それでも、これからも連載を続けていこうと思います。
皆さんに楽しんでいただける良い作品になるよう、精一杯頑張ります。
「んん~♪」
アイアンは空になった丼を置き、満足げに唇を舌でなめた。そして、すでに二つ積み重なっている丼の上に、もう一つ丼を重ねた。
隣の席でその様子を眺めていた土方は、自分の空の丼を前に、呆然とアイアンを見つめていた。
「中華そばってのも、なかなか悪くねえな~。特に、この鶏ガラで取ったスープがあっさりしてて飲みやすい。ちょっと塩気が強いのが惜しいけど。おっちゃん、もう一杯頼む――!」
「まだ食うのかよ――!?」
土方は、アイアンの胃袋の容量を思い知らされるたびに驚くしかなかった。軍人とは体を動かし、走り回るもの。だからよく食べることが大切だとはいうが、それを差し引いてもアイアンの食べっぷりには感心させられた。
そんなアイアンを見ていた屋台の主人は、嬉しそうに口元を緩めながら、新しい丼を差し出した。
「若いの、よく食うなあ。気分がいいから、チャーシューを一枚おまけしといたぞ」
「おおっ! ありがとう、おっちゃん! いやあ、やっぱ商売上手な人ってのは、こういうところが違うよな! 横須賀に来て中華そばが食いたくなったら、毎回ここに来るぜ!」
「ははっ、そう言ってもらえるだけでも嬉しいねえ」
「はぁ……食ってるだけで一日が終わりそうだ……」
土方は、新しい丼を受け取ってまた食べ始めたアイアンを見て、ため息をついた。
この調子では、アイアンは一か月分の給料を全部食費につぎ込んでしまうのではないか。そう考えた矢先、背後から聞き覚えのある声がした。
「やはり、扶桑に戻ってきていたか。土方」
「ん……!」
『この声は?』
土方は振り返り、背後を見た。そこには、真っ白な扶桑海軍の制服に身を包んだ女性が立っていた。
右目に眼帯をつけた彼女は、少女と呼ぶにはやや大人びて見えたが、かといって一人前の大人の女性と呼ぶには、まだ幼さを残していた。
「坂本少佐!」
「元気にしていたか、土方?」
坂本を見るなり、土方はその場で立ち上がり、敬礼した。口元には自然と笑みが浮かんでいる。久しぶりに故郷の人と再会したような顔だった。
「少佐もお元気でしたか。先にご挨拶に伺えず、申し訳ありません」
「いいさ、そんな堅苦しい挨拶は。お前も半年間、東南アジアで苦労したんだろう? 扶桑にいる間くらい、ゆっくり休んでいけ」
そう言いながら坂本は土方の肩に手を置き、軽く叩いた。土方の頬が少し赤くなる。
「ところで……」
坂本は、土方の背後にいるアイアンに目を向けた。
アイアンは振り返りもせず、食べることに集中していた。そんな彼の背中を土方が叩く。
「おい、アイアン。お前も敬礼くらいしろ……!」
「チョッパリの将校に敬礼するのは嫌なんだけど」
「おい……!」
アイアンのあまりにも率直な言葉に、土方が気まずそうにしていると、坂本のほうから口を開いた。
「君が土方の同期だな。会えて嬉しいよ。扶桑海軍所属、欧州派遣艦隊第24航空戦隊隷下、第288航空隊の少佐、坂本美緒(さかもと・みお)だ」
「君がアイアンだろう? 土方からの手紙で聞いて、知っている」
坂本が話しかけても、アイアンから返事はなかった。警戒するどころか、完全に無視している。その態度に、坂本の顔にはいくらか戸惑いが浮かんだ。
「アイアン、いくら何でも上官なんだから、挨拶くらい返せよ!」
「俺は今、リベリオン海兵隊の人間だし、別に扶桑海軍の指揮下に入ったわけじゃないだろ? 上官扱いする必要なんてないと思うけどな。まして、リベリオンにボコボコにされて、形だけしか残ってねえ軍隊の連中なら、なおさらだ」
「何でそんな言い方を……!」
見かねた土方が口を挟んでも、アイアンは坂本に敬礼するどころか、軽く挨拶する気さえないらしかった。
予想はしていたものの、坂本の前でまでこんな態度を取られては、彼女と親交のある土方にとって、これほど気まずいこともなかった。
「申し訳ありません、少佐……! こいつ、俺以外の扶桑人はあまり好きじゃなくて――」
「いやあ、申し訳ございません、少佐殿。卑しい植民地出身のクズが、恐れ多くも皇国の臣民様に頭を下げるなんて、おこがましいと思いましてね。分かったら、とっとと失せてくれませんか?」
「いい加減黙れ、アイアン!」
「申し訳ありません! 本当に申し訳ありません、少佐!」
何度も頭を下げて坂本に謝る土方。その姿に、坂本は手を振って制した。
「いいんだ、土方。そこまでしなくても。それより、二人とも食事中だったのか? だったら私も相席して――」
「悪いな!」
アイアンは食べ終えた丼を屋台の棚に乱暴に置いた。
「ちょうど食い終わったところなんだよ」
そう言って代金を置き、席を立つ。その態度からは、坂本と一緒に食事などしたくないという気持ちが、ありありと伝わってきた。
「行くぞ、ヒジカたん。あっちに何か面白いものがないか――」
「ちょっと待て、おい、アイアン――」
「待て」
アイアンに肩をつかまれ、街の奥へ連れていかれそうになっていた土方の手を、坂本がつかんだ。
それを見たアイアンは眉間にしわを寄せ、苛立たしげに言った。
「何だよ。こっちは夢みたいな休暇を楽しむので忙しいんだけど? 余計なことはもう言わずに、さっさと行かせてくれないか?」
「君は行っても構わんが、土方を少し借りたいんだ」
「はぁ? 何寝ぼけたこと言ってんだ。今のヒジカたんはリベリオン海兵隊所属なんだぞ? あんたにああしろこうしろと命令する権限はねえだろ?」
「命令じゃない。頼みたいんだ。これからある人に会いに行くところでな、土方についてきてもらいたいと思っている」
「どうだ、土方?」
坂本は土方を見て尋ねた。
土方としては、ひどく困った状況だった。部隊の同期と、かつての上官だった将校のどちらかを選ばなければならないのだから。
「いや、その――」
「ヒジカたんは俺と遊びに行くんだよ!? 邪魔しないでもらおうか!」
「決めるのは土方だ。同期の選択は尊重してやるべきだろう」
そう言う坂本も、土方を連れていく気は満々だった。
二人とも一歩も引く気配がない中、土方の額に冷や汗が浮かぶ。
『こ、これは詰んだ……』
義理を通してアイアンと過ごせば、坂本少佐をがっかりさせるだろう。彼女の性格上、あとで何か問題になることはないはずだが、尊敬する人と気まずくなるのは避けたかった。何より、残念そうな顔や悲しそうな顔は見たくない。
かといって坂本についていけば、あとでアイアンに散々絡まれるのは目に見えていた。ヨーロッパへ向かうまで、しつこくまとわりついて、途方もなく面倒なことをしてくるに違いない。
アイアンと遊んだり、軽口を叩き合ったりするのが嫌なわけではない。ただ、そういうところは少し控えてほしかった。
ともかく重要なのは、どちらを選んでも結局、損をするのは土方だけだということだった。海兵隊の訓練所で受けた厳しい訓練さえ、この状況では何の役にも立たなかった。
土方が目を泳がせ、二人を交互に見ながら、この状況を切り抜ける方法を必死に考えていた、そのとき――。
「アイアン! 土方!」
「サ、サンダーソン軍曹、チェイニー伍長……!」
思いがけない救いの手が、二人のもとに現れた。
小隊の下士官であるサンダーソンとチェイニーが、二人を探しに来たのだ。つい先ほどまで店を見て回っていたらしく、二人とも買い物を入れた紙袋を抱えていた。
「こちらの二人は?」
「この方々は、うちの小隊の下士官の方たちです。軍曹、伍長。こちらは、以前の上官だった坂本美緒少佐です」
「土方の元上官というと……」
土方の言葉を聞いたサンダーソンは、しばらく坂本を見つめ、それからチェイニーとともに敬礼した。
「初めまして、坂本少佐。リベリオン海兵隊第1海兵師団隷下、第1機械化混成大隊、第08MS小隊のテイラー・サンダーソン軍曹です」
「チェイニー伍長、です」
アイアンとは違い、礼を尽くしてくれる二人を見て、坂本はどこかほっとしたように答礼した。
「私の元部下が世話になっているな。話は聞いている。ナムでの六か月間、ご苦労だった。横須賀にいる間は、どうかゆっくり休んでいってくれ」
「だから、そうするつもりだって言ってんだろ。もう邪魔しないでくれよ」
アイアンはそう言いながら、土方を連れて坂本のそばから立ち去ろうとした。
しかし、サンダーソンがアイアンをつかまえ、土方をつかんでいた手を離させた。
「何すんすか、軍曹!」
「土方をあまり困らせるな。ここにいる間は、土方の代わりに俺たちと一緒に行動してもらうぞ」
「ええっ!?」
「土方、個人の時間、必要」
「いや、ちょっと、何を――」
「ちょっと、放してくれええっ――!」
結局、アイアンはサンダーソンとチェイニーに引っ張られ、街の中へと消えていった。
サンダーソンは去り際、土方に意味ありげな笑みを向けた。まるで応援するような眼差しだった。
その視線に気づいた土方は、照れくさそうに少しうつむき、帽子のつばを下げた。そんな様子を見た坂本は、笑って言った。
「いい人たちのようだな」
「お二人とも、尊敬している方々です。自分も下士官になれたら、お二人を見習いたいと思っているくらいですから」
「それならよかった……。正直、海兵隊に入ると言い出したときは、ずいぶん心配したんだぞ。あの男がお前を放り出しておくような人間じゃないことは分かっていたが、それはそれ、これはこれだからな」
「ご心配には及びません。海兵隊での生活にも、もう慣れましたから。小隊の皆さんも親切ですし、ナムでの実戦経験もあります。今すぐヨーロッパに再配置されても問題ありません」
「よく言うな」
土方の言葉に、美緒は小さく笑った。
どこか誇らしげな気持ちと、少しほろ苦い感情が入り交じったような、淡い笑み。そこには、わずかな後悔さえ滲んでいるように見えた。
やがて坂本は柔らかな笑みを浮かべ、土方をまっすぐに見つめて言った。
「おかえり、土方」
「はい、坂本少佐――!」
――
足音を響かせながら、ウィリアムは山道を下っていた。
頭の中では、先ほど出会った宮藤芳佳という少女のことが、どういうわけか何度も思い浮かんでいた。
頭を振って考えを追い払おうとしても、彼女の瞳が鮮明に浮かんでくる。あれほど美しい目を、これまでに見たことがあっただろうか。
ずっと昔なら、あったのかもしれない。ずっと昔なら。
「アイアンが問題を起こしていなければいいが」
もちろん、彼はれっきとした一個小隊の小隊長だ。いつまでも物思いにふけっているわけではなかった。
山道を下りながら、自分がいなかった数時間の間にアイアンが何かをやらかして、憲兵に捕まってはいないだろうか、と心配になったのだ。
土方もそばにいるし、サンダーソンとチェイニーも街にいる。そこまで心配することではないのかもしれない。それでもアイアンという男はあまりにも予測がつかないため、胸の片隅から不安が消えなかった。
そんなことを考えながら歩いていると、道の脇から騒がしい声が聞こえてきた。
道端からは丘の下へ向かって斜面が続いており、声はそこから聞こえてくる。ひどく切羽詰まった様子だったので、ウィリアムは不審に思い、首を伸ばして下を覗き込んだ。
そこには、割れて散らばったスイカの間に横転したトラクターが一台あった。
そのそばにいたのは、先ほど会った宮藤と、袖なしの服を着た老人が一人。それに、宮藤が美千子と呼んでいた少女もいた。
ただし、その少女は脇腹から血を流していた。
「何だ……!?」
ウィリアムは驚き、すぐさま丘を駆け下りて、倒れている少女を確かめた。
「おい、何があった!」
「あ、アマダさん? どうしてここに――」
「その話はあとだ。何があった? どうして倒れている?」
「トラクターが横転して、どこかにぶつけたみたいなんです!」
「だから、私が……!」
そう言う宮藤は、美千子の傷口に向かって両手を伸ばし、体から魔法力特有の青い光を放っていた。
そこでようやく、ウィリアムは宮藤の頭に生えた獣の耳と、臀部から伸びる尻尾に気づいた。
「お前、ウィッチだったのか……!」
宮藤から放たれる青い光は、美千子の傷口に染み込むように吸い込まれていった。しかし、傷が治る気配はなかった。どうやら、自分の力をうまく制御できていないらしい。
傷口から流れる血の量は減ったものの、傷そのものは治せずにいた。やがて宮藤は荒い息をつき始めた。
「よ、芳佳ちゃん……」
「みっちゃん! もう少しだけ我慢して! 私が、私が助けるから……!」
必死に両手へ魔法力を集め、傷を治そうとする。しかし、思うようにはいかない。
それを見ていたウィリアムは、とうとう見かねて口を出した。
「駄目だ。ちゃんと治療できていない。このままじゃ、お前の友達を助けられない……!」
「いいえ、助けます! 絶対に……!」
「方法を変えようと言ってるんだ。少し痛むだろうが……」
そう言いながら、ウィリアムは上着のポケットを探り、やがて何かを取り出した。
革のケースに収められた裁縫道具だった。
彼はライターを取り出すと、針の表面を火であぶり、針穴に糸を通した。
それを見た芳佳は、ウィリアムが何をしようとしているのかを悟った。
「傷を縫うんですか?」
「ああ。モルヒネでもあればよかったんだが、あいにく今はない。この子が耐えてくれることを祈るしかないな」
「この子の手を握ってやれ」
そう言われて、芳佳は美千子の手をぎゅっと握った。
美千子も、友達の手を握ることで痛みに耐えようとしているのか、残った力を振り絞って芳佳の手を強く握り返した。
やがて、糸を通した針が美千子の傷口に刺さり――。
「ううううううっ――!!!」
予想どおり、新たな痛みに歯を食いしばり、悲鳴を上げる美千子。
それを見ていた祖父は、近くから木の棒を一本持ってくると、彼女の口にくわえさせた。
傷口が縫われるたび、美千子はくわえた棒の隙間からうめき声を漏らした。
ウィリアムは最後のひと針を縫い終えると、手慣れた動作ですぐに糸を結び、歯で糸を噛み切った。
傷口はしっかり縫い合わされ、出血も目に見えて少なくなっていた。
ウィリアムは裁縫道具をしまうと、芳佳に言った。
「とりあえず応急処置は済んだ。あくまで一時しのぎだ。早くちゃんとした所へ連れていって消毒し、傷を縫い直してもらう必要がある。近くに病院か診療所はないか?」
「診療所……うちに行きましょう! うちは診療所をやってるんです!」
「しかし、トラクターがあの有様では……!」
老人は横転したトラクターを見て言った。
できることなら孫娘を連れて今すぐ宮藤診療所へ向かいたい。だが、年老いた彼には、孫娘を背負って山道を走り抜けられるほどの体力など、あるはずもなかった。
それを聞いたウィリアムは、すぐに美千子を抱き上げて言った。
「案内しろ。俺が運ぶ」
「早く――!」
ウィリアムが美千子を抱えたまま急かすと、芳佳はすぐさま先頭に立ち、道案内を始めた。
三人はこうして山道を登り始めたが、やはり最初に息が切れたのは老人だった。
「おじいちゃん!」
「わ、わしのことは心配せず、先に行け……! 美千子を助けてくれ……!」
「おい、チビ。お前が案内してくれなきゃ診療所まで連れていけない。止まるな」
「は、はいっ――!」
芳佳は老人に、必ずみっちゃんを助けると告げて、山道を登り続けた。
登って、登って、息を切らしながらも、ひたすら走る。
まるで何日も走り続けてきたかのように荒い息を吐きながら、必死に駆けた末、ようやく自分の家――宮藤診療所が見えてきた。
「お母さん! おばあちゃーん!」
「あら、芳佳。ちょっと遅かっ――」
母親は芳佳の声に振り返ったが、ウィリアムに抱きかかえられて運ばれてくる美千子の姿を見ると、その場で固まった。
目を大きく見開き、明らかに動揺する彼女に、ウィリアムが言った。
「診察室はどこだ? 傷を縫合して、出血を止める必要がある」
「ちょ、ちょっと、あなたはリベリオン人……いえ、その前に、一体何が――」
「事故があって、この人が助けてくれたの! みっちゃんが怪我しちゃって……! とにかく、早く治してあげないと!」
宮藤が事の次第を説明すると、母親の目つきが変わった。
「……診察室は奥です。そこへ運んでください」
「分かった」
ウィリアムはそのまま診察室へ走った。
走る途中、視界の端に、障子を開けて出てくる祖母の姿が映ったが、気に留めなかった。
ウィリアムが美千子を診察室のベッドに寝かせると、あとから駆けつけた芳佳の母親が傷口を確かめた。
やがて彼女はマスクをつけ、薬や消毒液、包帯、針と糸を持ってきた。そして、ウィリアムが縫った糸を取り除き、清潔な糸で改めて縫い始めた。
「少し外に出ていてください。集中したいので……」
「ああ。行くぞ、チビ」
「私はここに残ります! 縫い方も覚えたいし、みっちゃんのそばについていてあげたいから……!」
「それはあとにしなさい。今は一人にしてちょうだい。集中したいの」
「でも……!」
「おい、チビ」
ウィリアムが芳佳の肩に手を置いた。芳佳は彼を見上げた。
「今はお母さんに任せろ。お前の友達はきっと大丈夫だ」
「うぅ……」
ウィリアムの言葉に、芳佳は不安そうに美千子を見つめていたが、結局は渋々診察室を出た。
診察室から出たウィリアムは、ため息をついて宙を見つめ、やがて芳佳に言った。
「一日に二度も騒ぎに巻き込まれるとは、運がないな。空から落ちてきたかと思えば、今度はトラクターが横転して友達が怪我をしたんだから……」
「でも、あなたのおかげで大事にならずに済みましたから。だから、その……」
「アマダさん! ……ですよね?」
芳佳が無邪気に笑って言った。
その笑顔が、ウィリアムにはどういうわけか居心地悪く感じられた。心の中まで見透かされるようで、あまり落ち着かなかったのだ。
「……ああ」
「ありがとうございます、アマダさん!」
宮藤はぺこりと頭を下げた。
「今日は何度も助けてもらっちゃいましたね。どうお礼をしたらいいのか……」
「そういう話は、友達の治療が全部終わってからにしろ。たまたま通りかかって、見かけたから助けただけだ。気にするな」
そう言いながら、ウィリアムは診療所の外へ出ようとした。
宿舎に戻ると言っていた正午の時刻は、とうに過ぎていた。それに、宮藤の笑顔を見ているのも、あまり落ち着かなかったからだ。
「どこに行くんですか?」
「帰る。俺の仕事は終わったようだからな」
「ま、待ってください!」
立ち去ろうとするウィリアムの前に、芳佳が回り込んだ。
「もしよろしければ、ご飯でも食べていきませんか? ちょうどお昼の時間ですし、お礼もしたいので」
「別に礼が欲しくてやったわけじゃないんだが」
「それでも、今日は何度も助けていただいたんです。どうか、何かお礼をさせてください!」
ウィリアムは目をしかめた。
宮藤のことが煩わしいわけではなかった。ただ――。
『この瞳……』
どこまでも澄んだ、透明な瞳。
もし青い目だったなら、きっと海と見間違えたことだろう。それほど澄んでいて、思わずぼんやり見つめてしまうほど美しく思えた。
それが、ウィリアムには居心地が悪かった。
自分などが見てはいけない宝石のように思えたからだ。
「いや、俺は――」
「そう言わずに、ご飯でも食べていったらどうだい、海兵さん」
祖母が二人のもとへやって来て、そう言った。
その隣には、ちょうどマスクを外した母親の姿があった。彼女は額に浮かんだ汗を腕で拭っていた。
「お母さん、みっちゃんは?」
「縫い直して、包帯も巻いたわ。消毒もしたし、薬も飲ませたから、もう大事にはならないはずよ」
「本当!? よかった!」
宮藤は飛び上がらんばかりに喜んだ。
その姿を見て、ウィリアムは胸がじんと熱くなるのを感じた。もちろん、それを表情には出さなかったが。
「うちの孫と、孫の友達が世話になったね。ありがとうよ」
祖母の言葉に、ウィリアムは首を横に振った。
「通りがかりに見かけたので、少し手を貸しただけです。そこまで恩に着られるようなことじゃありません」
「それでも、土の上で応急処置をなさったのは危険でした。感染でもしたら大変でしたから」
「分かっている。だが、包帯は持ち合わせていなかった」
芳佳の母親は、ウィリアムを上から下までさっと見て尋ねた。
「軍人さんですか?」
「リベリオン海兵隊だ。二日前に入港した」
「海兵隊って……海軍ですよね?」
「違う」
ウィリアムは芳佳の言葉をすぐに訂正した。
「海兵隊と海軍は別物だ。俺たちは海岸に上陸作戦を仕掛け、陸も海も駆け回る戦士だ」
ウィリアムの説明を聞いても、芳佳はよく分かっていない様子だった。しかし、ウィリアムはそれ以上説明しようとはしなかった。
何も知らない子供に、軍の組織についてあれこれ説明して何になるというのか。
「それでも、診療所までこの子を運んでくださって、ありがとうございます。娘の言うとおり、よろしければお食事でもしていってください。助けていただいたご恩に報いるのが筋ですから」
「私、お料理はそこそこ得意なんです。どうか食べていってください!」
「うちの孫の言うことを聞いておやり。おとなしくて優しい子に見えて、こういう頑固なところもあるからね。そう簡単には引き下がらないよ」
ウィリアムは困ってしまった。
静かに手を貸して、そのまま帰るつもりだったのに、周りからは食事をしていけと勧められている。
ここまで言われて断って帰るのも、いわゆる礼儀というものに反する気がした。
ウィリアムは腕時計を見て、時間を計算した。
戻ると言った時刻は少し過ぎていたが、それでも少しなら余裕を作れそうだった。
『……一時間くらいなら……』
「アマダさん?」
「……分かった」
「少しだけ、お邪魔するとしよう」
ウィリアムの返事に宮藤が笑うと、その姿を見て、彼は思わず可愛いと思ってしまった。
無邪気な様子が、小さな子犬のように見えたからだ。
――
「海岸線、異常なし――!」
十三時を少し過ぎた頃――。
監視塔の上で双眼鏡を使い、海岸線を見張っていた海兵隊員の一人が声を上げた。
隣では先輩の隊員があくびをしながらだらけていた。彼はそばにいる後輩に言った。
「そんなに気張らなくてもいいぞ。横須賀にネウロイなんか現れるわけないだろ。仮に現れたとしても、俺たちより先にレーダーが捉えるさ。肩の力を抜いて、のんびり海でも眺めてろ」
「ですが……」
「何だ、暇なのか? だったらいっそ、モビルスーツのパイロットにでも志願してみろよ。あっちはいつでも募集中だ。運がよけりゃ、お前も生き残ってエースになって、軍でとんとん拍子に出世できるぞ。出世街道まっしぐらってわけだ」
「え、遠慮しておきます。モビルスーツのパイロットって、ほとんど最前線に配属されるじゃないですか。自分には耐えられません。ナムから帰ってきた人たちの話を聞いたら、あそこでもかなり激しい戦いがあったそうですし」
「ネウロイだけじゃないぞ。蒸し風呂みたいなジャングルに、クソみたいな蚊ども。奥へ進めば進むほど補給が難しくなって、頭がおかしくなりそうだったそうだ。俺たちは幸運だよ。こんな静かな場所に配属されてな」
「……あの、兵長。この戦争、終わるんでしょうか?」
海岸線を見張っていた双眼鏡をいったん下ろし、少し緊張した様子で先輩に尋ねる海兵隊員。
その問いを聞いた先輩は、いろいろと思うところがあったのか、だらけていた体を起こして答えた。
「正直、分からん。世界大戦だって一応は終わったんだ。この戦争だって、終わらないとは限らんが……今、俺たちが戦っている連中は、降伏も交渉もせず、ただできるだけ多くを焼き払い、殺すことしか考えていないからな」
「おまけに、世界大戦だって終わったわけじゃなく、ただ休戦しているだけだ」
そう言って、先輩は監視塔の下に広がる横須賀の街を眺めた。
そこでは、昔からこの土地に暮らしてきた扶桑人たちが、いつもと変わらない日常を送っていた。
「いつ、この扶桑とまた戦うことになるか分からないってことさ。海の向こうのジェリーどもだって同じだ」
「ここは俺たちの支配下にあるんですから、戦うことなんてないんじゃないですか?」
「分からんぞ。あいつらが『天の皇帝』だと持ち上げてるガキを盲信する連中が、俺たちの基地に火炎瓶を投げ込んでくるかもしれないだろ? 警戒するなら、そういう奴らこそ警戒しなきゃならん」
「太平洋で残らず焼き払っときゃよかったのにな」
先輩はそう吐き捨て、唾を吐いた。
その唾が誰に当たるかは分からない。ただ、士官にだけは当たらないでほしいと願っていた。
「うーん……」
後輩の海兵隊員が、釈然としない思いを抱えながら再び海岸線を見張った、そのとき――。
「……え?」
「どうした。カモメの群れでも見えたか?」
「兵長、今日、輸送機が到着する予定はありましたか?」
「輸送機? 何寝ぼけたこと言ってるんだ。今日は船も飛行機も来ないぞ」
「でも、あそこに輸送機みたいな機影が見えるんです……!」
「まったく。ちょっとどけ」
後輩の言葉を聞いた先輩の海兵隊員は、面倒くさそうに双眼鏡を持ち、後輩が指さした海岸線を覗き込んだ。
最初に見えたのは、陽光を反射してきらめく海だけだった。しかし、しばらくすると、確かに海を越えて近づいてくる飛行機のような機影が見えた。
「何だ、あれ? 今日は何の予定もないはずだぞ……! おい、無線で確認するから、そのまま見張ってろ!」
「了解です――!」
後輩に監視を任せると、先輩はすぐに無線機で基地に報告を始めた。
「緊急、緊急! こちらベイカー監視塔。海岸線から基地へ向けて接近中の航空機と思われる機影を確認。本日到着予定、または緊急着陸予定の輸送機があるか確認願う――!」
ザザッ――。
『本日到着予定の友軍機はなく、緊急着陸の要請も受けていない。繰り返す。接近中の機体は友軍機ではない――!』
「じゃあ、一体――」
「へ、兵長ぉぉぉぉ――!!!」
怯えきった後輩の叫びに、先輩は振り返った。
すると、先ほど見えた機影はさらに大きくなっていただけでなく、数十もの機影に分かれているではないか。
それを見た先輩は、すぐさま再び無線機に向かって叫んだ。
「非常事態! ネウロイだ! 敵ネウロイが海岸線を越え、横須賀基地に接近――」
しかし、その報告が最後まで伝えられることはなかった。
赤い光線が、監視塔もろとも彼らを呑み込んだからだ。
次回はいよいよMSが登場します。
皆さんはどの機体が一番好きですか?
私は陸戦型ガンダムや陸戦型ジム、寒冷地仕様の原型となったジムD型など、量産機が一番好きですね。
一番好きなウィッチですか?
それは芳佳ですね。かわいいですから。