サターンを打ち破ったヒカリとエンペルトは、アジトのさらに奥深く、冷たい機械音と気味が悪い紫色の照明が明滅する中央実験室へと足を踏み入れた。
ガラス張りの巨大な培養カプセルの中に囚われていたのは、湖の守護神たち――ユクシー、アグノム、エムリットだった。
特殊なエネルギー波によって精神を酷使され、弱り切った表情で浮遊するその姿に、ヒカリは胸を痛めながらも即座に駆け寄る。
「今、助けるから……! エンペルト、制御装置を!」
「……ッシャア!」
エンペルトが放った鋭い『メタルクロー』が、カプセルを束縛していた強固なパイプやケーブルを一閃に切り裂く。
警報音が鳴り響き、高圧電流が奔る中、ヒカリは躊躇うことなく制御パネルの緊急解除レバーを叩き落とした。
ガラスが割れ、解き放たれた三匹の影。
ユクシーたちは感謝を伝えるかのようにヒカリの周りをひと巡りすると、開かれた天井の排気口から、それぞれの空へと光となって飛び去っていった。
「よかった……これで、みんな……」
安堵の息を漏らしたその時、背後の壊れた自動ドアから、足音が響いた。
ヒカリは警戒して振り向いたが、そこに立っていたのはギンガ団の増援ではなかった。
黒いコートの裾を揺らし、右手の拳にわずかな返り血と焦げ跡を滲ませた男――アストだった。
彼の背後には、制御を失って火花を散らすメインサーバーと、無力化された下っ端たちが転がっている。
一人でアジトの通信・防衛ラインを物理的に叩き潰してきた証拠だった。
「アストさん……」
アストは転がったカプセルの残骸と、解放された空間を一瞥すると、視線をヒカリの傍らに立つ青い冠のポケモンへと向けた。
威風堂々とした立ち姿で、アストを警戒するように鋭い眼光を向けるエンペルト。
アストの瞳に、ほんの一瞬だけ、微かな色の変化が宿る。
だが、彼はすぐに興味を失ったかのように目を逸らした。
「……足手まといではなくなったか」
低く、ボソリと呟かれたその言葉。
優しさもお世辞も微塵も含まれていない、ただの客観的な事実の指摘。
けれど、217番道路で「邪魔だ」と言い捨てられたあの日から、ヒカリ自身とポッタイシが血を吐くような思いで積み重ねてきた覚悟を、彼なりに「認めた」瞬間だった。
「……はい。もう、助けてもらうだけの存在じゃありません」
ヒカリはエンペルトの隣に立ち、まっすぐにアストの目を見返した。
アストはフンと鼻で笑うと、壁のモニターに映し出された防衛ログを冷徹な目で見つめる。
「アカギはすでに『あかいくさり』を完成させ、テンガンざんへ向かった。……世界の理を書き換える気だ」
「テンガンざん……やりのはしらですね」
「追う気か。あの頂には、これまでの下っ端どもとは次元の違う狂気が待っているぞ」
突き放すようなアストの問いかけに、ヒカリの心は一ミリも揺れなかった。
「行きます。世界を守るためだけじゃなくて……私とこの子が、私の足で最後までやり遂げるために」
アストは一瞬だけ黙り込み、それ以上何も言わずに背を向けた。
「……勝手にしろ」
短く吐き捨てると、アストは崩れかけた回廊の闇の中へと姿を消していった。
去り際の背中に甘えや過保護さは一切なかったが、彼がテンガンざんの最前線へ先回りし、再び修羅場を引き受けるつもりであることは、言われずとも伝わってきた。
「行こう、エンペルト。……決着をつけに」
「……ッシャア!」
ヒカリとエンペルトは、覚悟を新たにし、雲を突く巨大な霊峰――テンガンざんの頂を目指して駆け出した。