どうやら金はあるらしい   作:おずわるどー

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【2025/26・第06話】値札の向こう側

 移籍交渉において、金額が折り合ったからといって選手が手に入るわけではない。

 

 所属クラブとの合意は、いくつもある関門の一つにすぎない。選手本人が移籍を望まなければ、どれほど高額なオファーも意味をなさず、本人が乗り気であっても、代理人が条件に納得しなければ話は進まない。

 

 その点、マーティン・コールは自分の仕事をよく理解している。

 

 移籍金を値切るだけが補強担当者の仕事ではない。相手のクラブが何を求めているのかを知り、選手が何を望んでいるのかを確かめ、その二つを自分たちの都合とすり合わせる。

 

 もっとも、そんな理屈が通用する相手ばかりでもなかった。

 

 七月七日、月曜日。

 

 ブリストル・アスレティックのオフィスに届いたリール・ユナイテッドからの返答は、コールの予想を少し裏切るものだった。

 

 五千万ポンドのオファーは拒否。

 

 ただし、六千万ポンドを支払えば即座に合意する、という話でもない。

 

 リール側は、選手の移籍意思を確認する前に、ブリストルの具体的な計画を知りたいという。

 

 コールはメールを二度読んだ。

 

 単に金額を引き上げたいのであれば、こんな要求は必要ない。選手の将来を心配しているのか、それとも買収されたばかりのクラブを信用していないのか。

 

 おそらく両方だろう。

 

 リールは欧州大会を戦うクラブであり、ブアリはそこで出場機会を得ている。わざわざイングランド二部へ送り出す以上、相応の理由が欲しいということか。

 

 コールはヘイルに電話をかけた。

 

「リールが、うちの計画を説明しろと言ってきた」

 

『計画ですか』

 

「ブアリをどう使うのか。今季の目標は何か。そういう話だろうな」

 

『それなら説明できます』

 

 ヘイルの返答は早かった。

 

 コールは少し考え、午後に時間を取るよう伝えた。

 

 選手を口説くための資料を作る。

 

 監督にとっては初めての仕事かもしれないが、これから何度も必要になるだろう。

 

 *

 

 

 

 エドワード・ヘイルが就任してから、練習場では毎日のように同じ言葉が飛び交っていた。

 

 幅を取れ。

 

 中央を空けるな。

 

 相手の身体の向きを見ろ。

 

 前へ出るなら、後ろの選手に知らせろ。

 

 選手たちは少しずつ、新監督が何を求めているのか理解し始めている。

 

 しかし、理解することと、実際にできることは別だった。

 

 月曜日の午前練習でも、ウォードは相手の左サイドバックに釣り出され、背後のスペースを使われていた。マーサーがカバーに向かえば、今度は中央が空く。相手のトップ下がそこへ入り込み、簡単に前を向いてしまう。

 

 ヘイルは笛を吹いた。

 

 選手たちが足を止める。

 

「ジェームズ、今の場面はどう見えていました?」

 

 ウォードは汗を拭いながら、相手のサイドバックを指さした。

 

「前に出られると思ったんです。ボールが少し浮いたんで」

 

「相手のウイングは?」

 

「……見えてませんでした」

 

 ヘイルは頷いた。

 

 ウォードが前へ出た判断そのものは、必ずしも間違っていない。問題は、背後の選手を確認せずに動いたことだった。

 

 右センターバックがカバーへ出る準備をしていれば、同じプレーでも成立したかもしれない。

 

 だが、そこまでを一度に判断するのは簡単ではない。

 

 これまでウォードは、主に右サイドの中盤でプレーしてきた。後方にはサイドバックがいて、守備で多少の判断を誤っても、誰かが穴を埋めてくれることが多かった。

 

 今は違う。

 

 3バックの外側を一人で守る時間がある。前へ走るだけではなく、戻るタイミングも自分で決めなければならない。

 

 しかも、攻撃では高い位置を取ることを求められている。

 

 ヘイルはウォードと右センターバックを呼び、二人の距離を確認した。

 

 その間、ほかの選手たちは水を飲み、芝生に座って息を整えている。

 

 マーサーが近づいてきた。

 

「監督、少しいいですか」

 

「はい」

 

「右が前に出るとき、俺がもう少し寄った方がいいんじゃないですか」

 

 ヘイルはピッチを見た。

 

 マーサーは中央のセンターバック。右へ寄れば、そのぶん中央に空間が生まれる。

 

「相手がワントップなら、それでもいいと思います。ただ、トップ下が入ってくると厄介ですね」

 

「アンカーにそこを見させる?」

 

「それも考えています」

 

 マーサーは頷いた。

 

 九年間このクラブでプレーしてきた主将にとって、新しい監督の要求は決して簡単なものではない。慣れ親しんだ4バックとは、守るべき場所も味方との距離も異なる。

 

 それでも彼は、練習が終わるたびにヘイルのもとへやって来る。

 

 質問の内容は具体的だった。

 

 相手が二人のフォワードを並べた場合、中央のセンターバックはどちらを優先するのか。

 

 ウイングバックが戻り切れなかったとき、外側のセンターバックはどこまで出てよいのか。

 

 アンカーが相手のトップ下を追う場合、空いた場所を誰が埋めるのか。

 

 ヘイルにとって、そうした質問はありがたい。

 

 マーサーが納得すれば、ほかの選手にも伝わる。少なくとも守備陣の中では、彼の言葉がよく通る。

 

 ただ、答えを持っていない質問もあった。

 

 今日の練習で起きた問題の中には、実際の試合を経験しなければ判断できないものもある。

 

 ヘイルは、それを隠すつもりはなかった。

 

 *

 

 

 

 午後一時半。

 

 コールが会議室へ入ると、ヘイルはすでにノートパソコンを開いていた。

 

 画面には、ブアリのプレー映像が並んでいる。

 

 コールはその横へ座り、リールから届いたメールを見せた。

 

「向こうが欲しいのは、金額以外の理由だと思う」

 

 ヘイルは文面を読み、少し考えた。

 

「本人に説明する資料ですか?」

 

「クラブにもな。向こうは今季も使うつもりの選手を売るんだ。少なくとも、どんなチームへ行くのかは知りたいだろう」

 

 ヘイルは画面を切り替えた。

 

 そこには、3-1-4-2の布陣図が表示されている。

 

 中央のアンカーには、ブアリの名前。

 

 コールはそれを見て、少し笑った。

 

「もう入れてあるのか」

 

「仮のものです」

 

「本人が見たら、どう思うかな」

 

「嫌がられなければいいんですが」

 

 ヘイルはそう答え、説明を始めた。

 

 ブアリに求める役割は、中央でボールを受け、攻撃の向きを決めること。守備では最終ラインの前を守り、相手のカウンターを遅らせる。

 

 そのためには、周囲の選手も動かなければならない。

 

 両インサイドハーフは、ブアリがボールを持ったときにパスコースを作る。ウイングバックは外側へ広がり、相手の守備を横に引き伸ばす。

 

 ブアリ一人にすべてを任せるわけではない。

 

 むしろ、彼の判断を生かすために、チーム全体の配置を整える。

 

 コールは黙って聞いていた。

 

 監督の説明は分かりやすい。

 

 しかし、十八歳の選手を説得するには、それだけでは足りないだろう。

 

「出場時間は?」

 

「コンディションに問題がなければ、主力として考えています」

 

「毎週出すつもりか?」

 

「最初から全試合とは言えません。リーグ戦も長いですし」

 

「そこは正直に書こう。変に約束すると、あとで困る」

 

 ヘイルは頷いた。

 

 コールは続けた。

 

「それと、昇格できなかった場合

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