あれから七年が経った。
この僕は、七年も待ったのだ!
あえて刃こぼれをさせ、体に浮かぶ湿疹のような錆を浮かばせる剣を降り、僕は普段通り稽古をしていた。
相手は御年七六となる、僕をあの場から逃してくれたセクル・ナクルおじさんである。
はっきり言って、老人の相手は辛い。
腰は曲がり始めて、剣を持つ手は震え、鎧の重たさにギックリ腰を起こすから、チェーンメイルに籠手、膝当て、コイルのみの軽装である。
それでさえ彼は辛そうに顔を顰めているし、集中のために深い息が吐かれるたびに、彼の入れ歯の付け根が、じれったく見え隠れする。
7年前、この村に初めてやってきた時の爺さんはまだ良かった。
その時の彼には、老いながらも未だそれに抗い、相応の実力も持ち合わせている、壮年の矜持、いわば骨董品のような味わい深さがあった。
今はどうか。
「へやがぁぁっ!」
剣を振りかぶった彼の姿の滑稽さたるや。
剣が杖に見えてくるのだ。
杖を振りかぶって、悪戯少年集団を追いかけ回す近所の頑固ジジイそのものの姿ではないか。
僕もそれに合わせて、気合の声を張り上げた。
剣技の初歩、ターキー・ミギフックの構えで、爺さんに向けて突撃した。
奇しくも同じ構え。
しかし彼が掲げているのは、自身の錆びた老骨か、杖である。
僕は正真正銘の剣である。
両手に抱えた剣を爺さんの腰に目掛けて、地面を穂先で擦って、左斜め下から斬りあげる。爺さんは相対して、右斜め上から剣を振り下ろした。
二つの剣が重なり合う音が、村の訓練場に響き渡った。
しかし、村の若い男達は大抵が部屋に引き篭もっているので、訓練場には僕達しかいない。
再び剣を撃ち合い、僕と爺さんは鍔迫り合いとなった。
肘当てが爺さんの頬に触れそうだが、僕の両腕は掴んだ剣から動かせそうにない。
こちらから押そうにも引こうにも、微動だにせずその場に貼り付けられたように固定されている。
「爺さん、まだこんな力が……」
「力ではない。ぎじゅちゅ……ぎじゅ……テクニックじゃよ」
ださい爺さんである。
剣の技術より、舌の筋肉を鍛えろ。
「君の母を思え!あのあと受けるであろう辱めの姿を思え!怒れベン!我らの悲願、お前に託さんと、この七年の歳月を注いできたのだ!」
「ええい!言葉責めかい!このジジイ!あと、三年くらい前から、あんたあんま使い物になってないだろ!」
母の淫らな姿。
彼女の舌や指が、かのローブの男達の広い胸郭をなぞる媚態が嫌でも想起されてしまう。
しかし、僕は双剣使いになるつもりはない。
僕の戦法その一。
ターキー・ミギフックは、剣同士を撃ち合えば必ず発生する鍔迫り合いの時間に、突如片腕を剣から離し、相手の顔面をぶん殴る戦法である。
派生技として、砂かけターキーという、砂をあらかじめ地面から掬っておくか、貯めた袋を叩きつけるものもあるが、僕はそんな卑怯な技を使うつもりはない。
騎士道精神、正戦、決闘の思想をもって、正々堂々鍔迫り合いに持ち込み、相手の顔面を不意打ちでミギフックする。
そもそもミギフックが卑怯ではないか?
うるさい、砂かけてミギフックするぞ。
そして、相手がのけ反れば二つ目の剣技、オツギ・アッパーの出番である。
アッパーの前にダウンしたのなら、究極奥義ジャイアント・スイングを持って、相手の両足を掴み上げて回転し、相手をぶん回して近くの木へ叩きつける。
なんという素晴らしい戦法!なんという高尚な戦法!
僕は口角を釣り上げて、静かに笑った。
「爺さん!とどめを喰らえっ!」
僕は左腕で剣を支えたまま右手を離し、籠手でミギフックをかまそうと捻った。
この時、中指を握った拳から少し顔を出すようにしてやれば、威力は上がる。
狙う場所は、男の頬骨の下の溝。
痣になれば最も目立ち、目玉へのダメージもある。
フェーデによる、剣の切先でつけられた、鋭い針に引き裂かれたような傷は大変な名誉であるが、ぶん殴られた青痣が、一体何の栄光の証明となろうか?
相手はこれを最も嫌がる。
他者からは喧嘩に負けたと解釈されるからである。
だからこそ、僕はこの戦法の三つの剣技を会得したのだ。
ほぼ独流で。
全ては僕の股間を奪おうとしたあの教団、あの王国へ復讐するために!
「ベン!まだまだじゃの!お前はまだ……フガフガフガフガ麩画白敦子。」
爺さんの入れ歯が宙を舞い、蜂の巣を思わせる独特な唾液の臭みを持って、僕の鼻に食らいついた。
「ぐわっ!遠隔アーティファクト……だと!?」
「不甲なフガフガフガフガ」
僕は唾液によって目潰しを喰らい、鼻も同様に入れ歯に食らいつかれていた。
「このっ!ジジイっ!」
「ベン!あんたお爺さんにまたそんな口聞いてるの!」
快活な女性の声が、矢のように僕に降り注いで、見事に身体を貫いた。
赤髪の少女、白い肩を大胆に露出したナッシャ・ヨッシャである。
年齢は僕と同じ十七歳。
男性との営みは経験済みである。
この玉なしの村には、爺さんを含めて、ブツを持つ人間はいない。
ブツという呼び方の下劣さ、俗っぽさたるや!
これからブツを表すときは、カリバーンとする。
カリバーンを持つ人間はいない。
全員が去勢され、ゴブリンのカリバーンを付けられる前に逃亡したもの達が集まる場だからだ。
しかし、僕のカリバーンは健在である。
なぜなら、僕のはあまりにも小さすぎて、村の人間達にも、度々国から派遣されるレコンキスタ部隊にも、去勢済みと扱われているからだ。
レコンキスタ部隊というのは、情けない男の尊厳を持たない、いわば生命としての働きをしない怠け者の僕達の代わりに、この村に性を授けて去ってゆく男で構成された王国騎士のことである。
全員が金髪、筋骨隆々。
白い紙を火に炙ったような、焦茶色の肌をしている。
彼らは年に二、三度、教団の掲げる主の導きのもと、この玉なしの村にやってきて、村の女性達全員に祝福と幸福の増大を三日間に渡って指導するように与え続けるのだ。
それによって子が生まれる。
現に訓練場の外からでも聞こえる快活な少年たちの無邪気の声と裏腹に、湯浴びの際に垣間見たそのカリバーンはご立派である。
このナッシャも、つい先日その祝福を授かった身である。
「僕はもう爺さんの稽古は飽き飽きだ。こんな、情けない村にも……」
「ベン……」
「君にも、僕は情けなく写っているだろうな!男でありながら、僕はその宿命に抗う力ももっちゃいないのさ。」
僕は彼女に背を向けて歩き出した。
夕刻の木漏れ日が、木々の枝に無数に生える緑色の葉を日焼けさせ、輝かせている。
彼女は、僕の背中を見送り、背の籠を下ろして、お腹を大事そうに摩っていた。
やはりレコンキスタ部隊の連中はやり手である。
僕は一つの石の上に腰掛け、剣を突き立てた。
地面が硬く、剣の穂先は砂利を削る鈍い音を立てて、足元へ横たわった。
「僕はなんなんだ母さん。彼女の嬌声は僕の家からもはっきりと聞こえられた。彼女のあんな声を聞いたことを、僕はない………」
正直に告白するが、ナッシャの二つの大きな果実、それを支えるには心許ないくびれを見ても、何も感じることができないのだ。
僕はなぜか村の二十代後半から三十代以降の女性。
決まって、レコンキスタ部隊に子を授けられ、常に未亡人の色香を纏う彼女達に、カリバーンの海底の底から鳴くような高鳴りを感じる。
「すまない、ナッシャ。君はあまりにも処女でありすぎるのに、子を授かっているんだからな。」
もう一度剣を拾い上げた。
砂をこぼしながら、刀身は夕日の薄青い空に、透明な天体が浮かぶ様を反射して映した。
雲はそこを赤と橙色の糸のような光を引きずって、気ままにゆったりと流れる。
この空に比べ、自分の村はただ祝福を心待ちにする女と、自尊心を砕かれた男の貝塚のようである。
男の怨嗟、哀愁、悔しみ、その全てが檻となって、自分を、この村を捕らえている。
恩はある。
しかし、僕は明日の早朝、この村との決別を心に誓った。