――母は僕を抱き抱えて、暗い夜の森を駆けた。
もう十歳であるから、少し気恥ずかしい思いではあったが、木立から差し込む月光に当てられた彼女の精巧な横顔と肌に触れる布地に纏わられた匂い、息遣いを聞いていると、僕は暖かな寝網に身を預けているようで微睡んだ。
月光は母の行く道を照らしていたが、それと同時に母を執拗に監視することもやめない。
森の暗闇に暫く彼女が隠れようと、一時は木々のざわめきが作る影が彼女を覆ったとしても、その光は必ず僕達を照らす。
そう、「キョー・セッ」という背後の叫びと共に。
それは全てが男の声であり、低い声音がなんの起伏もなく、石を積み上げる奴隷の作業のように、一定間隔で森を包んだ。
「ママ……」
僕は思わず涙を目に溜めて、母の頬へ手を伸ばした。
母は何も言わずに、ただ荒い息遣いを僕へ向けながら微笑んだ。
「キョー・セッ」
「キョー・セッ」
「キョー・セッ」
母の表情が再び恐怖で引き攣った。
彼女が石像になってしまったのではないかと疑って、僕は背を持ち上げるようにして手を伸ばした。
月の光以上に白い肌と、震える小綺麗な指先を僕は憎んだ。
「貴方には貴方の良さがあるの。あんな人間達に、未来を奪わせてたまるものですか……」
母は願うように呟いた。
彼女は何度か地面に張られた根や枝に躓きかけて、鋭い葉に肌を割かれて、所々が出血していた。
僕は母のそんな姿を見て、若干の後ろめたさと共に下腹部の脈動を感じた。
思えばこの瞬間が、僕の反逆の剣が、その血液を巡らせて、僕の肉体を支配する原点だったのかもしれない。
僕はその瞬間初めて誕生した!
男として!
枝を垂直に砕いて駆け抜ける馬が鳴らす、蹄の甲高い音が聞こえた。
「マーレ!」
フード付きのケープを風に靡かせ、そのフードの影の下から、空に漂う雲の堆積を思わせる白い髭を生やした老人が、僕達に向けて叫んだ。
「ベン、いきなさい!てか、あんた十歳なんだから走れやっ!」
母は普段僕を叱りつける時の口調に戻った。
僕の下腹部の大袈裟な鳴動もこれによって萎え始めてしまった。
「ママ!」
「あのおじさんと共に行きなさいっ!」
母は僕の背中を力強く押した。
あまり押されると困る。
股間は依然として、僕の裾が捲られた黒いズボンのチャックを破ろうと聳え立っているからだ。
「ママもいこうよ!」
「無理よ。ベン、強い子に育つのよ」
母は僕を抱き寄せた。一回背中押したくせに。
僕は母の演劇でしか聞かないようなセリフを受けて、少し小っ恥ずかしくなった。
彼女の水色の首飾りが煌めき、白い肌の上で浮き彫りになっているのが見えた。
背後には、黒いローブに身を包み、片手に蝋燭を持つ男達が迫っていた。
同時に、地響きを思わせる声が近づいている。
「キョー・セッ」
「キョー・セッ」
「ママっ!」
「ベイくん、限界だ!」
「ベンです!」
老人は僕の両肩を掴んだ。
いきり立っていた僕の股間は、少々萎え始めていたから、母にその垂直の姿を見せる心配はなかった。
しかし今思うと、僕が大人になった様を母に見せられる機会はそれが最後だったのだろう。
「ママっ!」
「ベン、最後に一言言わせてね……」
母は痛みに耐えるような表情を見せて、口元だけは微笑んで見せた。
「あんたいい歳こいてママっていうのやめなさいね。これから親元離れて暮らすんだから」
「え………?」
「ベイくん!」
「ベンです。ママ……?」
「元気に生きるのよ!ベン!!」
老人は僕の体を片腕で抱き上げ、馬に跨った。
母の背後に、教団の男どもが群がろうとしている。
股間が再び明確な熱を、例えるならば薪を一気に焚べられた暖炉のような熱を持った。
「マ……かあちゃ………かあさま………おかあさ……ママッー!!!」
馬が僕の叫びに合わせて、前足の二本を天に向けた。
出発なのだ。
母の両手をローブの教団の男達が掴み始めている。ええい!胸ももう少し強引に触らんか!
「おじさん!ま……母さんが!」
「ええい、ままよっ!」
「ママはやめなさいね?」
僕が今の「ままよっ!」はおじさんだと弁明する前に、僕を乗せて馬は駆け始めた。
今思えば、僕のママってちょっとお馬鹿な気がしてならない。
白く霞み、遠ざかる母を僕は見つめ続けていた。
あれなんか結構丁重に扱われてるんだけど、ぼくのママ。
――男性根去勢法!!
結婚意志薄弱な二十歳以上の男性、男根の成長が芳しくない十歳の男性へ向けて王国がとった施策。
王国の出生率低下、魔王軍との戦争により冷や汗たらりの王がとった気狂いの施策!
十歳の男根の小さな少年は去勢され、ゴブリンのブツをアーティファクト「テイソン・ダイン」によって接続される。
十代で運良く去勢をまのがれた二十歳以上の男性、またはゴブリンのブツを移植された男性は、結婚、性行を強制される。
さもなくば去勢!!ゴブリンのブツは取り外し!没収!
悪鬼羅刹の尻から生まれた鬼畜が行う腐れ外道のこの所業!
僕の母はこの出来事により、生死不明。
そして僕は、この去勢を受けたまま、なんの救済措置もなく子を残せなくなった男性達が生活する、玉なしの村で成長していくこととなるのだ……