テンガン山の麓へと続く静けさに包まれた道。
ヒカリを一足先に麓のポケモンセンターへと送り出し、完全な静寂がふたりを包み込んだ時だった。
「……はあ」
アストが短く息を吐き出すと同時に、その隣を歩いていたシロナが、ふっと糸が切れたようにアストの胸元へと身体を預けてきた。
「……シロナ?」
「疲れたわ……ほんとうに」
チャンピオンとしての完璧な面も、鋭い眼光もそこにはない。アストのコートの胸元に顔を埋め、力を抜いて甘えるように身を寄せる、ただの『一人の女性』としてのシロナがそこにいた。
アストは呆れたような、けれど心底愛おしそうな吐息を漏らすと、迷わずシロナの細い腰に腕をまわし、引き寄せるように強く抱きしめた。コート越しにも伝わってくる彼女の体温と、柔らかい髪の香り。世界の存亡をかけた激闘を終え、互いが無事にここにいるという確かな実感が、胸を満たしていく。
「お前が一番無理しただろ。前衛でギラティナの圧力を全部受け止めてたんだからな」
「ふふ、でも……あなたが後ろを完璧に固めてくれていたでしょう? だから私、少しも怖くなかったわ」
シロナはアストの胸の中から顔を上げると、革手袋をすっと外し、素手でアストの頬を優しく包み込んだ。凍てつく山の風に晒されていた指先は、少し冷たくなっている。
「……手、冷たいぞ」
「あなたが温めてくれるでしょう?」
少し悪戯っぽく微笑むシロナの瞳に、アストは降参したように目元を緩めた。頬に触れる冷たい手の上に自分の大きな手を重ね、包み込むようにして温める。そのままゆっくりと顔を近づけ、彼女の冷えた唇に、静かで熱いキスを落とした。
重ねられた唇から伝わるのは、互いの体温と、言葉にならない深い愛着。
一度引き離された唇が、名残惜しそうに何度か小さく触れ合う。
「……ん、アスト……」
「シロナ。……無事でよかった」
「ええ……あなたもね」
甘く吐息を漏らしながら、シロナはアストの首筋に腕を回し、さらに深く身体を寄せてくる。
少し離れた雪道では、ガブリアスとサーナイト、そしてマニューラが、気を利かせるように静かに背を向け、ふたりの密やかな時間を邪魔しないよう見守っていた。
「ねえ、アスト。あの少女が……ヒカリちゃんがチャンピオンロードを抜けて、私のところへ辿り着くまで」
シロナはアストの胸に頬を寄せたまま、どこか愛おしそうに呟く。
「もう少しだけ、こうしてふたりだけの時間を過ごせるかしら」
「……当たり前だろ。いくらでも付き合う」
アストはシロナの頭を優しく撫で下ろし、その髪に深く口づけを落とした。
過酷な狂乱の夜が明け、シンオウの空に静かな朝焼けが差し込み始めていた。
世界の危機を乗り越えた二人を包むのは、どこまでも穏やかで、甘い冬の光だった。