日本国召喚×ふしぎの海のナディア―ネオ・アトランティス異世界転移―   作:ネオ・アトランティス

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第二章 転移直後の勢力基盤

 転移から三日目。ネオ・アトランティス中枢基地の最高指揮区画では、組織の存続を左右する調査結果が、ようやく一つの全体像を形作りつつあった。

 壁面を埋め尽くす大型地図に描かれているのは、彼らがこれまで活動してきた世界の地形ではない。見知らぬ大陸の輪郭だった。山脈、森林、平原、乾燥地帯、河川、湖沼、入り江、海岸線。

 それらは互いに不自然なほど唐突に接続し、自然の造形とは思えない奇妙な地理を形成している。

 まるで、異なる地域がそれぞれの環境を保ったまま、一枚の大陸へ縫い合わされたかのような姿だった。

 しかも、移されたのはネオ・アトランティスの中枢基地だけではない。主要な軍事拠点、重要要塞、研究施設、兵器製造工場、資源採掘地、補給基地、港湾、倉庫、農業生産地。さらには、表向きの企業群が管理していた本社や主力事業所までもが、周辺の土地ごと転移していた。 

 組織にとって重要性の低い小規模施設や、主要拠点を支えるためだけに存在していた土地も例外ではなかった。

 人員の居住区、物資の集積地、支線鉄道、運搬路、採掘現場、試験場、予備部品の保管庫に至るまで、確認された範囲では、ネオ・アトランティスが築き上げてきた勢力基盤の大半が、新世界へそのまま引き継がれていたのである。

 転移によって失われた兵器はない。破壊された製造設備もない。建造中の構造物も、保管されていた資材も、倉庫に収められていた武装も、各施設で管理されていた機械も、すべてが本来の状態を保っていた。

 土地の形状と位置関係こそ根本から変わっていたが、組織が築き上げてきた力そのものが損なわれたわけではなかった。

 その事実を裏づけるように、指揮区画の中央では、各部門から届いた報告書が次々と整理されていた。

 軍事部門、技術部門、施設管理部門、兵站部門、そして表企業管理局。それぞれが独立して進めていた被害確認と稼働状況の調査は、ようやく一つの全体像を形作ろうとしていた。

 室内には、仮面を着用した幹部たちが集まっている。その中央に立つ赤い衣服の男は、報告書へ視線を落とすこともなく、壁面の地図を見つめていた。  

 ネオ・アトランティス総帥、ガーゴイル。

 彼の背後では、補佐官が資料を手に待機している。周囲の幹部たちが転移の原因をめぐって意見を交わす一方、ガーゴイルは一人、地図に示された勢力圏の輪郭を静かに見据えていた。

「第一次集計の結果を報告します」

 調査責任者が一歩前へ出た。 

「中枢基地をはじめ、確認対象となった主要軍事拠点、重要要塞、研究施設、生産施設のすべてが、転移先で確認されました。各施設の建造物、動力設備、兵器管制装置、製造機械に、転移を原因とする重大な損傷は認められていません。製造途中の兵器や建設途上の施設についても、作業状態を維持しています」

「物資はどうなった?」

 ガーゴイルの問いは短かった。

「主要倉庫、予備部品庫、弾薬庫、原材料の保管施設についても、確認された範囲では異常ありません。資材の所在を示す記録と実物の照合は継続中ですが、現段階で大規模な消失や破損は確認されていません」

「結構だ。報告書の数字だけで満足するな。帳簿と実物を照合し、数量、品質、保管状態を確かめろ。数が合っていても、使い物にならなければ何の意味もない」

「はっ」

 調査責任者が退くと、別の将校が地図の前へ進み出た。

「問題は、従来の地理情報がほとんど役に立たなくなったことです。各拠点の位置関係は、全面的に再確認する必要があります。従来の海図、陸路の測量記録、各地域の地形図を、そのまま新大陸へ当てはめることはできません」

「当然だ。地図に現実を合わせるのではない。現実を測量し、地図を作り直せ」

 ガーゴイルは指先を軽く鳴らした。

「我々が知っていた世界の地理が失われた。それだけのことだ。施設が残り、兵器が残り、資源も人員も残っているのなら、まずは新しい地理を把握すればよい。何が起きたのか理解できぬからといって、手元にあるものまで見失う必要はない」

 その声には、動揺も焦燥もなかった。理解不能な事態に直面しているという事実と、それによって組織の計画を放棄すべきかどうかという判断を、彼は明確に切り離していた。

 調査責任者は、別の地図を壁面へ掲示した。新大陸の輪郭には、確認済みの軍事拠点と生産施設が、それぞれ異なる記号で記されている。さらに、その周囲には表企業の本社、鉱山、造船所、工場、港湾、通信拠点、農地、倉庫などが配置されていた。

 それを見た幹部の一人が、思わず口を開いた。

「これほど広範囲にわたる施設が、同じ大陸上に存在しているというのか……」

「そうだ。しかも、ただ並んでいるわけではない」

 ガーゴイルが地図へ視線を向けたまま答えた。

「我々が移動させられたのは、基地の建物だけではない。我々の軍事力を支えてきた生産拠点、資源を確保するための採掘地、兵器と物資を運ぶ輸送網、そして通常の経済活動を装って資金と資材を供給する企業群も含まれている。軍事力と、それを維持するための基盤が、まとめてここへ移されたのだ」

 その言葉を聞き、幹部たちは改めて地図を見つめた。

 彼らの勢力圏は、単純な領土の広さによって測れるものではなかった。

 秘密基地が点在しているだけでもなければ、武装した兵士たちが各地を占拠しているだけでもない。資源採掘、工業生産、輸送、金融、食料供給、情報収集、兵器開発。それぞれが独立した活動を続けながら、最終的にはネオ・アトランティスの目的を支えるように組み合わされていたのである。

 この構造が残っている限り、組織は再建のためにゼロから出発する必要はない。

 むしろ、かつて別々の地域に分散していた施設群が、未知の一つの大陸に集められたことで、これまでとは異なる統合運用の可能性すら生じていた。

 もちろん、それはすべての問題が解決したことを意味しない。従来の物流計画は見直しを要し、拠点間の距離も再測定する必要がある。だが、その問題は、施設そのものを失った場合とは根本的に異なっていた。

 ガーゴイルは地図から目を離し、軍事部門責任者へ視線を移した。

「兵器の状況を報告しろ」

 命令を受けた軍事部門責任者は立ち上がり、手元の資料を元に報告を始める。

「はい。既存の兵器群は、すべて所定の保管場所および配置場所で確認されています。艦艇、航空戦力、陸上兵器、特殊工作機械、各種火器、弾薬、補助装備について、転移に起因する損傷は確認されていません」

 ここで軍事部門責任者は言葉を括り、報告すべき事項とそうでない事項を仕分ける。本来なら報告の場で行うべし行為ではないがそれを咎める者は居なかった。

 何せ異世界転移と言う超常現象に巻き込まれたのだ、現時点でどれが必要でどれが不要かは責任者が判断するしかない。

 考えをまとめた軍事部門責任者は視線で先を促すガーゴイルを見ながら報告を続ける。

「ただし、すべてが直ちに作戦投入可能という意味ではありません。整備中の装備や、乗員・操縦員の確認を要する兵器については、個別の稼働判定を継続しています。整備施設と製造設備は正常な状態を維持しています」

「建造計画は?」

「いずれも継続可能です。ただし、周辺の地理が変わったため、資材の搬送経路や試験場の安全範囲など、一部の計画は再調整する必要があります」

「ならば再調整しろ。兵器開発を止める理由にはならん」

 ガーゴイルの返答に、軍事部門責任者は一礼した。

 この時点で、ネオ・アトランティスが保有する兵器群は、単に残存しているだけではなかった。

 工場では既存兵器の増産が進められ、研究施設では次世代装備の試作が続いていた。軍事部門の計画表には、さらなる戦力拡充を前提とした生産予定が記され、必要となる資材と人員も割り当てられていたのである。

 その中でも、組織の将来を大きく左右する存在があった。

 空中戦艦である。

 中枢基地の壁面には、第一号機の全体図と、第二号機『デウス・エクス・マキナ』の設計図が並べて掲示されていた。

 どちらも一般的な航空機や飛行船とは比較にならない規模を持ち、空中からの作戦遂行だけでなく、強大な兵器を運用する戦闘拠点、広域的な指揮機能を備えた移動要塞として計画されていた。

 第一号機は、すでに実用段階に達している。ただし、実用段階にあることは、常時作戦投入可能であることを意味しない。古代アトランティス文明の遺産から得られた反重力技術を利用し、通常の航空機では到底実現できない巨体を空中に維持する。

 その一方、動力供給には一般的な工業技術も組み込まれており、超科学と通常技術が一つの艦内に共存していた。

 第二号機『デウス・エクス・マキナ』も、建造が完了していた。第一号機の運用を通じて得られた知見や設計上の課題を反映させることで、単なる同型艦の追加ではない改良型として完成させる事が目標とされていたものである。

 報告に立った空中戦艦開発部門責任者は、二隻の図面を示しながら説明した。

「空中戦艦第一号機、第二号機『デウス・エクス・マキナ』は共に実用段階にあり、主要機能の稼働を確認済みです。ただし、拡張整備と継続的な作戦運用には予定された整備と試験が必要です」

 それを聞いた会議に参加している幹部陣は安堵の表情を浮かべる。空中戦艦は移動指揮司令室としても使える戦略兵器だ。故にいざと言う時に使えなければ意味がない。

 想定していた最悪と比べれば整備が必要なだけなのは問題とは言えない。

 空中戦艦開発部門責任者は周りの状況を確認しながら報告を続ける。

「第一号機、第二号機ともに船体構造、反重力機関、兵装系統、電力供給設備、指揮区画に、転移による損傷はありません。艦内の製造・整備設備も正常です。第二号機については、建造と並行して追加拡張のための部材と配置計画を準備していましたが、これらも失われていません」

 それを聞いた軍事部門幹部が手を挙げ、発言の許可を得て口を開いた。

「第一号機の整備状況は?」

「拡張整備に備えた準備段階です。構造部材や予備部品、動力系統の整備計画は用意されています。転移による損傷はありませんので、計画の前提を大きく変更する必要はないと考えます。ただし、新たな地理における飛行試験空域と補給経路については、改めて測量する必要があります」

 その会話を聞いたガーゴイルは、資料から目を上げ、技術責任者へ声をかけた。

「それは第二号機も同様か?」

「はい。こちらは第一号機の運用データを踏まえた追加改修も検討しています。拡張計画に必要な資材も所定の場所に残っています」

 ガーゴイルは図面をしばらく眺めた後、低く答えた。

「よろしい。両艦の強化計画を維持しろ。第一号機を運用しながら、第二号機で得られる改良を反映させるのだ。二隻あるというだけで満足するな。大きな兵器を所有することと、それを最大限に利用できることは違う」

「はっ」

 空中戦艦は、世界征服計画における重要な切り札だった。通常の軍艦では到達できない高度から戦力を展開し、地上の施設や艦艇に対して優位な位置を確保する。

 さらに、その強大な火力と防御機構は、敵対勢力の抵抗意志を折るための威圧としても機能する。

 しかし、ガーゴイルは巨大な兵器を単なる威圧の象徴として扱うつもりはなかった。整備、兵装、補給、乗員訓練、動力系統の保全が伴わなければ、いかに強力な艦艇でも戦略的価値を失う。

 空中戦艦の報告が終わると、潜水艦隊の責任者が前へ出た。

「ガーフィッシュⅠ型、ガーフィッシュⅡ型について報告します。既存艦はすべて確認済みです。船体、動力機関、魚雷発射管、速射砲、その他の搭載兵装に、転移による損傷は認められていません」

 潜水艦隊責任者が報告を終えた後彼の副官が前で出て報告を引き継ぐ。

「整備用設備、部品製造機械、魚雷および弾薬の保管施設も正常です。ただし、個々の艦の稼働状況は、乗員、燃料、弾薬、整備履歴を含めて確認中です。艦体が無傷であることと、直ちに作戦投入できることは別に判定します」

 ガーフィッシュはネオ・アトランティスにとって海上交通を支配するための重要な戦力だった。

 外見上は大型の潜水艦であっても、その兵装は一般的な同時代の軍艦を大きく上回る。魚雷や砲撃だけでなく、衝角による体当たり攻撃や爆雷の使用も可能であり、通常の軍艦にとっては深刻な脅威となる。

 Ⅰ型に続いて開発されたⅡ型は、船体を大型化し、形状や操舵系統にも改良を加えた高速型として運用される。両型は、それぞれの特徴を活かしながら、潜水艦隊の中核を担うことが期待されていた。

「増産計画については、予定どおり進められるのか?」

 ガーゴイルが尋ねた。

「はい。ガーフィッシュⅠ型、Ⅱ型ともに、さらなる量産に向けた製造設備の準備は整っています。船体の加工設備、組み立て設備、機関の製造設備、兵装の取り付け設備、検査用機材も健在です。現在の生産計画に必要な原材料と部品も、確認された範囲では確保できています」

 それを聞いたガーゴイルは、手元の報告資料を読みながら指示を出した。

「量産を急ぐあまり、検査を省くことは許さん。艦艇の数だけ増やしても、同じ欠陥を抱えた船を海へ送り出すことになれば、何の意味もない。製造工程と試験工程は維持しろ」

「承知しました」

 報告を終えて下がる潜水艦隊責任者と副官が下がったのを確認しながらガーゴイルは次の命令を出す。

「人間タンクの状況も報告しろ」

 別の技術士官が、資料を手に進み出た。

「人間タンクも、既存機体と製造設備の双方に異常はありません。機体の構造部材、駆動装置、操作系統、整備機材、予備部品はすべて確認済みです。追加生産に必要な製造工程の準備も整っています。ただし、既存機体の稼働率については、燃料、操縦要員、整備状態を含めた個別確認を継続しています。全機が直ちに稼働可能という判定ではありません」

 人間タンクは、通常の戦車とは異なる人型の万能工作機械であり、ネオ・アトランティスの地上活動を支える機械戦力の一つだった。

 戦闘能力だけに用途を限定するものではなく、作業機械としての性格も備えている。大規模な建設、障害物の処理、施設の復旧、物資の取り扱いといった任務に投入できる点は、新大陸の地形を把握するうえでも価値があった。

「こちらも量産体制を維持しろ。新しい土地には、新しい設備も必要になる。兵器を増やすだけではなく、基地の整備や輸送路の再構築を支える機械も十分に用意しておけ」

「はっ」

 ガーゴイルは、人間タンクの報告書を一瞥しただけで、次の資料を求めた。

 彼の関心は、兵器の性能だけではなく、兵器を製造し、運用し、必要に応じて増産できる組織全体の能力に向けられていた。

 多数のガーフィッシュを保有していても、損傷した艦を修理できなければ戦力は減少する。人間タンクが十分に存在していても、交換部品が不足すれば稼働率は下がる。

 空中戦艦が強力でも、整備と補給を担う設備が失われれば、継続的な作戦遂行は難しくなる。

 だからこそ、ネオ・アトランティスは兵器そのものと同時に、製造設備と整備設備を重視していた。今回の転移によって、それらがすべて無事に残されたことは、単なる幸運以上の意味を持っていた。

 だが、ガーゴイルが次に関心を向けたのは、組織の力を象徴するもう一つの兵器だった。

「バベルの塔について報告しろ」

 技術部門責任者が、表情を引き締めた。

 壁面には、バベルの塔第一号炉の構造図が表示された。その隣には、建設が進む第二号炉の設計図が並んでいる。

 どちらも、古代アトランティス文明の遺産を基礎としながら、ネオ・アトランティスの技術者たちが独自に解析と改良を重ねてきた兵器だった。

 バベルの塔第一号炉は、単なる巨大建造物ではない。高出力レーザーを制御し、反射衛星を介して目標へ照射するという、当時の一般的な科学技術では実現困難な機能を備えていた。その威力は極めて大きく、通常の軍事力を遥かに超える戦略的脅威となり得る。

 しかし、その性能を最大限に発揮するには、光線を発生させる機構だけでは不十分だった。発射制御、出力調整、照準、反射衛星との連携、そして高出力運転に耐える特殊材料が必要となる。

 過去の実験で明らかになった課題の一つが、人造オリハルコンの強度だった。

 その課題を解消するため、技術部門は材料の構造と加工工程を見直し、強度試験と各種機能試験を重ねてきたのである。

「第一号炉は、転移前に実施していた性能確認の段階から、当初の設計目標を大きく上回る結果を示していました」

 技術部門責任者は計測資料を示しながら説明を始めた。

「人造オリハルコンの強度は、設定した基準値を超過しています。内部構造の均質性、荷重に対する耐性、制御時の安定性についても、従来の試験結果を大幅に上回りました。各種機能も当初の想定以上の性能を示しており、照射制御と出力調整を含む複数の項目で、設計時の目標を超えています」

 幹部たちの間に、かすかなざわめきが広がった。ガーゴイルはそれに呑まれる事なく技術部門責任者を見据えて質問を行う。

「それほどの結果が出ているのか?」

「はい、本来の想定を超える喜ばしい成果となりました………しかし、高出力での連続運転や、想定を超える負荷が加わった場合の挙動については引き続き確認が必要です。また、反射衛星との実運用時の連携については、衛星の投入後に追加確認が必要です」

 懸念点と改善点を話した後技術部門責任者は恐る恐るガーゴイルへと視線を向ける。報告の場で不都合な事を喋ったのを気にしているのだろう。

 その様子を察してるガーゴイルは少々呆れながら言葉を出す。

「構わん、誇張せずありのままの情報を出すのだ。試験結果を正確に報告する事が重要であり、結果に対する印象なぞ二の次だ。故に確認出来た性能は正確に記録し、未確認の領域は未確認のまま残せ」

 ガーゴイルは技術部門責任者へと視線を向けながら言い聞かせる様に言葉を続ける。

「人造オリハルコンの強度が基準を超えたことは大きな成果だ。だが、数字を並べただけで技術が完成する訳ではない。材料、制御機構、反射衛星、動力供給、それぞれの連携を確かめろ。第一号炉で得られた成果を、第二号炉へ確実に反映させるのだ」

「はっ」

 バベルの塔第一号炉の性能向上は、ネオ・アトランティスの世界征服計画にとって重要な意味を持っていた。

 通常兵器とは比較にならない攻撃能力を持つだけでなく、特殊な技術を組み合わせて、長距離から目標へ強力なエネルギーを到達させることができる。

 しかも、その運用能力が安定すれば、相手の軍事力を直接破壊するだけでなく、抵抗すること自体を無意味だと思わせるほどの威圧を与えられる。

 ただし、ガーゴイルが重視していたのは、バベルの塔第一号炉を一度だけ成功させることではなかった。

 兵器の構造を理解し、再現し、必要な部品を製造し、長期間にわたって保守できること。そのすべてが整って初めて、バベルの塔は組織の戦略兵器として真の価値を持つ。

 技術部門責任者が第二号炉の資料を開いた。

「バベルの塔第二号炉については、バベルの塔第一号炉の設計と試験で明らかになった問題点を修正した改善型として、着工が進んでいます。基礎構造、制御区画、主要設備の配置、保守用区画などについて見直しを行い、製造工程にも改良を加えました。第一号炉で得られた人造オリハルコンの加工技術や強度試験の成果も、適用可能な範囲から順次反映させています」

「建設の進捗は?」 

「主要な工事は継続しています。構造物、建設機械、搬入済みの資材はいずれも無事です。周辺の地理は変化しましたが、建設設備と作業区域そのものに損傷はありません。現在の工程を維持しながら、資材搬送路と試験環境の再確認を進められます」

 ガーゴイルは、第二号炉の設計図をしばらく見つめていた。その後目線を上げ、今後の方針を命令として下す。

「第一号炉の単なる複製を作る必要はない。第一号炉が示した成果を踏まえ、弱点を残さず、整備性も向上させろ。完成を急ぐあまり、修正すべき問題を見過ごせば建造した意味がなくなる」

「承知しました」

 そう答えた技術部門責任者はメモを取りそれを側近に渡す。ガーゴイルからの命令を踏まえてどう動くべきなのかをまとめたのだろう。

 それを見据えながらガーゴイルは言葉を続ける。

「建設を続行しろ。試験で確かめられた改良は設計へ反映し、未確認の機構は検証を続けるのだ。第二号炉が第一号炉を上回る成果を示すなら、それに越したことはない」

 その命令は、単なる増産の指示ではなかった。ガーゴイルが求めているのは、兵器の数を増やすことだけではなく、設計と生産を繰り返すたびに技術的な優位性を高めることだった。

 バベルの塔第一号炉から得た成果をバベルの塔第二号炉へ反映させ、バベルの塔第二号炉の運用から得られた知見を、さらに後続の開発へとつなげる。

 その循環こそが、古代文明の遺産を一時的な切り札から、継続的に運用できる戦略的能力へ変えるのである。

 報告は、そこで終わらなかった。

「続いて、しもべの星について報告します」

 新たな資料が映し出された。小型の人工衛星を思わせる構造物の図面と、組み立て設備の配置図である。しもべの星は、バベルの塔から放たれるレーザーを反射し、目標への照射を成立させるために欠かせない装置だった。

 しかし、古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は、異世界転移の際に消滅していた。転移先の軌道上にも、その残骸や機能を維持した本体は確認されていない。したがって、古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は、現在の世界には存在しない。

 この事実は、ネオ・アトランティスにとって重大な意味を持っていた。古代製のしもべの星をそのまま利用することはできず、バベルの塔の運用に必要な衛星を、すべて自ら用意しなければならないのである。

 そして今回、ネオ・アトランティスは、既存のしもべの星に依存することなく、新たに二十四基を製造していた。

「しもべの星二十四基は、すべて完成しています。構造検査、反射面の検査、制御系統の確認も、現段階で要求された項目を満たしています。製造設備と検査装置にも損傷はありません。ただし、二十四基は地上で完成した状態にあり、まだ異世界の軌道へ打ち上げられていません。軌道上での展開、反射精度、バベルの塔との実運用時の連携は未確認です」

「二十四基か。異世界用に打ち上げるための備えという点では、十分な数だな」

 将校の一人が述べたが、技術部門責任者は慎重な表情を崩さなかった。

「はい。異世界での運用を前提に、打ち上げに向けた調整を進めています。ただし、現時点では地上試験を終えた段階であり、衛星として稼働中とは言えません」

 それを聞いたガーゴイルは満足そうに頷き、他の資料へ目を移した。幹部たちも安堵したのか、仮面の下で笑みを浮かべている。

 技術部門責任者が部下から資料を受け取って何やら会話をしているが、それを気に留める者はいなかった。

 いささか状況分析が足りない面もあったが、無理もない。ネオ・アトランティスが抱えていた不確定要素の一つが、少なくとも製造面では解消されたのだから、浮かれもするだろう。

 異世界転移によって、古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は消滅し、利用できる状態ではなくなった。バベルの塔は天空へ向けて光を放つ兵器であり、しもべの星なしには本来の性能を発揮できない。

 もし、この状況でノーチラスのような脅威が接近すれば、バベルの塔による迎撃が叶わず、組織は窮地に陥る可能性がある。その懸念を抱えていた幹部たちにとって、二十四基の新造衛星が完成しているという報告は、まさに吉報だった。

 しかし、技術責任者の咳払いが、その高揚を断ち切った。

「ただし、数を揃えることと、古代のしもべの星と完全に同じ性能を発揮できることは区別する必要があります」

 技術責任者はそう言葉を区切りつつ、部下から受け取った資料を確認しながら周囲の状況を窺った。

 先ほどまでの高揚感が嘘のように消え、室内は静まり返っていた。まさしく冷水を浴びせられたような沈黙だった。

 技術部門責任者は強い重圧を感じたが、手を止め、視線で続きを促すガーゴイルの姿を認めると、背筋を正した。

 一息入れてから、技術部門責任者は説明を再開した。

「新造分は、我々が把握した構造と技術を基に製造したものです。古代製の装置は異世界転移によって消滅しており、現物を直接調査することはできません。そのため、古代製の性能や内部構造については、なお不明点が残っています」

 技術部門責任者の説明をすべて聞いたガーゴイルは、内容を反芻し、手元の資料と照合しながら確認するために口を開いた。

「……しもべの星が抱える問題と課題を説明しろ」

「はい。古代アトランティス文明由来の資料や関連遺産から、しもべの星の構造と技術を推定することは可能です。しかし、既存のしもべの星そのものはすでに消滅しており、比較対象として確認できる本体は存在しません。古代製の装置がどのような制御機構や動力系統を備えていたのか、現段階では完全には確定できていません」

 技術部門責任者の声が、いっそう慎重になった。

「外形や記録から推定できる範囲を超えた部分については、検証が必要です。新造機が古代製と同等の性能を持つのか、あるいは異なる特性を示すのかも、実際に異世界の軌道へ投入して運用するまで断定できません」

 それを聞いた軍事部門責任者は資料を確認しながら思考を巡らせ、防衛部門責任者は部下と話し今後の計画を再構成させる。

 その様子を確かめながらガーゴイルは確認を行う。

「古代人の遺産が、我々の理解を超えているというのか」

 その問いに対し、技術部門責任者は頷きながら説明を再開させる。

「我々がまだ理解していない、ということです。古代製の本体は消滅しているため、性能が優れていたかどうかも、現物を用いた直接比較はできません。新造機の改良に利用できる可能性はありますが、現時点では資料と推定に基づく研究の域を出ていません」

 その答えを受け、沈黙が落ちた。

 ネオ・アトランティスは、古代アトランティス文明の超科学を利用することで、同時代の人類文明を大きく上回る力を獲得していた。

 しかし、その遺産のすべてを完全に理解しているわけではない。発見された装置を動かすことができても、その内部構造や設計思想、製造方法、全機能を理解できているとは限らなかった。

 しもべの星も、その典型だった。用途については、バベルの塔のレーザーを反射するための衛星として理解されている。

 しかし、古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は異世界転移によって消滅しており、現在は存在しない。

 そのため、それが古代アトランティス文明の人工衛星技術全体を代表するものだったのか、それとも多様な装置群の一系統にすぎなかったのか、現物を基にした明確な結論は出せなくなっていた。

 古代の記録や関連遺産が、新造機の構造と異なっているのなら、そこには別の設計思想や用途が存在する可能性がある。

 だが、資料の断片だけで、新型の攻撃兵器や高度な制御装置だと決めつけることはできない。未知の情報を都合のよい推測だけで解釈すれば、研究の方向そのものを誤る危険があった。

「当面の研究課題は、古代資料から推定されるしもべの星の構造と、新造機の相違点を明らかにすることです」

 技術部門責任者は説明を続けた。

「外殻の構造、反射機構、内部部品の配置、エネルギー伝達経路、制御機構の有無など、確認可能な要素を分解して比較します。ただし、古代製の本体は消滅しているため、原型を完全に復元することは容易ではありません。残された記録や関連遺産を無理に解釈すれば、誤った設計へつながる可能性もあります」

「ならば、推測だけで断定するな。残された資料を記録し、構造を把握しろ。分からぬものを、分かったつもりで扱うな」

 ガーゴイルの声は冷ややかだった。

「我々の目的は、古代の遺産を崇めることではない。利用できる知識を手に入れ、自らの力へ変えることだ。だが、そのためには対象を理解しなければならん。古代製と同じものだと決めつけることも、まったく別のものだと決めつけることも、現段階では許さん」

「はっ」

「比較研究を優先しろ。違いを整理し、共通する構造を見つけ、機能の推定は証拠に基づいて行え。新造した二十四基は、異世界用の打ち上げに向けて管理し、調整を進める。研究中の遺産と不用意に接続することは認めん」

 命令を受けた技術部門責任者は、深く一礼した。

 古代製のしもべの星そのものはすでに消滅しているが、残された資料と関連遺産の研究は、組織が未知の世界へ転移した後も、変わらず進めるべき重要課題の一つとして位置づけられたのである。

 二十四基のしもべの星を異世界用に打ち上げ調整していることは、転移先でバベルの塔の運用能力を確立するという点で大きな意味を持っていた。

 古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は異世界転移によって消滅し、利用できる本体は存在しない。

 だからこそ、異世界の軌道条件に合わせて調整した新造機を投入できれば、バベルの塔の運用能力が直ちに失われる危険を減らせる。

 二十四基の新造分は、そのための打ち上げ候補であり、今後の衛星運用を検証するための資料にもなり得た。ただし、打ち上げと軌道上での稼働が完了するまでは、バベルの塔の実戦運用を保証するものではない。

 しかし、古代アトランティス文明の遺産を新たに発掘したことによって、研究対象はかえって広がった。

 残された資料や関連遺産が、しもべの星の構造をどこまで示しているのか、異なる役割を持つ装置を示しているのか、それとも衛星そのものではなく、衛星を支える別の仕組みなのか。研究者たちは、そのいずれも確定できていなかった。

 ガーゴイルにとって、それは苛立たしい停滞であると同時に、無視できない可能性でもあった。

 自らが知らない技術が存在するという事実は、組織の技術的優位性がまだ完成していないことを意味する。未知の装置を解明できれば、既存の兵器体系を改良する手がかりが得られるかもしれない。

 彼は発掘資料へ一度だけ目を向け、視線を戻した。

「研究は続けろ。だが、成果を急いで失敗するな。分からないものがあるのなら、分からないという事実を出発点にしろ」

 技術部門責任者が退いた後、表企業管理局の連絡官が資料を持って進み出た。

「表企業ネットワークの状況について報告します」

 彼の手元には、十社の事業活動をまとめた報告書があった。

 いずれも、秘密組織そのものとは別の法人・事業体として活動する企業である。一般社員の大半はネオ・アトランティスの本当の目的を知らず、通常の利益を追求する企業で働いていると認識していた。

 秘密組織との関係を知るのは、限られた経営幹部や機密担当者、連絡要員などにとどまっている。

 その情報管理の仕組みも、転移によって崩壊したわけではなかった。

「アトランティック・マーカンタイル社の港湾、倉庫、船舶関連施設、ノース・オーシャン造船会社の造船所と修理設備、グローバル・エンジニアリング社の主力工場について、主要施設の所在を確認しました。コンチネンタル・マイニング社の鉱山と採掘設備、ヘリオス・ケミカル社の化学工場と研究施設も、確認された範囲では無事です」

 連絡官は資料をめくった。

「コンチネンタル・トラストの各拠点と保管設備、アトラス・テレグラフ社の通信設備、グローブ・ニュース・シンジケートの編集・印刷施設、オリエント・コンストラクションの建設設備、ワールド・アグリカルチャルの農地、倉庫、加工施設についても、転移に伴う重大な損傷は報告されていません。本社や主要事業所だけでなく、各社の支店、資材置き場、関連する輸送施設などについても、引き続き確認を進めています」

 それを聞いた物資管理部門責任者が手を挙げ、発言を許可されると質問を行う。

「事業の継続に支障は?」

「地理的な条件が変わったため、従来の取引先や輸送網をそのまま利用することはできません。ただし、企業の設備、人員、保管物資、会計記録、製造設備は残っています。施設ごとに通常業務の継続可能性を確認しつつ、秘密組織との連絡経路についても、これまでの機密管理を維持しています」

 それを聞いたガーゴイルは、ようやく満足したように小さく頷いた。

「一般社員に余計な情報を与える必要はない。各企業には、企業として必要な確認と復旧を行わせろ。彼らが知る必要のない事柄まで知らせれば、無用な混乱を生むだけだ」

「はっ」

 表企業各社の事業内容と役割を思い起こしながらガーゴイルは言葉を続ける。

「それと、通常業務をすべて軍事目的に置き換えるな。海運会社には海運会社の仕事があり、造船会社には船を造る仕事がある。金融機関も、鉱山も、農場も同じだ。通常の事業を維持してこそ、我々は大量の資源と資材を確保し続けられる」

 企業ネットワークの存在意義は、秘密基地の外側にある通常の産業基盤を活用できる点にあった。

 海運会社が資材を運び、造船会社が船舶を建造し、重工業企業が機械設備を製造する。鉱山会社は資源を採掘し、化学企業は材料を供給する。

 金融機関が資金の流れを支え、通信企業が情報の伝達を担い、新聞・出版企業が一般社会に流通する情報を扱う。建設会社は工場や港湾を整備し、農業・食料企業は人々の生活と生産活動を支えている。

 これらの事業をすべて軍事活動へ吸収してしまえば、表企業としての経営基盤は崩れかねない。一般社員が秘密組織の全貌を知らないことも、単なる情報不足ではなく、企業の通常業務を維持するための仕組みだった。

 転移先で既存の取引相手と連絡が取れなくなっている以上、従来の商業活動を再構築するには時間がかかるだろう。それでも、企業の建物、工場、鉱山、農地、船舶、資金管理の記録、人員、技術者が残っていれば、すべてを失った場合とは比較にならない。

 ガーゴイルは、表企業管理局の報告書を受け取り、最後のページまで目を通した。

「よろしい。各社の独立した経営体制は維持しろ。連絡要員は、担当する範囲の情報だけを扱えばいい。すべてを一つの組織へ押し込める必要はない。必要な部分がつながっているなら、それで十分だ」

「承知しました」

 表企業管理局の連絡官が退くと、指揮区画は再び静寂に包まれた。

 壁面の地図には、秘密基地と表企業の事業所が記号で示されている。軍事拠点と研究施設は、組織の直接的な指揮系統のもとに置かれていた。

 一方、表企業は通常の事業活動を継続しながら、限られた連絡経路を介して秘密組織と関係を保っている。

 それぞれの仕組みは、転移前と同じように存在していた。ただし、各施設を取り巻く土地と、それらが存在する世界の地理だけが、根本から変わってしまったのである。

 その様子を確認しながら調査部門責任者が資料を手に前へ出てくる。

 調査部門責任者はもう一枚の地図を表示した。そこには、確認された大陸の外縁と、まだ測量が済んでいない海域が示されていた。

「現状の測量では、周辺海域に既知の海岸線や航路標識を確認できていません。大陸の外側には広い海が広がっています。陸上でも、確認された範囲に人間の都市や既知の国家を示すものはありません」

「つまり、我々はどこにいるのか分からないということだな」

「はい。以前の地図と一致する地点は、現在のところ一つも見つかっていません。天体観測や測量結果についても、既知の地理へ直接当てはめられるだけの情報は得られていません。現段階では、新たな世界へ転移した可能性を排除できません」

「排除できぬどころか、その可能性が最も高いのだろう」

 ガーゴイルは淡々と言った。

 そこにあったのは、未知の世界に対する恐怖ではなかった。世界の全貌を把握していないという事実を認めたうえで、次に何を調べるべきかを考える姿勢だった。

「ならば、そう扱えばよい。原因の特定は研究部門に任せる。地理の把握は測量部門、周辺環境の調査は調査部門、施設の稼働確認は各責任者が行え。各部門が自分の役割を果たせば、必要な情報は集まる」

「はっ」

「ただし、未確認の土地に対して、既知の世界と同じ条件を当てはめるな。ここがどのような世界なのか、何が存在するのか、まだ何一つ確定していない。分かったふりをして判断することは、愚か者のすることだ」

 幹部たちは一斉に頭を下げた。

 彼らの眼前に広がる大陸は、自然の地理によって形成されたものではなかった。別々の地域が、互いに本来の位置関係を失いながらも、一つの陸地として接続されている。

 森林のすぐ向こう側に乾燥した大地があり、山脈が唐突に途切れた先に平原が続いている。河川や湖沼、海岸線も、もともとの地形を保っている場所がある一方で、別の地域の地形と接合した境界では、不自然な連続を見せていた。

 その奇妙な地形の上に、ネオ・アトランティスの中枢基地が存在していた。各地の要塞、研究所、軍事基地、製造工場、空中戦艦の整備施設、バベルの塔の建設・運用施設、潜水艦の整備拠点も、同じ大陸のどこかに存在している。

 さらに、その外側には企業群の本社、工場、鉱山、港湾、農地、倉庫、通信施設が広がっていた。重要な場所だけでなく、これまで本部の指揮系統からは遠く離れた位置にあった小規模な事業所や、目立たない補給拠点までもが、同じ大地の一部となっていたのである。

 組織が長年かけて築き上げてきた勢力圏は、単に軍事力を集めたものではなかった。資源を採掘する場所、製品を作る場所、資材を運ぶ場所、資金を動かす場所、人員が生活する場所、研究を進める場所。それらが互いに依存し合い、巨大な一つの仕組みを形成していた。

 今回の転移は、その仕組みを破壊しなかった。むしろ、それぞれの地域を新しい地理の中へまとめて移動させたのである。

 もちろん、以前の世界に存在していた取引相手や国家が、そのまま新しい大陸の周囲に存在する保証はない。

 従来の商業網や外交上の状況、軍事的な脅威についても、すべて再確認する必要があった。今までどおりの方法で資材を購入できるのか、海上交通を利用できるのか、外部にどのような文明が存在するのか。その答えはまだ出ていない。

 だが、ネオ・アトランティスは無力ではなかった。組織の内部には、兵器を整備する機能が残されている。製造設備も、材料も、技術者も、研究資料も失われていない。

 艦艇を増産する準備は整っており、空中戦艦第一号機と第二号機『デウス・エクス・マキナ』の拡張整備計画も継続できる。

 バベルの塔第一号炉は性能向上を示し、第二号炉の建設も進んでいる。新造された二十四基のしもべの星も、まだ地上にあり、異世界用の打ち上げに向けて調整されていた。

 そして、企業ネットワークは、通常の産業活動を維持するための設備と人員を保っていた。

 この一連の状況を確認したうえで、ガーゴイルは最終的な判断を下した。

「……現時点で、我々の勢力基盤は維持されている。地理的条件は変化したが、軍事力、技術力、生産能力、資源、補給、企業活動、そのいずれも失われてはいない」

 彼は、地図の中央に示された中枢基地へ視線を向け、発言を続けた。

「転移前に進めていた計画は、これまでどおり続行する。ただし、従来の世界を前提とした部分は見直せ。ここがどのような世界なのか判明するまでは、地理、資源、環境、外部の文明について、何一つ決めつけるな」

「はっ」

「軍事部門は既存兵器の整備と増産準備を維持しろ。技術部門は第一号機の成果を検証し、第二号機の建設と改良を続けろ。しもべの星と発掘された人工衛星遺産の比較研究も優先課題として扱え。表企業管理局は、各企業の通常業務を維持しながら、資源と生産能力の把握を進めろ」

 ガーゴイルは、もう一度だけ指先を鳴らした。

「世界が変わったからといって、我々が何をすべきかまで変わるわけではない」

 その言葉を最後に、幹部たちは命令を受けて動き始めた。各部門の責任者は、自らの施設へ指示を伝え、調査と整備の計画を更新していく。

 軍事拠点では兵器の状態確認が続けられ、工場では製造設備の点検と生産準備が行われていた。研究施設ではバベルの塔としもべの星に関する試験記録が整理され、企業群では通常業務の継続と新たな地理への対応が進められていた。

 転移は、組織にとって前例のない事態だった。だが、これまで積み重ねてきた準備のすべてを無効にするものではなかった。

 世界征服に向けて築き上げられてきた軍事力、技術力、経済力。その三つを支える設備と人員が、ほぼ完全な形で新大陸に残されている。

 しかも、新しい大陸は、文明圏から遠く離れた未踏の海域に位置していた。周囲の世界がこの変化に気づいている様子はなく、ネオ・アトランティスの存在や、新たに出現した大陸のことを把握している者もいなかった。

 新大陸の内側では、各施設が自らの状況を確認し、組織の中枢へ報告を送っている。その外側に広がる海には、見慣れた航路も、既知の沿岸都市も、彼らの知る世界の痕跡も見当たらない。

 彼らがどこへ移動したのか、何が転移を引き起こしたのか。それはまだ分からない。だが、ネオ・アトランティスの野望は失われていなかった。

 空中戦艦第一号機と第二号機『デウス・エクス・マキナ』は次なる拡張整備へ向けて準備を続けている。

 ガーフィッシュⅠ型とⅡ型、人間タンクは、既存機の個別稼働確認と整備を進めながら、さらなる量産を開始できる体制を維持している。

 バベルの塔第一号炉は、試験条件下で当初の想定を超える性能を示しているが、未検証の運用条件まで安全が保証されたわけではない。

 第二号炉は、その経験を反映した改善型として建造中であり、まだ稼働していない。

 二十四基のしもべの星は、すべて地上で完成しているものの、まだ異世界用に打ち上げられておらず、軌道上では稼働していない。

 古代アトランティス文明が残した人工衛星関連の資料と遺産の謎も、新たな研究課題として残されている。古代アトランティスが打ち上げた既存のしもべの星は、異世界転移によって消滅しており、現在は存在しない。

 組織は、すでに完成した力を維持するだけではなく、さらなる力を獲得するための準備を進めていた。その最中に、異世界への転移が起きたのである。

 転移する直前まで、彼らは来たるべき世界征服へ向けて、着々と準備を重ねていた。

 軍事力を拡充し、兵器を改良し、製造能力を高め、資源と物資の供給網を整え、未知の技術の研究を続けていた。

 その準備の途中で、彼らは自分たちの知る世界から切り離され、名も知らぬ異世界へと運ばれた。

 それでも、彼らの手には、これまで築き上げてきたものが残されていた。

 軍事力も、技術力も、生産能力も、経済基盤も、失われてはいない。

 世界を支配しようとする秘密組織と、それを支える巨大な機構が、丸ごと新たな世界へ持ち込まれたのである。

 誰も気づいていない海の向こうで、新しい大陸が世界の一部となっていた。

 異なる土地が継ぎ合わされたその大地には、古代文明の超科学、強大な兵器、無数の工場、鉱山、港湾、農地、研究施設、そしてそれらを支配する秘密組織が存在していた。

 新世界は、まだ彼らの存在を知らない。

 そしてネオ・アトランティスもまた、この世界にどのような文明があり、どのような国家が存在するのかを知らなかった。

 だが、ガーゴイルは立ち止まらない。彼にとって、世界征服とは特定の地図に記された土地を支配することではなく、自らが正統と信じる支配秩序を世界全体へ押しつけることだった。

 ならば、世界が変わったのならば、支配すべき世界を新たに把握すればよい。

 ネオ・アトランティスは、そうして未知の大陸における勢力圏の把握を進めていった。

 西暦一八八八年。世界征服の準備を着々と進めていた秘密組織は、軍事力も技術も産業基盤も失わぬまま、誰も知らない異世界の海へと転移していたのである。

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