01 青い影と絆の芽生え
神話の風が吹き抜ける町、カンナギ。
古びた祠と深い緑に囲まれたその町で、アストとシロナは生まれた時からずっと一緒に育ってきた。
「ちょっと、アスト! 待ちなさいってば!」
木々の間を元気いっぱいに駆け抜けるアストの後ろを、少女――シロナが必死に追いかけてくる。
普段、長老であるカラシナ博士の家を尋ねてくる研究者や大人たちの前では、アストの背中にスッと隠れて服の裾をギュッと握りしめてしまうような、気弱で人見知りな少女だ。
だが、幼馴染のアストと二人きりの時だけは違う。
「遅いぞシロナ! ほら、早く来ないと秘密基地の場所、妹に教えちゃうぞ!」
「もうっ! アストの意地悪! ……あ、痛っ」
木の根に足を引っかけて転びそうになるシロナの手を、アストは振り返りざまに迷わず掴み上げる。家族の面倒をずっと見てきた彼にとって、妹のようであり、一番の親友でもある彼女の手を引くのは、息をするのと同じくらい当たり前のことだった。
「ほら、大丈夫か? お前は本当におっちょこちょいだな」
「う……うるさいな。助けてくれたのは、ありがと」
真っ赤な顔でフイッと背を向けるシロナ。アストはニシシと笑うと、再び彼女の手を引いて森の奥へと進んでいった。
この頃の二人は、まだ「恋」という言葉の形すら知らない。ただ、お互いが自分の世界の中心にいることが、当たり前すぎて疑う余地もなかった。
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二人が7歳になった頃、カラシナ博士からシロナへ、ひとつの重たいタマゴが託された。
「……アスト、どうしよう。生まれたんだけど……全然私の言うこと聞いてくれないの……っ」
ある日、半泣きになったシロナがアストの家へ駆け込んできた。
彼女が抱えていたのは、タマゴから孵化したばかりのフカマルだ。
「シャアアアッ!」
生まれたてのくせにやんちゃ真っ盛りなフカマルは、シロナのきれいな金髪をガブガブと噛みちぎろうとしてはしゃいでいる。人見知りで繊細なシロナは、どう接していいか分からずオロオロと震えるばかりだ。
「よしよし、元気なやつだな。ほら、フカマル、噛むなら俺の手にしておけ」
アストは嫌な顔ひとつせず間に入ると、フカマルの顎の下を優しく撫でまわした。
首元の気持ちいいツボを押さえられ、フカマルは「うや……?」と動きを止め、うっとりと目を細める。
「すごい……アスト、どうしてそんなに慣れてるの?」
「家に妹がいるからな。手のかかる奴の扱いには慣れてんだよ。ほらシロナ、怖がらないで手を出してみろ。お前がビクビクしてると、フカマルも不安になるんだ」
アストに促され、おずおずと手を伸ばすシロナ。
アストがその小さな手の上から自分の手を重ね、一緒にフカマルの頭を撫でてやる。
「……温かい。ふふ、アストと一緒なら、私、この子をちゃんと育てられるかもしれない」
アストの服の裾を掴み、彼の背中の影からフカマルの頭を見つめるシロナ。
彼女にとってアストは、世界で一番安全で、一番頼もしい「最高の隠れ家」だった。
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だが、アストが「光」だけを引き寄せる存在ではないことを知ったのは、それからしばらく経った雨の日だった。
カンナギの裏山で、アストは一匹の傷ついたポケモンを見つける。
言葉を司るポケモン、ラルトス。
しかし、その頭部の髪は、通常の緑色ではなく――深く澄んだ「青色」をしていた。
「……キュ、ゥ……」
群れから「異端」として疎まれ、追われ、傷ついて木陰で震えていた色違いのラルトス。
人間や他のポケモンに対する警戒と恐怖で、その心は悲鳴を上げていた。
普通の子供なら、気味が悪がって逃げ出すか、大人を呼びに行くだろう。
だが、アストは違った。
「痛かったな。……もう大丈夫だ」
傘もささず、アストは冷たい雨の中で膝をつき、怯える青いラルトスをそっと抱きしめた。
怪我をした妹を介抱するように、暴れるフカマルを宥めるように。ただ純粋な「ほっておけない」という優しさだけで。
(……温かい……痛くない……)
ラルトスの角を通じて、アストの飾りのない、どこまでも真っ直ぐで温かな感情が流れ込んでくる。
青いラルトスは小さな手をアストの胸元に添え、その胸の中で静かに涙を流した。
こうして、アストのもとには「影」や「異端」と呼ばれるポケモンが、彼の深い包容力に吸い寄せられるように集まり始めることになる。
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そして――旅立ちを翌年に控えた、10歳になろうとする静かな秋の日。
カンナギタウンの古代遺跡の前に、ひとりの青年が佇んでいた。
顔立ちには若さが残るものの、その瞳には一切の感情の揺らぎがなく、まるで底なしの深い井戸のように冷たい雰囲気を纏った青年。
「……カラシナ博士。神話の壁画についての閲覧許可を」
青年――アカギは、淡々と事務的に言葉を交わしていた。
当時、彼は表向き「エネルギーと歴史を研究する若き有望な科学者」として全国を巡回していた。
遺跡の階段を上ってきたアストとシロナは、すれ違いざまにその青年と目が合う。
「……っ」
シロナは青年の放つ凍てつくような空気感に本能的な恐怖を覚え、とっさにアストの背中に隠れて服の裾をギュッと強く握りしめた。
「シロナ、大丈夫だ」
アストはシロナを庇うように一歩前へ出た。
その時、アストの肩に乗っていた青いラルトスが、「ひっ……!」と息を呑み、全身の毛を逆立てて激しく震え出した。
人の感情を察知するラルトスが感じ取ったもの――
それは、悪意や怒りすら存在しない、「完全なる心の欠落(虚無)」だった。
アカギは足を止め、ちらりとアストたちを見下ろした。
アストの抱く「青いラルトス」と、彼の後ろで怯える「シロナ」に視線の送る。
「……奇妙な個体だな。だが、心などという不完全な感情に囚われている限り、ポケモンも人間も、等しく醜い争いを繰り返すだけだ」
感情の篭もらない低い声でそう言い捨てると、アカギは振り向きもせず遺跡の奥へと消えていった。
「……あいつ、何なんだよ」
アストは怯えるラルトスを優しく撫でながら、アカギが去っていった暗がりを睨みつけた。
シロナはアストの服を掴む手にさらに力を込め、小さな声でつぶやいた。
「……怖かった。あんなに冷たい目、初めて見た……」
この時、二人はまだ知らなかった。
あの青年の背後にちらつく「ギンガ団」という不穏な影が、やがてシンオウ全土を揺るがす大事件へと繋がっていくことを。
そして、このカンナギの町から、二人が手を取り合って「10歳の旅立ち」へ踏み出そうとしていることを――。