どうやら金はあるらしい   作:おずわるどー

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【2025/26・第18話】残るための署名

 八月二十五日、月曜日。

 

 コールの部屋で、アダム・コリンズは二つの話を聞いた。

 

 一つは、翌日のリーグカップで先発すること。

 

 もう一つは、アッシュフォードから正式な獲得の問い合わせがあったことだった。

 

 同じ日に聞く話としては、不思議だった。

 

「監督とは、もう話したんですか」

 

 コリンズが尋ねた。

 

「ああ。君が希望するなら、相手と話すことは認める」

 

「明日は使うのに、今日は移籍の面談? いやあ、忙しいですね、俺も」

 

「君は、まだうちの選手だ」

 

 コールは答えた。

 

 コリンズは窓の外を見た。

 

 ピッチでは、クルーニーがストレッチをしている。遠征で走った選手は、今日は負荷を抑えていた。

 

 カップ戦には自分が出る。

 

 それは必要とされているということだった。ただ、自分が欲しい週末の試合とは、少しずつ違ってきていた。

 

「向こうは、何て?」

 

「監督から、直接聞いてほしい。こっちから出場を保証されたと受け取らせたくない」

 

 コリンズは頷いた。

 

「会います。聞いた上で、俺から返事します」

 

「それでいい。日程は、こちらで調整する」

 

 コールは、本人の意思をメモした。

 

 退団を決めるには早い。

 

 しかし、来た話を聞く前に断る理由も、クラブにはなかった。

 

 *

 

 午後、ヴァレンティは前線の選手を少人数に分けた。

 

 コリンズとショーの組から始め、受ける選手と走る選手を替えていく。ヘイルは後ろから見ていた。

 

 いつもの練習なら、成功した場面で一度止め、全員へ理由を話していたかもしれない。

 

 ヴァレンティは同じ動きを続け、二度目に相手が下がると、受け手へ前を向くよう声をかけた。

 

 コリンズがターンし、打つ。

 

 ゴールの上へ外れた。

 

「戻した方がよかったか」

 

 本人が尋ねると、コーチは首を振った。

 

「今は打っていい! 場所まで行けたんだから。戻す方へ逃げずに、もう一本やろう」

 

 コリンズは頷いた。

 

 できることを増やしている。

 

 その最中に、クラブを移るかどうか考えている。

 

 移籍市場の締め切りは、選手が一つの練習を覚えるのを待ってくれなかった。

 

 *

 

 八月二十六日、アルダムとのカップ戦で、ブリストルは一部リーグの相手と向き合った。

 

 相手は主力の何人かを休ませていた。それでも、中央で寄せる速度と、身体を当てた後の二歩目が違った。

 

 ドイルがアンカーへ入り、両脇にはハーパーとカールン。前線はコリンズとショーだった。

 

 佐々木ではなく、ベルがゴールを守った。

 

 前半、ベルは高いクロスを二度捕った。二度目には、相手のフォワードが飛び込んできたが、先に声を出し、マーサーと道を分けた。

 

 ヘイルはベンチで、その場面を見た。

 

 守れる幅は、選手ごとに違う。

 

 同じ蹴り方に揃えることより、違う相手に対応できる選手を残すことの方が、長いシーズンには役立つかもしれなかった。

 

 ブリストルは前半に二失点した。

 

 一点目は、中央の短いパスを奪われたところから。

 

 二点目は、外へ出た守備者の背中を使われた。

 

 カールンは一度、相手を抜いたが、その後のパスが遅れた。相手の中盤は奪い返し、すぐに前へ運んだ。

 

 同じことを、こちらがするときより早かった。

 

 後半、コリンズが一点を返した。

 

 ショーが右へ流れ、相手センターバックを引きつける。エル・マリが左から中へ運び、中央へ通す。

 

 コリンズは前を向かず、一度ハーパーへ預けた。

 

 ハーパーが返したボールを、走りながら左足で蹴った。

 

 一対二。

 

 コリンズはボールを拾い、中央へ戻った。

 

 客席は大きく沸いた。

 

 その声を聞きながら、自分がこのクラブで得点するのは最後になるかもしれないと考えた。

 

 考えたことが、少し悔しかった。

 

 まだ、追いつくための試合をしている。

 

 先のことへ気持ちを持っていかれる余地はなかった。

 

 終盤、クルーニーとウルンが入ったが、同点にはできなかった。

 

 ブリストルはカップ戦を終えた。

 

 ヘイルにとって、公式戦で初めての敗戦だった。

 

 *

 

 試合後、コリンズは最後までピッチを歩いた。

 

 拍手へ手を上げる。

 

 アウェーのアルダムの選手が、良いゴールだったと言った。礼を返し、通路へ向かうと、ウルンが待っていた。

 

「自分で向くかと思った」

 

 ウルンが言った。

 

「俺も、そう思ってた。後ろ、来たからな」

 

「戻して正解だった。あそこなら、僕も同じにする」

 

「じゃあ、監督にも言っといてくれ。俺、考えてやってるんですよ、って」

 

 コリンズは頷いた。

 

 同じ仕事をする選手には、同じ場面が見える。

 

 競争相手から褒められることに慣れたわけではなかったが、今は、少なくとも自分のしたことを理解していると分かった。

 

 ロッカールームへ戻ると、ヘイルが全員へ話した。

 

 相手の速度に押されたこと。

 

 後半、外へ逃がして受け直すことで、前へ進めたこと。

 

「後半、前へ出られた場面はあります。そこは残します。ただ、相手はあの速さで何度もやれる。僕たちも一回で終わらせない。明後日、そこを練習します」

 

 監督はそう言った。

 

 負けたから全部が間違いになった、とは言わなかった。

 

 そのことは、コリンズにも分かった。

 

 *

 

 八月二十七日、アッシュフォードの監督と話した。

 

 相手は、映像でコリンズが下りて受ける場面を示した。

 

「うちの若い前線は、みんな裏へ走りたがる」

 

 監督が言った。

 

「そこへ出せる選手が欲しい。自分でも、ゴール前へ来られる選手だ」

 

 コリンズは、自分がどこへ立つかを尋ねた。

 

 二人の前線の一人。

 

 ときには一人を前へ残し、少し後ろから入る。

 

 その役割は、ブリストルで覚え始めたことと近かった。

 

「先発は、競争ですか」

 

「もちろんだ。ただ、君を使うために話をしている」

 

 コリンズは頷いた。

 

 同じ言葉でも、クラブの今の人数と、欲しがっている役割によって、聞こえ方は違った。

 

 帰り道、彼は代理人へ移籍を進めたいと伝えた。

 

 コリンズは、前夜のゴールをもう一度開いた。見終えると、アッシュフォード側と次に話す時間を代理人へ尋ねた。

 

 *

 

 ウォードへの正式な契約案は、八月二十八日に出された。

 

 現在の契約から二年を延長し、二〇二八年六月までとする。基本給と出場報酬の配分は代理人と協議し、出場数を満たした場合にだけ二年目が発生する当初の案は取り下げられていた。

 

 ウォードは最初の頁を読み、満了日の欄へ戻った。

 

「……二十八年。これで、決まりですか?」

 

「君が同意して、署名すればな。条件は代理人にも確認してもらった」

 

 コールは、自分の控えを開いた。

 

「右を続けて任せる。今の働きだけでなく、この先も必要な仕事として契約したい」

 

「出場数で、途中から一年に戻ったりしない」

 

「しない。そこを変えたんだ」

 

 ウォードは代理人を見た。相手が頷くと、椅子へ背中を戻した。

 

「いやぁ……。そうですか」

 

 言いたいことは何度も考えていた。待たされたことも、家族へ同じ返事を持ち帰ったことも。紙に二十八年と入っていると、先に息が抜けた。

 

「長く待たせた」

 

 コールが言った。

 

「待ちましたよ」

 

 ウォードは笑わずに返し、ペンを取った。

 

「でも、これなら署名します」

 

 書き終えると、クラブから写真を撮りたいと言われた。別室へ移る前に、妻へ電話した。

 

「決まった! 二年、延びたよ」

 

 向こうで食器を置く音がした。

 

「二年? 本当に?」

 

「うん。今、署名した。二十八年まで」

 

「じゃあ、学校のこと、進めていいのね」

 

「いい。ああ、進めよう」

 

 ウォードは、閉じたドアの方を見た。

 

「帰ったら、ちゃんと話す。今日は少し遅くなるけど」

 

 写真のために待っていた職員へ、もう一分だけと手を上げた。

 

 *

 

 署名の後、ウォードは代理人と玄関まで歩いた。

 

 代理人は、控えを入れた封筒を渡した。

 

「家で、もう一度確認しておいてくれ」

 

「ああ」

 

 ウォードは受け取り、鞄へしまった。

 

 オーナーへ直接話せば早いのではないかと、考えたこともあった。スタンドで会えば挨拶をし、試合の後には握手をする。

 

 あの人にとっては、小さな金額だろう。

 

 しかし、代理人はそれを勧めなかった。誰が契約を担当するかはクラブが示しており、自分たちの要求もその窓口へ出していた。

 

「結局、待ったな」

 

 ウォードが言った。

 

「待った。ただ、何を待つかは、最後には決まった」

 

 代理人は答えた。

 

「それは、次も必要なことだ」

 

 ウォードは頷いた。

 

 午後の練習へ戻ると、カールンが右の内側で待っていた。

 

「二十八年まで? 長いね」

 

「おい。お前も大人になるぞ、それまでに」

 

「じゃあ、よかった。ジェームズの走る場所、また覚え直さなくて済む」

 

 若者は短く言った。

 

 ウォードは、その言葉を少し嬉しく思った。

 

 カールンがボールを持つとき、外を走る自分を一度だけ確認するようになっていた。言葉が揃わなくても、手が上がると次のパスが来る。

 

 覚え始めた仲間が、冬や来夏に急にいなくなることを気にしていたのかもしれない。

 

「じゃあ、長く戻ってもらうぞ」

 

 ウォードは右の後方を指した。

 

 カールンは苦笑した。

 

「そこは、契約と関係ないでしょ」

 

「あるよ。俺が走り続けるためには、そっちにも戻ってもらわないとな」

 

 ミーティングを終えたヘイルが、ピッチへ出てきた。

 

 ウォードは片手を上げ、練習を始める場所へ入った。

 

 契約が決まったから、すべての不安が消えたわけではない。

 

 次に先発するかは、まだ競争だった。

 

 ただ、家族の来年と、明日の自分のプレーを、同じ一回の判断へ載せずに済む。

 

 カールンからパスが来た。

 

 ウォードは外へ置き、最初の二歩を強く出した。

 

 *

 

 同じ日の午後、コールは守備指導の候補者と会った。

 

 ステファン・ヴォルフ。

 

 ドイツ人のコーチは、右サイドを使われる失点場面を三本、続けて見た。

 

「同じ失点が続いているようにも見えるんですが」

 

 ヘイルが尋ねた。

 

「見えるだけです。原因が違います。一本ずつ戻してください」

 

 ヴォルフは最初の映像を戻した。

 

「これは出るのが早い。次は、出るべきときに待っている。三本目は、後ろが同じことを考えていない」

 

 彼は画面を止めた。

 

「これを全部『戻れ』で済ませると、戻っている選手まで遅れます。誰が出るかを先に決めたい」

 

 ヘイルは頷いた。

 

「だから、来てもらいました」

 

 ヴォルフは資料へ目を落とした。

 

 基本の3─1─4─2を変えたいわけではない。守備時の五人と三人の距離を、相手の配置に応じて揃えたい。

 

 ただ、毎日、守備だけを長くやれば、前線の選手の脚が残らない。

 

「攻撃のコーチとは、時間を分けますか」

 

 彼が尋ねると、ヴァレンティが答えた。

 

「分けるところと、一緒にやるところを決めたいです」

 

「最後に長いゲームをして、両方を見るだけでは足りません」

 

「ええ。攻撃している間から、そちらにも見てもらいたい。最後のゲームで答え合わせするだけでは遅いですね」

 

 二人は、まだ互いをよく知らなかった。

 

 それでも、練習計画を机へ広げると、話すことはすぐに見つかった。

 

 ヘイルは、その横でノートを開いた。

 

 自分一人が全員へ答える形から、少しずつ離れ始めていた。

 

 *

 

 八月二十九日、コリンズのアッシュフォードへの完全移籍が成立した。

 

 最後の挨拶は、練習の前にした。

 

 長い言葉は用意していなかった。

 

「じゃあ、また試合で。俺の前では、あんまり上手くならなくていいからな」

 

 それだけで済ませようとしたが、ショーが口を開いた。

 

「こっちの動き、全部知ってるじゃないか」

 

「だから、変えとけよ」

 

 何人かが笑った。

 

 クルーニーと握手したとき、若者が言った。

 

「ニアから中へ戻るやつ、使うよ。あれ、一歩空くね」

 

「試合で使えたらな」

 

 コリンズは笑った。

 

「だから、俺とやる日に試すなって!」

 

 ウルンには、下りすぎるなよ、と言った。

 

 相手も、そっちも、と返した。

 

 ヘイルとは、最後に握手した。

 

「アダム、開幕の先制点、助かりました。昨日の一本も」

 

 監督が言った。

 

 コリンズは頷いた。

 

「あとで全部送ってください。向こうでも、最初の面談に使うんで」

 

 部屋を出るとき、一度だけ振り返った。

 

 自分の席は片づいていた。

 

 ケンドールのときと同じように、明日には誰かが、そこを通る。

 

 ただ、自分の次の朝も、もう決まっていた。

 

 アッシュフォードの練習は、九時半からだった。

 

 玄関で、生活支援の担当者から封筒を受け取った。

 

 新しいクラブへ渡す連絡先と、残っていた手続きの確認だった。サラが窓口を揃えてから、同じことを別々の職員へ説明する回数は減っていた。

 

「忘れ物が見つかったら、こちらから連絡します」

 

 担当者が言った。

 

 コリンズは礼を返し、鞄を持ち直した。

 

 獲得した選手の世話だけでなく、出ていく選手の仕事も続けてくれる。自分の席が空いたことと、自分への対応が終わることは、同じではなかった。

 

 車へ乗る前に、自宅へ帰る時間を家族へ送った。

 

 *

 

 八月三十日、マーチェスターとの試合は二対二に終わった。

 

 ブリストルは、カールンの左足から先制した。

 

 右から中央へ入り、相手がクルーニーを警戒して下がったところで、ペナルティエリアの外から蹴った。

 

 速いボールがゴールへ入った。

 

 初得点だった。

 

 しかし、前半の終わり、相手の長いスローインから同点にされた。

 

 ベルと佐々木のどちらを使っていても、ゴール前へ五人集まられれば簡単ではない。佐々木はボールへ届いたが、触った先を相手に拾われた。

 

 後半、ウルンが勝ち越した。

 

 クルーニーが頭で落とし、ハーパーが近づく。相手の中盤がハーパーへ出たところで、ウルンが逆側から入った。

 

 二対一。

 

 ヘイルは、残り時間を見た。

 

 カールンを下げ、ドイルを入れる準備をした。前線も一人を替えようと考えたが、クルーニーがまだ相手の背後を脅かしていた。

 

 少し待った。

 

 その間に、マーチェスターが人数を前へ出した。

 

 外から長いボールが入り、マーサーが頭で返す。中央のこぼれ球へブアリが出る。

 

 一歩、届かなかった。

 

 相手が横へ渡し、ペナルティエリアの外から打った。

 

 佐々木は触れたが、止めきれなかった。

 

 二対二。

 

 終了の笛が鳴ると、ホームの客席から拍手とため息が同時に来た。

 

 負けていない。

 

 しかし、勝てたと思った。

 

 その両方が、ピッチに残っていた。

 

 *

 

 ヘイルは、スタッフの部屋で同点になる前の三分を見直した。

 

 クルーニーは走っていた。

 

 ただ、前線から寄せる向きが少しずつ開き、相手の中盤へボールが入る回数が増えていた。

 

 替えるなら、点を取りに走れるかではなく、前から何を閉じられるかを見なければならなかった。

 

 ヴァレンティが隣へ座った。

 

「私も、裏へ一本出れば勝ち切れると思っていました。伝えるのが遅れました」

 

 ヘイルは止まった映像を見た。

 

「替える時間は、ありました。決めたのは僕です」

 

「ええ。次は、その前に言います。前から閉じられていない、と」

 

 監督は頷いた。

 

 九月から、ヴォルフも入る予定だった。

 

 自分が決めることは減らない。

 

 決める前に、何を見るかを一緒に考える人が増える。

 

 その違いを、使わなければならなかった。

 

 *

 

 八月のリーグ戦は、三勝二分で終わった。

 

 勝点十一。

 

 開幕前に並んでいた新しい名前は、少しずつ得点や失点の場面に結びついてきた。

 

 同時に、二人の選手がクラブを去った。

 

 コールは移籍市場の最後の確認をしながら、選手一覧の名前を消すのではなく、別の頁へ移した。

 

 ケンドールとコリンズ。

 

 対戦する日付を、それぞれの横へ書いた。

 

 ウォードの欄には、新しい契約の満了年が入った。

 

 同じ夏が、全員に同じ結末を渡すわけではなかった。

 

 それでも、署名した後の生活は、残る選手にも去る選手にも続いていく。

 

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