217番道路。
猛烈な吹雪が激しく吹き荒れ、見渡す限り視界を白い闇が覆い尽くしていた。足をとられる深い雪の中、ヒカリは凍えそうな手でコートを固く握りしめ、前へ前へと進んでいた。
キッサキシティへ向かうこの極寒のルートは、数々の試練を乗り越えてきたヒカリにとっても過酷を極めていた。
「ポッタイシ……大丈夫……? もうすぐキッサキだからね……」
冷たい風に耐えながら頼もしく隣を歩く相棒――ポッタイシに声をかけた、その時だった。
風の音に紛れて、キィ、と小さく痛切な悲鳴が聞こえた。
「え……?」
ヒカリが吹き溜まりの陰へと駆け寄ると、そこには雪に埋もれるようにして倒れている小さな黒い影があった。
真っ赤な鋭い爪と、額の小判のような模様。――ニューラだ。
だが、その体は無数の痛々しい傷に覆われ、凍てつく雪の中で衰弱しきっていた。さらに不自然だったのは、ニューラのすぐ脇に投げ捨てられていた、傷だらけのモンスターボールだった。
「これって……捨てられたの……!?」
ヒカリは息を呑んだ。
強くあることだけを求め、傷つき役に立たなくなった途端に投げ打たれた命。過酷な雪山で、ただ死を待つためだけに放り出されたのだ。
「そんな……ひどい……!」
「シャーッ!」
ヒカリが救急キットを取り出し、凍える手で助けようと膝をついたその瞬間、ニューラが激しい敵意を剥き出しにして鋭い爪を振るった。
裏切られ、棄てられた深い恐怖と絶望。人間に傷つけられた傷口を抱え、触れられることすら拒むように必死で身を構えるニューラ。
普通なら気圧されて怯んでしまうほどの威嚇。だが、ヒカリの瞳から迷いは消えなかった。
「……大丈夫。怖かったよね。でも、私はあなたを傷つけたりしない!」
切り裂かれたコートの袖も気にせず、ヒカリはまっすぐにニューラへと手を差し伸べた。その横でポッタイシもまた、ニューラを包み込むように優しく翼を広げ、威嚇を受け止めてみせる。
そこへ、吹雪の奥から下品な笑い声を伴って数人の影が現れた。ギンガ団の下っ端たちだ。
「ハハッ! そいつは使えねえから捨てたゴミだ。気安く触ろうとして怪我すんなよ、ガキが!」
「……命を何だと思ってるの!? この子はゴミなんかじゃない!」
下っ端たちが一斉にボールを構えて脅しをかけるが、ヒカリはポッタイシと共に傷ついたニューラの前に立ち塞がり、毅然と睨み返した。恐怖に足が震えながらも、決して一歩も引かない強い意志。
その時――絶叫のような風切り音が吹雪を真横に切り裂き、下っ端たちを吹き飛ばした。
「ぐわぁぁっ!?」
驚愕する連中の前に静かに舞い降りたのは、漆黒のコートを纏った男――アストだった。
静かに従うサーナイトの圧倒的な威圧感と、アストの放つ冷徹な殺気に耐えかね、ギンガ団は捨て台詞を残して逃げ去っていく。
静寂が戻った雪原で、アストは逃げていく影を追うこともせず、ゆっくりと振り返った。
その視線は、威嚇を続けるニューラ、そしてその前に立ち塞がり続けていたヒカリとポッタイシに向けられる。
アストは無造作にニューラの前でしゃがみ込むと、最後の一振りのように伸びてきたニューラの鋭い爪を、避けることもせず自らの手で受け止めた。
肉が割け、白銀の雪の上にアストの赤黒い血が滴り落ちる。
「アストさんっ……!?」
ヒカリが息を呑む中、アストは表情一つ変えず、血を流すその手で震えるニューラの体を強引に、しかし逃がさぬ確かな力で抱き上げた。
「……無駄に暴れるな。お前を捨てるような連中は、もうここにはいない」
低く、突き放すような、しかしどこか重みのある声。
自分を切り裂いた血の温もりと、その腕の揺るぎない包容力に、ニューラはわずかに目を見開いた。荒かった息が次第に落ち着き、爪から力が抜けていく。
アストはポケットから乱暴に傷薬を取り出すと、自分を傷つけたそのニューラの体を最低限手当し、手元にあった空のボールを押し付けるように放った。ニューラは自ら額を押し当て、静かに収まっていった。
「棄てられた刃か。……なら、俺が引き取る」
アストはボールを拾い上げると、血の滲む手すら気にも留めず、背中を向けた。
「待ってください! その手……怪我を……それに、助けてくれて……!」
「助けた覚えはない。お前らが勝手に時間を稼いだだけだ」
アストは振り返りもしない。冷徹で、面倒臭そうな声だった。
「……身の丈に合わん真似をして死にたくなければ、さっさと街へ行け。これ以上、俺の邪魔をするな」
それだけ吐き捨てると、アストはサーナイトと共に、吹雪の向こうへと姿を消していった。
静まり返った雪原に、ヒカリとポッタイシだけが取り残される。
ヒカリは、アストが立っていた雪の上に残された、痛々しい血の跡を見つめた。
(助けたわけじゃない……邪魔をするな、って……)
口では冷たい言葉を吐き捨て、血を流しながらも、結果的に自分たちを守り、傷ついたニューラを回収していった男。
優しくなんてしてくれなかった。綺麗事も言ってくれなかった。けれど、その不器用な生き様と背中の傷が物語るものは――。
(シロナ様が言ってた……『不器用で、本当はすごく優しい人』って……こういうことなんだ……)
胸の奥に熱いものがこみ上げるのを感じながら、ヒカリはポッタイシと顔を見合わせた。
もう迷いはない。ヒカリはしっかりと前を向き、キッサキの街へ向かって歩き出すのだった。