。
部品の加工時に注意すべき点、使用する材料の条件、組み立て順序、動作時の制約などが記されているようだったが、文字の形そのものが王国で用いられているものとは異なる。読み方はもちろん、単語の区切りさえ判断できなかった。
それを確認したエリナは別の図面を手に取って確認を行う事にした。そちらにも同じ文字が並んでいる。
「少々確認させてください。この図面に描かれている構造は理解できますが、補足事項の文章が読めません」
それを聞いた随員の一人がすぐエリナに顔を向けた。持参した資料に不足があったのかの確認を行う為に少し近づく。
「文章が読めないと言う事は、こちらの文字体系を読み解けないと言う認識で正しいでしょうか?」
そう確認されたエリナは頷きながら状況を告げる。
「ええ。図面の形状や寸法は確認できます。しかし、こちらに書かれている説明文は、我々が使用している文字とは異なっています。記載されている内容を理解できないのです」
その指摘を受け、随員はエリナから手渡された資料を見直してみた。
図面の作成にあたって機械の構造を視覚的に把握できるよう配慮していた。部品の配置や寸法も、可能な範囲で統一された記号によって表現されている。
しかし、製造工程や使用条件を説明する文章については、自分達が日常的に使用している文字で記載していた。言葉が通じるからと言って言語体系が同じであるとは限らない。
双方の文字体系が同じであると誤認した結果であった。そう判断した随員は一礼した後に謝罪した。
「失礼いたしました。こちらの言語表記に対する配慮が不足しておりました」
随員は取り出した資料を一度整え直し、詳しく説明する為の方法を提示する。
「図面を示しながら、補足事項については口頭で説明する形に変更いたします。必要な内容は、そちらで記録していただいて構いません」
その対応はリューネル王国陣からしても迅速だった。
文字が読めないという事実を相手の理解力の問題として扱う事もなく、資料を受け取った王国側に無理な解釈を求める事もない。自分達の準備不足として認め、すぐに別の方法へ切り替えたのだ。
その言葉を聞いたエリナは小さく頷いた。
「その方法でお願いします。こちらも内容を正確に記録し、後から確認できるようにしておきます」
それを聞いた随員は頷く事で返答を示す。幹部が手ぶりで許可を出したのを確認した後、随員は最初の図面を取り上げて全員から見える位置に置いた。
*
「我々が提供しようとしているのは、貴国の産業基盤を発展させるための技術的な知識だ」
第三の眼を持つ幹部が、図面へ視線を向けながら説明を始めた。
「これまでに確認した範囲では、貴国は機械製作や金属加工に一定の知識を有している。水車を利用した設備も存在し、工房では部品の寸法を揃えようとする試みが見られた」
アレクシス王達リューネル王国首脳陣は相手が王国の沿岸部を観測していた事を改めて意識した。
こちらが知らない間に港湾や工房の様子を調べていたのだろう。どこまで観測されていたのかは分からないが、少なくともリューネル王国の産業水準について一定の情報を持っているらしい。
リューネル王国首脳陣が警戒色を示してあるのを確認しながら幹部は咳払いをしつつネオ・アトランティスが出した分析結果を話す。
「だが、確認できた範囲だけで王国全体の工業力を判断するつもりはない。ここで示すのは、現時点で把握した課題に対する改善案だ」
そう発言を終えた幹部は随員へ視線を向けた。視線を向けられた随員は頷きながら最初の図面を指し示しながら説明を始めた。
「まず、部品の規格統一についてです」
その図面には形状の似た複数の部品が描かれていた。一見すると同じ用途に使用できるように見えるが、それぞれの寸法には微妙な差がある。軸の太さ、歯車の直径、接続部の位置などが、製造した工房によって異なっていた。
リューネル王国首脳陣の視線が集まっているのを確認した随員は説明を継続した。
「同じ用途の部品であっても、製造する工房が違えば寸法や仕上がりに差が生じます。これでは、故障した部品を交換する際に、同じ製作者のものを探さなければならなくなります」
それを聞いたエリナの表情が真剣なものに変わった。彼女は科学者的観点からその説明を冷静に分析した。
エリナは思案しながら冷静に分析を発言する。
「確かに、それは我が国でも問題になっています。職人ごとに加工の方法が異なり、同じ形の部品を作るよう指示しても、完全に一致させる事は容易ではありません」
王立学術院でも部品の規格を揃えるための研究は進められていた。しかし、測定器具そのものの精度や、加工設備の能力に限界があるため、工房ごとの品質差を解消できずにいた。
故にエリナの発言には少し焦燥を含んでいた。
それを感じ取った幹部は更に踏み込んだ解説を行った。
「必要なのは共通の測定基準を設ける事だ。寸法を測る器具を統一し、加工時に許される誤差の範囲を定め、完成した部品が基準を満たしているか検査する。これによって、異なる工房で製造された部品にも互換性を持せる事が出来る」
幹部の説明が終わったのを確認した随員が別の図面を取り出す。
そこには測定器具の構造と部品の寸法を確認するための検査方法が描かれていた。さらに、加工前の材料選別から完成品の検査に至るまでの工程が、順序立てて示されている。
「部品を統一して製作可能になると、部品を作る技術だけではなく完成したものが正しい寸法であるかを確認する仕組みも重要になります」
それを聞いたエリナは得心がいったかの様に頷いた。
「製造方法と検査方法を一体として整えるわけですね」
「その通りです」
自分の意見を肯定した随員を確信した後、エリナは図面の細部を見つめた。
これまで王立学術院では職人の技量を高める事によって製造精度を改善しようとしていた。しかし、相手が提示した考え方は職人個人の技量だけに依存するのではなく、測定・加工・検査の全過程に共通の基準を設けようとするものだった。
これは単に部品の寸法を揃えるだけの話ではない。王国の製造業全体の品質を底上げするための仕組みである。
随員はまた別の図面を取り出し分かりやすく広げて見せた。各々の視線が図面に向いたのを確認し、随員は説明を開始する。
「次に、工作機械の改良についてです」
新たな図面には、旋盤や金属加工機械の構造が示されていた。
金属を回転させながら削る機構、刃物を一定の位置に保つ装置、部品を固定するための保持具、加工精度を調整する仕組みなどが描かれている。
「職人の技能は重要です。しかし、すべての工程を手作業に依存していては、生産量と精度の両方に限界が生じます。加工を機械に補助させる事で、熟練者以外でも一定の品質を保った部品を作れるようになります」
それを聞いたエリナは首を傾げながら疑問点を口にする。
「そのためには、工作機械そのものを正確に作れる技術が必要になるのではありませんか?」
エリナの質問に、随員は頷いた。
「はい。工作機械を製造するための工作機械が必要になります。最初から大規模な設備を整えるのではなく、少数の機械を用いて精度の高い工具を製造し、その工具を利用して、さらに高性能な機械を作る。その工程を繰り返しながら生産能力を高めていきます」
その説明を聞いたラザルは図面に描かれた機構をじっと見ていた。その内容には技術体型を支える基盤の作り方が記載されている風に見て取れた
「装置を作るための装置まで整えるのか……確かに、それなら製造能力そのものを段階的に高められますね」
随員は続いて、動力機関の図面を取り出した。
そこには円筒形の機関、ピストン、クランク軸、弁、蒸気を導く配管などが描かれていた。さらに、圧力計や安全弁、冷却設備といった補助装置も別紙に示されている。
それを確認した幹部はアレクシス王とヴァルターを見据えながら口を開いた。
「次は動力の安定化についての提案だ」
その言葉とともに動力について記された図面が開かれる。それを見据えながらリューネル王国の現状も踏まえての説明がなされる。
「貴国では水車が利用されている。しかし、水量や季節によって得られる動力に差が生じる。生産設備を継続的に稼働させるのであれば、より安定した動力源が必要になるだろう……」
幹部が言葉を区切ったのを確認した随員は蒸気機関の図面を取り出し、それを確認した幹部は説明を再開する。
「これは燃料を利用して蒸気を発生させ、その圧力を機械的な運動へ変換する仕組だ。適切な設計と安全装置を組み合わせる事で河川の水量に左右されずに動力を得られる」
エリナは図面の一部に目を留めた。その内容の殆どはまだ未知であるとは言え、一部は理解出来る部分が存在していたのだ。
その箇所を見据えながらエリナは質問を行う。
「この弁と圧力計は、内部の圧力を調節するためのものですか?」
その言葉に感心し、その理解力に敬意を示しながら幹部は答えた。
「あぁ、圧力が高くなりすぎれば事故につながるからな。動力を得る事だけを考えるのではなく、圧力の管理や材料の強度、摩耗への対策、安全装置の整備を同時に行わなければならん」
「機関を作るだけでは不十分という事ですね」
「その通りだ。機関を造ったからと言って制御する手立てが無ければ無いも同じだ」
ラザルも説明を聞きながら小さく頷いた。機関の内部構造を理解するだけでなく、どのような条件で安全に動かせるのかを知る事は、王国の技術者にとって重要になるだろう。
続いて示されたのは製鉄工程や金属精錬に関する図面だった。
鉱石の選別、炉内温度の管理、燃料の使用量、金属を取り出す工程、加工に適した材料へ仕上げるまでの流れが示されている。設備の大型化だけを目的とするのではなく、原材料の品質を安定させる事が重視されていた。
また工場内の配置図には、原料の搬入から加工、検査、保管、出荷に至るまでの作業の流れが描かれていた。作業者が同じ場所を何度も往復したり、原料が工程の途中で滞留したりしないようみ設備の配置や作業の順番が整理されている。
幹部は図面を見据えながらその内容についての説明を行う。
「設備を増やすだけでは生産量が増えない場合もある。作業工程の無駄を減らし、必要な場所へ適切に人員と原料を配置する事も重要だ」
幹部の説明を王国側の三名はそれぞれ異なる視点から受け止めていた。
アレクシス王にとっては国家の財政と産業政策に関わる話である。エリナにとってはこれまで個別に取り組んできた研究を発展させるための具体的な知識だった。ラザルにとっては、機械工学と動力技術の体系化が、既存の学術研究へどのような影響を与えるかという問題だった。
最後に示されたのは輸送と生産設備の配置に関する資料だった。
鉱山から工場へ原材料を運ぶ経路、工場から港湾へ完成品を運ぶ経路、倉庫での保管方法、複数の工房を結ぶ輸送手段などが、図面上に整理されている。
随員は新たな資料を開きながら説明を行う。
「産業を発展させるには製造設備だけでは足りません。原材料を安定して確保し、製品を必要とする場所へ運び、継続して販売できる仕組みが必要となります」
説明を行った随員にヴァルターは目を向け質問を行う。
「つまり、工場を建設する事と、産業全体を成立させる事は別だというわけだな?」
「はい。原材料の供給、製造、人員の育成、輸送、販売までが結び付いて初めて、継続的な生産体系が成立します」
ヴァルターは図面を見つめながら、自国の現状を改めて考えていた。
リューネル王国には一定の鉱物資源があり、港湾を通じた交易も行われている。各地には職人が暮らし、製造業を発展させるための学術研究も続けられている。
しかし、国全体の産業構造を一度に変えるほどの資金や設備、人材が揃っているわけではない。工場を建設するだけでも原材料の確保、機械の導入、保守要員の育成、輸送網の整備など、数多くの課題が生じる。
これまで自国だけで解決しようとしてきた問題に、別の方向から改善策が示された事は大きかった。
同じ懸念を抱いていたエリナは感心しながら感想を述べた。
「産業を発展させるというのは、これほど広範囲にわたるものなのですね」
エリナの言葉には学術的な興味と率直な驚きが含まれていた。それを聞いた幹部は頷きなら口を開く。
「そうだ。設備を一つ導入しただけで、国の産業が変わるわけではない。知識を持ち帰り、実際に試し、失敗を修正しながら定着させる必要がある」
幹部は過剰な成果を約束する事なく淡々と告げた。
「我々が提供するのはそのための知識だ。実際の導入に必要な設備や人員、費用については、貴国の状況に合わせて判断すればよい」
その説明は単に技術の優位性を誇示するものではなかった。王国側の現状を踏まえ、実際に導入可能な段階から始める事を前提としている。
アレクシス王は並べられた資料を一枚ずつ確認していた。やがて行われる産業革命についての構造と分析を行っているのだ。
ある程度の分析を終えたアレクシス王は幹部へと視線を向けて現状分析の結果を伝える。
「これほどの知識を得られれば我が国の産業にも大きな変化が生じるだろう。だが、設備を整えるには相応の時間と費用が必要だ。一度にすべてを導入する事はできないだろうな」
「その事は我々も理解している。徐々に段階を分けて進めればよい。貴国の資源や財政に合わせ、実行可能な範囲から始めるべきだ」
その提案を聞いたアレクシス王は頷きながらその後の方針を決めた。
「ならば、王立学術院を中心に検討させよう。実際の製造や導入を行う際には、国内の工房や企業とも協力する必要がある」
「それが適切だろう」
アレクシス王の方針を聞いたエリナは図面をまとめながら、各技術の優先順位について考え始めていた。
最初に取り組むべきなのは規格の統一と測定精度の改善だろう。それらが整わなければ、高精度の工作機械を導入しても十分に活用できない。
さらに、機械を扱う人材の教育、製造設備の整備、材料の品質管理なども必要になる。
王国にとって、今回提示された知識は、一つの完成された答えというより、今後の産業発展の道筋を示すものだった。
*
技術資料の説明が一段落すると、幹部は随員達に机上の書類を整える様に命令を出す。随員達が資料を整え終えると自分達が求める条件について話を移した。
「我々にも、貴国から提供してもらいたいものがある」
それを聞いたアレクシス王は真剣な表情で幹部を見据えた。仮面の下にある表情は確認出来ないが、油断出来ない風格を醸し出していた。
息を整えながらネオ・アトランティスがリューネル王国に対して行う要求について伺う事にした。
「聞こう」
「第一に、貴国が保有する技術体系についての情報だ。我々がまだ理解していない技術、その原理、使用条件、運用方法、実際の利用状況などを知りたい」
随員が新たな記録用紙を机上へ置いた。
「第二に、貴国が把握している地理情報である。周辺海域、島々、大陸、国家の位置、主要な航路、自然環境など、確認できている情報を提供してもらいたい」
さらに幹部は三つ目の条件を示した。
「第三に、継続的な国際情勢の情報だ。各国の外交関係、軍事的な動向、交易、紛争、勢力関係など、貴国が把握している情報を定期的に共有してもらいたい」
要求は技術、地理、国際情勢の3つに整理されていた。
この3つはどれもネオ・アトランティスが未知の世界において活動するうえで必要不可欠な情報である。
特に地理と国際情勢は単なる知識ではなく、今後の行動範囲を決定するための基礎情報となる。国家の位置や航路を理解し、各国の関係を把握しなければ新世界における勢力関係を正しく分析する事はできない。
ヴァルターは要求内容を記録しながら、慎重に確認した。
「技術だけでなく、我が国が把握している周辺地域の情報も必要というわけだな」
「そうだ。貴国が持つ情報を、可能な範囲で継続的に共有してもらいたい」
幹部の返答を聞いたヴァルターは一度だけアレクシス王を見た。
相手が要求しているのは王国のあらゆる機密を無条件に引き渡せというものではない。自国が把握している技術や地理、国際情勢を提供する事が条件となっている。
それは王国にとっても実行可能な範囲を明確にできる要求だった。
「陛下、情報提供については、王国が保有する記録を整理して対応できます。技術情報は王立学術院、地理と国際情勢は政府の担当部門で取りまとめる形が適切でしょう」
ヴァルターの提案にアレクシス王は頷いた。
「そうだな。エリナ、学術院では技術情報の整理を担当できるか?」
「はい。王国で利用されている技術について、原理、使用方法、実際の運用状況などを分野ごとに整理できます。研究者による説明も用意いたします」
エリナが王の命令に応えたのを確認したヴァルターはラザルへと視線を向けて命令を出す。
「ラザルも協力してくれ。王国で扱われている技術について、学術院だけでは整理しきれない部分もあるだろう」
「承知いたしました。必要な知識をまとめ、説明できるよう準備いたします」
それを聞いたヴァルターは満足そうに頷いて役割を分担する事にした。
「地理と国際情勢については、こちらで記録を集めよう。王国が把握している範囲を隠す必要はない」
そう方針を告げ終えたヴァルターは再び幹部へ向き直った。
「我が国は貴殿らの条件を受け入れる。地理情報と国際情勢については現在保有している資料を整理し、継続的に提供する方針だ。技術についても、王立学術院と政府が協力して情報をまとめる」
「理解した」
「ただし、我が国が知らない事まで伝える事はできない。確認されている事実と、伝承や推測については区別して提供する。それで構わないな?」
「問題ない。我々が求めているのは、貴国が保有している情報だ」
幹部はリューネル王国側の条件をそのまま受け入れた。
アレクシス王はその反応を確かめるように相手を見つめた。情報を出す側が把握していない事まで要求しても意味はない。
むしろ、確認された事実と推測を分けるという条件は、情報の信頼性を高めるうえで合理的だった。
王国側が提供する情報の内容と範囲が明確になった事で、技術交換の基本的な枠組みはまとまりつつあった。
*
ヴァルターは机上の地図を広げた。
王国側が提供する情報の概要を示すため、周辺海域と主要な陸地、国家の位置関係が記されている地図を持参していたのである。
「まず、我々が把握している世界の地理について説明しよう」
ヴァルターはそう言い終えた後、地図の中央から順に指を差しながら説明を開始した。
「この世界には大きく分けて三つの主要な文明圏が存在している。中央世界を中心とする第一文明圏、ムー大陸を中心とする第二文明圏、フィルアデス大陸を中心とする第三文明圏だ」
ヴァルターはそれぞれの地域を指し示しながら説明を続けた。
「それぞれに有力国家が存在し、独自の歴史や文化、技術体系を築いている。三つの文明圏の外側にも多くの島々や大陸が存在し、そこには独立した国家や小規模な勢力が点在している」
ネオ・アトランティス側の随員達は、地図と説明を照合しながら記録を進めていた。
「第一文明圏では、神聖ミリシアル帝国が最も強い影響力を持っている」
神聖ミリシアル帝国の名が出ると、幹部の仮面がわずかに動いた。すでに海上で遭遇した艦隊から、その国家名だけは把握している。
しかし、その実態や勢力範囲については何も分かっていなかった。だからこそ、ネオ・アトランティスにとってその情報は有益な物であったのだ。
「同国は高度な技術を持ち、広大な領土と強力な軍事力を有する国家だ。魔導技術を利用した艦艇や航空戦力を持ち、周辺諸国にも強い影響力を及ぼしている」
神聖ミリシアル帝国についての説明が区切られると、エリナがその説明に加わった。
「特に古代の遺跡を研究し、そこで発見された技術を現在の産業や軍事へ取り入れていると聞いています。学術研究も盛んであり、技術力はこの世界でも最高水準にあると考えられています」
幹部はその説明を遮らず聞いていた。ネオ・アトランティスにとって地理的情報は今後を決める上で無視出来ない重要性を持っている。
だからこそほかの国々についても知らなければならなかった。
「ほかにも有力な国家はあるのか」
随員の一人が記録を続ける中、幹部が尋ねた。
「あぁ、もちろん存在する。第一文明圏にはエモール王国があり、第二文明圏にはムーとレイフォル、第三文明圏にはパーパルディア皇国が存在する」
ヴァルターは、地図上の各国家を示した。
「エモール王国は竜人族を中心とする国家で、竜種を軍事力として利用する能力を持つ。ムーは機械工業を発展させた国家であり、造船や鉄鋼、航空機などの分野で力を持っている。パーパルディア皇国は第三文明圏の広い地域を支配下に置き、周辺諸国に強い影響を与えている」
ネオ・アトランティス側は国家名だけでなく、位置関係や周辺諸国との接続、主要航路についても記録していた。
その様子を見たアレクシス王は相手がこの世界に関する情報をほとんど持っていないのだと改めて理解した。
名前を知っている国家であっても、実際の国力や技術水準、外交関係までは知らない。今回の地図と説明は彼らにとって新世界の全体像を把握するための重要な手掛かりとなるはずだった。
説明を大人しく聞いているネオ・アトランティス使節団を見据えながらヴァルターは説明を続ける。
「我らリューネル王国を始めとした文明圏に属さない国々は文明圏外国と呼ばれるが、既存の文明が存在していないと言う事ではない」
アレクシス王はその言葉に頷きながら説明を引き継ぐ。
「これらの国家以外にも、各地にはさまざまな小国が存在している。文明圏に属していないからといって、必ずしも国力が低いわけではない。独自の技術や資源、軍事力を持つ国家もある」
それに対して幹部は感心しながら口を開く。
「なるほど。地域ごとの勢力関係を把握するには、さらに詳細な資料が必要になる訳か」
「地図だけでは分からない事も多い。各国の情報については、今後も整理して提供しよう」
アレクシス王は患部の言葉にそう答えた。
*
地理と国家情勢の説明が一段落したところで、エリナが一枚の古文書の写しを取り出した。
今回の情報提供にあたり、王立学術院が重要と考えていた歴史的な情報も含めるべきだと判断したためである。
「もう一つ、この世界の歴史に関してお伝えしておきたい事があります」
その言葉を聞いた幹部の視線がエリナへ向けられる。
「現在の国家が成立するよりも遥か以前、この世界には広大な領土を支配した巨大な帝国が存在していたと伝えられています」
そう言いながらエリナは古文書の写しを机上へ置いた。
「古の魔法帝国、ラヴァーナル帝国と呼ばれる国家です。光翼人を中心とする文明であり、現在の国家とは比較にならないほど高度な技術と力を持っていたとされています」
エリナの説明をラザルが補足する。
「記録に残る内容は断片的だが、当時の帝国は広大な地域を支配し、現在の文明では理解が難しい高度な技術を利用していたようだ」
エリナは古文書の記述を確認しながら続けた。
「伝承によれば古の魔法帝国は神々との争いの末に滅亡の危機に直面しました。しかし、滅亡を避けるために自らが住まうラティストア大陸そのものを未来へ移したとされています」
幹部の視線が古文書の写しへ向けられた。
──大陸をも巻き込んだ未来への転移。
その内容は、ネオ・アトランティスがこの世界へ転移した経緯とも無関係ではないように聞こえる。
もっとも、両者の移動が同じ原理で発生したと判断できる材料はなく、伝承の内容そのものも完全に解明されているわけではない。
伝説に存在するからと言って現実に起こった出来事と決め付けるのは早計だろう。が、ネオ・アトランティスが体験した事象はまさにそのそれだった。
故に幹部は勤めて冷静に言葉を発した。
「……実際に未来へ移った事を示す証拠はあるのか?」
「確実な証拠はありません。現存する古文書や遺物、伝承を照合すると、そのような解釈が成り立つという段階です。帝国がどこへ移動したのか、現在も存続しているのかについては分かっていません」
エリナは確認できている事実と伝承を分けて説明した。
「ラヴァーナル帝国の滅亡に関する記録も複数存在しますが、細部には違いがあります。そのため、我々は古い文献を比較しながら、歴史的な事実を整理しているところです」
それを聞いた幹部は静かに頷いた。ネオ・アトランティス側にとって、古の魔法帝国という存在について情報を得られた事は大きな収穫だった。
しかし、王国側の説明だけでその帝国の所在や技術体系、転移の原理まで分かったわけではない。提供されたのは、あくまでこの世界に伝わる歴史的な記録である。
それでも、世界の歴史を理解するうえで見過ごせない情報である事に変わりはなかった。
伝承の記録は持ち帰るべきと判断した幹部はヴァルターへと視線を向けた。
「記録の写しを提供してもらう事は可能か?」
そう問われたヴァルターは少し思案した後返答した。
「学術院が保有する資料について、公開可能な範囲で写しを用意する事はできる。ただし、原本の持ち出しは認められない」
「それで構わない」
その幹部は特に不満を示さなかった。
エリナは古文書の写しをまとめ、改めて保管用のケースへ戻した。それを見ながら幹部は古の魔法帝国と言う単語を反芻していた。
転移直後に見つけたかの遺跡とかの古の魔法帝国の関係は不明である。しかし、完全に無関係と決め付けるのは早計だと幹部は考えたのだ。
*
会談が終盤に差し掛かった頃、ネオ・アトランティス側の幹部が改めて口を開いた。
「もう一つ、我々から要望がある」
アレクシス王は静かに応じた。
「聞こう」
「貴国の領内に存在する遺跡について、我々にも調査の機会を与えてもらいたい」
その申し出に、エリナの表情が変わった。
リューネル王国国内は、王族が管理し、王立学術院が調査を実施している遺跡が存在する。それらは過去の文明を研究するうえで重要な資料であり、出土品や内部構造の管理にも慎重な対応が求められていた。
その遺跡の中央部へつながると思われる扉は固く閉じられており、その本来の役割は未だ明らかになっていない。だが、外部部分のみだとしてもリューネル王国にとって価値ある遺跡だった。
彼女自身、今回の訪問者が高度な技術を持つ事には関心を抱いている。しかし、それを理由に国内の遺跡を自由に調査させる事には賛成できなかった。
ラザルも同様の考えだった。
遺跡の調査には専門的な知識が必要であり、出土品を適切に保護しなければならない。未知の勢力がどのような目的で遺跡へ接近しようとしているのかも、まだ十分に把握できていなかった。
アレクシス王は相手の申し出を聞き終えると、ほとんど間を置かずに答えた。
「それは認められない」
室内の空気がわずかに引き締まる。
「我が国の領内にある遺跡は、私達王族の管理下にある。内部構造すら我々には明らかに出来てない」
そこまで言い終えたアレクシス王は少し沈黙した。遺跡についてどこまで条件を出すべきなのか迷っている様子だった。
その遺跡には王立学術院や他の首脳陣ですら知り得ない秘密が存在する。しかし、その事を明らかにするのはまだ早いとアレクシス王は考えたのだ。
思考を巡らせたアレクシス王は改めて口を開く。
「……貴国との関係が始まったばかりだ。その段階で我らが管理する遺跡へ自由な調査を許可するわけにはいかん」
アレクシス王の声に怒気はなかった。しかし、判断が変わる余地は見られなかった。
それを聞いたヴァルターは頷きながら移籍についての方針を述べる。
「技術と情報の交換については合意できる。だが、国内の遺跡を調査させる事は別問題だ。王国の歴史や学術に関わる重要な資料を、相手の素性や目的も十分に分からないまま委ねる事はできない」
ヴァルターも王の判断を支持したのだ。次にラザルが口を開いた。
「遺跡の調査については、王立学術院が管理する必要があります。現段階では、調査の目的や方法、得られた情報の取り扱いについても合意がありません」
彼は一度、幹部へ視線を向けた。
「今後、双方の間に十分な信頼関係が構築されれば、改めて検討する余地はあります。その際も、王立学術院の立ち会いや、調査範囲の限定など、一定の条件を設ける事になるでしょう」
ラザルの言葉にアレクシス王は頷いた。
「そういう事だ。今はまだ、その段階ではない。互いに相手の事を理解し、信頼できると判断した後ならば、条件付きで認める事は考えてもよい。だが、現時点で許可を出すつもりはない」
幹部はしばらく沈黙していたが、やがて静かに頭を下げた。
「当然の判断だ。理解した。信頼関係が築かれるまでは、こちらから調査を要求する事はしない」
態度から察するに、元々予想していた回答だったのだろう。
少なくとも、相手が王国の管理下にある遺跡を簡単に開放するとは考えていなかった。初対面の段階で拒否されたとしても、それによって交渉そのものを損なう必要はない。
ネオ・アトランティス側はあくまで相互利益を伴う関係を築く事を優先していた。
強引に要求を押し通せば、王国側の警戒を強めるだけである。今は技術と情報の交換を成立させ、相手との関係を維持する方が合理的だった。
*
その後、会談は合意事項の確認へと移った。
技術資料については王立学術院が管理し、説明された内容を記録したうえで、実際に王国内で再現できるかどうかを検証する事になった。
特に部品規格の統一、測定精度の向上、工作機械の改良、安定した動力の確保、金属加工と製造工程の改善については、優先的に検討する方針が確認された。
地理情報についてはリューネル王国が保有する既存の地図や海図を整理し、周辺海域、主要な島々、陸地、国家の位置関係、交易路などをまとめて提供する。
国際情勢についてもリューネル王国政府が把握している各国の外交関係、軍事的な動向、交易、紛争などの情報を継続的に共有する事が決まった。
さらに、古の魔法帝国に関する記録についても公開可能な範囲で写しを提供する事が確認された。
対するネオ・アトランティス側は王国が抱える産業上の課題に合わせて、技術知識を段階的に提供する。必要に応じて図面の内容を口頭で説明し、王国側が理解できるように配慮する事も確認された。
双方が合意した内容は随員達によって丁寧に記録されていった。
その様子を確認したアレクシス王は最後にもう一度、使節団の幹部へ目を向けた。
「今回の話し合いによって、我が国が得られるものは少なくない。だが、我が国は独立した一国として交渉に臨んでいる。誰かの支配下に入るつもりはない」
それに対して幹部は頷きながら返答した。
「その点について、我々から異論はない。双方が利益を得られる関係であれば、それで十分だ」
幹部の返答は簡潔だったが、リューネル王国に対しての配慮が見て取れた。
アレクシス王はその言葉を聞いてわずかに頷いた。
相手が本当にどのような組織なのか、なぜこの世界へ現れたのか、何を最終的な目的としているのか。それらは依然として不明である。
しかし、少なくとも今回の会談では王国の主権を否定するような要求はなかった。
今後の関係を判断するためにも、まずは合意した内容を確実に実行する必要がある。
「それならば、今回の話し合いはここまでだ。今後の連絡については、政府と学術院を通じて行う」
「了解した」
*
使節団のりーだーである幹部が立ち上がる。
それに合わせて随員達も席を立ち、王国側へ向き直った。全員が一礼し、机上の資料や記録用紙を確認してから、持参したケースを閉じる。
「本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございました」
随員の一人が、丁寧に礼を述べた。
アレクシス王は落ち着いた表情で応じる。
「こちらにも得るものはあった。今日決めた内容を、双方とも確実に進めていこう」
それを聞いた幹部は短く頭を下げた。
彼らは入室時と同じように、リューネル王国側の出席者に配慮した歩調で扉へ向かっていく。最後にもう一度、室内へ向き直って礼をすると、随員とともに退室した。
扉が閉じられた後も、しばらく誰も口を開かなかった。
会談が成立した事に安堵する一方で、互いの間には依然として大きな情報格差が残されている。リューネル王国側は相手の名前と目的、そして高度な技術の一端を知ったにすぎない。
相手の勢力規模、政治体制、軍事力、歴史、組織の全容についてはほとんど分かっていなかった。
「……随分と慎重な相手だったな」
アレクシス王がネオ・アトランティス使節団の座っていた席へ目を向けながら呟いた。
それを聞いたヴァルターは作業を続けながら答えた。
「はい。こちらの条件を受け入れる姿勢は見せていましたが、相手の目的がすべて明らかになったわけではありません」
会談の記録をまとめているヴァルターを手伝いながらエリナが口を開く。
「特に地理情報と国際情勢を継続的に求めていた点は気になります。技術の提供だけが目的ではないのでしょう」
それに対してヴァルターが肯定する。
「当然だ。知らない土地へ来たのなら、まず周囲の状況を知ろうとするだろう。だが、それだけで相手の意図を決め付ける事もできん」
「そうですね。今回の情報交換が、どのような結果につながるのかは慎重に見極める必要があります」
エリナの言葉に、アレクシス王は静かに頷いた。
ラザルは机上に残された技術資料を手に取り、図面の一つをじっと見つめていた。
「それにしても、あれほど体系化された知識を持っているとは……。特に工作機械や規格統一に関する考え方は、我が国の研究を大きく前進させる可能性があります」
それを聞いたアレクシス王は懸念点を述べる。
「実際に再現できるかどうかは、これからの研究次第だな」
それに対し頷きながらヴァルターは返答した。
「動力機関についても同じです。構造を理解できても、材料の品質や加工精度が不足していれば、図面どおりには動かないでしょう。安全性も確認しなければなりません」
2人の懸念と分析を聞いたエリナは頷きながら返答する。
「分かっています。だからこそ、まずは王立学術院で資料を整理し、各分野の研究者に検証させる必要があります」
その様子を見ながらラザルは今後の方針をアレクシス王に伝えた。
「陛下、情報提供についてはすぐに準備に取り掛かれます。地図や海図、外交関係の記録を整理し、提供できる状態にしておきます」
「頼む。相手が求めている情報を提供する以上、我々もその対価として得られる知識を確実に活用しなければならない」
アレクシス王は窓の外へ視線を向けた。
庭園の向こうには海が広がっていた。遠くの海岸線は夕暮れの光を受け、穏やかな色を帯びている。だが、その海中には、王国の常識では説明できない巨大な構造物が存在している。
海中から現れた黒灰色の構造物、額に第三の眼を刻んだ仮面の幹部、そして彼らが名乗った組織の名称。
アレクシス王は机上に残された会談記録へ目を戻した。
その名に初めて触れた瞬間、彼の表情がほんのわずかに変化した。
「ネオ・アトランティス……」
それは誰にも聞こえないほど小さな呟きだった。
言葉を口にした後、アレクシス王は何事もなかったかのように記録を閉じた。向かいにいたヴァルターは、次の情報整理について考えており、エリナは技術資料をまとめ、ラザルは古文書に関する記録を確認している。
誰も、その小さな呟きには気付いていなかった。
アレクシス王も、何も語らない。
ただ、いつもの落ち着いた表情へ戻ると、次の政務へ向けて席を立った。
*
一方、迎賓館を後にしたネオ・アトランティス使節団はリューネル王国側が指定した経路に従って移動を続けていた。
仮面を着用した随員達は持ち帰る資料と会談の記録を慎重に管理している。王国側から提供を受ける予定の地理情報、国際情勢、技術資料、古い歴史記録について、それぞれの担当が内容を整理できるよう準備を進めていた。
今回の会談で得られた成果は少なくない。
未知の島国がリューネル王国という名称を持つ事、王国が一定の学術基盤と機械加工技術を保有する事、周辺には複数の文明圏と強大な国家が存在する事、そして古代には現在の文明を大きく超える技術を持った帝国が存在したと伝えられている事。
いずれも、今後の活動方針を決めるうえで価値のある情報だった。
特に古の魔法帝国──ラヴァーナルに関する情報は未知の世界の歴史を調べるうえで見過ごせないものとなる。
ただし、今回得られたのは伝承と歴史記録の一部にすぎない。ラヴァーナル帝国の所在や現状、未来への転移の原理については、まだ何も分かっていない。
また、リューネル王国内の遺跡についても調査許可は得られなかった。だが、使節団の幹部はその判断を当然のものとして受け入れていた。
最初の会談で相手の管理する遺跡へ自由に立ち入る事を要求しても、信頼関係を損なうだけである。今は合意した技術・情報の交換を確実に実行する事が先決だった。
ネオ・アトランティス使節団の一行は与えられた条件を守りながら静かに移動を続ける。
彼らの仮面の下にある表情を知る者はリューネル王国側には誰もいない。
こうして、リューネル王国とネオ・アトランティスの最初の正式な会談は終了した。
それは友好や同盟の成立ではなく、互いの利益を認め、技術と情報を交換するための最初の取り決めにすぎない。
それでも、未知の勢力との関係は確かな一歩を踏み出した。
そして、この会談によって得られた情報は、双方の今後の行動に少なからぬ影響を与える事になる。