天文5年(1536年) 甲斐国
兄、武田太郎が元服し、武田晴信になった。
官位は面倒だから省いておくね。
それから兄上は新しく、公家の三条家の娘と結婚することになったらしい。
あの愉快な義姉上はもうこの世にはいない。
義姉上の死から2年程経ったからそろそろ結婚しろと父上に押し付けられたのだとか。
「元服おめでとうございます。兄上」
「おう、戌千代。ありがとうな」
縁側に座って兄上と話している。
外の景色は雪で真っ白に染まっていた。
「民は皆、飢えている。父上は戦を続け、国は疲弊している。このままでは甲斐は荒れ果て、武田も滅ぶ」
兄上はそういうと拳を握りしめていた。
「兄上、私には政治という物がいまいち理解できておりませぬ。しかし、父上を追放したとして、今の兄上ではほとんどの者がついてこないと思います」
「……追放するとは言っていないぞ」
兄上が少し驚いたような表情でこちらを見ている。
「兄上の考えることなどお見通しですよ。次郎も気づいているでしょうしね」
「そんなに分かりやすいか、俺?」
「いえ、兄弟だからでしょうね。話を戻しますが、5年程は耐えるべきです。5年の間に兄上が家中で認められる存在となれば、父上を追放しても皆がついてくるでしょう。それから板垣、甘利などの実力者には根回しも行っておきましょう」
前世では根回しを忘れて政争に敗れた魔術師を何人も見たことがあるから、この人にはそんな風になってほしくはない。
成功すると分かっていても、私という異分子がどのような影響を与えるのかも分からないのだから。
「分かった。5年だ。5年後父上を追放する」
「はっ、若様、この板垣信方。身命を賭して若にお仕えいたします」
木の陰から板垣さんが出てきて跪いた。
頭の上に雪がかかってるけど大丈夫かな?
***
あの会話から5年、私は甲冑を着て、兄上の横に立っている。
甲冑が思いのほか重たい。
なぜ、このような状況になっているのかというと、今から、父上、つまりは武田信虎を甲斐から追放するためだ。
現在、父上は信濃に出兵しており、間もなく帰ってくる。
そこで捕らえて、武田の同盟相手である今川家に信虎を渡すという手筈になっているそうだ。
「次郎、何もお主まで加わらずとも良いものを」
兄上が私と逆側に立つ次郎に言う。
次郎は父上に可愛がられており、兄上がこの追放に失敗すれば当主にだってなれるだろうに、こちらに味方している。
「何を言いますか兄上。私は戌千代兄上と同じく、貴方の元で戦いたいのです」
「そうか」
少し時間が経ち、父上が見えてくる。
後ろには数名の側近たちがいるのも見える。
「捕らえろ!」
兄上が叫ぶ。
「無礼な!」
誰かが叫ぶ。
「晴信!貴様、誰に手を出したかわかっておるのか!やれ!飯富」
「信虎様、既に趨勢は決まりましてございまする。抵抗を諦めて下され」
「何をっ!」
「父上には駿河にて隠居していただく。これより先、武田を率いるのは俺だ」
かくして、父上は駿河へと追放され、武田家の家督は兄上へと移ることになる。
***
「戌千代、お前もそろそろ元服しろ」
「急ですね」
「次郎も元服しているのに、次郎より年上のお前が元服してないのはおかしいだろ」
こうして、戌千代から名前を信定に改めることになった。
短め。
次郎は武田信繁のことです。
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